Les Balkans 2017: la Bulgarie et la Roumanie

PART3

 

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またセルディカ付近に舞い戻りました。まさに座標ゼロですね。ソフィアの見学は実質的にこの日かぎりなので、もう1つ大事な?仕事をしておかなければなりません。地下鉄は利用したけどトラムはまだ見ただけでした。このところのトラム・ルネサンス(路面電車の復活)という西欧の傾向とは別に、路面電車やトロリーバスといえば社会主義国だという以前からのイメージがあります。ソフィアには両方あり一元経営です。さしあたりトラムに乗ってどこかへ行ってみましょう。行き止まりの盲腸線を行って戻るのはつまらないので、ぐるりと回ってこられるところがいいな。けさほど歩いたイグナチェフ通りを南東に向かう線路にはいくつかの系統が乗り入れており、このうち10系統に乗れば、中央駅からセルディカまで乗ってきた地下鉄の終点駅まで運んでくれそうです。そんなわけで今度は確実にトラムに乗るので、地下鉄駅で1.60Lvの切符を買っておきました。

 
ソフィアのトラムはビューゲルとかポールでなく大きなパンタグラフで集電するんだね(チェコやスロヴァキアで見ました)
左の写真のようなキヨスクで切符を売るのだけど、16時前なのに閉まっています 車内で売ればいいのに

 
車内の壁に取りつけられた機械で切符に刻印する 切符は地下鉄、バス、トロリーバスと共用


電停の名前はもちろんあるのだろうけど、欧州のトラムは路線図にもそれが記載されていないことが多く、大ざっぱに「このへん」といった感じを地図でつかんでおかなければなりません。キリル文字なので何と読むのかすらわからないのが本当のところです。いまこの記事を書きながらちょいちょい原語を挿入しているので、なるほどラテン文字とのあいだにこういう対応関係があるのかと初めて気づくことがほとんど。いずれにしてもぱっと見て「絵」として読み取れなければ地名などはダメですよね。昨年暮れに訪れた香港は、広東語の発音はさっぱりわからなかったけれど漢字はほぼすべて読めるので「絵」としての認知はばっちりでした。外国人が日本にやってきたときの苦労が想像できます。

2本ほど別の系統を見送り、やってきた10系統に乗り込みます。日本でも西欧でも低床式のトラムが普通になってきていて、ここのやつのようにステップをよじ登るような感じのを見るとクラシックだなと思うようになりました。IC式の回数券などもあるようですが、私がもっているようなシングル・チケットはいわゆるペラ券で、日本のバスで出てくる整理券とほぼ同じ形状(ただし若干厚みがある)。トラムでは自分で改札機に通せとガイドブックに書いてあったのでそうしましょう。壁にオレンジ色のごっつい機械?があり、隙間に切符を差し入れ、レバーを下から上に力を入れて押し上げると、がしゃんというけっこう大きな音とともに数個の穴が開けられるという、まあアナログな要領でした。何となく大昔の事務機器みたいに思えます。電車はモーター音を響かせながらしばらくは計画都市の範囲をまっすぐ走っていましたが、いきなり緑地公園のようなところに出ると、団地の裏手のようなところに回り込み、ちょっとしたハイキング・コースのような林の中を、右に左にぐねぐね急カーブを切りながら進みます。かなりの急勾配のようで、斜度を緩和するために距離を長くしているのでしょう。ポルトガルの首都リスボンのトラムなら平然と登ってしまいそうですけどね。何だか遊園地の乗り物に乗っているようで楽しい。

 
 
トラムで急勾配を登りきったところがジェームズ・バウチェル 黒川紀章が設計したらしいホテルが丘の上に建つ


路線図を見ても、実際にこうして利用してみたところでも、ソフィアのトラム(およびトロリーバス)は市街地相互の行き来ではなく、周辺部と都心を結ぶ足として機能しており、とくにいま乗ってきた系統のように急坂を登るような路線は、丘(山)の上と下界とを結ぶ重要な交通手段になっていると察せられます。手許の地図と車窓とを見比べながら、地下鉄駅のマークが見えたところで下車。地図によれば10系統もここが終点のはずなのに、延伸したのか線路はつづいており、電車は私ひとりを残してどんどん進んでいきました。地下鉄駅の表示(ありがたいことにラテン文字が併記されている)を見て、予定どおりのジェームズ・バウチェル(ДжеймсБаучер / James Bourchel)に間違いないことを確認。のびやかな住宅街のようで、ずいぶんと緑が多くうらやましいことです。さすがに地下鉄は急勾配を登るわけにも、斜行して高度を稼ぐわけにもゆかず、相当深いところにホームがあります。ここは地図どおりに終点(始発)駅。2駅目が文化宮殿、つまりヴィトシャ通りの南端で、そこで下車しました。ヴィトシャ通りの景観はずいぶんなじんできました。のんびり1駅ぶんを歩きます。

サマータイムはまだまだ明るいのだけど、朝からほとんど休憩なしで歩きつづけたこともあり、そろそろ散策は終了。昼ごはんも食べていませんので、まだ17時ですが早めの夕食にしよう。裏通りを含めてあれこれ物色してみても、これという店が見つからず、だんだん疲れてきたので、セルディカ駅近く、聖ネディリャ教会の向かいにある大型のレストランに入ってみました。Happyという、見るからにチェーン店というかファミレスのたぐいですが、たまにはいいんじゃない。お好きな席にどうぞといわれたのでテラス席に着きました。チェーン店ならではの写真つきメニューを見ると、ずいぶん品目が多く、このところは寿司を一押しらしくて別刷りの寿司メニューがありました。料理はほとんど10Lv以下で、やっぱり物価はかなり安い。パリで何度かブルガリア人に出会ったことがあり、実際に高くない階層の労働力を担っているのだと記事で読んだこともありますが、EU域内でこれだけ物価が違えば出稼ぎにも行きますわね。チェーン店だけあって客あしらいはまあこんなものかというところですが、ちゃんと英語で応対してくれています。若い人は英語できるみたい。0.5Lの生ビールを発注して、僕ちゃんお疲れさまの感じでぐいっと。路肩のオープン・テラスなので町の喧騒やトラムの走行音が遮断されずに耳に入ってきて、いい気分です。

 
 
「ハッピー・ミートボール7個入り」


ごっついステーキやグリル系など、やたらに分量のありそうな料理ばかりで、それは避けたいなあ。安いからいいのですが、貧乏性なのか食べ物をあまり残したくないんですよね。見ると、店名を冠したハッピー・ミートボールなる品がわりと量控えめのようだから、それにしました。出てきた料理は普通の肉団子。昨夜のシシケバブと形状は異なりますが、成分と趣旨はほとんど同じで、塩味のつくねです。ただしこちらのほうが粗挽きになっていました。肉汁いっぱいで、けっこう美味しい。ファミレスにしては手づくり感があるしね。ミートボール8.99Lv、ビール3.49Lvでした。ホテル近くに、前日とは別の小さな酒屋が開いていたので、それらしい赤ワインのボトルを求めました。2人の店員さんが、「これはセール品なので同じ値段でもう1本差し上げます」と、ごつごつした英語でいいます。こちらも多分にごつごつ英語で、意味はわかるのだけど旅の途中なので1本だけいただきますというのですが、そんなの常識外なのか、また同じことを説明してきました。キャリーバッグの隙間がなくはないけれど、赤ワインのボトルが途中でどうにかなったら嫌ですしね。おそらく、この人はことばが通じないのだと思ってあきらめてくれたのでしょう。112.90Lv。てっきりブルガリアのワインかと思ったら(けっこう有名ですし)、グルジア改めジョージアの産でした。ジョージアもまた赤ワインで有名ながら飲んだことはありませんでした。日本にはあまり入ってきていないでしょうからね。独立いらいロシアとたびたび戦争して、領土を実質的に奪われ、西欧寄りの路線を敷いて関係を途絶してしまったため、主力輸出品であるワインの市場が狭まったというようなことを本で読んだことがあります。たまたま手に取ったジョージアのワインは値段から想像するよりずっと美味でした。ブルガリアとはお相撲さんつながりということにしておきましょう(ブルガリア出身の現役力士が碧山、ジョージアは栃ノ心)。

 ヨーグルトを忘れずに


8
28日(月)もいいお天気。11時のバスに乗るので少しゆとりがあります。8時ころダイニングに降りて朝食。昨日は肝心のヨーグルトを取り忘れていました。ブルガリアといえばヨーグルト以外に連想できない人が多いというのに、目の前の品をスルーするなんて(汗)。おかずを選んでいるとき、おはようございますと日本語で声がかかりました。少し年かさの日本人の男性で、これはこれはどうもとあいさつ。せっかくなので一緒にいかがですかということになり、同じテーブルにつきました。まず普通のお訊ねがあります。「お仕事ですか」 ――いえ物見遊山みたいなものです。「それにしてもブルガリアのようなところにいらっしゃるとは。ここに観光で来るのは、他のところを見てしまった人が多いんですよ」 ――あ、まさにそんな感じで(苦笑)。 聞けば社会主義末期から、ブルガリアのみならずルーマニア、ユーゴスラヴィアなどの中東欧圏を仕事で行き来してきたそうで、貿易関係とお見受けしました。パリに住んでいたこともあるということなので、欧州全体の事情や各国のお国柄などについて盛り上がります。今回はルーマニアから順繰りに攻めて?ソフィアに到達し、これから帰国しますとのこと。逆の行程ですね、私はこれから・・・ と、ヴェリコ・タルノヴォからルセをめざす旨を告げると、それらの都市の事情も詳しく教えてくださいました。それでも「あ、あんまり事前に言いすぎるとつまんないですよね」と配慮してくださいます。ありがたい。

物価もかなり安いですし、低賃金なのではないでしょうか、経済はどうなんでしょうかとブルガリア情勢を訊ねると、真顔になってこんなことをおっしゃいます。「この国はまだ民主主義とか、資本主義というのをまともに運用できていないんです。どういうふうに商売をすればいいのか、本当のところでわかっていない。だから共産党が消えたあとはマフィア経済が幅を利かせています。ソフィアはまだいいですが地方はひどい。英語のできる若くて優秀な人はほかの国に出て行ってしまいますしね。これからどうなるのか」・・・ 思いがけずこのタイミングで懐の深いお話をうかがえて、よい朝食になりました。お互いにあえて名乗りもせず身分も明かさずで、こういうのもいいじゃない。


地図出典 http://www.sekaichizu.jp/


さて、これから私は夏の日のバルカン半島を東に進み、古都ヴェリコ・タルノヴォに向かいます。往年の地図少年もソフィア以外の都市名が頭になく、知っているブルガリア人の名前すら共産党政権の主ジフコフと、あとは碧山と鳴門親方(元大関・琴欧州)くらいしかないという、日本人の標準をさほど逸脱しない程度の知識でした。ヴェリコ・タルノヴォはその元琴欧州関の出身地らしく、ガイドブックをぱらぱらめくっていて歴史のありそうな(それとホテルがちゃんとありそうな)ところとして選んだだけで、さしたる予備知識も思い入れもありません。今回のツアーではルーマニアのブクレシュティを最終目的地にしているので、中2泊は適度の距離を置いて、無理なく移動したいということです。前述のように、列車移動できれば最高ですがそうもいかないので、長距離バスを22Lvでネット予約しました。1500円とかそれくらいなので、3時間の移動のわりにはかなり安いです。Eチケットの券面を見ると、バスはヴェリコ・タルノヴォ行きではなく、黒海沿岸のヴァルナ(Варна)が終点。めざすヴェリコ・タルノヴォは地図上では中間あたりなので、えんえん6時間もバスに乗りつづけることになるのですね。中東欧ではめずらしくないことですが、日本から欧州までの空路移動が12時間ですので、いやご苦労なことです。

バスは11時発なので、ゆとりをもって9時半ころホテルをチェックアウトし、ゆるゆるセルディカまで歩いて、前日と同じように地下鉄で2駅、中央駅駅まで移動。ガイドブックには「大きな荷物を持っている場合にはもう1枚切符が必要だ」とあり、60×40×40cm以上の見当となっていますが、中型のキャリーバッグの厚みが40センチもあるはずはなくどうしたものだろう、11.60Lvなので大した持ち出しでもないけどと思っていたら、券売機の前に女性の駅員がいたので、確認することができました。Just for you(あなたのぶんだけ)とのこと。前日下見したのに当該便の具体的な乗り場を見つけられず、あらためて来てみてもやはりはっきりしません。国際便も集まる首都のバス・ターミナルなのだから運行会社ごとという縄張り主義でやられても困るんだよね。とある会社のオフィス前で雑談していた女性係員に予約票を見せ、これはどこですかと訊ねると、かすかに知っているような英語でネクストと。隣のオフィス? どう見てもそんな雰囲気ではないが、念のため中に入って、1人で仕事していたデスクの女性に同じように訊ねました。と、これまた主語述語のない単語で、another stationと。別のターミナル? 彼女がそのまますぐPCの画面に目を落としたので、探してくれるとか何かプリントアウトしてくれるのかなと2秒くらい期待したら、こちらをにらみつけ、怒り口調でanother station!! だと。はあ、自分には関係も責任もない件を答えてやったんだからとっとと立ち去れという意味だったのか。サービス業を心得ない女性がいるもんだと前日につづき妙に感心し、そうはいっても乗り場が見当たらないと困るので道路側に出てみると、鉄道駅とは離れた側に黒光りする立派なビルが見えます。あ、これかもしれない。キャリーを転がして近づいてみると、黄色いタクシーがたくさん停車しているのでどうやら間違いなさそうです。ガイドブックをもっていて、そこにもちゃんと情報が出ているのに、いい加減に読み飛ばしていたのが悪かった。下見したつもりだった駅横のプールはアフトガーラ・セルディカ(Автогара Седика)という国際便専用のターミナル、今回利用するのは国内便の発着するツェントラルナ・アフトガーラЦентрална Автогара)のほうだったようです。「国内線ターミナル」のほうが立派というのも不思議。キリル文字はともかく言葉の雰囲気は少しわかります。アフトはオート、つまり自動車(バス)のということでしょうし、ガーラというのはフランス語の駅にあたるgare(ガール)からの類推でステーションのことでしょう。ツェントラルナ・アフトガーラにはラテン文字でCentral Bus Stationという訳語が示されていました。

 
 
ツェントラルナ・アフトガーラ


ターミナル・ビルに入ると吹き抜け式のなかなかしっかりした造りで、新築されて間もないのかぴかぴかしています。昨夏はラトヴィアのリーガとエストニアのタリン、今春はクロアチアのザグレブで、首都のバス・ターミナルを見てきましたが、それらと比べても格段に立派。バスタ新宿よりもゆとりがあります。やはり運行会社ごとの小さな窓口があり、予約したビオメット社(Biomet)がすぐに見つかりました。ダウンロードしたEチケットがいちおうチケット風なのでそのまま乗れるのか不明だったので、それを示し、ヴァリデーションしてくださいと英語で頼むと、50代くらいの女性係員がかろうじて通じる程度の英語で受けてくれ、あらためてカーボン式の手書きチケットを発券しました。この手書き式は2月にザグレブ中央駅でスロヴェニアのリュブリャナまでの鉄道の切符を頼んだときに経験しています。まあ、ちょっと前までは日本でもさほどめずらしいことではなく、若いころには何度も経験しているので、東欧に来るとノスタルジックな思いにもなります。ちなみに下のチケットの写真で、最下段に手書きされているのが私の名前。KogaКогаに変換?されていますね。

 
 


これまた立派な売店があり、パンやサンドイッチなども各種あるので、クロワッサン1個(1.39Lv)だけ購入しました。最近は胃腸の具合にちょっと自信がないので、長時間の移動の間におかしくならないよう、ランチ抜きということが多くなりました。非常食的な意味でクロワッサン。各社窓口の背後の側に、方面別のプラットフォームがありました。このあたりも機能的に造られています。ホールにいるとタクシーの客引きが中まで入ってきてうるさいので、とっととプラットフォームに出ました。1040分ころには赤い車体のバスが入線。先に荷物を預かってくれます。バッゲージ・タグが手書きチケットの裏面に貼りつけられました。ま、請け出すときにはこれをいちいち照合するわけではないので、気をつけておくべきことには変わりありません。公共の場所が禁煙という発想が不十分なのか、ホーム上に灰皿があって、バスのど真ん前で老若男女が顔を突き合わせてすぱすぱ。個人的には不愉快だけど、これも昭和の旅行ではありがちな光景でした。長距離移動=座席のモケットなどに染みついたタバコのにおいという印象すらあったもんね。発車10分前に乗車誘導がありました。チケットの右端に手書きでNo.9とあるので、これはシート・ナンバーですかと運転士に訊ねると、そうだと答えます。14席なので9番は前から3列目の窓側。1年前にラトヴィアで乗ったバスと違ってまったくゆとりがなく、エコノミークラスよりも狭いかもしれません。右隣は中年の女性。エアコンのスイッチが入っていないので暑くてかないません。定刻の11時になってようやくアイドリングを開始し、冷風が流れてきました。1101分に発車。

 
 


ソフィア郊外の住宅地は思いのほか広く、25分くらいかかってようやくカントリー・サイドに出ました。そこからハイウェイっぽい道路に入って、たちまち山岳部に突入します。車窓は小麦畑がしばらくつづいたあと、いつしか山の中へ。交通量はさほど多くないものの道路の状態はまずまずです。国内屈指の幹線道路なのでしょうか。かなり標高の高いところまで登った感じがあり、トンネルなどもあってサミットを越えたことがわかりました。1240分ころ、今度は長くつづく下り勾配に入ります。そのあとは牛の姿も見える放牧地、ぽつぽつと住居のある集落、あまりにしょぼいドライブイン、このバス運行会社のトラック・ターミナル(運送業が本業?)、さらにはヒマワリ畑といった変化があって、景色を見ているだけでもけっこう楽しい。隣席の女性は乗っているあいだずっとスマホをいじくっています。いまさらブルガリアの車窓なんてということか、ダメな惰性か。3時間の行程の後半は、日本では二級国道レベルの対面通行で、無理な運転はありません。定刻の14時になるころ、ようやく都市らしき建物がぽつぽつ見えてきました。立体交差のインターチェンジっぽいところを通り抜け、1410分ころ、小さなバス・ターミナルの建物を回り込んでプールに入りました。

 
アフトガーラ・ユク


着いたところはアフトガーラ・ユク(Автгара Юг)というターミナル。ユクは南という意味です。予約しているホテルは市の中心部で、地図を見るとそこまでは6700mくらいなので歩いていくことにしましょう。山の中の小さな都市で方角を間違えたりすると大変なので、もう一度地図を取り出して目の前の道路配置と見比べておきます。地図ではわかりませんでしたが、数百メートルといってもずっと登り坂で、それもけっこうな勾配。そして歩道の舗装がソフィア以上にガタガタです。六角形のタイルを並べて貼りつけてあるのですけど、メンテナンスが悪すぎてあちこちがはがれてしまっています。やむなくキャリーバッグを持ち上げたり、車道側を転がしたりするものの、登り勾配とあいまって、夏場なので汗がかなり出てきました。

10分近くかかってようやく登り坂の終点、というか市の中心部にたどり着きます。中心部といっても、日本でいえば市になれるかどうかというクラスのレベル(このごろは中心市街地のない「市」もずいぶん増えましたが)。ここヴェリコ・タルノヴォВелико Търново)の人口は7万人程度なので、やはり都市というほどの規模ではありません。ただ、ブルガリア中部にはさほど大きな都市がないのと、この町が歴史的に果たしてきた役割ではソフィアをしのぐものがあることにより、別格の扱いにはなっているようです。端的にいえば中世の都であり、1878年に「解放」されたあとも当初はここに首都がおかれました(2年後にソフィアに移転)。ヴェリコはGreatの意味で、大タルノヴォといった感じの美称なのだけど、1965年に公式の都市名になりました。ですから歴史的には「タルノヴォ」です。

 
 
ホテル・プレミア


アフトガーラから坂を登りきったところが三差路になっており、ここがヴェリコ・タルノヴォの座標ゼロと考えてよさそうな地点。予約したホテル・プレミアХотел Премиер / Hotel Premier)は、その1ブロック裏手にありました。4つ星で、この町ではトップクラスのホテルではないかと思うのですが、建物やエントランスまわりの雰囲気は温泉地の大型旅館の感じ。入ってすぐのところにレセプションがあり、中東系の顔立ちをした中年男性が迎えてくれました。この人の英語がひたすらごつごつしており、Rの発音がすべて巻き舌になるので、しっかりと傾聴しておきましょう。お、廊下や部屋の造りも田舎の温泉旅館風で、これはこれでなかなかおもしろい。窓を開けると、谷間の向こう側の斜面に小さな住宅がびっしり張りついた様子が見え、写真で見たヴェリコ・タルノヴォの雰囲気をさっそく味わうことができました。予約サイトでは1泊朝食つき€36ほどの提示があったのですが、ハーフ・ボード(half board)なら€55.80とのことだったので、そちらを指定しています。ハーフ・ボードというのは朝・夕食つき、フル・ボードなら3食つきです。ハーフ・ボードを勧められたのは初めてで、この小さな地方都市でレストランを探すことを考えればホテルで夕食というのを1回くらいはさんでもいいよねと考えたわけです。チェックインの際に、夕食は何時になさいますかと聞かれたので、町歩きの余裕を見て20時にとお願いしました。レストランは、レセプションのすぐ後ろに見えています。

汗が引くのを待って、さらに疲労を取るための小休止をはさんだため、再起動は15時半になりました。持ち時間があまりありませんが、小さな町のようだし、サマータイムで昼が長いこともあって、さほどあわてなくてもいいと思います。ネザビシモスト通り(Нзависимост Булевард)という対面通行の道が、何度か名を変えて東に伸び、それがこの町のメイン・ストリートのようで、構造は面でなく線的なのでわかりやすいですね。見どころは何といってもその先にある城郭の跡なので、そこまで歩いていこう。

 
 ヴェリコ・タルノヴォ中心部


地図というのは三次元のものを二次元で表現するものなので、地形自体が立体的な地域のものほど実際の景観を想像しにくいことになります。ここヴェリコ・タルノヴォは、そうした立体的な変化が激しい地形であることに加えて、ぐねぐね曲がって流れるヤントラ川Я̀нтра)に囲まれて高地が取り残されたようになっているため、単純な斜面というわけでもなく、地図だけではいっそう把握しにくい。そういうのが面倒な人もいるでしょうけど、タモリさんほどではないにしても地形好きなので、私は大歓迎です。このヤントラ川は、地形学でいう嵌入曲流(かんにゅうきょくりゅう)なのだと思いますが、平面の地図で見ると信じられないような流路を進みます。ヴェリコ・タルノヴォに未練があって、行きたくないよ〜とでもいいたそうなくらい。ここバルカン山脈は欧州でも新しい山地なので、おそらく平地だった時代に勝手気ままに流れていた川筋が、急速な地盤の隆起と並行して下刻(垂直方向に地盤を侵食する動き)を進め、こんなふうな地形になったものではないか。地理歴史専修(ただし歴史のほう)の出身なのでそれなりに推測して申しましたが、本当のところは存じません。ご存じの方ぜひご教示ください。ホテルのあるあたりは高いところだけど、道路沿いの建物の隙間からは、崖のはるか下を流れる川面が見え隠れします。地図で流路を追いかけると、ヤントラ川はブルガリア中北部をひきつづきわがままに蛇行し、あちこちに河跡湖(三日月湖など)を残しながら進んで、ドナウ川に注ぎます。江戸時代の日本の幕藩権力だったら平野部分だけでも大改修しちゃいそうなくらい、ぐねぐねしっぱなしの人生(河生)です。


ヴェリコ・タルノヴォの概念図 ヤントラ川はさらに北(上)のほうへ流れ、ドナウ川に注ぐ


ホテルから道なりに300mくらい進んだところで、道が二手に分かれていました。けっこうな斜面に沿って進むため、片方は登り坂、他方は下り坂になっていて後者が自動車道。歩行者専用ではないようですが、左手のペイヴメントを歩くことにしましょう。地図で最低限の進路と位置関係をチェックしただけで、観光スポットなどはスルーしており、このペイヴメントが見どころの一つであることに後で気づきました。サモヴォドスカ・チャルシャСамоводска Чаршия)というそうで、チャルシャは市場のことらしい。狭い道の両側には、飲食店のほか各種の土産物店が並んでいて、素朴な民芸品を並べています。この区画では、大半の店が彫刻や陶器などの工芸品の工房が直売するスタイルで、職人街というコンセプトになっています。店頭には、英語を添えた職人のプロフィールを掲出していました。へえ。ただ、品物自体はどれも素朴すぎてさほどおもしろいものでもなく、実用的とも思えないので、見るだけね。

 
 
 
サモヴォドスカ・チャルシャ


しばらく歩くとサミットがあり、その先は急な下り坂で、ついには急階段を踏み、先ほど分かれた自動車道に合流。道なりとはいうものの、ぐねぐね曲がる段丘の地形に合わせて道路もくねっているので、脳内の地図の感覚がかなり狂ってきました。その先でさらに下り勾配になっています。何とアップダウンの激しいところなのかと重ねて感心。湿度がさほどでもないため、夏の日差しの中でも不快な暑さを感じるわけではないのはありがたいです。

 

PART4につづく

 


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