Voyageur à Pologne: Varsovie, Toruń, Gdańsk

PART6

 

PART5にもどる


連帯センターを辞去して、旧市街のほうにゆっくりと歩いて戻ります。先ほど歩いた道沿いに比べると、あか抜けているというか、現代風の地区のようです。小さなショッピング・センターなどもあり、昼が近づいているためか人出もあってにぎやか。普通の川にも見えるラドゥニ運河(Kanal Raduni)に面して、小さな公園があり、親子連れなどがたくさん憩っています。大製粉所(Wielki Młyn)、小製粉所(Mały Młyn)という、合掌屋根みたいな三角形の建物があり、その周囲がゆとりのある空間になっているのですね。旧市庁舎(Ratusz Staromiejski)のほか、小ぶりの教会がいくつか見えていい感じ。観光スポットはもう少し南の旧市街だと思いますが、市民の日常空間というのはどこでもいいものです。

 
 
「小製粉所」、「大製粉所」(上右)界隈は憩いの空間 (下左)旧市庁舎
(下右)17世紀に月面の地形を観察した天文学者ヤン・ヘヴェリウスの像 ダンツィヒ(グダンスク)が生んだ偉人のひとり


大小の製粉所から1ブロック南に、欧州のあちこちで見かける屋内市場があり、そこから先が旧市街です。この付近も一般車両は乗り入れ禁止で、たくさんの屋台が出ています。けさホテルで「地球の歩き方」を読んでルートの検討などしていたら、欄外に細かな文字でこんな情報が。「7月末から8月中旬の3週間にかけて行われる聖ドミニコ市は、750年以上も続くグダンスクの夏の風物詩。この期間、旧市街には数多くの露店が立ち並び、特設ステージではさまざまなパフォーマンスが繰り広げられる。この時期は混雑するので、宿泊施設は早めに予約しておきたい。2018年は7/288/19の予定」(『チェコ ポーランド スロヴァキア 20182019年版』、ダイヤモンド・ビッグ社、2018年、p.289 ――そうか、日常にしては人が多すぎると思っていました。グダンスクを訪れるならこの時期!というべきタイミングだったわけか。3週間前に予約サイトを繰っても大したホテルが出てこないなと思ったのも、そのせいだったようです。下調べをほとんどしない報いではあるけれど、意外性もあったほうがおもしろいので、まあよしあしです。私はこのいい加減なペースを変えるつもりはありません(^^

まっすぐ歩けないほどの人出がある通りを南に進むと、「大武器庫」Wielka Zbrojownia)という、妙にけばけばした建物の前に出ました。壁がレンガ色・・・かと思ったらピンクで、あちこちに無駄な装飾がこってり乗っかっています。ルネサンス様式だそうですが、この手は不得意なんですよね〜。その名が示すとおりかつては武器庫としても使用されており、旧市街の外壁の一部をも構成する建物だったのですが、ここも戦災で失われ、戦後に復元されました。0階がギャラリーになっていて、城壁の外側に出ることができます。

 
(左)グダンスク旧市街 ちょうど聖ドミニコ市の期間中で、人出がすごい (右)「大武器庫」のこってりした外観(城壁の内側)

  
グダンスク旧市街のメイン・ゲート 左から「高い門」「囚人の塔」「黄金の門」 これらが西側(外側)から順につらなっている!


そのさらに1ブロック南に、「黄金の門」Złota Brama)が見えます。きのう歩いた旧市街のメイン・ストリートであるドゥーギ通りはここが基点。有事には防衛拠点にもなる市街地の門というのは各地で見ますが、ここは城壁に相当する部分がひとつづきのように見える建物群で構成されているのがおもしろい。根っからの商業都市なのですね。黄金というわりにゴールドの装飾はさほどでもありません。旧市街に向かってくぐり抜けるアーチ部分は狭隘で、防御能力は高そうです。が、それだけではなくて、そのすぐ西側(外側)に監視台・防衛施設と監獄を兼ねた「囚人の塔」Wieża Więzienna)、さらにその外側には「高い門」Brama Wyżynna)なる城門まであります。三段備えというのはめずらしく、軍事的というよりも自治都市としての政治的な威信を示すものだったのかもしれません。

囚人の塔の造りなどを興味深く見ていたら、細かい雨が降ってきました。気になるほどではありませんが、先ほどからたまに小さな雨粒が当たっていて、もしかするときょうは降る日なのかな? 囚人の塔のそばが小さな広場になっていて、飲食関係の4つの屋台が並び、中央に大テント3つとテーブルが配され、小さなフード・コートになっています。12時半を過ぎていますがランチ抜きの方針なので、燃料だけ入れていこう。ビール専門の屋台でTyskieを指さして発注。プラスティックのコップに冷えたのが注がれ、0.4L8 złとご機嫌な価格です。プレモルみたいな味。けっこう歩いたので冷えた生ビールが美味しいよ。と、二口くらい飲んだところで急に雨脚が強まり、夕立のような豪雨になりました。こちらは大きなテントの真下にいるので実害がありませんが、いいタイミングでしたね。10分くらいでやんだのだけど、もたもた過ごしていたら、1310分ころまたまた激しい雨になりました。今度はやみそうにありません。1325分にはゴロゴロと雷鳴まで響くほどに。正方形の4人掛けテーブルに1人で座っていたのですが、テント下の少し離れたところに母娘もしくは姑と嫁という感じの女性2人が屋台で購入した料理の紙皿を手に立ち尽くしていたので、合図を送って相席を勧めました。助かりました、ありがとうというようなあいさつがあり、食事にとりかかっています。1人はソーセージ、もう1人はジャガイモなどのプレート。いいにおいをサカナにと、こちらももう1杯、生ビールを買ってきました。1345分ころ、ようやく小降りになり、女性2人は会釈して席を立ちました。こちらもそろそろ動き出そう。不本意ながら折りたたみ傘の出番。

 

 
「黄金の門」を抜けて旧市街に入ったあたり 雨に濡れた石畳がいい感じですね

 ネプチューンがTシャツ着せられている!

もう小雨になっていますが、あのスコールみたいな時間帯にみんなどうしていたんだろうと思うほど、メイン・ストリートのドゥーガ通りには人があふれています。間口の狭い「ウナギの寝床」的な建物がぎっしり並び、それらの高さがほぼ均一になっているので、町並に調和が感じられます。朝からけっこう歩きましたし、ビール2杯飲んでいるので、いったん宿に戻って1時間ばかり休憩しましょう。途中のコンビニでビールとお水を購入。ダメな部屋だけど冷蔵庫は動いているようだったのでパブタイムの燃料を冷やしておきたい。が、ホテルの玄関先まで戻ってきたところで、ファスナーを締めきれていなかったらしいリュックの開口部からビールのビンが滑り落ち、がしゃん。文字どおり泡と化してしまいました。いつもは缶なのにめずらしくボトルを選んだせいでもあるのだけど、実はリュックの左ベルトがちぎれかかっているのにワルシャワで気づき、用心のため無事な右ベルトを左肩にかけて、つまり本体の前後をひっくり返して担いでいました。私ずっと片肩スタイル、それも左肩一択なので、いまさら変えられないのです。そのせいで本体に変な角度がついてしまい、口を閉じていなかったものだから滑落してしまったということ。1100円とかそのくらいのものなので、損害ということでもないのですが、なんとなくもったいない。「酒の一滴は血の一滴と思え」と、昭和の終わりに入会したサークルでアルハラ言説を刷り込まれたせい?

お水のペットボトルを部屋に残し、リュックのファスナーをしっかりと締めてから再出動。ホテル北側の、朝も渡った可動橋を通って旧市街側に向かいます。おっと、橋が跳ね上がっています。そばに歩行者が渡ることのできるスケジュールが掲出されており、毎時30分〜00分とのこと。1715分くらいだったので、せっかくだから橋が降りる様子も観察しよう。と思っているそばから、ポワンポワンというサイレンが鳴りはじめ、橋桁が下がりはじめました。往年の勝鬨橋(隅田川)のような両跳ね式ではなく片跳ね式で、私の立っている側に足が着いています。1728分くらいには通行可能になっていましたが、昇降にそれぞれ5分くらいかかるとなると、30分上げて30分下ろすというスケジュールはけっこうあわただしいかもしれません。両岸で待機していた人たちがささっと進んで、対岸に向かいました。夏時間の17時半は宵の口ですらなく、若者や家族連れなども出て大いににぎわっている旧市街へと、私も渡っていきましょう。

  


もう天気は回復していて雨が降ることはなさそうです。きのうは夕方に着いて、それから旧市街を適当に歩いてみましたが、ほとんど同じようなパターンになります。ただ歩く範囲はより広く、これまでに歩いていない道をなるべく選んで、旧市街をうろうろ。何か目玉になるものがあるわけでもないが、どこへ行っても建物がひしめき合って壁のようになっている商業都市独特の景観が見られるのと、お祭り期間ということもあって市民が全員表に出ているんじゃないだろうかと思うほどの人出があります。狭義のワルシャワ旧市街よりも範囲は広く、絵として見た場合にグダンスクのほうがいいような気はします(好き好きです)。屋台や露店というのは町並に立体感をもたらしますし、ある種の不調和みたいな演出にもなりますよね。とくに何かを買うとか、興味深い品があるということでもなくて、ウィンドウのないウィンドウ・ショッピングのようになりました。

 
 
  
グダンスク旧市街


そんなこんなで2時間近く町歩き。私の属性は「旅人」で趣味は「町歩き」ですけれど、いまは文字どおり、何のひねりも衒いもない町歩きです。旧市街をひと回りしたあとで、足を延ばしてグダンスク本駅にあらためて行ってみました。帰りの通勤時間帯ではあるでしょうが構内に利用客が多いというほどでもありません。出発時刻表を見るとグディニア(Gdynia)行きという列車があります。あとから思えば列車に乗ってグディニアまでは行ってみればよかったかもしれない。両大戦間期、自由都市ダンツィヒはポーランドが外交権などをもちつつもドイツ人主体の「独立国」で、せっかく念願の海への出口(ポーランド回廊)を確保したのにそこを貿易拠点にするにはハードルがあったようです。英仏など連合国は再独立したポーランドをかなり優遇したつもりだったのですが、この時期のポーランドはなかなか強気で、あらゆる権限を手許にという気合が入りすぎていたようにも思います。実質的に回廊で唯一の港湾だったダンツィヒを見限るようなかたちで、北に十数キロ離れたグディニア港を建設、主要な貨物取り扱いをそちらに移転しました。これはダンツィヒのドイツ人にとっては死活問題。ダンツィヒの市政や港湾の運営にもポーランド側の代表が入り込んでいて不自由さを感じていたところに、ライバル港を造られてしまったわけですから、経済不振とあいまって反ポーランド感情が急速に高まります。これがダンツィヒをナチスに傾かせる直接の要因になりました。戦後はダンツィヒ改めグダンスクもグディニアもポーランド領ですので、トラブルもないのだろうと思いますが、グディニアはひきつづき貨物港および北欧などへのフェリー・ターミナルとして機能し、グダンスクはワレサも働いたような造船業を核とする工業都市という棲み分けになったようです。

本駅の駅前には中型のショッピング・センターがあり、こちらは旧市街とはまったく違って現代風。ワルシャワの駅前施設でも考えたように、社会主義って何だったんだろうと思うほど、西欧とも、もちろん日本の都市とも変わらない、代わり映えのしない光景です。だんだん平板化していく中で、旧市街の景観をいつまで維持していけるのでしょうか。

 
乗車の機会がなかったのですが乗り物観察 トラムの新しさに対して、郊外列車は昭和の私鉄みたい


駅周辺をしばらく歩いてから、旧市街の正面玄関にあたる「高い門」まで来ました。ズウォティの現金が若干心許なかったのでATM100 złを引き出しておきます。それと、あすの空港アクセスの確認。「地球の歩き方」はたいてい首都の空港からの/空港への足については詳述するのだけどそれ以外の都市はあっさりしすぎで、ポーランド編も残念ながら同じ。「空港前のバス停から210番のバスでグダンスク本駅へ行ける。(略)また、都市高速鉄道SKMでグダンスク本駅へも行ける」とありますが、いずれにしても本駅まで出なければいけないのかな。町の構造はわかったので、来たときのように大回りの路線バスに乗るつもりはなく、荷物を引いて本駅あたりまでは歩いてしまおうと思いますが、ちょっと遠いな。と思っていたら、「高い門」の目の前にバス停があり、そこにも210番が停まることがわかりました。空港アクセスを示す飛行機のデザインも見えます。時刻表を撮影しておきましょう。1時間に2本ほどあるようです。あすは1310分発の便なので、余裕をみて2時間前に空港到着、バスの乗車と待ち時間が1時間、ここまでの徒歩が30分・・・ 9時過ぎには出たほうがよく、結局移動日はまる1日かかってしまいますね。

さて、まだまだ明るいのですが、昼を抜いていることもあり、早めの夕食ということにしよう。このごろは東京でも18時前に夕食をとることが多くなりました。血圧を抑えるために、寝る前の数時間は食事(とくに炭水化物)を避けようという方針です。そのぶん燃料は入れているわけだから、いいんだか悪いんだか。飲食店のあるエリアを少し歩いてみて、「大武器庫」が目の前に見える店(店名にはBARとある)のテラス席に座りました。店内もあるけれど、気持ちがよいので外にします。夕方はさすがにそれほど暑くなく、東京と違って湿度もあまりないのでテラス席がちょうどいい。ポーランド名物のひとつである魚のフライを試してみましょう。ヒラメ、タラ、サーモン、トラウトの順に安く、ではタラに。付け合わせが微妙に異なり、サーモンだとベイクド・ポテトなのにタラはチップス(和製英語でいうフライド・ポテト)なのだそうです。英語のメニューを見ると、ビールはstrong dark(bottle)rubby-coloured(draught)pale lagar(bottle)pale lagar(draught)4種類で、生ビール(draught)にはそれぞれ0.3L0.5Lがあります。ペール・ラガーはわかりますがルビー色というのはビールの性質としてはいまいちわからんけど、まあいいや。おもしろそうなのでルビー色と説明のあるコチャック(Kożlak)を、もちろん大のほうで発注。価格は大で11 złだからやっぱり安いです。ダークで濃い味、ギネスなどのスタウトではなく、エールに近い味わいです。美味しい。(やっぱり)

 


店は老若男女が出ては入る状況で、大いに繁盛しています。ジャケット・ポテトが売りらしく、A3メニューの片面すべてがジャケポのバリエーション。「withベーコン」というようにwithのあとが変数になっていて、それが数十パターンあるのですが、ジャケポ(ジャガイモをまるごとオーヴンで焼いたやつ)のトッピングなんてそれこそ無数に考えつくので、真のレパートリーとはいえまいな(笑)。ジャケポを売りにするほどだからなのか、ビアグラスが英国式の形状で、どのテーブルのビールを見ても泡がほとんどないところも英国風。日本だと白い泡を上手に載せられていない生ビールは失格扱いですが、英国人は実質主義なのか、泡の幅が大きいと文句をいうらしいですね。隣のテーブルは若い男女5人、たぶん北欧系の言語です。――それにしても料理が来ない。周囲も似たようなものらしく、遅いねと語り合っている様子が見て取れます。店内にもかなりの客がいるようで、捌ききれないのならばメニューかキャパを絞れよな。結局、オーダーしてから45分!経ってから料理が運ばれました。SorryというわけでもなくEnjoyと普通。困りますな。ポーランド名物というタラのフライではあるけれど、どこからどう見てもフィッシュ&チップスそのものです。タラは北海〜バルト海岸の地域にとっては昔から大切なたんぱく源で、「タラの塩漬けは画期的な長期保存食となり大航海時代を可能にし、やがて英国の覇権をもたらし、新大陸の生命線的商品となる。魚こそが、西欧近代を世界に輸出する原動力」(越智敏之『魚で始まる世界史』、平凡社新書、2014年の出版社によるリード)だそうなので、ポーランドというかドイツというか、中世以来のこの付近もそうだったのでしょうね。実物の越智先生(教授総会ではたいてい隣席)はどう見ても魚食ではなく肉食派に見えるが(笑)。英国のフィッシュ&チップスは当たり外れがかなりあるけれど、全般に東京の天丼に似て衣をごっつくつくります。ここのは薄衣で、こちらのほうが好みではあります。若干塩気が強いのが気になりますが、そのぶんチップスがほとんど無塩なので助かりました。昼間2杯飲んでいて、このあと宿でも飲む予定であるため長い待ち時間にもかかわらずビールを半分ほど残していました。エール系なので気が抜けるということがなくてよかった。しかしこの料理をもってくるのに何千年かかるんだよ〜。フィッシュ34 、ビール11 zł45 zł。当然チップはなし。

811日(土)は予定どおり9時過ぎにホテルをチェックアウト。最初に触れたように、今夏は通常とは逆に出先→パリという順序になりました。これからパリに移動します(パリが「地元」でポーランドが「出先」なのは、私にとっては何の問題も矛盾もありません^^)。直行便があるのかないのかは不明ですが、ANAサイトでの発券によれば、いったんミュンヘンに飛んで、そこでパリ行きに乗り継ぐことになっています。空港に行く路線バス210系統は、本駅よりも1km近く手前、「高い門」の前に停まってくれることがわかりましたが、それでもホテルからは旧市街を抜けて2025分くらいはかかります。ただ、移動ばかりの日にもなってしまうので、最後にグダンスクの町をゆっくりと眺めながら歩くのも悪くありません。旧市街手前の運河沿いで、丸刈りタトゥーのあんちゃんが、観覧車を指さしながらいろいろ話しかけてきます。ポーランド語なのでもちろん寸毫もわかりませんが、「ロンドン」というところだけ聞き取れるので、テムズ河畔の大観覧車ロンドン・アイになぞらえて自慢しているのかな? 3往復くらいやり取りしたけれど通じている感じはなく、最後のHappy weekendだけはわかりました。労働者階層と見受けますが、知っている英語のフレーズがかなり限定的なのでしょう。――Thank you, you too.


朝から人でいっぱいの旧市街 正面に「黄金の門」、その背後に「囚人の塔」


朝の9時台なのにドゥーガ通りはまたもや多くの人でにぎわっています。観光客らしき姿もあり、「黄金の門」の下では10人くらいのグループ客にガイドさんが解説する姿が見られました。ただ、旧市街の道路はほとんどが石畳のため、キャリーバッグを引けない箇所が多数あり、そのつど持ち上げなければなりません。車いすやベビーカーもけっこうあるだろうに、どうしているのだろう。さて、きのう確認した空港方面のバス停は「高い門」の前、道路の東側にあります。欧州大陸は右側通行で、くだんのバスは北に向かって進むわけです。ところがこちらサイドに券売機がありません。運賃はことごとく運転台で支払ってくれというのならばそれでよいですが、「中洲」位置を走るトラムの電停と、反対側のバス停には券売機が備わっているのです。空港行きバスのサインもあるというのに、外来の客に優しくないのはいかんですね。都心最寄りの、かなり重要な停留所だと思うのですが。しかもここは横断歩道でなく地下道になっているため、荷物を提げて階段を上り下りしなければなりません。はじめ手前の「中洲」に行ってみたら券売機が休止中となっていて、やむなくまた階段を下りて反対方面行きのバス停に移り、そこでめでたく乗車券を購入。シングル1回券で3.20と、やっぱり交通運賃はウソのように低価格です。それにしても券売機1台くらい設置する予算はありそうなのだけど、外来の客はタクシーに乗れということか?

 
「高い門」停留所から210系統でレフ・ワレサ空港へ


やってきた210系統は2連接の、普通の路線バスで、空港に向かうと思われる乗客が数組いるほかは一般客で、通勤時間帯のつづきなのか満員です。郊外の住宅街みたいなところを各駅停車で進み、そのつど乗り降りがあります。ぐねぐねした道路をけっこうなスピードで走るため、私の乗っている後ろの車両はぐるぐる振り回され、キャスターつきの荷物を手足で押さえることに。どこかの停留所で半分くらいの乗客が下車しましたが、空港はまだ先のよう。車両は新しく、ナヴィゲーション・マップを組み合わせたモニターもあっていいのだけれど、音声アナウンスを含めてすべてポーランド語なのでさっぱり意味がわかりません。「空港」くらいはAirportと書いたらいいのにね(ポーランド語でPort lotnisky)。こういうのはバス会社が不親切であるというよりも、言語を異にする乗客がどのような情報を欲しているかというニーズを読めていないところに問題があります。社員を言語の異なる外国に派遣して「苦労」させるといいと思う。ときどき利用する習志野市内の京成バスは、最近になって音声および表示にすべて英語を添えるようになりましたが、直訳ふうというか翻訳ソフトまかせというかでたらめな英語が多く、「千葉工業大学入口」はChiba Institute of Technology- Entrance。停留所名の「入口」って、目の前ではなくちょっと離れたところというニュアンスなのに、これだと正門の真正面になってしまいます。「団地中央」はIndustrial Park Centralだって。秋津団地という普通の公団住宅のことなのに、おそらく翻訳ソフトが誤作動して「工業団地」を出してしまったのでしょう。採用する側のヒューマン・エラーだと思うな。そして「香澄6丁目」を6 chomeというのはいよいよまずい。英語のstreetともニュアンスが異なる日本独自の住居表示なので、完全に記号化してroku-chomeとするか、シンプルにKasumi 6とするか。いや、エラーは起こしてもやむをえないから、どんどん進めて、指摘を受けて改善していけばいいと思います。欧州でも、ちゃんとしている国や都市とそうでないところの差がかなりあります。

それと、やっぱり一般のバス路線が空港にも立ち寄るというのではなくて、運賃は多少高くてもいいから空港アクセス専用路線をつくってほしい。各駅停車なので40分くらいかかりましたが、おそらくこの距離なら25分もあれば直行できます。荷物置き場もないしねえ。「地球の歩き方」にあったように、本駅のすぐそばからSKMという鉄道(ほとんどLRT)が出ていて、それも空港に乗り入れていますが、都心側の立地がよくありません。

 
なかなかスタイリッシュな造りのレフ・ワレサ空港


さて、今回のツアーのゴールとなるグダンスク・レフ・ワレサ国際空港Port lotniczy Gdańsk im. Lecha Wałęsy / Gdańsk Lech Wałęsa Airport)です。いうまでもなく当地出身の大統領ワレサを記念する命名。大統領としてはぱっとしなかったが民主化にいたる過程ではすばらしい活躍を見せた偉人ですので、誇らしく思うのはよいですが、存命中のご本人はこの空港を利用するときに照れくさくないのかな? 外観や内装はかなり凝った造りで、全面ガラス張りのため採光がよく、それでいて機能的な印象です。このところの春と夏の遠征では、パリ3泊と出先5泊の計810日というのが標準なのですが、出先56日を1つの国だけで完結させるというのは初めて。クラクフやアウシュヴィッツを取り残しているので、これでもポーランドをやっつけた感はまだありません。白人濃度が高くて逆に違和感があるのと、町のあちこちにやたらに噴水を設けているというのが今回の発見でした。あと、全体に平ら。反EU的な動きがちらちら出てきて気になるところではあるけれど、地理的には欧州の真ん中を占めますので、安定をめざして、より活躍してもらわなければなりません。近代に入ってから3回も国家を消滅させられ、そのつどよみがえった国など他にないはずで、そうした生命力が欧州そのものの推進力となりますように。


ルフトハンザ・リージョナルのCRJ-900型機に乗ってパリへ帰ろう
(今回は変則的だけど「帰ろう」でいいよね)

平らかなれども波蘭の大地 おわり


西欧あちらこちら にもどる


この作品(文と写真)の著作権は 古賀 に帰属します。