PART1

 


地図出典 http://www.sekaichizu.jp/  
パキスタン・中国との国境係争地域は塗色していません

滞在当時の為替相場はだいたい1ルピー=1.5円くらいでした。

 

世界最大の人口を有する国インドの中で最大の人口を有する都市ムンバイMumbai)。
なんだかやたらに元気な町だと聞いて出かけました。成田からANAの直行便で9時間(帰路は7時間弱とやけに短縮されるのは、地球の自転と低緯度に伴う遠心力の関係です)。
インドは観光ビザが必要で、通貨ルピーも持ち出しが禁じられているため日本での換金ができないなど、欧州慣れしている私には作法の違いでとまどうことも多いのですが、大都市ムンバイはいたって平穏で過ごしやすく、出会った人たちもやたらに親切で、うわさどおりに元気な都市でした。

ムンバイの旧称はボンベイBombay)。もともとはアラビア海に面した海岸の小島群で、17世紀後半に英国の東インド会社が獲得し拠点を構築したことにはじまります。いまでは大陸とつながり後背地も含めて人口2000万人の巨大都市になった、という歴史は香港のそれと重なります。つまりは英国のインド支配の足場として築かれた、ということ。日本史のほうでも、三菱財閥の基礎となった日本郵船による横浜・ボンベイ航路の就航というのが必修事項になっています。日本の産業革命は紡績業(コットン産業)によるところが大きく、その原料である綿花を英領インドからの輸入に負っていたわけですね。

滞在は20191226日(木)〜30日(月)の45日。北緯18度で、この季節でも昼は30度台前半の高温です。多様性に富むインドの中でも宗教・言語の多様さは際立っており、非ヒンドゥーの割合が比較的高い。また母語話者の人口としてはマラーティー語が最大なのですがそれでも4割程度で、インド各地から集まる人々の言語多様性が著しく、ゆえに各種の表示はナーガリー文字(ヒンディー語やマラーティー語の表記に用いる)よりも英語が優先され、ヴィジターには非常に好都合です。ホテルやレストラン、タクシーなどではまずまず英語が通じますが、通じなくてもそこにいる誰かが訳してくれて、まあなんとかなります。

この町を語るのにストーリーは不要。ムンバイのいろいろな表情をお楽しみください!



とにかく「人間だらけ」だなあというのがいちばんの印象・・・



 

 




 


ムンバイの道路交通は格闘技 それもシングルマッチではなくバトルロイヤル!
この滞在中に一生分のクラクションを聴いたかもしれない

全部タクシー! 



 




 


インド門Gateway of India
1911
年、インド皇帝兼英国王ジョージ5世の来印に際し建設された巨大な石門。文字どおり、海から南アジアを侵略した英国にとってのゲートウェイになった。ムンバイ最大の名所で、30日にはカウント・ダウン・イベントの準備が進んでいた。



 


タージ・マハル・ホテルTaj Mahal Hotel
インド門の向かいにある民族資本のホテル。当地の富豪ターターが英国資本のホテルへの入店を拒否されたことをきっかけに発起して開業。欧州に対するアジア人の意気を現代に伝える名建築になっている。



 


生活感のあふれるムンバイの風景



 







ムンバイの地下鉄はいま絶賛建設中で、交通インフラは都市規模に対しかなり脆弱。郊外に向かう鉄道は複数路線ありいつでも混雑している模様です。朝のバスは定員ガン無視。

 旧ヴィクトリア駅

旧ヴィクトリア駅 

 セントラル駅

郊外列車内 







 

 

PART2

この作品(文と写真)の著作権は 古賀 に帰属します。