いよいよ吹き飛ばされる前にエルージャベト橋を降りて、ドナウ左岸に戻り、ヴルシュマルティ広場のすぐそばの電停からトラム2系統に乗り込みました。きのうは議事堂前から南に向かった線路を逆に北へと進み、マルギット橋のたもと、ヤーサイ・マリ広場(Jászai Mari tér)電停が終点でした。まさに橋の「たもと」といった感じの狭隘なスペースに、折り返しのトラム車両が停まっています。これだけ乗っていると愛着が湧きますね。数時間前にトラム6系統でこの橋を渡り、ブダのセール・カールマーン広場に向かいました。同じようなところばかりなぞっていて無計画なのはバレバレですが、もうブダペストは交通マニア的な楽しみに徹することにしました。とはいえ、遠征恒例のネクタイをまだ調達していないし、どこかでチョコ関係も買いたい。先ほどのショッピング・センターはすぐなのですが、さすがに芸がなく、東駅の裏手(ホテルの反対側)に最近できたという大型のセンターに行ってみることにしましょう。ブダ方面から来た6系統をつかまえ、西駅の前を通り過ぎ、オクトゴンへ。何度目だろうねまったく。少し変化をつけたいのでメトロで1駅ぶんくらい東に歩いてから、東駅行きのトロリーバス73系統に乗りました。
マルギット橋(手前がペスト側)
(左)東駅駅舎の側面 (右)アリーナ・プラザ
東駅まで来ると振り出しに戻った感じはしますが、そのまま駅裏に進み、アリーナ・プラザ(Arena Plaza)とこちらも英米風の名をもった大型ショッピング・センターに入ってみました。これはでかい。西駅そばのウェストエンドの倍くらいありそうな建物に、こちらもやっぱりありそうなショップが並んでいます。大型フード・コートはほぼ満席。シネマ・コンプレックスなんかもあって、地元の人たちの娯楽の殿堂みたいになっているのでしょう。幕張のイオンモールみたいなものです(ネタがローカル 汗)。ただ、カジュアルばかりでネクタイを売っていそうなショップが見えません。食品売り場にもお土産的なチョコはなさそうなので、少しだけ休憩して引き上げることにしました。デパートってないんでしょうかね。考えてみればデパートを利用するのは、元祖(パリのル・ボン・マルシェ)のあるフランス、英国、ドイツなどの西欧諸国が多く、最近攻略している中東欧ではほとんど見ていません。商業文化の違いでしょうか。たしかにグローバル化がはじまったころには百貨店という業態がすでにオワコン化を指摘されていましたものね。ネクタイ購入はあきらめて、あすのパリでということに。
アリーナ・プラザの内部
さて、気づけばもう15時近くになっており、あすは早朝の出立だから、最後に鎖橋を見ておきたい。東駅からM4に乗って「メイン広場」ことフーヴァム広場で下車、勝手のわかっている中央市場でチョコレート関係を購入しました。いろいろ見てきましたが、いちばんお土産関係がそろっているのはこの市場のようです。お店の人に英語が通じているのかどうか微妙なところではありますが、「これください」とか「いくらです」というくらいのやり取りならばまったく問題ありません。そういえば、買い物や飲食をほとんどせず乗り物を乗りまわしているばかりなので、現地の人とまともに話していませんね。最長はどうやらトカイ・ワインのご高説だったようで、それは悔しい(笑)。
地下にあるフーヴァム広場電停からトラム2系統。もはや地図もガイドもなく乗りこなせるエリアになっています。先ほど震えながら写真撮影に挑んだエルージャベト橋をアンダークロスすると、左前方に王宮の丘、そして鎖橋が見えてきました。前述のようにこの区間は専用軌道のためかなりの速度なのですが、車窓を楽しみたいので本当はもっとゆっくり走ってほしいものです。
最後まで味わいつくす!
初日とだいたい同じような時間に、ブダペストを象徴する場所にやってきました。1つのスポットを、右岸から左岸から前から後ろから、山の上から手前の橋から、そして橋桁の上からと、いろいろな角度で眺めつくすというのはめずらしい経験です。あらためて見てみると、ブダとペストの非対称、平らなペストに対して急斜面が河岸に迫るブダという構図がいいのでしょうね。どちらもフラットだったらどこにでもある普通の絵になってしまうところです。パリのセーヌ川に架かる橋、そして東京の隅田川に架かる橋もバリエーションがあって、どれもよく造られていますが、代表的な1本というのを聞かれると困りますよね。セーヌ川はいろいろあるといっても大半はアーチ構造だし、隅田川は首都高に左岸側の上空を覆われて狭苦しい(それが東京都心っぽいといえば、いえます)。ブダペストは「これぞ」の1本があって、それが吊り橋だというのが実に味わい深い。
もう少しで明ける2018年、オーストリア・ハンガリー二重帝国が解体されて100年になります。ウィーンからブダペストまで、私は列車で来ましたが、往時はドナウ川の舟運こそが大動脈でした。母なる河川を共有するオーストリアとハンガリーは、しかし言語の違い、そして第二次大戦中のいきさつによって完全に分断され、いま欧州統合の中で再び縁続きに戻りました。そのEU加盟国を片端から攻略している最中なのでそちらを優先していますが、完結させたあとは、未加盟のセルビア、そしてボスニア・ヘルツェゴヴィナもぜひ訪れたいと思います。2017年はドナウ川がぐんと身近になり、そうした地域――1990年代の、あの悲劇の舞台――への関心もかなり強まりました。
トラムとメトロも乗り納め
もう日が暮れてきました。トラム2系統〜メトロM4と、いま来たのとまったく同じ経路を逆にたどって東駅へ。ブダペストにはスーパーやコンビニがかなりあるようで、駅前にも便利な店がいくつかあります。重いものを担いで歩くのはかなわないので、宿のすぐそばで飲み物を購入できるのはありがたい。今夜はトカイではなく普通の赤ワインを飲むことにしましょう。
17時過ぎに外へ出て、夕食会場を探します。グルメサイトのたぐいは使いたくないのですが、グーグルマップで飲食店の立地を確認するのはよくやります。東駅近くのよさそうなレストランを見つけて行ってみたら、予約客で満席ですとのことでした。となるとやはり飲食店のありそうな方面にと、前夜のリスト広場を再訪しました。ところが、これと思うレストランはどこもかなり込んでいて入れそうにありません。きのうはこんなことなかったのだけど、年内最後のハナキンとか、そういう関係だろうか? コテコテの観光レストランは好きではなく、客引きに声をかけられても生返事。気が進まないときは外れだと思っているのです。広場を少し外れたところに、それらしい構えのレストランがあり、掲出されたメニューを見てもけっこうよさそうです。ちょうど店員の兄さんが出てきて、英語で話しかけてきました。グヤーシュもあるし、ハンガリー料理いろいろありますよと。混雑しているようだったので、席はありますかと訊ねたら、シュアということだったのですが、奥から「ノー」と答えが返ってきました。あらら。わいわいとにぎわう混雑レストランで順番を待って、ひとりで食事というのも気が進まず、ご縁がないものと思って辞去しました。周囲の店はどことも混雑していて、やはり金曜の夜はそういう傾向があるのかもしれません。これが2017年のラスト・ディナーであるならば意地でも探索をつづけたでしょうが、あす30日は乗り継ぎ地のパリ・シャルル・ド・ゴール空港にて7時間待ちで、パリ市内に行って美味しいものを食べようと考えていたため気が楽です。どこかでサンドイッチでも買って、ホテルの部屋で動画サイトを見ながらビールやワインを飲み倒そう。
暗いうちにホテルを出て、乗り合いタクシーで空港へ
12月30日(土)は、ブダペスト・リスト・フェレンツ国際空港(Budapest Liszt Ferenc nemzetközi repülőtér)を9時50分に飛び立つエールフランス機でパリに向かいます。シェンゲン圏内を移動する便は国内線扱いのため、チェックインは出発1時間前でいいですよとか、ルフトハンザにいたっては40分という数字を出してくることすらあるのに、今回は日本の空港並みに2時間前に来てくださいとあります。それにしても、大作曲家の名を冠したこの国際空港は、前述のように公共交通機関でのアクセスがよろしくありません。中心部から直行する専用バスという設定もないような感じで、デアーク広場付近で空港に向かうらしい大荷物の人たちを見かけ、確認してみたら、普通の路線バスが行くだけでした。うーん。「地球の歩き方」は空港から市内への案内が丁寧なので評価しているのですが(そのあとはガイド無視だから 笑)、トップが乗り合いタクシー、次がメーター制の普通のタクシー、それから路線バスとメトロの乗り継ぎ、路線バスと国鉄の乗り継ぎという順で、どれもまともとはいえません。東京で喩えると、電車で蒲田まで行って、そこから路線バスで羽田に行ってくださいというルートしかないようなものです。そこで2日前の夜に、「歩き方」に載っていた乗り合いタクシーのサイトにアクセスして、便名と名前などを入力し、即時カード決済して予約しました。すぐにメールで自動返信があり、メッセージ部分はハンガリー語なので読めませんが(グーグル翻訳でだいたいわかる)、必要な項目は英語も添えてあります。朝6時50分にホテルに迎えに来るとのこと。出発2時間前の、さらに余裕をみて早めの設定ですが、他の便に乗る客とのマッチングの関係もあるのでしょう。朝食はとれませんが、さほどには惜しくありません。4,400 Frと、思ったよりも高値でした。2月にスロヴェニアの首都リュブリャナで、ホテルから空港まで、やはり乗り合いタクシーを利用したときは定額制の€9でした。需給関係などもあるのでしょうね。
チェックアウトしてロビーで待っていたら、予定より少し早めの6時40分ころに車がやってきて、当方の名前を確認しました。あいさつ以上の余計な会話はなく、そこはビジネスライク。中心部を少し外れた住宅街みたいなところのホテルに寄って、中年男性1人を乗せました。乗客は2人だけの模様です。市の南東に位置するリスト・フェレンツは、約16kmと、首都の空港としては中心部から近いところにあります。だからかえって交通インフラを整えなかった可能性はあります。日本国内で最も都心から近いと思われる福岡空港も、なまじ近いために地下鉄が開通するまでは渋滞バスでしかアクセスできませんでした。乗り合いタクシーは明るくなりはじめたころ郊外に出て、ハイウェイなのか高規格の道路に上がり、所要30分ほどで空港ターミナルに横づけしました。
ブダペスト・リスト・フェレンツ国際空港の制限エリア
アクセスがちゃちだからアレなのかなと思っていたら、リスト・フェレンツ空港は予想以上に大規模でした。中欧を代表する都市の玄関なのだから当然ではあります。2時間前に来いといっておきながら、エールフランス1395便にはディレイの表示。チェックインもしばらく待たされました。多少のディレイは日常茶飯事なので別にかまわんけど、それならば早めにチェックインして荷物を預け、制限エリア(保安検査場を抜けたあとの区画)でゆっくりさせてほしいんですよね。ようやくカウンターが開き、すぐにチェックイン。さほどの流動がないのか、私が早く来すぎているのか。免税店や飲食店などが並ぶ制限エリアもかなり広くて感心しました。こんな立派な空港をもっているのだからアクセスを・・・。
まだ8時台。パリ着は定刻で12時10分、ディレイの関係で13時近くになるだろうから、市内について昼ごはんを食べられるのは14時くらいか。それならば軽く朝食をと思って、あれこれ見回してみたのですが、サンドイッチ関係は巨大なやつばかりだし、肉類は塩分がやばそうです。日本式の「モーニング」なんて欧州では望めないものなあ。やむなく次善の策で、イートインできる軽食スタンドで巻き寿司(Maki Box 2,500 Fr)を買い、朝っぱらから豪快に0.5Lのビール(990 Fr)。トンカツ巻きが入っているところが妙にエモいねえ。用心してガリは1枚だけにしよう。前日に少しだけ追加でキャッシングしていますが、最後にほぼ使い切って1,000 Fr紙幣が1枚だけ財布に残りました。1,000ユーロならば大歓迎だけど1,000フォリントは430円くらいなので、数字でイメージするものとは落差があります。最後までフォリントの相場がつかめませんでした(汗)。
エールフランスのA318で(パリにいったん寄って)東京・羽田へ帰ろう
地図少年だった1970年代は東西冷戦の真っ只中で、鉄のカーテンの向こう側はかなり遠くにかすんでいました。私が20歳のときにカーテンは突如崩壊し、かつての東側世界はあっという間に「欧州」に抱き取られていきます。EUの東方拡大と呼ばれた2004年に、ハンガリーのほか、チェコ、キプロス、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、マルタ、ポーランド、スロヴァキア、スロヴェニアの計10ヵ国が加盟して、EUは西欧の同盟から欧州全体を視野に入れた統合体に変容します(赤文字は旧社会主義国)。2007年にはブルガリアとルーマニアが加わり、2013年にはクロアチアも加入して、いま28ヵ国になりました。残りあと4ヵ国なのだけど、完訪を達成する前に1つ(英国)減ったら嫌だなという話はそれとして、かつての東側諸国が普通に欧州の一部としてカウントされていることに、いまさらながら感慨を覚えます。東方拡大がひとまず終わったころに、私はそれらの国々を歩きはじめました。ことし2017年だけで赤文字の国を5つ訪ねています。どこへ行っても、かつての東と西、社会体制の違いによって景観が二分されるということなんてなくて、地域ごとに特色があっておもしろいなという、まあ当たり前の感想を得ます。多様性の中の統合(united
in diversity)という欧州連合の理想は、やっぱりうらやましいな。その感覚を、いつまでも味わえますように。
行く年のブダ/ペスト おわり
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