Fragments historiques dans les régions marginales franco-espagnoles

PART9 夜の港町でブイヤベースを

 

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アヴィニョン中央駅は、カマボコ型のドームにホーム34線が収まっている構造で、地方都市の中間駅としては普通だねと思っていたら、指示された番線を探して地下通路を進んでみると、ドームの外側に11線がくっついていました。ホーム出入口が自動ドアで仕切られるかたちになっているので、優等列車の乗客向けの待合室を兼ねているようです。何となく、田舎のバスターミナルに来たような気分になります。出発便の情報を並べた電光案内板によると、これから乗ろうとしている1344分発マルセイユ行き17713便は5 min retard5分遅れ)とのこと。ま、その程度のズレは欧州では当たり前なので気にすることもありません。ところがほぼ定刻に、SNCF(フランス国鉄)独特のZ型フェイスをもつ電気機関車に牽引されて、客車列車がホームに入線します。待合室のお客がぞろぞろ出てきました。リヨンあたりからやってきた急行列車のようです。この駅で降りた人より乗り込んだ人のほうが多いみたいで、座席の8割ほどが埋まりました。私の隣の席(通路側)は空いているのだけど、あとからやってきたムスリムの若いカップルは席が離れるのを嫌ってか、荷物置き場付近に立ってきょろきょろしています。1つ前の席にやはり1人で座っていた兄さんが見かねてそこを譲ると、2人で座ってたちまちいちゃいちゃ。

  アヴィニョン中央駅


TGV
専用線はアヴィニョンからマルセイユ近郊までショートカットしますが、この列車が通る在来線は、ローヌ川に沿っていったん南下し、カマルグ(Camargue ローヌ川河口の三角州で広大な湿地帯)の手前で東に向きを変え、ベール湖(Étang de Berre)の北岸をたどってマルセイユに向かいます。23年前に初めて来たときにはきっとこの線路を逆向きに走ったのだと思いますが、そこまでの記憶はありません。いま乗っているような普通のクロスシート車ではなく、6人コンパートメントの車両で、それ自体に感激した記憶はあります。

1404分ころアルル(Arles)に停車。この車両には物憂げな美人がひとりだけ乗ってきました。あれは「アルルの女」だわな。などと、しょーもないことを考えております。在来線急行とはいえけっこう本気の走りで、100km/hくらいは出ている模様。そのうち進行右手にベール湖が見えてきて、しばらくその湖岸を往きました。湖の切れたところに、明日来る予定のマルセイユ・プロヴァンス空港が見えます。空港駅でかなりの乗客が下車しましたが、滑走路やターミナルビルはずいぶん向こうに見えるので、アクセスは鉄道ではなくバスにしようかな。アヴィニョン発車時点で2分ほどの遅れでしたが、マルセイユ-サン-シャルル駅Gare de Marseille-Saint-Charles)には定刻1454分に到着しました。この駅は3回目。というか、マルセイユ自体が3回目ですので、町の構造はだいたい心得ています。前回は20092TGVの乗り換えを待つ1時間ちょっとの滞在時間ながら、最大の見どころである旧港Vieux Port)へ歩いて往復しています。今宵の宿は旧港から少し東に進んだところを予約していますが、徒歩だと20分以上かかりそうなので、メトロを利用することにします。前々回も前回もメトロには乗っていないのでこれは初物。国鉄駅のコンコースからそのまま地下にもぐります。エスカレータに乗るときにはやっぱり緊張してしまうなあ。部屋に荷物を置いてしまえば、あとは徒歩圏内であることは明白なので、1日乗車券のたぐいは必要ありません。シングル・チケット(€2)を1枚購入して、エストランジャン(プレフェクチュール)駅(Estrangin / Préfecture)まで3駅。この路線はサン・シャルル駅からいったん旧港は逆側にふくらんで向きを180度ちかく変え、旧港の真下を通ってエストランジャンに向かいます。歩いていくならふくらみの部分をショートカットできるわけですね。

 マルセイユ地下鉄

ここのメトロは島式ホームばかりなんですね。東京っぽくてうれしいかも(車両やトンネルの感じは名古屋っぽいけど)。エストランジャン駅はかなり深いところにあるようで、長いエスカレータで地上に出てきました。このさきエスカレータに乗らないということもできないので、今後はくれぐれも用心しましょうというところですね。出てきたところは住宅(アパート)街の一角。駅構内にあった地図でホテルの住所(道路名)と方向を確認していますので迷わず進みます。こういうとき欧州の住居表示はわかりやすくていいですよね。どんな小さな路地にも必ず固有名詞がついていて、片側が奇数番地、もう一方が偶数番地で徐々に数字が大きく(小さく)なります。予約したホテル・デュ・パレHôtel du Palais 「宮殿ホテル」というすごい名前!)はブルトゥイユ通り(Rue Breteuil26番地。ほら、すぐに見つかりました。かわいらしいレセプションには若い男性スタッフが2人います。ネットで予約した古賀ですがと名乗ると、名前を聞き返されます。西欧にはいない特徴的な名前なのだし、この規模のホテルなら当日チェックイン予定の名前はだいたい把握しているんじゃないの? 「どのように予約されましたか?」と妙な質問だったので、用心のためプリントアウトしておいた確認メールの文面を示しました。これでようやく、なるほどと思ってもらえたらしいけれど、どうもエントリーされていなかった様子。自動返信の確認メールが証拠としてあるわけだから当方に非はありません。「このメールの紙はいただいていいですか」というので、どうぞどうぞご存分に。てなことで、ようやく31号室のカギをもらって部屋に入りました。1人乗りの小さなエレベータ(ドアを手動で開くタイプ)は1年ぶりだなあ。この手のやつに初めて出会ったのは、23年前のマルセイユの宿だったような気がします。

 
 ホテル・デュ・パレ


部屋はさほど広くなく、1€61(ネット割引)の3つ星にしてはイマイチやなあ。朝食は別途€9です。いちおうミニバー(飲み物の入った冷蔵庫)はあるものの、缶ビールが€4などと、部屋のクラスと不釣合いな高値で、こんなの絶対に飲んでやるものか(持ち込んでやる 笑)。バスタブのついた洗面所は妙に立派でした。まだ15時半で、これから市内の見物というのがいつものパターンながら、ちょっと疲れたので1時間ばかり昼寝しよう。マルセイユが初めてなら意地でも歩きますが、そこは3度目の余裕。

16時半過ぎにようやく起動します。レセプションでさきほどのスタッフに「旧港はどちらの方向に歩けば」と訊ねたら、「左にまっすぐです。30分もかかりませんよ」と英語で。左なのはだいたいわかっていたものの、万全を期して訊いてみたのですが、いくら何でも30分なんてかかるわけないじゃん。ブルトゥイユ通りを直進すると、旧港へ向かう下り坂になっていました。道路標識を見れば、逆方向に進むとノートルダム・ド・ラ・ギャルド寺院Basilica Notre Dame de la Garde)方面に行ける模様。マルセイユのシンボルで、1991年に初めて来たときにはそこまで行きましたので、もしかするとこの道を登ったのかもしれません。ものの78分で見覚えのある旧港に出てきました。兄さんはマイカーばかりで歩いていないんでしょうね。

  旧港へ向かうブルトゥイユ通り


地図を見ればわかるように、この旧港は市街地に向かって長方形に切れ込んだかたちをしています。町の中心はいちばん「奥」の1辺に面しています。3辺いずれに沿っても観光色の強い飲食店が並んでいることは、最初に来たときに確認したとおりです。もう日が沈みかけていますので、海面と空の色が深い青でつながっているような感覚に襲われます。観覧車がライトアップされてきれいだけど、雨が降っているような、降っていないようなお天気ですので、さすがに乗っている人はいません。アウェイ感のない、なじみのある景観ではあるのですが、何しろ5年前は持ち時間がほとんどなかったせいで、この付近をささっと歩き抜けて終わってしまいました。この日は時間の制約がありませんし、夕食まではむしろ時間があるので、ゆっくり歩こう。


  黄昏の旧港


旧港を背にまっすぐ伸びるカヌビエール通りLa Canebière)に入ってみました。2009年のときは、サン・シャルル駅からここを通って旧港まで歩いたので、さすがに記憶はばっちりです。何をするという予定もなく、ひとまずウィンドウ・ショッピングでもするかな。そうだ、欧州に来たときにはネクタイを買うのを恒例にしているので、どこかにデパートないかな。ペルピニャンのような規模の都市にすら存在したギャルリー・ラファイエットならきっとどこかにあるはず。おっと、お土産用のショコラ(チョコレート)やキャンディーなどの売るショップがありました。これも観光色が強すぎて何ですが、見るとよさそうな品と価格だったので、高校生たちにチョコを買っていってあげよう。10月に彼らが修学旅行(ソウルor台北or沖縄)に行ったときには、教卓からあふれるほどのお土産を買ってきてくれたので、ささやかながらお返しを。

  カヌビエール通りのお菓子屋さんで
 サントル・ブルス


道幅がさほど広くないところに路線バスなどが多数入り込んでいて、交通のコンディションはあまりよろしくありません。カヌビエール通りの北側付近をじぐざぐ歩いていたら、どうやら大好物のショッピングセンターらしきものがあって、人々が吸い込まれていきます。サントル・ブルスCentre Bourse)とあるので意味は「財政センター」かな? 入ってみると、けっこうな規模のモールのようです。やっぱりラファイエットもありました! 何だかんだで、フランス各地のラファイエットで購入したネクタイがもう10本くらいはあるんじゃないのかね。年末商戦というのがあるのかどうか、年内最後の週末の夕方、にぎわう店内をうろうろして、気に入った1本を無事に入手しました。上の階にはフナックも入っていて、もしかするとと思って書棚を見てみたのですが、学術的な良品は発見できませんでした。

あとで考えてみると、マルセイユ歴史博物館(Musée d’histoire de Marseille)があるのはこのショッピングセンターの中だったな。大学生で初めて来たときに、おそらくガイドブックでこの博物館のことを知って見学しました。主に紀元前関係の展示なので、現代的なショッピングセンターとのアンバランスさが個人的にウケた記憶があります。マルセイユは、アヴィニョンのところで触れたイオニア(エーゲ海東岸)のフォカイア人が紀元前6世紀ころに建設した植民市マッサリアがその起源。ある意味でフランス最古の都市といってもよいのですが、そもそも「フランス」といってよいのかどうかは本稿の主旨にかかわるので慎重になりましょう。地中海すなわち中東方面に開けた港町ですので、どこかアラビアンな雰囲気が感じられます。

 
(左)エスニックな商店街  (右)クリスマス・マーケットもあるぞ

まだ行ったことのないカヌビエール通りの南側の区画に入ってみたら、とたんに建物が薄汚れて看板などに独特のセンスがある地区でした。どことなく関西のにぎやかな商店街のようでもあります。近づいてみると、ああ、エスニック地区ですね。明らかに「白人」ではない、しかし多様な人種・民族の人たちがたくさんいて、買い物をしています。スパイス屋さんとか茶葉屋さんとか肉屋さんなんかも、品揃えやディスプレイがちょっと独特です。もちろん中国系、インド系のお店もありますよ。なかなか活力がありそうでおもしろいですが、多くの日本人がイメージする「フランス」とは遠いでしょうねきっと。そういえば、ホテルのミニバーがひどく高値だったので寝酒を買っておくんだった。巨大な洗剤の箱などが並んだエスニックな何でも屋さんに入り込み、コールドドリンクのケースに近寄ってみましたが、あらら、ビールがないぞ。コーラやジュースやエビアンは普通にあるんだけどなあ。ふと、ここはムスリム系のお店で、だからアルコール関係は置いていないのかなと思いました。マクドナルドにすらビールを置いている国ですから、その推測が当たっている可能性は大。すこし前に、高校の後輩がイランを旅行して超おもしろかったと報告してくれました。案外安全ですよとのことだったし、歴史好きにはたまらん場所なので行ってみたいけれど、不信心者の自分も酒を飲めないというのは、それだけで萎えます(笑)。

エスニック商店街をぐるりと一周して旧港ちかくまで戻ってきたところに、モノプリさまがありました。ここは洋服や雑貨なども売っている総合店のようです。ワインは前夜の飲み残しがあるので(ペットボトルに入れてきているのだ)、缶ビールだけでいいや。クローネンブールの500ml缶が€0.91。物価の高いフランスでも、ビールはなぜか安いんですよね。それからするとホテルのレギュラー缶の€4というのはバカ高いということが明白です。

 


さあ晩ごはん。57日の国際巡歴も最後の夜となりました。5年前は速攻モードだったため、さきほどのお菓子屋さんの裏手あたりでサンドイッチを買って駅に持ち帰りました。23年前は東大生の友人とふたり初めての海外旅行で、外食するのもちょっとどきどきしながら、たしか旧港北岸のレストランで名物のブイヤベースBoulliabasse)を食べました。かなりひねくれて定番とかゼヒものを平気でスルーしてしまう昨今とは違って、ウブだったころの私は「せっかくマルセイユに来たのだからブイヤベース食うべ」と、ブレーキを利かせなかったと思います。店の前に掲出されているメニューを見て、ここは高いなあとか評しながら、安めのところに入って食べたんじゃなかったかな。よほど旅慣れないアマチュアに見えたのか、隣のテーブルのおっちゃんが料理の食べ方などを身振り手振りでレクチュアしてくれたのを思い出します。そのとき、メニューに「○○入りブイヤベース」とあるのに、仏和辞典が手許になく○○がわからないまま注文しました。何しろ、前述の(不純な)経緯でフランス語を学習しはじめてから1年弱のころでしたから、普通名詞なんて知っているはずもありません。○○はécrevisse、つまりは昨夜アヴィニョンのグラタンに入っていたザリガニのことでした。そうやって11つ単語を覚えていくわけです(それにしてはずいぶん時間がかかっています 苦笑)。

今回は、ホテルに戻る道すがらということもあるので、旧港の南側の区画に行ってみましょう。予備知識はなかったのですが、信じる方向に歩いてみれば、そこはどうやら市内最大のレストラン密集地区のようです。もうほとんど新宿思い出横丁のような密度とレイアウトで飲食店が並んでいる。19時ちょっと前で、フランスのディナーには早いのですが、観光地なのでアヴィニョン以上にそこは大丈夫でしょう。どこともプロヴァンス料理をうたっており、23軒のぞいてみて、その中では上等そうな店に声をかけました。

 


暖房の効いている窓側の席に通され、メニューを見ると、憲章ブイヤベース(Bouillabasse de la Charte)は€35と突出して高い。他の店では何かとセットで€14なんてのもあったのだけど、そちらがダミー(ないし陳腐な商品)であることはだいたいわかります。まあねえ、世界三大スープとはいっても1食で5000円以上かかるのはどうかなと思うけど、いっちょ行ってみるか。アフリカ系のスマートな店員さんは流暢な英語を話しています。「お飲み物は何になさいますか。ビール?」と、通常とは違うお訊ね。白ワインがいいです、小さなピシェ(デカンタ)はありませんかと訊いたら、「ピシェはございません。ハーフボトルになります」と。うわっ、またこのパターンかあ。どうするかな。これも後から思えばグラスで発注してお代わりすればいい話なのだけど、何だかオール・オア・ナッシングのような気分になってしまいました。今回の旅行では全般にセンサーの劣化が目立ちます。帰国したら修理に出しませんとね。失敗を教訓として学習しないことにおいては旧日本軍も顔負けの先生、おすすめのハーフボトルを注文しました。例のムッシュがボトルを見せ、「これはお値段のわりにすばらしいワインで、どんな魚料理にも合います」といいながらテイスティングを勧めました。ま、ここでノンというわけはないですよね(作法としては変なにおいがするときだけノンね)。たしかに美味しい。美味しいけど、どんな魚料理にも合うワインなんてあるものかと、海原雄山なら怒るぞ。

ややあって運ばれたブイヤベースはかなり大きな皿で、白身魚が3枚、何かのエビが2匹入っています。後刻調べたところによると、「憲章」というのは自治体だか協会だかで設定したもので、その原則にのっとった正式のメニューではあるようです(8種の魚介類のうち4種以上を含むなど)。法定バゲットとは別に、それを焦がしたようなクルトンとアイオリソース(ニンニク風味の強いマヨネーズみたいなやつ)が運ばれ、これらをスープに浮かべて召し上がってくださいと。――うん、美味い。€35の味かどうかは別にして、美味いことは美味いので、いいことにしよう。そもそも腹だまりのする汁物だし、かなりの量があるので、最後のほうはあっぷあっぷになってきました。ワインがあと3センチくらい残っているけど、もったいなさに目をつぶってここでやめておこう。こちらが食べ終わるころ隣席に中年の夫婦が案内されてきました。奥さんのほうと目が合ったのでボンソワールといったらBuona seraと返してきたのでイタリア人ですね。例の店員さんが英語でメニューの説明をするのだけど、旦那さんはともかく奥さんは英語もフランス語も話さないらしく、珍妙なやりとりがつづいています。こちらは勘定にしてもらいました。ワインが€16で、〆て€51。ひとりの食事でそんなに払うのはいつ以来かな。いかがでしたかと例のムッシュが聞くので、味の感想はそこそこに、Too much fish, too much wine, too much rain! と不可算名詞でそろえてみました。ムッシュは「雨ばかりはどうすることもできないですよ」とか何とか。

 夜のレストラン街


ワインが回る前にホテルに戻らないと、また変なことになってしまいます。気合を入れなおして、ブルトゥイユ通りの登り坂を歩きました。そういえば、バルセロナからはじまって、ペルピニャン、アヴィニョン、マルセイユと、たかだか200kmほどのあいだではあるけれど、ずいぶん景観の違うところにばかり泊まっていますね。マルセイユは古い港町だから、湾に向かって前方向から坂道が落ち込むような構造になっています。いまはグーグルマップがあるので、どの町でもちゃんとした地図を事前に見ることは可能ですが、傾斜の具合は地図だけではわからないので、絵が思い浮かびにくい。もちろんフォトモードにすれば各地点の写真を見ることはできますが、それをやってしまったらおもしろくないでしょ。

 

PART 10へつづく

この作品(文と写真)の著作権は 古賀 毅 に帰属します。