整いすぎているナントの市街地は小雨まじり。地理的にブルターニュに属するのかはっきりしないナントながら、はっきりしないお天気はブルターニュだね。とくに行ってみたいスポットがあるわけでもなく、いつものようにぐるぐる回って町の雰囲気とか外観を体感しましょうというノープラン散策です。先ほどのロワイヤル通りの北側一帯は小高い丘になっていて、登りきったところにカルヴェール通り(Rue du Calvaire)付近は大都市の中心部というよりは、私鉄の大きな駅に面した生活感のある地区の感じ。地区を選ばずどこにでも現れるH&MやZARAもあるわけですが。お、モノプリもあるぞ。でも今宵の燃料(アルコール)を買い込むにはまだ早いですね。
いい感じの町並だけどいまいち活気がない(スクリブ通り)
坂を下って、今度は「下の町」にも行ってみよう。西欧の都市によくある歩行者専用道の商店街があり、飲食店などが並んでいます。ロワイヤル広場を通り抜けて進むと、さっき下車した電停の名の由来になっているコメルス広場(Place du Commerce)がありました。長方形の広場で、その一辺をトラムが走り抜けています。ちょっと一休みしていくかな。広場・電停と同名のカフェ・デュ・コメルス(Café du Commerce 解釈によっちゃ、がめついカフェだ)がありました。広場や電車の様子を眺めたいので、私にしてはめずらしくテラスに座り、カフェ発注。テラスで€1.70、パリだと€3に近くなるところでしょう。フランス人が好きなテラスでなく室内(案内ではsalleと表現)の席を私が好むのは、冬場に渡欧することが多かったためそれが習慣化されたのと、テラスは喫煙が許されているので煙を嫌ってのこと。しばらくぼ〜っとして広場を眺めていました。広場の一隅に市役所みたいな建物があり、しかし堂々としたエントランスにはfnacのおなじみの文字があります。フランスのどこにでもあるメディアショップのフナックで、せっかくだからのぞいてみよう。掘り出し物の書籍でもあればと思ったものの見当たりませんでした。ブレストのところで述べたように、見つけたところで自腹になりますので、まあよしとしなければ(研究者としてその姿勢はどうなのかという話はともかく)。
広場のカフェでカフェを一服
ブルターニュ公国が終焉したあとのナントは、フランス王国の大西洋への玄関として繁栄を迎えます。といってもそれは17世紀に拡大した奴隷貿易の拠点としてのものでした。フランスはカリブ海に面した西インド諸島に、アンティル諸島と、エスパニョーラ島西部(現在のハイチ共和国)という植民地を築き、それらの地域でのサトウキビ生産に当たらせるためアフリカ西岸から黒人奴隷を積み出して送り込みました。同時期の英国と同じパターンの三角貿易にほかなりません。18世紀に入ると、もっと南の港湾都市ボルドーがナントの地位を脅かすようになります。両者に共通するのは、波に直接洗われる海岸ではなく大河川を少し遡ったところに港湾を設けていたこと。ボルドーはガロンヌ川、ナントはロワール川です。で、これから当時の港のあったロワール川の中洲、ナント島(Île de Nantes)に行ってみることにしましょう。奴隷貿易が衰退したのち、フランス革命を経て、ナントは19世紀には工業都市としてフランスの産業革命を支えることになります。そのときの拠点もまたナント島でした。
コメルス電停からトラム1系統で西へ2駅。この1系統の行き先はフランソワ・ミッテラン(François Mitterrand)。歴史上の人物が地名になることが普通とはいえ、ミッテラン(共和国大統領 在任1981〜95年)なんて私にとっては同時代そのものだもんなあ。少し上の世代にとっては国際空港の名になっているシャルル・ド・ゴールだってそうでしょう。ミッテラン好きだったんだよねけっこう。1系統はロワール川の河岸に出てきて、川っぺりのシャンチエ・ナヴァル(Chantiers Navals)電停に着きました。ここで下車。シャンチエ・ナヴァルは「造船所」の意味で、もとより現役ではなく過去の栄光を伝える名であるわけです。
(左)シャンチエ・ナヴァル電停 (右)アンヌ・ド・ブルターニュ橋
工業・港湾都市ナントの栄光を伝える造船所跡
電停を降りたところにアンヌ・ド・ブルターニュ橋が架かっています。アンヌさんはナショナル・ヒロインなんだろうなあ(国民国家以前のブルターニュにnationaleを冠してよいのかな?)。渡ったところがナント島の最も下流側。ロワール川が二筋に分かれて流れ、再合流する手前です。地図を見るとこのナント島に国鉄の貨物線・貨物駅が入り込んでいるのが見えます。工業地区である証拠ですね。残念なことにカフェで休憩しているあいだに雨が強まってきて、さすがに傘を差さなければ歩けないほどになってきました。強めの風に吹き飛ばされないよう気をつけながらアンヌ橋を渡ります。無駄に?広々とした土地を見ると、造船所の跡を均したんだなということはよくわかるね。一等地であるはずの都市のど真ん中なのに荒涼としたこの感じ、1990年代の東京にもあったのを憶えています。いまは日本テレビや電通のある新橋駅の南側一帯はかつて国鉄の汐留貨物駅でしたが、国鉄民営化ののちバブル(地価高騰)抑制のため売らずにいたらバブルが崩壊して売るに売れないまま不良債権化し、長いこと「もったいない空間」でした。ゆりかもめの汐留駅も造られたまま使われずに閉鎖されていたんですよね。対岸のお台場地区もしばらくはそんな感じだったなあ。で、ナントの場合はこの地区を再活性化させようというので、レ・マシーン・ド・リル(Les Machines de l’Île)という施設というかテーマパークに生まれ変わりました。レ・マシーン(複数形)というのが示唆的ですね。フランス人はこういうときにアートなセンスを持ち込むのが得意?で、ここもそのようになっています。歴史的な栄光を示す造船所の雰囲気を演出しつつ、機械と人間の何やらを表現しています。正面に掲げてあったト書きを読むと、「これはフランソワ・ドラロジエール(François Delarozière)とピエール・オルフィス(Pierre Orefice)の発想から生まれた、まったく新しい芸術プロジェクトです。レ・マシーン・ド・リルは、レオナルド・ダ・ヴィンチの機械的世界観とジュール・ヴェルヌの「発明世界」(des mondes inventés)、そしてナントにおける工業の歴史の交差するところに位置づけられます」とのこと。ジュール・ヴェルヌといえばSFの元祖で、子どものころ「80日間世界一周」とか「海底二万里」なんかを読んだものだけど、ナントの出身だったのですね。
私の解釈が十分かどうか自信はないですけど、三角屋根の「工場」的な造形は19世紀的な意味での進歩と非人間化を表象しているのかな。まともなSFというのはだいたい文明批判を包摂しているわけで、ナントの繁栄を直接知るヴェルヌにしてからがすでにその限界を予見していたということも読み取るべきなのでしょうか。雨天の木曜日なのでさほどに人はいませんけれど、週末や夏休みなどはにぎわうのだと思われます。先ほど「ナントに向かうんですよ」といったら、ヴァンヌのホテルの主人がナントのトレンドなどを紹介するパンフを探し出して、「ナントはおもしろいですよ。これを読んでみてください」と渡してくれました。列車の中でぱらぱら読んでみると、このレ・マシーンのことが大々的に書かれていました。「歩く巨象」って何なのだ!?
レ・マシーン・ド・リルと「海のメリーゴーラウンド」、そして名物の「巨象」
その巨象(le Grand Éléphant)の乗り場はこちらですと矢印が示されています。行ってみると、おおなるほど、いまの自然界には存在しないような背丈の象さんがいて、その背中(屋上?)に大勢の人が乗っています。いままさに発進するところだったようで、見物客たちもカメラを向けています。象さんは、鳴き声のような汽笛を鳴らして、ずっしずっしと前進をはじめました。ハイテクには違いないのでしょうけれど、その動きがいかにもぜんまい仕掛けのような感じなのがおかしい(もとよりそのような演出だと思われます)。キワモノのたぐいではあるが、なかなかいい企画だと思いますよ。類似品はおそらくないですからね。私が知らなかっただけで、いまナントといえば巨象だというのはフランスでは共通認識のようです。へえ。このほか、機械と芸術の融合した作品を展示する(遊具にもなっている)ギャラリー、そして「海のメリーゴーラウンド」(Carrousel des Mondes marin)なる立体型(3層構造!)の遊具も人気らしい。キワモノとかバカっぽさをわかって楽しめれば大いに結構です。そういうエスプリがわからんままだと間抜けなオモテナシをしつづけることになるかもよ。
雨脚が強いままなのでナント島を切り上げ、アンヌ橋を渡って「本土」のほうに戻りました。トラムの走る大通りから一筋奥に入ったところのアルジェ通り(Rue d’Alger)などをぐねぐね歩いたりして町の様子を見物。やっぱり作り物より生活感のある地区のほうがいいなと当たり前の感想です。16時を回り、少し疲れてきたので、トラムに乗ってホテルに戻り休憩することにしました。
アルジェ通り
再起動は18時半ころ。ここ3年ほど年末にも欧州ツアーを入れ込んでいるのですが、クリスマスというか冬至の前後だと高緯度の地域では極端に日が短く、15時を過ぎると夜の感じになってしまいます。2月末になると春分も近づくため、われわれの常識的な?感覚に近づいてきてありがたい。夕食の店でも探そうかなと思ってアンヌ電停(デュッシュス・アンヌ- シャトー・デ・デュック・ド・ブルターニュ)からトラムに乗るころは空が薄明るい日没直後の感じでした。今日の日昼はトラム1号線に沿って東西に行ったり来たりしただけで、その内側にはあまり入り込んでいないため、飲食店などが並ぶ地区がどこなのかまだわかっていません。最初に歩いた地区もショッピング街ではあったけれど飲み食いという雰囲気ではありませんでした。ま、長いことこうして欧州の都市を歩いていますので、結構な確率でそういう地区を探し当てることができます。一日乗車券がなければまず徒歩で済ませるであろう距離、トラム1駅ぶん乗って、次のブーフェ(Bouffay)電停で降りました。さっき電車の窓から見たら、この前後に飲食店街がありそうな景色に見えたためです。
おー、やっぱりありました。プティット・エキュリ通り(Rue des Petites
Écuries)を中心とした4ブロックほどがほぼまるまる飲食店街になっています。今回歩いてきたところでは飛び抜けて規模の大きな都市なので、繁華街のスケールもやはり大きい。ただ、やたらにディナータイムが遅いフランスのことなので慌てて店を決める必要はないものの、何だかどこも帯に短く襷に長く、当方の今夜の気分に合いません。ナントこそブルターニュ公国の都だという誇り?からか、クレープリーは多数あります。でも一昨夜のカンペールで食べちゃったもんね。カキ、クレープと来て、あとはカキ以外のシーフードを食べたいのです。ところが店先に掲げられているメニューをのぞいても、なかなかピンと来るものがありません。フランスの大衆的なお店で食事しようとするときには、どうしても肉料理が中心で、それも牛肉の比重が大きくなります。シーフードはもう一段くらい高級なゾーンなんですよね。それはわかっているのですが・・・
夜のナント市街
大手デパートのギャルリー・ラファイエットをかすめてショッピング街に入り込んだりしながら、この界隈を2周くらいしてみたものの、どうもぱっとしません。でも妥協してステーキでも食べるかなという気分にはなりにくい。明日はパリに戻るのだしねえ。まともなレストランというか、それなりのステータスの店で食事しようとすれば、事前に調べて、できれば予約を入れておくべきでしょう。そういうお店は盛り場などではなく町外れの住宅街にぽつんとあったりするものね。それをしないのは経済的な理由ではなく、行き当たりばったりその場勝負のほうがおもしろいから。
結局「収穫」のないままその地区を後にしました。そういえばと思い出したのは、アンヌ電停のすぐそばに1軒だけレストランがあったなということ。駅寄りのホテル街にぽつんとあるので、まあここには入らないだろうなと思いつつ、一応メニューを覗き込んだのでした。振り返ってみるとあそこがいちばんまともだったような気がします。よし、行こう。ホテルのすぐそばだし。
店名はタヴェルヌ・デュ・シャトー(Taverne
du Château)。タヴェルヌ(タヴェルナ)というのは、元はギリシア系の飲食店で、だいたい「居酒屋」の意味合いですね。食べるなといわれても食べるよ。店内はレトロ調の内装で、わりにゆったりしています。大衆店でもハードカバーであることが多いフランスではめずらしいことに、ラミネートされた1枚もののメニューが届けられました。ねらいどおり、肉だけでなく魚料理もかなりあります。裏面もあり、そちらには日替わりの手書きメニューが。なになに? 本日の魚料理(les poissons du jour)として2種類、サーモンの厚切りバターナットソース(pavé de saumon, sauce butternuts)と、舌平目のムニエル(sole munière)があります。市場の魚(poisson
du Marché)とか競り落とした魚(poisson
de la curiée)というのがこの店のウリらしい。東京の料理屋だと「築地直送」てなところでしょう。もう1つ、季節の料理として仔牛の腎臓・胸腺(rognons, ris de veau)というのもあるね。サーモンと仔牛が€16.50、舌平目はなぜか値段の部分が消えていて読めませんが、10の位が1であることは判るので、マックスでも10ユーロ台と常識的(笑)。で、フランス料理を代表するメニューでもある舌平目のムニエルを発注しました。ワインは白の小ピシェ(25cL)。
ブドウ感ありありのワインを舐めながら料理を待ちます。フランスではデフォルトでついてくるパン、ここのはパン・ド・カンパーニュ(丸くて大きなタイプ)をスライスしたものでかなり美味く、ワインのアテにします。向かいの夫婦はシーフードの盛り合わせを食べ終わってデザートに入ったところ。はす向かいのテーブルには中年のおばさんがひとりでやってきて、肉のかたまりもたくさん入ったシュークルート(アルザスのザワークラフト)をものすごい勢いで食べ、ビールで流し込んでいます。豪気やな。ややあって私の料理が運ばれてきました。付け合わせはバターライス、シュークルート、大根、ニンジン、芽キャベツで、盛りつけが美しい。ムニエルはやや油っぽいけれど、カリカリしていて、縁側付近などまぢ美味い。もう30年くらい前になりますが、昨年突然亡くなった力士出身のタレント竜虎さんが「料理天国」という番組のレギュラー食べ役で、ナイフとフォークを用いてフランスの魚料理を召し上がる姿が実に美しかった。子どもの時分にテレビで見た竜虎さんの作法こそがマイ基準になりました。それと、魚食いジャポネの妙な意地にかけても、キレイに食べてやろうという気分になります。で、マンガみたいに見事に骨だけ残して完食しました。フランス語でソルという舌平目は、大衆的な店ではめったに出てこないけど、フランスの魚料理には欠かせない素材です。私の本籍地である福岡県筑後地方では「くつぞこ」(「くっつぉこ」みたいに聞こえる)って呼びます。ゲタと称する地方もあるね。勘定を頼むと、ムニエルは€19.90でした。マックス10ユーロ台をそのまんま行くかね(大笑)。ワイン€5.80、食後のカフェが€1.70で、総額€27.40。ちょこっとだけよそ行き価格になりましたけれど、やはりパリに比べれば相当に安いといえます。ごちそうさまでした。
朝のナント駅南口
2月27日(金)は8時半にチェックアウト、キャリーバッグをクロークに預けて出発します。パリに帰るTGVが14時05分発なので(座席が取れていることはちゃんと確認しました 笑)、午前中いっぱいナントの町を歩き、昼ごはんを食べて、荷物をピックアップしてそのまま駅へという流れになります。町の規模やだいたいの位置関係がわかりますので、地図がなくても大丈夫なくらいになっています。今日はいい天気です。「ブルターニュ」だとすれば当てにならないのかな? ナント駅に向かい、連絡通路を通って、ホテルなどのある北口(こちらが正面)の反対側、南口に出てきました。日本のような「改札」があるわけではないので、駅の施設をそのままスルーして反対側に来ることができます。ちょうど通勤時間帯なのか、多くの人が無言の早足で歩いていました。時間にもよるのでしょうが、長距離列車を待つ大荷物の人が目立つ北口に対して、こちらは何ともカジュアルで、郊外駅の感じもします。
とはいってもモダンな駅舎を一歩出ると、人通りも走る自動車もほとんどない「裏口」の風情。鉄道の線路と直角になる感じでエルドル川(L’Erdre)があり、500mくらい先でロワール川に流れ込んでいます。なるほど、ブルターニュ大公のお城はこのエルドル川とロワール川の合流地点に面して建てられていたわけですね。商業と軍事の両方で利ありということでしょう。いま歩いている国鉄とロワール川にはさまれたところは、最近建てられたらしい国際会議場(Cité des Congrès)以外は目立つ建物もなく、倉庫街と住宅街が隣り合っている地区のよう。朝日が射して、散歩に最適の陽気です。
(左)駅付近のエルドル川 向こうにお城が見える (右)自転車道も整備されたロワール河岸
オディベール橋を渡るトラム
エルドル川を越えてロワール右岸に取りつきました。ジョガーさんがときどき走り去るほか、専用レーンがきちんと整備されているので自転車も走っていますね。対岸のナント島とを結ぶアリスティード・ブリアン橋(Pont Aristide Briand)をアンダークロス。ブリアンといえばケロッグ・ブリアン協定(Pacte Kellogg-Briand 1929年)、正式にはTraité
général de renonciation à la guerre comme instrument de politique nationaleで日本語の公式訳は「戦争抛棄ニ関スル条約」。原文のほうには「国政の手段としての(戦争)」というのがついています。ことし2015年は第二次大戦終結から70年の節目ですけれど、戦後のいわゆる東京裁判で日本の指導者たちが裁かれた根拠は、多くこの「不戦条約」違反にありました。ブリアンというのがこの条約の成立に奔走したフランス外相の名だというのは知っていたのですが、彼はナントの出身だったんですね。歴史的人物に関して、日本人だと○○県の出身ということを意識しますけど、外国人は「フランス」くらいで終わってしまうことが多いです。ナントに来てみなければナント出身者のことを考えもしないというのが実際のところでしょう。遺憾ながら。
PART8 につづく
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