ホテルのムッシュは2ブロック先を右折するようにといっていましたが、1つ目の交差点で右を見ると、なかなか楽しげなショップ・ストリート。旧市街に面したモダンな通りというのはこれまで各地で見てきており、これもそうなのかなと。もらったマップを見れば小さな町のようなので、どこからどう歩いても問題はなさそうです。ここを右に曲がっちゃえ! ムネ通り(Rue de Mené)というその道は、緩くはない傾斜になっていて、両側にブティック(商店)が並んでいます。人通りはさほどなく静か。そのまま坂を登っていくと、フランスを代表するスーパー、モノプリ(Monoprix)の大きな建物がありました。ホテルから5分というところなので、あとで飲み物(ワインとか)関係を買っていくことになりそうです。モノプリの面する交差点、ジョゼフ・ル・ブリ広場(Place Joseph le Brix)周辺には銀行やチェーン系の飲食店などが集まっていて、路線バスの結節点でもあるらしく、よくある「地方都市の中心部」の感じ。坂を登りきったところに白亜の立派な市役所がありました。
ここヴァンヌ(Vannes)は人口5万人強。前1世紀ころ、この周辺にいたガリアのウェネティ族(Vénètes)がカエサルのローマ軍と勇敢に戦って敗れ、のちにその名が称えられて市名に転訛しました。古代・中世を通じて何度かの盛衰があったのち、14世紀のブルターニュ公ジャン4世(Jean IV, duc de Bretagne)が市域の拡大と都市の再建に努めて、大いに発展をみました(公式サイトヴァンヌ略史 による)。地方都市の例にたがわず、中世までの栄光と近現代の状況とを結びつける文脈がなかなか見つかりにくいですね。海運から鉄道へと輸送手段が推移したあと拠点としての価値が低下したのではないかと、ヴァンヌ市自身の記述から読み取ったのですがどうなのでしょう。
(左)ムネ通り (右)ヴァンヌ市役所
「歴史的中心」「歩行者ゾーン」「大聖堂」「美術館」に、手書きの「ケバブ」というのが妙におかしい
市役所の前をまっすぐ南下するティエール通り(Rue
Thiers)があり、バスを含めかなりの交通量があります。マップによれば、この南北の通りの東側一帯が旧市街ということらしい。歴史的中心(Centre historique)を示す矢印もあったので、そちらに歩いていくことにしました。ここはエミール・ビュルゴー通り(Rue Émile Burgault)という石畳の道。通常の道路名票の他に命名の由来を記した表示もあり、それによれば、ビュルゴー(1808〜91年)はヴァンヌ市長を務め、現在の市役所の建設に貢献した人物とのこと。ティエールのような全国区の大物とローカルな人物の名前が混在しているのがおもしろいですね。もうこのあたりは旧市街で、おそらく景観保全のための法的措置がとられているに違いありません。カンペールの旧市街よりもさらにクラシックな印象があります。
エミール・ビュルゴー通り JAPANIMは日本製アニメのことで、グッズやDVDなどを売る専門店 こんな地方都市にも浸透しているんだね
石畳の道を少し進むと、飲食店とか小物屋さんとか、クイニーアマンを売るお菓子屋さんなどが並んだ小さな広場(アンリ4世広場 Place Henri IV)に出ました。正午すぎなので、これからにぎやかになってきそうな雰囲気があります。ここに面して建つのがサン-ピエール・ド・ヴァンヌ大聖堂(Cathédrale Saint-Pierre de Vannes)。なにぶん窮屈な道の側にあるため全容を捉えにくいのですけれど、北側の尖塔を含むファサードは13世紀の建立とありました。ということはパリのノートルダムとほぼ同じくらいの生まれですか。フランスの王権がぱっとしなかった時期の話で、ここヴァンヌはブルターニュ公国の一部であり、どちらかといえばイングランドとの関係が深かったのでした。由緒書きを見れば、大聖堂の完成は19世紀のことであり、その間にいろいろな様式が入り込んでいて複雑な構成とのこと。これも各地でよく聞く話です。内部は立派なゴシック様式だけど、相場よりいくらか明るい印象があります。建立のはじまりは12世紀でしたが、ヴァンヌに司教座が置かれたのは4世紀のこと。古代ローマ帝国の末期で、当時の「周縁」部にキリスト教が広がり、浸透していったまさにその時期のことでした。これは私の想像なのですが、厳しい自然環境の中で生きる人々の素朴な信仰心と、布教に努めた伝道師たちの献身がそれぞれの地域のあり方に応じて結びついていったのではないですかね。サン・ピエールというのは初代教皇に擬されている聖ペトロのことですけれども、古代末期とか中世前期には教皇の立場はさほどでもなく、のちにみるような巨大権威を想定すると見方を誤ると思う。
本筋とは関係ない話ながら、大学生の話を聞いていると、カトリックとプロテスタントの簡単なところすら理解していない人が多く、それはまずいと思いますよ。世界史を選択しなかったとか苦手だったという弁解がくっついてくるのだけど、おとなの常識レベルだからね。昨今はお寺と神社の区別もつかない人すらいるので、ゆえなきことでもないが、罰当たり以前の問題!
ヴァンヌ旧市街の中心、大聖堂とその付近
大聖堂を出て、さらにそのまま進みます。モネ通り(Rue
de la Monnais)という緩い下り坂。その先で視界がぱっと開けて、縦長の広場に出ました。リュシアン・ラロシュ広場(Place Lucien Laroche)、つづいてリス広場(Place des Lices)といいます。広場というより幅広の道路という感じで、衣料品やアクセサリーなどの市がずらりと出ていました。そういえばホテルのムッシュがマップを示して「このあたりにはマーケットが出ていますよ」といっていたな。このような路上マーケットも欧州各都市でしばしば見るところです。最近では昨年8月にスイスのバーゼルやベルンでのにぎわいを体験しました。実際にどれくらいの取引がおこなわれるのか、ペイするのか、あの人たちの本業は何なのかなどいろいろ興味のあるところです。
旧市街の常で道幅がいったん狭くなったなと思ったら、その先に、さほど広くはない方形の広場、ポワ・ピュブリック広場(Place du Poid Public)があって、こちらは青果市でした。衣類や小物の相場はわからないながら野菜ならば感覚的に心得ており、それからするとかなり安い。市民の胃袋を支える大事なマーケットなのでしょう。ポワというのは重さとか重りの意味なので、パブリックがついているのは「公認重量」で公権力が目方を統一したとかいう話なのかな?(想像)
ヴァンヌの朝市
人の流れ、にぎやかそうな道に導かれるままに市街地を歩きます。その先に城門が見えてきました。サン-ヴァンサン門(Porte
Saint-Vincent)で、18世紀初めころのものらしい。つまりはここが城壁に囲まれた旧市街の南端ということになります。門を抜けたところは交通量の多い道路と、レストランやカフェが並ぶガンベッタ広場(Place Gambetta)、そして長細い長方形をしたレジャー港(Port de Plaisance)。海上交通がメインだった時代には、ヴァンヌ港に船をつけて、この南側から市内に入るというのがメインルートだったに違いありません。商港とか、モネが作品に描いたベル島(Belle-Ile 「美しい島」)への船が出る港はもう少し南のほうにあります。ブルターニュに来ておいてほとんど海を見ていないのはどうなのかと思われるでしょうが、地図を見てみると、2つの半島が抱き込むようにして大西洋から半ば隔離されたモルビアン湾(Golfe du Morbihan)の内側で、さらに小さな2つの半島で半ば隔離された部分がヴァンヌの港。実はいまいるあたりはマルル川(La Marle 別名ヴァンヌ川)の河口付近にあたります。大西洋から見れば奥の奥、宮城県松島湾の奥あたりのイメージかな。それでも、あとから思えばモルビアン湾あたりまで足を伸ばしてみればよかったように思います。ま、そのうちまた。
サン-ヴァンサン門
ガンベッタ広場とヴァンヌ・レジャー港周辺
レジャー港に面してツーリスト・インフォメーションがあることはマップで確認でき、実際に見えているのだけど、そこまで歩いていくのが面倒なので訪問はやめました。ホテルでもらったチープなマップで事足りるし、観光案内所をわざわざ市街地から遠い場所につくるのも解せません。ときどきそういう町に出会うんですよね。前述したようにル・アーヴルがそうでした。自動車本位にという感じでもないので、とくにそう思います。さて13時を回ったので、昼ごはんの場所を探しがてら、また旧市街探険をつづけましょう。ガンベッタ広場のレストランは何となく観光っぽさが強くて、メニューもぱっとしないため回避。とくに食べたいものがあるわけではなく、ぱっと見てこれだと思うものにすればいいな。
サン-ヴァンサン門をくぐってポワッソンヌリ広場(Place de la Poissonnerie)というところに行ってみました。ポワッソンヌリは「魚屋さん」で、本当に魚市場(Halles aux poissons)があります。先ほどのマーケットのような路上仮設ではなく、屋内常設の市場。その周囲にも「場外市場」みたいな魚屋さんがいくつも並んでいました。ただ市場の開業時間は8〜13時とあり、すっかり店を閉めて後かたづけの最中でした。13時05分くらいなんだけどな。そして、隣接するポワ・ピュブリック広場に行ってみたら、あれほどにぎわっていた青果市もすっかり撤収されて、業務用の軽トラが2、3台いるだけになっています。あれから30分も経っていないのにずいぶん早業やな〜。路上マーケットはいわゆる朝市なんですね。
朝市撤収後のリス広場
その北側、衣料品や小物を扱っていたリス広場もすっかりマーケットが撤去され、路面がむき出しになっていました。先ほどは気づかなかったのですが、広場に面して常設の屋内市場もあり、そちらは一部が営業していますが主たる活動時間はやはり過ぎた模様。おもしろいね。お土産屋さんがいくつかあって、ウィンドウの主力商品は例のシードルを飲むマグカップ。どれもデザインがフランスっぽくなくて、明らかに異質な文化を感じさせるものです。まあ、民族・民俗というよりそういう演出のほうが売れるということなのでしょうけど。
先ほど通ったモネ通りの一筋手前、アル通り(Rue des Halles)の坂道を登ります。アルは「市場」なので、横浜中華街の市場通りと同じ意味だわな。あちらは下世話な客引きが多くてなかなか好きになれない一角ですが、ヴァンヌの市場通りは飲食店が並んでいるものの静か。店構えとか掲出してあるメニューをちらちら見ていたら、黒板に書いてある日替わりの設定がよさげな店があったので、入ってみることにしました。店名はResto des Terroirsで「ふるさと食堂」てな感じかな?
中年の上品なマダムが中ほどの席に案内してくれました。間口は狭いのにけっこう奥行きがあります。黒板メニューをのぞきに立つかなと思っていたら、別の小さな黒板をもってきてテーブルに載せてくれます。こういうパターンもけっこう多いですね。見ると設定が細やか。フランスの作法では、前菜+主菜+デザートというのがムニュ(menu)、われわれがいうところの「コースメニュー」なのだけど、フォルミュル(formule)はその略式版で、前菜+主菜または主菜+デザート。この店は、主菜のみだと€10、主菜+カフェで€11、前菜+主菜または主菜+デザートのいわゆるフォルミュルが€14.50、そしてムニュになると€18.50とあります。私もともとデザートは要らんという立場ですのでフォルミュルはありがたく、かつ今は昼なので前菜も不要。主菜+カフェというのはまことによいですね。本日の料理(Plats du jour)は、豚肉のフィレミニョン、シュークルート添え(Fillet mignon de porc à la “Choucroute”)、リブロースのブルーソース(Entrecôte, sauce au bleu)、本日の魚料理、キャロットクリームソース(Poisson du jour à la
crème de carotte)、仔牛肉のポーピエット(Paupiette
de veau)の4点で、リブロースはプラス€2。いつもながら黒板メニューというのは「外国人」には判読しがたく、主なところが読み取れればいいやというふうに考えましょう。よし、フィレミニョンだな。それと赤ワインのグラス(€3)。マダムは注文を聞き届けたあと当方の顔を見てジャポネ(日本人)?とお訊ね。ええそうですと答えたら「イイデスネ」といって笑いました。何がイイんだろう(笑)。そういえば日本人観光客をまったく見かけません。たぶんいるにはいるのでしょうけれど、私ですら数日前に心得た地名ですので、欧州に慣れた人でなければここまでは足を運ばないだろうなあ。
運ばれた主菜は「ふるさと食堂」の名にたがわぬ素朴な料理。豚肉のソテーにクリームソースをかけてあり、フライドポテトは揚げたあとオーヴンで焼いてあります。料理名にも記されたシュークルートというのはアルザスの郷土料理で、ドイツ語でいうところのザワークラフトですが、ストラスブールやパリで食べたものと比べると酸味が薄く、より田舎っぽい味つけになっていて、見た目も味わいも切り干し大根の煮物みたいだ(笑)。それにマッシュルームのソテーがついています。肉はやわらかくて美味。ソースはフランスでよくあるタイプで、バゲットにまぶして食べなさいといわんばかりですな。フランスに来ると、日本とは牛・豚の頻度が完全にひっくり返りますので、たまにポークを口にすると妙に美味いのです。ワインを舐めて、食後のコーヒーまでゆっくり味わいました。
書店のウィンドウで見かけたもの 『ブルターニュ:混乱させている諸問題』とな
(左)牢獄門へつづく坂道 (右)牢獄門
腹ごなしに大聖堂周辺をうろうろしてから、その脇の坂道を下って、ポルト・プリゾン(Porte Prison)をくぐります。その名も牢獄門で、何とも物騒なネーミングだねえ。いまさら調べたところでは、ヴァンヌ城壁の中でも古いほうの城門で搭(tour)がセットになっていて、この搭がフランス革命の折に監獄として使用されたらしい。王党派、カトリックの聖職者、反革命容疑者などが次々とぶち込まれたのだそうです。ここまでが旧市街。そろそろホテルにチェックインできる時間ですが、来たときとは違うルートをたどってみましょう。ホテルが面しているリウトゥナン-コロネル・モリー通り(Rue du
Lieutenant- Colonel Maury)の一筋東に並行するフォンテーヌ通り(Rue de la Fontaine)に入ってみると、旧市街のつづきみたいなテーストで、小規模の飲食店が並んでいます。どちらかといえば場末の飲み屋さん風だけど、ことによっては夜になって来るかもしれないね。
フォンテーヌ通り
インターホテル・マンシュ-オセアンの部屋
15時にはなっていませんでしたが、チェックインが認められました。部屋に通ってみると、「格安シングル」(Budget Single Room)1泊税込€50にしては立派な広さがあります。ブルターニュまで来るとパリとは相当に物価が違いますね。水まわりがやや貧弱ながら、大きなライティングデスクやクローゼットもあって、もちろん無料Wi-fiは通じています。このところのホテルの戦績(当たり外れ)は以前よりは下がっていると思いますが、ひとえに分母が大きくなっている(欧州滞在日数が増えている)ことによります。今回のツアーはいまのところ外れなしで上々。
1時間くらい休憩してから再び町へ出ました。例のモノプリのすぐそば、ル・ブリ(Le Brix)停留所から路線バスに乗ってみたいと思います。ヴァンヌの市街地が予想どおりか予想よりさらに小さかったので、郊外も少しだけ絡めてみようかなと。ブルターニュにいながら海のにおいのするところを歩かないこともどこかで引っかかっていました。前述したように、ヴァンヌは奥まった湾のさらに奥の湾内にあるため、モルビアン湾そのものも遠いところにあります。せめてその手前あたりまで行けないものか。部屋で休憩しているときタブレットでKICÉO(ヴァンヌ公共交通 Transport
en Commun de Vannesのブランド名)のサイトを見てみたら、路線バス3系統が湾への出口付近のコンロー(Conleau)まで行くとわかったので、ひとまずそれをめざします。しかしバス停の時刻表で確認すると、次の便はかなり手前のモルビアン広場(Square Morbian)止まり。半島まで行くやつはあまりないようだし、行ったら行ったで帰りの便がなくなっても困るので、そのモルビアン広場まで進んで様子をみましょう。地図によればその一帯が湾岸公園(Parc du Golfe)になっていて、いくらか海辺っぽさがあるかもしれないので。
停留所の周囲にはいくらかやんちゃ気味の高校生が8人くらい集まって、ときおりスマホをのぞき込みながらわいわい騒いでいます。こういうのはどことも変わらんな。数分待ってバスが来ました。スチューデンツは乗客ではなかったのね。運転台で€1.50を払ってボール紙でできたチケットを購入。日本の運賃先払い式のバスでは現金を支払ってそれでおしまいだけど、欧州ではお金と引き換えに「チケット」を受け取るのが普通です。最近はレシートみたいなのが多くなりました。パリはモビリス(1日乗車券)、カルネ(10回回数券)やSNCF郊外線の切符などと同じ、自動改札機に通る用紙です。ここヴァンヌは往年の「食券」みたいな、裏が白い普通のボール紙。運転台のそばに刻印機があるのでこれに通すのでしょうけど、どうすればいいのかなと思っていたら、そばにいた中年のおじさんが「こんなふうに入れるんだよ」と教えてくれました。メルシー。なるほど、がしゃんとアナログな音を立てたあとで再び吐き出されたチケットは、角の部分が斜めにカットされていました。もう片方は購入時にすでにカットされています。悪用防止のためなのでしょう。私が学生だった大学の学部では出席カードの角が同じようにカットされていて、意地悪な先生はその角度を毎度変えてインチキできないようにしていたものです(ティーチング・アシスタントとしてそのチェックをさせられたこともあります)。あまりにくだらないので、私は出欠チェックそのものをやめちゃったんですよね(笑)。
バスは旧市街を抜け出すと、一戸建ての住宅がぎっしり並ぶエリアを南下します。事前に地図で見た感じよりも右に左に折れて進みます。知らないところを走る路線バスというのは国内外問わず本当におもしろい。この3系統は「そこを曲がるんかい!」と突っ込みたくなるようなところはなかったけれど、同じ住宅街といっても「ここは新しいんだろうな」「くたびれているな」といったトーンの違いも感じられました。それにしても、ヴァンヌは小さな町ではなく、後背地としての住宅街を含めればかなりの広がりをもっていることがわかります。
湾岸公園
モルビアン広場
15分くらいかかって、終点のモルビアン広場に到着。広場といってもPlaceではなくSquareだから方形で、団地の中のちょっとした公園でした。ふた昔前くらいの公団住宅みたいな建物が並んでいます。このバスのように途中で折り返す系統のために、道路の一部をバス用のプールとしてカットしているのが興味深い。もう夕方なので、暗くならないうちにこのへんを歩いてみることにしましょう。バスがたどってきた道をそのままコンロー方面に歩くと、5分ほどで湾岸公園の一隅に出ました。湾(本当のところ湾なのか川岸なのか不明)に沿って緑地が細長くつづき、散歩道がつくられています。ジョギングあるいはウォーキングの人がちらほら。ただ、レジャー感はほとんどなくて、低湿地を眺めるだけというものでした。コンローらしき方向を見やると、そちらにも住宅らしきものは見えるのだけど、印象としては行き止まりの私有地みたいに感じられます。うんうん、これは海のテーストではなく、ほぼ「池」だね。そういうのも行ってみないとわからないので(ストリートビューを使えばわかるけど旅行としてつまらない)、バスに乗って、たぶんもう二度と来ないであろう場所に足を運んだだけでよいことにします。滞在30分くらいでまたバスに乗って引き返し、旧市街の西側にある共和国広場(Place de la République)で下車しました。
PART6 につづく
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