マクドナルドの数軒ならびに小さなチョコレート屋さんがありました。イストワール・ド・ショコラ(Histoire de Chocolat チョコの歴史ないし物語)というしゃれた店名で、先ほどシャム通りでも見かけたので何店舗かあるのでしょう。ラベルを見たら地元のお店らしいので、いくつかお土産を買っていくことにしよう。「パリ」というラベルに比べると一般的なインパクトはないかもしれませんが、また古賀がよくわからんところに行ったらしいというメッセージは伝わることでしょう。フランスのチョコ屋さんのいつもの作法で、会計したあとで試食にと1片くれました。お〜濃厚。
サン・マルタン電停でトラムをつかまえ、また坂を下ってシャトーまで戻ります。一日乗車券があるのでこういう動きは気楽でいいですね。海軍の町にある海軍博物館ならばぜひもので、時間をかけて見物してみたい。私もちろん平和主義者ですし9条支持派でもあるのですが、軍事関係への興味というのはそうした政治信条とは次元が違うと思うので、機会があればいろいろなことに触れておきたいんですよね。昭和の男の子の常で、軍艦とか戦闘機で白いごはんが食べられるクチでもあります。横須賀の記念艦三笠なんか大好物ですもの。――ところが、封建時代の城塞を再利用した博物館のメインゲートに近寄ると、無情にも火曜定休の文字。じぇじぇじぇ(古い)。おまけに、メインゲートに向かう長めのアプローチを歩いているあいだに雨が降り出し、傘なしでは耐えがたいほどのざーざー降りになってしまいました。ブルターニュのこと、どうせすぐやむのでしょうけれど、ひとまず今をしのがなくてはなりません。やむなくリュックから折り傘を取り出して開き、似た境遇なのかその付近にたたずんでいた3、4人で傘を差したままぼーっとします。
ブレスト城から海を望む
いちばんの見どころを見られないのはとても残念で、下調べしてこなかった報いではあるけれど、そもそもブレストに関する事前情報がなく海軍博物館の存在もシティ・マップをもらって初めて知ったくらいなので、そういうこともあるよと思うほかありません。町歩き派にも2通りあって、事前にがちがちの計画を立てておいてそれを「消化」することに執心するタイプと、私のように行き当たりばったり、出たとこ勝負のタイプがいます。後者は肝心のところを見落としたりスルーしたりするリスクをはらんでいますが、がちがち派は予定した部分にばかり目が行って、発見を楽しむゆとりがなくなりがちです。どちらがよいかは本人の性格によります。
雨は10分もしないうちにやんでしまい、一転してからっと晴れ上がりました。まったく何ちゅう気候の土地なのだろう。こうなったらまた「坂上」に戻ってウィンドウ・ショッピングでもしようかな。トラムばかりでは何なので、博物館前のバス停から路線バスに乗り込みました。海際の崖の上を進む系統で、雨上がりの商港の景観がすばらしい。けっこうなアップダウンを経て、SNCF駅前のバスターミナルに入りました。そのまま乗りつづけると、午前中に駅を降りてインフォメーションをめざしたのと同じ道路を進みます。インフォメーションが面している広場の前で下車。ここはリベルテ広場(Place de la Liberté)と称するようです。市役所(Hôtel de Ville)の整った建物と噴水のある広場というのは、まさにル・アーヴルで見たのとよく似ていて、市の中心部を計画的に整備するとどことも似たような感じになるのね。
市役所前広場
エスパス・ジョレス
マクドナルドの付近に舞い戻り、そのはす向かいにあるエスパス・ジョレス(Espace Jaurès)というショッピングセンターに入ってみました。町の規模からすればこんなものでしょうが、隣接するプランタンともどもぱっとしません。再建都市だからか全体に生活くささが不足していて、どこか新興住宅地の、小ぎれいだけどおもしろさに欠けるような印象なんだよな〜。再建とか新興といっても戦後70年も経過しているわけで、おそらくは町づくりのコンセプト自体が当方の感覚と合わないのかもしれませんね。カンペールへの列車は12時10分の次が17時12分までなく、町なかをうろうろしてもまだ時間はたっぷりあります。どこかに気の利いたカフェでもあればゆっくりしたいのですが、案外見つかりません。まあいいや、駅までゆっくり歩いて、1時間くらいはそこで本でも読むことにしよう。
トラムの走るジャン・ジョレス通りの一筋海側、イヴ・コレット通り(Rue Yve Collet)に出ました。さすがに裏通りは静かで、薄汚れたビルなどもあってほっとします。駅の裏手にあたるところがけっこう広い海軍用地になっていました。外務省の海外安全情報が例のテロ事件を受けて、「特にテロの標的となりやすい場所(政府・軍・警察関係施設・・・)」に近づくのはなるべく避けるように勧告しています。さっきからもろ軍事都市、軍関係施設周辺をうろうろしていますが、件の事件だって住宅街の新聞社とかスーパーなどが標的になったわけで、軍施設というのはむしろ安全のような気がする。そもそもテロ事案に対しては正解なんてありません。
さすが海軍の町というべきか、裏通りの玩具店のウィンドウには船のプラモデルが並んでいる!
海軍用地 「もし君が知らず知らずのうちにもっと海にいたいと思ったのなら」という兵士募集の看板
16時ちょうどにブレスト駅に戻ってきました。小さなコンコースに待合の客はほとんどなく、静寂を保っています。往復を購入している関係で切符売り場にも用事はありません。構内にキヨスクと一体化した(レジが共用)駅カフェがあったので、カフェラテ(€2)をもらってカウンターのスツールでまったり。パリあたりに比べるとこういうところの店員さんものんびりしていて、お客もとくにいらいらするでもないのがいいですね。16時半を過ぎるとスーツケースやキャリーバッグのお客が目立ってきました。明らかによそ行き仕様で、おそらく17時台のTGVでパリに向かう人たちでしょう。構内の真ん中にアップライトのピアノが置いてあり、ひげをたくわえたイケメンの兄さんが長調を奏でています。よかったら好きに演奏してくださいという趣旨らしい。音楽の才のある人はいいよね。
ブレスト駅構内
17時すこし前にカンペール行きの発車番線が明らかになり、そのA番線に向かいます。来たときと同じ青い流線型の単行ディーゼルカーで、向かい側で発車を待っているTGVの堂々たる編成と比べればローカル線ならではのカワイさ。半分くらいの席が埋まったところで17時12分の発車となりました。本線との分岐駅ランデルノーでかなり乗客の入れ替えがあります。ホームに立っている駅員が、手帳式に綴られているカードを、審判がイエローカードを出すみたいに高く掲げて、どうやら発車許可の合図をしているようです。おもしろいですね。この先は単線区間ですが、もう欧州には(日本にも)タブレット交換を伴う手動閉塞というのはなく、CTC(列車集中制御装置)でコントロールされているはずです。来るときに経験したのと同様に、サミットに向かってずいずいと登り、そこを過ぎるとブレーキを利かせながら高度を下げていく感じが伝わってきます。そして勾配を緩和するための曲線により、始終ゆらゆら。
18時29分にカンペール駅に帰着しました。同じブルターニュでも町の様子はずいぶん違うものですね。いったん部屋に戻って荷物を軽くしてから、前夜と同じ旧市街に歩いて向かいました。ゆうべはシーフードを食べましたので、今回はブルターニュ名物のクレープだな。勝手知った感じでオデ川に沿って進み、聖コランタン大聖堂の横を通り抜けて、サレ通りに入りました。前日確認しておいたとおり、このあたりだけでも4、5軒のクレープ屋さんが見えます。ま、どこだっていいのだけど、2軒並んだ店の片方(Crêperie l’Ardoise)を選んでドアを押すと、若い女性店員さんが現れ、上階の奥の席に案内してくれました。ボンソワール。
ブルターニュ名物のクレープ(サイズ確認のためにボールペンを置いてみました 笑)
先に言い訳しますと、クレープはとくに好きではありません。ここブルターニュが発祥の地で、本来は肉・魚介・野菜などの具を入れて食べる料理だったのが、バブル直前の東京は原宿に飛来して果物などを生クリームやアイスクリームごと巻き込んだ食べ歩きスイーツ(当時はそんな用語なかったけど)へと変身し、少なからぬ日本人には後者のイメージで定着しているといった予備知識は当然あります。ブルターニュへの玄関口であるパリ・モンパルナス界隈のクレープリー密集地帯に行って本物?を食べたこともあるし、最近は妙にフランス化が進んでいる神楽坂のそれらしい店でも料理のほうのクレープ食べました。嫌いとかまずいとかは思わないけど、とくに美味いとも思えず、積極的に食べようとは思いません。ただ、ブルターニュに来てクレープを食べないのは北陸でカニを食べないような話なので、縁起物ということで、はい。パリでもクレープは普通の料理より相場が安いなと思っていたら、本場はさらに安いですね。セットメニューもありますが、単品でいいや。そば粉のクレープ(crêpe de blé noir)というカテゴリを見ると、バター入りのプレーン(ガワだけのやつね)が€2.50、具を1品入れると€3.40、2品で€4.60、3品で€5.80、4品なら€6.90という具合です。具は十数種類の中から選ぶようになっていて、ポテトとチョリソーを選択しました。ブルターニュのクレープにはリンゴの醸造酒であるシードル(cidre)を合わせるというのが決まりみたいなものなので1杯(€2.70)頼み、でもその前にエクスカーション帰りのノドを励まそうというので25cLの生ビールも取りました。ご一緒にグリーンサラダ(salade verte €2.50)はいかがですかとメニューに書いてあったのでそれもね。
隣席はハンサムなお父さん、美人のお母さんと美少女3姉妹の5人家族で、わいわいいいながら食事中。末っ子は小学生くらいで、ほらこれを食べなさいみたいな感じでママが始終世話を焼いています。反対側は30歳くらいのカップル。その向こうは40代のご夫婦です。山小屋風の店内はほぼ満席で、フランスもここまで来ると「19時に夕食なんて早すぎる」という習慣とは無縁なのかな? クローネンブール1664(フランスで最もポピュラーな生ビール)を飲み干す前に、大きなクレープが運ばれました。何となく正方形に折りたたんだやつを想像していて、周囲にそういう形状の品を食べている人もいたのだけれど、メニューによるのか、こちらは半円状。要するに円いクレープ鍋で焼いたものを2つ折りにしたやつです。うん、予想していたよりは美味い。おイモとチョリソーという選択にしたため内容もやけに素朴です。シードルは甘くて炭酸ぶんがほとんどなく、口当たりはリンゴジュースそのもので果実感たっぷりです。そういえば暮れにロンドンのスーパーで瓶入りを買って部屋で飲んだなあ。ワインを蒸留するとブランデーに、シードルを蒸留するとカルバドスになります。サラダはグリーンカール、赤タマネギ、水菜、ベイビーリーフにトマトと、安い付け合わせにしてはなかなか美味しい。40代のご夫婦は、私が入店する前からワインを飲んでゆっくり楽しんでおられましたが、「じゃあそろそろ」という感じでクレープを注文。テーブルに運んできた店員さんがクレープにブランデーか何かをかけて着火、お皿からきれいな炎が立ち上りました。お〜、テレビで見たことある! そもそもクレープがブルターニュ名物になったのは、地味が悪く小麦がとれなかったため、そば粉が主食になっていたことによります。太陽王ルイ14世の実母であるアンヌ・ドートリッシュがこれを食べて気に入り、パリでは小麦粉を用いるようになって「出世」したという経過をたどりました。ま、当方は今後も積極的に食するということはありますまい。食後のエスプレッソ(€1.70)込みでトータル€11.50と、アルコール2杯も飲んでいるのに安いのは結構なことです。ごちそうさま。
駅前ホテルの朝食
2月25日(水)は7時ころ起床。午前中の列車でヴァンヌに移動することにしています。2泊のうちこの朝だけ朝食をつけてもらったので、小さなパテオを通ってレセプションにつながる朝食コーナーへ。宿のマダムが席に案内してくれ、「オレンジジュースは召し上がりますか。ヨーグルトは?」と訊ねられたので両方ともウィと。フランスの朝食はいわゆるコンチネンタルで、パンと温かい飲み物、それになぜかオレンジジュースというのが基本形です。チーズやハムなどの「おかず」はなく、バターやジャムは朝食時のみ添えられます。マシーンでカフェオレを抽出して席に着くと、「このパンは有名な○○のものなので美味しいですよ」とマダム。○○を聞き取れたとしても固有名詞とか有名なお店の情報はインプットされていないので不明のままでしょう。なるほど、パンが絶妙に美味い。フランスはどこへ行ってもパンの水準が高いのだけれど、ホテルの朝食で出されるバゲットでこれほど美味しいのはたしかに久しぶりかもしれません。土地柄か、シロップをはさんだ小さなクレープもついていました。テーブルにタブロイドの地元紙が置いてあったので読んでみると、「ブレストのトラムで混乱がずっとつづいている」との見出しが。土曜の夜にルクヴランス橋の上で送電線が切れ、20mにわたって電源供給が不可能になっているとのことでした。ああ、それで橋の両側で折り返していたわけね。その程度のといっては失礼ながら、架線が切れた程度で3日間も復旧しないというのは、トラム復活はいいとしてもメンテナンスが甘いということでしょう。
身支度を整えてから2泊の宿をチェックアウトしました。「カンペールは初めてでしたか」とマダムがいうので、ええそうですと答えたら、「なかなかよいところでしょ? 景色も町もきれいで、私はとても気に入っているんです。よくわからないときに雨が降るのが面倒ですけどね」と、にこり。昨夜のクレープ屋さんからの帰りにも突然降られたし、この界隈はそういうものだという認識が共有されているわけですね。――いや本当に、きれいな町だと思いました。今日はこれから列車に乗ってヴァンヌに行くんです。「ヴァンヌですか! あそこもすばらしい町ですよ。城壁に囲まれた町並がとても美しい。私の兄(or 弟)が住んでいるんです」。そういうことならば、これまた予備知識ゼロに近い次の訪問地にも期待をもてます。マダム、ありがとう、さようなら。
前日と同じ切符売り場で、ヴァンヌまでの片道切符を購入。便の指定のある乗車券で€21.20でした。コンコースにつながっている目の前のホームに、シルバーとブルーで塗色された電車が入線してきました。これもフェースは流線型。TGVからローカル列車までフランスは流線型が好きよね。メンテナンスが面倒だと思うけど。中は欧州でしばしば利用しているIC(インターシティ 急行)クラスの標準タイプで、座席が固定されて回らないことをのぞけば非常に快適なインテリアです。当然のことに進行方向の席に着きました。向かい側には単行のディーゼルカーが停まっています。そうか、昨日は10時03分発のあれでブレストに行ったのでしたね。ナント行きの車両は立派だなあと眺めていたほうに、いま乗っているわけです。このインターシティは10時11分にカンペールを出てヴァンヌには11時28分に到着。そのあとの便はパリ行きTGVで、11時35分発の12時41分着だから、出発が遅くてヴァンヌでの持ち時間が削られる上にさほど速くないので、当たり前のようにこのインターシティを選びました。「世界のTGV」も在来線区間では本気を出せませんな。
一昨日にTGVで通った区間なので、車窓の感じはだいたいわかっています。半島の外周を往く路線なのに、リアス式海岸に阻まれて車窓から海が見えないのは残念。この区間に関してはアップダウンはほとんど感じられません。途中いくつかの駅に停車して、ほぼ定刻にヴァンヌに着きました。
SNCFヴァンヌ駅
駅前に出ると、例によってうっすら小雨まじりですが、傘を差すほどのことではないようです。「地球の歩き方」にヴァンヌの項はあり、地図も載っているため、駅と市街地の位置関係はだいたいわかります。予約したホテルの場所を地図で確認して、そこをまっすぐめざしましょう。駅は市街地から徒歩15分くらいのところにあるようです。欧州でも日本でも、古い都市ほど駅が中心部から外れていますね。そういうところでは、宿を駅側にとるか、市街地にとるかと迷うところではあります。駅側にとると翌日の出発時などには好都合なのですが、だいたい町外れで夜になると暗くなってしまうため、市街地で食事して戻るときなど物騒な感じもします。今回はめずらしく両者の境目みたいな場所のホテルになりました。旧市街にかなり近い、でも新市街に位置している模様。駅前を1ブロックほど進んで左折、住宅街の中の緩い坂道を下っていきます。
住宅街の中を抜けて、予約したホテルへ
10分くらい歩いて勾配を下りきったあたりに、スーパーや飲食店などがあり、予約したインターホテル・マンシュ・オセアン(Inter-Hotel Manche-Océan)が交差点に面しています。外観は古いマンションみたいな感じ。地方の2つ星だし、素泊まり€50(別に市の滞在税が€0.53)と格安での予約なのでさほどに期待してはいません。ドアを押すとすぐに小さなレセプションがあります。同年代くらいのスマートなムッシュが、「古賀様ですね。ご予約を承っております。チェックインは15時からですが、お荷物をお預かりしましょうか」と。アーリーチェックインをさせてくれるところとそうでないところがありますが、まあ予想どおり。キャリーバッグを預かってもらいます。ムッシュはA4判に白黒コピーされた市街地の地図をくれ、「このホテルはここです(と蛍光ペンでマーク)。この前の道をまっすぐ進んで、2ブロック先を右折すると城門があり、そこから先が旧市街です。旧市街を見物なさってください」と丁寧にガイドしてくれました。あ、ここまで全部英語です。ヴァンヌがどんな場所なのか、はたして観光地なのかもよく存じておりません。なるほど城門か。カンペールのホテルのマダムも城壁に囲まれた町だといっていたし、欧州の古い都市というのは城壁の一部または全部が保全されているところが多いので、いよいよ期待できそうです。ホテルのある付近はまったくもって普通の住宅地で、何なら洗濯物を干してあったりするのが見えるなど、私がいつも滞在しているパリ5区以上に日常生活感しか見えないところなのですが・・・
PART5 につづく
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