Visiter Orléans et répenser l’ “éducation publique moderne”

 

フランス・ロワール地方の中都市オルレアンOrléans)へふらっと出かけて、そこで聖女ジャンヌ・ダルクJeanne d’Arc 1412-31)の騎馬像を見て、いろいろな意味で目からウロコが落ちて、それで視野がぱーっと開けたという話は、ときどきしているので聞き飽きたかもしれません。日ごろ教室で学校教育の本質みたいなことについてずいぶん確信的に語るなあと思う人もいるでしょうが、まあかなり確信しています。そのきっかけをくれたのが、オルレアンのジャンヌさま。御礼もいわないままかなり経ったし、いま見ればもう少し違った感じもあるのかなと思って、10年ぶりに行ってみました。パリから列車で約1時間、実は日帰りのエクスカーションに適した地方都市なのです。

 1駅手前のレ・ゾブレ・オルレアンでナヴェット(下)に乗り換えて

  オルレアン駅に到着

 

214日、いわゆるバレンタイン・デーだし、カトリックの聖人を再訪するにはいい日かもしれません。パリ・オステルリッツ駅を921分に出る国鉄(SNCF)の列車で出発。この便はロワール川の中流域のトゥールへ向かう急行で、オルレアン駅は本線からすこしずれた場所にあるため、レ・ゾブレ・オルレアン(les Aubrais- Orléans)駅で降り、ホームで待っているナヴェット(Navette)と呼ぶリレー電車に乗り換えます。いわば「新オルレアン」でしょうが、そこからオルレアン本駅までは2分くらい。オルレアン再訪はけっこう前から考えていたのだけれど、この時期にパリへ来ることになっていたゼミ生のAMさんが関心を示し、さらにユーレイルパスで欧州各国を巡業しているらしいゼミ生U子とそのお友達のMさんも同行することになったので、花の女子大生3人と謎の4ショット(笑)。登場人物がいちいち仮名なのは、まもなく彼女たちも社会人になるため、エンジンで検索されて行状を知られないようにするためです(もちろんそんなおかしな行動はありません。たぶん)。

 駅から伸びるショッピング・ストリートで、早くも目を奪われるU

 

10年ぶりのオルレアンですが、その折はまだフランス、というより外国に行くこと自体がけっこうなイベントだったため、いくつか断片的な印象があるだけで、どんな街だったかいまいち記憶があやしい。ジャンヌさまの騎馬像と、そのまぶしさを抱えたまま考えごとをしながら歩いたロワール河畔はばっちり憶えているのだけど、ゆえに他の印象が散逸しているのかもしれません。

 
街なかを行くトラム

 

駅前を南に伸びるレピュブリック通り(rue de la République)は、ブティックや飲食店など各種の商店が立ち並ぶショッピング・ストリートでなかなかにぎやか。道路の真ん中をトラム(路面電車)が走っていて、見ているとけっこうな便数です。10年前に来たときは、この道を掘り返してトラムの線路を敷設しかかっていました。モータリゼーションの中で次々とはがされていった路面電車が、環境重視や高齢化対策、あるいはインナー・シティ問題への対策として欧州で再評価されつつあったころで、なるほどと感心したことでした。実際に走っているのを見るのは今回が初めてです。お客さんもけっこう乗っているね。

その通りを8分くらい歩くとマルトロワ広場Place du Martroi)に出ました。この広場の中心に、ジャンヌさまの騎馬像があります。

 ジャンヌ・ダルク像(マルトロワ広場)

 

 

うーん、りりしく、カッコいい。ナショナリズム期の歴史教科書では、何ものをも恐れぬ勇敢さと、ときどきふと立ち返る少女らしさの加減が絶妙に描かれているのですが(要するに、「フツーの女の子なのだけど国のために勇敢さを発揮した」という国民のお手本が必要だったわけ)、顔の造作などはやっぱり少女っぽくつくってありますね。10年前に初めて見たときは、たしかもっと早い時間でお天気もよく、東側を向いたジャンヌの正面から朝日が当たって、その印象は強烈だったのですが、この日は曇り。

ロワール河畔を歩きながら、このジャンヌ・ダルクと楠木正成の同位性にはっと気づいたというのが、私の博士論文の出発点でした。皇居前広場にある楠木正成像もまた、近代国家を建設している最中だった明治期の日本が「国民(ここでは臣民)の手本」として設定したもので、2人とも、それぞれの人生や思想がどうあったかということとはまったく別のところで、近代人がその役割(道徳的モデル)を押しつけてしまっているのですね。ジャンヌの生きた15世紀に国家意識が存在しなかったわけではなく、むしろ西欧世界が近代的な意味での国家を構築しつつあった時期ではあるのですが(百年戦争自体がそういう結果をもたらしている)、さりとてロレーヌの農民の小娘が「フランスを救え!」などという愛国心を発揮するはずもありません。私は、伝えられる物語の大筋が事実だとするなら、ジャンヌの行動は信仰以外で説明することは難しいと考えています。中世的信仰を、近代的ナショナリズムに置き換える、と、そういうことです。(古賀毅「国民育成教育における歴史的英雄の教材化―道徳的モデルとしてのジャンヌ・ダルクに関する記述を中心として―」、『学術研究』49号、早稲田大学教育学部、2001年、所収)

 皇居前の楠木正成像(高村光雲作)

 

さて、そんな先生の研究に賭ける情熱?はさして気にも留めない娘たちに、この先の針路をゆだねました。都心部は小さなものだからフリーハンドで歩いても大丈夫ですし、観光ガイドブックにもさほど取り上げられるような街ではありません。私もずいぶん欧州の中小都市を訪ねましたが、ジャンヌ像の存在感はともかく、オルレアンをさほど特徴的な街とは思いませんでした。が、10年前の経験をもとに想像していたよりも規模は大きく、人も多い。そういえば10年前に来たのは日曜で、パリのもろもろが閉まってしまうから遠足に、という発想だったのです。いまの知識でいうなら、パリだったら日曜でも十分に楽しめますが、地方都市に行くとウソみたいに静寂で、悪くいえば活気がなくなります。きょう14日は土曜日で、徐々に人が増えてきました。

 こんなような路地を入って

 

オルレアンの見どころとしては、もう1つ、サント・クロワ寺院Cathédrale Sainte-Croix)があります。マルトロワ広場からゆっくり歩いて10分くらいかな。最終的に現在の建物になったのは19世紀のようですが、中世の早い時期から信仰の中心になっていたようです。サント・クロワは「聖なる十字架」、セント・クロスの意味。中に入ってみると、天井ちかくで美しい曲線を描く構造はパリのノートルダムなどと共通するカトリック大聖堂のスタイルですが、採光がよくかなり明るいのにびっくりしました。明るさだけでいうならプロテスタント教会に近いかもしれません。再建された時代によるのかな? 神秘性の宗教的演出という面はあったとしても、中世以前は建築技術の上で窓を大きく取れなかっただろうから。

 サント・クロワ寺院

 

 

カテドラルのはす向かいあたりに、レンガ造りの印象的な建物がありました。かわいい♪と見るか、不調和で悪趣味と思うかは人それぞれ。近づいて見るとHôtel de Villeすなわち市庁舎と示されているので、道路の向かい側にある市役所のつづきなのだろうと思います。あとで調べてみるとグロロ館Hôtel Groslot)という建物で、もとはグロロなるブルジョワの邸宅だったものらしい。例によって事前調査などをほとんどしていないので、「見逃せないもの」を見逃している可能性は大いにあります。そういえば、このグロロ館に隣接する美術館を10年前に訪れた折には、入口で切符をもぎっていたマダムが誇らしげに「ここにはね、かの有名な○○があるんですよ!」といってくれたものの、○○についてまったく初耳だったし、展示物の中でどれがそうなのかもわかりませんでした(汗)。日本の地方を訪れた外国人観光客が、ローカル戦国大名なんかの話をされたら同じように感じるかもしれません。

 グロロ館

 

サント・クロワの表参道にあたるのがジャンヌ・ダルク通り(rue Jeanne d’Arc)ですが、それを南側に渡り越すと、小さな飲食店などが軒を連ねる石畳調の一隅に出ました。正午になりかかっていることゆえ、どこぞで昼食でもと思いましたが、どこともパッとせず、うろうろしていると「シャトレ市場」(les Halles du Châtelet)というショッピングセンターに出ました。その建物の中に小さなブラッスリーがあり、4人でそこへ。国際観光都市パリはさすがに英語がけっこう通じますが(人にいわせると「そんなことはない」というのだけれど、以前に比べれば格段によくなっているし、フランスの地方都市に比べれば、そりゃもう)、オルレアンあたりだとまず望めません。日本だって、地方都市のショッピングセンターに間借りしている食堂のスタッフが外国人客に英語で応対する可能性は低いものね。メニューはよくあるものだったので私が翻訳しましたが、女性店員があれこれいうのがいちいち早口のフランス語で、珍妙なやりとりがつづきます。そのうちお姉さんも言葉の通じない客の扱い方に慣れてきたのか、ギャグをいったり茶目っ気を出したり、ノッてきました。食事はいたって普通のカフェめし。デザートの名はさっぱりわからないので、U子に命じて実物を見に行かせ、適当に4つ選ばせました。

シャトレ市場から1ブロック進むと、そこはロワール川la Loire)の右岸。パリを流れるセーヌ川は英仏海峡へ向かいますが、この川はフランスの南東部からじわじわ北へ向かい、このオルレアンで方向を西に変えて大西洋に達します。日本人観光客に人気のある古城めぐりは、ここから西のほう(トゥール寄り、つまり下流側)に行ったあたりです。ジャンヌ・ダルクのオルレアン攻城戦でもこの川をはさんで戦闘が繰り広げられました。


水量たっぷりで流れるロワール(ジョルジュ・サンク橋から上流側を望む)

 

 

まだ他にもあるのだろうけれど、これで見るべきものはだいたい終わりなので、1434分の列車に乗ろうと駅へ引き返します。ところが、のんびりしすぎて(街歩きが意外に楽しかったこともあって)駅に着いたのが発車の5分くらい前。自動券売機を動かしてみたら、発車前なのに当該列車の販売は終わっているし、当方のクレジットカードがなぜか通用しないし(この国の券売機は必ずカードを飲み込み、1ユーロ以上ならばカード処理できるのですが、紙幣はいっさい使えません。発想の違いといえばそれまでだが・・・)、窓口を見ればフランス名物の行列ができていてとても発車までに買える状況ではありませんでした。まだ数ヵ国を回るから先を急ぐというU子とMさんは加盟国鉄乗り放題のユーレイルをもっているのでそのまま当該便でパリへ向かい、AM嬢は「もうちょっと回ってみたいので」と初めから残留志願。急ぐではなし、それなら当方も1633分の列車までオルレアンに残ってもう少し見物しよう。アーヘンの回に似た展開になってきましたが、今回も「ゆっくり見物しなさい」という神様のご配慮と思うことにして。

AM嬢は、ローマとフィレンツェを見たあとパリに来て3日目なのだけれど、オルレアンが新鮮でおもしろいです、とのこと。たしかに、大都市というか大物というか、そんなところばかりだとどうしても非日常になるし、人あたりして疲れるかもしれません。西欧のおもしろさは、こういう何でもないような中小都市にもあるのですね(でも私はパリが好き)。

 
バレンタイン・デーの土曜午後、若者が街にあふれてきた!(レピュブリック通り)

 

ひとりになってレピュブリック通りをまた引き返し、ウィンドウ・ショッピング。214日だから気になるのかどうか、チョコ屋さんがけっこうな頻度で現れます。逆チョコはともかく、お土産買っておこう! で、今朝ほどとは比べものにならないほど人が、というか若者が通りに出てきました。労働組合とか共産党の演説もいつのまにかはじまっています。

 
(左)パン屋の店頭販売 (右)パフォーマンスの背後は、カキ(huître)の屋台です 「大西洋産」って書いてあるね

 

さきほどは通らなかった道筋(といってもさほどにバリエーションはないのですが)をすこし歩いて、またマルトロワ広場に舞い戻り、ジャンヌさまの「背後」側にある店に入って本日の第1カフェ(私の用語では「1カフェ」)。パリでもおなじみのLeffeですが、店名に反してステラ・アルトワを発注し、中世の英雄ジャンヌ・ダルクを望む席で阿部謹也の欧州論を読んでみる。何だか学者っぽいぞ。店内は、テラスも含めてほぼ満席で、誰かが席を立ってもすぐに埋まるといった具合。パリほどカフェの数がないというのもあるかもしれませんが、土曜午後の人出はやっぱり半端でないようです。

  本日の第1カフェ

 「ジャンヌ・ダルクの家」 こういうのにはあまり興味がない

 

南北に走るトラムはどうやら1系統だけのようですが、運転頻度が高いのにお客はいつでもいっぱい乗っていて、午後はいっそうそうなってきました。ロワールを眺めたときにすこしだけ踏んだジョルジュ・サンク橋(Pont George V)から北岸に走ってきて、マルトロワ広場に突っ込み、ジャンヌ像を背後からぐるりと半周して駅のほうへ進みます。カフェから見ていると、ジャンヌさまとのあいだをときどき電車が横切っていきます。昼間のビールもまた美味(しっかし、毎年やることが変わらんね)。

 オルレアン駅

 

10年ぶりのオルレアンは予想外におもしろく、2時間一人歩きする余裕ができて、かえってよかった。ますます活気の出てきたオルレアン駅へ戻り、今度は事前に切符を買っていたので問題なく予定の便にAM嬢と乗って、気づかぬほどうっすらした分水嶺を越えて首都へと帰りました。次に来るのはまた10年後かもしれないけれど、本業がらみで研究の進展というのをジャンヌさまに報告できますかどうか。

 

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