本年度の授業は終了しました。
Review (7/8)
●専門のことだけでなく、もっと視野を広げておかないと、総合的な学びを通してつながりを見出すのが難しそうだなと思った。
●知の越境に関して、専門バカにならないことの重要性を再認識した。教科だけを教えるわけにはいかない中・高の教員をめざす者として、意識しておきたい。
●教科の壁をなくすと考えていたが、定期テストで範囲が決められることは不思議だと思った。評価のために必要になると思うが、その部分を考えることも大切だと思った。
●高校生が大学の授業に参加できるのは、双方にとっていいことだと思った。高校生のほうも、単位を修得できるのであればその大学に入学したいと感じると思う。
●大学ではどんな学部・学科に進もうかと考えたとき、そこで何を学ぶのかに関しては文章から学ぶことしかできなかった。多くの人が大学に進学するようになったいま、大学の教授に来ていただいたり実際に授業を受けたりして、イメージを広げる機会があってもいいなと思った。
●総合的な学習の時間で、複数の教科担任を集めて授業するというプランは、私もやってみたいと思うし、そのような授業を受けてみたいと思った。
●郷に入っては郷に従え、というのはそこに向かう側が思うことであって受け入れる側がいうべきことではない、というのは深く刺さった。
●外国のことを教えるにあたって、文化などのバックグラウンドを知る必要がありそうだなと思った。
●英語に関しては、いま理系の専門用語を学んでいるので、もう少し早くから知っておけば楽だったなと、過去の自分を憎ましく思う。
●高大連携や理数教科への英語の導入というのはやってみたいと思った。ルイ・パスツールの「科学に国境はないが科学者には祖国がある」を思い出した。
・・・> どういうふうに思い出しました? パスツールの言は、あくまでmais(英語のbut)のあとに重きがあるというか、真意が含まれます。よく知られるこのフレーズは、講演録の一部のようで、実際の文章はもう少し込み入った表現をしています。「国境はない(sans frontière)」といった表現もありません。ひたすら祖国(patrie)といっています。このpatrieというのは、パトリオティズム(愛国心)のもとになる語で、古代ローマ帝国あたりに源流があるのだそうです(と、どこかで読んだけど憶えていない)。フランス国歌の冒頭で、起て祖国の子たちよ!(Allons enfants de
la Patrie!)とあるように、18世紀になって召喚されたものらしい。「科学に国境はないが・・・祖国がある」の部分は、正確には以下のようになっています。
Je
me sens pénétré de deux
impressions profondes :la première c'est que la
science n'a pas de patrie,
la seconde, qui paraît exclure la première, mais qui n'en est pourtant
qu'une conséquence directe, c'est que la science
doit être la plus haute personnification
de la patrie.
私は次の2つのことを深く心に刻んでいます。第一は、科学は祖国をもたないということ。第二は、第一で述べたことをひっくり返すようにも見えるのですけれども、しかしその直接的な帰結でしかないことです。どういうことかと申しますと、科学は祖国というものを最も高度に体現するものでなければならない、ということなのです。(古賀訳)
最後の部分、la science doit être… となっていて、これはthe science must be… です。「ねばならない」というのはかなり強烈ですし、そのあとのla plus hauteはthe highestという最上級。科学は人類共通の遺産であると、このすぐ後で述べるのですが、ゆえに国境のない、共有・共通のものだが、それをどの国家が最もよく体現するのかが重要なのだ、ということでしょう。普遍的な科学を生み出す「国家」の人智、そこに科学者が貢献すべきことを強調しているように、私には解釈できます。1870年の普仏戦争で、フランスはプロイセン(ドイツ)に惨敗しました。それ以降、フランスの愛国的な科学者たちは、科学(理性)をもって祖国を再建するという、私たちからすると理系なんだか文系なんだかわからない行動に突っ走りました。「こんなすごい科学を人類のために生み出す、こんなにすごいフランス」と考えたいわけですね。
●教科の区切りや学年・学校種の区切りなど、学校教育にはさまざまな区切りがあり、それにより学問の越境が生じている。それらをどのように対策すれば学問の越境を越えられるか考えた。
・・・> 越境を越えるって? 越境を「悪いこと」だと考えていませんか?
●あらためて総合的な学習ですることのできる幅の広さを感じた。現場では有意義に利用したいと思ったが、この幅の広さゆえに、総合でやることが形骸化したのかなとも思った。

パリの偉人霊廟パンテオン ルソーやコンドルセ、キュリー夫妻の墓所は以前にも紹介したことがある
建物の正面にAux Grands hommes la Patrie reconnaissante. (偉大なる人々に、祖国は感謝する)との言が刻まれている
●工学や情報の人たちが、もののしくみに詳しく、自分の無知さに気づかされることになった。
●気になったブラックボックスはすぐ調べてしまうので、周りの人がどのようなことを不思議に思っているのか、もう少し知りたかった。
●ブラックボックスについてディスカッションしたが、考えてみると、膨大にテーマはあって、技術の進歩と知識の一般化のギャップを感じた。多様なものに目を向けて知識を深めたい。
●身の回りのブラックボックスについて意見を出し合った。これから教師をめざす立場で、使えるような知識であり実用的であるため非常に参考になった。
●日々に疑問をもつことの大切さを今回あらためて思いました。
●身近なところにブラックボックス化しているものがたくさんあるのだと思いました。また、もっといろいろな知識を得ることが必要であると思いました。
●ブラックボックスについてのあれこれを聞き、新たに関連したブラックボックスが出てくるなど、終わりがなく、よくわからないことだらけなんだなと思った。
●身近なブラックボックスについて考えたが、意外とわからないことであふれているんだなと思った。地震の多い国なので、地震対策のいろいろな種類の話はおもしろかった。
●さまざまな教科の橋渡しのような話題を出すために、日常から疑問をもって生活しようと思った。
●ブラックボックスについてもう少し真剣に考えればよかった。しかし自分の知らない分野の話を聞けたため、教育実習までにいろいろな分野で用いられる技術や、日常生活にひそむブラックボックスについて考えようと思った。
●ブラックボックスというのは、思い出そうとしても意外と見つからず、ふとしたときの「これ、どういうしくみなんだろう」という気持ち、疑問が大事だと思った。
●ブラックボックスは、自分が気づかないだけでたくさんあるということがわかった。しかしそれを見つけていくには、常に考える必要があるように感じた。古賀先生の知識量の底がわからないから、先生がブラックボックスということでいい気がした。
・・・> たしかに腹黒いですからね。て、おい。
●もっと身近なものに関心をもって、当たり前に使っているもののしくみについて考えていきたい。電子レンジのしくみは化学にもかかわることなので、授業の導入としても使えるのではと思った。
●ブラックボックスを書き出していると、しくみを理解していないが利用しているものが多いと思った。こういったことは、しくみがわかるとおもしろい。雷がなぜできて、落ちるのかを知ったときは、とてもおもしろく感じた覚えがある。
・・・> これは微妙じゃないかな。自然現象はたしかにブラックボックスだけど、きりがない。「近代・現代に入ってから人間がこしらえたもの」の界隈に集約するほうが、真のブラックボックスに近づきます。それも、三輪車や自転車はわかるがオートバイはわかりにくい、など、ある段階を過ぎると急に内容を気にしなくなるというのが本当のブラックボックス。アナログのレコードとデジタルのCDの違いのようなやつ。
●時計の長針と短針が11時台で重ならない理由わかりますか? 私はこれがブラックボックスだと思っています。
●DNAはなぜ二重らせん構造なのか。
・・・> 1つ上で説明したように、このあたりはブラックボックスではない(含めないほうがいい)と思う。時計の話は、実際に針を回してみればすぐわかると思いますけどね。ていうか、これはあちこちでネタにされているやつでしょ? 二重らせん構造にいたっては、神様がそのようにおつくりになったから、ということでしか説明できません。限られた空間により多くの情報を閉じ込めるためにそうなっているのでしょうし、二重らせんで接地面が多重化することによってバックアップ機能が備わっているということなのでしょうが、人間が意図してそのような構造をつくったわけではなく、やはり神様のお手柄でしょう。

(左)最初期の電気洗濯機 回転軸が円筒の中央にあるため水流が単純で汚れ落としが甘かった 「脱水」は手動ローラーでおこなう
(右)二槽式洗濯機(拙宅にも15年ほど前まであった) その後に主流になった全自動一槽式もこれとしくみは同じだが、終始フタを閉じているため
人の目には内部で何が起こっているのかが見えなくなるという「ブラックボックス効果」が生じた
なおNational(ナショナル)は昭和期の松下電器のブランドで、現在はすべてPanasonicに統一されている
●代表で2つと指示がつくと、変に難しいトピックを提示してやろうと思ってしまった。提示後に身近な疑問が思い浮かぶようになったので、もっと早く柔軟に考えたかったな。
●知っていれば知っているほど「これはブラックボックスなのか?」と疑ってしまった。世の中のわからないことの大半は、科学が説明できるように感じた。
●設計・仕様などに興味をもたずにデバイスを使用するユーザがほとんどなのと同じように、数学の公式も、説明できないまま使っているのがほとんどだし、たぶんこれは別々の事象に見えるけど学校で理学的な問題を詳しく追求しないから身の回りのことの内部にも関心をもちにくくなるようにも思える。
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