高級ブランド以外に何もないようなモンテ・ナポレオーネ通りを抜けると、さきほどトラムで走ってきたアレス・マンゾーニ通り(Via Aless Manzoni)。歩いていると著名なスカラ座(Teatro alla Scala)がありました。意外に小さくて地味な感じ。パリとウィーンのオペラ座、このスカラ座などオペラの殿堂の前を何度も通過しながら文化に触れようとしない無教養をお許しください。もともとミラノはスイスの「出口」に借りただけで初めから見学の意思が強くあったわけではないのですが、せっかく欧州を代表する都市に来たのだから、ひとわたり回ってみようという気になってきました。再びコルドゥジオ広場を通って、今度はドゥオーモとは逆の西北方向に足を進めました。
スカラ座
地図を見ているわけではなく、町の雰囲気とか人の流れにまかせて直感で動いております。入り込んだダンテ通り(Via Dante)は歩行者天国でした。両側に飲食店のテラスが張り出していて、多くの人が思い思いに飲み食いしている様子は、1年前にウィーンで見た光景によく似ています。で、こういうところには客引きの兄さんがつきもの。バインダーに綴じた写真メニューを見せながら寄ってきて、あれこれと勧めるのも欧州各地でよく見る光景です。アー・ユー・ジャパニーズ?という問いにイエスと答えると、コンニチハ、アリガートなど知っているだけの単語をずらずら並べて招き入れようとするのにも慣れました(笑)。そんなことよりデパートないかな、今回の旅行ではまだ恒例のネクタイ買っていないしなと思いつつ歩いていると、ウィンドウにスーツやネクタイを並べたおあつらえ向きの紳士服店が見えました。日本でいえばTHE SUITS COMPANYみたいな安いビジネスものをそろえた、おそらくチェーン店。スーツはもちろんワイシャツとかネクタイというのは男子の戦闘服で消耗品的な面があるから、このクラスのお店は重宝します。何をお探しですかと若い女性店員さんが訊ねてきたので、ネクタイをといったら、「ただいま、どの品も3点で€39.90になっております。お好きなものをお選びください」と。安物というわけではなく、縫製もデザインもそれなりにしっかりしているので、ここで買っちゃおう。私もときどき(いつも?)いい加減な言語運用をするときがあって、necktieではなくcravateとフランス語でいっちゃっています。通じればよいのです。イタリア語ではcravattaだそうです(レシートにそう書いてあった)。

ダンテ通り
自分用のお土産も購入したので、これから市街地の南に位置するナヴィリオ(Naviglio)地区に行ってみることにします。ダンテ通りの突き当たりにあるスフォルツェスコ城(Castello Sforzesco)を見ながらトレニタリアの北駅(Stazione Nord)まで歩きます。マルペンサ空港へのアクセス列車はここから出るそうで、こういう雰囲気がわかっていれば場末っぽい中央駅界隈でなくこちらに宿をとればよかったかな。北駅の地下にメトロのカドルナ(Cadorna)駅があり、そこから3駅、ポルタ・ジェノヴァF.S.(Porta Genova F.S.)まで乗ってみました。地下鉄というのはどこでも雰囲気がさほど違いませんね。乗客はぎっしりというほどではないが、立ち客も多くて、けっこうな乗車率ではあります。ポルタ・ジェノヴァは同名のトレニタリアの起点駅(F.S.はかつての国鉄Ferrovie
dello Statoの略称)。欧州の大都市がたいていそうであるように、ここミラノも方面別に鉄道の駅が分かれていて、おおむね市街地の周縁に位置します。中央駅から時計回りにポルタ・ガリバルディ、北駅、ポルタ・ジェノヴァ、ポルタ・ロマーナ(Porta Romana)、ポルタ・ヴィットリア(Porta
Vittoria)。Portaが冠されている駅名が多いのは、かつての市域を画していた城壁の門に由来するのだろうと推察。パリのメトロにもポルト(Porte)何ちゃらという駅がやたらに多いですものね。

(左)ミラノの地下鉄 (右)ポルタ・ジェノヴァ駅
ポルタ・ジェノヴァで地上に出てみると、郊外というほどではないけれど、都心の印象はほとんどなくて、東京でいえば赤羽とか亀戸あたりのテースト(その2つではだいぶ違うと思うが)。この駅のすぐ南を運河が東西に走っていて、それに沿って再開発と観光化が進んでいるという話です。以前に何かで読んだことがあり、気になるので来てみました。ああ、なるほどなるほど。両岸はいちおう車道なのですが遊歩道っぽくなっていて、飲食店とか小物屋さんが並んでいます。観光客だけでなくジョガーを含む地元の人らしき姿も多くて、なかなかよい雰囲気。17時を回っているのですがまだ日は高く、お天気がよいので水のあるところの散歩は気持ちいいですね。そもそもは、例のドゥオーモを造る際に石材などを搬入するため開削した運河とのことです。ミラノは内陸都市なので、往時は運河の役割がきわめて大きかったことでしょう。
ナヴィリオ(運河地区)

運河に沿って東に進むと、飲食店の多いエリアに出ました。本式のレストランもありますが、バール(bar)とかその派生形が多い。ハッピーアワーというか、夕方の時間帯はおつまみ関係をビュッフェ形式で食べ放題にしているところが多く(銀座の三笠会館1階のコンセプトはこれだったのか!)、どの店も扉や壁をはずして運河側に口を開いたオープン構造のため、お客さんたちがビールやワインを飲んでいる様子が丸見えです。いいなあ。いつもならどこかに飛び込んでグラスを手にするところだけど、この日が最後の夜になるので、もう少しお腹をすかせてから本式の食事をしたいと考えているわけです。そういうところが妙にガンコですな。


コレンティ通り〜トリノ通りをトラムと徒歩で
適当に歩くとトラムの電停があったので、都心方向に向かう電車に乗ってみました。めあてがあるわけではないので、これも適当なところで下車して徒歩に切り替えます。トラムの線路があるコレンティ通り(Via Correnti)という道路は、そのままトリノ通り(Via
Torino)に名前が変わり、そのあたりから各種のお店が増えてきました。といってもブランド品や高級品ではなく、カジュアルな衣類や、靴、小物、そして肉屋や八百屋などの食材店。お、H&Mがあるなと思ったら無印良品まである。ハレではなくケを担当する地区なのでしょう。もちろんこちらのほうが私の好みには合います。

(左)ドゥオーモ周辺にはトラムが折り返すためのループが何ヵ所かある (右)ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世ガレリア
18時半ころドゥオーモ前の広場に戻ってきました。ようやく夕方の風情になってきて、若者を中心にさらに人が増えています。広場の北側にはヴィットーリオ・エマヌエーレ2世ガレリア(Galleria
Vittorio Emanuele II)という屋根つき十字街があり、高級品のお店とか上品なレストラン、カフェなどが並んでいます。そろそろ夕食なのだけど、イカニモな観光レストランは遠慮したい、でもこの界隈ではどうしてもイカニモ系になりがちだなあ。ガレリアのアーケードを抜けて東のほうに行くと、狭い道路がごちゃごちゃに入り組んだところに入り込みました。パリでいえばオペラ座の南側あたりのような、小さな飲食店街がならぶ地区のようです。銀座でも新宿でも横浜中華街でも、大通りの飲食店はトゥーリスティックだけど建物がひしめき合う裏道の店はカジュアルだものね。どこを歩いたのか記憶が定かでなかったのですが、お店のレシートに書かれている住所をグーグルマップで検索して、いまあらためてその位置関係が判明(笑)。
一軒のトラットリアの入口に掲出されたメニューを見ると、なかなかいい感じです。ミラノ風コトレッタが食べたい! Al Cantinoneというその店に入ると、すぐに例のビュッフェを備えたバールのカウンターがあります。しっかりした身なりの男性店員が寄ってきて、バールを利用されますか、食事ですかと訊ねます。食事しますと告げると、アンティークな造りの奥に通されました。ディナーにはまだ早い時間なのか、他のお客はいません。私が着席して、メニューが運ばれてきたころ、2組のお客が案内されてきました。


イタリア料理といえば前菜にパスタ、主菜に肉料理。でも若いころと違って量を食べられないので、パスタを入れ込んでコースを組むのはやめて、本命のコトレッタに、イタリアっぽくトマトのサラダを添えるというのでどうだろう。メニューを見るとCotoletta di vitello con risotto alla milaneseとあります。添えてある英語ではCotoletta veal with risottoと、機能語のほかはイタリア語のままでみんなわかるのかな? コトレッタはフランス語のコートレット(côtelette)で、日本語に訛るとカツレツです。2日前の夜にベルンで似たような品を食べたことは忘れてください(笑)。あれはとんかつと同じ豚肉でしたが、ミラノ風といえば仔牛肉。一説によればお正月のウィーン・フィルの演奏で有名なラデツキー将軍が、ミラノ風を持ち帰って、ウィーン名物のヴィナー・シュニッツェルになったとかでした。ヴィナーのほうは1年前に食べて大いに感激しました。源流?にあたるミラノはどうなのだろう。これもイタリアっぽくキャンティ(Chanti)のハーフボトルを発注すると、コルクを抜いてテイスティングを求め、当方がOKを出してからサーヴしてくれます。本式やね。英語を話す中年のご夫婦は、ワイン選びであれこれ議論を重ね、店員さんにもインタビューしてからようやく発注なさっていました。欧州のレストランでよく見る光景です。
カツレツ、じゃなくてコトレッタが運ばれてきました。骨つきの大きな肉に、粉状にしたパン粉をまぶして揚げ焼きにしてあります。「リゾットにパルミジャーノをかけますか?」と訊ねられ、イエスと答えると、チーズ下ろし器にパルミジャーノのかたまりを当ててごしごしと削り、けっこうな量を振りかけてくれました。いや美味そう。コトレッタにはやや強めの味がついており、噛むと肉自体のうまみも出てきて美味しい。このサイズの肉にたっぷりのお米(リゾット)がついているし、お通しのパンもあるので、このうえパスタなんぞ食べたらK点を越えてしまいます。途中で、しばらくおとなしかった奥歯が急に痛み出し、最悪だなと思いかけたのですが、ワインを含んで2分くらいじっとしていたら収まりました。最後の晩餐くらい静かに食わせてくれよ(涙)。なおダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は、さきほど地下鉄に乗ったカドルナ駅近くのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(Chiesa di Santa Maria delle Grazie)にあるのですが、面倒な予約制なのでカットしちゃいました。そのうち鑑賞する機会がまたあることでしょう。痛みが収まったので肉と米を最後まで食べつくして、エスプレッソで〆。チャージ(お通しのパン)€2、コトレッタ€27、トマトサラダ€7、ワイン€12、エスプレッソ€2でジャスト€50でした。このところ最終日のディナーの相場が上昇傾向にありますが、いい齢をしてケチってもねえ。最初に案内してくれた店員さんが「いかがでしたか」と訊ねるので、あす東京に帰らなくてはならないのですが最後に美味しい食事をいただけて幸いでした、という趣旨を英語で述べ、握手。グラッチェ。

(左)夜のドゥオーモ (右)夜の地下鉄
ドゥオーモの地下からメトロ1号線の北行きに乗れば、4駅目がリマ(Lima)。宿まで徒歩3分くらいです。あすの朝は9時05分の便なので、安全を期して6時前にはホテルを出発したい。部屋のカギを受け取る際に、早い時間に出発するのでいま精算したほうがよいですかと訊ねたら、24時間対応しますので朝で結構ですよと。寝落ちしたり寝過ごしたりしてはまずいから複数のアラームを早めにセットし、荷物を整理して、ルガーノで買ったワインの残りを舐めながらタブレットをいじいじ。寝たり起きたりで睡眠時間は3時間を切ったような気がするけれど、「帰る日」というのはもともと昼夜がめちゃくちゃになるので、時差調整になっていいのではないですか。
マルペンサ・バス
5時45分ころチェックアウトし、まだ夜の闇に包まれたヴィトルヴィオ通りを歩いて中央駅に向かいます。バス乗り場は前日にチェックしていたので迷わずたどり着き、6時ジャストに発車するというマルペンサ・バスのほうを選択して€10のチケットを購入しました。バスは途中何ヵ所かでお客を拾い、郊外の住宅街を抜けてハイウェイに入り、ようやく薄明かりの射してきたミラノ・マルペンサ空港(Aeroporto di Milano-Malpensa)に着きました。いま地図で確認すると、市内からコモまでの距離とさほど変わらないところに位置しており、道理で疾走したわりに40分以上かかったわけです。いつもいうように、成田国際空港に欧州の人が初めて降り立って、「ここから都心まで1時間以上かかります」といわれたら、「そんなアホな」と思うでしょうね。マルペンサでも遠めの感じがするのに。
ルフトハンザのカウンターでチェックインすると、フランクフルトまでのLH0247(ANAのコードシェア便)と、フランクフルト→羽田のNH204の搭乗券が発券されました。羽田着は朝の6時35分なので、時差7時間はあるにしても気分的には「まる1日」ですね。非制限エリアの窓から離陸する飛行機やアルプスの山々を眺めながら、少しだけ残っていたルガーノのワインを完飲。保安検査場を通り抜けると各種ショップが充実したエリアで、朝早くからちゃんと営業しています。カフェでクロワッサンとカフェラテの朝食をとって小休止。合わせて€2.80というのは安すぎで、何だか今回の旅行では飲み食いの相場が最後まで心得られないままでした。
朝を迎えたマルペンサ空港
日欧間の往復はANAと決めてから10年くらいになります。航空連合の関係で、欧州内での乗り継ぎ便は、同じスターアライアンスのルフトハンザになることが多くなりました。大学生のころ、友人とロンドン→ニースという飛行機に乗ったときに、日本語がいっさい存在しない飛行機はどきどきするなと内心思ったのを思い出しますが、鉄道も含めてそんなのばかりになり、何とも思わなくなって久しい(笑)。男性のアテンダントさんがもってきてくれたコーヒーを飲みながら、鉄道で越えてきたスイス・アルプスをはるか下方に見やりました。バーゼルからミラノまでの移動距離は大したものではないのに、何だか長い時間をかけてまったく別世界を移動してきたような錯覚に陥るのは、やはり言語帯の関係でしょうか。仮にフランス・ドイツ・イタリアという3ヵ国であれば、1回の旅行でセットにするのはかなり苦しいことになります(移動だらけのそういうツアーあるけどね)。言語帯が変われば町の雰囲気も違うというほどではなく、むしろスイスに固有の特徴というのがあったように感じました。グローバル化を恐怖に感じ、いかにして言語の学習を回避するかとおびえているような学生にしばしば出会うので、スイス旅行を勧めてみようかな。これだけ狭いエリアで言語が変われば、ことばが違うというのがむしろ当たり前の状況に感じられます。言語の切り換えなんてどうにでもなるし、それがどうした、くらいに構えているほうが世界は愉しくなります。きっと。

ルフトハンザのA319-100機に乗って(アルプスを越え、フランクフルト経由で)東京・羽田へ帰ろう
スイスの普通の町々めぐり おわり
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