Mon voyage en Europe occidentale après «une» pause : Belgique et Flandre

 

 

PART3

 

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EU
地区に行ってみたのは、何よりも社会科の先生としての素材(写真)を得ようと思ってのことです。仕事熱心でしょ?(笑) 4年前に合衆国東部を訪れた際には、ホワイトハウス、連邦議会議事堂、国連本部と回って、いい素材を得られました。以前は、どこかに行ったついでに写真を撮ればいいかというくらいだったのに、このところ意識するようになったのには、多分に2020年の「オンライン授業」の経験が作用しています。授業はあくまでロゴス勝負、文字と発話で思考させるぞというつもりではあったのだけど、受講者の顔が見えないオンライン(動画配信)ではどうしても絵が必要になります。文字だらけで配信している授業のほうが多いそうですが、私は当初から、意識して画像などをばんばん出していました。そのことの是非というかプラス・マイナスはもちろんあって、抽象的な思考がますます遠のくとか、YouTubeでも見ている感覚で授業を受け流すといった負の面がたしかにあります。が、いまの時代にはやっぱりカラーの画像が要る、というか、あったほうがいいだろうという考えに変わってきました。対面授業が復活したのちも、適宜その経験を組み込んでいます。(拙編著『教育の方法・技術とICT』、学文社、2022年 第1章をぜひお読みください)

そんなわけで、この先は完全に趣味の町歩き、乗り物探訪です。シューマンからメトロで郊外側に2駅、モンゴメリー(Montgomery)で下車。前夜、「地球の歩き方」をめくっていたら、欄外の注記みたいなところに耳寄りな情報が載っていました。「町の歴史をトラムの発達面から見られるので、電車オタクにはおすすめ」という、「トラム・ミュージアム」に関する読者投稿です(『オランダ ベルギー ルクセンブルク 20212022年版』、ダイヤモンド・ビッグ社、2020年、p.264)。電車オタクというのはやや失礼な表現のような気もするが、まあ仕方ない。マニア(物事に偏執する病)よりはマシなのかな? 情報によればモンゴメリーでトラムに乗り変えるとのことなので、行ってみると、メトロのホームから1階層上がったところの地下に、トラムのホームがありました。中間改札があるのでタッチしておきます。プレメトロ(地下を走るトラム)というわけではなく、郊外に向かうトラムの始発駅だけ、メトロとの乗り換えに配慮して地下化しているようです。それも、折り返し不要のループ線(路線の終端部がラケット状)になっている模様。

 
(左)トラムのモンゴメリー電停 (右)トラム・ミュージアム電停

 

ブリュッセルのトラムは今回お初です。ホテルの前を走っているのですがまだ試していませんでした。メトロと同じチケットが使えるのはいいですね。5分ほど待って44系統に乗りました。3両連接で、欧州に多い片側にだけ運転台があるタイプではなく、日本と同じで両方向に進める車両でした。すぐに地上に出ると、結構な下り勾配をぐんぐん下っていきます。ということは、ブリュッセル公園やホテルのある高台がEU地区までつづいていて、その先でまた下りなのですね。ブリュッセルの旧市街は自然の地形をうまく生かして城壁が築かれたのでしょう。トラムで走っているあたりは緑豊かな住宅街で、ゆとりがあり、住みやすそうです。ものの78分でトラム・ミュージアム(Musée du Tram / Trammuseum)電停に到着。別の系統との分岐点らしく、複数の線路がホームを共用し、また路線バスの停留所も兼ねているようで、広々としたホームには屋根つきの待合所もついていました。ウィーンのトラムもこんな感じだったな。

 
トラム・ミュージアム カレンダーに色のある日だけオープンする

 

肝心のミュージアムは電停のすぐそばにあるのですが、無情にもCLOSEDとあります。開いていないものは仕方ないし、ガイドで気づいて来てみただけでさほどの執着はありませんが、エントランスに掲出されたカレンダーを見ると、基本的に土日のみ、それも秋・冬は1ヵ月に2日程度の開業で、開いていても午後だけとあります。やる気なさそう(笑)。おそらく人手があまりないのと、テーマが地味すぎて常時開けておくほどでもないので、こんなふうになっているのでしょう。トラムの車庫の敷地に間借りしているようでもあるので、日本の鉄道会社が年に1回くらい「マニア」向けに施設を開放して見学会をやるようなノリなのかもしれませんね。ネットで事前に確認すれば開いていないことくらいはわかるのでしょうけれど、思いつきで行動して郊外のトラムに乗車できたのだから満足ではあります。

 
(左)トラム5系統の車窓  (右)プレメトロのド・ブルッケール電停

 

さて今度はどこに行こうかな。もう少しトラムに乗りたい。トラムそのものも大好きだし、メトロと違って町の様子が見えるので楽しいわけです。それで、都心をはさんで反対側、北西の方角にあるヘーゼル(Heizel / Heysel)に行ってみることにしました。広い公園があり、国王一家のお住まいであるラーケン宮(Château de Laeken / Kasteel van Laken)もあります。ホテルでもらった1枚ものの地図には、メトロの路線は描き込まれていますがトラムは電停の位置だけで、系統がよくわかりません。ガイドブックと照らして、メトロを中央駅の1つ先のド・ブルッケール(De Brouckère)まで進み、そこでプレメトロ→トラム3系統に乗り換えることにしました。実はモンゴメリーで、市の周縁を回り込んで同じ方面に向かうトラム7系統に乗り換えることもできたようで、あとで気づきました。ド・ブルッケールは大手町的な要衝らしく、地下駅の構造がしっかりしていて、乗り換え客が各方向に続々と歩いています。ここもメトロとトラムの乗り換えには中間改札があり、さらに動く歩道で長めの距離を水平移動。プレメトロの電停は乗車ホームと降車ホームが分離された立派なものでした。都心部のメトロはなぜか東西方向ばかりで、南北はプレメトロ利用ということになるようです。需要の問題もあるでしょうし、東西方向は起伏が激しいためトンネルを深いところに掘らなくてはならないという事情もあるかもしれません。10分くらい待ってやってきた3系統は結構な乗車率で、座席がほぼ埋まっています。ベルギー北部に向かう国鉄のターミナルと、北駅駅(Gare du Nord / Noordstation)で接続し、その先で地上に出ました。場末みたいなところや町工場地帯みたいなところも走り抜け、やがて運河の岸に取りついてしばらく走ります。モンゴメリーからやってきた路線と合流すると、運河を橋で渡り、その先で緑の木々に囲まれた掘割に突入しました。地図を見ると、すでに広大な公園の敷地に入り込んでいるようです。デ・ヴァント(De Wand)電停で下車。

1枚もののマップでは、このあたりはもうエリア外になっています。ガイドブックのほうもごく大まかな位置関係しかわかりません。公共の公園であれば、現地に行けば園内図があるだろうと思ったのに、それらしいものがなく、また緑の濃い雰囲気なので公園の外縁にいることはわかるけれど、入口とか順路といったようなものはまったく見えません。それらしい方向に歩いてみましょう。小さな子どもを連れた家族が夏休みのピクニックといった感じで遊んでいて、老夫婦と若いカップルがいたのですが、それだけ。あとは人影もありません。うーん。

 
 

 

そのうち、樹々のあいだからなぜか五重塔が顔を出しました。新宿御苑の日本庭園にあるみたいな四阿(あずまや)のようなものとか、地方の古い物件のような家屋もあって、不思議だなと。それらはメンテナンスがなされていないようで、あちこちがぼろぼろになっており、劣化が著しい。琉球風だか中華風だか不明な建造物まで現れ、由緒も書かれていないのでいぶかしんでいたら、本来はチケット売り場になるような小屋に、極東ミュージアム(Musée Extrême-Orient / Musea van het Oosten)は改装のため閉園していますとの掲示がありました。東アジアの建物を再現したテーマパークなのかな? そんなものが当たるとは思えないし、やるならちゃんとやれよと思うくらいに建物のセレクトのセンスがなく、改装するというよりは文字どおりのクローズになるのではないかと思います。ベルギーのみなさん、いまは円安ユーロ高で欧州に比べて物価も相当に安いですから、ぜひ本物の日本にいらしてくださいな。

明るい昼間ではあるが、誰もいないところの廃墟ツアーというのも物騒で、また日差しも強くなってきましたから、引き返すことにしました。この付近だと温室庭園とか万博公園などもあり、そちらに行っていればよかったかな。きょうは朝から改札機を通過できないトラブルがあり、トラム・ミュージアムが開いておらず、またこの公園も不発と、3タテを食らっています。ま、そんなときもあります。同じ道を引き返すのもしゃくなので、さらに適当に歩いてみたら、アラウカルラ(Araucarla)という別の電停に出ました。さっきのデ・ヴァントの1つ手前(都心側)のようです。あとで地図を見ると、ラーケン宮はこのすぐ近くだったようですが、ブリュッセル公園にある公式の王宮を見ましたので、王様関係はそれで失礼しようかと思います。また10分くらい待って、やってきた3系統に乗って都心に引き返し、さきほど乗り込んだド・ブルッケールの1つ手前、ロジエ(Rogier)で下車しました。きのうホテルから現在位置をさぐりさぐり歩いてきて、ここからにぎやかなヌーヴ通りに入ったところです。同じようなところを歩くのも芸がないけれども、ちょっと買い物もしたいんですよね。

 
City2  INNO

 

ヌーヴ通りに入ってすぐのところに、大型のショッピング・センターであるCity2があるのをきのう確認しています。吹き抜け構造の周囲に、グローバル・チェーンやフードコート、カルフールなどが並ぶ、欧州でよく見る商業ビル。お土産のチョコレートを買ってもいいかなと思いましたが、センスがもうひとつ気に入らないので、このあとに先送りします。ひとまずお手洗いを借りておきましょう。€1というのは昨今の相場どおりで、とくに文句はありませんけれど、現金はダメで、会員証?的なカードか、VISAなどのクレカで使用料を納める模様。トイレ利用をカード払いしたのは初めてです。郷に従うほかありません。このビルは、南隣のデパート、INNOと渡り廊下でつながっていました。そちらも、フランスやドイツのデパートとほとんど変わらない構造。東京や大阪のデパートと比べるとフロア面積が狭いので、わかりやすいといえばわかりやすいですね。メンズ衣料の売り場は、カジュアルもフォーマルもごっちゃになっていてコンセプトがこんがらがっています。2日前に訪れたパリのラファイエット本館も似たようなものだったから、そんなものなのでしょう。東京のデパートは、コンセプトは整理されているものの、このごろは各種ブランドが個別に売り場を設けるテナント・ビルみたいな感じになっていて、百貨店としての集約性がむしろ遠ざかっている印象ですからね。例によって、というか4年ぶりに、遠征時のルーティーンとして自分用のネクタイを2本購入しました。合わせて€100ほどで、まあそんなものでしょうが、1万円を超えると円安のダメージがじわじわ来るよね。

ショッピング・センターやデパートに入ったのは、直接的にはお手洗いと買い物がめあてなのですが、冷房のあるところでLPを取り戻そうという動機もあります。この時季の日本に比べれば湿度が低いぶん楽ではあるが、それでも直射日光を浴びつづければやはり消耗します。先週1週間、大学に行きっぱなしで、しかももりもり働いて、疲労を回復しきれないまま深夜便でこちらに来たという事情もあります。ロシア情勢のせいで直行便に乗ることができず、わざわざ中東を回ってきたわけで、トータルの所要時間が12時間近く余計にかかっています。そもそも外国自体が3年半ぶりなので、無理は押さないようにしなければ。


ベルギー名物といえばチョコレート、ビールとともにワッフル(フランス語でゴーフル)だが
暑い季節に食べる意思がまるでない! 2004年に初めてベルギーを訪れた際、パリで食べた何かが当たって
まる2日間苦しみ、ようやく口にしたのが売店のワッフルだった、という苦い思い出もあります

 
(左)グラン・プラスにはエレファントの張りぼてが出ていた! (右)グラン・プラスにあるゴディバのブリュッセル本店 ここでは買わない

 

きのうと同じ地区を、多少のルートを変えながら、きょうもグラン・プラスまで来ました。この広場に通じる路地に、ショコラチエ(チョコレート屋さん)が78店くらいあるのを確認済みで、どこかでお土産のチョコを買いましょう。ガラスケースに入った小さなチョコを自分で選んでアレンジしてもらうのが主流ですが、当方のセンスがなくカスタマイズするほどでもないのと、その方式だと箱がやけに立体的になってしまうという理由もあって、回避します。夏の遠征では小ぶりなキャリーを使用しており、高さのあるやわらかい箱だとパッキングしにくいのですね(←こういうところが旅の達人。なんてね)。平べったい箱で、でもデザインがよさげなものを選んで購入しました。欧州のお土産といったらいつでもどこでもチョコ。価格もほどほどで説得力があり日持ちもするからです。チョコの本場であるベルギーで買わないということは、さすがにないですよね。原料のカカオはもちろん欧州で産するわけではなく、主にアフリカで栽培されています。欧州におけるカカオの集積地にして最大の卸売市場になっているのがベルギーのアントウェルペンで、ゆえにこの国にチョコレート産業が発達しました。有名なゴディバを含めて、大手のチョコ業者はたいていグローバル・ビジネスに組み込まれ、もはやベルギーの名物と呼ぶことの妥当性も目減りしています(武田尚子『チョコレートの世界史』、中公新書、2020年)。

グラン・プラスや旧市街はきょうも多くの人でにぎわっています。そろそろ15時になろうとしていますので、いったんホテルに戻って小休止し、18時くらいに再出動ということにしましょう。前日につづいて中央駅横のカルフール・エクスプレスに立ち寄り、お水とビールを調達。一日乗車券の薬効がありますので、中央駅駅からパーク/パルク駅までメトロ、そこからコングレまでトラムに乗車して、らくらく帰還しました。

 
 
中心市街地東方の住宅街を歩いて、見る

 

前日から使っている1枚もののマップは、CENTRE / CENTRUMという中心市街地を切り取ったものですので、かつての都市境界にあたる旧城壁部分(いまは環状道路になっている)が右端で、そこから先の様子が見えません。午前に訪れたEU地区やトラム・ミュージアムなどはこのかなり先にあるんですけどね。ただそこは「地球の歩き方」も似たようなもので、これといった見学スポットがないところの地図は捨象されています。TOKYOというガイドブックを編集するとしたら、私でも山手線の外側の地図は載せないでしょうし、新宿と新大久保は載せるに違いないが高田馬場や目白の地図は入れないことでしょう。そういうものです。19世紀半ばに旧市街を破壊し上書きするかたちで都市を再構成したパリは、住宅街とビジネス地区と商業地がでたらめに混在しています。そちらのほうがむしろ異例です。でもせっかく2泊するので、ブリュッセルの日常生活の場も少しのぞいてみたい。そんなわけで18時前に出発して東に歩き、環状道路上のマドゥー広場(Place Madou / Madouplein)に出ました。環状道路付近には新しいビルも多くて、ビジネス・ドライな感じなのですが、広場とその先の道路形状から判断して、かつては都市の内外を区切る城門(porte)があったのだろうなと想像できます(あとで調べたら、やはりそうだったようです)。メトロのマドゥー駅もあります。その先を東、つまりかつての城外方向に進むと、結構な下り勾配になっていて、小規模の飲食店や衣料品店、食料品店などが並ぶ商店街になっていました。ケバブ屋さんはいまや東京を含めてたいていの都市にあるので、それを判定基準にするのは安易でしょうが、ハラル食材とかアフリカ野菜の店などもあるので、移民系の住民が多く住んでいるのではないかと思われます。実際、外見でそれとわかるみなさんが大勢歩いています(見るからに「西欧人」という人も多い)。環状道路のもう1つ外側の道路は幅員も狭い片側1車線で、夕方の渋滞を起こしている様子。バス停には多くの人が並んでいました。なんとなく私が生まれ育った大田区あたりのバス通りとそれに沿った商店街のような雰囲気で、なつかしい。東急バスでもやってきたらいいのにね。

手持ちの地図の範囲外ですしタテヨコがはっきりした条里構造でもないので、むやみに進んで変なところに迷い込むのは避けましょう。けさ訪れた議会議事堂の前のロワ通り(ブリュッセル公園の北辺をなぞる道)が、EU地区に行く際に利用したメトロの線であることがわかっていますので、だいたいそっちかなと思うほうに針路を変えます。今度は登り坂。庶民的な商店街や住宅地が谷間のような地形に展開していたわけですね。商店はほとんどなくなり、純然たる住宅街になり、小さなホテルなども徐々に現れて、登りきったところがメトロ頭上の道路でした。


 

 

そのあたりのロワ通りは、シューマンからつづくEU関係の官庁街のようです。DGDerectorate-general 総局=○○省に相当する行政機関)が入居するビルが多数。やはりブリュッセルはベルギー王国の首都であると同時に「欧州の都」でもあるということだなと、あらためてわかります。ユーロクラートになるには相当な実力が必要とされます。言語はもちろんですが専門分野に対する卓越した知識とスキルが求められるのでしょう。国家の外側にさらにもう一つの国家機関があるという欧州の構成ゆえに、各国の官僚よりも格上という意識があり、おそらく実態としてもそうなのでしょうが、ゆえにEUやその理念を「一般人の生活感覚とは隔絶したハイパー・エリートたちが勝手に構築したもの」と捉え、批判というか反発を覚える層がかなりあるわけです。現代では、一国に限ってみたとしても、自分たちの地域を遠く離れた首都の官僚たち(日本では「霞が関」)が法律や制度をこしらえているという感じで、意思決定に当事者としての手ごたえを感じにくくなりがちです。論点をむやみに単純化し、調整不能な二分法みたいに突きつけるポピュリズムとか、理解に知的な努力をさほど必要としないシンプルな次元に落とし込む政治事象(ドナルド・トランプが好例だった。と過去形で書いていいのかな?)は、そうしたエリート性への反発や嫌悪と不可分。EUの困難は、そのことをわかりやすく示してくれています。――私にはわかりやすくて仕方ないのだけれど、「受験勉強」以外の学びから遠ざかり、アリバイとしての勉強(佐藤学さんのいう「学びの偽装」とか)に終始し、あとはスマホを介した娯楽や消費に脳の機能をゆだねてしまう人たちには、おそらくわかりにくくて、あのような事象に絡めとられるリスクがまた生じるのかもしれません。一時的な爽快感はあったとしても、本人たちは結果的に「痛む」のだと知ってほしい。本当に。

例の環状道路まで戻ってきたところに、メトロの芸術・法律駅(Arts-Loi / Kunst-Wet)がありました。例によって一般名詞を駅名などに転用すると、フランス語とオランダ語の語彙がまるで違っていておもしろいですね。これから夕食をとりに行こうと思うわけですが、どの地区がいいかな。グラン・プラス周辺は前日に訪れましたので、飲食店が多いと知る旧市街西側の地区を歩いて、適当なところを探すことにしました。芸術・法律駅から西行きのメトロに乗り、5駅進んで、フランドル伯駅(Comte de Flandre / Graaf van Vlaanderen)で下車。


いまいるのは「芸術・法」駅 5つ先の「フランドル伯」駅までメトロに乗る
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系統の路線名が「エラスムス線」というのもエモいな!
(フランス語とオランダ語の表記順を1駅ごとに入れ替えている配慮も絶妙ですね)

 
(左)ブリュッセル運河  (右)フランドル通り

 

ガイドブックによると聖カトリーヌ教会(Église Sainte-Catherine / Sint-Katelijnekerk)周辺に飲食店が集まり、サント・カトリーヌ駅が最寄りとありました。それだと町歩きのおもしろさがない気もするので、1駅先のフランドル伯まで来てみたのです。昼ころトラムで渡り越した運河がこのあたりにつづいていて、フランドル伯駅はその西側にありました。地上に出ると住宅街の中のバス通りで、すぐに運河があり、江東区の大島(おおじま)あたりを思い出します。そういえば、ロンドンはテムズ川、パリはセーヌ川、ブダペストはドナウ川、アムステルダムはアイセル湖と幾筋もの運河・・・ と、都市景観に水辺はセットだという先入観はあるけれど、ベルリンのように固有名詞がこれといって思い浮かばないところもあるので、あまり一般化はできないのかもしれません。ブリュッセルにも水辺のイメージはないな。でもこの運河があるだけで、絵としてずいぶん違って見えます。9年前に訪れたイタリアのミラノも、運河に夏の日差しが落ちて美しかったのを思い出します。1駅余計に進んでよかったね。運河を東に渡り、なんとなく道なりに進みます。最近はあまりあてにならない内蔵センサーにまかせているわけですが、大ざっぱにいえばグラン・プラス界隈や旧市街方面に進んでいることには違いなく、メトロやプレメトロの駅がどこかにあるわけなので、都心歩きは気が楽です。

運河の東側はちょっとした商店街でした。そこからフランドル通り(Rue de Flandre / Vlaamsesteenweg)という一方通行の道路に入り込むと、両サイドに小さな飲食店が並び、夕食タイムがはじまっているようで、地元の人と観光客が見たところ7 :3くらいかな。ラーメン屋が複数あるのがおもしろい。はたして一般性があるのだろうか? とくに食べたいものがあるわけでもないので、いったん聖カトリーヌ教会のそばの広場まで歩いてみて、それらしいお店を検討しましょう。教会そばの方形の広場にはいくつもの飲食店がテラス席を張り出していて、すでに多くの人が着座し、ビールなどを飲んでいます。

 聖カトリーヌ教会

 

 

BEER’S GARDENというレストランがあったので、ここにしよう。テラス席に案内されました。観光食堂ではあるようで、周囲のお客と店員とのやり取りはほとんど英語です。メニューを見ると、だいたいフランスのカジュアル・レストランと同じようなラインナップながら、ベルギー料理と銘打ったカテゴリがありました。どれもよさそうですが、このカテゴリのトップに記載されたCarbonnade flamande à la bierre brune / Vlaamse stoofvlees met donker bier / Flemish beef stew with dark beerにしてみようかな。料理名はまったく初見なので、「ビールで煮込んだ」というフランス語と英語で判断しています。こいつは€22.90とかなりいい値段。ベルギーといえば、ボトル入りの常温ビールをぽっちゃりグラスに注いで静かに飲むというイメージですが、夏の暑い日には冷えた生ビールにかぎりますので、Jupiler50cL€7.10)を取りました。この銘柄はパリなどでも何度か飲んだことがあります。席に案内されてからオーダーを取りにくるまで10分くらいかかり、客あしらいがダメな観光食堂なのかなと思いかけましたが、観察していると単に人手が足りないということのようで、男女1人ずつの店員さんがちゃんと着席順にテーブルを回って対応しているようです。いったん注文が通ればあとはめちゃくちゃ速く、ものの3分ほどで生ビールと、そして料理が運ばれました。同時というのはめずらしい。東京下町の大衆酒場で、カウンター内にある大鍋で「煮込み」とか「肉豆腐」などが煮込まれていて、そこからサーブするだけというクイック・メニューがありますが、おそらく同じ理屈ですね。肉のビール煮込みというのは欧州各地で何度か食べたことがあります。これは、それらとはかなり味の傾向が違っていて、かなり濃く、それこそ下町の肉豆腐の豆腐抜きといってもいいような味わい。醤油と日本酒は使っていないよね? もちろんビールにはよく合います。ベルギーだからフリットが添えられますが、フランス式にパンのほうがありがたいかもしれません(江東区だったかの大衆酒場で、煮込みを頼むとパンが出てくる店があったような)。目の前の広場では大道芸もおこなわれています。肉の量がかなりあって最後は飽きてきました。お新香とかないですかね(汗)。ごちそうさまでした。それにしても「ビアガーデン」などというコテコテの店名はすごいな!

20時近くになって、ようやく「夕方」っぽい空の色になってきました。聖カトリーヌ教会の裏手には、噴水池を囲む親水公園みたいなところがあって、ムール貝などを売りにしたシーフード系のレストランが並んでいます。ここもメインはテラス席で、どこも満席に近い状態でした。冬場の営業スタイルはどのようになるのでしょうね。親水公園の中にメトロのサント・カトリーヌ駅(Sainte-Catherine / Sint-Katelijne)がありました。今回もメトロとトラムを乗り継いで、市街地東側の崖上にあるホテルに戻ります。きょうは1日、乗り物ざんまいで楽しかったな。欧州の人たちは、電車やバスの車内で本当によくしゃべります。知り合いでなくても普通に会話します。ここブリュッセルでは、それが2言語かそれ以上でおこなわれているというのが興味深い。母語話者の割合でいうとフランス語が78割というものの、耳に入るのはオランダ語も同量くらい。私がフランス語になじんでいて、オランダ語だと違和感を覚えるからだということかもしれません。また町なかもそうですが、公共交通に乗ると複数人の子どもを連れたムスリマ女性に頻繁に出会いますね。


聖カトリーヌ教会裏手の親水公園 レストランのテラス席が水辺を囲んでいる

 

811日(金)もピーカン。もっともグーグルの天気予報によるとこのあとは下り坂のようなので、少なくとも雨は降らないでほしいな。3年半ぶりの遠征で、しかも国際情勢などのためパリIN/OUTという旅程のため、久しぶりに隣接地域を鉄道で周遊してパリに戻るプランにしていますが、東京を発つ前にリザーヴしていたのはブリュッセルまでのタリス片道とブリュッセルの2泊のみで、この先の2泊分は未定のまま出国しました。地図を眺め、ネットの観光記事をほじくりながら、パリに滞在しているときに残り2泊の滞在地を決め、ホテルを取っています。きょう11日は、これから鉄道でトゥルネーに移動して1泊することにしました。予備知識はほとんどなく、うっすら聞いたことがあるという程度でしたが、フランス国境に近い、ぎりぎりベルギー領の都市のようです。ベルギー国鉄SNCBSociété Nationale des Chemins de fer Belges / Nationale Maatschappij der Belgische Spoorwegen)のサイトで前夜調べてみたら、ブリュッセルからトゥルネーまではICInter-City ほぼ「在来線特急」に相当)で1時間10分程度。南駅まで行かずとも、ホテルから近い中央駅から乗車できるようで、手ごろな便というと1006分→1116分、1038分→1152分、1106分→1215分、1138分→1252分・・・ とほぼパターン・ダイヤです。毎時2本ということは結構な流動があるのだろうと予想。トゥルネーがかなり小さな都市であることはわかっており、早めに行ったところで町を見つくしてしまうかもしれず、そのぶんブリュッセルをもう少し見学してもよいのでしょうが、きょうは荷物本体(キャリーバッグ)を転がしつつの移動になるので、先方の都市に行ってしまうほうがもろもろ楽だろうと判断して、1038分に乗ることに決め、10時ころチェックアウトしました。お値打ちな、いいホテルでした。きのう買った24時間有効の乗車券がありますので、あと20分くらいはトラムやメトロに乗ってもかまわないのですが、早く着きすぎても困りますので、ブリュッセル散策の打ち上げを兼ねて、中央駅まで15分くらい歩くことにしました。

ブリュッセル滞在は、16年前の記憶がほとんど消えかけていたこともあって思いのほか新鮮でした。訪れた季節もよかったのでしょう。40回以上行っているパリは別にして、久しぶりの欧州遠征ですので無理をせず「西欧」っぽい都会でリハビリしようと考えたのが正解だったように思います。EUのことも含め、ブリュッセルらしさ、ベルギーらしさ、西欧らしさというのが層を重ねて共存しているように感じられて、それがまたヴィジターにとっては居心地のよさになっているのかもしれません。


ロワイヤル通りのコングレ電停付近 写真左手にコングレ記念柱がある

 

 

PART4につづく


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