Théorie et pratique despériodes d’études intégrées

総合的な学習の時間の

理論と実践


千葉工業大学工学部・創造工学部・情報科学部・社会システム科学部 (教職科目)
前期後半 土曜67限(14:00-16:00)/夏期集中  津田沼キャンパス6号館 615教室  

 

 

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2021(令和3)年度 教職科目における指導・評定指針

 

20216月の授業予定
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6日 領域横断・学際的な思考の意義と課題
6
13日 教科教育の側の再設定:教科の総合化、総合的な学習(探究)の時間に接続するための準備
6
20日 総合的な学習(探究)の時間の授業計画
6
27日 総合的な学習(探究)の時間に向けた学習素材の選定・準備

 

■■次回は・・・
5-
総合的な学習(探究)の時間に向けた学習素材の選定・準備

総合的な学習(探究)の時間は、導入当初からしばしば誤解されていたような「体験活動」「非・知育」ではなく、むしろ知育そのものであるということが、2016年の中教審答申、そしてそれを受けた平成2930年版学習指導要領においてあらためて確認されました。ただ、教師が生徒に向けて単方向的に「知識を教える」という形態は、戦略的に部分的導入するのでないかぎりは、採用しないということです。生徒たちが主体性・自律性をもってテーマに向かっていくというのが総合の基本コンセプトであることは間違いありません。その際に重要になるのが学習素材です。教科のほうは、検定教科書や各種の副教材があって、学ぶ内容もかなり固まっていますので、少なくともそれらを参照すれば学べるようになっていますし、自習するにしてもそれらを読むか、関連して出されている参考書を読むというのが第一義です。しかし総合は学習内容そのものが任意ですので、教科でいうところの教科書や副教材にあたるものをどうするのか、というのが問題となります。

いまさら指摘するまでもなく、いまの中学生や高校生はデジタル・ネイティブ世代であり、何かを調べるというときにインターネットを活用するのが普通です。というか、大方の生徒はインターネットのみを使っていて、それ以外の方法・手段を知らないか、知っていてもほとんど使ったことがないというのが実情でしょう。そしてネットだのみの生徒ほど、それを相対化する視点をもちませんので、どのサイトからどのような情報を引き出すのが適切であり、どれが不適切なのかを見定める能力をもちません。インターネット使用では盗用とか剽窃が問題とされることが多いのですけれども、それらは明確な違反行為(なんなら「違法」行為)です。違反とはいいがたいが、そこからそれをもってくるのはダメでしょ、といっても「何がいけないんですか」と本当にわからないという顔をする人が、おそらくマジョリティなのではないか。以前、野球部の生徒に「君のやっていることは、打撃練習するからバットをもって集合といわれ、子ども用のプラスティックのやつをもっていくのと同じだ。たしかにバットだけどさあ、ということだ。わかる?」といったら、恥ずかしいことなのだとわかってくれたことがあります。――が、当科目の受講生だってデジタル・ネイティブであるはずで、残念ながらそのレベルを脱していない人もいるのではないか。

本来であれば教科の学びにおいても、いかなるソースを活用して思考・考察すればよいか、このインターネット全盛の時代に情報を適切に取得するにはどうすればよいか、というのは重要なテーマになります。教科教育におけるICT活用が推奨されている現状では、いっそうその要請は強くなることでしょう。「学び方を学ぶ」(learn to learn)というのが目標に組み込まれている総合では、とくにその点を重視しなければなりません。総合で得られたセンスやスキルが、教科の学びにフィードバックされることが望ましいわけです。

よいテーマを見つけたね、よしそれで進めてごらんと指示したら、生徒は検索エンジンに単純なワードを入れて上位に出てきたサイトを見て、発表した。なんのことはない、ニセ科学まるだしのものだったのに、生徒(たち)はそのことに気づいていない。理科をちゃんと学んでいれば見抜けるはずなのに、理科の成績が悪くないはずの生徒でも、グーグル先生は学校の先生以上に正確なのだと信じている。いま、あちこちでそのようなことが報告されています。理工系のハイレベルな環境でもまれてきた教師がそんな場面に出会うとき、あなたはどのように指導するでしょうか?



REVIEW 6/19
*文意を変えない範囲で表現・用字法を改めることがあります

学習テーマについてグループで多少話し合いをしたが、誰もが楽しめて興味をもてるテーマをつくるためには、ひとりだけの考えではなしえないと思った。

他学科、他教科の人と情報を共有することで、自分だけでは見えなかった問題や課題がわかり、より意見をまとめることができた。一人で考えるだけでなく、人の意見を聞くことの重要性がわかった。

三人寄れば文殊の知恵というように、グループワークで自分の出した意見(理科)と友人の出した意見(工業)が合わさると想像の何倍もさまざまな方向に意見が広がっておもしろかった。他の専門の人とも意見交換して、広げてみたい。

総合的な学習のテーマを思いつくかぎり挙げてみて、一つのテーマをとってみても、他の人と話すといろいろな方向性のあるテーマに広がっていったので、これが探究していくことなのかと思いました。また他のグループの内容が、難しそうながらも探究しがいのある内容で、やってみたいと思いました。

テーマ自体は無限に存在するため、案を出すことは可能であるが、そのテーマを総合的な学習として学べるか、あるいは結びつけられるのかとなると、計画を入念にする必要がある。今回他の人のテーマを聞いて思ったのは、もう少し自分の専門、得意なことを考えれば掘り下げやすい、ということであった。

総合を指導するとき、テーマは生徒が決めるほうがよいが、今回実際にテーマを出してみて苦労したので、こちらであらかじめテーマを決めておく必要があることを確認した。テーマには4つの型があるが、できるだけ協働しやすいテーマを選び、全員が調べたことを意見し合えるような授業ができればよいと思う。

学習・探究テーマについて、とりあえず身近なものを出してみると、歴史や環境と深くつながる探究をおこなうことが可能だと思った。総合的な学習の時間の最初に、今回やったように生徒にテーマを挙げさせるというのも有効だと思った。

自身で学習テーマを考えたことがなかった。今回初めて考え、友達と話したりして、さまざまな意見や見方があり、自分の興味のある分野についても話すことができたので、実際に自分で調べてみたいと思った。また生徒に考えさせてやってもらうことの重要性にも少しだけ気づくことができた。

実際にテーマを大まかに考えたが、キーワードを挙げるのはいくつかできたものの、そこからさらに掘り下げてテーマをつくるのは難しかった。

総合的な学習の時間のテーマを各々考え、グループで共有することで、自分では思いつかなかったおもしろいテーマを知れたり、自分のテーマをよい方向に修正してくれたりしてもらえたのでよかった。

チームの話し合いをおこなったところ、まったく違う方向のものもあり、多くのテーマについて話し合うことでさまざまな観点を得られた。総合的な学習(探究)の時間では、いろいろなテーマについて考え、生徒の役に立つようなことをしていきたい。

テーマを考え出すというのは難しいが、多人数の意見を組み合わせることで多角的な視点を得ることができた。実際の授業構成を考える際にも、教員どうしでおこなうのは有効だと思う。

 
嵌入曲流するヤントラ川(ブルガリア ヴェリコ・タルノヴォ)
U
字型に切り込まれた内側は急峻な崖になっており、14世紀にはここにキリスト教勢力が籠城してオスマン帝国軍を迎え撃った

 

生徒が考えられるが、各生徒で少し異なる見方をできるような、大きすぎず小さすぎないテーマを考えるのが難しかった。

思っていたよりもテーマを思いつかなかった。総合的な学習の時間の難しさを知った。

テーマ検討ではさまざまに考えることがあった。実際に決めるときにはとても大変であると考えた。

総合は、その特性ゆえに扱える範囲が広すぎて、何を扱うかというところに教師の技量がかかっている。そのため、引き出しを多く設定して、その時々で効果的な学習にしなければ総合は機能しないと思う。

総合は教科書がないので形骸化しないというメリットがある一方、教員の腕が試されるなと思った。道徳は、教科になる前から『心のノート』なる副教材があったから、素材選びに困ってもなんとかなった。

1ギャップは段差を解消する方向にゆくのではなく、段差を乗り越える力をつけさせてあげないといけない。社会は段差の連続。誰も助けてくれない。
・・・> 私が教えているW大の学生みたいなこというね^^ その発想の先に、本当に「乗り越える力をつけさせてあげる」視点やプランがあるのかどうか。下手すると「現状のまま自力で乗り越えろ」みたいなメッセージが伝わりかねません。そもそも、おとな社会の段差と小・中移行期の段差では意味も趣旨もまったく違います。おとなとして必要な「段差を乗り越える力」を身につけさせるため、教育的な意図をもって段差を設定したわけではなく、初等・中等教育の来歴(歴史的形成過程)の違いから来る段差が無意図的に温存されているだけなので、私たちがそこに配慮するのは当然なのです。


北欧名物スモークド・サーモン(スウェーデン ストックホルムで食べたやつ)

 

総合的な学習の時間のアイデアを思いつくまま書き出してみた。やはり地域社会型のテーマを思いついた。もう少し視野を広くもって、テーマを考えたいと思った。

いざ考えると難しかった。他の人と、考え方というか、規模も違った。世界という大きな規模の場合、あまり思い浮かばない。身近なところから規模を大きくしていくほうが考えやすかった。

総合の内容を考えてみて、自分の趣味のこと(スニーカー、筋トレ、服)などと自分の理科の教科を関連させたら授業もつくりやすいし、生徒も興味のありそうな内容なので、やってみたいと思った。
・・・> 「自分」というのが生徒であるならば推進力になるが、教師のことだとすると、それが本当に生徒たちと共有できるのかということが問われます。いまの段階では、半分生徒になったつもりでテーマ検討してかまいませんが、そこにとどまっていると、リアルな生徒たちの問題意識に気づくことが難しくなります。

学習・探究テーマを考えているとき、いつも世間に疑問をもって生きていなかったと思った。天ぷらの話が出ていたが、天かすは何時間後から悪くなり出すのか調べてほしかった。

東京の方言が標準語になったはずなのに、「しゃけ」が方言だったとは・・・。ちなみに東京の方言を教えるのが学校、国語。
・・・> 方言には地域方言と階層方言、世代方言があります。明治後半に設定された標準語は、東京山の手の言葉遣いをベースにしているというのが一般的な説明ですが、より細かく見ると、江戸時代にいろいろな地方の出身者が混住して大きな共同体をなしていた武家の世界で主に話されていた言葉遣いがベースになっています。

 
中年になったら揚げ物がきつくなると若いころ聞いていたのだが、まったくわからない 特異体質or私は中年ではない?
(左)イタリア ミラノの名物料理コトレッタ(仔牛肉に細かいパン粉をまぶしてオーヴンで揚げ焼きにしたもの)
(右)オーストリア ウィーンの名物料理 ヴィナー・シュニッツェル(同)
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世紀初めにミラノに遠征したオーストリア帝国のラデツキー将軍がこの料理を気に入って持ち帰り、ウィーン名物になるきっかけを得たとされる
同将軍の凱旋を祝して作曲されたのがヨハン・シュトラウス1世の「ラデツキー行進曲」(おなじみの曲なのでYouTubeを掘ってください)
イタリア語のコトレッタ(cotoletta)、フランス語のコートレット(côtelette)が日本語に訛ったのが「カツレツ」で、豚肉のカツレツが「とんかつ」である

 

身体や心理などをやりたいと思ったが、アレルギーは自分と向き合うよい場になったり、男と女の捉え方の違いもおもしろいがいじめなどにつながりやすかったり、トラウマなどになることもあると思うので、やるときには気をつけて実施しなければいけないと思った。
・・・> 男と女の捉え方の違いというのは、一部のテーマをのぞいて、やめたほうがいいです。学校や教師がジェンダー・バイアスを増幅させるのはまずいですし、ネットや新書本などに出回っている「男の思考・女の思考」「なぜ女性は○○と考えるのか」みたいなものは、たいていニセ科学のたぐいであるからです。

日本・外国などと大テーマ型に近いものを多く挙げてしまった。自分が学んでいたものは記憶に残ってはいないが、慣れみたいなものなので残っていると思った。

大テーマ型にした場合、やはりそのスケールの大きさや、センシティブな面を含んでいることがネックとなり、実践するのは難しい部分もあるだろうが、自己の視点を広げることなどにおいて有意義な面もあるので、できるだけ実践できるようにしていきたい。

学習や探究のテーマを考えたときに、大テーマ型以外の内容をあまり考えられなかったり、他の発表者に比べて自分の考えがまとまっていなかったりしたので、自分自身の視野の狭さを思い知った。

他のグループの意見を聞いたが、身近でおもしろそうなものがたくさん挙がっていた。私たちのグループも意見は複数出たが、どのように探究することができるのかについてもう少し考えたい。

学習テーマを実際に考えてみて、テーマは日常のいたるところに広がっているのだと実感するとともに、他教科や他者の意見や考えたテーマを共有することで、より広く深いテーマを考えられるのだと学んだ。今回は全員が理系の学生だったので、文系の教員と考え合うことでいままでにはなかった新しいテーマを発見できるのではないかと思った。

総合的な学習の時間のテーマについて、グループワークではとても有意義な意見を聞けたので、次回も楽しみです。しかしテーマを生徒の興味・関心に結びつけ、かつ学習テーマを考えるというのは、工夫が必要だと思いました。

設定したテーマについて、目的・目標はあるものの、そこまでの道筋を生徒自身に主体的に歩ませる方法は、テーマを考えるよりも難しそうだ。

 

 

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