Théorie et pratique des périodes d’études intégrées

総合的な学習の時間の

理論と実践


千葉工業大学工学部・創造工学部・情報科学部・社会システム科学部 (教職科目)
前期後半 土曜67限(14:00-16:00)/夏期集中  津田沼キャンパス6号館 615教室  

 

 

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2022(令和4)年度 教職科目における指導・評定指針

 

20226月の授業予定
6
4日 総合的な学習(探究)の時間の再設定
6
11日 領域横断・探究的な思考の意義と課題
6
18日 教科教育と総合的な学習(探究)の時間の接続
6
25日 学習テーマの選定とソース、リソースの準備

 

次回は・・・
4-
学習テーマの選定とソース、リソースの準備

総合的な学習(探究)の時間は、教科と異なり、学習内容を指定されていません。自ら課題を見つけることにかなりのウェイトがあります。とはいえ、学習や探究の経験が浅い中高生が、リアルな意味で「自ら」課題を見つけることはほとんどないと思いますので、教師側によるある程度の提示や支援、追い込み(生徒が自発的に案出したようにもっていく演出)が必要になってきます。いや、ちゃんとテーマ設定できる生徒がいますとか、自分はそうでしたという人はもちろんあって、テーマ設定ということ自体に抵抗感を覚えるらしいのですけれど、そういう生徒はもともと(総合がなくても)自力で学ぶことができますから心配はさほど要りません。問題は、そうではない過半の生徒のほうです。それらの生徒にもグラデーションがあり、あと一押し、わずかなヒントで課題にたどり着ける生徒もあれば、ほぼ全面的におぜん立てしてあげなければ難しい生徒もあります。ただ、教師の立場からしますと、教科とは異なって必ずしも自身の専門分野に合致するわけではありませんので、「生徒はどこまで自力で行けるだろうか」という見積もりは、教科の場合ほど容易ではないということは心得ておきましょう。

総合の古参の専門家である古賀は、2004年の時点で、大テーマ型、地域社会型、在り方生き方型という学習テーマの3類型を提示しています(拙稿「総合的な学習の時間の原理と方法」、安彦忠彦・石堂常世編著『現代教育の原理と方法』、勁草書房、2004年、所収)。中等教育向けの総合について書かれた本がほとんどなかった時期だったためか、この類型は結構あちこちで参照・引用されたようです。最近は不本意ながら「体験学習型」も加えて4類型にしています。それぞれの長短や特質に関しては前掲書をお読みください。当科目で取り組むサイエンス、グローバルの両サイドのテーマはほとんどが大テーマ型に類別されるだろうと思いますが、別に「どこに属するか」を考える必要はありません。平成1011年版学習指導要領で初めて総合が設定されたとき、スカスカでほぼ何も書かれていない総合の項には、いくつかのテーマが例示されていました。その中に「国際理解」というのが含まれていました。国際理解教育というのが流行していた時期でもありますし、また小学校の英語教育をその枠でしていたこともあり(2011年度からは外国語活動の時間に移行)、じゃあ国際理解をやろうという学校が結構あったように思います。けれども、「国際」とは対象が大きすぎて、切り口を設定するのが難しいということにすぐ気づいたようです。何より児童・生徒の教科などの学びが、なかなか国際的なものになっていないため、生かしようもありませんでした。そこで、外国人をゲストに呼んでお国の話を聞かせてもらったり、外国の民族料理をつくって食べたりというようなイベント型、体験型の学習にしてしまうという、なんともお粗末な結果になってしまいました。ゲストでもイベントでも悪くはないのだが、それを知的な活動につなげなければ拡張性がありません。初期の総合には、そのような突破力はなかなかみられませんでした。当科目の受講生も、このテーマ設定の時点で大いに悩んでいるようですが、自身が学びに対して主体的で、前のめりでなければなかなか出てくるものではありません。学びつつ苦しむという経験を積んでいただくのが近道です。

テーマ設定と同時に、ソースやリソースの確保、準備もきわめて重要な作業になります。学びの基盤となる資料や判断材料をどこからもってくるか、ということですね。まず心得なければならないのは図書館の使い方です。中高でも、場合によっては大学でも、図書館活用のガイダンスやレクチャーを受けたのではないかと思いますが、なぜか生徒・学生の多くは「自分にはあまり関係ないし、必要になったときにまた教わればいいや」となりがちです。図書館は、日ごろから使っていない人が「必要になったとき」に訪れても、さほど有効なものは出てこないところです。とくに目的や当てのないときに訪れて、構造や配置を知り、ああこんな種類の本があるのかと実際に手に取ってぱらぱらとめくってみるということを習慣づけることが望まれます。教員になろうという人は必須です。「本」といいますが、いろいろな種類、次元のものがあります。今回はジテンにとくに注目します。漢字で書けるでしょうか。百科ジテンと国語ジテンでは漢字が異なります。このごろは電子辞書が発達しすぎて、ジテンの構造をわかっていない生徒・学生が本当に多くなりました。これが何よりのとっかかりになります。教職科目ではありますが、今後のみなさんの卒研など専門分野の研究においても、絶対に必要で有用なスキルになります。・・・と、ソースやリソースというタイトルを見て、直観的に思ったのと話が違います、というふうになったでしょうか? 今回は、「インターネットで調べる」という、こんにちではあまりに当たり前の作業を相対化し、突き放すことに主眼があります。理由は授業内で明示します。


配信している授業動画を視聴して、言語についての基本的な考え方を整理してから、次回の授業に臨んでください。

 

REVIEW 6/18
*文意を変えない範囲で表現・用字法を改めることがあります

授業で何度も扱われているが、勉強が学び、研究のきっかけではなく受験のためになっている情勢は変えられないだろうと思った。後半の時事問題を学んで、もっとアンテナを張っていなければならないと思った。

学びがただの学びで終わらないようにするために、探究は大切だと思った。初めは受動的であった学びも、探究を通じて全員に展望をもたせられるようになったらよいと思う。クロス・カリキュラムは、うまくいけば学びが深まりそうだが、2教科の連携をとるのは教員的にも難しそうだし、生徒も2教科ともに意欲をもって取り組んでいないと難しそう。

クロス・カリキュラムは、教える側がその考えを理解できないとかなりきついと思う。

クロス・カリキュラムのX字課程を設計することは、とても高度な技術であると考えた。そのために、たとえば教養の科目などで工業の科目とつながることはないか考えたい。

2教科以上の横断について、1:1くらいにならないといけないのかなと思っていたが、クロス・カリキュラムの考え方を学んで、Xの一方が短くてもよいということがわかったので、今後はもう少し広く話題を探そうと思った。

クロス・カリキュラムの例として、他の教科との連結が主に取り上げられたが、同一教科の科目どうしでおこなっても学びを深められるのではないかと考えた。
他教科と交差させるクロス・カリキュラムが多いと思うが、科目間クロスの有効性について考える必要があると思う。とくに工業は科目が多いことから、常に科目間の関係を考慮する必要がある。

理科をクロス・カリキュラム的に学ぶために、専門を深く知っておき、その他のつなげることのできる知識を広く浅く知っておくことで、広く考えることができると思った。
・・・> 専門出ないほうを「広く浅く」ではだめだと思います。「広く、できればもう少し深く」でしょう。一般人並みの浅さでは生徒への指導は困難。真の深さについてはその分野の専門家にゆだねます。

クロス・カリキュラムを考える際、理科の内容と社会の内容、理科の内容と数学の内容など、それぞれ結びつけ、自身の専門性を生徒たちに示せるように、どの分野・内容と結びつけることができるのかを探究していくべきである。それをどのように伝えていけばよいのか、周囲の人を巻き込んで、学びを深めていきたい。

他の教科との連携が大事なのはわかるが、実際に教師どうしで話し合い、方針を決めていくのは可能なのかと考えた。時間が足りないのではないか。

人類が、勝手に学問を分けておきながら、分野を連結させて学ばせようとするということがおもしろい、と思いました。

高校に入るときに学力で振り分けられているにもかかわらず、学力差が同じ学校内で大きくなるのは、容量のよさによるものであるとわかった。
・・・> 容量(キャパシティ)の問題だとすると、記憶力だのみということになります。私は「要領がいい」といったのですが、同音異義語なので取り違えましたか? それとも漢字のミス? いずれにしても、指摘したことの真意は、要領のよさによって一見すると差が出るのだが、そこは本質ではなく、たとえば同一偏差値の生徒観でも真の学力には違いがある、ということです。

学習指導案では「○○を理解させる」と書きがちだが、高校のように抽象的な内容を一度に理解するのは不可能だと考えておきたい。

時代の変化で学問の内容も変わっていくから、自分のときとは違う新しいものでないとだめだなあと、あらためて感じた。

先日イタリアで初の安楽死がおこなわれた、という記事を読んだが、中高生を相手にこのような題材は容易に扱うべきではないのでしょうか。
・・・> まさに今週と来週、高校の授業ではこれを扱っています。もちろん「容易に」扱ってはいけません。生命とか生き死ににかかわるテーマはとくに難しく、なまじっかの知識でやろうとすると想像もしなかったような方向や場面のリスクを背負い込むことになります。簡単な知識のまとめを示して、安楽死に賛成ですか反対ですかなどとディスカッションさせるのは危険というか、有害だと考えてください。後期の道徳教育の理論と実践で、このあたりの指導について考察するかもしれません。

 
ヘアサロンのメニュー表示 (左)香港  (右)池袋チャイナ・タウン

 

自国から見た相手国と、相手国から見た自国の違いがあることを学んだ。

自分と異なるものを、大きく雑に捉えがちなのは、たしかにそうである。また、日本もそうだが、国単位で見ても地域によって特色が異なるので、一概にこうであるとはいえない。

自分が属していないところをひとくくりにすることがあるなと思ったので、さまざまなことを知らなければいけないと思いました。
異文化への視点として、自分たちが一様に決めつけるイメージと本人たちの意識のグラデーションの違いがあり、その逆もしかり、ということがわかった。そのため異文化理解は互いにシンメトリーで一方的な偏りや偏見が多くなると思った。
自分たちのグラデーションはあるのに、他者や違うグループに対しては途端に決めつけはじめるというのはとても納得しました。近ごろの若者は・・・ というのに似ていますが、若者も、たまに「若者を代表して」ということがあります。そんなのではないと、よく思っています。

中国に侵略されているという話をよく聞きますが、中国人の経営や白タクなどの話を聞くと、中国人を追い出すという思考はめちゃくちゃわかります。全員がそうではないというのもわかりますが、そういうイメージが根づいて、なおかつ侵略みたいな行動をしているので、そう思われても仕方ないのかなと思いました。
・・・> これはダメでしょう。最終的に自分がどのように考えてもいいのですが、今回ダメですよねと共有したはずの枠を使って「そう思われても仕方ない」などと結論を出すようだと、おっかなくて現場に出せなくなります。2つ聞きますよ。(1)その種のやばい行為の発生確率は、中国人と日本人とでどちらが高いのですか? データもっていますか? (2)その情報のソースをどこに求めていますか? ネットとかSNSだとしたら、教職の学生としての見識が問われますよ。

韓国人の知人がいるのですが、日本は一種のあこがれ、理想郷だと思っている人が多いのだとか。とくに若年層とそうでない人たちの、日本への考え方や、自国そのものについての考え方が大きく異なるそうです。他国の歴史や文化を学ぶ科目があってもよいと思うのですが。
・・・> だからこそ1994年以降(平成元年版学習指導要領の実施後)は、世界史AまたはBが必修になり、高校生は全員学ぶことになったはずだったんですけどね。2022年度の1年生からそのしばりが解除されてしまいました。もっとも、世界史を教える際に「他国や他地域の歴史や文化を学び/グローバル時代に生きる市民としての構えや考え方をはぐくむ」という後半部分が欠落してしまうと、外国の固有名詞を暗記するだけの、どうしようもない授業になって、誰にとってもつまらないものになります。

言語分布の図を見て、色分けだけで見ると大きな主語で区分されるけれど、人口や宗教など細かく見ると別の言語を話しているなど、言語が異なる理由などが見えてくる。大ざっぱに見るのではなく、ほかの要素も見て判断することが大切だと思いました。

言語の分布が、地形の影響以外にも国の発展に関係しているのには気づかなかった。国外だけでなく国内のことすら何も知らないのだと実感した。コンビニのように安価で大量の製品が、外国の人を安い賃金で働かせることで成り立っているというのには衝撃を受けた。

インドの中でヒンディー語が大きな割合を占めているのは知っていたが、ムンバイではマラーティ語が多数であるというのには驚いた。母語話者だけで1億人以上ある言語の種類が少ないことにも驚いた。
・・・> 日本語は母語話者数でなんと9位です。世界人口77億人だとして12000万人くらいの話者がいますので、かなり多いほうです。英語の母語話者は約4億人。日本語の3倍強で、意外に少ないでしょ?

 
(左)インド ムンバイにあった新教育式学校の看板 英語、マラーティー語、ヒンディー語で書かれている(右の看板はナーガリー文字)
(右)キプロス共和国の首都レフコシア 同国の公用語はギリシア語とトルコ語で、前者は数学でもおなじみのギリシア文字なので、そもそも読めない!

 

異文化について考えると、いままで20年間生きてきて何もしていなかったように思う。

学びに引き込めるように教科の1階部分で工夫する必要があると思った。フランス、一回行ってみたいです。

グローバル・サイドは、テーマをどうするか決めかねていたのだが、後半の内容を通して興味がより湧いてきた。言語にしても文化にしても、深掘りしていくとおもしろそうだなと思った。今回の内容も踏まえて、ひきつづき調べていきたい。

知の汎用性、拡張性に気づかせる授業をするには、まず自分が知見を広げなければならないと思った。実際、今回の授業の後半だけでも言語への興味が生まれた。私もそのような授業を展開できるようになりたい。

 

 

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