Visiter Cardiff, la capitale du pays de Galles

PART2

 

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ウェールズ自治の象徴 ベイ再開発地区

ホテルの部屋で酒を飲むうち急に眠たくなったので早めに寝床に就くと、その反動?で未明の4時半ころに目が覚めてしまいます。まさかいまごろ時差ぼけを発症したわけでもなかろうけれど、なかなか寝つけないのでこれ以上の睡眠はあきらめて、読書とか何とか。1228日(日)は7時半ころ1階に下りて、昼間はレストランとして一般開放されているガラス張りの部屋で朝食をとります。1階というのは間違いではなくて、建物が坂道に面しているため0階(グランド・フロア)は別の用途に向けられているらしく、レセプションやこの食堂のあるところは1階(日本式に数えれば2階)ということらしい。英国の朝食といえば、トースト、シリアル、ベーコンやソーセージの類、卵料理(ボイルドエッグ、フライドエッグまたはスクランブルド・エッグ)、ビーンズ(白いんげんを煮たやつ)、そしてなぜか焼いたトマトの輪切りといったセットで、もとよりビュッフェ式なので好きなものをアレンジすればよい。前日まで2泊したロンドンのホテルは安い料金だったこともあって基本的にコンチネンタル(おかずがほとんどなくてパンと飲み物、デザートなど)でしたが、ここはウェールズだけどイングリッシュ・スタンダード・ブレークファストのようです。ま、味はそこそこ。「英国に美味いもの無し、どうにか美味いといえるのはイングリッシュ・ブレークファストだ」などという言説もあり、昼でも夜でも英国式朝食を出すレストランまで見かけるのですが、個人的には朝以外に食べる気はしません。それと、24年前に初めて英国に来たとき(それが私の海外デビューでした)からずっと感じているのですが、ローストの加減なのか淹れ方なのか、どこに行ってもコーヒーの味が自分の口に合わないのです。ドイツ語圏ではそんなことなかったのだけど・・・。今朝はカフェオレ(ここのはマシーン抽出)にして豆の味をぼやかしています。

 スリーパーズ・ホテルの朝食


カーディフ界隈にはとくに思い入れがあるわけでもなく、ぜひ見たいというものもないので、今日はいつもみたいに町をぶらぶら歩きながらそのときの気分で次を考えることにしましょう。何年も前の若者ことばで「場面でよくね?」というのがあったけど、それな!

ホテルのレセプションに無料のシティ・マップが積んであったので前夜いただいていました。あらためて検討すると、市街地はさほど広くなくて、前夜うろうろした距離の倍くらいの範囲にだいたい収まっています。ということは徒歩で済むということね。ただ、ここから2kmくらい南に離れたところにカーディフ・ベイCardiff Bay / Bae Caerdydd)という地区があり、もう1つの中心のようだから、まずはそちらを先に見ておくことにします。日本のガイドブックにもほとんど記述がありませんが、baycarというバスが頻発していて便利とあるのでそれを使おうか。タブレットでカーディフ・バスのサイト(最初に英語とウェールズ語の選択があります)を見てみると、路線ごとにどの道路を通るか、どこに停留所があるかを図示してあり、なかなかよくできています。ベイカーは市内バス6系統の愛称らしく、市街地とベイ地区とを結ぶ主力路線のようですが、市内バスの一大拠点である中央駅前のターミナルには入らず、少し離れたところでガードをくぐってベイのほうへ直行してしまう模様。ITだのみの海外旅行は嫌なので携帯端末は持参しませんし、タブレットも部屋に置いていきます。前夜歩いた感触にもとづいてだいたいの位置関係を頭に入れ、町に出ました。


ホテル(手前の建物)前から見たカーディフ中央駅(奥) ベイカーはホテルの左を進む

 
公共物の表記がことごとく二言語併記 (左)カーディフ図書館 (右)「右を見て」という横断歩道の注意喚起


前夜、日没後に歩いたところを確認しておきたくて、食事したミル・レーンからザ・ヘイズのあたりをしばらく歩き、それから戻って、バスが通るとおぼしき付近を探してみたもののそれらしい停留所がありません。見つけたと思ったらそこには6系統の表示がない。バスは鉄道のガードをアンダークロスして南側に出るはずなのですが、そちらへ歩いてみても停留所がないのです。駅前ターミナルに寄らないにしても、駅から最も近いバス停というのは必ずあるはずで、おかしいなと思案。15分くらいうろうろしてから原点回帰しようとホテル前まで戻って、はたと気づきました。ホテル真横の狭い道路も線路をアンダークロスしており、そちらを歩けばすぐに駅南口の停留所がありました。東大モトクラシー(灯台下暗し)で、およそバス通りに見えなかったため端からスルーしてしまっていたようです。停留所に掲出された運賃表を確認。ネットで見たのと当然同じで、シングル(片道)₤1.80、デイ・トゥ・ゴー(一日乗車券)₤3.60。運転士から購入できるとあります。「○系統はあと○分で到着」という表示が電光掲示板に出ています。立派立派。前述のように市内中心部は徒歩で回れそうなので、チケットはベイ地区への往復で終わるでしょうけど、2 waysぶんでその日いっぱい乗れるというのはいいですね。3分ほどで海の色を表現したらしいbaycarがやってきました。Day to goをと運転士さんに告げ、用意していた₤3.60ぶんの小銭を料金箱に入れると、コンビニのレシートと同じタイプのチケットが出てきました。これを自分で切り取ります。ベルファストで体験したのと同じ方式です。ロンドンも同じですがいつも一日乗車券で乗ってしまいます。

 


バスは2両連接。お客は全部で5人くらいしか乗っていません。スカーフで頭を覆ったムスリムのおばさん2人が途中で降りると、私ひとりになりました。バスは、単線の鉄道線路を抱き込んだ広めの道路をまっすぐ南に進みます。この線路は港湾につながる貨物線のようだけど、実は旅客用で、中央駅でなく市街地に近いカーディフ・クィーン・ストリート(Queen Street)駅から出て、カーディフ・ベイ駅まで伸びている行き止まりの支線。鉄愛好者としてはそちらも乗ってみたいけど、中央駅発でなければ不便だし、おそらく本数があまりないだろうから回避しました。車窓に目を凝らしているうち、ベイ地区らしき景観になったため、適当なところでボタンを押して下車しました。おっと巨大な人工物。ウェールズ・ミレニアム・センター(Wales Millennium Centre / Canolfan Mileniwm Cymru)のようです。2009年にオープンしたばかりの商業劇場で、いまは「ライオン・キング」が上演中らしくでかでかと広告されていました。

 
(左)ウェールズ・ミレニアム・センター (右)カーディフ・ベイ地区の外観 案内所( i 印)のあたりから撮影したのが左の写真


いきなり作り物っぽくてアレなのですが、要するにカーディフ・ベイというこの一帯がいわゆる再開発地区なのです。かつてウェールズ南部は不純物の少ない良質の石炭を産することで知られ(日本海軍も一時期これを燃料に使用していた)、カーディフ港はその積出港として非常に繁栄しました。最も海に近い赤褐色の建物はピアヘッド・ビルPierhead Building)で、石炭・鉄道・港湾などの広範な権利を保有した当地の大富豪ビュート侯(Marquess of Bute)が経営していたカーディフ鉄道(Cardiff Railway)社の本社があったところ。さきほど見た鉄道線は、やはりかつては内陸部と積出港とを結ぶ輸炭線だったのですね。北海道の室蘭本線(起点は室蘭)、九州の筑豊本線(起点は若松)がいずれも本線筋から離れたところに起点を有するのと同じ構造です。再開発の作り物ばかりのベイ地区にあって、ピアヘッドだけは1897年建造で逆に違和感があります。いま英語版のウィキペディアを見たら「ベイビー・ビッグ・ベン」とあだ名されている由で、たしかにスケールはまったく違うもののフォルムは(時計塔のビッグ・ベンというよりウェストミンスター宮殿全体に)非常に似ており、何らかの意識があったのかどうか。

 
突堤に囲まれたカーディフ・ベイ  赤褐色の建物はピアヘッド・ビル


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世紀はパックス・ブリタニカ(Pax Britanica)すなわち「英国の世紀」でした。産業革命+市民革命を動力に7つの海を支配し、「近代」のあれこれを地球全体にばらまいた張本人です。世界に先駆けて産業革命を生んだ条件というのが歴史の本には必ず説明されていて、その1つに石炭・鉄鉱石・水・労働力を同時に得やすい環境があったとされます。ただ、ペティやクラークの解説を待つまでもなく、産業構造というのはそのうち変移しますので、時間の経過に伴ってそれらは過去の栄光を示すものでしかなくなってしまいました。2度の世界大戦で英国はすっかり疲弊し、工業も時代遅れとなって、長い低迷の時期に入りました。石炭に依存していたカーディフ港がとことん寂れてしまったことは想像に難くありません。エネルギー産業に特化するというのも一種のモノカルチュアなので、前述したような日本の石炭積出港が隣接する鉄鋼業もろとも衰退してしまったように、いったん傾いたら町が丸ごとダメになってしまうリスクを抱えています。企業城下町も問題だけど、取り換えの利かないエネルギー・モノカルチュアのほうが深刻かもしれません。原子力発電が仮に安全で有効なものだったとしても、未来永劫それがつづくとは思えないので(そもそも福島の事態を見せつけられて新たな原子炉を造らせる町があるとは思えず、日本では何十年後かには消滅の運命にあります)、産業の多角化をどう図っていくかを考えなければいけない時期にあると思います。

「過去のもの」になっていたカーディフ・ベイをよみがえらせたのは、1990年代にはじまった再開発計画でした。先ほど見た大型劇場をはじめ種々の施設を建て、商業インフラを建設してあちこちから出店を促して、観光化を図ったのです。これを主導したのはウェールズ議会National Assembly for Wales / Cynulliad Cenedlaethol Cymru)でした。イングランド以外の3 Countriesの自治に対して長く抑制的だった連合王国政界にあって、1997年に政権を獲得したトニー・ブレア労働党政権は、スコットランドとウェールズの自治強化を公約に掲げ、それを中央において立法化したのです。こうして住民投票を経て1998年にウェールズ議会が発足しました。後述しますが、ウェールズは他のcountryと比べると相当に早くからイングランドとの政治的一体化が進んでいたため、独自の議会をもって、限定的とはいえ立法権を保持することになるという経験は歴史上はじめてのことでした。首都の顔というべきカーディフ港の賑わいを復活させようというのは、象徴的な意味で非常に大事なことだったに違いありません。なお、ウェールズ政府法(The Government of Wales Act)に定められた自治のあり方は、1998年の時点では同議会の中に行政府があるという非分権的なものでしたが、2006年の法改正で立法権・行政権が明確に分離され、実質的な議院内閣制が成立しています((財)自治体国際化協会ロンドン事務所編「ウェールズへの地方分権」2013年 を参照)。

 
 
マーメイド・キー周辺


港湾地区の再開発といえば、規模こそいろいろですがパターンはだいたい決まっており、ペデストリアン・デッキをしつらえ、カッコいいテナントビルを建てて若者向けの飲食店を多数誘致、あとはお土産屋さん関係と水上バスのたぐい。いやまた見事にそのパターンにはまっていますな。真冬の朝11時前なのでさほどの多さではないけれど、思ったよりも人出があります。この手の地区、日本だったら間違いなく「おさかなセンター」みたいな店が出て、新鮮な魚介を隣の食堂で海鮮丼にしますよ的な呼び込みをするところ。私自身、作り物は嫌いではないのですが、おさかなセンターはともかくピザ・レストランとかスターバックスを見せられても髪の毛一本反応しません・・・。飲食店の集まるブロックにはマーメイド・キー(Mermaid Quay)なる名称がつけられていました。「人魚埠頭」ということか。マーメイドが出現しそうな海ではないけれど、ウェールズの宗主国イングランドはもともと、アンデルセンの母国デンマークにいたデーン人たちが進出して基礎をつくった国なので、関係ないとはいえないかもしれない(そんなわけがない!)。

 
カーディフ市街地に直行するアクアバス


水上バスのほうは、アクアバス(Aquabus)と称する、各地でよく見るタイプの舟が停泊していて、カーディフの中心市街地(City Centre)まで₤4、西隣のペンアルス(Penarth)まで₤3とのこと。カーディフ中央駅の西側をタフ川(River Taff)が流れているので、おそらくそれを遡上していくのでしょう。なぜか手書きで書かれた案内をのぞき込んだら、おばさま係員が出てきてCan I help you?といわれたので、ノー・サンキュー、ネクスト・タイムと告げてさよなら。バスのチケットを買っていなければこれに乗ったかもしれません。見ると、同じようなルートで舟を運航している会社が他に2つばかりあり、小さな桟橋が並んでいました。競争するほど需要あんのかね。どうでもいい話ながら、横浜中華街に観光気分で行こうとするなら、横浜駅の裏手から山下公園まで行く水上バス(シーバス)に乗るといいですよ。700円もするけど、みなとみらいを横目に湾内を航行するのはなかなか楽しい。水上バスというのは、たいていは非日常的な感覚の乗り物ですよね。

 
ウェールズ議会議事堂


ピアヘッド・ビルの前を通り越すと、妙にひさしの巨大なウェールズ議会議事堂が現れます。ウェールズ自治化のシンボル。連合王国政府のほうは2010年に労働党から保守党に政権が移りましたが、ウェールズは自治開始いらい労働党が政権を維持しています。ただ、連合王国からの分離独立を主張する党派も勢力を伸ばしつつあるので、今後の情勢が注目されます。スコットランドのほうは、20149月に独立を問う住民投票が実施され、45%55%というきわどいところで「否」(連合王国への残留)が決まりました。大方の日本人の感覚だと、その影響力で世界トップ5に間違いなく入る大国をわざわざ出て小国に転落するというのがわかりにくいですが、鶏口となるとも牛後となるなかれというべきか、ナショナル・プライドというのはかくも強靭なというべきか、独立への意思というのは存外に強いようです。英国の場合、連合王国それ自身が欧州連合(EU)を離脱する可能性をにわかに高めているため、グローバル化の時代にあって先行きが非常に見えにくくなっています。ともあれ、機微も含めてそのへんを伝えるのも私の仕事だと思っているので、お楽しみに。

連合王国とスコットランドの議会は中世以来のParliamentを称しています(語源はフランス語のParlementで「話すこと」)。ウェールズ議会のほうは、ベルファストの北アイルランド議会ともどもAssemblyを名乗ります。これはフランス下院(国民議会 Assemblée nationale)と同じ語彙。何となく興味深いのは前置詞がofでなくforであることですね。ちなみにドイツ(Landstag)や日本の国会は英語でDiet8月に議事堂を眺めたベルンのスイス連邦議会はSwiss Federal AssemblyAssemblée fédérale / Bundesversammlung)。

 ベイカーで再び市街地へ


何となくもう見どころがなさそうなので、シティ・センターに引き返すことにしよう。お手洗いを借りるため先ほどのミレニアム・センターに立ち寄ったら、その一隅にスーベニア・ショップがありました。ウェールズ語で書かれた地図パズルなどおもしろそうなものがあるけれど、きっともてあますので(笑)やめておきます。ただ、地元関連書のコーナーにJ.G.Jones, The History of Wales, University of Wales Press, 1990 (3rd edition 2014) という本がありました。ぱらぱらめくってみると200ページを超える立派な通史の本で、スコットランドはともかくウェールズの歴史というのはいつでもイングランドのついでに語られてなかなか「通史」にならないなと思っていたこともあり、₤9.99で即購入。ここまでの記述も一部これを参照しました。この本によると、2001年の国勢調査で、ウェールズ全住民の20.5%にあたる575,000人ほどがウェールズ語を話すことができ、7.9%がウェールズ語を自分の母語だと主張しているそうです。駅に着いた瞬間からすぐわかったように、町のあらゆる表示がウェールズ語/英語の順で二言語併記になっていて、これは「ここはイングランドではない、ウェールズだ」という、自治開始以降の方針に沿ったものです。細かな違いはあるものの、スコットランドのゲール語(Gaelic)、アイルランドのアイルランド語(Gaeilge)と同系列のケルト語系。ウェールズで最もウェールズ語が話されているのは北西部のカナーヴォン(Caernarfon)で、86%に達するそうです。カナーヴォンには見どころも多いらしく、こちらにはリヴァプールから向かうのがよさそうなので、産業革命揺籃の地の見学を含めていずれ行ってみたいなと思います。カナーヴォンの先のホリーヘッド(Holyhead)からはダブリンへのフェリーも出ているので、あのすばらしい町の再訪も込みで、どうだろう。同僚で産業革命の技術史を研究されている小林学先生が当然このあたりに詳しく、「鉄道橋の構造が・・・」と図解つきで教えてくださったので興味が募っています(間違ってもビートルズとかフットボールでないのがミソ)。


中心市街地の個性と無個性

ミレニアム・センター前の停留所で中心市街地方面のベイカーをつかまえます。屋根つきの停留所で待っているときから小中学生くらいの子ども3人とその両親が傍若無人に大騒ぎし、バスに乗り込んでも同じ。思いついた順に音声にして発するのは子どもに特有のことで別にいいのですが、父母まで一緒になって公共の場で大声を出すとは何ごとかね。あきれたことに、そのうち全員で歌いはじめました。それも揃ってオンチ(笑)。こいつら市民性教育が足りんな。

バスは中央駅そばのガードをくぐり、宿泊しているホテルの真横をすり抜けて、そのまま市街地の東辺をなぞるように北上します。どこで降りてもいいので車窓に目を凝らしていたら、鉄道のクィーン・ストリート駅に停車しました。こちらは市内への勝手口というべき駅で、どことなく私鉄っぽい感じ(そもそも英国の鉄道はみな私鉄ですが)。その先で賑やかそうな通りが見えたので、次のダンフリーズ・プレイス(Dumfries Place)で下車してみました。例の家族もここで降り、一瞬も黙ることなくどこかへと去りました。車窓から見えた通りは駅名にもなっている歩行者専用のクィーン・ストリート(Queen Street)でした。地図を見ながら歩いているわけではなく、前夜の散歩と事前に地図で確認した大まかな配置に沿って自分の位置取りを見ているだけなので、事前にさほどの情報があるわけではありません。結果的に、この通りがヨコ(東西)のショッピング・ストリートで、タテ筋のザ・ヘイズとともに歩行者にとっての目抜きの役割を果たしていることが後からわかりました。欧州では、歩車分離といいますか、歩行者専用道を町のど真ん中に配置するケースがしばしばみられます。

 

クィーン・ストリート


しかしまあ、注釈抜きで写真を見せ「これはどこの都市でしょう」とクイズを出しても、行ったことのある人以外はたぶん答えられないことでしょう。このストリートに出店しているのは、マクドナルド、スターバックス、バーガーキング、ケンタッキーフライドチキン、ピザハット、ZARAH&MHMVLUSH・・・と、多国籍というより無国籍な店舗ばかり。まあ世界のギンザでもこのごろはそんなふうになりかかっているので、もとより私が文句をいう筋合いではありません。パウンドランド(Poundland 商品がことごとく₤1の、日本でいうヒャッキン)とか、サムスンのケータイショップがあるのも今様といえそうですね。正午を回っていますのでかなりの人出になっていますが、若者がずいぶん多いなと前夜につづいて思ったついでに、あることに気づきました。日曜日なのに、お店が普通に営業している! 日本では当たり前、というより日曜こそショッピングの日だという考えが共有されています。でも欧州では、安息日は休業というのが一般的で、ショッピング天国パリでも、日曜になるとデパートを含めてほとんどクローズになってしまいます(飲食店は営業します。また、シャンゼリゼ通りのお店は例外的に開いています)。あとで聞くところでは、英国はこのところ日曜営業とか年中無休のところが多くなってきているとか。よく見ると個人経営のようなブティックやショップは閉まっているところもあるので、全体としてはグローバル化に伴って消費生活に変化が生じているということの一つの表れなのでしょう。一方で、122526日は交通機関も含めて全部クローズなどという信じがたいことをしているので、よく聞いてみないとわからんですね。

 
カーディフはアーケードの町 (左)デューク・ストリート・アーケード (右)キャッスル・アーケード


原宿というか池袋というかパリのリヴォリ通りとか、そんなようなカジュアルなショッピング・ストリートを抜けると、カーディフ城が目の前に現れます。ここを見学すれば12時間はかかるだろうから、その前にランチにしようかなと思うものの、さほどに空腹を覚えません。前日のように長距離を移動するときや町なかを離れる際にはちゃんと食べておかないとまずいですけれど、ほかならぬ消費都市の真ん中をぐるぐる回っているだけなので、食べ物はどこにでもあり、よほどお腹がすいたときに何か買えばいいのです。多少疲れたのでチェーン系のカフェ(COSTA)に入りましたが、エスプレッソ1杯(₤1.45)だけね。

いまいるのはお城の南側、ハイ・ストリート(High Street)を中心とする一隅です。ハイ・ストリートをそのまま南進するとセント・メアリー通りになり、宿のすぐそばにつづいています。表通りはともかく一歩入ると、何とも無個性的な先ほどのクィーン・ストリートとは違う独特の景観になります。この界隈ではほぼすべてのブロックにアーケードがあり、行き止まりではなく反対側か、途中で90度折れて別の通りに出られる構造になっています。アーケード内を散策する人、中のカフェでお茶する人などもありますが、なるほどこのあたりのショップは、飲食店以外は日曜休みのところが多いみたいですね。コードでも設けてあるのか、派手なディスプレイとか変な色づかいのお店がないのは感心。これまでに訪れたところでいうと、2年前に行ったドイツ東部のライプツィヒ
が縦横のアーケードの町でした。外国人観光客の目で見れば大阪あたりもそのように映る可能性はあります。


PART3 につづく

この作品(文と写真)の著作権は 古賀 毅 に帰属します。