Malte, la
forteresse invincible
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欧州の専門家で、最近は何だったら職業欄に「旅人」って書こうかなというくらいの自覚がありますもので、大型書店では欧州関係のコーナー、それから海外紀行などのコーナーに足を止める機会がかなりあります。2015年の夏に興味深いタイトルの本を手にしてぱらぱらとめくってみたのが、乾明子『地中海のとっておきの島マルタへ 最新版』(イカロス出版、2015年 オリジナルは2009年刊)という、きれいな写真のあふれる1冊。ぱらぱらとめくって、しかしすぐ棚に戻しました。自分がこういうものを書いているくらいだから旅の本は大好き。ましてや未訪の国のものだと、いつもなら迷わず購入するところなのだけど、その一瞬で思ってしまったんですよね。――よし、マルタに行こう。行くとなれば、いつものように事前情報をできるだけ少なくしよう。買ってしまうと楽しくてつい読んでしまうだろうから、余計なストーリーが自分の中にできあがってしまいます。著者には著者の、私には私のストーリーがあるほうがいい。そんなわけで、2015年冬休みの訪問先は地中海に浮かぶ小さな小さな島国、マルタ共和国(Repubblika ta' Malta / Republic of Malta)に即決し、ANAのサイトから航空券を手配しました。12月24日の17時ころまで、大学で教員免許更新講習のお仕事がありましたので、その夜(正確には25日深夜1時過ぎ)に羽田を出発する便でフランクフルトに飛び、西欧冬時間の9時40分発のルフトハンザ機でマルタ国際空港(Malta International Airport)へ。所要2時間半くらい、12時20分に到着しました。 この空港ターミナルにボーディングブリッジはなく、わがエアバス機に横づけされたタラップを降りて、バスでターミナルに向かいます。したがってさっそく外気に触れてみると、何とも暖かく、私が知っている真冬の欧州とはずいぶん違いますね。ターミナルビルに入るとすぐパスポート・コントロール。域内の自由通行を認めたシェンゲン協定の関係で、英国・アイルランドをのぞくEU加盟国相互は国境検査なしに移動できることになっています。つまりいま乗ってきたフランクフルト→マルタは国内線扱いということのはずです(この空港を離発着する便は本来すべて国際線ですが)。島国だから別枠というわけではなく、最近になって急に厳しくしているのに違いありません。約1ヵ月前に、イスラム国を自称する勢力の影響を受けた連中がパリで大規模なテロ事件を惹き起こし、1月の新聞社襲撃をはるかに上回る衝撃を世界に与えたばかりです。それ以前にも、戦乱のシリアを逃れた大量の難民がEUに押し寄せ、ハンガリーのタカ派政権が国境封鎖の挙に出たのを合図に各国とも国境管理に乗り出していました。問題の根は深いので厳戒したところでこの種の事案がなくなるわけではないですが、やらないというわけにもいかないでしょうね。フランクフルト空港では初めて両手を上げた姿勢でのボディチェックを受けさせられました。見ると、EU加盟国のパスポートを保持している人はさっさと通り抜けられており、All Passportsつまり「それ以外」の検査場は渋滞。さらによく見ると、白人と日本人(けっこういた)は順調にゲートを抜けているのに、アジア風、中東風の顔立ちの人は長い時間のインタビューを受けています。私の前にいた浅黒い肌の兄さんは、パスポートやいろいろな書類を見せながら係官とけっこう長い時間やり取りして、ようやく通してもらえていました。私には一言も発することなく、顔をちらと見ただけで旅券をつき返します。うーん。入国審査ではないのでスタンプはありません。フランクフルトで「入欧」の手続きをしたきりで、証拠の残る形式の上では通常と同じ。 タクシーチケット(€20)
10分くらい走って、ここからヴァレッタ市内だなと直感的にわかる箇所を通過し、車はたちまち石造りの町並に入り込みました。見るからに旧市街だね。セント・ポール通り(St.Paul Street)という道をまっすぐ進めば宿に着くことは承知しており、タクシーもそのとおりに走りましたが、ドライバーさんがブレーキをかけて「すみません、もう一度住所を見せてもらえますか」と。宿の名に心当たりがなかったらしく、いったん車を降りて番地を確認するなど多少のもたもたがあって、「ああ、ここです、この番地ですね」というところで下車となりました。Princess Elenaという宿名がドア横に表示されているものの、注意していなければ通り過ぎてしまうくらいの「普通のおうち」ですね。クリスマスモールの飾られた大きな木製のドアを開けようとしたら、これがびくともしません。欧州の旧市街でよく見るように、道路に面した間口の部分は狭く、おそらく奥行きがあるというウナギの寝床型のはずですから、およそ入口らしきものは他に見当たらないのです。といって呼び鈴のたぐいもありません。ノックしたところで、分厚いドアの内側に届く感じはしない・・・。予約を受けておいて営業しないということはないでしょうが、ここじゃなかったのかなあと思って予約票を見直してみても、番地も宿名も間違っていない。2分くらい思案していたら、南欧系と見えるスマートできれいなおねえさんが通りかかり、どうしましたと話しかけてきました。事情を話していると、向かいの建物の4階からおばさんが顔を出し、大きな声で話しかけてきました。おばさんはマルタ語(たぶん)を話しているので私にはわからないのだけど、おねえさんが英語に訳してくれます。どうも、宿の主人が用事で出かけているというようなニュアンスです。ドア横に主人と思しき人の名刺が何枚か差し込まれていて、「ここに電話してみてはどうですか」と助言されたのですが、――I don’t have a mobile phone. そんなものをローミングして海外にもってくる趣味はないのです。するとおねえさんが、「私もいま携帯をもっていませんので、自宅に戻って電話してみますよ。ここでしばらく待っていてください」と思いがけず親切なご提案。お言葉に甘えることにして、人通りのあまりない道路に立っていたら、4階のおばさんは心配になったのか世話焼きの人なのか、張り出し部分の窓からずっと顔を出して何かと話しかけてくれます。こちらも安直な英語であれこれ。
それはいいのですが、小休止してから町歩きに出ようかなと思ったら玄関のドアが開きません。ずっしりとした2種類の銅製のカギを渡されていて、1本は部屋の、もう1本は玄関のという、しばしば欧州でみられるパターンだったわけだけど、内側から開かないというのはどういうことか? 仕掛けらしきものをいじっても首尾よくいかない。主人や従業員のおねえさんもすでにその姿はなく、デスクの電話機も線がつながっていない! 個室にも電話がありません。閉じ込められたらえらいことだし、ここは英国でいうB&B(Bed and Breakfast)なので、スタッフが同居しているのでなければ翌朝まで現れない可能性だってあります。幸いWi-fi環境はあるので(いま普通はあるわな)タブレットを取り出し、さきほどの名刺にあった女性従業員のアドレスにインストラクションを請う旨の短文メールを送信しました。すぐ反応があり、“5 min please arrive XXX for
helping.”と。変な英語だけど意味はわかります。容貌といい話し方といい、観察したところではイタリア系の女性でした。今度も5分ではなく10分くらいしてからXXXさんが現れ、「ドアの開け方をいっていなかったですね。こうするんです」と。金属製の小さなバーが変形カンヌキみたいになっているのを操作するということなのですが、いってくれないとわからんレベルでした(汗)。
宿から2ブロックで海岸に出ました。海とはいってもすぐ対岸に別の陸地があり、町が広がっています。ここがグランド・ハーバー(Grand Harbour)で、地中海から2km以上も内陸方向に湾が入り込んでいます。天然の良港というやつやね。ヴァレッタ側は一段も二段も高くなっているので、天然の良港を備えた堅牢な要塞だということが体感的にもすぐにわかります。 そのすぐ東側に小さな緑地がありました。ぱっと見たところヴァレッタの町には緑がほとんどなく、太陽と空と海の天然色をのぞけば白(と砂色)のみのモノトーン。ですからこういう公園は貴重なはずです。海面に対してかなり高い場所にある公園で、ロウヤー・バラッカ・ガーデン(Lower Barracca Garden)というそうです。おそらくは往時の見張り台なのでしょう。グランド・ハーバーの入口ないし出口の目の前に位置しており、頼りなげな防波堤の向こうは深い青色の地中海。冬至を過ぎたばかりで、昨年のいまごろ滞在した英国などではもう暗くなっているはずの時間帯ですが、欧州もここまで来れば日照時間は東京と変わりません。実は東京とマルタはほぼ同緯度(北緯35度)なのです。もう少し日没の心配をせずに歩けますね。曇りと雨以外のバリエーションがなさそうな「西欧」とは明らかに陽射しの質が違います。あったかくていいなあ。
そのまま海沿いに歩きます。人家の気配がなくなり、やがて聖エルモ砦(Fort Saint Elmo)に達しました。ヴァレッタそのものが天然の要害で、その突端にある場所に築かれた人口の要塞がこの聖エルモ砦であるわけです。グランド・ハーバーと、反対側のマルサイムシェット湾(Marsamxett Harbour)に侵入しようとする外敵を発見したら高度をつけて攻撃して、この島全体を防衛するというような位置にあります。この要塞やマルタそのものが歴史的に果たした「要塞」としての役割については後述しましょう。というのは、この砦の中にある国立戦争博物館(National War Museum)でそうした歴史を再現するパレードがおこなわれることになっており、2日後の12月27日に開催と書いてあるので、その折に訪れて歴史そのものに思いを馳せてみようかなと。 クリスマス当日なので博物館はお休み。おそらく商店などもたいていクローズでしょう。博物館前のバス停になぜか馬車が停まっており、ドライバーならぬ馭者さんが「乗っていきませんか。市内どこでもいいですよ」とか、訛りの強い英語で声をかけてきます。観光タクシーの扱いなのかな? 丁重に断っても繰り返し勧めてくるねえ。クリスマスに外出して騒ぐというのは異教徒的な行動で、クリスチャンは家族とゆっくり過ごすというのがノーマル。ですから町はいたって静かです。いや待てよ、もしかするといつもそうなのかもしれない。明日以降に観察しましょう。 そんなわけで見学するような場所も開いていないだろうし、そもそもヴァレッタ/マルタに関する予備知識が皆無に近いこともあって、この日の残り時間は町の感じをつかむためにべたべた歩くことに徹します。ヴァレッタが半島だと申しましたが、東西方向で2kmないくらいの奥行きですので、徒歩で回ってちょうどいいくらいの寸法なのです。自動車の乗り入れ制限もあるらしく、クリスマスということもあってか走っているのをほとんど見かけません。博物館のそばから、メインストリートと知るリパブリック通り(Republic Street)に入ります。メインといってもこのあたりは住宅街の中を通る道路というだけのことで、商店もあまりありません。いったん下って、それから急斜面を登るような構造。ところどころにバス停があり、時刻表も備えられていますが、走っている気配がまったくしません(最後まで市内では見かけませんでした)。
メインストリートをただ歩くだけではおもしろくないので、しばしばするようにギザギザ歩き。マルサイムシェット湾の見えるところに降りていくと、対岸にマンションなどの現代的な高層建築が建ち並ぶ町が見えました。ホテル街として紹介されているスリーマ(Sliema)でしょう。手を伸ばせばとどきそうな距離ながら、湾が奥深いのでとても歩いてはいけそうにありません。アパートの窓にはたいてい洗濯物が干してあります。このテーストはバルセロナの旧市街やリスボンでも見た、南欧独特のやつですね。びっしりと建てられたアパート群はとてもきれいとはいえず、清潔感がまったくない外観をしています。ヴァレッタの町そのものが世界文化遺産ですので景観保全のノルマがあるのでしょう。ま、でも、欧州の旧市街はどこともそんなものです。うらぶれるとか斜陽化したという感じでもないので、ヴィジターがあれこれいうべきものではないですわね。 リパブリック通りの急勾配を登りきるとパレス広場(Palace Square)がありました。地面から噴水が上がる演出で、不思議と安らぎます。建物が密集した景観からここだけ解放されるからなのでしょう。宿からもほど近く、ヴァレッタ歩きの基点になりそうな場所ですのでこのあともちょいちょい訪れます。地図で見るとここがちょうどヴァレッタの真ん中付近。
リパブリック通り
リパブリック通りと並行して東西を往くのはマーチャント通り(Marchant Street)。この2本の道路のあいだに、今日は閉まっているけれど小さな商店などが林立しています。いずれも歩行者専用道路で、自動車はさらに外側の道路(空港からタクシーで走ってきたセント・ポール通りなど)を通行しなくてはなりません。これだけアップダウンがあると自転車というのもきついでしょうから、基本的に徒歩の町だということになりますか。健康にはよさそうだな〜。とかいっていますけれど、鉄壁の要塞都市も空からの攻撃はどうすることもできず、第二次大戦中にはドイツ軍の空爆でこの付近もかなり破壊されています。
いまはバスターミナル付近が町の入口、メインゲートになっていますが、もともとはもう少し南の、オーベルジュ・ド・カスティーユ(Auverge de Castille)があるあたりがそうだったと思われます。オーベルジュは大きくないもののずいぶん立派な建物。16世紀の建造です。マルタは、イスラム勢力からキリスト教圏を防衛する最前線として中世後期から重視され、欧州各地から信仰篤き騎士たちが入植してその任に当たりました。オーベルジュなんてフランス語で表記してあるけれど、カスティーユというのはカスティーリャ王国、すなわちマドリードを中心とするスペインの中核国家のことです。マルタの北に位置するシチリア島は、同じイベリア半島でもカタルーニャ(バルセロナ伯領+アラゴン王国)系の王国になっています。地理的にはシチリアとチュニジアの中間地点なので、民族や言語や宗教のせめぎ合いというのは古くからすごかったのでしょう。マルタ人の宗教はほぼほぼカトリック。しかし大半の人の第一言語であるマルタ語(Maltese)はラテン文字で表記するもののアラビア語の変種で、中東系の言語を話しながらみんなクリスチャンという、何とも興味深い構成になっているわけです。宿の前で出会ったおばさんもそうでしたし、地元の人どうしが話しているのを聞くとたいていこのマルタ語です。西欧離れした景観といい、これまでにあまり見たことのない異質な雰囲気の場所に来たようです。
現在は首相官邸として使われているオーベルジュの脇の道を入ると、さきほど宿の近くで見たのと似た緑地に入り込みました。こちらはアッパー・バラッカ・ガーデン(Upper Barracca Garden)。なるほど、あっちがロウヤー(下)、こっちがアッパー(上)で一対をなしているわけね。こちらもグランド・ハーバーを一望できるすばらしい眺望で、石造りの建物が夕日に照らされて赤く染まる様子が何とも美しい。グランド・ハーバー自体が奥深い湾だけれど、対岸側にはそこからさらにいくつかの湾が入り込んでいて、独特のぎざぎざ景観を形成しています。ヴィットリオーザ(Vittorioza)、コスピクーワ(Cospicua)、セングレア(Senglea)の3つの町で、総称してスリー・シティーズ(Three Cities)といいます。ここにも明日以降に行ってみよう。 まだ17時を回ったくらいなのだけど、クリスマスなので夜がにぎわうということはなかろうし、何よりはるばる空を飛んで欧州に着いた当日でした。どこかで食事して早めに寝床につこうかな。軽食堂を含めて飲食店も閉まっているところが多く、さほどいい店には出会えないような気がします。その前に晩酌のおともを購入。パレス広場のそばに雑然とした酒屋が開いているのをさきほど見たので、閉店しないうちに仕入れておきましょう。缶ビール(0.5L)+スパークリング・ワイン(0.25L)+ミネラルウォーター(0.5L)で€7.40。物価は安いですね。そのままマーチャント通りに戻り、数店だけ開いていたうちの1軒で客引きしていたねえさんに声をかけて入店。観光レストランという感じでもないけど、地元密着の風でもなく、普段なら選ばないタイプではありますがまあ仕方ない。店内はなぜか手前と奥の2区画に仕切られていて、奥に通されました。大学生みたいな男女6人組とか、中年夫婦×2の組などがいて、それぞれ談笑しながら食事中。17時台なのにけっこうにぎわっていますね。それにしても店員がオーダーを取りにきません。席に誘導してくれたのは表で客引きを専門?にしている人で、店内スタッフは別なのですが、気づかれないままです。早く来すぎたのもあるので声をかけるのも面倒。たま〜に奥の区画にスタッフが入ってきたと思ったら、用のあるテーブルに直行してすぐに引き返します。目配りという概念がないわけね。欧州ではしばしば出会う状況なので、まあ別にいいや。一人のおねえさんと目が合って、ようやく注文を通したのは入店から20分後でした(笑)。 イタリアが近いためかピザやパスタなどがメニューの大半を占めています。でもマルタ名物として知られるウサギの料理があったからそれをオーダーしよう。Pan Fried Rabbit with Gravy
Sauceとあります。グレイヴィー・ソースというのは英国でしばしば見るやつで、鍋に残った肉汁に小麦粉などを入れて煮詰め、とろみをつけたやつね。グラスの赤ワインを飲み、周囲の人間観察をしながら料理を待ちます。隣席の人たちは白ワインのボトルを空けて2本目を頼んでいるので飲み会なのかなと思ったら、各自ステーキなどのごっつりとした料理を頼んでばくばく食べはじめました。こちらのウサギはなかなかやってきません。またしても20分くらい待たされてようやくお皿が届けられます。このサービス水準でよくやっていられるな(笑笑)。フライドポテトと生野菜が別盛り。ドレッシングはかかっていなかったので、テーブルに置かれたバルサミコで酸っぱくして食べました。ウサギ肉はフランスでも何度か食べているので、まあ想像どおりの味です。鶏肉から油気を抜いたような味と歯ごたえがします。こんなもんかなというところですね。腿肉なので鶏と同様にナイフとフォークを使った解体ショーみたいになってきました。小さな骨のあいだに入った肉の小片がいちばん美味いんだけどね〜。ウサギ€14.50、赤ワイン€3と価格は安め。これで12月25日は4年つづけて欧州で迎えることになりました。3年前はドイツのライプチヒ、2年前はスペインのバルセロナ、昨年はロンドン。遺憾ながら欧州情勢の急変もありえるので、来年のいまごろもこうしていられるのか多少の心配はあります。その夜は広い部屋で地味に酒盛り。 *この旅行当時の為替相場はだいたい1ユーロ=132円くらいでした。
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