古賀毅の講義サポート2023-2024
総合的な学習の時間の 理論と実践 |
Théorie et
pratique des périodes d’études integrées 千葉工業大学工学部・創造工学部・情報科学部・社会システム科学部 教職課程 |
この科目は理論編と実践編により構成されます。
実践編の担当は、古賀のほか、引原有輝、三村尚央、木島愛、小林学、福嶋尚子の各先生です。
私たちの直接的な関心の対象は中等教育(secondary education)にあります。生徒の発達段階でいえば青年期(adolescence)にあたります。もっとも現代では青年期がどんどん長くなる傾向にありますので、青年期の前半というくらいにしておきましょう。エリートを対象とする下構型(つらら型)の構造を長く引っ張ったために、中等段階ではなおも発達段階に即した教育の研究というのが十分ではありませんし、教育課題というものの現代化も果たせていないように思います。すなわち、自己を客観的・相対的に捉える眼をもてるようになり、自身の関心や適性に自覚的になり、おとなとしてどのように生きていくのかという進路設計もそろそろ意識するという時期ですから、教科の学びもなんらかのかたちでそれらに接続されてしかるべきです。総合的な学習(探究)の時間は、教科単体では種々の制約から十分ではない、そうした機能を果たすことが期待されます。 興味・関心を軸にした教育といえば、新教育思想が思い出されます。今回も新教育的な発想の延長線上ということでかまいませんけれど、小学生ではなく中高生、児童期ではなく青年期ということを強く意識したいものです。小学生であれば「体験」を通じてテーマと体感的に出会わせるだけでよいかもしれないが、中高生では知的内面化というのをぜひ果たしたいところ。また、中高生の直感的な興味・関心ではなくて、知的な要素と広く出会わせたうえで広がった関心をベースにしたいものです。趣味はおもしろいからやるが、学校の学びはタスクだから仕方なくやる、というばかりでは困るので(青年期というのはそういう処理が各自の中でおこなわれやすい段階)、学びの意味や楽しさを実感として味わってもらう必要があるわけです。未知のこととの出会いは、視野や世界の広がりにつながります。既知のことをつなげる思考は、自身の視野や価値観に深みをもたらします。なかなかそのように明確な成果を上げることはできないのでしょうが、学校教育全体の意義を再発見させる手立てとしても、総合を有効に活用したいですね。 当科目では、総合的な学習(探究)の時間における学習テーマ立案という点を重視しています。教科と異なり、こちら側の裁量がかなりありますので、細かな指示がないぶんかえって「どうすればいいのか」と見通しを立てられずに悩むことになりがちです。また、教科教育には長い経験と蓄積があって、広く共有されているのに対し、総合は歴史が浅く、同床異夢の状態がつづいたこともあって、何が相場なのかということもわからないという人が多いのではないでしょうか。教師側がぐらぐらしていては生徒はとまどうばかりですので、「総合的な学び」のコンセプトと方向を、いまのうちにしっかりともっておきましょう。思うに、それらは単数形でなくてよい。いろいろな可能性があったほうがよいし、たとえば1学期と2学期とでそれを替えてもおもしろいです。生徒にはいろいろなタイプがあり、関心も多様ですから、こちらが立てた企画や内容にうまく乗らないケースもしばしばあるだろうと思います。ただ、どれかが当たればよい、というくらいに私は考えています。それこそ入試とかかわりのない領域ですので、ごちごちの成果主義を離れて企画できるのではないでしょうか。総合的な学習(探究)の時間を通じて、学びの意味を確認するべきなのは、生徒はもちろんですが、私たちの側なのだといってよいだろうと思います。 Review (6/3) ●生徒時代の総合の印象は薄く、時間割に入ってはいたが、何をやっていたのかはあまり思い出せない。しかし総合は知を深める学習で、さまざまな科目から考えるため、応用のように感じられた。 ●総合的な学習の時間の役割を聞いて、自分が受けていたものとのギャップに驚いた。 ●総合的な学習の時間の性格をいままであいまいに認識していたが、今回の授業ではっきりした。 ●総合的な学習の時間が新設された際、学習指導要領で明確に述べられていなかったというのが意外だった。新設当初から総合が明確に説明されていれば、文科省のねらっていた知育は成功したのだろうか。 ●私は工業高校出身で、課題研究に取り組みましたが、週1回LHR(ロング・ホームルーム)という時間がありました。あれは総合的な学習の時間になるのでしょうか。
●大きなテーマを多様な教科・科目から考えるのはわくわくするし、自身がそのようなつながりを強調した授業を受けたときに、つながった教科・科目に対する興味を強く抱いたことを思い出した。後半の発表のところで他教科や同じ教科の人の意見をいろいろ聞けて、刺激になります。 ●公共と、自分自身が学んでいる分野や数学を取り入れる授業を考えるのは難しかったが、考えてみるととてもおもしろい内容だと感じました。 ●今回、公民と数学、情報を関連づける試みをしたが、現在の教育は総合的な学習を中心としてつながっていることをあらためて理解した。数学だけにとらわれず視野を広くもつことが重要だと思った。 ●総合の計画で、専門の教科の学びにつなげられる学習が問われていくと思った。 ●総合的な学習の時間を有意義にするために、教科のつながりを考えたり、大テーマを設定したりすることで、単体で学ぶよりも深い学習になると思った。
●公共×○○を考えるのはとても難しかった。自分の専門外から専門分野につなげるのは大変だということを実感した。 ●今回学んだことは、教職科目の分野だけでなく、大学で学ぶ学問を活かすものでもある。楽しいものであると考えた。 ●教科・科目の発展には他分野の知識の前提があるというのが当たり前だと気づいた。戦争という「歴史」に触れる内容でも、核や兵器の製造には化学も物理も生物の知識も必須だし、もっといえばすべての根本には数学があると思った。 ●メカニズム的なことなどは他教科と組み合わせて学ぶことで、最も深い学びになると理解した。また順序を工夫すると印象が変化するので、教え方や順序もよく考えて、組み立ててみようと思う。 ●教科と教科の結びつきがあるかないかで、生徒のモチベーションが変化すると思う。教科を別々に考えるだけでなく、この知識がここにつながるのか!という気づきを感じてもらえる授業ができるように、考えていきたい。 ●公共の教科書のコピーを見て、理科と関わっているところが多く、おもしろかった。今度公共の教科書を読んでみようと思った。 ●公共の教科書に載っている「宇宙船地球号」の考え方は、題材の内容を見ると、ボールディングよりフラーの名前で紹介したほうがよいと思った。 ●教科を横断する学びについて、自分でいざ構成を考えると難しく、とくに今回の4つのテーマだと数学に結びつけるものは思いつかなかった。教科の学習も、もっといろいろな視点から見つめるべきだと思った。 ●機械や情報系の範囲を扱うときには数学や情報とつなげやすく、生命や環境は理科とつなげやすいと、発表を聞いて思った。教科のつながりというのは、考えてみると意外と太いなと思う。総合的な学習の時間は、振り返ると全然機能していなかったことがよくわかる。 ●情報はAIやSNS、メディア・リテラシーなどとつなげやすく、先に公共を学べば、授業内容を理解しやすくなり、進めやすくなると考える。数学がどのようにつながるのかをまだ考えられていないので、考えていきたい。 ●総合的な学習の時間は、いろいろな先生と共同でおこなうことで、内容が複雑に絡んだものになり、おもしろい授業になりそうだと思った。他大学で音楽の先生をめざしている友達がいるが、工業とどのようにつなげることができるか考えてみたい。
●自分が受けた授業を再現する、というのはNGだが、受けたことのない授業はできない、ということもあり、矛盾していそうでしていない点におもしろみを感じた。 ●教科を越えて連携した授業というのは、生徒の理解が深まってよいが、現在の教育現場にそんな余裕があるのかなと思った。 ●大テーマを扱った場合、他教科との協力なしでやっていくのは難しいというか、古賀先生がいっていた、教科授業に他教科の内容を少し取り込むというものの発展のように感じた。 ●総合的な学習の時間において多面的な視点を扱うには、それぞれの学問の基盤となる知識が必要で、それが土台として固まっていないと難しいのではないか。 ●理科と社会、数学、情報・・・ と絡めるだけでこれだけの意見が出るのだから、あらゆる教科と、超学際的な視点をもつ機会を設けられる総合的な学習の時間を有用なものにできなければ、とてももったいないと感じました(分野が多すぎるとよくない?)。以前のロシア・ウクライナの話もですが、古賀先生の「ちょこっと社会」話めちゃめちゃ好きです。 ●教科横断的に考えることで、多角的に世の中を見ることができるのを実感できた。この感覚を生徒にも味わってほしいと思った。 |