議事堂前庭にはトラムも乗り入れてきます。ずっとドナウ左岸、ペスト側の河岸を走る路線が、議事堂のところだけ遠慮するかのように陸側に入って凸型の線形を描いているのです。メトロの駅もあるけれど、何といっても車窓の楽しみには替えられず、トラムを選択。すぐに河岸に出て、対岸にけさ走ったブダ側のトラム、そして先ほど眺望を堪能した漁夫の砦を見て、例のハイスピードで南に向かいます。大都会と路面電車と水のある景観、私にとっては最強の組み合わせだな〜。セーチェーニ鎖橋、エルージャベト橋と、すっかりおなじみになった橋梁をそれぞれアンダークロスして、自由橋の手前で地下に入り、フーヴァム広場(Fővam
tér)電停で下車。自由橋は橋桁が両岸とまったく同じ高さのため、アンダークロスするためにはいったん地下にもぐらなければならず、このような構造になっているようです。ついでのことに、どの方向にも出られるようその地下に電停が設けられ、M4の駅とも直結しています。あとで調べると、フーヴァムとはprincipalということらしく、「メイン広場」という意味か?
議事堂前からトラムに乗ってドナウ左岸を南下、フーヴァム広場電停へ
自由橋のたもとに中央市場(Vásárcsarnok)があるのは前日来たときに確認していました。あそこに寄って、めぼしい品があれば買っていこう。このところ欧州の各地でこの種の屋内市場を訪れており、ぴかぴかのショッピング・センターとは別の意味で好きな場所になりかけています。商店街の近くで育ったので、肉屋とか魚屋とか八百屋、それに雑貨屋といった小規模の個人商店の風情に親しみがあるせいでしょうね。ここブダペストの中央市場は予想を超えて大きく、吹き抜けの天井が高く、通路も広くてのびやかです。2階建て構造になっており、上階は雑貨や土産物、衣類などを扱う店、下階は各種食料品です。肉や野菜を買うことはもちろんありませんが、相場や品物の種類などを見るだけでもとてもおもしろい。上階には土産物屋がたくさんあり、そのため観光客の姿も多く見られました。私と同じような行動パターンの人がけっこういるようです。ハンガリーといえばルービックキューブ(Rubil’s Cube 私の表記方針にかかわらず字間スペース相当のナカテンを付さないのは、これが日本で商標登録されているものだからです)ということでもあるので、「本場のやつだよ」とお土産にしようかなと思わぬでもありませんが、いまさらの感じもしてやめました。私が小学生のころ日本でも大流行し、休み時間になると得意げに回すクラスメートもいたのだけど、そのころ(高学年)ぼちぼち算数・数学への苦手傾向が表れはじめた自分のコンプレックスをさらしたくなかったのか、私自身は手を出しませんでした(汗)。発明者ルービック・エルネー(Rubik Ernő)はハンガリーの建築家、デザイナー。
ブダペスト中央市場
規模が大きいだけでなく、地元住民の生活用と観光客のお土産用を兼ねている市場なのは、あまり見ない感じ。0階の真ん中付近はツーリスティックな色の濃いエリアで、お菓子やパプリカなどそれらしいものが並びます。お、フォアグラもハンガリーの名産品のひとつなんですね。小型の缶詰が積まれているのはパリと同じ。一般にはフランス名産として知られ、そのとおりなのだけど、肝臓(人工的につくった脂肪肝)の「持ち主」であるアヒルやガチョウの出身地としてはハンガリーが多く、フランスで買う(食べる)やつもハンガリーの血が入っている??確率が高いらしいです。とはいえフォアグラの缶詰を喜びそうな人も思い浮かばないし、私自身は大好きなのだけど(パンと一緒に食べると赤ワインに超絶合うよ!)ただいまの健康状態を考えるといちばんやばそうな食品なので、今回は温泉とともに回避するしかないな。お、酒店もあります。各種トカイ・ワインがずらりディスプレイされていて、ピンキリというほどではないが、それなりの幅があるようです。酒店の女性店員は、とくに講義を垂れるわけでもなく、これは安くて美味しい、こちらは高級・・・ と簡潔に説明してくれます。ワインのボトルを購入したところで東京に持ち帰るわけではなく、今夜の燃料になるだけだから、500mLと手ごろなサイズのものを1本手にしました。2,530
Fr。1000円くらいなので間違っても高級なやつではないが、まあお試しということで。
そろそろ暗くなってきた15時半ころ、メトロM4に乗って東駅そばのホテルに戻りました。歩きっぱなしだったので2時間くらい休憩して、17時半ころ再起動します。といってもどこかで夕食を食べるだけね。午前に徒歩とメトロで通り抜けたアンドラーシ通りの中ほど、ファーウェイの大広告が見えたオクトゴンの近くに飲食店の集まるエリアがあるようなので、ホテルのすぐ裏からトロリーバス78系統で出発。何度も見かけましたが乗車はお初です。日本では実質的に絶滅してしまったトロリーバス(無軌条電車)ですが、欧州ではあちこちで見かけ、利用しています。最近ではバルト三国のラトヴィアの首都リーガとエストニアの首都タリンでたてつづけに利用しました。フランス・ロレーヌのナンシーでは、1本だけの鉄製レールをはさみ込んで走るトラムが途中でレール区間を脱出し、架線からの集電はそのままで走る不思議な2 waysのトロリーバス(トラム?)に出会っています。ただ、それらと違うのは、ブダペスト(ペスト地区限定)のトロリーバスは1両編成で、集電用のポールがなければ日本のあちこちを走っているバスと何ら変わらないこと。車内のしくみも、トラムよりも明らかにバス寄りです。欧州にしてはめずらしく「次は○○です」という自動放送が流れますが、女性の声が妙になまめかしく、英語のstreetにあたるウッツァ(utca)の発音がため息交じりみたいに聞こえるのがおかしい。
ペスト地区の裏道を縫って走るトロリーバス
昨夜暗い中を歩いたユダヤ人街の、だいたい条里的になっている狭い道路をトロリーバスは結構なスピードで進みます。思いのほか加速がよい。10分ほどでオクトゴンの近くに着きました。作曲家の名を冠したリスト広場(Liszt F. tér)という、広場というよりは道路上の遊歩道になっているところに、レストランやパブなどの飲食店が建ち並んでいます。多分にツーリスティックではあるようですが、昼を抜いていてお腹もすいていることだし、ハンガリーっぽいものであればたいてい受け付ける感じです。とはいえ客引きがあれこれ話しかけてくるところはどの都市でも避けるのが通例。広場の両側にレストランがあるので、アンドラーシ通りまで一往復してだいたいの感じをつかみ、Café Vianという店に声をかけて入りました。室内とテラスを選ぶようにいわれ、テラスを選択。テラスといっても真冬ですからガラスで完全に仕切られた温室で、大きなストーブが4基も稼働していてとても暖かい。せっかくなのでストーブの真横に席を取らせてもらいました。もう暮れの12月28日ですが、室内の装飾、テーブルの小物などもクリスマス仕様を引っ張っています。
ここでも英語のメニューが手渡されました。前夜ビーフを食べたので何となくチキンまたはポークの気分です。Chicken dishesのコーナーを見ると、胸肉のグリルのラタトゥーユとポテト・パンケーキ添え、蜂蜜とチリソースでマリネしたもも肉のロースト、胸肉のモッツァレラ風味、ディジョン風チキンのシチューと、まあだいたい想像できるラインながらバリエーションがあります。隣国オーストリアの名物料理ヴィナー・シュニッツェル(仔牛肉のカツレツ)なども見えます。しかしハンガリーですからやっぱりパプリカでしょう! Hungarian chicken paprikash
with dumplingsというメニューが赤字表記になっており、黒板メニューとしても強調されているようだったので、これにしよう。この日もとりあえずビール。最近は欧州遠征でも昼間にアルコールを飲むことが少なくなって、ちょっぴり健全化しつつあります。この日1杯目のビールは美味しいねえ。普通のラガーで、ほとんど3口くらいで胃に流し込みました。
テラスはほぼ満席で、地元の人っぽい女性客がほとんど、みんなにぎやかに会話しています。運ばれたメイン・ディッシュは、パプリカの赤いソースをまとった骨つき肉で、バター・クリームがさらに添えられて立体化が図られています。ナイフを入れるとほろほろ崩れ、骨ばなれのよいこと。鶏肉にしっとりとしたソースがなじんで美味しい。発病いらい味の濃いものを避けつづけていたので、たまに口にすると、大げさでなく本当に生き返ったような気分になります。病気などするものではありません。ハンガリー名産のパプリカは、主に色と香りをつけるもので、香辛料のあれとは種類が違います。ソースに添えられたニンジン、キュウリの細切りとパセリがいいアクセントになっています。なつかしい感じの味。肉に添えられたdumplingsは、ここではニョッキとスイトンを合成したような歯ごたえで、それ自体はぱさぱさ系ですが、ソースを吸ってしっとりとなったところがけっこう美味。飲み物を赤ワインに替えると、いい感じのカベルネ・ソーヴィニョンでした。食後にエスプレッソを頼んだら、小さなビスケットが添えられるのはフランスと同じ流儀ですが、コーヒー・フレッシュまでついてきました。もちろん使いませんがフランスより日本に近い作法ですね(笑)。ゆっくり食事を終えて勘定すると、メインが2,950 Fr、生ビール480 Fr、グラスの赤ワイン1,090 Fr、エスプレッソ450 Frで〆て4,970 Frでした。2100円とかそんなもので安いなあ。レシートにはユーロでの価格も添えられていて€17.44とのこと。パリならばメイン・ディッシュだけでそれくらいはします。税金高いのに食事代が安いのは複式税率のおかげでしょうか。ごちそうさま。
がらがらのトロリーバスに乗ってホテルに戻り、就寝前恒例のパブ・タイム。就寝前といいつつ、前が長いんだよな〜。いつもならビール+ワインですが、きょうは何といってもトカイ・ワインがあります。話には聞いているけど実際に飲むのは初めて。トカイ(Tokaj)はハンガリー東部、ウクライナやスロヴァキアとの国境に近い地方です。そこでつくられるワインは、濃霧に包まれがちな気候を生かし、カビのちからで水分を外に出し糖分を濃縮したブドウを用いた、いわゆる貴腐ワインの一種。おお、香りが強く、ブランデーのようです。口あたりは非常にまろやか。飲み口は梅酒っぽく、後味は完全に紹興酒だ! ――とかいうとソムリエ的なセンスがないことがバレますが、本当にそうだったのです。普段飲んでいるワインとは完全に別ジャンルですね。このホテルの部屋はかなり広くて、腰を落ち着かせたい場所が3つくらいあり、コスパ面でもすばらしい。ワインがひときわ美味しいよ。
12月29日(金)は晴れの予想。それはいいのだけれど8時過ぎに表に出たら前日とは段違いに寒く、たぶん氷点下になっていると思います。ままなりませんね。前日と同様に東駅地下の切符売り場に出向いて1,650 Frの一日乗車券を購入。24時間有効なのを褒めたのですが、翌30日は早朝に空港へ向かうことになっていて使えず、結果的に29日いっぱいのチケットということになります。それでも存分に乗るつもりなので元を取れるどころではありません。ブダペストは、都市の規模、乗り物の種類、路線の密集度、そして車窓の景観といった点ですべて高評価の、交通マニアの聖地みたいな場所! で、ホテル裏に戻り、前夜暗くなってから利用したトロリーバス78系統に乗って出かけます。住宅街の普通の道路をトロリーバスが走るという絵がおもしろく、明るいうちに乗ってみたいと思ったのです。マニアやね。ポールで集電してモーターを回すため走行音はトラム寄りですが、車窓の感じは路線バスそのもので、目黒区や世田谷区あたりの住宅街をぐねぐね走る東急バスを思い出します。夕食をとったリスト広場の手前、トラムも走るエルージャベト通り(Erzsébet körút)で下車しました。エルージャベト通りは大環状線の一部をなす幹線道路です。すぐそばのオクトゴン電停に行くと、アジア系の大看板が向き合う例の交差点。ここからトラム6系統に乗り、北西方向に向かいます。環状道路ですから外回りと表現すべきなのでしょうが、こちらは右側通行ですので、日本とは逆に反時計回りが外回りです。環状運転をしている名古屋市営地下鉄名城線は内・外の表現を避けて時計回り・反時計回りと呼んでいて、慣れてくればそちらのほうが親切のような気がします。
トロリーバスで出動! 電停?バス停?はこのようなサイン
オクトゴン電停で出発を待つトラム
トラムは幅広の大環状線を滑らかに進みます。今回のは新型車両で車内設備も上々。ハンガリー国鉄の西駅(Nyugati pályaudvar)の前を通りました。何だか私鉄のターミナルのような雰囲気で、おもしろそうだから後で時間があれば寄ってみましょう。ほどなくマルギット橋を渡ってブダ地区に入り、南西に向きを変えて、終点のセール・カールマーン広場(Széll Kálmán tér)電停に着きました。この間の所要時間は15分ほど。
セール・カールマーン広場は、王宮の丘の北辺を走る道路と西辺をなぞる道路とが60度くらいの鋭角に交わる地点で、したがって広場自体が正三角形をしています。終点だというのでたまたま下車したこの広場は、その三角形のすべての辺にトラムとバスが走り、広いプラットフォームを取り囲むという構造。しかもそのプラットフォームにはメトロM2の駅もあるという、ブダ地区有数の交通の要衝でした。トラムと路線バスがホームを共用し、乗り継ぎの便を図っているのは欧州の各地で見るしくみで、これは日本でも事業者横断的にもっと取り組むべきことだと思います。バリアフリーとセットにしてね。通勤時間は過ぎたのか(まさか「大納会」なんてないよね?)、乗客や通行人の数はあまりないですが、トラムやバスはひっきりなしに入線してくるので、もうマニア垂涎! 子どものころだったら一日中ここにいたかもしれないな〜。しかし相当に寒く、風とお天気雪まで出はじめたので、マフラーを取り出して装着。基本的にエリマキは嫌いなので保険としてリュックの底に沈めているだけなのですが、ごくたまに出番があります。5年前の、やはり超寒い日に、パリのシャンゼリゼ通りにあるショップで買ったやつです。まだ数回しか使用していない(笑)。
交通の要衝らしいセール・カールマーン広場電停
というわけで暖かい電車内に早く。今度はトラム17系統に乗って、王宮の丘の裏側(西側)を通り抜け、きのうの朝にトラム修行を開始した地点まで進もうと思います。トラムはまもなく上り勾配にさしかかり、しばらく上りがつづきます。坂の途中に国鉄の南駅(Déli pályaudvar)があって、こちらはJRの郊外駅のようなテースト。かつては長距離ターミナルの機能も有していたそうですが、大半が東駅に移されました。欧州でおなじみの分散型・方面別ターミナルの考え方もこのところ変化しつつあるように私には見えます。9時半ころモーリツ・ジグモンド・クルテールに到着。19系統に乗り換えて、前日とまったく同じようにドナウ川の右岸(ブダ側)をまっすぐに進みます。そんなに電車が楽しいのかと聞かれれば、楽しいよと答えるほかありません。テーマパークのライドなんかよりもはるかにおもしろいではないですか。20分ほどでバッチャーニ広場(Batthyány tér)電停に到着しました。議事堂の真正面にあたります。現場を訪れた際には「裏」しか見ていなかったため、ゆっくりと正面のネオ・ゴシックを眺めました。ここで下車した目的はそれだけで、周囲を見回しても聖アンナ教会という小ぶりのチャーチが見えるくらい。このまま進んでもまた同じようにオーブダに入るだけだから、バッチャーニ広場に駅のあるメトロM2に乗ってペスト中心部に向かうことにしましょう。地図を見るとM2は、先ほどのセール・カールマーン広場から半円を描くようにしてこのバッチャーニ広場地下にやってきます。その間は1駅なのですが、おそらくドナウ川の地下を通過するため勾配緩和の距離稼ぎをしているのでしょう。実際にこの駅は相当深いところにありました。
(左)バッチャーニ広場付近から見た議事堂 (右)聖アンナ教会
またペスト側に戻ることでもあり、先ほどトラムで前を通り過ぎた西駅に行ってみよう。深いところにあるバッチャーニ広場からM2に乗って2駅、東京メトロでいえば大手町に相当する要衝デアーク広場駅でM3に乗り換えます。これまで見たように、M1は19世紀をあえて引きずった超クラシカルな設備と車両、M4はスタイリッシュな今風で、M2もM4と同じような感じでした。ところがM3のデアーク駅ホームに立つと、日本なら昭和40年代くらいのインフラの雰囲気。私が育ったのは都営浅草線の末端部、運転上は盲腸線のようになっている泉岳寺〜西馬込間の沿線で、その部分の開通が1968年と私の生まれる前年でした。ですから子どものころ見た「地下鉄」の設備や車両は開業当初のままのもので、浅草線はけっこう後年になるまでそのテーストを引きずっていました(何だったらいまでも雰囲気は残っています)。M3のトンネルやホームの感じはその記憶に重なります。ただ車両はいくら何でも古すぎ、鋼板の傷みが目立って痛々しい。これは間違いなく社会主義時代のものですね。東京都交通局は運営する鉄道線すべての規格と仕様が異なり、メンテナンスや運転技術形成の面でも不合理なのですが(線路幅は都営浅草線と都営大江戸線1435mm、都営三田線1067mm、都営新宿線と東京さくらトラム1372mm、日暮里・舎人ライナーは案内軌条式、上野懸垂線=動物園のモノレールは独自の懸垂式。地下鉄路線の中で都営大江戸線だけはリニアモーター駆動で走行)、ブダペストのメトロ4路線もなかなかバリエーションがあって、マニア的にはおもしろいですね。年末の朝っぱらにしてはわりに乗客もあるようです。
新型感のあるM2から、思わず「大丈夫?」となりそうなM3に乗り換え 駅ではタバコはもちろんアイスもハンバーガーも禁止です
このM3系統はだいたいドナウ左岸(ブダ側)に沿って郊外まで延びているのですが、駅の表示を見ると全面改修中とのことで西駅の1つ先、レヘル広場(Lehel tér)より先が運休中とのこと。もしかすると端から順に仕様などをリニューアルするのかな? 8月に訪れたブルガリアの首都ソフィアの地下鉄も、ホームのたたずまいや一部車両に社会主義時代のテーストが感じられましたが、ブダペストのM3はそれ以上でした。デアークから3駅で「西駅」駅に到着。
先ほど通りかかったときには私鉄のターミナルみたいだと思いましたが、そばに立つとなかなか重厚感もあって、そして古い。私鉄っぽいと思ったのは、国鉄ターミナルがしばしば立地するような場末っぽいところではなく商業地のようであることと、建物が小ぶりであるせいでしょう。ブダペストのメイン・ターミナル東駅のように、駅舎の前に広場と空間がなくいきなり幹線道路(大環状線)なのも私鉄っぽさの原因かもしれません。正面から見ると、レンガ造りの部分が左右に分かれ、そのあいだは総ガラス張りで内部の様子が透けて見えるという、なかなかおしゃれな造りをしています。1870年代にフランス人技師ギュスターヴ・エッフェル(「搭」の設計者)の設計により造られたとのこと。ただ、よくこのままで使いつづけているねと思うほど内部はぼろぼろで、それこそ場末の廃工場みたいな空間に、これも2世代くらい前の車両(機関車牽引の客車)がいるという状況でした。ブダペストの方面別ターミナルの役割分担はいまいちわかりにくく、西駅が西へ、東駅が東へ向かう列車の起点というわけでもないらしくて、あれこれねじれています。歴史的経緯を引きずったものでしょう。出発案内版を見ると、ほとんどが知らない地名ですが、経由地にAirportとある便がちょいちょい混じっています。あれ? ブダペストは空港へのアクセスが悪く、鉄道は直通していなかったはずだがと思ってあとで調べたら、空港の外側にあるフェリヘジ(Ferihegyi)駅を経由してブダペストの東郊に進む便らしく、そこでバスに乗り換えになるらしい。それにしても、位置的には空港により近いはずの東駅ではなくこちら西駅なのかはよくわかりません。一昨日までいたウィーンも、新たなメイン・ターミナルとなった中央駅(Hauptbahnhof)ではなく中心市街地のミッテ(Wien Mitte)駅にアクセス列車が着くので、そういう役割分担になっているのか、もしかすると東駅に入る便もあるのか。いずれにしても空港ターミナルに直行しないのであれば使い勝手は非常に悪いですね。こういっては何だけど、ハンガリーならば空港周辺の土地を買収してアクセス路線を敷くくらい難しくないだろうに、ヴィジターには不親切なことです。
ハンガリー国鉄ブダペスト西駅
古びた駅舎の内側と外側を観察してみると、思った以上に奥行きがあることがわかりました。正面のエントランスを入ってすぐにところにある線路は東駅と同様に4線だけだったので、ずいぶん小ぶりのターミナルだなと思ったら、それらの線路だけが長く飛び出しているのであって、10本以上の線路とホームが100mくらい進んだ先で行き止まりになっていました。設備と車両が古いのは先のほうも同じ。この構造は欧州ではしばしば見かけます。パリの東駅やオステルリッツ駅もそんな感じで、初めのころ乗るべき列車が見当たらなくて焦ったのを思い出します。
短いほうの線路が行き止まりになっているところが、大型ショッピング・センターであるウェストエンド・シティ・センター(Westend City Center)。やけに英米風の平板なネーミングではありますが、市内最大のショッピングCということなので、のぞいていこう。この種の複合型商業施設は、どこに行っても企画や内容に変化がなく、きわめて現代的な消費生活を反映したものになっています。とはいえ私の大好物でもある。これもあちこちでよく見るように吹き抜け構造になっており、建物自体は細長いものの0階部分にはゆとりがありました。これといってほしい品物があるわけでもなく、ゆっくり一周し、無料のお手洗いを借りて、公共スペースでひと休み。ここもクリスマス・ツリーを出しっぱなしにしています。年が明けてもクリスマス仕様でいいのか? (千葉工大の大ツリーも1月いっぱいは点灯しているから、まあいいか)
駅とは反対側の口から出ると、トロリーバスの停留所がありました。どこに向かうのかはわかりませんが、トロリーバスの運転区間そのものが西駅〜東駅間に集中していますので、だいたいの見当はつきます。やってきた76系統に乗ると、すぐに西駅の北側でずらりと並んだ国鉄の線路をオーバークロスし、反対側に着地。ハンガリー語の綴りがよくわからないため固有名詞はほとんど把握できませんが、この便の行先が東駅であることはわかります。そこまで行かれては振り出しに戻ってしまうので、アンドラーシ通り近くの停留所で下車しました。「あそこと、あそこのあいだのどこか」という感じで脳内ナビが機能しています。それと、ブダペストは穏やかで治安がよく、たいていの地区を歩いても大丈夫だという感覚があります。それにしても、交通の便がよいからというので各種交通機関をでたらめに乗り継いで、昨日から市内をぐるぐる回っていますね。この日2度目のオクトゴンを経て、アンドラーシ通りを中心部のほうに歩きました。前日はメトロで通り過ぎていて景観を見ていなかったのです。前夜の夕食をとったリスト広場の先は有名ブランドの路面店や上品そうなショップが並ぶエリアで、その中にハンガリー国立オペラ劇場(Magyar allami Operaház)が見えました。ここもナショナリズム時代の物件。
オペラ劇場
またまたクラシカル・メトロのM1に乗りたくなったので劇場のそばのオペラ(Opera)駅にもぐりました。地下鉄に乗って観劇に、というのが上等な娯楽だった時代もあったに違いありません。そこから2駅、M1の終点は、あのヴルシュマルティ広場です。いつの間にか正午になっており、クリスマス・マーケット群に囲まれた屋台にはランチ客が列をなしていました。この寒い中を外で食事するなんて私には信じられないのだけど、まあそういう文化、習慣なのでしょう。チョコレートのたぐいがほしいけれど、例のお土産ビルに入ればトカイ・ワインおじさんの演説が待っているだろうから回避。2日前の夕方に歩いて以来の目抜き通り、ヴァーツィ通りのあたりをしばらくうろうろしました。実は一日乗車券のほかは朝からまったく財布を出していません。コーヒー1杯すら飲まないというのは自分ながらめずらしい。とくに食指が動かないというのもありますが、フォリントの相場を考えるのが面倒になっているというのもあります。
(左)ヴァーツィ通り (右)ヴルシュマルティ広場のバームクーヘン屋さん 日本の手打ちそばみたいな絵ですね
エルージャベト橋から上流方向を望む ブダ王宮、マーチャーシュ教会の尖塔、セーチェーニ鎖橋
温度はまったく写っていないはずだが、泣きそうなほど寒い
ヴァーツィ通りを端まで歩きとおしたら、そこはエルージャベト橋のたもとでした。よし、少し高いところからドナウ川とブダ、ペストの町を撮ってやろうと歩道を進んだら、いきなりものすごい風が吹きつけてきました。恐ろしく冷たい風で、ダウン・コートにシャンゼリゼのマフラーでは防ぎきれないほどの強烈さです。川の真上って風の格好の通り道だものね。天然のコールド・スプレーに耐えつつ、おそらくは「ばえる」写真に挑んでいるカップルが去ったあとで、私も欄干に寄りつきました。シャッターを押すのもつらいほど手許が落ち着きません。ただ、空気中の要らぬ成分をいっさい吹き飛ばしてくれているためか、写真はめっちゃいいですね。あ〜、ブダペストにいるんだなという実感が湧いてきます。
PART5につづく
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