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だらだら歩いているうちに、疲れてきたのと、やっぱり空腹になってきました。ランブラス通りの北端まで来てしまい、ホテルまで数分というところ。結局、着いた夜に入った店の2軒となりにあるバルに入り込み、テーブルに案内しようとするおねえさんに断ってカウンターのスツールに落ち着きました。バルで1、2杯飲んで何かつまめば、腹の足しにもなるし、時間もほどよくつぶせることでしょう。すこし余裕を見ても、15時くらいにここを出れば16時20分の列車に十分間に合うはずです。
バルの構造はここも同じで、ウナギの寝床ふうの細長い店内は、入口付近にカウンター、壁側にテーブル席、奥がレストラン。カウンターの店員がすべてのドリンクを供給します。目が合ったので「セルベッサ」と告げて生ビールを注文。フランスでは250ml、ベネルクスでは300mlくらいが標準だけど、これは400mlくらいありそうだな。ごく普通のラガービールで、冷えていて美味いです。カウンターのケースの中にならぶタパは、揚げ物系がやはり多いですね。カニツメのフライ、カボチャの天ぷらみたいなものとか、さつま揚げふうの練り物、鶏肉のカレー味などなど。たまたま目の前にイワシの南蛮漬けがあったのでこれを頼みました。カタルーニャを南蛮といっていいのかはわかりませんけど、紅毛ではないわなあ(戦国・織豊時代の日本で南蛮といえばポルトガルとイスパニア、紅毛はオランダとイングランド)。ビールが早々に空いたので、グラスのワインをくださいといったら、若い女性の店員が「グラスはありません。ハーフボトルになってしまいますが・・・」と。ん〜、前日はハーフ飲んでいい気分になってしまったし、どうしようかな。でもビールだと間がもたないんだよな。いいや、ハーフボトルをくださいな。――と、学習しない先生は白ワインのボトルを手にしました。しかし、これは美味いぞ。2013年は人生でいちばん白ワインを飲んだ1年になりました。家での晩酌も、赤赤白くらいのペース。認めたくはないが、中年になって味覚が変わってきたのかな。
少ししてから、カウンターの右隣に20代の女性2人が来ました。1人はセルベッサ、もう1人はカプチーノ。大きなピザを1枚頼んでシェアしています。なるほど、バルにはこういう使い方もあるのか。日本人の習慣だと、食事と喫茶と飲み会はセパレートなのですが、そのへんはフリーでいいわけですもんね。2人は英語を話していて、1枚ものの観光マップをカウンターに広げ、スマホの情報と見比べながら、どこへ行こうかとか何とかの会議をしています。ときどき店員さんにアドバイスを求めたりして。背後のテーブル席にはにぎやかな中国人家族がやってきて、注文の段取りがよくわからないらしく、全員でうろうろしています。当方はシーフードマリネを追加。小エビ、イカ、タコ、ムール貝、オリーブ、パプリカが入っています。これも美味いぞ。2013年は人生でいちばん魚介類を食べた1年になりました。主にお刺身ですけどね。認めたくはないが、中年になって味覚が変わってきたのかな。
14時くらいになると、カウンターにふらっと来てビールを飲む男性客が何人か現れました。本を読む人、スマホする人、ぼーっとしている人。当方はじわじわアルコール分が回ってきました。やっぱりやめておけばよかったかなあ。TGVに乗るまでにはシャキッとしないとね。14時半が近づいたので勘定してもらいました。ビール€5.00、ワイン€10.07、イワシ€6.80、マリネ€6.90、食後のエスプレッソ€1.50で、〆て€30.27。前回のバルが安かったのでそれが相場なのかと思ったけど、これは結構な値段だなあ。飲み物、食べ物とも観光地料金のようです。あとであらためて観察すると、見るからに観光レストランでしたね。まあ何千円のレベルであれこれいう年代でもないので、半ば時間つぶし料と考えればこんなものでしょう。ごちそうさま。
カタルーニャ広場
酔い覚ましを兼ねて、カタルーニャ広場の周囲を2周ばかり歩きます。ここには公社の地下鉄のほか、民鉄のカタルーニャ鉄道、国鉄RENFEの郊外線も乗り入れており、例の空港行きアエロブスのターミナルでもありますから、市内最大の交通の要衝ということになりそうです。それからホテル・リェオに行って、荷物を引き取りたいというと、レセプションの裏にある倉庫を開いて、自分で取り出せという仕草。朝、預けるときもちょっと不安だったんですよね。こういうのはホテル側の責任で整理して、半券を渡しておくべきでしょう。別人の荷物を勝手にもっていくくらい容易にできてしまうシステムはよろしくありません。ともかく、2泊3日の御礼を述べて辞去しました。2泊3日なんてあっという間ですね。きょう26日は晴れてよかったです。出発前からのよからぬ気分が、雨の前日は払拭できなかったものの、杞憂のままバルセロナをあとにすることに・・・
地下鉄の「サンツ駅」駅 この直後に・・・
なるかと思っていたわけですよ。何しろ、あとはTGVに乗って出発するだけだから。何度目かの地下鉄L3号線でサンツ・エスタシオ(サンツ駅)駅まで来て、そういえばここは長い通路をひたすら歩かされるんだった、地上の様子はさっき切符を買いに来たとき見てわかっているから、出てしまおうかな、でも面倒だなというので、結局長い通路に向かって歩きます。ホーム端から上りエスカレータに乗って、あと1歩で終わりというところで、前にいた中年の男がカギらしきものを階段面に落としました。身をかがめ手を伸ばして無理に拾おうとしています。こちらは、キャリーバッグを引いているので男をかわすこともかなわず、ステップの上で足踏み。おい、危ないからどけよ、くらいのことをいいましたが男はしつこい。あ、これはもしかして、やばい――と気づいたときには、男が上りエスカレータを猛ダッシュで逆走していきます。
財布を奪われた!!
少し前を行っていた4人家族は、どうもこの手口を心得ていたらしく、何かするのではと観察していたように見えました。こちらは昼酒を飲んでいい気分になっており、とっさの判断力が明らかに低下していました。母親が「ノー・マネー?」とこちらに確認するのと同時に、高校生くらいの息子が階段を大急ぎで走って下り、犯人を追尾します。私も荷物を抱えながら後を追いました。犯人の男は、いま電車を降りたホームをそのまま走り抜け、反対側の――こちらから外に出ようかと一瞬思いかけたほうの――階段を猛然と駆け上がりました。しかし逃走しやすい経路というのはちゃんとわかっているわけで、お兄ちゃんも上り階段の途中で追跡を断念。サンキューと謝意を述べたら、力が抜けました。現金はともかくクレジットカードは早々に停止しないとまずい。しかし、移動中のターミナル駅でどうやってUFJニコスに通報するのか? カードがなくてもどうにかなるくらいの現金は分散してもっているのだけど、残り4日間かなりセーブしないと危険だな。そんなことを未整理のまま考えていたら、家族のお母さんがホームに降りてきて黒い財布を示し、「ユア・マネー?」と訊ねました。おお、it is mine, thank you very much. 犯人はエスカレータで現金を抜いて財布をすぐに捨てたらしい。見ると、コインとカードは無事でした。いまどきはカードをもっていくほうが悪さできそうにも思うのだけど、アナログな男だったのかもしれません。顔を見られるような犯行をよくやるものではありますが、観光客狙い、それもターミナル駅本体ではなくそこにアクセスする地下鉄というのが狙い目だったのか。奪われた現金はおそらく€200くらいで、大したことがないといえばないのですが、精神的なダメージはかなりのものがあります。これまで「欧州の達人」みたいな目線で、旅先では何を狙われるかわからないから要注意だよ、みたいなことを何度も書いておきながら、置き引きやスリが多発すると評判?のバルセロナを脱出する寸前にやらかしてしまいました。あーー
これで当然ながら酔いが醒めて、あらためて気を引き締めます。国鉄駅のトイレに行って、別の場所にもっていたユーロ紙幣を財布に少し移しました。もうおっかなびっくりなので、総額€50くらいのものです。そして、カードを財布から抜いて、ポーチに移します。パリではしたことないのだけど、危ないと聞くバルセロナだからというので、成田で薄いポーチを購入してパスポートといくらかの現金を入れ、首からかけてジャケットの内ポケットに突っ込んでいました。そんな慎重さにもかかわらずカードを尻ポケットの財布に入れていたのはよろしくなかったですね。
いやーな気分を引きずりながら、特急専用のゲートをくぐりました。切符改めと荷物のエックス線チェックがあります。これから乗るのは「国際列車」ですが、シェンゲン協定の関係でもちろん国境審査はありません。ただ、マドリード行きの高速特急AVE(Alta Velocidad
Española)などとともに、改札がない近郊列車などとは次元の違う対応をしているようです。ゲートの奥に特急専用の待合スペースがあり、大きな荷物をもった乗客がたくさん。どうやらホームは地下にあるらしく、列車別改札を実施しているようです。16時を過ぎてから当方の改札がはじまりました。階段を下りると、「首都」のターミナル駅ではあるものの地下駅なので天井が低く、窮屈でゆとりがほとんどない空間です。ドアを開けて客の乗り込みを待っているのは、何度も世話になったシルバーとブルーのダブルデッカーのTGV車両。AVEもそのうち乗ってみたい。スペインの鉄道はもともとレール幅1668mmの広軌を採用していたのですが、AVE用の高速新線は1435mmの標準軌を採用しました。いうまでもなく、フランス経由で欧州各地に直通させるためです。西欧の鉄道の大半は高速新線・在来線ともに標準軌で、ゆえに都心部や末端部分などでは在来線に乗り入れるなど柔軟な運用ができます。日本は、スペインとは逆に、在来線が1067mmの狭軌、新幹線は標準軌で相互乗り入れができません。山形新幹線・秋田新幹線では在来線を改軌するという強引な?ワザを用いて直通を実現させました。
TGVの車内
TGV(Train à Grande Vitesse 「超速い列車」)に乗るのは、もう何度目だろう。この西欧あちらこちらで記事にしただけでもけっこうありますよね。親類であるロンドン行きユーロスター、オランダ・ベルギー方面行きタリスを含め、パリをハブ(軸)にして放射状のネットワークが構築されてきました。いまはパリから地中海岸のマルセイユまで高速新線が開通しており、カタルーニャ側はいまから走るバルセロナ〜ペルピニャン間が完成。アヴィニョンからペルピニャンまでが通じて、パリからバルセロナ、そしてマドリードへと高速新線だけで結ぶようになるのは2020年ころが予定されています。今回のTGV9706便は、途中で在来線を走行して、パリ・リヨン駅(Paris- Gare de Lyon)に22時45分着。所要6時間というのは、長いのか短いのか微妙なところだけど、Parisの文字を見ると、このまま乗っていきたいな〜という気分にもなります。リヨン駅は、いつも滞在しているカルチェ・ラタンまですぐのところだし。フランス共和国に入国するのはこれで17回目(他国に行った帰りの再入国をのぞく)ですが、パリにかすりもしないというのは初めてです。パリに行ったら、バルセロナで感じていたようなアウェイ感はなくなるだろうなあ。いや、いかんいかん。
約6時間を要するパリまでの正規運賃が€170なのにペルピニャンまで約1時間で€44というのは割高やな。指定された座席は2階建ての2階で、車内は3分の2くらいが埋まっています。通路をはさんだ反対側は、フランス語を話す美人のお母さんと8歳くらいの娘で、娘がきゃっきゃとまとわりついています。日ごろ、この「国境」を越える流動がどれくらいあるんでしょうね。列車はかなり広いバルセロナ市街を長いトンネルで抜け、郊外の山腹みたいなところで地上に出ました。地中海が見えるのかなと思っていたら、高速新線は海岸からけっこう離れて通っているのですね。バルセロナから東側(フランス寄り)の海岸はコスタ・ブラヴァ(Costa Brava)と呼ぶ著名なリゾート地。フランス人もよくヴァカンスで訪れます。サルヴァドール・ダリの出身地フィゲラス(Figueras)を過ぎると、そろそろ国境。とはいっても何かの目印があるわけでもなく、このへんの人たちにとってはとくに気にするほどのボーダーでもないのでしょう。なお、欧州の国際列車ではおなじみのことに、バルセロナ発車時にはカスティーリャ語(たぶん)→フランス語→英語の順にアナウンスがありますが、ペルピニャン到着を告げる放送からフランス語が先になりました。隣席の若い兄さんは、ノートパソコンを開いてフェイスブックでさかんに交信しています(のぞいたところカスティーリャ語の模様)。
ペルピニャン駅
列車は「まもなく」の放送が流れてから急に減速し、定刻17時44分より7、8分ほど遅れて到着しました。ペルピニャン(Perpignan / Perpinyà)はフランス南西部の中都市で、中世からの伝統をもつ町だというくらいの予備知識しかありません。この日の宿泊をここに決めたのは、前述したように、TGVの時間からしてこれ以上遠くに行くと夜になってしまうと考えたから。出発当日(24日)の朝、自宅のPCであわてて駅前のホテルを予約しました。小さいながらも立派な駅ビルがあり、コンコースを抜けて駅前に出てみたけれど、どうもホテルらしきものがありません。急いで宿を取ったため地図のプリントアウトを省略し、「フランス」のガイドブックの欄外にパリ・バルセロナ(Hôtel Paris Barcelone)なるホテル名と住所をメモしただけです。ガイドブックの地図は駅から離れた市内中心部のものだけなので駅前の構造は予約時に見たグーグルマップの記憶しかありません。しまったな。真っ暗すぎるのも変だなと思ってよく考えたら、到着したホーム(進行方向左、つまりは山側)からそのまま出たのでこっちは裏口だった。現金強奪のショックで基本的なところが抜けているらしい。あらためてホームの階段を下り、海側の表口を出ると、駅を背にまっすぐ伸びる道(ジェネラル・シャルル・ド・ゴール通り Avenue du Général Charles de Gaulle)の周辺にいくつか商店の灯りがついています。明るいというほどではないが、田舎の駅に夜になって着いた感じ(まあそうなんだけど)。見ると、ド・ゴール通りの1番地、駅前の角にあたるところに、駅前食堂(飲み屋?)と棟つづきのホテルを発見しました。やれやれ!
ホテル・パリ・バルセロナ(何ちゅう名前じゃ)
1泊€54の駅前旅館なのでもともと内容は期待していません。暖房とシャワーがあれば十分です。駅はかなり町はずれであることを承知していますが、どうせまた駅から次の場所に向かうのだから、動きやすいのは駅前です。この判断はよかったです。暗くなってから荷物を引きずって市街地をめざしてもツーリスト・インフォメーションは閉まっているだろうし、ホテルを探すのも容易ではないでしょうからね。田舎のコテージを意識したようなウッディな外観の玄関を入ると、すぐにレセプションがあり、初老のおじさんがいました。ためしに英語で「古賀です。インターネットで予約しました」とかいってみたら、返ってくるのはすべてフランス語。なるほど田舎だわい(笑)。最近めっきり下手くそになったフランス語に切り替えてやりとりします。といってもホテルの作法などどこでも同じ。「ペルピニャンは初めてですか」と訊ねられたのでウィと答えたら、折りたたみのシティ・マップをくれました。ありがたし。
お、エレベータはないんだな。宿泊客がいるような気配がほとんどない1階(日本でいう2階)に上がり、部屋に入ってみれば、相当古びてはいるけれど暖房とシャワーはついているのでよしとしましょう。スチーム暖房というのは久しぶりに見たなあ。パリの常宿レスペランスも以前はこれだったけど、10年くらい前にエアコンに変わったもんなあ。少し寒いので、バルブを緩めておきました。昔はこの上に弁当を乗っけて温めたりしたんですよね。
ジェネラル・シャルル・ド・ゴール通り
暗くなったとはいえまだ18時半。いつもなら躊躇なく町に繰り出してディナータイムまたはパブタイムになるところです。ただ、嫌な事件からまだ3時間くらいしか経っていないし、駅前は見るからに薄暗くて人通りがないし、中心部はずっと遠くだし、治安がよくないと聞くペルピニャンだし・・・というので、どうしようかと思案してしまいました。欧州各地を長年歩いていますけど、これほどのマイナス思考は初めてかもしれません。神様が慣れすぎに注意を与えてくれたのだとすればいいのかね。
ともかく、晩ごはんは食べなければいけません。いただいたマップをコートのポケットに突っ込んで、手ぶらで外に出ました。地図で見たところ、ジェネラル・シャルル・ド・ゴール通りは1km弱くらいのまっすぐな道で、中心市街地と駅とを短絡する新しい道路ではないかと推測されます。駅の近くに別のホテル、何でも屋さん、そしてなぜだかケバブ屋さんが4軒くらいあるのだけど、100mくらい進むと商店がほとんどない、ただまっすぐな道になっています。物騒というわけではなくて、人通りがほとんどないので不気味な感じがします。かなり急ぎ足でド・ゴール通りを抜けると、メリーゴーラウンドなどが置かれた明るい広場に出ました。どうやらここが旧市街の入口らしい。しかし、ぽつぽつと雨が降ってきました。今日のバルセロナはみごとな晴天だったのに、フランス側では雨なのか。折りたたみ傘は部屋に置いてきてしまいました。しかも、もう少し進めばにぎやかなところに出るかなと思っていたら、本降りに近い降り方に。あわてて路肩のひさしの下に入ったら、そこは小ぎれいなレストランでした。カタルーニャ料理(Assiette Catalane)というのが店名になっているようなので、営業していればここで食事してもいいかな。でも、「フランス」人はとにかくディナータイムが遅く、20時半とか、どうかすると21時を回ってからレストランに入ることが多いのです。19時なんて宵の口にもならず、営業しているのかな?
ドアを押したら、奥のほうのテーブルでスタッフ数名が食事の最中。男性店員がやってきて、「おひとりですか? いま食事中ですが、しばらく待ってもらえれば大丈夫ですよ」といってくれました。いつもならこんな無粋なことはしないけど、何しろ「今日が早く終わらんかな」という心理状態なのと、外は雨なのとで、屋根の下で座らせてくれるならそれでありがたい。「先にお飲み物をお持ちしましょうか」くらいのことをいってくれたらもっとよかったけどね。20分くらい待って、注文を取りにきた若い女性に、玄関先に日替わり定食(plat du jour)が出ていてお手ごろだったので訊ねたら、「それはお昼だけです。夜はありません」と。なーんだ。で、あらためてグランドメニューを見たら、カタルーニャ料理という看板ながら、フランスじゅうの安食堂で見かけるような料理の名前ばかりが並んでいます。海の近くだから海産物かなあとも思ったものの、ドラド(daurade タイの一種)とかガンバ(gambas エビの一種)というのはあんまり好きじゃないんだよなあ。もうこの日のチャレンジはやめて、いちばん無難なステーキにしておこう。フランスのレストラン、ブラッスリー、カフェのどこにでも必ずあるメニューというのが牛ステーキで、日本で感じるような「ハレの日」的なものはまったくありません。パリではないので依然としてアウェイな気分は抜けないものの、何といってもここはフランス。「リブロースをミディアムで」(entrecôte, à point)と淀みなく発注できるのはフランス屋さんならでは?です。肉はレア(saignant)がいちばん美味いけど安食堂のスジばった肉はミディアムが無難。「ワインは召し上がりますか」と決まり文句で訊ねられたから、「ノン、ビールをください」と。かなり警戒というかびびっているわけですよ! すぐに、25センチリットル(うわあ、この単位がフランスっぽい!)入りのハイネケンのボトルが運ばれました。しばらくあって、250gくらいありそうな厚いステーキと、別皿にてんこ盛りのフライドポテト。法律により、フランスでは料理にはパンを無料でつけなければならないことになっているので、パンもやってきます。いくら何でもこんなに食えるか! 味はやはりいま一つながら、雨のところを救われたので、文句を申すつもりはありません。ステーキが€14、ハイネケンは€3と、パリよりは少し安いですね。私が食べ終わるころ、何組かのお客が入ってきて、店内がにぎやかになりました。
メリーゴーラウンドの向かい側、ド・ゴール通りの入口付近に、チェーンストアのカジノ(Casino)があるのを来るときに見ていたので、寝酒を購入していこう。ホテルは2つ星でミニバーなんかないからね。ところが閉店時間の20時にはあと10分くらいあるのに、もう真っ暗になっています。雨はやんでいましたが、また早足で駅前に戻るしかないか。すると、ホテルの1軒隣にあった何でも屋さんがまだ開いていました。ワインは、今日はもういいや。50cl入りの缶ビール(好物のKronenbourg)と75clの水を合わせて€2で購入して、部屋に戻りました。シャワーのお湯の出がよくないとか、スペースが狭いため防水カーテンが背中に張りついて冷たいとか、まあ苦情めいたこともあるにはあるのだけど、よろず後ろ向きになるような日ではあります。カタルーニャを持ち上げすぎてカスティーリャをディスったので、呪いでも向けられたかな(苦笑)。この夜のうちに英国史の本を読了して、就寝。
PART 6へつづく
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