Vers les capitales de Habsbourg…

PART4 待望のシュニッツェル!

 

 

環状道路リンクの内部がウィーンの旧市街、いまから歩こうというマリアヒルファー通り周辺は新市街の様相です。もともと名所旧跡をめぐるよりも、普通の住宅街や普通の繁華街を歩くほうが好みです。アルコールの発散を兼ねて、しばし歩きましょう。西駅付近からリンクまで1.5kmくらいかな。


それがどうしたといわれるかもしれませんが、フランスの流儀に慣れている目には、赤信号できちんと停止する歩行者は奇蹟的に見えます


時間を区切ってしているのか常時そうなのかはわかりませんが、自動車の進入は禁止されています。ただ、自転車用道路というふうに位置づけられているらしく、本格的なやつからミニサイクルまで結構な量の自転車が行き来しています。並木の木陰には、やはり飲食店のテラスが並べられていて、かなりの人でにぎわっていました。何かを買う気はほとんどないながら、書店やカジュアル服屋さんなどにちょこちょこ出入りして、人々の様子を観察してみます。福岡でいったら天神に向かうけやき通りとか、そんな感じかなあ(もう少し規模が大きいようにも思います)。

元来が鉄道マニアで、「乗る」ことに主眼を置いていた私が、線路から離れて町なかを歩き回るようになったのは、20代前半のころでした。古い都市ほど、目抜き通りは駅から少し離れたところにあります。当時はひとりで酒を飲む習慣がなかったので、ときどき喫茶店でコーヒーを飲む程度のきわめて健全なお散歩でした。そのころ、1990年代といえば、東京風の消費文化が地方都市にも浸透して、よくいえばどこへ行っても同じような消費生活をすることができるようになり、悪くいえばどこへ行っても同じような景観になって、日本中が均質化されたような気のする状態になってきつつありました。町歩き初心者としては、そうした地方色の薄まりを切なく思いつつも、でも自分こそ消費文化のど真ん中を愛好しているんだよなあと複雑な感覚でおりました。そうして日本各地を歩き回ったあと、30代になると行く先は欧州へと変わります。日本で心得た作法は欧州でも使えます。こうして各都市の個性を見ながら、でも何となくグローバル・レベルでの均質化が進行している状況を感じながら、初めての町をうろうろすることにしています。

 
 

先を急ぐつもりはなく、もとよりこの先の予定もないので、日よけのついたテラスの一席に腰かけて、エスプレッソを一杯。各店舗の道路に面した部分の延長線上がその「領地」というわけでもないらしく、私が座ったところも洋服屋さんの目の前で、お店の本体がどこにあるのかよくわかりません。でも、すぐにスマートなボーイさんがやってきて注文を受けました。2つくらい向こうのビルにお店があるらしい。ワインのフルボトルを頼んでゆったりしている人、ごっついアイスクリームを食べている人、一心にノートPCのキーボードを叩いているビジネスマンふうの兄さんなど、いろいろです。

ゲルングロスGerngross City Center)という大型デパートがあったので入ってみました。路面点の場合は、すぐに店員さんにつかまり、買うんでしょうねというプレッシャーをかけられるので(そういう気分になるので)、基本的にセルフサービス?のデパートやショッピングセンターはその点で気楽。こういうところに来たら自分用のネクタイを買うことにしています。高級品から安物まで各種そろっていますけど、安めの赤いやつを1本、購入しました。ネクタイを買うときって、国内も含めて、ほとんど迷わないんですよね私。「迷ったらやめる」ことにしています。あとであてがってみたら直感が外れたということもあるけれどねん。なぜネクタイなのかといえば、そこそこの値段なのと、何より軽くてがさばらないからです。お気づきかとは思いますけど、「授業」で学生・生徒の前に立つときにはネクタイを外したことはありません。いちおう私なりの矜持なのでございます。


  
どこにでもあるな〜(いずれもマリアヒルファー通り)

毎度おなじみスターバックスが見えたあたりから、マリアヒルファー通りは緩やかに左カーブを切りながら、緩やかに下っていきます。この付近には各種の飲食店が多いですね。ここは、リンクの1筋外側で、マリア・テレジア像のあったミュージアムクォーターの裏手にあたります。数時間前に歩いたナッシュマルクトはここから2筋ほど東に行ったところ。ウィーン新市街の目抜き通り散歩はこれで終わりです。紳士用整髪料だったかの試供品プレゼントを丁重に断り、地下のミュージアムクォーター駅からUバーン2系統に乗り込みます。とはいってもこの路線は次のオーパー(Oper)つまりオペラ座前で終点。歩いたってよいし、さほど疲れてもいませんが、せっかくチケットをもっていることでもあり、地下鉄ももう少し乗ってみたい。

 マリアヒルファー通りの「終点」ちかく
  Uバーン、地下道の様子

オーパー駅はUバーン3路線が集まる要衝です。パリの地下鉄コンコースは、通路が狭い上に天井が低くて圧迫感があります(私は慣れているのでむしろ居心地のよさを感じます)。フランクフルトの地下鉄は日本の平均に近い感じではないかなあ。オーパー駅も、けっこう駅ナカが発達して多くの人が往来していましたが、間接照明を生かして上品に造られており、さすがというべきか、こじゃれた感じがします。コンコース内にオペラ・トイレ(Opera Toilet)なる怪しい一隅がありました。Mit Musikmitは英語のwith)とあるので、何かすると音楽が聴こえてくる仕掛けなのかな? 用事を欲していればのぞいてみるところながら、ここはスルー。音楽の都にしては下世話じゃね?

  オペラ座
 クラシック屋さん


地上に出てくると、国立オペラ座の前には夜の公演を待っているらしい人がたくさんいました。例のチケットボーイもたくさんいて、相変わらず観光客相手に熱心なセールスをつづけています。最近ちょこちょこお会いしている中学校時代の恩師は、ウィーンに行きますといったら、「いいなあ、ウィーン最高じゃん。オペラ漬けになって過ごせるし」とかおっしゃっていました。漬かるどころか表面を舐めてすらいません(涙)。そういえばこの方は理科の先生だったのだけど、話題が豊富で、話がどんな展開になってもちゃんとフォローしておられました。狭い意味での教科の勉強に閉じこもることなく、視野を広くもっていろいろな場所を歩き、見聞きして、文化的な素養を深めること。そうすれば生徒たちに(直接・間接に)伝わるところが倍加するんですよね。このところこの先生と話していて、とっくに忘れていた30年以上前のことを断片的に思い出しては、そんな初期の経験が私をこの道に導いたのかなと思うところがあります。

さて、そろそろ夜ごはんの場所を探そう。今宵はちゃんとしたところで、ちゃんとしたものを食べようと最初から決めています。そして、いつものとおり、レストランに関する予習や事前調査はおこないません。自分のセンスと勘を頼りに、これと思ったお店で食事するというのが私の基本方針です。ウィーンのような観光都市だと、観光レストランふうのところが多くなってしまうので、そこが難しいところ。とはいえ、どのへんがレストラン街なのかもよくわかっていません。いつもの町歩きの作法に従えば、目抜き通りと直交する路地みたいな道路に飲食店が並んでいるケースが多いので、今回もそうしてみよう。オペラ座前からシュテファン寺院へと伸びるケルントナー通りは、前日にも歩いています。シュテファン寺院方向をめざしつつ、横(東西)の道をジグザグ歩いてみればいいんじゃないかな。すると、さほどジグザクしないうちに飲食店エリアに到達しました。ケルントナー通りから東へ入ったあたりで、アンナガッセ(Annagasse)という通りらしい(gasseは小規模の道路)。きのう歩いた別の飲食店エリアは、全般にぱっとせず、ぱっとしたお店がめちゃ込みだったこともあって回避したのだけど、ここはわりに静かですね。

 
 ヴィナー・シュニッツェル


店の雰囲気や掲出しているメニューなどをちらちらのぞきながら歩いて、1軒のドアに立っていた男性の店員さんに声をかけました。すぐそばのテラスに案内されます。Botschaftという店名は、帰国後に独和辞典で調べると「大使館」または「メッセージ」で、どっちなんだろう。各種の肉料理があるみたいですが、本命のヴィナー・シュニッツェルWiener Schnitzel)は€22.50。昨日からあちこちの飲食店(主に観光レストラン)でチェックして、だいたい€1315くらいだなと思っていたら、ここはずいぶんと高値です。ただ、他の肉料理は10ユーロ台の半ばなのでシュニッツェルは特別なのでしょう。店内に通された男性のグループは、みなスーツをびしっと着込んだエリートさんふうだったので、ハイソな設定のお店だったのかもしれません。20代のころならともかく、いまは20何ユーロで動揺することもないので、当然そいつを発注しました。飲み物はグラスの赤ワイン。運ばれたパンをオリーブオイルに浸してアテにすると、ワインがひときわ美味いねえ。ややあって運ばれたシュニッツェル、要するに仔牛肉のコートレット(細かいパン粉をまぶして焼いたもの)です。ウィーンといえばこれだよね! もともとはミラノなど北部イタリアの郷土料理で、ニューイヤーコンサートでおなじみのラデツキー将軍が遠征帰りに伝えたという話もあります。4年半前にトリノ駅のファストフード店で、仔牛のコートレットをバゲットにはさんだサンドイッチを食べたことがありました。

添えられたレモンをしぼって、さあ一口。

なにこれ、まぢうめー!!!

旅先で料理を食べて本気で感激したのはいつ以来だろう? 心のどこかに名物に美味いものなしという思い込みがあって、まあせっかく来たのだから話のタネに食べておこうという気分があったことは否めません。いやしかし、美味いもんは美味い。さくさくで、肉のいい香りがします。私、好きな食べ物ランキングがあるならトンカツがトップ5に入るだろうと思います。そちらのほうはちょいちょい口にするので感激はないけれど、でもあんな美味い料理を考えた人はエライなあと思う。いうまでもなく、フランスのコートレット(côtelettes)が明治期の日本に入ってきて、大量の油で揚げる天ぷらの技術が応用され、カツレツと訛って定着したのがトンカツの発祥です。そんなトンカツ好きの舌に、このシュニッツェルはどんぴしゃだなあ! 子どものころ、宮中の主厨長(シェフ)を務めた秋山徳蔵をモデルにしたテレビドラマ「天皇の料理番」というのがありました。福井に住む秋山少年は、いいにおいに誘われて陸軍の軍営地に紛れ込み、そこでカツレツを食べさせてもらって大感激、西洋料理の道を歩みはじめます。パリで修行し、大正天皇即位の晩餐を担当することになったのを機に帰国、宮中で活躍するだけでなく、日本におけるフランス料理の第一人者になっていきました。ドラマの最後には、年老いた秋山(堺正章さん)が思い出のカツレツを食べて目を潤ませるというシーンがあったように記憶します。どこまで実話なのか知りませんが、本当だとすれば、カツレツは日本の西洋料理に大きな影響を与えた料理だったことになりますね。明治時代の北陸にいた少年がカツレツを口にすれば、その感動たるや想像を絶するものだったはず。

 Bio-Kalbだからバイオな仔牛肉を使っているということね!(ワインもビオだそうです)


会計を頼むと、店主ないしおかみさんらしき女性が現れたので、ウィーンに初めて来たのですけどこんなに美味しい料理に出会えて非常にうれしいです、といった趣旨のことを英語で述べると、それはよかったですねと満面の笑み。思わず握手してしまいました。レシートとお釣りは昔の筆入れだか弁当箱みたいな木の箱に入ってきたよ。シュニッツェルが€22.50、お通し(チャージとパン)が€2.50、赤ワイン€5.902杯、食後のエスプレッソ€3.00で〆て€39.80也。最近にない高価な夕食ではあるけれど、サービスも含めて内容に申し分はありません。欧州に来はじめたころに比べて当方の経済状態がよくなっていて、多少のぜいたくも辞さないというふうになりつつあるのは否めませんが。

満腹したので、まだ明るいけどホテルに戻ろう。シュテファンプラッツからUバーンに乗ってプラーターシュテルンへ。駅ナカのスーパーで寝酒などを購入。こちらはずいぶん大衆的な店で、品物も大衆的な価格のものばかりでした。缶ビールが€0.89、ハーフの赤ワインが€1.191リットル入りのミネラルウォーターが€0.65。こういうところに住んでいたら、肉と酒の摂取過多で早死にするんだろうなあ。いや逆に、さほどには肉や酒を欲しなくなるのかな?

 

PART 5へつづく

この作品(文と写真)の著作権は 古賀 毅 に帰属します。