Quatres villes à la Bretagne: Quimper, Brest, Vannes et Nantes

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ここブレストBrest)は「都市」としてはフランス本土最西端に位置する人口14万人ほどの町。横須賀市と姉妹都市になっていることからわかるように、地中海岸のトゥーロン、英仏海峡に面したシェルブールと並ぶフランス海軍の拠点で、大西洋艦隊の本拠地になっています。前述のように子どものころからその地名には接していたものの、それ以上の知識はありません。羽田空港で買った「地球の歩き方」にも、しばしば世話になっている実業之日本社のブルーガイドにもブレストの項はなく、主要都市ではあるのに観光の要素はないとみられているのかな? ま、町歩き派の私にとっては観光的要素は不要ですし、現地に行ってテーマを見つける手法を会得していますので、「予告編」がないほうがおもしろいかもしれない。

 
SNCFブレスト駅 駅前から大規模な港湾施設を望める


ただ、ガイドブックに記載がないということは手許に地図もないということなので、まずはツーリスト・インフォメーションにおもむいてシティ・マップを入手しなければ。2年前に英仏海岸に面したル・アーヴルにパリから日帰りで出かけたときも、やはり地図情報がなく、現地でマップを手に入れています。あのときはインフォメーションが駅からやたらに遠いところにあったのと、なぜか午後まで開かない設定だったのとで、駅にあった地図で町の構造を脳内に入力してしのぎました。幸いブレスト駅構内の地図を見てみたら、インフォメーションはここから3ブロックくらいの近いところにあるみたいです。駅前にはかなり大きなバスターミナル(Gare routière)があります。そして、駅舎を出てすぐのところが簡素な展望台のようになっていて、埠頭やドックを含む商港(Port de commerce)の景観が広がっていました。

海沿いということもあって風が強く、カンペールより寒い気がします。駅前から伸びる広い道路を5分ほど歩いたところに、ツーリスト・インフォメーション(Office de Tourisme)がありました。欧州ではほぼ毎回お世話になるのですが、東京とか日本国内の観光案内所ってほとんど行ったことがなく、どうなっているのか知りません。このところ外国人観光客が増えているので、親切で使い勝手のよいものになっていればいいのですが。カウンターの若い女性にシティ・マップがほしいのですがと告げると、「ブレストは初めてでいらっしゃいますか?」と。ウィといったら、地図を広げ、「いまいらっしゃるのはここです(と、インフォメーションの位置をボールペンでマーク)。これがメインストリートで、こちらに進むと上り坂、こちらが下り坂になります」と、町のおおまかな構造についてレクチャーしてくれました。「どちらからおいでですか」という定番の質問があったので、デュ・ジャポンと答えてにっこり。ここまで来ると「日本人観光客」ってほとんど見かけないんじゃないかなあ。

 
(左)ここブレストでも標識はすべてフランス語・ブルトン語の2言語併記 (右)ツーリスト・インフォメーション


メインストリートのシャム通り(Rue de Siam)はインフォメーションのすぐ横からはじまっていて、これより坂上のほうはジャン・ジョレス通り(Rue Jean Jaurès)という名前になっているようです。おねえさんが上り坂・下り坂と案内したとおり、町全体が見るからに傾斜しているのがわかります。古くからの港湾都市なので「天然の良港」タイプに違いなく、だとすれば傾斜が海に向かってストンと落ち込むような構造になっていることは容易に想像できますね。何となく坂下のほうが町の中心のような気がしたので、まずはシャム通りを下っていくことにしよう。道路名票(欧州では住所表記を兼ねる)には、シャム通りの由来が記されていました。シャム代表団へのオマージュを込めて1742年に命名されたとあります。いまブレスト市のサイトで確認してみると、1686年にシャム(タイ)国王の使節団がルイ14世を表敬訪問するために到来してこの地に足を印したということらしい。17世紀後半のタイといえば、山田長政も関与したアユタヤ時代の末期で、英国・フランス・オランダ・ポルトガルの勢力が東南アジアで商権をめぐって激しく対立しており、ルイ14世は王朝内のある一派を支援するなどしてかかわりを深めていたのでした。

このシャム通り、リュ(rue 普通の道路)というよりアヴニュ(avenue 大通り)じゃないのと思うものの、このあたりの尺度に一貫性はなく、おそらく都市改造か何かで拡張されたのに古い名前が残っているのではないかと思います。一般車の乗り入れが規制され、歩行者とトラム(路面電車)のみが往来するという、欧州ではよく見られるパターン。トラムは結構な頻度で運行されているようなので、あとでぜひ乗ろう。坂道の町では便利な乗り物でしょうね。目抜き通りとはいっても、お店などがさほど多いわけでもなく、にぎやかさも感じられません。もしかすると中心商業地区は別の通り沿いにあるのかもしれない。この通りに面して大きな書店が見えたので入ってみました。ヴァカンスで来ているのですがしばしば、じゃなくてたま〜に本業のことが頭をかすめ、教育書のコーナーに行ってみたら、幸か不幸か未入手のぜひものは見当たりませんでした。大学の予算処理は2月いっぱいなので、このタイミングでいいものを見つけても自腹になってしまうということもあって、どこかでほっとしたりしています。

 

トラムも走るメインストリート、シャム通り


シャム通りはよく整備された道路なのですが、さっぱりしすぎているというか、町の個性みたいなものがあまり感じられません。商店などが密集した中心商業地区でもないようなので、ちょっと裏側をたどってみようかというので、多少じぐざぐに裏手の道なども歩いてみましたが、どことも静か。2年前のル・アーヴルがやはりそんな感じで、そういえば西欧ではあまり見かけない条理的な町の構造が似ているなと思います。それではたと思いついたのが、ブレストとル・アーヴルの歴史的な共通点でした。ル・アーヴルの市街地がオーギュスト・ペレの設計で現代的に整備され、世界遺産に登録されるほどになったのは、第二次大戦中の空襲で町が破壊されたあとのことです。調べてみると軍港都市ブレストもやはりやられていました。19406月にフランスはナチス・ドイツに屈服し、ヴィシー政府が管轄した南部をのぞいてドイツの占領下に置かれました。ブレストの海軍はインフラなどを破壊して早々に退散していましたが、ドイツは軍港としての価値を重視して再整備し、海軍の重要拠点とします。このため英軍など連合国側は数百回にわたってこの都市を空爆しました。現代史に弱いとこのへんの関係がわかりにくいかもしれません。フランスはもともと英国と同じ反枢軸側だったのに、1940年に西部戦線を突破され、パリを占領されて降伏しました。対独協力のヴィシー政府が成立し、その「フランス国(État français)」は枢軸側についたわけです。したがって英米からすれば攻撃対象となったわけね(ドイツと同盟を結んでいた日本とも同じ陣営になりました。日本はこの関係を利用してフランスの植民地インドシナに進駐し、実質的な支配下に置くことになります)。空襲で破壊された市街地を再建する際に、メインストリートを整備し、他の道路はそれと垂直ないし平行になるよう整えたに違いありません。名古屋や広島の中心部もそうですよね。そして、それらの都市もまた、整いすぎて歴史性というのを感じにくい景観になっています。欧州で訪れたことのある場所ではオランダのロッテルダムがそうでした。

あまり盛り上がらないまま、じぐざくするうちに坂を下りきって、パンフェルド川(La Penfeld)に架かるルクヴランス橋(Pont de Recouvrance)のそばに来ました。インフォメーションから1km弱といったところです。橋を渡った対岸にも町が広がっていて、そちらもまた川に向かって傾斜している地形のようです。トラムに乗って向こう側に行ってみるかな。橋の付近はコンクリートのたたきみたいになっていて、飲食店が両側に広がっている、ちょっとした広場になっています。シャトー(Château)という電停があるので、ホームに設置された自動券売機で一日乗車券(Ticket 1 jour)を購入。€3.95と安いですが、路線はメインストリートを行き来する正味1系統だけなので、バスに乗らなければさほどの広がりは得られません。

 
ルクヴランス橋付近

 


ところが頭上の電光案内板を見ると、変なことが書いてあります。「トラムウェイはシャトーとルクヴランスの間で運行を休止しています」だと! ルクヴランス電停は橋を渡ったところなので、要するに橋の上だけ電車を走らせず、両岸で折り返しになっているわけです。ホーム上の路線案内にも「両駅間は運行休止することがあります。その場合はバスをご利用ください」とあり、代わりに乗れるバスの系統が案内されています。工事している感じはないので、強風だからなのか、日昼はそのような運用にしているのかは不明。こちらとしては、逆に橋の上だけ電車に乗ろうと考えていたのでびっくりしました。

バスに乗ってもいいですが、せっかくなので徒歩でルクヴランス橋を渡ってみましょう。道路面は川面からかなり高いところにありますね(70mとのこと)。歩道部分には木製の板がはめ込まれてやわらかな印象。もとより高いところが得意でないため外側に近づきすぎることはありません(汗)。かなりの強風で、多少おっかないですね。ずいぶんモダンな橋なので最近のものなのかなと思ったら、空爆で破壊されたものを架け替えて1954年に開通したものだそうです。渡りきったところ、パンフェルド川の右岸側に、とんがり屋根を載せた円筒形のカワイイ建物がぽつんとあります。タンギー搭(Tour Tanguy)という牢獄の遺蹟だそうで、これも空襲の被害に遭っているとのこと。フランス海軍のベースはこの先(海側)にあり、海上警備船などが多数見えるので、たしかに横須賀汐入みたいな景観ではあります。軍艦がたくさん停泊しているあたりに近づけそうにないのは残念。

 
ルクヴランス橋 たもとのタンギー搭が異彩を放つ

橋を渡りきったところにルクヴランス電停があり、こちら側も広場のようになっています。ただ、いま歩いてきた左岸側に比べるとつくりものっぽさがなく、生活のにおいがする。住宅街の入口なのではないかな? 5分ほど待っているとトラムがやってきました。欧州各都市でよく見るタイプの流線型の連接車。この車両といい、電停まわりがやけにすっきりしている点といい、ここ数年のあいだに訪れたストラスブール、ディジョン、ランス、ル・アーヴルなどと同じように、最近になってトラムを敷設したのではないかと推察されます。で、あとで調べてみるとやはりそうでした。もともと第三共和政の時代にはトラムがあったのですが、1944年の空襲で破壊され廃止されてしまいました。戦後はトロリーバスが活躍したもののこれも1970年に全廃。21世紀に入ってからトラム復活の機運が高まり、2012年にこのA線(Ligne A)が開通したとのことです。それにしても欧州とくにフランスのトラム・ルネサンス(路面電車の復興)はかなりのハイペースで驚きます。どこかの事例が聞こえて「うちも乗り遅れるな」ということもあるのでしょうが、自治体などでの合意形成や実際の工事などを考えれば全土で同時並行的に進んでいたに違いなく、国の後押しなんかもあったのかもしれません。このブレストは傾斜の町なので、郊外の住宅街と中心部を結ぶだけでなく、市街地内部の行き来にもトラムは重宝されることでしょう。

橋の上が運休になっているため、いったんお客を下ろした電車が橋の近くまで進み、そこで渡り線を使って折り返し、入線してきました。ICチップの入った名刺大のチケットをリーダーに挿し入れて利用開始時刻を刻印します。車内は3割程度の乗車率のようです。平日の昼間はこんなものかな。それはいいけどどこまで乗ろうかな。もしかすると右岸側ににぎやかなところがあるかなと思って渡ってきたのですが、どうやら完全な住宅地区であることがすぐにわかりました。とくに用事や目的があるわけでもないので、適当に乗ってみて、適当なところで降りて折り返せばいいですね。

 
ルクヴランス電停からトラムA線に乗ってみる


発車するとすぐに上り坂。2ブロックくらい登ったところで直角に右折し、さらに登ります。「高台の住宅地」をめざしていることが明らかだね。2年ちょっと前にチェコのプラハを訪れた際、上下線を間違えてトラムに乗ってしまい、かなりの勾配を駆け上がって「高台の住宅地」に紛れ込んだことがありました。そのとき「神奈川都民」が住む川崎とか横浜の団地の景観を思い出したのですが、ここブレストも似た感じです。ル・アーヴルもそうだったなあ。プラハのほうは社会主義時代に造成された宅地と見え、高度成長期に大量建設されたそれこそ東京郊外の団地群を思わせるものがありましたけれど、ル・アーヴルやここブレストのはかなり新しいですね。トラム建設に伴って再整備されたのかもしれない。車窓には大型スーパー、スポーツセンター、学校などが見えます。


 


と、ずっと晴天だったのににわかに暗転し、雨が降り出しました。やっぱりブルターニュはそういうところなんだね。折り傘を出したりしまったりするのは嫌なので、これと思った電停で降りて屋根の下で待機しよう。5つ目のポリゴーヌ(Polygone)というところで下車しました。高校と、体育館のような巨大な構築物が目の前にあります。雨をかいくぐって反対側のホームに駆け込んだら、いきなりぱたっと雨が止みました。何と気まぐれな空なのだろう。ショッピングセンターでもあればのぞくところですが、学校と住宅のほかに何もないようなので、上り電車に乗ってルクヴランスに戻ります。愉快だね。またネタが増えたよ。

13時すぎにルクヴランスに戻ってきたころにはすっかり晴れ上がっていました。せっかくなので今度はバスに乗ってルクヴランス橋を渡りましょう。電車の代わりにと指定されていたのは128系統だったかな。ちょうど1系統がやってきたので、電車と同じ要領でチケットをリーダーに挿入し、車内へ。パリなどでもおなじみの2連接タイプのバスです。満員の乗客を乗せたバスはルクヴランス橋を軽快に走り抜けて、シャトー電停の手前で右折し、フランセ・リーブル(Français libre)という名の停留所に着きました。乗りつづけてもいいのですが、当初の予定どおり橋を渡るだけの利用にとどめておきます。ちなみにフランセ・リーブルというのは「自由なフランス人」(Free French)という意味で、先ほどから話の出ている1940年のドイツによる占領に際して、シャルル・ド・ゴール将軍がロンドンで組織した亡命政権自由フランス(France libre)を支持した人々を指します。

 
バスに乗って再び左岸へ


この近くにあるシャトー、現在は国立海軍博物館Musée national de la Marine)になっているブレスト城をぜひ見学してみたいのですが、13時を回っているので何かお腹に入れておきたい。今度は逆方向に行ってみようと、折返しとなっているシャトー電停からトラムに乗って、坂を登りました。地図をもらったインフォメーションの横を通り過ぎ、いかにもという外観の市役所(Hôtel de Ville)を過ぎて、道幅の狭いジャン・ジョレス通りに入ります。ああなるほど、「坂上」のこちらが商業的な中心になっているんですね。各種ショップやデパートのプランタンも見えます。サン・マルタン(Saint-Martin)電停でひとまず下車。好物?のショッピングセンターがあったので入ってみました。まあ、どことも同じような構造なのでとくに発見はないですが、けっこうにぎやかです。無料のお手洗いを借りておきました。お、マクドナルドがある。通りの向かい側にはバーガーキングもあったのだけど、マックじゃなかったマクド(フランスでは関西流に略称します)はこのところ異物混入などもろもろのトラブルを抱えて強烈にバッシングされているところだから、支援するかな。――フランスのマクドは無関係か(汗)。ポテトとドリンクがついた「セット」をフランス語ではムニュ(Menu)と表現します。本来は前菜・主菜・デザートのいわゆる「コース」を指す語ですが、ファストフードではセットの意味ね。ムニュ・ロワイヤル・ベーコンなるセットが€6.80。日本の価格や為替相場を考えれば安くないけれど、フランスでの食べ物の値段としてはコスパがよいほうです。日本のマクドナルドは見るからに人手不足がたたっていて、カウンターまわりがいつも渋滞し、非効率かつハードな運用を強いられていて気の毒ですが、時間帯の問題はあるにしてもここはゆとりがあるようです。「お飲み物は」といったやりとりはスマートな英語でした。ロワイヤル・ベーコンは日本のベーコンレタスバーガーと似たような品。タマネギが強めで思ったより美味だね。欧州のチェーン系ハンバーガーは、ハンバーグがカリカリに焼かれて供されるので、全体に肉がこげた風味がします。日本のとどちらがよいかは好き好き。

 
 


別に軍港都市=ハンバーガーという連想があったわけではありません。佐世保にしても横須賀にしてもいるのは米海軍だからアメリカ的なハンバーガーが地元の名物として定着したわけで、フランス海軍には当然関係しませんよね。日本の軍港がらみで他に思い出されるのは、横須賀の海軍カレーと、舞鶴および呉の肉じゃが。ブレストで口にするのがマクドだけなのは申し訳ないけれども、まあたまにはいいじゃん。どこにでも出現するスターバックスをついに見かけなかったのですが、どうだったのだろう。

 

PART4 につづく

 


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