Á LA CHAMPAGNE!!
BUVONS LA CHAMPAGNE!!!

PART 2 シャンパーニュ飲んで町歩き


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シティ・マップをあらためて見てみると、ランスの市域はけっこう広いものの、「街」というべき部分はかなり限定されます。日本の地方都市だってそうですよね。フランスは先進国でも例外的に極端な中央集権の国で、大ざっぱにいうなら「パリとそれ以外」みたいなものですし、マルセイユとリヨンをまあ例外として、あとは本当に中規模以下の都市があちこちにあります。だからこそ「フランス」に行く観光客はその大半の日程をパリで過ごします(例外はモン・サン・ミッシェルかな)。かくいう私も、ここ数年は英独伊ベネルクスなど「他国」に出かけてばかりでフランスの地方都市ってあまり知らないんですよね。

 コンドルセ通りのメリーゴーラウンド

 

最初にトラムを降りたオペラ付近に舞い戻りました。天気のよい土曜の正午前なので、若い人を含めてかなりの人が路上に出てきています。コンドルセ通り(Rue Condorcet)なる通りがあり、それに面してギャルリー・コンドルセ(Galerie Condorcet)というショッピングゾーンもありました。ギャルリーというのはビルの一隅に設けたテナント街のこと。コンドルセといえば大革命期のジロンド派の政治家・思想家で、何といっても公教育の制度化を初めて提唱した人物として私たちの業界では著名。西欧の道路には偉人の名を冠することが多く、ここのもさほどの意味はないのかもしれませんが、何となく感慨を覚えます。

  ランス中心街のギャルリー(左)とパサージュ(右)

  ドゥルーエ・デルロン広場の露天市

 

ドゥルーエ・デルロン広場(Place Drouet d’Erlon)というところに出ました。広場となっているけどどう見ても幅広の道路で、このへんの基準はよくわからん。歩行者専用で、道幅いっぱいに露天市とか飲食店のテラス席が広がっています。あとで、このへんで昼食をとることにしよう。露天市はけっこう本格的。西欧のそれは、肉屋・パン屋・チーズ屋などの食料品店のほか、アクセサリーや香水や石鹸なんかを売るお店もあったりして、全体として総合商店として機能します。商業用語で「路面店」というのがありますが、こういうお店こそ文字どおりの路面店。ほしいものがないわけでもないけど、荷物が重たくなるのも嫌なので、眺めるだけね。トラムの通るメインストリート、ヴェル通り(Rue de Vesle)に戻ると、こちらは上品なショーウインドウに商品を並べたファッション関係が主。H&Mなどのファストファッションが目立つのは昨今の傾向です。大きさも品格も他を圧するのが、シティ・マップのスポンサーでもあるギャルリー・ラファイエット(Galerie Lafayette)。パリのオペラ座の裏手にあるのがたぶん本拠でしょうが、フランスの各地にあります。建物の真ん中に吹き抜けがあり広くて明るい店内。ただこのレイアウトだと各フロアの売り場面積はかなり小さくなり、それでもいいのかな? 紳士服のフロアも小ぢんまりしていました。いつものように来訪記念でネクタイを物色。4年前のメスでもラファイエットでまあまあ高いネクタイを買っており、けっこう気に入って今でも愛用しています。今回は2本で€55くらいの品を選んでレジにもっていったら、若い男性店員が何かいいます。キャンペーン中なのか、2本お買い上げの方には無料でもう1本おつけいたしますよと、デパートというよりアオキや青山のようなサービス。さほど儲けたようにも思えませんが、せっかくなのでもう1本選んで、兄さんに包んでもらいました。

  ギャルリー・ラファイエット

 ヴェル通りですれ違うトラム

 

ショッピングゾーンをうろうろしたところで、12時半くらいになりました。さてランチ。ドゥルーエ・デルロン広場周辺のお店をいくつかのぞいて、コンドルセ通りとの角にあった大きめのお店に入りました。ル・ゴロワ(le Gaulois)という店名で、「ガリア人」ということか。若き日のプーチン首相みたいな(でも陽気な)店員さんが、長いひさしを伸ばしたテラス席に案内してくれます。昼飯どきとあって、30分前とは比べものにならないほど多くの人がこの周辺に姿を現しています。黒板に書かれた日替わりメニュー(plat du jour)は Souris d’agneau braisés et son jus au thym, fondue de tomates et flageolet と長々です。フランス屋さんになって20年にもなるのに語彙量が少なすぎるのはわれながら問題だと思うのだけど、細かい食材の名前とか料理法なんてどうせわからないし、そんなので辞書を引くのも何だし(そもそも持参していないし)で、いつも具材さえわかればいいやということにしています。アニョー(agneau)は仔羊、ラムのこと。マトンはやっぱり苦手だけどラムは好きなので、これでいいや。なお料理名は、仔羊の膝肉をタイム風味の肉汁で蒸し煮にしたものにトマトのとろけたやつとフラジョレ豆、ということになりますか。

 

 

メニューのドリンク欄を見ると、いちばん上にchampagneがありました。シャンパーニュに来てシャンパーニュ(いうところのシャンパン)を飲まないのも何だけど、種類や銘柄に詳しいわけでもないし、シャンパーニュでシャンパーニュといって大丈夫なのかと思っていましたが、カジュアル・レストランではシャンパーニュでいいらしい。クープ(coupe)に入ったものが€7.80とのこと。昼だしそれくらいの分量でいいですね。私はフランス語を話しているのですが、兄さんはほとんど英語で、観光客が多い町なのかもしれません。ほどなくスマートなクープが運ばれて、兄さんがボトルから直接注いでくれました。よく黄金色といいますけれど、この透き通った液体に細かい泡が立ち上っていくのは実に美しいですね。アミューズかつまみなのか、オリーブの酢漬けを添えてあります。ハウスワインならぬハウスシャンパンなので銘柄は不明ながら、けっこう深みもあって美味しい。ごくたまーにこういうのを飲みたくなって、デパートやスーパーでそれらしい品を買ってくるのですが、日本で売っている安いスパークリングワインは全体に甘ったるく、奥行きがないものがほとんど。ここのはさすがに本場だけあってキリっとしています。とはいえ、ビールやグラスワインが€4くらいのものだからシャンパーニュはやっぱり高く、本場でもそれなりに出さなければダメなんですね(なお申すまでもないことながら、シャンパーニュ地方でつくられるスパークリング・ワインをシャンパーニュ、シャンパンといい、原産地統制AOCの関係でそれ以外の地方のものはシャンパンと名乗れません)。ちなみに日替わり定食は€12.70。飲み物とのバランスがよくないです(笑)。

仔羊はごってりしています。鶏肉なんかと比べて骨が太くがっちりしていて、何だかワイルドな料理だなあ。フラジョレというのは白インゲンの一種らしい。こういう豆の煮たやつとか、サヤインゲンをくたくたになるまで煮たやつは、肉料理の添え物の定番です。美味いかといわれると微妙ですが、その昔は主食の一部をなしていたと思われます。肉がでかくて、骨をのけてもたぶん120gくらいはあるので、どっしり腹にたまるね。フランスのカジュアル・レストランのテーブルには、日本の食堂で醤油やソースの小瓶を置いてあるのと同じように、塩・コショウとマスタードが置かれてあるのが普通で、見ていると地元の人はこれでもかと振りかけています。私にもその傾向があり、コショウとマスタードを存分に。2日前の夜にパリに着いてから肉ばかり食べていますが、ずっと滞在しているわけでもないし、文句あるか。ないよね。陽射しがまた強くなってきて、店員さんがテラス席のひさしをさらに張り出しました。ごちそうさま。

 ルイ15世の像(ロワイヤル広場)

 

腹ごなしもあるので散歩しましょうか。ラファイエットの付近から東へ数ブロック進んだところにロワイヤル広場(Place Royale)がありました。立像はなぜかルイ15世。太陽王14世とマリちゃんの夫16世のあいだに挟まれていまいち存在感のない人だけど、こいつこそ傾国の暗君だったという見方もけっこうあります。1765年の銘で「王の中で最良の王」と刻まれていました。まあ像をつくって称える以上は持ち上げるのでしょうが、いい王様なら他にいくらでもいるから世界史の本を読んでごらん。で、ビジネス街とおぼしき付近をしばしうろうろしたのですが、さして見どころはなく、せっかくチケットをもっているのだから遠くに行ってみたい。オペラ電停に戻ってトラムA系統北行きをつかまえました。路線図を見ると、トラムにはA系統とB系統しかなく、それも南側の終点付近で微妙に枝分かれしているだけで実質的に1本。今春開通したというわりには路線延長も長そうでしっかりしています。あちこちのLRT(ライトトレイン=軽量軌道系交通)と同じような流線型の連接車両で、全身あざやかなブルーの塗装です。けさ来た線路を戻り、中央駅を通り過ぎてブーラングラン(Boulingrin)電停で下車しました。シティ・マップは多くの都市でそうであるように、市域全体を描いた広域図と中心部の要図に分かれており、この日はずっと要図ばかりを見て動いてきましたが、そのぎりぎり上端のあたりです。道路も広く、ゆえにお空も広々、青々として見えます。気温も上昇してきました。

 ブーラングラン電停 背景に戦没者慰霊碑が見える

 
(左)マム社付近 (右)「フジタ」バス停

 

第一次(かな?)大戦の戦没者を慰霊するモニュメントがあり、トリコロール(三色旗)が誇らしげにはためきます。その背後はけっこう広い公営墓地である模様。墓地の外周を行く広くない道路に出たら、町工場とか倉庫もあるような「町裏」でした。そのまま78分も歩くと、今度は一転して高級住宅街のような地区に出ます。ふと見るとマム(Mumm)というシャンパーニュの本社と工場。観光バスが横付けしているので見学コースなんかもあるのかな。ちょっとのぞいたら要予約のようだし時間もかかりそうなのでパス。ま、あとでどこかのカーヴでシャンパーニュのボトルは入手していきたいと思っています。その少し先、マム社の敷地内みたいなところの一隅に、ノートルダム・ド・ラ・ペイ礼拝堂(Chapelle Notre-Dame de la paix)というかわいい建物がありました。通称フジタ礼拝堂(Chapelle Foujita)といい、藤田嗣治が発案し内部のフレスコ画などを製作したものだそうです。由緒書きによれば、洗礼を受けた藤田がランスにチャペルを造ることを発願し、マム社の社長がこれに共鳴して土地を提供したのだと。ローマ時代のいわゆる初期教会をイメージしているためか、技術的にも芸術的にも洗練されないような外観です。つまりは、あえてそういうものにしてあるのでしょう。中に入ってみれば案内のおじいさんがいて、見学に訪れた数名を相手に壁画の由来やその含意、藤田の思いなどを力説していました。ここではもちろん口にしないものの、藤田嗣治といえばパリから戻って戦争中を日本で過ごしましたが、極端なまでの戦争協力をやらかし、戦後の画壇で居所を失ってまたフランスに帰っていった人物。時代が時代だから評価も難しいんですよね。とはいえ普段は作品そのものを見るべきではありましょう。

 フジタ礼拝堂

 

そのすぐ近くにその名もフジタ(Foujita)なるバス停がありました。チケットがあるのでバスに乗って戻ろうかな。初老マダム、若マダムとティーンのお嬢さんの3人連れがバスを待っていました。初老マダムが「時計を見せてくださらない?」というので西欧用のマリーちゃん時計(3代目! いつもは標準時に合わせてあるのだけど今回は夏時間です)を見せたら、手持ちの折りたたみ時刻表とにらめっこして、「あと数分で来るわね」と。バス停に掲出されたタイムテーブルと違うようなので、「マダム、オレール(horaire 時刻表)が変わったのですか」と訊ねたら、バス停のほうを指差して「これは95日からのやつなのよ」。ダイヤ改正直前らしいけど、直前にだってバスに乗る人はいるので困ったものではあります。ただ、10分くらい待ってもバスは現れず、初老マダムは若マダムにぶつぶつ話しかけながらその原因をあれこれ類推する。駅裏の飲み屋を切り盛りしている女将さんのような、低くて渋くて威勢のいい声です。別に急ぐ用事もないけど1km弱の利用のために来ないバスを待つのもあほらしく、マダムに「ごきげんよう」と告げて歩きました。3人を乗せたであろうバスが追い越していったのはそれからさらに10分後くらいでした。

  シャルル・ド・カサノヴァ

 

さきほどトラムを降りたブーラングランまで同じ道を戻り、電停のすぐ前にあるレンガ造りの建物をのぞきました。電車内から目をつけていたシャンパーニュ工場で、シャルル・ド・カザノヴァ(Charles de Cazanove)という銘柄。予備知識でもあればいいのだけど、赤ワインだって毎晩のように飲むわりには固有名詞をほとんど知らないくらいだから、わかるはずがありません(涙)。倉庫のような殺風景な一角にショップらしきスペースがあるものの本当に倉庫の一角のような部屋にボトルが並べてあるだけの寂しい雰囲気。係の人はいて、あいさつしましたが、とくに何かご案内をという感じでもありません。どうせ冷やかしに来たのだろうと思われても仕方なく(まあそうだし)、ひとわたり眺めてから御礼をいって退出しました。高級なのはもともと手が出ませんし、それならば町の酒屋でいろいろな銘柄を比較しながらそれらしいものを選べばいいよね。というわけで、またトラムに乗って都心に逆戻り。郊外探訪は、当たり外れでいえば外れの部類でしょうけど、まあそんなこともあります。ランスの住宅街なんて二度と来るかわからないですしね。

 

 

何度目かのドゥルーエ・デルロン広場(という名の通り)に舞い戻りました。西欧に来れば普段は考えられないほど歩くので、どうしても疲労がたまります。かかと付近がじんわり痛くなってきたので1時間くらいどこかで小休止しよう。おやつの時間帯にさしかかって、飲食店のテラス席はどこともいっそう活況を帯びてきました。ラ・ロレーヌ(La Lorraine)なるカフェ兼レストランのテラスに腰を下ろし、生ビール。Jupiterという銘柄で、どこかで1度くらい飲んだことがありましたが、パリではあまり見かけませんね。€2.90ですからやはりパリよりも€1以上安い(というかパリの物価が異様に高い)。晴れた暑い日の午後に日陰のテラス席で飲む生ビールは美味いよん。で、しばらく読書。

肝心のシャンパーニュさがしは、他の買い物も考えたので高級スーパーのモノプリ(Monoprix)に行ってみましたが、地産品のコーナーも案外しょぼくてパス。まあ観光客が地元のスーパーでシャンパン買うということもないか。それで、午前中に目をつけていたノートルダム近くの酒屋に入り、棚にぎっしり並んだボトルから選択することにしました。どうせわからないので、値段の感じからしてそれらしい一角を見つめていたら、中年の店員さんが近づいてきて「ムッシュ、お目が高い!(指差して)これらはたいへん価値のある品で、名品リストにも記載されているものなのです。ほら」と、分厚い台帳みたいなのを見せます。見たってわからんし、お目が高いかどうか自分で確認するすべもございませんです。ボトル購入といってもお土産にするのではなく、パリのホテルで飲もうというわけですから、フルボトルはとても無理。ハーフのロゼを選んだら€25でした。ということは東京でそのクラスのフルを買えば1万円近くにはなるのではないかな。そういえば、昨20102月にパリを訪れた折、帰国する前の夜に常宿のオーナー、エレーヌさんが「ムッシュ古賀にはいつもお土産もらっているから」とシャンパーニュのフルボトルを差し入れてくれました。もちろん美味しくいただきましたが、とても一晩で飲みきれるものではなく、500mlのペットボトルに残ったぶんを入れて帰国直前のシャルル・ド・ゴール空港でようやく空けたということがありました。昨今は液体を機内手荷物として持ち込めないのでそこんとこも苦しいですね。預けるほうの荷物に入れるにしても、赤白ワインならともかくシャンパーニュだと何かの勢いですぽんと栓が抜けて中身がCO2ごと飛び出しそうな気がしなくもなくもない。

 

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