Á LA CHAMPAGNE!!
BUVONS LA CHAMPAGNE!!!

PART 1 世界遺産の大聖堂を訪ねて



タイトルに他意はありません。ふた昔前くらいのフレンチ・ポップスの邦題みたいでしょ? 春休み恒例の西欧あちらこちらですが、初秋(晩夏)の臨時便を飛ばすことにしました。前回の渡欧から帰って直後に震災があり、こちらは申し訳ないほどに実害も何もないのだけど、学校のスケジュールが変わり、節電の強要?があり、半ば衝動的にペックス航空券を押さえた6月あたりまでは東京の人たちもどこかヘンな感じでした。リフレッシュなどと称して海外に出かけられる境遇に感謝しつつ、少しだけエクスカーション。

パリ4泊のショートステイなので行き先は日帰り圏にかぎります。これまでオルレアン、ルアンなどに出かけてきましたが、今回はランスReims)に行くことにしよう。パリから北東方向へ130kmほど(道路ベース)ですが、新幹線TGVに乗れば1時間足らずで行けますので、ゆうゆう日帰りできます。ランス行きが走るTGV東・ヨーロッパ線(Est européen 本当は路線名のほうはLGV: ligne à grande vitesseと呼ぶらしい。列車trainではなく線ligneということか)が開通したのは4年前で、その直前にロレーヌのメスへ向かった際には在来線の急行で3時間を要していますから、新幹線効果は大きいですよね。昨年2月にストラスブールへ行った際に初めてこの高速線を通りました。比較的地味だったパリ東駅(Paris- Gare de l’Est)にもTGVが乗り入れるようになり、構内もかなり改良されてそれらしい装いになっています。

  パリ東駅の朝

 

93日(土)の朝830分ころ、カルチェ・ラタンの常宿からメトロ7号線で東駅にやってきました。857分発のTGV2713便に乗りますが、この時点でまだ発車番線が表示されていないので端頭式のホームに設けられたカフェで朝ごはんセット(クロワッサン+カフェオレで€2.65)。オランダ・ドイツ北部・英国方面への長距離列車が頻発するこのすぐ近くの北駅(Gare du Nord)の賑わいには及びません。ランス往復のチケットを手配したのは713日。革命記念日前日というのは関係ないけど、何となくフランスがらみの気分が盛り上がったのか、フランス国鉄SNCFのサイトにアクセスしてTGVの日帰り往復を購入しました。いまはネットで全部できますし、Eチケット方式になりましたので気楽すぎるくらいだよね。いつも申しているように、欧州の鉄道は航空便と同じように包括運賃が変動しますので、時期(時機)や企画ものの有無などによって数倍もの差を生じることがあります。100kmちょっとの移動に1ヵ月半前の予約というのはガチガチすぎるわけですが、そのぶん非常に安く、1等の往復€32。ためしにこれを書いているいま、2等当日券をチェックしてみると片道€30-39くらいで、行くことがわかっているならぜひ予約したいですね。往復3500円くらいのものだから、万一予定が変わって放棄したってリスクは少ないものね。余計なことだけど、よほど複雑な切符とか東欧のマイナーな国でもないかぎり、鉄道のチケットはもう日本のエージェンシーに数千円の手数料込みで頼むことはありません。英語ができればネットで簡単にアクセスできます。もちろん、このところの円高も旅行者には大いに追い風です。2月の渡欧時には€1=113円くらいだったのですが今は109円ほど。

発車10分前くらいになって25番線から出ますと発表され、例によって乗客たちがぞろぞろ。今回乗る112号車は後ろから2両目でしたので移動距離は少なくて済みました。

 1番上のランス行きだけ25番線(voie 25)が明示されている à l’heureは「定刻どおり」

  

 

日本国内でグリーン車に乗る機会などほとんどないのに、前述したような西欧のシステムのおかげでけっこうTGV1等は使います。ネット予約では座席指定も可能だったので、1列側(place isolée “solo” 孤立した場所、ですか)をとりました。それはいいけど、指定された41番は進行方向とはいえ視界がほとんど窓枠にさえぎられるというよろしくない位置。半分の座席が後ろ向きで走り回転しないことに加えて、この窓と座席の不一致も毎度いい加減にしてほしいと思うものの、西欧とくにフランスはこうなんだよねえ。幸い乗客は多くなく、定刻に発車しても車両の後ろ半分にはほとんどいなかったので、よりよい座席に移動しました。けさ常宿最寄りのメトロ7号線サンシエ・ドーバントン駅で同じドアから乗り、目の前の座席に座り、同じく東駅まで乗ってきたメガネをかけた知的美人が斜め前に座っていて、お互いにっこり。やああなたもランスですか、それは奇遇ですねぜひお昼でもご一緒に、なんていうのはイタリア人で、当方はいたしません(笑)。

パリ市域を出てまもなく列車はハイスピード走行になり、高速専用線に入りました。この路線は1年半前にも通っているので車窓に見覚えがあります。ケスタ地形というのか、このへん独特の斜めの感じがありますね。ランス駅に定刻942分着。ランスは高速線のルートからやや北に外れているため、接続ルートを通って在来線のこの駅にもぐり込む感じです。この2713便は終点ランスまでノンストップのシンプルな都市間連絡特急なのでした。

  ランス駅

 

このランス駅、規模は小さく、昨年訪れたドイツのボン駅くらいかそれより小さな感じです。常磐線でいえば取手までのたいていの駅のほうが大きいよ(笑)。構内の駅名票には単にREIMSとあり、駅舎正面にはGare de Reimsとありますが、トラム(路面電車)の電停はGare Centreとなっています。フランス以外の西欧でよく見る「中央駅」(ドイツだとHbf)でしょうが、Gare centraleと形容詞がかかるのではなく名詞のcentreなのはどうしてだろう。英語に直訳するとCenter Stationになるんだけど? (中央駅ではなく町の中央にある駅というニュアンスですね)

  トラム中央駅電停

 

駅前広場に面して簡易建築のようなツーリスト・インフォメーション(Office du tourisme)がありました。ここのシティ・マップは無料。老舗デパートのラファイエットがスポンサーになっているらしく、結構な措置ですね。地図のほかに<Le Tramway: apprenons à circuler ensemble>なる3つ折の小冊子が置かれており、日本語版を含む各言語のものも用意されているので何ごとかなと思ったら、歩行者・自転車・ローラースケート・バイク・自動車とトラムの共存ルール(マナー)みたいなものを箇条書きにしてイラストを添えてあります。「プラットフォームは通行しないようにしましょう」「横断の際は横断歩道を使用しましょう」「トラム到着を示す警鐘に注意しましょう」などと非常に初歩的なもの。パリを含む西欧の都市では環境や高齢化に優しいトラムの再評価が進んでいて、このところ行く先々でトラムの世話になりますし、昨年のドイツではトラムの整備を通じて都市構造の改変までやってしまったカールスルーエを実見していますので、だいたいわかります。ランスにトラムが敷設されてまだ日が浅いのでしょう。ランスにやってくる日本人がどれほどいるのか知りませんけれど、私なんかのほうがトラム「初心者」のランス市民よりマナーは心得ているはずで、冊子は主に市民向けなのだと思う。あとで調べたらトラムの開通は20114月だって! 超・新鮮なわけだ。それにしても日本語版の「トラム:一緒に通行しましょう」という題はこれだけ見たら用を成さないですよね。直訳に近くて語学を習いはじめの大学1年生みたいな感じ(apprendreがあるのでリアル直訳だと「一緒に通行することを学びましょう」)。「通行」とか「警鐘」とか、そりゃそうなんだけど現地の語感というのは辞書だけではわからないし、難しいのは確か。私が英仏語で表現するときなんてもっとアヤシイはずなので文句は申しますまい。

 24時間チケット(トラム・バス共通)

 

そのトラムの中央駅電停は駅前広場の外れにありました。ここは途中駅でスルー構造。ストラスブールやカールスルーエで体験したように無人のホームに券売機が設置されています。CITURA(ランス地区のトラム・バスなどの運行会社)のポロシャツを着た女性職員が上下線ホームに1人ずついて、はじめましてと挨拶すると親切にあれこれ教えてくれました。いつものようにワン・デイ・チケットはありますかと英語で聞いてみたら、「ヴァントキャトルール(24 heures)・・・えーと、英語で何というんだったかしら」と悩みはじめたので、フランス語に切り替えました。それでも彼女は半分くらいは一生懸命思い出しながら英語を話してくれます。フランスの公務員系統の職員にしてはめずらしく、といったら失礼かもしれないけど、イチゲンの観光客を歓迎しようというホスピタリティに富んでいてすばらしい応対。彼女がどうにか説明しようとしていたのは、24時間有効なので明日の朝10時まで大丈夫よ、ということだったのだけど、私は今夜にはランスを離れるのでノープロブレムですよと言い添えておきました。親切な人なのでもう1つ大事なことを確認しておかなくては。夕方のTGV帰便はここランス駅ではなくシャンパーニュ-アルデンヌ(Champagne-Ardenne)駅から出ます。チケットの予約票にはÀ huit km de Reims(ランスから8km)とあり、本線上の「新ランス」駅であろうことは容易に想像できましたが、そこまでどうやって行けばよいのか判然としないのです。現地の観光局や自治体のサイトを見るとバスしかないような記述だったし、仏語版ウィキペディアだったかでトラムはコストがかかりすぎるので通じないとか何とか頼りない。国鉄がシャトル便を走らせてもいません。東京を発つ直前にCITURAのサイトを見たらトラムB系統が通じているとわかりましたのでまずはほっとしました。要するにできたばかりで各種の記述が間に合わないわけね。おねえさんは、B系統に乗れば終点がアルデンヌ駅ですよと教えてくれました。1時間有効(その間ならバスを含めて乗り降り自由)のチケットが€1.30、購入した24時間チケットでも€3.50と激安。もっとも、アルデンヌ駅の件がなければ徒歩で済ませられそうな市域ではあります。

 オペラ電停付近

 

チケットはオランダでも体験したICチップ入りのもので、「口で説明するのは難しいですから実際にお教えしますね」とおねえさんはどこまでも親切。オランダのは乗車・下車時にそれぞれタッチする方式(いつも乗っている阪東バスもそうだ 笑)でしたが、ここのはパリや東京のバス・都電と同じワンタッチ式なので、難しくも何ともありませんが、現地の市民にしてからがトラム初心者であるわけで、ちゃんと教えておかないとと思うのでしょう。用事があったとも思えないのに、そのあと2駅、都心部のオペラ(Opéra)電停まで付き合ってくれました。いやなかなかできないことです。

パリの中心街と同じ名のついたオペラで降りたのは、地図で見てこの付近が中心部であることが明白だったため。地図のスポンサーであるラファイエットがあるから大きく描いているのかもしれないけど、まあこの規模の都市だとデパート即、目抜きと考えて間違いないでしょう。おねえさんに謝意を述べてトラムを降りると、さすがに初秋の感じで気温のわりに暑くはありません。ランスですから、何よりもまずノートルダム寺院Cathédrale Notre-Dame de Reims)に行かなければね。

 ノートルダム正面

 

同じ名前のカテドラルがパリを初め方々にありますが、ここのはすごいのです。1315世紀に建てられたという古さもそうだけど、歴代のフランス王がここで戴冠式をおこなう「祝聖の場」だったのです。ユネスコの世界文化遺産にも指定されています。日本には世界遺産めぐりをする人もけっこういるらしいけど、公的なお墨付きがあるからすごい、見ておかなきゃというのも何だかねえ。さて世界史の教科書ではおなじみの「クローヴィスの改宗」は496年のランスでのこと。これを自国のルーツと認識するフランス王国ではその慶事に倣って、新王の門出をここで祝うことになりました。その昔に私がせっせと訳した第三共和政期のナショナリズム満載の教科書に説明させましょう。ジャンヌ・ダルクさまの登場です。

ジャンヌは、王がいたトゥールに移動した。王はそこでただぼんやりと過ごしているだけであった。というのは、この若い人物は、遊ぶことだけが好きだったのだ。ジャンヌは王に、聖別を受けるためにランスに行ってもらいたいと願った。/フランスの新しい王はランスに行くというのが慣わしになっていた。ランスはクローヴィスが洗礼を受けた町である。そこでは、盛大な儀式がおこなわれてきた。大司教が王の頭上に冠を載せる。それが聖別(sacre)と呼ばれるものである。/人々は、聖別されていないうちは真の王ではないと考えていた。ジャンヌが、王をランスに行かせたかったのはそのためである。/王はあえて旅しようとしなかった。ランスはトゥールから遠く、かつイングランドがその道筋を監視していたからである。しかしジャンヌは、もう一度、よくそのことを説いた。彼女は王についてゆこうと決心した。/パテの近くで、イングランドと遭遇することになった。ジャンヌはいった。「彼らと戦わなければなりません。彼らが雲にしがみついたとしても、戦うのです!」。そして、イングランド軍は撃退された。/ジャンヌと王は、ランスに到着した。聖別式のあいだ、ジャンヌは軍旗を手にして、祭壇の近くに立ったままであった。/ランスの教会におけるこの荘厳な儀式の中に、前の年にはまだわらぶき小屋に住んでいた農村の少女がいたのである。王より、大諸侯や貴婦人たちよりも、彼女は注目されていた。
(エルネスト・ラヴィス『フランス史:中級』、古賀訳 E.Lavisse, Histoire de France: cours moyen, Armand Colin, 1921 /は原文で改行の箇所)

 大聖堂前のジャンヌ・ダルク

 

軟弱で優柔不断なシャルル7世と毅然としたジャンヌさまのコントラストが愉快ですね。これは共和政が浸透して王政を相対化する時期に書かれたことに由来すると考えられます。また、ランスでの戴冠を特殊な宗教的霊力で説明するのではなく「慣わし」と平板にいってしまっているのも(しかもここは強調構文!)、カトリックを相対化する意図を含む表現です。とかいう話は私の博士論文を読んでください。こういう地味な読み込みと分析をちゃんとやろうね(と現在の自分にいっておく)。

  
やわらかな光が差し込むノートルダム寺院の内部  後陣のステンドグラスはシャガールによるもの

 

例によって予習も事前調査もほとんどせず、ガイドブックももってきていませんが、歴史の知識がそこそこありますのでランスのそのような特殊性についてはある程度知っていました。オルレアンには2度行きましたけど、パリから電車でやはり1時間くらい。ただ15世紀の感覚でオルレアン→トゥール→ランスというのはかなり遠く、しかもラヴィスの教科書に描かれているように、イングランド(近代ナショナリズムを前提に叙述しているのでそうなっていますが、実際にはイングランドにくみするフランスの在地領主層も荷担しています)の軍がそのあたりにいるわけですから、草食系男子シャルル7世の臆病風もゆえなきことではありません。「戴冠式やっちゃっていいのかな、やっている最中にボク襲われないかな」などと怖気づくシャルルに、ジャンヌさまが「バカ、あんたがしっかりしないでどうすんの!」とか気合を入れたのかな?

 大聖堂内にあるジャンヌ像 モーリタニア出身の彫刻家プロスペール・デピネーの作品(1900年)

 

このランスを中心としたシャンパーニュChampagne)地方は、早くにフランス王国の一部をなしていましたが、商業のセンターでもあったので独立性が高く、パリとは別の国のような感じでした。この東に隣接するのがロレーヌ、その向こうがアルザスです。つまりドイツとの対決の舞台にもなってきました。第一次大戦に際しては地上と空中から大規模な攻撃を受け、ノートルダムもかなりの被害をこうむります。ドイツ側から見れば、シャンパーニュを押さえることはパリ攻略への戦略的な必要事項であったことでしょう。1962年には、1世紀間で3度の大戦争を戦った独仏の両首脳、アデナウアー西独首相とド・ゴール仏大統領がここで「和解の儀式」をおこない、市内をパレードしました。大戦中は「祖国フランスのシンボルであるノートルダムを守れ」ということでフランス国民の結束を促し、戦後は「フランスとドイツの和解のシンボル」にもなったわけですね(『ランスのノートルダム大聖堂へようこそ』、日本語版パンフレットを参照)。画家の藤田嗣治は晩年の1959年にこの大聖堂で洗礼を受け、レオナールの洗礼名を得ていて、そのことも独仏和解と並ぶトピックとして扱われていました。この大聖堂、内部をぐるりと一周するあいだに壁に掲げられた解説を読みつないでいくと、この寺院とランスの歴史が時系列的にわかるようになっていて、歴史好きの人にとってもありがたいこと。

  ノートルダム裏手の住宅街

 

いちばん初めに大物を見てしまうと、あとは何でもいいやということになり、例によってぶらぶら町歩き。ノートルダム寺院のあるところは目抜きから1筋裏手に入ったところですが、ずいぶん静寂です。そのさらに南側へ歩いていくと住宅街らしい。お店も、パン屋とかクリーニング店など日常的なものが目立ちます。もっとも、西欧のたいていの町と同じように、中華料理屋とかケバブ屋さんもあります。これらはもう「西欧カジュアル」なのですね。あまり人が歩いていなくて、陽射しも強くなってきたこともあり、ワン・デイ・チケットでバスに乗り中心街へ引き返しました。

 

*この旅行当時の為替相場はだいたい1ユーロ=109円くらいでした

PART 2へつづく

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