Chypre : un pays divisé inconnu ("deux pays" divisés?)


Map: Kythrea Press and Information Office

PART3

 

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今回の旅程はトータル910日なので、大中小とあるキャリーの大を携えてきています。東京の路線バスと同じ前乗りで、同じように狭いドアとステップなので、荷物をタテにして持ち上げようとしたら、ひとりの若い男性が車体側面を指さして「あそこに入れるのです」と教えてくれました。路線バス仕様だから荷物収納室はないものと決めてかかっていましたが、ちゃんとあるらしい。長距離バスや空港アクセスバスなどでは、そこにスタッフまたはドライバーが立って荷物を預かり、たいていは預かり票やバッゲージ・タグを渡してくれます。これまでの欧州での経験でもそうだったので、無人のところに行って自らフタを開けるのだとは思いもよらなかった。他に入っている荷物はなく、不安定だと困るのでキャリーを寝せておきます。途中の停留所や終点で誰かが先にもっていったらアウトですね。荷物収納の手順があったので乗車が最後になってしまいました。先払いで、運転士に直接支払います。レフコシアまで€4なので€2硬貨を2枚差し出すと、往時の回数券のようなチケットが手渡されました。座席はかなり埋まっていましたが、前から2列目の通路側、つまり前方の展望がかなり利く座席が空いていたのはラッキー。アラビア語の本を手にしたムスリム美人の隣になりました。まつげが超長くて知的な感じ・・・ というのは個人の感想です。

115分ころ出発。チェックアウトしたばかりのホテルのそばを通り抜け、たちまちラルナカの郊外に進んで、やがてハイウェイらしき道路に入ります。観察によれば、日本のように一般道とは隔離された有料の高速道路というわけではなく、都市間を結ぶ幹線道路が高規格で整備されているというドイツ方式ではないかな。左側通行なので日本国内を走っているといわれても違和感はない車窓です。アルベルト・ザッケローニのような顔立ちの小太り運転士が、乗客一人ひとりにしっかり対応し、紙幣にもきちんとおつりが用意されていたのには感心しましたが(券売機などの投資をセーブしているのでしょう)、ハイウェイに入ってから彼のスマホに電話がかかってきて、ハンズフリーで延々話すのはある意味すごい。走行音に負けないように大声でしゃべるし、相手が話すスキがないほど彼が一方的に話すので、まるで演説を聞かされている感じになってきます。もちろんギリシア語ですが、ところどころに英語の単語やフレーズが入り込むのがおもしろい。途中でスマホ操作も平気でやっているし、うちの国あたりでそれをやったら誰かがツイートして炎上させるかもね。到着が近くなってからも電話がかかってきて、やはり運転士の演説。向こうがかけてきているのに、いったいどういうことなのだろう。バスの運転士だと知ってかけてくるのならけしからんし、業務用電話なら別の意味でけしからん気もするけど、国が違えばあまり文句もいえませんな。

 
 


キプロスはさほど起伏のない島で、横長の島の中央部はわりに平坦。高地は北と南に寄っています。佐渡島の地形に似ています。ラルナカからレフコシアに向かうと、ほぼ一方的な登り坂になるのですが、しかし勾配は急ではなくだらだらという感じ。その間は牧草地か荒れ地で、集落らしきものはあまり見えません。1155分ころハイウェイを降りて、郊外の工業団地のような区画にわざわざ入り込み、若い女性ひとりを下ろしました。1210分ころ突然という感じで都会の一角に入り込み、東京23区のどこかですといっても疑わないような景観に囲まれました。ラルナカは一方通行ばかりで、まともな道路がほとんどありませんでしたが、レフコシアは普通の、まともな都会のようです。1220分ころバス・ターミナルのプラットフォームに到着。大きな駅前のターミナルを思わせる本格的な造りですが、ここキプロスには鉄道はなく、また首都レフコシアに空港もありませんので、ここが首都のメイン・ターミナルです。かなりの番線があり、利用客もたくさんいます。

レフコシア旧市街は、三角形の張り出し部分を伴った城壁がほぼ現存して、新市街とのあいだを明確に区切る構造になっています。町全体が巨大な五稜郭だと思えばわかりやすい。バス・ターミナルは城壁と新市街のあいだの空堀に架かる橋上にあります。予約した宿はぎりぎり城壁内ですから、壁沿いの道を歩けば数分ですぐに見つかりました。

 
  
ザ・クラシック・ホテル(外観は21日朝、ハンガーは22日夜)


ザ・クラシック・ホテル
The Classic Hotel)には3泊の予定です。これも予約サイト経由で押さえてあり、3泊朝食つき込み込み€2701泊あたり€90と、ラルナカよりかなり割高で西欧の相場に近づいていますが、首都なのでやむをえないところでしょう。それだけ出せばけっこうよい部屋に、という期待はすぐに裏切られますが(笑)。レセプションには20代と見える若い女性がいて、もちろん英語でやり取り。すぐにチェックインできるようで、カードで先払いしました。作法どおりにパスポートをコピーしたマドモワゼルは記述に注目して「うわ! ミスター・コガはJune 25がお誕生日なんですね! 私も同じなんです!」と妙にエキサイト。そういう人だって世界には結構いると思うよ(ジュリーとかキンキンとかあややとかw)。かと思うと急にシリアスな表情になり、「お部屋は少々複雑な場所にありまして、この裏のエレベータで2階に上がっていただき、そこからああして、こうして・・・」と、客室への案内にしてはえらく文章が長い。最初のほうを忘れちゃいそうなので適当に聞いて、あとは現場で考えましょう。なるほど、エレベータまではすぐにわかりますが、3階客室を割り当てられているはずなのに2階までしかなく、その先が中2階とか中1階といった中途半端なフロアになっているし、廊下もぐねっていて見通しが悪い。それなら誰かに案内させればよかろうと思うんですけどね。たまたまクリーニングの女性がいたのでルーム・ナンバーを告げてその先の道順を教えてもらいました。残念ながらこの部屋は合格点に及びません。水まわりが貧弱なのと、ロッカーのハンガー・ホルダーが脆弱で何を掛けてもたちまち滑落してしまいます。ハンガーを持ち出されないようホルダー式にしたいのはわかるが、止め口の部分がバカになっているせいでわずかな重みも持ちこたえられないのですね。ついでのことにWiFiの電波が弱く、電源の位置もおかしい。昔の建物をどうにか修復しながら使っているのだとわかりますが、全体にくたびれすぎだな〜。

あらためて首都レフコシアは、人口30万人ほどの、キプロス最大の都市でもあります。レフコシア(Λευκωσία)はギリシア語の呼び方で、もう一つの公用語であるトルコ語ではレフコシャ(Lefkoşa)。日本では英語のニコシアNicosia)を用いるのが普通です。レフコシアがニコシアにそのまま転訛したとは考えにくく、転写ミスなどに由来してどこかで誤読が生じたのではないでしょうかね。ニコシアと呼ばれた最も古い例は十字軍のときのようです。EU28ヵ国完訪を達成したばかりですが、首都に関しては未訪のところがまだ2ヵ所あり(スペインの首都マドリードとイタリアの首都ローマ)、レフコシアは26ヵ所目。英名ニコシアだとしても、日本人への知名度はEU内で最も低いうちに入るような気がします。1320分ころ表に出ました。ここレフコシアも温暖なので、軽装のまま町歩きに出動。


レフコシア旧市街の概念図 城壁跡と空堀がほぼ完全な姿で残る真円形の空間
南北分断線グリーン・ラインは、実際には幅数十メートルの中立地帯を伴う


新市街まで含めればかなりの広がりのある都市のようですが、各国の首都の例に漏れず旧市街が明瞭に区分されていて、ツーリスティックな面ではその範囲を歩いていればだいたい収まります。前述のようにその旧市街は巨大な五稜郭のような城壁に囲まれており、サイズが大きいだけに星型ではなく真円に近い形状をしています。旧市街の外枠をなす円弧の部分がはっきりしているので、歩きやすいでしょうね。多少迷ってもその範囲内であればいずれ見知った場所に出るでしょうから。円の直径は1.5kmくらいでしょうか。城壁内部にバスは乗り入れてこないのですが、それだけ狭い範囲ですので徒歩で十分です。

まずはメイン・ストリートと知るレドラ通りΟδός Λήδρας)をめざします。町の雰囲気を知るためには、ど真ん中に直行するのがよいですね。ホテルのそばから最短距離で行けそうな道を見つけて、ほぼ直進。旧市街というより日本のどこかの都市の住宅街、それも裏手に来たような雰囲気です。気温が高いこともあって、なんとなくのびやかな感じ。ホテルのすぐ裏にワインやビールを売るリカー・ショップがあったのは心強く、あとで何かしら世話になることでしょう。10分もしないうちにレドラ通りらしき道に行き当たりました。

 

 
南レフコシアのメイン・ストリート レドラ通り


レドラ通りは、日本の地方都市の目抜き通り、それも歩行者専用のアーケード街のような道幅と景観でした。屋根はないが、屋根だかひさしのようなアクセサリーが頭上に設けられているのでアーケードっぽく感じるわけです。私はこれと垂直に交わる道を歩いてきたのですが、いきなりにぎやかな区画に出て、しかも目の前がH&Mなのでインパクトがありました。それもいまどきの日本の地方都市っぽいところです。ただ、最近訪れた富山や鳥取の中心部は、アーケード街でもかなりシャッター通り化してしまっていて、うわっと思ったものです。レフコシアは元気な様子。観光客のように見える人たちもけっこう歩いています。H&Mのすぐ先にスターバックスとマクドナルドが並んでいて、例によって繁盛しているのがまたグローバル。いまどきですな。

おやケンタッキーまであるな、それにしても靴屋さんがやたらに多くて、あちこちでセールをしているなと思う。この規模の町で靴がそこまで売れるのかね(これは何かのフリですが覚えておかなくても大丈夫です)。アイスクリームを舐めている子ども、そしておとなもちらほらいて、2月とは思えぬ暖かさがいいな。のんびりした気分のままレドラ通りを北に向かって歩いていくと、唐突に、という感じで白いテントが行く手を阻んでいました。ここがクロス・ポイントCross Point)か。事前に本などで写真を見てはいたのだけど、思った以上に簡素で小さな施設のようです。

 クロス・ポイント(南側)

 
(左)南北の出入国審査場のあいだに設けられたバッファー・ゾーン (右)北側の審査場に向かうところ


クロス・ポイントはキプロス島内に何ヵ所か設けられていますが、レフコシア旧市街ではここだけ。徒歩のみの扱いになります。2008年までは限定的に運用され、南から北に行くだけだったのが、南北の協定が結ばれて、現在は双方向の移動が認められるようになりました。ただし24時間以内にクロス・ポイントを再通過して戻らなくてはなりません。ここを越えるのはあす21日のつもりだったのだけど、目の前にあるし、数人が並んでいるだけですぐに通過できそうだったので、迷わずテントの下に向かいました。キプロス国籍の人とそれ以外の人で窓口を分けています。仮設のチケット売り場のような「小屋」の窓口にパスポートを差し出すと、係官は顔写真を照合し、スキャンして情報を記録しました。互いにサンキューというくらいで、とくにやり取りらしきものはなく、通過OKということになります。いまおこなったのはキプロス共和国を「出国」する手続き。その先に50mくらい、殺風景な道がつづいています。国連が管理するバッファー・ゾーン(緩衝地帯)です。そこを直進すると、両側にやはり簡素な仮設小屋があります。こちらが北側の「入国」審査場。南側は1ヵ所で出入国両方をこなしていますが、北側は入国審査と出国審査を分けています。南の審査場はおじさんの係官でしたが、北は若い人が多く、男性係官と女性係官が通行者のパスポートをスキャンしながら、何やら楽しげに「談笑」している! 別に緊張感を欲しがっているわけでもないが、かつてのベルリンの壁、今日の板門店のことを思えば、なんとお気楽なクロス・ポイントなのだろう!

経緯についてはあらためて説明しますが、ここから先は北キプロス・トルコ共和国Kuzey Kıbrıs Türk Cumhuriyeti / Turkish Republic of Northern Cyprus)なる「国家」が実効支配するエリアです。主権・領域・国民という国家の三要素がそろっていながら、もう一つの要件とされる「国際社会の承認」を得られない国家を未承認国家といいます(廣瀬陽子『未承認国家と覇権なき世界』、NHKブックス、2014年)。ロシア周辺にいくつかあるのですが、日本人にとってなじみ深いのは往年の「満洲国」と、世界最大の未承認国家である中華民国(台湾、澎湖諸島、金門島、馬祖島を実効支配する国家)でしょう。もっとも中華民国についてはその位置づけや意味を知る人が思いのほか少なく、「台湾」という国家であるとか、中国の一部(実質的にも)であると思い込んでいる人が多いのはどうしたものだろう。北キプロスを承認する国家はいまのところトルコだけなので、ここが一人前の国家になる望みはほとんどありません。しかし、島の北半分は紛れもなく北キプロスです。日本政府が承認しない関係で、日本で売られている地図にはこの「国家」の記載はなく、島全体がキプロス共和国であるかのように描かれているのですが、いってしまえば虚偽です。ロシアが実効支配する北方領土が日本領として描かれているのと同様に、「日本政府の立場」を示したものだということです。

 
クロス・ポイントを北キプロス側に抜けたところ


レドラ通りをただまっすぐ歩いてきただけなのですが、南北の町のトーンは明らかに異質。北側は、日本のどこかの門前町のように軒の低い小規模の店舗がひしめきます。土産物にコーラなどの飲み物を売る店が、まずあります。スーヴェニア・ショップなどとはいいたくなくて、昭和の土産物屋さんそのものだな。店内の安っぽいテーブルでうどんくらい食べられそうな気もします(うどんはないけどピザとかなら食べられる)。カフェというか喫茶店、レストランというか食堂、ブティックじゃなくて洋品店・・・ そして時計・宝飾店もあります。南側から越境してくる観光客を相手に外貨を稼ごうということらしく、価格表示の大半がユーロになっていました(北キプロスの法定通貨はトルコ・リラ)。マカオを訪れたとき昭和の商店街みたいな景観に感動したものですが、そんな感じで、ノスタルジックな雰囲気そのものが売りになっているのかもしれません。「発展」から取り残されたことが逆に、というか一周まわって売りになるということですね。店員さんの顔立ちがトルコ系かといわれれば、まあそのようにも見えますが、南側との差異がさほどあるようにも見えません。

 
越境観光客向けの店が並ぶ狭い通り 2本の尖塔はセリミエ・ジャーミー


いや〜、地図に載っていない「国」を歩いているんだな。中華民国の話で、実際にはこれこれなんだよと公民の授業で話しても、「またまた〜」みたいな反応を見せる高校生が少なからずありました。地図がウソをつくなんてありえないし、テレビなどは「台湾」をあたかも国名のように扱っているし、中華民国というのは歴史的存在で、いまはめったに聞かないからでしょう。その彼らが修学旅行で台湾に行って、「先生がいっていたように、本当に中華民国でした。国旗が独特(青天白日満地紅旗)でした!」と報告してきたのを思い出します。だから存在するんだってば。アブハジア共和国も、南オセチア共和国も、ソマリランド共和国も実在するんだってば。日本政府が承認しないパレスティナ、日本政府は承認しているが世界の半分は承認しないコソヴォなど、未承認国家は世界のあちこちに実在します。キプロス島は、1974年に決定的な分裂があり、かれこれ45年も南北に分かれているのに、まあその知名度の低いこと。日本人が知ろうと知るまいと、南北キプロスは韓国・北朝鮮と同じ分断国家です。朝鮮半島と違うのは、首都レフコシアの真ん中に分断線が走っていること。板門店を韓国と北朝鮮が共通の首都にするようなものだといえば、わかりやすいでしょうか。地球広しといえども首都が分断されている、見方を変えれば同一の都市が2国家に首都として分有されているのはレフコシアだけなのです。

北キプロスを日本政府が承認せず、そんな国家は「ない」という建前なので、「地球の歩き方」も基本的には南側のことしか記載していません。分断の事情とクロス・ポイント、いくつかのスポットに関する簡素な情報はあるものの、地図が記載されていないのです。地図を載せれば「入国」しなさいと勧めるようなものですからね。その点、ラルナカで購入したロンリー・プラネットのガイドブックは北レフコシア、北キプロスについても同じくらいの分量の記事を載せていて、実用に資します。北のエリアで何かトラブルがあっても日本政府は救出してくれないかもしれない、それでも文句はいえないということではあるが、現状そのようなことはまず起こりえず、なんとものんびりした紛争フロントだというほかありません。

 


1パイント(実際には0.5L)の生ビールにカワキモノがついて€1.50って安っ!!
と、突っ込みどころはそこではなく、(1)ユーロなんかい!! (2)イスラーム圏なのにビール売るんかい!! てことやね


にぎやかそうな道を選んで進むと、いかにも安物ふうのTシャツとか靴をワゴンに積んで売る店、アテネで見たような布屋さん、ケバブを前面に出した食堂などが続々と現れます。といって、欧州のあちこちの観光都市のように店員ががつがつ客引きしてくるということもなく、そこもほんわか。北キプロスの市民がどの程度の所得水準、生活水準なのか気になるところではあります。

その狭い商店街がセリミエ・ジャーミーSelimiye Camii)の表参道の役割を果たしています。さきほどからちらちらと視界に入る2本の尖塔(ミナレット)はこの寺院のもの。北の、というより南北を通じてレフコシア市内で最大の歴史的名所ということだろうと思います。もともと1314世紀、十字軍系のフランス人諸侯がキプロスを統治した時期に建立されたカトリックの寺院で、聖ソフィア大聖堂(Cathédrale Sainte Sophie)と呼ばれていたところを、16世紀後半にこの島の支配権を奪ったオスマン帝国によってモスクに転換され、ミナレットなどが追加されたという経緯があります。セリミエ・ジャーミーの名は現トルコのエディルネ(旧称アドリアノープル)にある著名なモスクと同じで、いずれもオスマン朝全盛期の君主セリム2世(II.Selim 在位156674年)にちなみます。オスマン朝を世界帝国へと発展させた大スルタン、スレイマン1世の後継者ですね。ジャーミーはトルコ語でモスクのこと。

 

セリミエ・ジャーミー(周辺の道が狭く全容を写すことができなかった・・・ 上左と下の写真は21日に撮影したもの)


近づいてみると相当に立派な建物で、モスクによくある円形・曲線の構造がほとんどないので、キリスト教式なのだというのはすぐにわかります。現役の寺院だろうし、この種の宗教施設には異教徒の観光客を立ち入らせないところもあるので、どうなのかなと思ったら、普通に拝観できそう。手足を浄める場には着座できるようお風呂のイスのようなものまでセッティングされています。参拝前に身を浄めるという発想は私たちにも理解しやすい。足はともかく両手をよくすすいでおきます。キリスト教会の転用ですが、モスクですので土足厳禁。日本のお寺でよく見るように、入口のスノコで靴を脱いでくださいという指示が書かれていました。欧州に来てホテルの客室以外で靴を脱ぐという機会はまずないけれど、そもそもキプロスが欧州なのか微妙ですし、北キプロスになると「ここは違いますよ」と現地の人にいわれそうですね。モスク内部にはふかふかの赤いカーペットが敷かれています。イスラーム寺院に入るの久しぶりです。

ホワイトボードに「イスラームとは」という簡単な記述が、なぜか手書きで示されていました。旅行者にイスラームの教えを知ってほしいという素朴な気持ちなのでしょうか。信者の方もいたのですが、ヴィジターが入りにくいという雰囲気でもなく、もとよりこちらもお邪魔しているのだということを忘れずに、建物を参観させていただきます。

 
セリミエ・ジャーミーの内部 構造は明らかにキリスト教のゴシック建築だが、やわらかいカーペットと真っ白な塗装がイスラームの雰囲気を示す

  参拝前に手足を入念に浄めるのがムスリムの作法


首都に着いて早々、南レフコシアもほとんど見ていないのに、いきなり北のほうに入り込んでしまいました。対立とか紛争という話はかねて知っていますが、現地で見て思うのは、ちょっと異質な2つの都市が背中合わせになっているというくらいです。何かやばそうなものがあるわけでも、危険と隣り合っているわけでもない。北キプロスに実際に行った人の話というのはあまり聞きませんが、本などを読むかぎりでは、24時間以内にクロス・ポイントに戻ることと、北側の宿泊施設に泊まらないように、というのが重要な注意点だそうです。北レフコシャにもホテルなどはあり、実際に目にしていますけれど、分断以前の所有者が南に逃れて、いまもなお民法上の権利を主張しているため、そこにお金を落とすと南側でトラブルの原因にもなるのだと。飲食店や土産物店でもそうした事情はあるでしょうが、不動産が直接絡む話はたしかに面倒かもしれません。また、私のようにキプロス共和国に入国し、そこからクロス・ポイントを越えて北に行くのはいいのですが、「国交」のあるトルコから航空機で北キプロスに「入国」してしまうと、その履歴がパスポートに残り、キプロス共和国とギリシアに入国できなくなるようです。

セリミエ・ジャーミーのすぐ南隣に屋根つきの公設バザールが見えたので入ってみました。なんとなくイスラーム圏では市場といわずバザールと表現したくなります(そのように表記してあったし)。内部は4筋ほどでさほどの広がりはなく、布屋さん、土産物屋さんのほか、肉屋や八百屋などもあります。にぎわっている感じも、さびれている感じもとくにしません。時間帯にもよるのでしょう。さすがにバザールは生活の場なのかなと思うのですが、英語表記もけっこう目立ちます。越境ツーリストをそれなりにあてにしているのでしょうね。こういうバザールにはいまいち合わなさそうな画材屋さんがあり、風景画などと並べて腕自慢の人が描いたらしい有名人の肖像が売られていますが、なぜかカール・マルクスとアンゲラ・メルケルが前面に出ていました。

 
 
北レフコシャの公設バザール


市場の入口付近にツーリスト・インフォメーションがあり、中で何やら作業をしています。南から越境してきたヴィジターがここでツアーか何か申し込んだら受けてもらえるのでしょうか。でも北の住民がここで案内を受けたところでどこに行くでもないだろうし、北キプロスの別の地方ということなのかな。いまいるところはグリーン・ラインから200mも離れていないゾーンで、誰が誰に何を売るのか、いまいち整理できない感じがします。何しろトルコ以外のすべての主権国家がキプロス共和国の立場を支持し、北キプロスはあるのに、ないことにされています。幻の国の首都には、しかしちゃんと住民がいて日々の生活を送っているのです。

キプロス共和国(南)の立場: キプロス島全域がキプロス共和国の領域であり、北半分を「北キプロス・トルコ共和国」を自称する勢力が不法に占領している。
北キプロスの立場: 自分たちは1983年にキプロス共和国から分離独立した主権国家であり、現に実効支配している島の北半分がその領域である。

 
願いは届くか・・・ (左)北レフコシャ市内  (右)バッファー・ゾーン内

 

PART4につづく

 


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