古賀毅の講義サポート2024-2025

Études integrées et interdisciplinaires: connaitre le monde de manière transversale

総合学際科目:知の越境・架橋と近未来への想像力

千葉工業大学工学部機械工学科、先端材料工学科、電気電子工学科、先進工学部生命科学科2
後期 火曜34限(11:00-13:00) 新習志野キャンパス 7号館 7103教室

 

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次回は・・・
13-
高度化する社会と高等教育の学び

当科目の実質初回にあたる第2回のテーマはブラックボックス化でした。以降の各テーマにも、ブラックボックス化の影がちらついていたのに気づいたでしょうか。ブラックボックス化そのものは、とくに「悪いこと」であるともいえません。難しいことを知らず、考えずとも機械やシステムを使うことができ、便利で快適な商品を購入して使ったり食べたりすることができるからです。が、数世代前までと比べて、明らかにその内容は高度な科学技術によって支えられるものになっていて、本質的な部分や構造、「正体」を知ろうとしてもなかなか知りえない、というものばかりになっています。ここにいるみなさんの多くは、大学で高度な学問を学んで、それを足場にして何かをつくったりはたらきかけたりしようと考えて、入学されたのではないかと思う。だとすれば、そうした知の専門化・高度化や、その結果としてのブラックボックス化という流れに乗って、生きていこうということでもありますね。専門の知の深さというのは、高校生まではあまりよく実感できないものだったかもしれません。大学生になって、その一端に触れてみたときに、うわっこれはすごいや、と実感することが多いようです。私(古賀)の専門は学校教育であり、それはユーザー(児童・生徒)としてならば誰でも普通に経験しているので、みんなわかっている世界じゃん、と思われがちなのだけれど、実際には相当に専門知だらけの世界であり、かなりブラックボックスです。現代社会は、たいていの分野や部門で、そのようになっています。

みなさんは、無事に今期の単位をそろえることができれば、という前提にはなりますが、来春には津田沼キャンパスに移っていよいよ本格的に専門知の世界に入っていかれることになります。では、半ばにさしかかったここまでの大学生活を振り返って、いかがでしょうか。学び方や学びの質は、高校生までとは別次元だと感じているでしょうか。それとも、あまり変わらないなあ、と思うでしょうか。講義を聴いて、知識を取り込んで、指定された実験をやって、指示されたようにレポートを書いて提出して・・・ という同じ作業を繰り返していたとしても、そこに自身の課題を見つけて自律的に学んでいる人と、高校生までとさほど変わらない、受身で他律的な学びのままの人では、2年生までに得られた成果もずいぶん違うはずです。これは、見た目や成績のスコアだけでは判断できない部分ですが、来年のいまごろになるとテキメンに効いてくることでもあります。大学の学びというのは、そうした質的な深まりを必ず伴うものですし、そうでなければわざわざ入学する意味も薄れます。もう一つ、こちらは各学科の専門科目や研究室での知的作業だけでは得にくいことになりますけれど、当科目のテーマでもある架橋・越境ということ。狭く・深くというのはいいとしても、すぐ隣の分野にすら視線が向かないというのは、非常に残念な態度といえます。当科目では、架橋・越境のためには日常生活や社会的な争点の中に入り込んで、そこから専門を見通すことがよいのではないか、と提案してきました(つもりです)。むしろこの先で、専門の学びがより深まっていく過程で、必要になっていく考え方だと思われます。

最終回は、以上のような問題意識のもとで、2年後期終了(折り返し)というこのタイミングでいったん振り返ってほしいことを提示します。「2年間過ぎるのが早かったな〜」という人があると思いますが、この次の2年間はさらに早く感じられることでしょう。そして、それはいよいよ長かった学校教育のラスト・ランでもあります。

*授業後半で教場レポートを実施します。

 

REVIEW 12/3

1210日のレビューの更新が大変遅れて申し訳ありません。近日中に更新します。しばらくお待ちください。

 

今回の授業を通して、私たちの身近にある技術と軍事技術の関係の深さを学んだ。科学技術が発展していく一方で、軍事技術の発展も進み、戦争や紛争が起こった際に多大な被害が生まれる可能性が高くなるという、複雑な問題である。それを踏まえると、理系学生は自身の研究や技術がもつ可能性とリスクを理解し、倫理的な責任を果たすことが求められる。そのため、「科学技術は誰のために、何のためにあるのか」という根本的な問いに向き合い、平和と人類の幸福を追求する立場にあるべきだと考えた。(類例複数)

技術は、使用する人の動機などの要因によってその意味が変わってしまい、どちらの面ももっているということがわかった。電気電子を学ぶ理系の学生として考えなければいけないことが多く存在しているということを理解できた。

いま私が学んでいることは軍事転用可能な学問であるということを意識させられた。いままでスピン・オンやスピン・オフの技術のことは知っていたが、あらためて考えたときに、自分が考えた技術が人殺しなどに使われる可能性を思うと、怖いと感じた。自分の技術をスピン・オンされた人が、それをどう感じたのかが気になる。

科学・技術の発展はよいことだと考えていたが、それが戦争・軍事に利用されていることを考えてみたら、よいことばかりではないと感じた。科学・技術の発展は社会において欠かすことのできないことだと思うが、軍事利用されうるという意識をもっていかなければいけないと考える。

技術の発達が軍事に利用されているものを調べてみたら、身の回りのものも利用されているということがわかって驚いた。生命科学が戦争や軍事にかかわるとは思いもしなかったので、これから3年生になって本格的な研究に入っていくときに、そのことを頭に入れておきたいと思う。

理系の性質上、接点の多い話であり、あまり他人事ではないと思った。

今回の授業を通して、私たちがいまそれぞれ学んでいる専門分野の内容は、すぐに軍事利用することができること、軍事利用することで人の命を奪うものになりうるということがわかった。とくに私が学んでいる生命科学という分野は、生命を構成する基本的な器官について扱う学問であり、この分野を軍事利用すると、人工的なウィルス、毒の入ったワクチンなどの開発がなされる可能性がある。法的に規制するだけでなく、研究者倫理をもち、「これは正しい使用方法なのか?」といったん立ち止まって考える必要があると思った。

科学・技術は軍事などの分野で活用できてしまうので、思ったのは、中途半端な知識や技術で産業や軍事にかかわってしまうと大変なことになるということだ。自分自身も軍事には絶対にかかわらないようにしたいと思った。

日常的に使われている技術の中には、軍事などの目的で使われていたものがあると知り、戦争や武器などのことをあまり身近に感じていなかったが、自分が使っているものがそうだったと知ると身近に思われるようになった。使い方によっては危険であることもわかった。(類例複数)

スピン・オンとスピン・オフの事例を調べたが、身近なものが軍事から来ていたりその逆だったりして驚いた。日本に住んでいると遠いことのように感じる軍事的なものが、私たちの生活とも密接にかかわっていて、いま自分が学んでいることも使い方によっては人を生かすころも殺すこともできるのだということを肝に銘じておかなければならないと思った。(類例多数)

ドラマなどでスピン・オフという言葉を聞くのでてっきりそのような意味だと思っていたが、違う意味があることにびっくりした。いまはドローンまで軍事的に使われていて、身近なものが使われているので怖くなった。スピン・オフの例をネットなどで知ってびっくりした。今後、私のやりたい研究をやるときには、軍事利用の可能性があるということを認識しなければならないと考えた。
・・・> ドローンはオンなのかオフなのか微妙なところがあります。

 
欧州の小国ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエヴォを、2020年に訪れた
平穏で楽しげな町並と思うだろうが、1990年代にはこの世の地獄とも思える内戦を経験し、写真に写っている付近でも
激しい銃撃戦や、住民どうしの撃ち合いが日常茶飯事だったという

 

いま生活していて便利だなと思うことが戦争・軍事の技術によって成り立っているということがたくさんあるということは、意識しなければ気づけなかった。戦争・軍事が必要ではない世の中になったら、平和でよい世界になるかもしれないが、世界の発展が弱くなっていくということも考える必要があると思った。

戦争が起こることによって人類の技術は進歩していき、生活が豊かになっていく。しかし進歩するほどに兵器なども破壊力が増大していき、そのぶん人が犠牲になっていく。技術は軍事利用される可能性を常に意識しなければならない。

いまの時代、どんなものでもスピン・オンできるということに驚かされた。また、戦争のおかげで現代の技術にまで向上することができたというのは、まぎれもない事実ではあるので、科学・技術と軍事利用について、完全に否定することはできないとも思った。(類例複数)

身近で使っているものが軍事で使われていたものだった例や、また身近なものを軍事にも利用できることに驚きましたが、軍事から生産技術に援用されるスピン・オフの事例が多いことに動揺しました。使い方によって変わってしまうため、取り扱いには注意が必要だということをあらためて認識しました。

海外の人のXの投稿で、ドローンから爆弾が投下され、地上にいる人が被害を受ける動画を見てから、軍事利用されたドローンの恐ろしさがわかった。

昨年、生成AIを利用したディープ・フェイク映像の出現や、レポート課題等への利用で、生成AIそのものの是非が問われることがあった。革新的な技術はたびたび社会によい意味でも悪い意味でも多大な影響を与える。これから技術を支えていく者として、その利用には細心の注意を払いたいとあらためて思った。

ネットワーク化がますます進行してきていることもあり、それに伴ってサイバー攻撃の危険性も増加していると思うので、よりハッキングされにくいようなセキュリティにしていかなければならないと思った。
・・・> となると、「そのおかげで」とプラスに評価しがちだったデジタルの規格化も、別の視点で考えてみる必要がありそうですよね。ネットワークで世界が「地続き」になっているということは、延焼や類焼のリスクを含んでいるという意味でもあります。

科学・技術が軍事との密接な関係をもっていることがわかった。科学・技術をどう活かすのかはそのときの状況などにも左右されるので、スピン・オンやスピン・オフを忌避するのではなく、そうなったときに世の中にどんなことが起きるのか、常に頭の片隅に入れておくことが、これから科学や技術の分野にかかわることになる人の心構えであると思った。

よい技術は当然、生活などを豊かにするが、その反面、軍事利用されたときにさらなる被害を生んだり、戦争の激化につながったりすると考えた。

千葉工大で研究されていることのすべては軍事利用できるとあったが、本当にすべてそうなのかと最初は疑問があった。頭の中で一つ一つ考えてみると、すべてできてしまいそうなので驚いた。(類例複数)

名もない科学者、研究者たちの小さな発見や発明が、人を殺めてしまう道具になるというのは恐ろしいと思った。

スピン・オンやスピン・オフの例からもわかるように、理系・工学系の私たちと軍事にはたくさんの接点がある。技術開発するということを目的にするのではなく、その技術によってどのように社会に影響するのかということを考えられるようにならなければならない。よい方向に使用されるのであれば、その技術開発に携わることのできるチャンスが私たちにはあるので、すばらしいことだと思う。社会に求められている学問を学んでいるのだと思う。

技術がどのように社会に貢献するかを考えつつ、悪用されるリスクについても認識する必要がある。倫理観をもち、責任ある開発を進めることが求められる。技術の進歩が軍事に与える影響と、その応用の倫理的側面を理解することが重要だと思った。(類例複数)

どんな技術でも世に出した時点で誰もが目にすることができ、多くの人がそれを再現できるようになるため、誰にどのように利用されるのかはわからない。しかし、いままでさまざまな方向で多くの技術が利用されてきたように、人を傷つけたり、喜ばせたり、自分の責任でなくともそのように利用される可能性があることを考えながら、これから技術開発をしなければならないと思った。

今回のテーマに関して、理系の学生として考えるべきことがあると思いました。たとえば、学生として学んでいる間だけでなく就職してから得た多くの知識を、本来の目的に沿わず乱用することは、絶対にあってはならないと考えました。乱用したことで起こる事件が二度と起こらないでほしいと思いました。

戦争の名残は自分の生活の身近に、いたるところにあるということを学んだ。私は、自分の知識や技術の悪用は考えていないが、考え方しだいでそういうことができる、という自覚をもっておこうと思った。また将来、就職した会社が、戦争になったときに軍事用の機械を製造する場になったとき、私はどうするのだろうと考えさせられた。

日常生活で役立てるために開発、研究していたものの多くは、戦争や軍事にも役立ってしまうため、技術の進歩も大事だが、それに伴って使用する側のモラルも成長していく必要があるとあらためて感じた。
・・・> 使用・利用する側は、たいてい悪意などはなくて、いまの自分にはこれが正しい(最適の)使い方だ、と思っていることが多いのではないかな。

私たちが開発したりつくり出したりする技術は、社会によくも悪くもさまざまな影響を与えてしまう。もし私がつくり出した技術が犯罪や戦争などに利用されてしまったら恐ろしいし、実際にそのような事件も起こっているという話を聞いて、恐怖を感じた。利用する人間の考えによって、よい影響を与えるのか悪い影響なのかが変わってしまうので、技術をつくる側としては、よい点だけでなく危険な点もしっかりと理解し、社会に対してしっかりと説明する義務があるのではないかと思った。

理系の研究者が発明したものが、本来の用途どおりに、人を笑顔にするためだけに使われるようになってほしいと思った。

 
(左)人類初の有人飛行に成功したライト兄弟のフライヤー号(ワシントンD.C. 航空宇宙博物館)
(右)Ar234型機 ドイツ軍が1944年に採用した世界初のジェット爆撃機 戦争末期のためほとんど戦力化はできなかった(ミュンヘン ドイツ博物館)

 

歴史を見ると、やはり戦争が技術を発展させて、いまのような豊かな暮らしができるようになったのだと思いました。大学生として、その研究が他国に軍事利用されたりすることのすべてを恐怖に感じました。

ライト兄弟の有人飛行の成功から、戦闘機が使用されるまでの期間の短さに驚いた。戦争が技術を発展させるということに、すごく納得がいった。

ノーベルが開発したダイナマイトのことを思い出した。ダイナマイトはもともとトンネルや鉱山の土木工事に対してつくられたものであるが、戦争などの軍事に転用されてしまった。戦争の抑止力としてつくられたものであっても、誰かひとりがその約束を破れば、あっという間に軍事利用されてしまうので、技術の発展と平和の維持は、非常に困難だと思った。
・・・> 最もわかりやすいのは核兵器でしょうかね。核保有・核武装を正当化する理屈はいつでも「抑止力」であるわけですが、ご指摘のように、プーチンひとりの暴走でそもそも核兵器が存在すること自体のリスクが顕在化してしまっています。極端な言動や思考の指導者がこのところ増えている印象なので、非常に心配。

第一次世界大戦や第二次世界大戦などの中では、新たな科学技術を実験的に導入したという恐ろしい歴史があった。アインシュタインは、もし第四次世界大戦があるとするならば「石と棒で戦うだろう」といっている。これは第三次世界大戦が核戦争になることを意味している。いまの世界で当たり前に生活していることが当たり前ではないということを、今回の授業であらためて感じた。

「人道的な殺傷」などは存在しないと考える。戦争を起こすことによって一部の人たちは利益を得るかもしれないが、人類全体で見れば圧倒的に不利益ばかりで、これを人道的とは呼ばないだろう。

戦争において、攻撃を仕掛ける側からすれば、原爆を飛ばすより敵国にある原発にロケットを撃ち込むほうが、リスクもコストも低く済むという話から、原発を保有する危険性をあらためて実感し、また便利さと危険性は紙一重であるなあと感じた。
昨今、電力不足が問題になりつつあり、外的要因もあって、電気料金が高騰しています。正直とくに深く考えずに原発を稼働させるのがいちばんよいと思っていました。しかし軍事の観点を通してみると、存在そのものが併記となりうる原発をなくしたいといった考えも当然です。今回の話を聞くまで、私は情報を正しく使えている気でいましたが、結果として物事のほんの一面しか見えていなかったことに気づけました。
・・・> でも、もう一つ別の側面を示しましょうか。原子力発電を多くの国がやめない(推進する)理由は、大量の電力を合理的に得たいということのほかに、「うちの国は核をコントロールするだけの技術力をもっているぞ」ということを外国・国際社会に暗に示すねらいがあります。原発と原爆は同根ということで考えると、イコールではないにせよ、「核武装のポテンシャルをもっている」という、わりに明示的なメッセージであるわけですね。それによって一種の抑止力を得ている、ということが、しばしば説明されます(実は国防政策に詳しい石破茂・現首相も、かつてそのような説を述べていました)。

兵器は、自国の人々を守るためにつくられているのであって、人を傷つけるためにつくられるのではない。
・・・> それが信念だというのならばいいですが、なんだか微妙な気もします。自国の人々を守るために他国の人々を攻撃するのでしょうし、近代の戦争の多くは自国民保護などの「防衛」を理由に起こされています。そもそも兵器を自国内で「自給」できる国家はほとんどありません。

授業を受けて、技術自体によしあしはないのだと思いました。技術は、誰かが知識を使って生み出したものであるから、つまり知識の使い方に問題があるのだと思います。私は理系の学生として、いま大学で学んでいますが、その先のことをまだ考えていません。私たちが得た知識は、使い方によって、社会に貢献することもできますが人の命を奪ってしまう可能性もあります。また現在はネットが使える時代なので、さまざまな情報がすぐに入ります。安倍さんを銃撃した人物は、ネットで知って家で内密に銃をつくったというのが一例です。そういったことを防ぐことは難しいと思うので、間違った方向に進まないように、常に念頭に置いておくことが大切だと思いました。

中学生のころ「こんな研究がしたい!」と先生に相談したら、「お金にならないから難しいかもしれない」といわれたことがあります。国力につながるようなもの、企業が儲かるようなものでないと研究費の支援など儲けづらいのだろうなと思いました。また、技術ってなんなんだろうとも思いました。誰かの利益のために誰かを傷つける技術も、世の中にはたくさん存在して、資本主義社会である以上、その技術を否定することはできないけど、なんだかなあ、と腑に落ちないものがたくさんあります。

資金を得るために研究者が他国に行くのは、資本主義の世の中では仕方ないと思った。(類例複数)


津田沼キャンパス通用門 通称「工大のレンガ門」(国登録有形文化財)
陸軍鉄道聯隊のころから使用されていた門で、科学・技術を学ぶ者たちにその意味をいまも問いかけてくる

 

オールド・メディアは嘘ばかりで信用できないという人が増えているという授業冒頭の話。証拠のないのに、頭ごなしにオールド・メディアは嘘ばかりだといっている人間に聞かせてやりたいと思った。

新京成線が、軍事物資の輸送のため台風や雪ていどでは止まらないということは知っていたが、千葉工大の近くにあるのも軍事的な理由だったのは知らなかった。他の大学のキャンパスも、もとは陸軍や海軍の基地、火薬庫として使われていたことを知った。

今回は、スピン・オンやスピン・オフなどの具体的な事例を交えて、科学・技術と軍事利用についての本質に触れることができた。千葉工業大学も軍事利用を想定された時期があったということに驚いたが、歴史に触れることで、いまの自分の学びの見方が変わってくるということに気づいた。分野横断的な学びをしたうえで、研究だけでなく、「その後」について考えられるような人材になるべきだと考える。

今回は、科学技術と軍事の近接性、どのように活用されていくかということについて、歴史とともに学んだ。授業の中で、私の専門分野と軍事の接点について考えた。それに加えて、専門分野以外の知識も取り入れる必要があると思う。技術と社会とのつながりとリスクを考え、対策し、さらなる技術の向上が求められるのだと思う。社会と専門分野を広い視点で考え、そのうえで技術で貢献することが必要だと推察した。

科学が発展したことで人々の生活が豊かになるのに伴って、戦争が激化するようになったということをあらためて知った。個人的に思ったのは、工業や機械系の分野よりも、化学工業の分野のほうが、戦争の激しさを増す要因になったということだ。生命科学という学問を学んでいて、これから「生物兵器」というものが登場しないことを願っています。これまでにどのような生物兵器が開発されたのか気になった。
・・・> 生物兵器は国際条約によって禁止されていますが、「保有しない」ことを確認するための規定がないので、「これは兵器ではなく技術」と各国が言い張れば、それ以上の査察や追及はできません。さきごろのパンデミックでも少し思ったかもしれませんが、感染性の高いウィルスや細菌を人為的に拡散させれば、場合によっては敵方の社会そのものを破壊することができるかもしれません。動物や鳥類などの中間宿主を介した拡散も企図されます。いわゆる生物兵器とは次元や意味合いが異なりますが、ヒトのクローンを軍事目的でつくり出すということが、いまかなり懸念されているところです。「怖い」のは当然ですが、兵器や毒物などの構造や効果などを科学的に学ぶプロセスは、生命科学などの分野を学ぶ人にとって必須のことのように思います。

科学技術というのは、どの時代においてもとても重要で、時代の進歩に役立ってきたと思う。発明がその時代の人々を豊かにすると、私は考える。しかし発明は、よいものだけでなく、多くの人々の命を奪うものにもなってきた。ただ、軍事利用が決して悪いというわけではなく、それを使う人が気をつければよいことだと思うので、開発者も利用者もしっかりと責任をもって生活する必要があると思う。

今回は技術者として大切なことを学んだと考えている。それは、自分の生み出した技術が、必ずしも自分が思っているような使われ方をされないということである。たま、すべての物事において、一方から見るのではなく多方向から見るというのはとても大切なことである。なぜなら一方でよいと考えていることでも、他の視点から見ると非常によくないということが多くあるからである。技術の発展によって誰でも簡単に銃をつくれるようになったとしても、戦争のコストとしてはよいのかもしれないが、日常的に考えると犯罪が多発するリスクがある、などである。

 

 


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