Malte, la forteresse invincible

PART1

 



欧州の専門家で、最近は何だったら職業欄に「旅人」って書こうかなというくらいの自覚がありますもので、大型書店では欧州関係のコーナー、それから海外紀行などのコーナーに足を止める機会がかなりあります。2015年の夏に興味深いタイトルの本を手にしてぱらぱらとめくってみたのが、乾明子『地中海のとっておきの島マルタへ 最新版』(イカロス出版、2015年 オリジナルは2009年刊)という、きれいな写真のあふれる1冊。ぱらぱらとめくって、しかしすぐ棚に戻しました。自分がこういうものを書いているくらいだから旅の本は大好き。ましてや未訪の国のものだと、いつもなら迷わず購入するところなのだけど、その一瞬で思ってしまったんですよね。――よし、マルタに行こう。行くとなれば、いつものように事前情報をできるだけ少なくしよう。買ってしまうと楽しくてつい読んでしまうだろうから、余計なストーリーが自分の中にできあがってしまいます。著者には著者の、私には私のストーリーがあるほうがいい。そんなわけで、2015年冬休みの訪問先は地中海に浮かぶ小さな小さな島国、マルタ共和国Repubblika ta' Malta / Republic of Malta)に即決し、ANAのサイトから航空券を手配しました。1224日の17時ころまで、大学で教員免許更新講習のお仕事がありましたので、その夜(正確には25日深夜1時過ぎ)に羽田を出発する便でフランクフルトに飛び、西欧冬時間の940分発のルフトハンザ機でマルタ国際空港(Malta International Airport)へ。所要2時間半くらい、1220分に到着しました。

 
イタリア・シチリア島の南に浮かぶ小さな島国マルタ 欧州連合で最も南にある国です

この空港ターミナルにボーディングブリッジはなく、わがエアバス機に横づけされたタラップを降りて、バスでターミナルに向かいます。したがってさっそく外気に触れてみると、何とも暖かく、私が知っている真冬の欧州とはずいぶん違いますね。ターミナルビルに入るとすぐパスポート・コントロール。域内の自由通行を認めたシェンゲン協定の関係で、英国・アイルランドをのぞくEU加盟国相互は国境検査なしに移動できることになっています。つまりいま乗ってきたフランクフルト→マルタは国内線扱いということのはずです(この空港を離発着する便は本来すべて国際線ですが)。島国だから別枠というわけではなく、最近になって急に厳しくしているのに違いありません。約1ヵ月前に、イスラム国を自称する勢力の影響を受けた連中がパリで大規模なテロ事件を惹き起こし、1月の新聞社襲撃をはるかに上回る衝撃を世界に与えたばかりです。それ以前にも、戦乱のシリアを逃れた大量の難民がEUに押し寄せ、ハンガリーのタカ派政権が国境封鎖の挙に出たのを合図に各国とも国境管理に乗り出していました。問題の根は深いので厳戒したところでこの種の事案がなくなるわけではないですが、やらないというわけにもいかないでしょうね。フランクフルト空港では初めて両手を上げた姿勢でのボディチェックを受けさせられました。見ると、EU加盟国のパスポートを保持している人はさっさと通り抜けられており、All Passportsつまり「それ以外」の検査場は渋滞。さらによく見ると、白人と日本人(けっこういた)は順調にゲートを抜けているのに、アジア風、中東風の顔立ちの人は長い時間のインタビューを受けています。私の前にいた浅黒い肌の兄さんは、パスポートやいろいろな書類を見せながら係官とけっこう長い時間やり取りして、ようやく通してもらえていました。私には一言も発することなく、顔をちらと見ただけで旅券をつき返します。うーん。入国審査ではないのでスタンプはありません。フランクフルトで「入欧」の手続きをしたきりで、証拠の残る形式の上では通常と同じ。

 
(左)マルタ国際空港の到着ロビー  (右)タクシーチケット売り場&乗り場 (写真は29日)

  タクシーチケット(€20


今回は首都ヴァレッタ(Valletta)のゲストハウスに4泊の予約を入れています。空港からヴァレッタまでは6kmくらい。国際空港としては至近距離だわなあと思うものの、そもそもこの「国土」自体がかなりコンパクトで、長方形をしたマルタ島の長辺でも20kmもないくらいです(マルタ島の面積は246平方キロで大阪市よりちょっと広い程度)。この国に鉄道はなく、ついでのことに高速道路もなくて、すべてバスかタクシーでの移動になります。空港の到着ロビーは狭く、すぐにビルの外に出てしまいました。基本的には公共交通機関での移動を旨としているのでバスに乗るべきでしょうけれど、要領がわからないままうろうろするのも何だし、どこに乗り場があるのかすぐにわからなかったこともあって(帰路にわかったのですが出発ロビー側にありました)、高くないと承知していたタクシーの利用に決めました。下調べしない方針ではあっても、空港から都心までのアクセスに関しては頭に入れておく必要があります。到着ロビーの中にTAXIという大きな看板を掲げたカウンターがあり、女性係員がいて、その周囲にドライバーさんが数名。ゲストハウスの予約票を見せて、この住所まで行ってほしいと頼むと、「ヴァレッタでしたら€20です」と。ひとりのドライバーが身を乗り出して「この住所は€25じゃないのか」などとやり取りがあったものの、いえ€20ですという話になって現金で即決。ここで往復はがき大のチケットを購入し、その半券をドライバーが受け取って、後日決済するということのようです。ガイドブック(「地球の歩き方」の『南イタリアとマルタ』)によればマルタのタクシーはメーター制ではなく交渉制だそうで、乗車前に料金交渉して口頭契約を結ぶというものらしい。空港発の定額チケット制もその変形ということなのでしょう。なお空港→ヴァレッタ市内は通常だと€15なのだけど、きょう1225日はクリスマス当日のため特別料金になっています。


タクシーはけっこうなアップダウンを繰り返しながら進みます。空港周辺こそ田園ぽいなと思ったもののすぐに都市部に入り、思った以上に町の広がりがあるのがわかります。車が高台に上がったときには前方にヴァレッタらしき景観も眺められてなかなかいい感じです。左側通行というのが、われわれにはなじみやすいというか、欧州っぽくないというか。そういえば1年前の1225日はヒースロー空港からロンドン市内へとタクシーで移動していました。鉄道などの公共交通機関がクリスマス休暇?に入ってしまうため、やむなくタクシー利用でした。英国とアイルランドは欧州では例外的に左側通行の国です。ていうか世界的にみて左側通行は圧倒的に少ないのだけど、ここマルタは18001964年のあいだ英領だった関係で英国式がそのまま取り入れられています。

10分くらい走って、ここからヴァレッタ市内だなと直感的にわかる箇所を通過し、車はたちまち石造りの町並に入り込みました。見るからに旧市街だね。セント・ポール通り(St.Paul Street)という道をまっすぐ進めば宿に着くことは承知しており、タクシーもそのとおりに走りましたが、ドライバーさんがブレーキをかけて「すみません、もう一度住所を見せてもらえますか」と。宿の名に心当たりがなかったらしく、いったん車を降りて番地を確認するなど多少のもたもたがあって、「ああ、ここです、この番地ですね」というところで下車となりました。Princess Elenaという宿名がドア横に表示されているものの、注意していなければ通り過ぎてしまうくらいの「普通のおうち」ですね。クリスマスモールの飾られた大きな木製のドアを開けようとしたら、これがびくともしません。欧州の旧市街でよく見るように、道路に面した間口の部分は狭く、おそらく奥行きがあるというウナギの寝床型のはずですから、およそ入口らしきものは他に見当たらないのです。といって呼び鈴のたぐいもありません。ノックしたところで、分厚いドアの内側に届く感じはしない・・・。予約を受けておいて営業しないということはないでしょうが、ここじゃなかったのかなあと思って予約票を見直してみても、番地も宿名も間違っていない。2分くらい思案していたら、南欧系と見えるスマートできれいなおねえさんが通りかかり、どうしましたと話しかけてきました。事情を話していると、向かいの建物の4階からおばさんが顔を出し、大きな声で話しかけてきました。おばさんはマルタ語(たぶん)を話しているので私にはわからないのだけど、おねえさんが英語に訳してくれます。どうも、宿の主人が用事で出かけているというようなニュアンスです。ドア横に主人と思しき人の名刺が何枚か差し込まれていて、「ここに電話してみてはどうですか」と助言されたのですが、――I don’t have a mobile phone. そんなものをローミングして海外にもってくる趣味はないのです。するとおねえさんが、「私もいま携帯をもっていませんので、自宅に戻って電話してみますよ。ここでしばらく待っていてください」と思いがけず親切なご提案。お言葉に甘えることにして、人通りのあまりない道路に立っていたら、4階のおばさんは心配になったのか世話焼きの人なのか、張り出し部分の窓からずっと顔を出して何かと話しかけてくれます。こちらも安直な英語であれこれ。

 
 
プリンセス・エレナ


おねえさんはすぐに戻ってきて、「宿の人と話が通じました。5分くらい待っていてくださいとのことです。よかったですね」と。マルタに来て早々に親切な人たちの世話になってしまったな〜。本当にどうもありがとう。こういうご恩は、たとえば外国人が困っているようなとき声をかけてあげるといったかたちで、お返しというかお回しするように心がけています。最近は東京を初めて訪れる人が非常に多くなりましたしね。5分以上あったような気はするけれど、30代くらいの女性がやってきてようやくカギを開けてくれました。「すみません、今日はクリスマスなので地域の仕事がいろいろとあるのです」と。レセプションという感じではない小さなデスクで手づくり感のある用紙に住所・氏名などの必要事項を記入していると、同年代くらいの主人も現れ、あいさつ。インテリを思わせる温和な顔立ちの方です。女性は従業員さんのようですね。この建物は、ウナギの寝床とまではいわないまでも間口が狭い長方形の断面をしていて、チェックインしたデスクを巻き込むように階段が設けられています。広くない0階の談話スペースの真上は吹き抜け状態。最初に見せてもらったのは2階(欧州のフロアの数え方は日本式+1)だったかの部屋で、「もう1つ候補がありますよ」といわれて導かれたのは最上階の4階でした。エレベータがないのでキャリーバッグをもってせっせと登ります。おお、これは広くていいな。この部屋がいいですと即決すると、古めかしい造りの木製ドアの開け方など部屋の構造や設備を説明してくれました。

それはいいのですが、小休止してから町歩きに出ようかなと思ったら玄関のドアが開きません。ずっしりとした2種類の銅製のカギを渡されていて、1本は部屋の、もう1本は玄関のという、しばしば欧州でみられるパターンだったわけだけど、内側から開かないというのはどういうことか? 仕掛けらしきものをいじっても首尾よくいかない。主人や従業員のおねえさんもすでにその姿はなく、デスクの電話機も線がつながっていない! 個室にも電話がありません。閉じ込められたらえらいことだし、ここは英国でいうB&BBed and Breakfast)なので、スタッフが同居しているのでなければ翌朝まで現れない可能性だってあります。幸いWi-fi環境はあるので(いま普通はあるわな)タブレットを取り出し、さきほどの名刺にあった女性従業員のアドレスにインストラクションを請う旨の短文メールを送信しました。すぐ反応があり、“5 min please arrive XXX for helping.”と。変な英語だけど意味はわかります。容貌といい話し方といい、観察したところではイタリア系の女性でした。今度も5分ではなく10分くらいしてからXXXさんが現れ、「ドアの開け方をいっていなかったですね。こうするんです」と。金属製の小さなバーが変形カンヌキみたいになっているのを操作するということなのですが、いってくれないとわからんレベルでした(汗)。

 


そうして15時ころ脱出?に成功。宿というよりはレンタルルームのような設定なのかもですが、電話機がなく夜間無人となればいろいろまずいこともあるでしょうね。4泊のあいだ何ごともありませんように。地図を見るとヴァレッタの市域は小さな半島内で完結しています。その町全体が縦横の道が垂直に交わる条里的なもの。タクシーで走ってきたセント・ポール通りは東西方向の道路で、ずいぶんアップダウンがありました。いまそれと直交する南北方向の道を歩くとすぐに急な下り坂で、正面に海面が見えています。砂色の建物が隙間なくびっしりと並んで空を狭くしている景観は、英独仏などの「西欧」ではちょっと見ない不思議なものです。これがマルタのテーストなのか。ほとんどの建物の1階以上に張り出し部分が設けられているのも興味深い。ガラスに覆われた小さなバルコニーというようなもので、さきほど世話を焼いてくれた向かいのおばさんもそこから顔を出していました。宿の部屋にも張り出しがあり、そこに小さなテーブルとイスが置いてあります。建築に詳しくないのでこれを何というのかは不明。

宿から2ブロックで海岸に出ました。海とはいってもすぐ対岸に別の陸地があり、町が広がっています。ここがグランド・ハーバーGrand Harbour)で、地中海から2km以上も内陸方向に湾が入り込んでいます。天然の良港というやつやね。ヴァレッタ側は一段も二段も高くなっているので、天然の良港を備えた堅牢な要塞だということが体感的にもすぐにわかります。

 
ロウヤー・バラッカ・ガーデン

そのすぐ東側に小さな緑地がありました。ぱっと見たところヴァレッタの町には緑がほとんどなく、太陽と空と海の天然色をのぞけば白(と砂色)のみのモノトーン。ですからこういう公園は貴重なはずです。海面に対してかなり高い場所にある公園で、ロウヤー・バラッカ・ガーデン(Lower Barracca Garden)というそうです。おそらくは往時の見張り台なのでしょう。グランド・ハーバーの入口ないし出口の目の前に位置しており、頼りなげな防波堤の向こうは深い青色の地中海。冬至を過ぎたばかりで、昨年のいまごろ滞在した英国などではもう暗くなっているはずの時間帯ですが、欧州もここまで来れば日照時間は東京と変わりません。実は東京とマルタはほぼ同緯度(北緯35度)なのです。もう少し日没の心配をせずに歩けますね。曇りと雨以外のバリエーションがなさそうな「西欧」とは明らかに陽射しの質が違います。あったかくていいなあ。


正面に張り出している部分が聖エルモ砦 防波堤の向こうは地中海

そのまま海沿いに歩きます。人家の気配がなくなり、やがて聖エルモ砦Fort Saint Elmo)に達しました。ヴァレッタそのものが天然の要害で、その突端にある場所に築かれた人口の要塞がこの聖エルモ砦であるわけです。グランド・ハーバーと、反対側のマルサイムシェット湾(Marsamxett Harbour)に侵入しようとする外敵を発見したら高度をつけて攻撃して、この島全体を防衛するというような位置にあります。この要塞やマルタそのものが歴史的に果たした「要塞」としての役割については後述しましょう。というのは、この砦の中にある国立戦争博物館National War Museum)でそうした歴史を再現するパレードがおこなわれることになっており、2日後の1227日に開催と書いてあるので、その折に訪れて歴史そのものに思いを馳せてみようかなと。

クリスマス当日なので博物館はお休み。おそらく商店などもたいていクローズでしょう。博物館前のバス停になぜか馬車が停まっており、ドライバーならぬ馭者さんが「乗っていきませんか。市内どこでもいいですよ」とか、訛りの強い英語で声をかけてきます。観光タクシーの扱いなのかな? 丁重に断っても繰り返し勧めてくるねえ。クリスマスに外出して騒ぐというのは異教徒的な行動で、クリスチャンは家族とゆっくり過ごすというのがノーマル。ですから町はいたって静かです。いや待てよ、もしかするといつもそうなのかもしれない。明日以降に観察しましょう。

 
リパブリック通り東端の界隈

そんなわけで見学するような場所も開いていないだろうし、そもそもヴァレッタ/マルタに関する予備知識が皆無に近いこともあって、この日の残り時間は町の感じをつかむためにべたべた歩くことに徹します。ヴァレッタが半島だと申しましたが、東西方向で2kmないくらいの奥行きですので、徒歩で回ってちょうどいいくらいの寸法なのです。自動車の乗り入れ制限もあるらしく、クリスマスということもあってか走っているのをほとんど見かけません。博物館のそばから、メインストリートと知るリパブリック通りRepublic Street)に入ります。メインといってもこのあたりは住宅街の中を通る道路というだけのことで、商店もあまりありません。いったん下って、それから急斜面を登るような構造。ところどころにバス停があり、時刻表も備えられていますが、走っている気配がまったくしません(最後まで市内では見かけませんでした)。


対岸のスリーマを見渡す

メインストリートをただ歩くだけではおもしろくないので、しばしばするようにギザギザ歩き。マルサイムシェット湾の見えるところに降りていくと、対岸にマンションなどの現代的な高層建築が建ち並ぶ町が見えました。ホテル街として紹介されているスリーマSliema)でしょう。手を伸ばせばとどきそうな距離ながら、湾が奥深いのでとても歩いてはいけそうにありません。アパートの窓にはたいてい洗濯物が干してあります。このテーストはバルセロナの旧市街やリスボンでも見た、南欧独特のやつですね。びっしりと建てられたアパート群はとてもきれいとはいえず、清潔感がまったくない外観をしています。ヴァレッタの町そのものが世界文化遺産ですので景観保全のノルマがあるのでしょう。ま、でも、欧州の旧市街はどこともそんなものです。うらぶれるとか斜陽化したという感じでもないので、ヴィジターがあれこれいうべきものではないですわね。

リパブリック通りの急勾配を登りきるとパレス広場Palace Square)がありました。地面から噴水が上がる演出で、不思議と安らぎます。建物が密集した景観からここだけ解放されるからなのでしょう。宿からもほど近く、ヴァレッタ歩きの基点になりそうな場所ですのでこのあともちょいちょい訪れます。地図で見るとここがちょうどヴァレッタの真ん中付近。

 
 パレス広場


ここから西側が商業地区のようです。そろそろたそがれてきました。クリスマスでお店はほとんど閉まっていますが、この付近さすがに歩行者が多く、夕方らしいにぎわいを見せています。若い人もけっこう多いですね。ヴァレッタの人口は7千人ほどで、日本なら「地方都市」にもカウントされにくいほど小規模の部類に入ります。そもそもマルタ共和国全体の人口が約44万人で、京葉間に立地する大学の学生に説明するとすれば、習志野市よりも多くて船橋市よりも少なく、だいたい市川市と同じくらいの規模ということになります(わかりにくいか 笑)。もともと欧州の都市というのはロンドンやパリなどを別格として、たいてい小規模で中心商業地区の広がりも大したことがありません。それでいうと「こんなもんだろうな」という感覚です。マクドナルドはあるけれどスターバックスの姿が見えません。滞在中1つも見つけられなかったので出店していないのだと思われます。英国系のコーヒーチェーンCOSTAがあるのはさすが。マークス&スペンサーもあるね。

 リパブリック通り


商店街が途切れるあたりにモダンな建物が見え、それが国会議事堂(Parlament ta’ Malta)だそうです。その先で空堀を越えます。空堀の向こうにかなり広いバスターミナル。前述したように、マルタの公共交通はバスかタクシーに限られており、ここヴァレッタのターミナルが路線のハブになります。明日の朝にもバスに乗るつもりなのであらためて観察することにしましょう。今日は飲み物の売店や露店のたぐいもことごとく休業しています。なるほどこうして見ると、半島部がまるまる要塞になっており、先に見た聖エルモ砦といまいる議事堂付近が両端の防衛拠点になっているわけか。目抜きのリパブリック通りは尾根というか馬の背のようなところを通っているのですね。

リパブリック通りと並行して東西を往くのはマーチャント通りMarchant Street)。この2本の道路のあいだに、今日は閉まっているけれど小さな商店などが林立しています。いずれも歩行者専用道路で、自動車はさらに外側の道路(空港からタクシーで走ってきたセント・ポール通りなど)を通行しなくてはなりません。これだけアップダウンがあると自転車というのもきついでしょうから、基本的に徒歩の町だということになりますか。健康にはよさそうだな〜。とかいっていますけれど、鉄壁の要塞都市も空からの攻撃はどうすることもできず、第二次大戦中にはドイツ軍の空爆でこの付近もかなり破壊されています。

 
フリーダム広場 (左)ヴァレッタの名の由来となったジャン・ド・ヴァレット (右)聖母子像


オーベルジュ・ド・カスティーユ(首相官邸)

いまはバスターミナル付近が町の入口、メインゲートになっていますが、もともとはもう少し南の、オーベルジュ・ド・カスティーユAuverge de Castille)があるあたりがそうだったと思われます。オーベルジュは大きくないもののずいぶん立派な建物。16世紀の建造です。マルタは、イスラム勢力からキリスト教圏を防衛する最前線として中世後期から重視され、欧州各地から信仰篤き騎士たちが入植してその任に当たりました。オーベルジュなんてフランス語で表記してあるけれど、カスティーユというのはカスティーリャ王国、すなわちマドリードを中心とするスペインの中核国家のことです。マルタの北に位置するシチリア島は、同じイベリア半島でもカタルーニャ(バルセロナ伯領+アラゴン王国)系の王国になっています。地理的にはシチリアとチュニジアの中間地点なので、民族や言語や宗教のせめぎ合いというのは古くからすごかったのでしょう。マルタ人の宗教はほぼほぼカトリック。しかし大半の人の第一言語であるマルタ語Maltese)はラテン文字で表記するもののアラビア語の変種で、中東系の言語を話しながらみんなクリスチャンという、何とも興味深い構成になっているわけです。宿の前で出会ったおばさんもそうでしたし、地元の人どうしが話しているのを聞くとたいていこのマルタ語です。西欧離れした景観といい、これまでにあまり見たことのない異質な雰囲気の場所に来たようです。

 
アッパー・バラッカ・ガーデンとそこから見た対岸のスリー・シティーズ かつての砲台を再現してあります


アッパー・バラッカ・ガーデンから湾口を望む 写真中央の緑地がロウヤー・バラッカ・ガーデン

現在は首相官邸として使われているオーベルジュの脇の道を入ると、さきほど宿の近くで見たのと似た緑地に入り込みました。こちらはアッパー・バラッカ・ガーデン(Upper Barracca Garden)。なるほど、あっちがロウヤー(下)、こっちがアッパー(上)で一対をなしているわけね。こちらもグランド・ハーバーを一望できるすばらしい眺望で、石造りの建物が夕日に照らされて赤く染まる様子が何とも美しい。グランド・ハーバー自体が奥深い湾だけれど、対岸側にはそこからさらにいくつかの湾が入り込んでいて、独特のぎざぎざ景観を形成しています。ヴィットリオーザ(Vittorioza)、コスピクーワ(Cospicua)、セングレア(Senglea)の3つの町で、総称してスリー・シティーズThree Cities)といいます。ここにも明日以降に行ってみよう。

まだ17時を回ったくらいなのだけど、クリスマスなので夜がにぎわうということはなかろうし、何よりはるばる空を飛んで欧州に着いた当日でした。どこかで食事して早めに寝床につこうかな。軽食堂を含めて飲食店も閉まっているところが多く、さほどいい店には出会えないような気がします。その前に晩酌のおともを購入。パレス広場のそばに雑然とした酒屋が開いているのをさきほど見たので、閉店しないうちに仕入れておきましょう。缶ビール(0.5L)+スパークリング・ワイン(0.25L)+ミネラルウォーター(0.5L)で€7.40。物価は安いですね。そのままマーチャント通りに戻り、数店だけ開いていたうちの1軒で客引きしていたねえさんに声をかけて入店。観光レストランという感じでもないけど、地元密着の風でもなく、普段なら選ばないタイプではありますがまあ仕方ない。店内はなぜか手前と奥の2区画に仕切られていて、奥に通されました。大学生みたいな男女6人組とか、中年夫婦×2の組などがいて、それぞれ談笑しながら食事中。17時台なのにけっこうにぎわっていますね。それにしても店員がオーダーを取りにきません。席に誘導してくれたのは表で客引きを専門?にしている人で、店内スタッフは別なのですが、気づかれないままです。早く来すぎたのもあるので声をかけるのも面倒。たま〜に奥の区画にスタッフが入ってきたと思ったら、用のあるテーブルに直行してすぐに引き返します。目配りという概念がないわけね。欧州ではしばしば出会う状況なので、まあ別にいいや。一人のおねえさんと目が合って、ようやく注文を通したのは入店から20分後でした(笑)。

 

イタリアが近いためかピザやパスタなどがメニューの大半を占めています。でもマルタ名物として知られるウサギの料理があったからそれをオーダーしよう。Pan Fried Rabbit with Gravy Sauceとあります。グレイヴィー・ソースというのは英国でしばしば見るやつで、鍋に残った肉汁に小麦粉などを入れて煮詰め、とろみをつけたやつね。グラスの赤ワインを飲み、周囲の人間観察をしながら料理を待ちます。隣席の人たちは白ワインのボトルを空けて2本目を頼んでいるので飲み会なのかなと思ったら、各自ステーキなどのごっつりとした料理を頼んでばくばく食べはじめました。こちらのウサギはなかなかやってきません。またしても20分くらい待たされてようやくお皿が届けられます。このサービス水準でよくやっていられるな(笑笑)。フライドポテトと生野菜が別盛り。ドレッシングはかかっていなかったので、テーブルに置かれたバルサミコで酸っぱくして食べました。ウサギ肉はフランスでも何度か食べているので、まあ想像どおりの味です。鶏肉から油気を抜いたような味と歯ごたえがします。こんなもんかなというところですね。腿肉なので鶏と同様にナイフとフォークを使った解体ショーみたいになってきました。小さな骨のあいだに入った肉の小片がいちばん美味いんだけどね〜。ウサギ€14.50、赤ワイン€3と価格は安め。これで1225日は4年つづけて欧州で迎えることになりました。3年前はドイツのライプチヒ、2年前はスペインのバルセロナ、昨年はロンドン。遺憾ながら欧州情勢の急変もありえるので、来年のいまごろもこうしていられるのか多少の心配はあります。その夜は広い部屋で地味に酒盛り。

 

PART2につづく

*この旅行当時の為替相場はだいたい1ユーロ=132円くらいでした。
*地図出典 http://www.sekaichizu.jp/


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