1 怪しくも楽しいパリ北東辺



ロトンド・ド・ラ・ヴィレットを背に運河の北側を望む 空も水面もあざやかなブルーやね!

 
(左)ロトンド・ド・ラ・ヴィレット (右)閘門を通って進む観光船


花の都パリの、地図でいえば右上のあたりにサン・マルタン運河Canal Saint- Martin)があります。かつてはパリの物資輸送を支えた幹線水路ですが、いまその機能はありません。観光用の水上バスが行き来するくらいです。でも、パリにはセーヌ川以外の「川」がほとんどありませんので、貴重な水辺の景観を提供しています。2016824日(水)、歩いて見ようの第8シリーズは、ここを境に運河の性格が少し変わるというロトンド・ド・ラ・ヴィレットRotonde de la Villettes)を午前11時半くらいにスタートして、パリ右岸の周縁部、つまりはパリ市街の北辺を西に進もうと思います。いつもはゴールを設定しないのだけれど、今回はおなじみ凱旋門をめざすことにしましょう。結構な距離があるのと、ぼちぼち怪しい地区を通ることもあって、変な道に入り込むのはほどほどに。

ここに来たのはたぶん2回目です。前回はまさにこの地点からカノラマCanauxrama)という観光船に乗って運河体験をしました。この付近とセーヌ川ではかなりの標高差があるため、いくつかの閘門(こうもん)で水位を調節しながら進むという、なかなか愉快なコースです。このロトンドから北の運河は幅広なのですが、ここから南はかなり狭くなります。とくにロトンドのすぐそばには最初の閘門があるため、船1艘ぶんの幅になっている。今回は陸上からその様子を見てみましょう。ちょうどセーヌ川のほうから上ってきた観光船が閘門にさしかかりました。分厚い鉄の扉が3セット、つまりそれに挟まれた部屋が2つ連続でできることになります。最初の部屋に船が入ると前後の扉が閉められ、注水がおこなわれて水位が上がります。2つ目の部屋と同じ水位まで上昇したところで真ん中の鉄扉が開き、1部屋前進。また前後の扉が閉まって、今度は上の段と同じ高さまで注水されます。パナマ運河も構造としてはそういうことなのだけど、これくらいコンパクトだと非常に可視的で楽しい。岸や橋上に立ち、船のデッキにいるお客さんたちと手を振り合います。のんびりしていて、いい感じだなあ。


 
(左)メトロ2号線スターリングラード駅 この付近は地上を走る (右)アフリカ物産店

 
アフリカ系携帯ショップ 国際通話用のカードを売っているみたいですね
看板に見慣れない文字が書かれているのが興味深い

 

 


ここはメトロのスターリングラード駅(Starlingrad)のすぐ近く。3つの路線の結節点になっていますが、それにしても時代がかった駅名よね。いうまでもなくソ連がドイツ軍を押し返して連合国反攻のきっかけとなった地名で、ご本家のほうはスターリン批判を受けてヴォルゴグラード市に改名しているのに、パリはそのまま。たしかにそういう命名をしたこと自体が歴史として尊重されるべきなのかもしれない。いまから西へ歩くシャペル通り(Boulevard de la Chapelle)の、モンマルトル付近までは非白人の多く住む地区です。お、いきなりアフリカ物産屋さんが見えますね。

この時間、人通りも自動車の交通量もほとんどありません。前日の夕方にパリに着いて、まずパリらしからぬ(ツーリズム的な面でね。ある意味いちばんパリらしい)地区を歩くというのがわれながら趣味的すぎます。私が人生の大半を過ごしたのは東京の大田区と新宿区で、同じ東京でも隅田川の東側や足立区・北区・板橋区などにはほとんど足を踏み入れないため景観がピンとこないところが多い。思想上の故郷であるパリも、セーヌ川周辺と左岸ならばかなり見当がつくのだけれど、右岸もこのあたりまで来ると、別の町を歩いている感覚になります。もっとも、東京と違ってパリはサイズが小さいので、地図はほとんど頭に入っており、いまどのあたりを歩いていてどこにつながっているのかという判断は、ほとんど間違えることがありません。多年にわたる修行の成果です。はい。


 
SNCFパリ東駅はこの奥(南) シーサス・クロッシングいっぱいで萌える(笑)


メトロ2号線ラ・シャペル駅

 
こちらSNCFパリ北駅を北から見たところ TGVとタリスの車両が留置されている!




スターリングラード付近のメトロ2号線は、シャペル通りの中央分離帯上を高架で走っています。市内にこのような区間がいくつかあり、住宅地に溶け込んだ感じで、そうだなあ、大阪環状線の東側みたいな雰囲気でなかなかよい。1つ西に進んだ駅は道路名と同じラ・シャペル(La Chapelle)。このメトロ駅はフランス国鉄(SNCF)のパリ北駅Paris- Gare du Nord)とつながっていて乗換駅の扱いになっています。事情を知っている者として申しますと、扱いがそうなっているというだけで、たしかに連絡通路はあるけどこれを同じ駅というか?というレベル。市内には他に乗り換えやすいポイントがあるのでここはやめましょう。東京メトロと異なり、パリのメトロは乗換駅となれば必ず改札内なので(ごくごく稀に例外あり)、そこは最低限のわかりやすさなんですけどね。

その北駅といえば、ベルギー、オランダ、ドイツのケルン、さらにはドーヴァー海峡をトンネルでくぐって英国ロンドンと向かう高速列車のターミナル。こうした国際性のおかげで、いまやリヨン駅(Gare de Lyon)をしのぐパリ最大の鉄道ターミナルになっています。おもしろいのは、そのすぐ東側、徒歩10分程度のところに別のターミナルである東駅Paris- Gare de l’Est)があり、そちらはアルザス・ロレーヌ、ドイツ中部などへの始発駅です。路線系統はまったく別。いまラ・シャペル通りを西に歩いてきて、まずは東駅に入る線路群の上を渡り、ラ・シャペル駅の先で北駅に入る線路群を渡り越します。当方、車両テツとも施設テツとも言い切れない軟弱者ですが、線路はやっぱり萌える! 日本にはこういう行き止まり式の大ターミナルってほとんどないですからね(上野駅地平ホームとか、阪急梅田駅なんかがまあそうだけど、後者は3系統が別々なので配線はすっきりしています)。


こちらユーロスターは別枠扱い


日本の新幹線が火をつけた高速列車化の波を、最初に受け取ったのがフランスでした。そのTGVTrain à Grande Vitesse)はやがて国際化し、オランダに向かうタリス(Thalys)、ロンドン行きのユーロスター(Eurostar)も車両の基本構想は同じです。英国がシェンゲン協定非加盟のため(まもなくEU非加盟になるね 涙)、ユーロスターのホームだけは他と仕切られており、出入国審査を受けたあとでないと入場できない、空港でいう制限エリアの扱いになっています。道路からこんな車両だらけの景色を眺めて育てば、きっと鉄道マニアになってしまうんでしょうね(そうでなくてもそうなったわけだが 汗)。


 




北駅のさらに西へ進んだところで、目の前にマルシェ(露天市場)らしきものが現れました。メトロの高架下を利用してさまざまな物産を売っているようです。100mほどのあいだに、両側に小さな屋台がぎっしり並び、通路はお客であふれています。おお生活感! パリは町のあちこちにこのようなマルシェがあって、肉・魚・野菜・チーズなど日常食べるものはこういう店で調達するという人がかなりあります。いわゆる商店街ではなく時間営業の露店になっているため、オープンしている時間帯に人が集中します。ここにマルシェがあるのはもちろん知らずに来ましたが、おもしろそうなので、財布と荷物に注意しながら人込みの中に入ってみよう。中央分離帯の外側をはさむ上下の通りにトラックがびっしり縦列駐車しており、そこから商品や屋台を送り出している模様。人種いろいろ、全体に年齢層は高めです。お店の人もお客も、何やかんやとよくしゃべります。昨日のANA機内で見た情報番組で、パリに出店した著名な日本料理店の奮闘をやっていましたが、このようなマルシェに出向いた大将が「刺身にできるような新鮮な魚がないんだよな」と嘆いていました。そりゃそうでしょう。その件は、ブルターニュの組合と話をつけ、日本から鮮魚輸送車を輸入してがんばるということになったようですが、日本でもそんなルートができたのは近年の話。新鮮な魚を手に入れて一般家庭に届けるというのは大変なことなんだなと、あらためて思います。パリは思い切り内陸部ですしね。フランスの魚料理は何でもクリームとバターをまぶすのでダメだという人もいますが、そうしないとまともに食べられなかったという制約の問題でもあったと思います。フランスでも最近はわりに生とか半生のお魚を食べることが多くなりましたよ。


 
€329
のウェディングドレスなら買ってあげられるかも(誰に !?


モンマルトル名物の激安衣料品店


パリのメトロは駅間が本当に短いですね。マルシェを通り過ぎると、ほどなくバルベス- ロシュシュアール駅(Barbès- Rochecouart)。ここも高架で、南北幹線ともいうべき4号線との乗換駅です。ガイドブックとかネット記事のたぐいでは、治安が悪い地区の代表格として毎度取り上げられる付近。治安の悪いところは他にもっとあるのだけど、ここは安いホテルが多いのと、北駅とかモンマルトルという大観光地の近くでヨソモノも入り込みやすいため注意喚起がなされているのでしょう。さすがの私も夜に来たことはありません。バルベスはタテ筋の、ロシュシュアールはヨコ筋の道路名で、京都の「烏丸丸太町」みたいな命名だと思ってください。

その交差点の北西側のブロックは、タチTati)という有名なチェーンショップの本拠になっています。いうところの激安ショップで、衣料品や生活雑貨、ヒャッキン的なガ●●タも売っています。旅行代理店とかウェディングショップまであるのがすごい。いつ入ってもなかなか活気があります。駅近くのブロックを複数店舗でまるまる占める激安ショップといえば御徒町の多慶屋を思い出します。あちらは近ごろ外国人さんが押しかける店になりつつありますが、タチは、というよりパリはもともと見た目で外国人とフランス人を見分けることが難しいので、よくわかりません。ちなみに、使い捨てのつもりで何度か着るものを買ったことがあります。長く着られたものもあれば、1回洗濯して機能を失ったものもありました。「○○が悪い」などとおやじギャグをいわないようにね。

ここから西はロシュシュアール通り(Boulevard Rochechouart)に名前が変わります。すぐ上り勾配になり、メトロ2号線はその斜面に回収されるようにトンネル内に入っていきます。メトロが文字どおりの地下鉄になり、タチの店舗群が途切れたあたりには、名もない?激安ショップがいくつもあって、にぎわっています。店の外側にシャツや靴下をでたらめに詰め込んだとしか思えないワゴンを置いて、客がそこに群がるというすごい光景をいつも見られますよ。子どものころのかすかな記憶として、昭和の安売りにもこういう感じがあったような気が・・・。一瞬ね、こういうものを買ってどうなんだろうと思いかけるのだけど、人々の生活水準という肝心の部分は旅行者の目にはなかなか見えませんので、いたずらに茶化したりしないほうがよいでしょう。モンマルトルに行くときには、1つ先の2号線アンヴェール駅(Anvers)で降りれば目の前だし、治安うんぬんをことさら気にしなくてもよいのでしょうが、日昼ならばぜひバルベスで降りてこのあたりを見てほしい。こういうのも、いやこういうのがパリなんですよね!



アンヴェール駅付近のロシュシュアール通り

 
 
絵に描いたような土産物ストリート


厳密にいえば、モンマルトルMontmartre)というのはいま歩いているロシュシュアール通りの北のほう、小高くなった山の上の地区のことです。メトロのアンヴェール駅付近はその「登山口」ないし「表参道」ですが、急に観光地っぽくなるので界隈をまるごとモンマルトルと表現してしまいますね。その「表参道」はステンケルク通り(Rue de Steinkerque)という、100mそこそこの短い通り。両側にコテコテの土産物店が立ち並んでいます。ペナントとかキーホルダーとかエッフェル塔の置物とか、売れるんですかね。こういうコテコテは、パリ市内ではここのほか、ノートルダム寺院の北側、ルーヴル美術館の北側などにみられます。そうした観光地区では、夏場になるとペットボトルのミネラル・ウォーターをバケツに入れて立ち売りする不許可の兄さんもよく見かけます。エッフェル塔のミニチュアをじゃらじゃら鳴らして「ワンニューロ(€1)」と声をかける兄さんたちともども、アフリカ系の人種であることが多い。


こういう地区ですのでフランス語はワン・オブ・ゼム(une des languesか)になっており、基本的には英語が用いられます。パリって「世界の京都」みたいなところですからね。12時半を回っていますが、観光客に交じって観光レストランで食事するのはアレなので、もう少し先で。この通りの突き当たりに、モンマルトルの中心であるサクレ・クール寺院Basilique Sacré- Cœur)の前庭が見えます。サクレ・クールは狭義のモンマルトル、「丘」の上に建っており、前庭とはいうもののかなりの急斜面を登らないと行き着けません。


 
 
サクレ・クール寺院への登りは、ヒヨってフュニキュレールを利用


何やかんやでパリ滞在の3回に1回くらいはここに来ているような気がします。今日みたいに天気のよい日は、ここから見渡すパリの空が抜群にきれいですからね。日本のお寺と同じように男坂・女坂のようなアプローチが複数あるけれどどれも急坂。今回はフュニキュレールfuniculaire)を利用してしまおう。フニクリ・フニクラというイタリア語の歌にうたわれているのと同じで、本来は登山電車の意味ですが、ここのは原理的には鋼索鉄道(ケーブルカー)。信仰心とお金はあるが坂を登る体力がない人にとってはありがたい乗り物です。規模からしてエレヴェータと同じようなものだと思えばよい。何でも1900年には開業していたそうで、だとすれば1914年の寺院完成よりも早い。同寺院は普仏戦争の死者をなぐさめるため1875年に建設がはじまっているので、その準備も兼ねていたのかな? 有料なので日ごろの私なら歩いて登るところ、このフュニキュレールはメトロやバスを運行するパリ交通公団(RATP)の所管なので、手持ちの一日乗車券(Mobilis)で乗れてしまいます。乗車を待つ列が長く伸びているときもあるけれど、参道向かって左の改札に行ってみたら数名が待機しているだけなのでラクに乗れました。その数名の会話はアジア系を含めて、いずれもフランス語以外の複数の言語。花の都は今日も、世界中のおのぼりさんを集めています。


 
サクレ・クールの門前はパフォーマーの晴れ舞台でもある

 


ここにもいるエッフェル塔売りの兄ちゃんたち

 


移民系の住民が多い地区を歩いてきて、今度は「外国人観光客」ばかりのモンマルトル。まことにマルチエスニック(多民族的)なパリです。東京だってもはやそうなのだけど、マルチエスニックとかダイヴァーシティ(多様性)を好まない人ってどうしてもいますよね。均質さに身を預けるほうがラクだとか、異質さを危険視する回路がそもそも人間に搭載されているのか、そのへんはわからないけど、そういっておけば済むと思っている神経が、やっぱりどうかしていると思います。私も多少ながら、フランスに来て差別的なことをいわれたり、これだから日本人観光客はしょうがねえな〜的な態度を露骨にされたりしたことがあります。ああいう人間にはなりたくないという(おそらくまともな)感覚を教えてくれたのが、私にとっては花の都でした。

サクレ・クールで残念なのは堂内の撮影が禁止されていること。京都のお寺なんかはたいていそうですし、宗教施設というのは本来そういうものかもしれないけれど、パリでは例外的なのでちょっとね。ミラノのドゥオーモ(大聖堂)では€2を納めると腕に紙製ストラップを巻いて撮影可の印にしていました。あのやり方はいいなと思ったので各地で参考にしてほしいものです。

*「歩いてよう」の表現は、五百沢智也先生の名著『歩いて見よう東京』(岩波ジュニア新書、1994年、新版2004年)へのオマージュを込めて採用しています
*この旅行当時の為替相場はだいたい1ユーロ=113円くらいでした

PART2へつづく

 

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