2014 WINTER

西欧あちらこちら にもどる


Part 1

 

 

 



宿の最寄りの地下鉄セントラル・ラインは運転しているらしい(クィーンズウェイ駅)


2014
年の暮れは英国の首都ロンドンを歩いてようと思います。きょうは1226日でボクシング・デー(Boxing Day)。クリスマス・プレゼントの箱を開封する日とか、何だかの宗教的な意味とかあるようですが、第2クリスマスと呼んでいる国や地域もあります。ともかくも英国では祝日です。それはいいのだけど、公共交通機関がかなり停まっています。事故やストではなく、そもそもこの国の年末とはそういうものらしい。クリスマス当日、25日夜のフライトでヒースロー空港に着いたら、地下鉄(Underground)もヒースロー・エキスプレス(Heathrow Express)も「本日運休」とあり、周囲のお客ともども両手を広げてunbelievable!(欧米か!)。やむなくブラック・キャブ(公認タクシー)での市内入りとなりました。こちらも強気のクリスマス相場で₤851泊の宿代より高いってね。事前に下調べしていたら25日着の便またはこの訪問先を選ばなかったことでしょう。1年前の暮れに、当初はアイルランドに行こうかと思い立ったものの、ガイドブックに「クリスマスは交通がストップ」とあったので訪問を2月に回して、元住民が「電車は動いていますよ」と証言してくれたスペイン(バルセロナ)に切り替えたのでした。そのときは敬虔なカトリックだからかなと思ったのだけど、それならスペインも同じはずで、ブリテン&アイルランド界隈の作法だと判断しなければいけなかったんですね。それにしても世界の大英帝国、世界のロンドンが国際空港からのアクセスを停めてしまうなんて考えもしなかったです。

ホテルに着いてすぐネットで調べると、2631日も半分近くの地下鉄路線がストップし、ダイヤも間引かれての運転だそうだから、26日は一日乗車券をあえて買わずに、本当に歩いてロンドンを回ることにしよう。何だかんだでこの町は4回目(ヒースローのトランジットは当然のぞく)で、だいたいの地理と距離感は心得ています。いま滞在中の左半分ならおよそ地図なしでも歩けそうです。さながら「霧の都を歩いて見よう」というところですが、元のタイトルがパクリ、ではなくオマージュなのと、ロンドンに来て霧に見舞われたことがないので、そこは普通に。

 

 
今回の宿泊先その1 トロイ・ホテル


宿泊先その2 モーニントン・ホテル


さて宿泊しているのは都心からみて北西、広大なハイド・パークHydePark)の北辺にほぼ面したトロイ・ホテルTroy Hotel)です。ネットで予約して2泊税込₤122でした。あべのハルカスみたいな経済政策のせいでやたらに円安になっているので円換算すると高く感じられますが、ロンドンの相場としてはかなりお得なほうだと思う。部屋の広さや装備もまあまあでした。各種エスニック料理やB級グルメ?などが展開するクィーンズウェイ(Queensway)にほど近く、ヒースロー空港からの鉄道が着くパディントン駅から近いというのもこの地区を選んだ理由でした。あ〜あ。クィーンズウェイ界隈はあとで散歩するとして、まずはパディントン駅の場所と雰囲気を確認しておこう。翌27日午前にパディントン発の列車でウェールズのカーディフに向かうことにしており、迷わずに行ければいうことないですからね。

ハイド・パークと並行するランカスター・ゲート(Lancaster Gate)は閑静な住宅街を東西に走る道路。パブとか何でも屋さんがタテ(南北)筋にあって少し猥雑な感じがするのに、東西の道に入ると白亜の建物と立派な玄関を備えた建物ばかりになるのも不思議です。カーディフで2泊したあと、ロンドンに戻ってこの通りにあるベストウェスタン・モーニントン・ホテルThe Best Western Mornington Hotel)に1泊することにしているので、その所在確認も兼ねましてね。こちらは1₤122と倍の価格で予約しています。外から見るかぎりやっぱり上等そうです。ロンドンは4回目ですがパディントン界隈は初めて。どんな都市でも、地図を見るだけでは町の様子を想像するのは難しく、現地を歩いて初めて、カラーや空気感のようなものを知ることができます。Google Mapのストリートビューを使えば事前にある程度はわかるでしょうが、旅行する醍醐味のかなりの部分を自ら奪うのは気が進まないので、やらないことにしています。いまのところ。



パディントン界隈 駅が近づくにつれて各種の商店が増え、にぎやかに

 


ランカスター・ゲートの東端からパディントン駅までは、角を1回曲がるだけで徒歩78分くらい。これなら29日に戻ってきたとき迷わずチェックインできそうですね。駅前を横切るクラーヴェン通り(Cravem Road)を進むと、飲食店に加えて、ユニオンジャック模様のグッズを並べたお土産屋さんとか、スーツケースをディスプレイした旅行用品屋さん、旅行代理店などが目立つようになり、ターミナル駅界隈の様相になってきました。それでも、ビジネス街に面したセント・パンクラス駅(パリ行きのユーロスターが発着する)やバッキンガム宮殿ちかくのヴィクトリア駅など、これまで見知ったロンドンのターミナル駅に比べれば、「都心」感がなく、そうだなあ、パリでいえばオステルリッツ駅くらいの町の規模。地方都市の駅前みたいな感じもします。

モバイル屋さんやネットカフェがあるのは今風。両替屋さん(bureau de changeとなぜかフランス語で表記するのが英国流)が思った以上にあって、儲かるんかいなと思います。ロンドンは本当に「町の両替屋」が多いところですねえ。





パディントン駅Paddington Station)はクラーヴェン通りに面しているのかと思ったら、正面をホテル・ヒルトンにふさがれ、その横の地味なアプローチを進んだところにエントランスがありました。表通りと段差ゼロでホームが広がる、西欧ではおなじみの行き止まり式のターミナル。それにしてもがらんとして、人の気配がほとんどありません。発車案内板を見ると「本日の列車運行はありません」とだけあります。ボクシング・デーも完全運休なんですね。スーツケースを押す若い日本人のご夫婦がやってきて、その表示を見てびっくりしておられました。ヒースローに行くのでしょうが、現地在住ならこの慣習を知っていると思うので、住んでまもないか、旅行を終えて帰国するところだったのかな。

英国の鉄道網は、新自由主義改革のもとで、いうところの上下分離が達成され、旧国鉄のインフラを保有するネットワーク・レイル(Network Rail)社と、列車を運行する24社が分立しています。ここパディントンを拠点とするのは、中部イングランド方面への便をカバーするファースト・グレート・ウェスタン(First Great Western)社。明日お世話になります。ヒースロー・エキスプレスはそれ専門の別会社。



英国は街区表示の頻度が高くデザイン性もすばらしい!

 


ハイド・パーク

 しかし冬だわな


いつまで経っても列車がやってこないターミナルを後に、都心方向に歩きはじめます。ハイド・パークの東辺をなぞるように進めば、市内西の中心部であるウェストミンスター界隈に出ることはわかっているので、まずはそちらをめざしましょう。市内東の中心部でそもそもの「ロンドン」(古代の要塞都市)であるシティ方面まで行ってしまうと、歩いて戻るのがしんどくなりそうです。

 ざつぜん・・・


公園内に設けられた特設の遊園地


パディントン駅を背にまっすぐ歩きます。やや上等な住宅街で、建物が白亜っぽく、植え込みや街路樹の関係で緑も豊富なため、町がとても落ち着いて好印象ですね。正味7分くらいでハイド・パークの北辺に着きました。ここはヴィクトリア・ゲート(Victria Gate)と呼ぶ入口のようです。何だかんだといって、ハイド・パークはロンドンを訪れるたびに歩いています。ただし広すぎるので、いつでも端っこをかすめるだけ。今回もそうなりそうですね(汗)。ルーツのひとつである封建諸侯領が1 hyde(ハイドは当時の面積の単位らしい)だったためその名が冠されているとかですが、現状は1.4km2ほどで、東京ドーム30個ぶんくらいか? 最小の主権国家であるヴァチカン市国が0.44km2なのでそれよりずっと広いです(といってもまだローマに行ったことがないので実感はありません)。産業革命以降、大気汚染の進んだ近代都市にとって、光合成で酸素を生み出す緑地は非常にありがたかったことでしょう。1851年には世界最初の万国博覧会がここを会場として開催されました。うちの国が4隻の黒船に太平の眠りを覚まされるちょっとだけ前のことです。


 

 

 
両世界大戦の戦没者を追悼するモニュメント

ウェリントンといえば思い出すのが “Habit a second nature! Habit is ten times nature” というセリフ。有名なのか否かは存じませんが、往年の受験生にはおなじみの名(迷)参考書、「原の英標」の練習問題1の冒頭に出てくるのです。冒頭だけしっかり憶えているということは、あまり勉強していないということね(笑)。ちなみに「習慣が第2の天性だというのか! (いやそんなバカな)習慣とは天性(人間の本性)に10倍するほどのものなのだ」という意味で、研鑽を日常化することの重要さを説いています。 “Habit a second nature!” SVの省略された第5文型。
(原仙作著、中原道喜補訂『英文標準問題精講』、旺文社、新装5訂版、1999年、p.107


まあ光合成うんぬんといっても今は真冬。緑はほとんどなく、プラタナスなどの落ち葉が地面を覆っていて、絵的にも実際も寒い。空もどんより灰色です。広い公園の南東のがその名もハイド・パーク・コーナー(Hyde Park Corner)と呼ぶ場所なので、そちらをめざしてとことこ歩きました。見ると、コーナーのところにクリスマス・マーケットが開かれています。年末に欧州へ来るのは3年連続で、この光景も自分の中ですっかりおなじみになってきました。どんより暗いし寒いし日は短いしで、このようにお祭り気分にしないと落ち込んでしまうかもしれませんね。

 ウェリントン像

都市ロンドンというのは本当に緑地の多いところで、いまいるハイド・パーク・コーナーと、別の長方形の緑地がまた接しています。こちらはバッキンガム・パレス・ガーデンズ(Buckingham Palace Gardens)という文字どおり王宮のお庭と、グリーン・パークGreen Park)、そしてセント・ジェームズズ・パークSaint James’s Park)の合わさったもの。ハイド・パーク・コーナーと接しているところから直線の道路を進めば、そこがバッキンガム庭と緑公園との境目ということになります。そのエントランスがウェリントン・アーチWellington Arch)。ウェリントン(というのは後に叙爵された爵位の名で本名はアーサー・ウェルズリー)はインドや欧州で戦歴を重ねた陸軍軍人で、そのクライマックスは何といっても18156月、ワーテルローの戦い(Battle of Waterloo)で、エルバ島を脱出して皇帝に復位したナポレオン1世のフランスを撃破したことでしょう。そうか、来たる2015年はそれからちょうど200年になるんですね。百日天下(les Cent-jours)がはさまった関係でウィーン体制発足が1814年なのか1815年か微妙なのですが、いずれにしても200年前にメッテルニヒがもくろんだ秩序再建が、ナショナリズム、ロマンティシズム、リベラリズムなどの近代のムーヴメントを呼び起こしたわけだから、いまこの200年という時間を黙考してみるべきときかもしれない。もちろん視野を欧州の外側にぐんと広げて――。



道路(Constitution Hill)をはさんで左がグリーン・パーク、右が宮殿庭園


バッキンガム宮殿
(三菱地所を見に行くつもりはありません・・・)

 


緑地の中を400mばかり歩くと、そこはご存じバッキンガム宮殿Buckingham Palace)。エリザベス2世のお住まいです。ここに来るの4回目。前回は20122月でしたが、その年の夏にロンドン五輪があり、マラソン、50km競歩、トライアスロンといったロードレース系の中継を見ていたらどれもこの宮殿と緑地の周辺を何度もぐるぐる回っていました。たしかに「英国らしい」し、絵になりますもんね。女王は日本でいう大正15年のお生まれなので満で米寿を迎えられたことになります。幼稚園児だったころ、小旗を振って来日された女王を出迎えてから、かれこれ40年。悶着を含め何かとニュースになる王室ゆえにご苦労もあるでしょうが、ゆえにお元気でいられるのかも?


正門を取り巻く観光客がいつもよりも多いなと思ったら、みんな内側に向けてカメラを構えています。ははあ、定時の衛兵交替式を待っているわけか。私も興味がないわけでもないけど、これまでいくつかの国で見たし、ここには今後もたびたび来そうだから、先に進んでしまいましょう。


 
ヴィクトリア通り


ウェストミンスター寺院が見えてきた


宮殿を後に、バッキンガム・ゲート(Buckingham Gate)という名の通りへ。ここは見知った通りですが、これまで何度かペティ・フランス(Petty France)という道に折れていたのだけど今回は直進してヴィクトリア通り(Victoria Street)に出てみました。ウェストミンスターと鉄道のヴィクトリア駅をまっすぐ結ぶ主要道路です。お店があるにはあるが、全体的にはビジネス街の様子。


そういえば、パリに行ったときはいつでも、到着翌日に常宿から30分くらい歩いて、ノートルダム付近でセーヌ川を見るんだった。ロンドン到着翌日だし、徒歩でテムズ川に向かうのも悪くないですね。歩く距離はこちらのほうがずっと長いわけですが。そして、ランドマークはやっぱり大寺院。ウェストミンスター寺院Westminster Abby)のゴシックなファサードが見えてきました。ニュートンとかダーウィンなどの偉人もここに改葬されており、フランスのパンテオン(パリ)のような使命をも帯びている場所です。

 

 


*グレートブリテン及び北アイルランド連合王国のことを、本稿では「英国」と表現しています
*この旅行当時の為替相場はだいたい1ポンド=187円くらいでした

Part2 へつづく

 

この作品(文と写真)の著作権は 古賀 毅 に帰属します。