PART 1
カルチェ・ラタン縦断行

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常宿レスペランスのドア際に貼られたタリフ(料金表)
Single room shower 80
€と書かれています(風呂つきだと85€)
ユーロ導入時には€68だったのでずいぶん上がりましたね・・・


これまで西欧あちらこちらでは、鉄道に乗ってパリから近隣の地方や国に出かけるツアーについて紀行文的なものを、パリ市内に関しては写真とキャプションだけのものを掲載してきました。パリも文章つきで読みたいというご意見を(ありがたいことに)いただきますが、なかなかそういうわけにもまいりません。第一に、ツアーは「旅行」ですがパリは「帰省」みたいなもので、実家に帰ってなじみの場所を目的もなく歩くだけだから。第二に、ストーリー仕立てにするほど一貫性のある動作をしていないから。第三に、2005年度に1年間にわたって連載したBienvenue à Parisが、周囲の評価はともかく自分としてはかなりの力作と思っていて、パリについて語るべきことはだいたい文章化してしまっているという思いから、です。あれを書いたときはパリ滞在6回くらいだったので、いま読み返すと事実誤認や甘い分析もずいぶんありますけれど、花の都が自分のホームのように感じられつつあるころで、熱のようなものはいまよりずっとありました。ただ、年数が経ってもろもろの状況も変化してきましたので、事後10年にならぬうちに全面改稿しようかななどと思っています。

とはいえ、写真報告ばかりだといつも同じようになってしまいます。エッフェル塔や凱旋門とか、カルチェ・ラタンあたりの日常とか、自分自身の感じはそれとして、見ている側とすれば何年のものでも同じに見えますよね。ですから今回は少しだけおしゃべりを加えましょう。





そうはいってもまずはカルチェ・ラタン縦断から。パリに着くと翌日にこれをやるのが私の恒例です。ホテルのすぐ近くにサン・メダール教会(Église Saint Médard)があります。小さな教会ですが建造は大革命の前で、渋くていい感じです。その横に、写真のような狭い街路があり、これがたびたび話題にしているムフタール通りRue Mouffetard)。カルチェ・ラタンを山に見立てると、この道はほぼ尾根を行くようなもので、その発祥はローマ時代に遡るようです。




ムフタール通りは、全長700mくらいのものですが、北に向かって一方的な上り坂です。サン・メダール教会が坂下、上りきった坂上にコントルスカルプ広場(Place de la Contrescarpe)があります。全体に「商店街」で、下(南)のほう3分の1くらいは肉屋・魚屋・ワイン屋・ショコラチエ(チョコレート屋)・フロマジュリ(チーズ屋)などが並ぶ日々のお買い物ゾーン、上3分の2ほどはレストラン街です。パリは人口比でみた飲食店の数では世界一といわれていますけれど、駅前とかでなくてここまでレストランが密集しているのはめずらしい。朝と昼と夜で雰囲気がだいぶ違います。カルチェ・ラタンといえば学生街でもあるので、若者も多く、夜になると彼らの飲み会とか単なるタムロとか、そういうのに多く出くわします。きちんとしたレストランもあれば、簡易カフェとか持ち帰りケバブ屋とか立ち飲みバーのたぐいもたくさん。



 

どういうわけか、日本のガイドブックにムフタールが紹介される機会は非常に少ない。他の欧米諸国ではけっこう知られているらしく、一見しただけではどこの国の人かわからないけれど、英語とかドイツ語とかイタリア語を話している人によく出会います。ヘミングウェイがこのあたりに長く住んでいて(『日はまた昇る』の舞台になったのもこのへん)、いまもアメリカ人が多いと聞いたことがあります。日本人にとってよいことは、それゆえに英語がだいたい通じること。メニューも英語版を置いているところが大半ですし、店外で客引きをする兄さんたちも英語で声をかけてきます。フランス人は意地でも英語を話さないなんていう都市伝説があるけれど、大丈夫、ことパリに関しては、たいていの日本人よりもずっと上手に話しますって。



 

写真左手、道路の凹なところがコントルスカルプ広場。広場というほど広くありません。直進する道がムフタールで、いまから写真手前(北)側に進みます。この1ブロック北からデカルト通り(Rue Descartes)に変わります。超VIPの偉人の名を冠しているわりにはパッとしません(失敬)。商店はぱらぱらあるけれど商店街ではなく、日常生活の世界。ただ私は朝通ることが多いのですが、夕方を回るとパブに人が集まってにぎやかになってきます。このへんも学生街のつづきです。



 

デカルト通りは写真のあたりで終わり、モンターニュ・サント・ジュヌヴィエーヴ通り(Rue de la Montagne Sainte Geneviève)に合流。コントルスカルプあたりからずっと北へ向かって下り坂になっています。ジュヌヴィエーヴというのは5世紀の女性で、451年にアッティラ率いるフン族(Huns)がパリを包囲した際に市民を率いて篭城・抵抗し、のちにメロヴィング朝初代のクローヴィスともかかわりをもった人。カトリックから列聖を受けてサント(聖人)の扱いを受けており、パリの守護聖人にもなっています。モンターニュ・サント・ジュヌヴィエーヴはこの一帯すなわちカルチェ・ラタンの「山」のことです。「山」だからか、カルチェ・ラタンの中心部にメトロは通っていません。7号線プラス・モンジュ(Place Monge)や10号線カルディナル・ルモワーヌ(Cardinal Lemoine)から近いですが、いずれも急坂を登ることになります。楽しい街区ですので、じっくり散歩するつもりで、どうぞ。



 

さらに坂を下ると、エコル通り(Rue des Écoles)に出ます。写真で左右を走るのがそれ(手前が北)。エコルというのは英語のschoolで、複数形になっているので「諸学校通り」? 写真で右のほうへ進むとかのソルボンヌSorbonne)があります。場所がら教科書屋さんとか教材屋さんがけっこうあります。



 

もう少しだけ進むと、左岸の東西幹線であるサン・ジェルマン通り(Boulevard Saint Germain)に出ます。出たところ、メトロ10号線モーベール・ミュチュアリテ(Maubert Mutualité)駅そばににちょっとした広場があり、ビル1階にパン屋や肉屋が並んでいますが、そこにテントの市が出ることがあります。パン屋、肉屋、魚屋、チーズ屋、アクセサリー屋、エスニック屋台、フォアグラ缶屋さんなんかも出ています。パリというか西欧の都市ではあちこちにこのような屋台商店街?が立ちます。



 

サン・ジェルマン通りを渡ると、タイ料理とかレバノン料理とか中華料理とか、なぜだかエスニックが集まるゾーンに出ます。以前にベトナム料理を食べたことがあります。パリは、東京と同じように世界的大都市ですから、世界各地のいろいろな料理を味わうことができます。もちろん、それぞれ微妙にフランス流のアレンジがあっておもしろい。

あ、ほら、ノートルダムが見えてきましたよ。




 

というわけで、カルチェ・ラタンはここまで。目の前をセーヌ川が流れていて、その向こうはシテ島(ile de la Cité)です。そもそものパリの中心であり、ノートルダム寺院Cathédrale Notre Dame de Paris)がその優美な姿を見せています。外国人観光客、近年では中国の人がやたらに多いので日常からは離れますが、やっぱりパリといえばノートルダム。左岸側にはレストランやカフェがたくさんありますが、Panisというカフェはごらんのように大聖堂を真横から眺められる絶好のシチュエーション。この日は、お気に入りの角の一角が空いていたので、さっそく飛び込んでカフェ・クレム(café crême いわゆるカフェオレのことね €4.40)飲みながらノートルダムを眺望。たまらんねえ。

PART 2へつづく

この作品(文と写真)の著作権は 古賀 に帰属します。