Découvrir Lisbonne et l’Océan Atlantique

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ケーブルカーのラヴラ線を体験し、歩いて下ってもとのリベルダーデ通りに出ました。昨夜メトロを下車したレスタウラドーレス広場がすぐそこに見えています。と、今度は通りの反対の西側に別のケーブルカーが見えます。こちらはグロリア(Glória)線。20代の中国人女性3人連れが大はしゃぎしながら乗り込みました。観光客があと23人と、地元の人らしき高齢者や子どもで座席が埋まります。この路線もかなりの急斜面を登っていきますね。観光客かどうかは地図またはガイドブックとカメラで判別可能。

 グロリア線 下の駅
  グロリア線 上の駅


ここも3分ほどで上の駅に着きました。さっき乗ったラヴラ線の終点は住宅地の路地裏みたいな場所でしたけれど、こちらは交通量がけっこうある2車線の道路に面した、わりにゆとりのある駅でした。その道路にはトラムの線路が埋まっており架線の痕跡があるものの、地図上に路線はありません。廃線になったところと思われます。リベルダーデ通り周辺でも廃線跡を見ており、ケーブルカーと並ぶ名物のトラムも、かなり縮小されたあとなのでしょう。

 展望公園にやってきました!

上の駅のすぐそばに公園があります。きれいに整地されたゆとりある公園ですが、ここは高台に面した展望公園になっている。サオン・ペドロ・デ・アルカンターラ展望台Miradouro de São Pedro de Alcântara)といいます。さあいい景色を眺めようぜ。


バイシャ地区(低地)をはさんで左の高台上にサオン・ジョルジェ城、手前の大屋根はポルトガル鉄道のロシオ駅、右奥はテージョ川

写真中段に見える植物の列がリベルダーデ通り 左奥がマルケス・デ・ポンバル付近


いやあ好天にも恵まれて、実にすばらしい眺めです。「低地」のバイシャ地区をバイロ・アルトとアルファマの高台が両側から挟み込む地形が手に取るようにわかります。いまいるところはバイロ・アルトの端っこ。ケーブルカーで登ってきただけあって崖というのに近い急斜面です。町の片側に高台があって一望できるという場所にはこれまでも行ったことがあるけれど、シンメトリックに両側が高いというのは都市部では見たことがありません。そもそもリジュボーアは港湾都市として発達しました。テージョ川はここから大西洋まで10kmもないのですが閉じた袋のようになっていて内部は穏やかであり、そこへ向かって陸地が急に落ち込む構造だから水深があって港に最適だったのだと推察されます。あとは長崎市と同様に、場所がないので斜面にまで家が建って訳がわからなくなったということね。

 サオン・ペドロ・デ・アルカンターラ通り 線路はトラムの廃線跡


今度はバイロ・アルト地区を南下してみましょう。展望公園に沿った道路をそのまま南に少しだけ進むと、真っ白な教会と小さな広場がありました。サオン・ロケ教会(Igreja de São Roque)とトリンダーデ・コエーリョ広場(Largo Trindade Coelho)です。何だかこのちまちまっとした感じは、パリとかベルリンのような大都会というより地方都市の教会まわりでしばしば出会う景観に近い。都心部のロシオ広場と直線距離で300mも離れていないのに、こちらは日常の延長線上にあるようなエリアに思われます。広場にはオープンエアのカフェ(というより代々木公園の売店みたいなやつ)があって、午前中ながらのんびりしている人もちらほら。メニューをのぞき込んだらカフェ(エスプレッソ)が€0.60、缶ビール€1.50と、観光地相場なんて知らないよというほどのびっくり低価格です。いつもならビールとかポートワインを手にしてしまうところでしょうが、快復してほどない身体なので自制して、お水(笑)。ナチュラル・ウォーターと頼んだら500mlのペットが€1.00でした。ご存じの方も多いと思いますが、欧州でミネラル・ウォーターといったら大きく2種類、炭酸ガスの入ったもの(ペリエのたぐい)と入っていないものがあって、後者はnaturalとかwithout gazといいます。ポルトガル語ではÁqua mineral sem (or com) gásとありました。お水はアクアっていうのね。英語のwithoutはフランス語でsans、ポルトガル語はsemなわけだ。ほほう。海外旅行12回目のころは「言語が違う、日本語が通じない」というだけでドキドキしていたように思いますが、すぐに慣れて、「言語が違って自分のことばが通じないのは確かだけど、それが何か?」てな具合になりました。通じないほうが幸せな場合も多いのだということに気づくと、さらに幸せになれます。

  サオン・ロケ教会とトリンダーデ・デ・コエーリョ広場
  そこからかなりの急坂を下って・・・


ここまでミシュランについていた折りたたみのマップと「歩き方」の地図を併用しているのですが、地図の弱点は起伏・凹凸がさっぱりわからないことです。さきほど展望台に行ってだいたいの構造はわかりましたが、そもそも高台であるバイロ・アルトの中にけっこうなアップダウンがあるというのは地図上では見えません。トリンダーデ広場から先は南に向かってかなり傾斜になっていました。この町で生活すると足腰鍛えられそうですね。狭い道なのに車両の通行がひっきりなしなのは、自動車でないと動けないためかもしれない。燃費かかりそうだなー。

  カモンイス広場
 カモンイス広場からテージョ川へ向かってさらに急斜面!


坂を下っていくと「踊り場」にあたるところがカモンイス広場Praça de Luis de Camões)。ルイス・デ・カモンイスはポルトガルの代表的な詩人だということです。ここには営業中のトラムが乗り入れていて、広場をぐるりと回る古びた車両が見えました。まだ午前中、冬場にしては強めの日差しが白系の路面に当たってまぶしい。1日前はどんより曇って気温ぎりぎりプラスのパリにいたのが信じられません。ここリジュボーアはどんどん暖かくなってきて、用心のため巻いていたマフラー(3日前にシャンゼリゼで買ったやつ)はとっくに外していますし、コートを着ているのもどうかなというくらいになってきました。そういえば風邪ひいていたんだっけ。

広場は東西に長く、東側の張り出し部分みたいなところはリジュボーアで最もにぎやかな通り(と結果的に知った)ガレット通りRua Garrett)につらなっています。メトロのバイシャ・シアード駅の出口がそこにあったのには少しびっくり。昨夜乗った入口はバイシャ=低地側だったので、けっこうな高低差と水平方向の距離もありそうですが・・・。

  焼き栗屋さん

そのガレット通り界隈がシアード地区Chiado)です。そうか、バイシャ・シアードというメトロの駅名は低地側と高台側の繁華街を並べた連名だったわけね。小竹向原とか西中島南方とか四天王寺前夕陽ヶ丘とか中洲川端とか、地下鉄の駅名はとかく両方の顔を立てて連名になりやすいのですが、高低差があるケースはめったにないよなあ。で、私はこれからいったん低地側に降りようと思います。手っ取り早いのはいうまでもなくメトロ駅をスルーして反対側に出る方法だけど、ここリジュボーアの名物として外せないものがあるんですよね(名物いっぱいある町だねえ)。

 
(左)アルマゼンス・ド・シアードの高台側入口 (右)右の建物がアルマゼンス 奥に見える空中回廊をこれから通ります


私はたいていだいたいの地図を頭に入れてからその記憶を頼りに歩きます。地図を見ながらきょろきょろするのは危険だし、それ以前におもしろくないような気がします。めざす方向はこっちかなと思って歩いていたらガレット通りの突き当たりに来てしまいました。これは行きすぎで戻らなきゃだけど、突き当りの建物はアルマゼンス・ド・シアード(Armazens do Chiado)というショッピングセンター。SCといえば私の大好物だから少しのぞいてみよう。3階建てくらいに見えますが足許は低地側にあるらしく垂直方向に伸びたビルみたいです。あまり食指が動かなかったのでお手洗いだけ借りておきました。お手洗いは無料。ていうか、リジュボーアの公共トイレはたいてい無料で結構なことです。

  
 

さきほどトリンダーデ広場からきつめの坂を下ってシアード地区まで来たわけですから、北に戻るとなると今度は急な登り坂。登りきったところに小さな公園があり、教会横の路地みたいなところを入ると、けっこう狭い歩道橋が伸びています。その先に簡易カフェがあり、さらに進むとエレベータ。まず下から見上げて全容を把握し、それから上ってここに来るというのが普通の手順でしょうが、先に高台側に来たものだからやむをえません。全容についてはあとで触れましょう。ここはサンタ・ジュスタのエレベータElevador de Santa Justa)。低地と高台とを結ぶ動力装置はリジュボーアの近代化にとって必須であり、斜面を登るケーブルカーと垂直方向に上昇して回廊で高台へつなぐエレベータの両方が造られました。エレベータは他にもあったようですが結果的に1901年完成のサンタ・ジュスタだけが残って、いまも現役で稼働中ということです。もっとも€5払ってエレベータを利用するのは基本的に観光客で、いまとなっては観光資源として動かしているというのが正しいと思う。設計したのはラウル・メニエ・デュ・ポンサール(Raoul Mesnier du Ponsard)なる人物で、両親がフランス人ながらポルトガルで活躍したようです。このエレベータはしばしばギュスターヴ・エッフェル(エッフェル塔の設計者)の作品といわれており、私も最近までそうだと思い込んでいましたが、それは不正解。ラウルがエッフェルの弟子であったという話もいまいち信用できないようです。ミシュランには「ギュスターヴ・エッフェルの影響を受けた、フランス系ポルトガル人の技師ラウル・メニエール・デ・ポンサルド(Rául Mesnier de Ponsardとポルトガル語ふうの綴りになっている 訳注)によって1901年に造られた」とあります(Op.cit., p.50)。

ともあれ、まずはエレベータのてっぺんにある展望台に行ってみよう。狭く急ならせん階段をぐるぐる上ると、豆の木をよじのぼるジャックみたいな感覚になってきて、納豆と高いところは社会から追放すべきだと考えている私にはけっこうハード。上りきるとそこはさほど広くない「屋上」でした。高台側はともかくその他の3方向の見晴らしは抜群にすばらしい。ほら、

同じ背丈の建物が縦横に整然とならぶバイシャ地区と、その向こうにテージョ川。

視線を少し左にずらすと、アルファマ地区の高台が見えます。

そして、どこからでも見えるサオン・ジョルジェ城。ここへは後で行ってみましょうね。

さらに左下を向けばロシオ広場です。突き当たりの白亜の建物は国立劇場。昨夜はここまでやってきたのでした。

写真の真ん中から左に伸びる緑地がリベルダーデ通りです。緑地帯が切れたところにポンバル侯の像が見えます。

で、こちらが高台側とをむすぶ回廊。

ときどきアリバイ的に写り込んでみましょう(笑)。昨日自分がたどってきたように、市内北方にある国際空港へ向けて次々に航空機が下りてくるのが見えます。それにしても、赤茶色の屋根がびっしりと並ぶ景観は独特で、南欧っぽい。12月にチェコのプラハを初めて訪れ、やはり赤茶色系統の眺めを見渡したのですが、そのときは「中欧っぽい」と感じたんですよね。お天気の違いはあるでしょうが(プラハは小雨だった)、やっぱり決定的に違うものがあるように思います。テージョ川の存在感が大きいようにも思う。これが川だというのなら東京湾なんて余裕で「隅田川の河口」と言い張れるんじゃない? 外洋へ開けた港湾都市という歴史的使命がかもし出す景観ではあるのでしょうね。

 

PART 3へつづく

この作品(文と写真)の著作権は 古賀 毅 に帰属します。