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西欧あちらこちら にもどる
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1 シテ島の外周を歩く
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2015年の夏も、花の都パリを歩いて、見ましょうよ。前回(2月)来たときは年明け早々の新聞社へのテロがあった直後で、心なしか活気がないようにも思われましたが、夏の盛りを迎えてもう嫌なムードは感じられません。いいことです。パリに来ると、到着翌朝にカルチェ・ラタンの丘を越えてノートルダム寺院を参詣するというルーティンをここ数年つづけています。お参りを終えて、今回はこれからノートルダムの建つシテ島(Île de la Cité)をぐるりと一周し、ついでに東隣のサン・ルイ島(Île Saint Louis)も回ろうかなと思います。シテ島なんて何十回来たかなと思うほどなじみの地区なのだけど、このところノートルダムだけ見て終わりということが多い。小さな島(中洲)なのだから断片的に歩くのではなく、外縁をたどって見たいですね。たぶん2.5kmくらいだと思う(けっこうある)。
日曜日は小鳥市になる(2014年2月)
8月6日(木)、ノートルダムから1ブロックのところでやっている花市(Marché aux fleurs)からスタートしましょう。1ブロックなのに、なぜかいったん左岸側に渡って、サン・ミッシェル駅からメトロ4号線に1駅乗り、花市直下のシテ(Cité)駅にやってきました。一日乗車券(Mobilis)を券売機でなく窓口で買うための迂回。パリのメトロはとくに都心部で駅間距離が短いので、階段を下りたり電車を待ったりする時間があれば隣駅まで歩けてしまいます。お花はあざやかできれいですが、種ならばいいけれど生花や球根はナマモノ扱いされて検疫で引っかかりますから、日本に持ち帰るのはやめましょうね。この場所はなぜか日曜だけは小鳥市(Marché aux oiseaux)になります。お花はともかく小鳥に用事はないなあ・・・
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裁判所 左の尖塔がサント・シャペル
シテ島側から見たサン・ミッシェル噴水
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花市のすぐ西側に見える立派な建物が裁判所(Palais de Justice)です。直訳的には「司法の宮殿」ですかね。かつてパリ高等法院などがあり、現在でも破毀院(Cour de cassation)などいくつかの重要な司法機関がここに置かれています。破毀院というのは終審裁判所、日本でいう最高裁ですね(ただし行政訴訟の終点はここではなく国務院というところ)。花市側から見たときに門柱を飾るきんきらきんが、いつも不思議と威厳を感じさせてくれます。現役の裁判所ではあるのですが、ここに2つの史蹟もあって、いつでも観光客でにぎわっています。お天気のよい夏の日とあって、多様な言語のガイドブックを手にした人がチケット購入の列をなしています。正面向かって左がサント・シャペル(Sainte Chapelle)。後述する13世紀の聖王ルイ9世が創建した礼拝堂で、中には見事なステンドグラスがあります。右はコンシェルジュリ(Conciergerie)で、これも後述。チケットは共通のものになっていますので、パリにいらしたらぜひどうぞ。
裁判所の前を通る道は、19世紀半ば以降はパリの南北のメインストリートになっています。このあたりの道路名はパレ通り(Boulevard du Palais)で、左岸側に進むとサン・ミッシェル通り(Boulevard Saint-Michel)になります。左岸側の正面にはサン・ミッシェル噴水(Fontaine Saint-Michel)が見える。私にとっては超おなじみの景観です。さっきメトロに乗ったのはその真下あたりでした。さて今回は左岸側に渡る(戻る)ことなく、シテ島の外縁を往くのでしたね。
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ポン・ヌフ(シテ島南岸から下流側を望む)
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シテ島、サン・ルイ島という2つの中洲がありますので、この付近のセーヌ川は約1kmにわたって2つの流れに分かれています。いま歩いている左岸寄りの流れのほうがやや狭い。欧州の都市河川でしばしば見るのと同じで、水面ちかくにタタキが設けられ遊歩道になっている箇所があります。いかにもパリ散策らしくて楽しそうなので、私も降りて、歩いて見よう。噴水前のサン・ミッシェル橋の1つ下流側に架かるのがポン・ヌフ(Pont Neuf)です。日ごろの表記方針からすればヌフ橋だし、和訳すれば新橋なのだけど、ポンごと著名な固有名詞になっているのでそのままでよいですね。その名称に反して、17世紀に架けられた現存するパリ最古の橋です。シテ島の西端の狭くなっている箇所を串刺しにするように架かっているため、2つの流れを同時に渡り越す構造になっています。重厚な、見事な石橋で、何といっても現役なのがエライ。花の都にさほど関心がなかったころから何かの本などでその名を目にしていた橋だったから、初めてここに来たときにはちょっと感激したな〜。
ポン・ヌフ横の観光船乗り場
セーヌ川の景観あってのパリであることは誰しもが認めるとおりでしょう。パリ都心部の両岸(Rives de la Seine à Paris)はまるごと世界文化遺産に登録されています。パリに本部のあるユネスコの好みなんじゃないのと思わんでもないですが、それはそれとして、私の心のうちにも常にこの景観があります。
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シテ島の最西端、ヴェール・ギャラン広場
芸術橋
名橋ポン・ヌフにまで・・・
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シテ島の西端部は船の舳先のようにとんがっていて、ポン・ヌフの先(西)に少しだけはみ出しています。セーヌ川のクルーズ船は複数の運航会社がさまざまな河岸を拠点に走らせていますが、ここのはヴデット・デュ・ポン・ヌフ(Vedettes du Pont Neuf)という社のやつですね。長いことパリに通っていて、実はまだ1度もクルーズ船に乗ったことがない(汗)。船着場もある「舳先」の部分は芝生の小公園になっています。名はヴェール・ギャラン広場(Square du Vert-Galant)。100mくらい先に架かる芸術橋(Pont
des Arts)から上流側を見るとき、重厚なポン・ヌフに抱かれたようなこの広場が印象的な絵になっていて、私はお気に入りでした。しかしよくよく考えてもこの広場そのものに足を踏み入れた記憶はなく、本当に初めてかもしれない。まさに川舟の先端に立っているような気分になります。ヴェール・ギャランというのは「色事師」「女たらし」「エロじじい」くらいの意味で、ブルボン朝初代でフランス絶対王政の基礎を築いたアンリ4世(Henri IV)のあだ名です。しゃれたニックネームでわかるように、歴代国王の中でもトップクラスの人気をもちます。
アンリ4世像
広場からポン・ヌフに直接登る階段が設置されていますので「上」の世界に戻りましょう。けっこうな交通量のある橋ながら、歩道部分にゆとりがあり、憩える空間になっています。アンリ4世の騎馬像が飾られ、歴史を見守っています。ポン・ヌフの落成は1607年で、まさに同王の在位中でした。けしからんのは、芸術橋で問題となっている欄干への錠前結びを像の周囲でも大々的にしていること。金網のあるところはことごとくバカカップルの無作法に侵食されていくのかね。
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ポン・ヌフの橋上から右岸側を望む このまま進むと再開発中のレ・アル方面へ
(左)造幣局 (右)フランス学士院
少しでも金網があると、そこには・・・
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ここに来ると毎度腹立たしい思いになるのは承知で、シテ島周回から少しだけズレて1本下流側の芸術橋を渡ろう。昨年6月、錠前の重みのせいでついに欄干が落ちるという事故があり、市当局は金網の撤去という苦い決断に及びました。木板のあたたかさとスマートな金網が見事に調和していた芸術橋ならではの景観は今夏ついに失われました。アクリルの板が金網に代わって両側に設置されています。ルーヴルの前にある橋としてはポップすぎる絵・デザインなのですが、こうなった上は仕方あるまい。
ポン・ヌフと芸術橋のあいだの左岸側には、造幣局(Hôtel des
Monnaies)とフランス学士院(Institut
de France)が並んでいます。いずれも18世紀の建物。学士院を構成する組織で中核的な役割を果たすのがアカデミー・フランセーズ(Académie
française)で、国家の威信にかけてフランス語の正調を絶えず護持しようと活動してきました。明晰ならざればフランス語にあらず(リヴァロール)。ご苦労さんですねえ。このあたりを南(左岸側)に進むとサン・ジェルマン・デ・プレ付近に出ます。道路や店舗にもアンシャン・レジーム期(18世紀)のものがけっこう多い地区です。
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ポン・ヌフの右岸側 芸術橋の向こうに、エッフェル塔が見える
上流側から見たポン・ヌフ 写真左がシテ島、右が右岸側
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芸術橋を右岸側に渡って、ポン・ヌフに戻ります。この右岸側にはルーヴル河岸(Quai du Louvre)という固有名詞がついています。そういえばもう3年くらいルーヴル美術館に入っていない。行けばおもしろいことは承知しているものの、見るのにけっこうな時間がかかることも知っているので・・・
河岸の露店では多様な(笑)作品が売られている
ポン・ヌフの銘板
「アンリ3世の下で建設がはじまりアンリ4世大王の下で落成した」
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ポン・ヌフ上から両替橋を望む 右はコンシェルジュリ
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ポン・ヌフを途中まで渡って、今度はシテ島の北岸を東に進みます。セーヌ川でいえば上流方向に向かって歩くことになるね。すぐに現れる白亜の建物がコンシェルジュリ。先ほどの裁判所の一角にあります。裁判所はシテ島をぶち抜いて建っていることがわかりますね。コンシェルジュリというのはコンシェルジュの持ち場というのが本来の意味ですが、おしゃれなショッピングモールの受付で微笑むおねえさんではなく、宮廷の番人のことです。当初は政庁だったのですがやがて監獄として用いられ、フランス革命のいわゆる大恐怖(la Terreur)の時期には革命裁判所が置かれて次々に「囚人」が送り込まれました。断頭台(ギロチン)の一歩手前の場所だったわけです。いまは記念館になっているので、ここも見学をお勧めします。収容された中で最も有名な人はマリ・アントワネット。彼女は1793年8月から約2ヵ月をここで過ごし、10月16日、コンコルド広場で最期のときを迎えました。
コンシェルジュリ
コンシェルジュリの前でシテ島と右岸側を結ぶのがシャンジュ橋(Pont au Change)。シャンジュは両替(商)のことで、かつて橋上にその手の商人が店を連ねていたそうです。サン・ミッシェル橋を通る南北幹線の一部で、パレ通りは両替橋の先の右岸側ではセバストポル通り(Boulevard Sébastpol)となります。そのまま2kmちょっと歩くと国鉄の東駅(Gare
de l’Est)の正面に出ます。
右岸側には、何やら不思議なパラソルが並んでいます。パリ・プラージュ(Paris
Plages 「パリ海岸」)という盛夏限定の企画で、8月16日までやっているらしい。河岸に白砂を運び込んで人工のビーチをこしらえています。パリは内陸部にあり、ビーチとも海水浴とも無縁なので、せめてそれらしい雰囲気をという趣旨みたいですね。これがはじまったころニュースで見て違和感を覚えたのだけど、もともと欧州の夏はそれほど長くなく、冬の厳しさというのもあるので、せめて日光を楽しみたいという思いは共有されているようです。お盆前のこの時期に来たのは初めてなので、実際に砂浜を見たのも今回が最初。水着のおねえさんもいれば、普段着の人もけっこういます。読書も、スマホも。
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ノートルダム橋
(左)市庁舎 (右)アルコール橋 ノートルダム寺院の頭が見える
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両替橋をいったん右岸側に渡ります。この界隈はパリの中心商業地区のひとつで、シャトレ(Châtelet)と呼ばれます。路線バスの多くがシャトレを軸に運行されています。すぐ上流側に架かるのがノートルダム橋(Pont Notre-Dame)。両端部は石造りなのにメインの部分は青銅製のなだらかなアーチというおもしろい造りなのは、近代に入って船舶の往来が激しくなり衝突事故が多発したことから、空間確保の目的であとから銅製アーチを架け替えたためです。さらにその上流側にはアルコール橋(Pont d’Arcole)が架かります。ノートルダム寺院と市庁舎(オテル・ド・ヴィユ Hôtel de Ville)とを結んでおり、観光客向けの土産物屋さんが立ち並ぶゾーン。
アルコール橋
オテル・ド・ヴィユはもともと17世紀に建てられたものですが、1871年のパリ・コミューンの騒乱に際して破壊され、1892年に再建されました。横長のファサードはちょっとゴテゴテしていて個人的にはあまり好きではありません。数々の噴水や彫刻などで彩られた広場は都心部の憩いの場になっています。冬場はここにスケートリンクが設置され、子どもたちが楽しそうに遊ぶ姿が見られます。セーヌ川と反対側に隣接するデパートがBHV。Bazar de l’Hôtel
de Villeの略号で、直訳すると「市役所バザール」となって日本語だと妙な感じ。文具や美術用具、家庭雑貨の品揃えがなかなかよいので、たまに寄ります。
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*「歩いて見よう」の表現は、五百沢智也先生の名著『歩いて見よう東京』(岩波ジュニア新書、1994年、新版2004年)へのオマージュを込めて採用しています
*この旅行当時の為替相場はだいたい1ユーロ=136円くらいでした
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PART2へつづく
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