PART 9にもどる
12月29日は日曜日。2013年もいよいよ終わりに近づきましたね。帰便は13時05分発。アクセス交通機関の頻度なども含めて空港までの距離感がわからないので、余裕をみておかなければなりません。となると10時半ころには出発するほうがよさそうです。朝の持ち時間はほとんどないけれど、旧港まで歩いて10分もかからないので、往復プラス若干の散歩くらいしておきましょう。そういうつもりで7時過ぎに0階に降りたら、初めて出会ったレセプションの女性が朝食の準備中。フロントデスクのすぐ前に何組かのテーブルを出してセッティングしているのですが、着席しようとしたら「ムッシュすみません、まだ準備が終わっていないので15分くらい待っていただけますか」と。Servir
le petit-déjeuner de 7:00と、各部屋にもエレベータ内にも明記してあるんだけどな。じゃあ少ししてからまた来ますといっていったん31号室に戻りました。で、7時半ころ降りていくと、「ムッシュすみません、もう少しです」。何じゃそりゃ。もうエレベータを上下するのも面倒なので、窓ぎわの席に腰かけて準備完了を待ちませう。それでマダムがプレッシャーに感じて仕事をスピードアップさせるということもなく、きわめてマイペースではかどりません。結局、7時40分ころになってようやく「ムッシュどうぞ。ボナペティ」だと。ボナペティ(bon appétit 「よい食欲」)じゃねーよ(笑)。セットしてあるポットからコーヒーを注げばひどくぬるい。これなら「お飲み物だけ先にどうぞ」くらいのことをいったらどうなのかね。――ま、でも、マイペースなフランス人というのはけっこうな確率でおり、そういう人に何をいってもダメではあるんですよね。こんな朝食に€9も払うくらいなら町のパン屋さんで焼きたてのクロワッサンでも買って歩き食いするほうがよほどよかったな。
10時半には出発するわけだから精算とチェックアウトはそのときにして、部屋に荷物は置いておきます。マルセイユに関しては、というより旧港界隈に関してはもはや地図など不要なので、手ぶらで出かけます。雨がちだった前日とは打って変わって、この日はばっちりの晴天。8時半の町はやっぱりまだ目覚めていない様子で、前夜のレストラン街もほぼ無人状態でした。それでもカフェのたぐいは営業していて、コーヒーを飲んでいる人がいます。フランスの朝といえば、カフェでコーヒー飲みながら新聞を読む人たちの絵を思い出します。ほぼ全員が常連さんで、入店するとカウンター内の店員と握手する人が多いんですよね。ホテルのまずいコーヒーの飲みなおしをしたいけれど、残念ながらあまり時間がありません。
ブルトゥイユ通りの登り口(旧港側から)
マルセイユ旧港は何度来てもいい眺めだな。同じ水際でも、河川とも運河とも違うおもむきがあります。朝っぱらなので動いている船は、港の両岸をむすぶフェリーボートだけ。岸に漁船が横づけされ、揚がったばかりの魚を直販する仮設店舗が並んでいます。この景観も毎度見ていてなじんできました。いくらもしないような小魚から大きなカニとかシタビラメなんかも売られています。前回ここに来たときも、せっかくなのだから何日か滞在してあれこれ食べたいなと思ったのを思い出しました。どうもマルセイユは、自分の中でも経由地にしかなっていないようで、申し訳なし。港に面した小さな教会では朝のお祈りがはじまっていました。今日は日曜日でしたね。
マルセイユのシンボル、ノートルダム・ド・ラ・ギャルド寺院(Basilica Notre Dame de la Garde)は、前述したように泊まったホテルのさらに背後にあって、かなり急な坂道を登らなければたどり着きません。今回もまた見上げるだけでごめんなさい。ここマルセイユは、日本人にとっては長く「西欧の入口」でした。船便でインド洋→スエズ運河→地中海と進み、ここで上陸してパリをめざすというパターンが多かったのです。いちばん古いところでは、慶応年間のパリ万博に江戸幕府から派遣された徳川昭武(慶喜の異母弟で帰国後に最後の水戸藩主となる)の一行でしょうか。岩倉使節団はアメリカから英国経由でフランスに入り、ドイツや北欧、ロシア、オーストリアなどを回って、ここマルセイユを欧州最後の地としました。ドイツに留学した和辻哲郎もここから欧州に入りました。マルセイユの第一印象が彼の風土論に影響したとかしないとかです。海こそが交通路だという時代が圧倒的に長いので、日本人にかぎらず、マルセイユに「第一歩」を印した人は無数にいたことでしょう。一旗上げんと新大陸に渡った人たちがニューヨーク港の「自由の女神」を見て来着を実感したのと同様に、山上にりりしく建つノートルダム・ド・ラ・ギャルド寺院は、旅人が「さあ欧州だ」という思いを強くするランドマークだったに違いありません。
フィクションの話も混ぜてしまってすみません。1980年の大河ドラマ「獅子の時代」は、徳川昭武に随行してにパリ万博に参加した(という設定の)架空の会津藩士が主人公でした。大河ドラマがいきなりフランスのシーンからはじまるというのがすごかったですが、いってみれば最も封建的な思想に埋もれていた会津藩士(菅原文太)がフランスと出会ってしまう、しかもそこで宿敵の薩摩藩士(加藤剛)と友誼を結んでしまうというコンセプトが見事でした。いまと違って、テレビもネットもガイドブックもない時代に、何十日もかけて船でやってくる人たちがいたというだけですごいなと思います。欧州で何を見て、何を感じたんでしょうね。日本に戻ってあれこれ報告しても、頭おかしくなったんじゃないのと思われたのではないかしら。司馬遼太郎の「翔ぶが如く」もフランスの鉄道車内のシーンからはじまります。こちらは実在の薩摩人、川路利良(警視庁の生みの親で西南戦争勃発のキーパーソン)が主人公です。薩摩藩士ではなく身分の低い郷士の出身で、フランスでは「日本代表」としてふた回りくらい大きな使命を自覚するというアイデンティティ問題が印象的でした(同小説は大河ドラマの原作にもなっていますが川路の出番はドラマにはあまりない)。すごいのは、みんなそれでも何かを得て、学んで、持ち帰っているんですよね。もちろん歴史に名を残さなかった人のほうが多いのでしょうけど、ときどきそういう人たちのことを思って、純粋に敬意を表したくなります。2013年は3回もフランス、欧州にやってきていますけれど、国家社会にはあまり貢献しておりませんです。ただの仏通い(ふつかよい)。
旧港からノートルダム・ド・ラ・ギャルド寺院を見上げる
ノートルダム・ド・ラ・ギャルド寺院へと坂を登る(1991年2月)
前述のように、2009年2月にはジェノヴァ→モナコ→カンヌ→マルセイユと移動してきました。今回の旅程と、まあ似たような距離ではありますが、主権国家の数でいえば「3ヵ国」を股にかけたことになります。今回は「2ヵ国」ながら言語でいえばカタルーニャ語、微妙にカスティーリャ語、オック語、フランス語と混線している地域で、私自身はフランス語とアングル語(イングランド語)を話しています。バスク語を話す地域もわりと近いですし、コルス(コルシカ)島に行けばイタリア語に近いコルス語が話されているのでしょう。「1つの国の中にいろいろな言語があるなんて大変だと思いました」などといったレビューを見ることも多いのだけど、私なんかそういう状況がおもしろくて仕方ない。もちろん、そこには一人ひとりの人間のアイデンティティという大事な問題が横たわっています。東アジアだってその枠組で捉えればいろいろなことが見えてくるのに、学びを捨象し、思考をショートカットさせる若い人が増えているのはきわめて残念。右でも左でもかまわないから、君の母語が通じない世界に飛び出して、そこで思考してみたらどうだ?
旧港北岸のレストラン街 カキの美味しい季節です
ラ・マルセイエーズって何の建物だろ?
予定どおり10時前にホテル・デュ・パレに戻りました。レセプション前では4人家族が朝食をとっています。これくらいの時間が標準なんですかね。さきほどののんびりマダムに「31号室のカギをお願いします」といったら、表情が曇りました。「31号室? お名前は?」――コガですよ。カーオージェーアー(何をいまさら聞いているんだこの人は)。「ご予約されましたか?」――ご予約も何も昨夜ここに泊まったじゃないですか。31号室のカギをください。「どうやって予約なさいました?」――インターネットだよ、昨日もそう訊かれたから確認メールの紙をさしあげたはず。ここにあるはずだから見てください。と、訳のわからん問答がつづきます。そういえばチェックイン時から少し変だったのですが、マダムがいじっているPC画面をのぞき込むと、どうやらオンライン予約のシステムをつくっておきながら部屋割りソフトに手作業で入力しなおしているようです。昨日手渡した紙は2枚のうち1枚目で、内ポケットに料金などを記した2枚目があったのは救いでした。正規料金の1割引の€54で予約したのに、その証拠が残らなければ困ります(Gmailなのですぐに呼び出せますけどね)。その2枚目もいただいていいですかというので、ダメ、あげません、コピーをとってくださいと強くいいました。それにしてもこのマダム、相変わらずマイペースで、「ネット経由ということは○○(予約サイト?)とかですか」といったどうでもいいようなことを訊いてきます。いいから早く調べてくれよ。時間ないんだから! マダム、今朝私と一緒に朝食を食べましたよね? 「ええ、それはよく憶えています。遅れてしまってごめんなさい」
――ということは宿泊した事実はあるのだから万一予約がエラーだったとしても精算できるだろうが! すると、31号室ではない別の部屋にkogasanという文字を見つけたらしく、「あなたはコガとおっしゃいましたがコガサンではないのですか?」――それは私ですよ。サンはムッシュのこと。コガサンはムッシュ・コガっていう意味! 「ああ、変だと思いました。コガサンって書いてあるからわからなかったんです私」。ああ、どこまでもマイペース(笑)。確認メールの宛先はちゃんとKOGAになっています。手動で入力するとき、メールアドレスのドメイン名にあったkogasanをそっちが勝手に書き込んだんじゃないかよ。(この間、フランス語7と英語3を混ぜて、ほぼ怒鳴っている私)
今度は料金をめぐって若干の悶着があったあと、最終的に当初の予定どおりの価格で精算できました。「ご利用ありがとうございました。お気をつけて」――お前バカなんじゃないのか(これは声に出していません 笑)。荷物は部屋にあるんだ。早く31号室のカギをよこせ! 最後まで悪びれることのない女性スタッフ。繰り返しますが、この手の人に何をいっても学習することは未来永劫ありませんな。帰国して1週間後に、オンライン予約システムに付帯する自動メールが来て(ということはちゃんと予約されていたんじゃんよ)、要は「私たちのサービスはいかがでしたか」というアンケート。「あなたには意見をいう権利があります」みたいな文面だったので、権利がなくともいいたいことはあるわい!とムカついて、でも武士の情けで放置してあげました。その代わり、この日誌を通じて日本の読者にはちゃーんと伝えてあげます。ホテル・デュ・パレを利用すると外語で文句をいうトレーニングになるよ!(あーグローバルだねえ!)
サン・シャルル駅(TGVと近郊列車)
これで部屋に戻ったら荷物がすでになかったとかいうなら笑えませんが、そんなことはありませんでした(当然です)。近年にない傑作ホテルだったな。帰国後にホテルサイトのスコアやコメントを読み返してみたら、「ロケーションがいい」みたいなものが大半で、サービスがいいという声はありませんでした。もっとも、サービスというものの質はホテルのタイプやグレードによっても異なります。前夜のイビスならばまずまず均質的なサービスを受けられるけれど、そればかりではおもしろくないというのも確かですよね。1991年2月のマルセイユで初渡欧の私たちがどこに泊まったのか、まったく記憶にありません(「地球の歩き方」に載っているところに電話して訪ねたと思います)。もうホテル自体がなくなっている可能性もあります。あのときは、ソ連とフランス・フランと日本経済のプライドが存命中でした。
エストランジャン駅から地下鉄でサン・シャルル駅まで、来たときと同じコースをたどります。遅れに遅れた朝食のあと、例のマダムに「空港までのバスはどこから出ますか」と訊ねたら、「サン・シャルル駅です。1時間ちかくかかりますよ」などと答えました。どうもこのホテルのスタッフには時間感覚(あとサービス業の基本)というのがなさそうなので、信用しませんけど、でもサン・シャルル駅という情報が間違っていたら困るな。手許のガイドブックには、駅のそばに「バスターミナル」の文字があるのですが、空港バスがそこから出るのかがわからないままです。国鉄駅の広いコンコースを端のほうへ歩いていくと、方面別に停留所が分かれたかなりの規模のバスターミナルがありました。空港行きがいちばん手前に停まっているので、荷物の積み込みを手伝っていた係員に訊ねると、すぐ前(建物内)の窓口で切符を購入してくださいとのこと。60歳くらいのおじさんが「このバスに乗らねえと飛行機に間に合わねえんだ。切符買っているあいだに発車しちまうだろ?」みたいなことをまくしたてています。係員は「まだ少し余裕があるので大丈夫ですよ」と。バスは頻発しているようなので私はこれでなくてもかまいませんが、このおじさんの後ろにいれば乗れるんじゃないかな。ところが1つだけ開いていた窓口には中年女性の先客がいて、ああでもないこうでもないと係員を質問責めにしています。いるいるこういうおばさん(笑)。1分くらいガマンしたおじさんはついに声を上げ、「俺はいますぐのバスに乗らなきゃならねえんだ。ちょっと譲ってくれ。スィル・ヴ・プレ、スィル・ヴ・プレ!!」と女性に迫りました。女性が不愉快そうな顔で立ち去ると、おじさんは「空港1枚」というが早いかチケットを受け取り、バスに直行。つづいてMoi aussi.(私も同じで)と€8の切符(というかレシート)を手に入れました。バスが発車したのは着席してから3分後くらいだったので、まだ余裕があったのではないですかね。私も、いつものパリなら要領をばっちり心得ているので焦りもしませんが、初めての場所だと多少身構えます。
サン・シャルル駅のバスターミナルと空港行きバス
いつもこのシリーズでは「こうして最後の都市を離れました。ちゃんちゃん」というところで締めるのだけど、欧州旅行、それも日本からの直行便がないところでの要領を紹介するという意味もありますので、いま少しお付き合いください。いつまでもパック旅行とかフリープラン(ホテル送迎がつくやつ)に頼っているとおもしろくないですから、ちょっと値は張りますが、個人手配旅行にチャレンジしてみてください。
空港アクセスバスは25分くらいでマルセイユ・プロヴァンス空港(Aéroport de
Marseille-Provence)に着きました。まず運転士が「Easy
Jet(LCCの元祖)などはこちらでお降りください」と地声で呼びかけたのはしょぼい?ほうのターミナル。それ以外の人は次のメインターミナル停留所で一斉に下車します。ここまで来ればもう間に合うのか、例のおじさんはゆっくり立ち上がって、床下に預けた荷物を請け出していました。南欧ではあっても南国ではなさそうなのに、空の広さと樹の植え方が何となく南国の空港みたいなイメージです。ターミナルビルの中はかなり広々としています。最近になって建てられたものかもしれません。チェックインカウンターを探していたら、いやものすごい人の列です。自分もそうなのを承知でいえば、有色人種ばかりが団子になっている。3年前に仕事で行った中国の瀋陽空港を思い出しました。並んでいれば乗りはぐれることはないので、待つかと思ったら、どうやらそれは北アフリカ・中東方面への便を扱うカウンターだったらしい。移民とか出稼ぎの人たちがお正月で帰省するんでしょうか。みんなかなり大きな荷物をもっています。私が乗るのはルフトハンザ。同社単独のカウンターがあって、幸いそちらはガラガラです。自宅でプリントアウトして持参していたEチケットお客さま控とパスポートを提示し、ボーディング・パス(搭乗券)を出してもらいました。マルセイユ→ミュンヘンだけでなく、ミュンヘン→成田のANA便のぶんもルフトハンザ仕様で同時発券されています。荷物はダイレクトに成田まで?と訊ねたら、「ダイレクトです」と英語・フランス語で答えが返ってきました。3月にポルトガルのリジュボーアから帰国する際には、乗り換えがシェンゲン協定非加盟の英国(ロンドン・ヒースロー空港)だったため、リジュボーアで出国手続きをしています。今回はシェンゲン国どうしなので、そのあたりの作法がどうなのか、まだちょっとわからないところがあります。
マルセイユ・プロヴァンス空港
チェックインしてしまえば、あとはとくにすることもありません。チェックインカウンターと同じフロアにあったカフェで読書しながらゆったり。ビールでなくコーヒーなのは、バルセロナの件を引きずっているせいでしょう(苦笑)。そのあと1階に上がって身体&手荷物検査。リュックは問題なしだったのだけどコートとジャケットの何かが引っかかったらしく、女性係官がポケットの中身などを引っ張り出してじっくり検討しています。私、いろんなものを上着のポケットに入れる習癖があって、何かが引っかかっても不思議ではありません。内ポケットに挿していたスチール製のポインタ(指示棒)に気づいた係官は「これは何ですか?」と。古賀の授業を受けたことのある人なら知っていると思うけど、黒板を指すときに使うあれね。何でそんなものを旅先にもっていくのかと思われそうですが、何ちゅうか落ち着かないんですよあれを挿していないと。――Je suis enseignant, donc je l’ai toujour.(教師なもんですからいつもそれをもっているんスよ)。で、ふーんという感じで通してくれました。小型爆弾くらい仕込めそうなツールではあるよな。
出発ロビーも広々としています。まだ「出国」していないので、ここで買い物をしても免税にはなりません。ひきつづき、静かに読書。ところが、出発30分前の12時35分が搭乗予定時刻となっているのに、肝心の飛行機は影もかたちもありません。折り返し便なのでしょうが、それなら給油の時間とかがさらにかかるのではないでしょうか。とくに遅れるというアナウンスもないままで、変だなと思っていたら、12時50分ころになってようやくそれらしき機体が姿を見せました。あら、またずいぶんと小さな飛行機やな。窓越しに見ていると、その機体から、まず乗客たちがぞろぞろ降りてきて、荷物のコンテナも降ろされました。その作業が完了すると、今度はわれわれのものらしい荷物がセットされます。13時15分ころ、ようやく改札口が開いて、例によってビジネスクラス、スターアライアンス・ゴールドメンバーの乗客から優先搭乗がはじまりました(いつも思うけど、着く時間は同じなのに「多少早めに乗れる」というのがさほどのサービスなのかなあ)。ていうか、このちっちゃな飛行機にビジネスなんてあるのか。ちっちゃな飛行機なので、ボーディング・ブリッジではなく、いったん滑走路に降りてそこから直接乗り込みます。おお、ドア裏がステップになっているこのタイプは、11年前にパリからバーミンガム経由でグラスゴーに行ったときに乗って以来だな。いちおうジェット機です。中は狭くて天井も低く、背の高いドイツ人?は頭をごっつんこしていました。
航空券に記されている便名はLH2263ですが、運航しているのはルフトハンザ・シティーラインという子会社のようです。ANAと同じスターアライアンスに属するルフトハンザは、フランクフルトとミュンヘンをハブ空港にしており、そこと欧州の地方都市をこうした子会社の小型便が結んでいるわけです(ハブ=車軸空港・地方都市間は自転車のスポークにあたります)。2列×2で、のぞみより小さいジェット機だからお手軽ですね。機内アナウンスは当然のことにドイツ語と英語(離着陸時のみフランス語の自動放送)ですが、乗客の多くはフランス語を話しています。通路をはさんだ反対側の夫婦は「コペンハーゲン」というフランス語のガイドブックを見ながら旅程について真剣に議論していました。往路のフランクフルト→バルセロナと同様、三角サンドイッチが1つだけ配られました。今度はチーズとバジルソースのサンドで、これまた美味。ルフトハンザはセンスいいな。
地中海とアルプスを見ながら飛行すること1時間半ほどで、ミュンヘン・フランツ・ヨーゼフ・シュトラウス空港(Flughafen München Franz Josef Strauß)に着きました。下船する際にもまた直接地面に降り立つわけですが、14〜15度くらいの地中海岸から来てみると、バイエルン州はまぢ寒い。ターミナルビルまではシャトルバスで結構な距離を移動します。トランジットに際してはターミナル移動を伴う場合があります。来るときのフランクフルトがそうでした。3月のリジュボーア→ロンドン→成田では、あの巨大な(そもそも各ウィングまでの歩行距離が恐ろしく長い)ヒースロー空港でバスによるターミナル移動があり、しかもリジュボーア発が30分も遅れて、1時間ちょっとでの乗り継ぎというきわどいタイミングになりました。旅慣れていることもあって、とにかく早足で歩き、息を切らして乗り継ぎカウンターに名乗り出たら、「ユー・アー・ザ・ラスト・パッセンジャー」と女性の地上係員が笑っていました。そりゃそうだろうな。今回はミュンヘン発が19時55分なので、余裕どころか時間がありすぎて困るほどです。ターミナル移動があれば多少はヒマつぶしになると思ったのに、こういうときにかぎって真上!
ミュンヘン空港の免税コーナー(国際線の非制限エリア)
ここで過ごすのが5時間弱と、何とも中途半端な時間。町に出てもいいけど、地図もっていないので、見当のつきにくいところでのはやあるきにはちょっとリスクがあります。今回は全般に調子がよくないので無理はしないほうがいいでしょう。といっても、5時間あればのぞみは博多に着いてしまうくらいですもんね。成田着が翌30日の15時40分なので、西欧時間でいえば午前8時前。とっとと朝食を用意しろよ!とやってからまる1日かかるわけです。欧州に行くときは、十何時間かかろうと「これから欧州だもんね♪」という楽しみがあるからいいのだけど、帰るだけというのは精神的に厳しいですねえ。せいぜい次の旅行への期待を目の前にぶら下げることにしましょう。
シェンゲン協定の関係で、いま乗ってきたルフトハンザ・シティーラインは「国内線」扱いです。国際線乗り継ぎの表示に従って進み、パスポートを提示して出国手続きをおこないました。2013年12月は、成田・フランクフルト・ミュンヘン・成田のスタンプがあるだけで、いったいどこに行ったのか旅券上はまったく不明。マルセイユのホテルにアリバイ証明を求めようとしても、きっと記録が散逸しているんだろうな!
国際線エリアの免税ショップなどがけっこうおもしろいので助かります。午後の発着便はあまりないらしく、ほとんど人がいません。ANA208便で帰国する日本人はもっとあとで来るのでしょうね。ルフト機内でサンドイッチを一切れ食べただけなので、もう少し何か食べておこう。――て、思うやーん(大川藍ちゃん風に)。空港の中なので非常に無国籍な状況なのですが、何といってもここはドイツ、バイエルン州です。ヴルスト(ソーセージ)に生ビールでしょうよ。ピルスナー0.5リットル(€4.90)とソーセージ2本(€5.90 パンつき)で打ち上げよう! でも待てよ、バイエルン州には1年前に来ていますが(北部のニュルンベルク)、州都ミュンヘンの市内にはまだ行ったことがありません。ミュンヘンのビールといえばヴァイツェン(Weizenbier)ですよね。ということで、ピルスナーが空いてから45分後くらいに、めでたく?ヴァイツェン。やっぱり€4.90で、日本人の感覚では空港内にしては安いと感じるけれど、市内で飲めばさらに安かろう。ここまで来れば、多少酔っ払おうが財布を奪われようが成田までは運んでくれるだろうから、燃料入れちゃえ! 2時間くらいしてから、別件で白ワイン(€6.50)も飲んじゃえ!
欧州旅行は貴重な読書の機会でもあります。今回もかなりいろいろな本を読んで勉強になりました。いま機内持ち込み手荷物には、日本の戦国大名に関する本と、『物語 イスラエルの歴史』(高橋正男著、中公新書)が入っています。時間がたっぷりあるので、どちらかというと不得意な中東地域の歴史を学ぼうかなと思って取り出したけれど、ヴァイツェン・ビアのグラスを見てあることを思い出しました。「ミュンヘン」で「イスラエル」はまずいよなあ。日本語の本だとはいえ、物騒だよなあ(若い人はピンと来ないと思いますので、「ミュンヘン」「イスラエル」で検索してみてください。とんでもない惨劇があったのです)。
1年ぶりの(あの!)ボーイング787に乗って東京(成田)へ帰ろう!
今回、国際法的な位置づけの微妙なバルセロナをいちおう視野の外に置けば、「主権国家の首都に一度も寄らない旅行」をしたことになります。欧州では初めての体験でした。国を色分けして首都だけを書き込んだような1枚ものの地図は、早めに卒業しましょう。「国」というのも実は仮設のものです。欧州を実見しようというときには、とくにそう考えたほうがよさそうですね。
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