Un petit voyage à Londre

 

 

PART 4


PART 3 にもどる


ロンドン12日の2日目は、セント・パンクラス駅1730分発のユーロスターまでそれなりに時間があります。旅行で歩き回って膝ががくがくするというのは初めてで、無理はしないようにしよう。一晩寝てだいぶん緩みましたが、チェックアウト後のため荷物(といっても小さなリュック1つ)を背負っているので、なおさら。

 
朝のヴィクトリア駅


ヴィクトリア駅へ10分ほど歩いて、構内にいくつも出ているスタンドカフェでエスプレッソ(₤1.29)を購入して待合のイスでさっそく小休止。朝食のコーヒーがまずかったので、これで口直しします。パリの北駅やモンパルナス駅も大規模ですが、大小のお店の数ではこちらのほうが上回っています。ここでコーヒー飲んでいるのは、ただ足を休めるためだけでなく、9時半まで時間稼ぎをするためでもある。9時半を回るとワンデイ・トラベルカードがオフピーク扱いで前日と同じ₤5.30になるのです(ピークは₤6.80)。ロンドン地下鉄の自動券売機は6言語対応で、日の丸マークを押すと日本語での購入も可能。優秀です。外国に来ると、システムがわからん、買い方の説明が不十分だ・・・といった不満を抱くことも多々あるけれど、ひるがえって東京の交通案内なんて日本語を解しない人には相当に不親切。肝心のところに英語表示がないケースを散見します。さすがは世界の大英帝国、世界のロンドン。なお、バスだけでよければ1₤3.50で、市内中心部だけならこれで十分ですが(私のようにバスをでたらめに利用できる人ならなおさらですが)、旅行者には地下鉄の担保があったほうがよいのも確かです。ロンドンはかなり広いので、一気に反対側へ運ばれる地下鉄には、やっぱりメリットがあります。

 ハイドパーク


ヴィクトリア駅前は窮屈なバスターミナルになっていて、例によって適当に見当をつけて乗れば、ハイドパーク・コーナーを経由したのでさっそく下車。ハイドパークは長辺が2kmほどもある長方形の大規模公園で、大いに光合成して市民に酸素を供給しています(東京では皇居・御所や明治神宮、新宿御苑など皇室関係が貢献しています)。ゆっくり散歩してみたいけれど、時間がなくなるのと、目下の下半身の状態だとふらふらになることが確実ですので、コーナーから内部を遠望するにとどめます。平日の朝だからか、お年寄りと観光客がまばらにいるだけでしたが、実にゆったりとして、うらやましい。私は新宿御苑が好きで、春秋には本を持参してゆったりするのですが(場所がら野球のついでというのがバレバレ)、それがハイドパークなら好みの場所を見つけるまでに半年くらいかかりそうで、愉快でしょうね。そういえば、中学生のときの英語の教科書に、アメリカの中学生がロンドンへ旅行するとかいった設定のスキットがあり、ハイドパークのことが延々と語られていた記憶があります。教科書なんてツールにすぎず、その内容だけを抽出して論じることは本筋ではないと、教育学関係の講義ではいっていますが(とはいえ自分自身はそういう論文をよく書いていますけど 笑)、当人はしつこく憶えているのですね。

 
 ハロッズで(正面の工事中の建物)


昨日の通りを逆方向へ走るバスで、ナイツブリッジKnight’s Bridge)という地区に来ました。この付近もお買い物ゾーンとして知られますが、何といっても老舗デパートのハロッズHarrods)が中心にどかんとそびえます。午前10時の口開けとほぼ同時に入店すると、正装したドアマンがにこやかに、しかしきりっとした態度でこちらに何かいってきます。噂に聞くドレスコードに引っかかっての入店拒否でもあるまいなと思ったら、「リュックは肩掛けにせず手に提げてお歩きください」だって。内部のしつらえは、それは重厚で、三越本店を2まわりくらいクラシックにした感じ。品物をうんぬんするセンスはもともとないのですが、相当なものなのでしょう(そうか?)。1階と地階には、紅茶やジャム、カップ、エプロンといった一連のハロッズ・グッズを売るコーナーがあり、かなり広い。日本人観光客が何組もいたので早々に退散しましたが、デパートのブランドマークをつけて名物になるんだからすごいですよね。高島屋のバラをつけたマグカップもらってもありがたみを感じないものね(おっと失敬)。地階のエスカレータの前に、ダイアナさんと、最後のお相手でともに事故死したドディ氏を偲ぶメモリアル・コーナーが設けられていて、ここでもリスペクトを捧げました。現在のハロッズのオーナーはドディさんの父親で、エジプト人。エジプシャン・エスカレータなるコテコテの装飾をまとったエスカレータもあって、異彩を放っていました。

 
深く深くもぐって、地下鉄のホームへ(グリーンパーク駅)


今度は地下鉄に乗ってグリーンパークで乗り換え、テムズ右岸のロンドン・ブリッジ駅へ。ここは国鉄駅でもあります。その名のとおり、1筋歩くとテムズ川に架かるロンドン・ブリッジLondon Bridge)。童謡に歌われているため子どもでも名前だけは知っている橋ですが、どこからどう見ても普通の橋。現在の橋は1973年に架けられたということですが、この年代はどことも無機質でおもしろからぬ構造物が多かったみたいですね。落っこちたらどうしよう。金と銀でつくったら盗まれそうだしなあ。マイ・フェア・レディ〜♪

 下流側からロンドン・ブリッジを望む
  橋上から見たセント・ポール


テムズ川の右岸(地図でいう下側で、パリのセーヌ川とは逆向きです)は、西暦2000年を記念してミレニアム・マイルなる散歩コースが整備されているそうで、河川とみれば総合学習のネタを考える私にとっては格好の場所なのだけれど、また足がやばくなってきたので遺憾ながら回避。すこし上流側にミレニアム・ブリッジという歩行者専用橋も架けられています。ミレニアムもずいぶん前のことになりましたね。


ロンドン・ブリッジから下流側を望む 左の黒い部分がロンドン塔、右はタワー・ブリッジと戦艦ベルファスト


ロンドン・ブリッジの左岸側で都心方面行きのバスを(またしても例によって)テキトーにつかまえて乗ると、本来のロンドン本体であるシティCity)のセンターに突っ込む系統でした。いまは英国の、というより世界の金融センターとして知られます。さすがにクラシックで頑丈そうな建物がひしめき合います。中でもイングランド銀行Bank of England)はお城のように立派な建物。政経の授業ではよく「各国の中央銀行を答えなさい」なんて発問して、アメリカ(連邦準備銀行またはその上位組織の連邦準備制度理事会=FRB)、ドイツ(ドイツ連邦銀行Bundesbank 現在は欧州中央銀行にシステムが移行している)といったちょいムズ問題に悩ませたものです。意地悪ではなくて、新聞を読むときの基礎知識だし、山坂が多少あるほうが学習意欲につながるのです。で、英国の中央銀行は「イギリス銀行」でなくてイングランド銀行。スコットランド銀行というのもあり、歴史的な行きがかりから独自にポンド紙幣を発行していますが、そちらは民間の銀行です。社会科の先生をめざす向きは、なるべくたくさん「本物」を見ておくこと。同じ語るのでも説得力が違ってきます。

 
ダブルデッカーも窮屈そうなシティ中心部 英国の金融政策を司るイングランド銀行

 
セント・ポール寺院


その名もバンク(Bank)駅から地下鉄で1駅、白亜のドームで存在感のあるセント・ポール寺院St. Paul’s Cathedral)を訪れました。固有名詞の書き方はなかなか難しくて統一基準をつくりにくいのですが、私は「聖パウロの」という意味が濃厚のため「ポール」とは書かないことにします。カテドラルでも先ほどのウェストミンスター・アビー(Abby)でもことごとく「寺院」とするのはどうかと思われるかもしれませんが、「大聖堂」とすると建物の存在が際立って宗教機関としての立体感をもちにくく、いちおう寺院で統一することにしています(そういえば2006年のケルンの回ではDomを大聖堂と訳していて、いい加減ではある)。国教会(Church of England)のシンボル的な寺院で、現在の建物は1710年に完成したバロック様式のもの。₤10の拝観料を納めて内部に入れば、パリのノートルダムをはじめ方々のカテドラルで見たような薄暗さがなく、壁の白さが引き立つ採光がなされていて、とても明るい感じがします。カトリックと国教会の違いなのか、ここの特徴なのかはまだわかりません。私は宗教というのを、わりに西欧的な文脈で理解していて(仏教も本来の意味のほうならかなり共感する)、現世利益とか先祖崇拝はあまりやらず、その代わりどんな宗派でも魂の救済と一切衆生の平穏を祈ることにしています。ここでも、さように。ここで現世利益を祈願しようものなら、春のリーグ戦でセント・ポール・ユニヴァーシティ(立教大学)が勝ってしまうかもしれないし! 王子にはかなうまいけれどさ。

セント・ポールは、東京の靖国神社、パリにおけるパンテオンなどと重なる役割をも有しています。聖堂の内部には、例のネルソン提督など祖国のために戦った有名無名の人たちが顕彰されていますし、地下墓地には、そのネルソンや、ウェリントン(ウォータールーの英軍指揮官)、ナイチンゲールなどのお墓があります。日本語のパンフを見たら「チャーチルの墓」も明示されているのでそれらしき場所を探すも、鉄扉とチケットもぎりのデスクがあるだけで何もなし。デスクにいた若いスタッフに、「チャーチルのはどちらですか」と訊ねると、これがそうですと鉄扉をなでるように示し、すぐそばの英語の解説版を指さしてまずは読んでくださいと。すでに墓地があったチャーチルの改葬にあたっては形式・方式がさまざまに議論されたが、由緒のある鉄扉(gate)をセント・ポールの地下に移設することで落着したというようなことが書いてありました。フランス語版のパンフを見るとたしかにGrille Churcillとあって、グリルだからやっぱり鉄扉だよねえ。お兄さんに、「日本語版の表現ではになっていて、ノット・グッドですね」と告げると、やはりそうした苦情はあるらしく、「どうやらそのようですね。調査してみます。ご指摘ありがとうございます」と丁寧に応じてくれ、本当のお墓はこんなのですと、彼の墓地の写真を見せてくれました。欧州の美術館や観光地で日本語の解説を見かけるとついうれしくなるのですが、あれって語学力・表現力だけでなく歴史や文化に関する知識教養も相当に必要な仕事であるため、善意ではあっても不適切な表現のまま放置されていることは少なくありません。

セント・ポールのドームは最も高いところで111m85m地点の回廊は展望台として公開されていて、₤10の拝観料に込みなのですが、登り口に日本語を含む複数の言語で「階段は狭くてたくさんあるので病弱の人などはよく考えてください」みたいな注意書きが。思わず苦笑しますが、当方すでに平地を歩くのも足を引きずりながらになっている病弱?な人なので、これは回避します。すごくよい眺めだそうですが、他日を期そう。

 本日の第1パブで、ランチ
 

西へ向かうダブルデッカーに乗って、もう恒例になったテキトー乗車で進み、トラファルガー広場の東側あたりの繁華街に出ました。飲食店などの建つ路地に入り込み、1パブ。本日のお昼はビーフバーガー(チーズ&ベーコン入り)で、London Prideというエールの1パイントをつけて₤10.56。どこぞの100円のやつと同じ食べ物とは思えぬほど肉の質感があって、添えられたバーベキューソースをつけて食べればかなり美味いっす。燃料も美味いね〜。

14時ちかく。地下鉄でトテナム・コート・ロード(Tottenham Court Road)まで進み、そこから歩いて、今回の最後の訪問地である大英博物館British Museum)をめざしました。もはやわずかな距離が膝から下にびんびん響きます。むーむー。そういえば、私が大学生だったころ(バブル期)のフジテレビは実験的でおもしろい深夜番組が多く、その中に「90日間・トテナム・パブ」というロケもののドラマがありました。このへんのパブが舞台だったということかな。作者は若いころの(!)高城剛で、たしか坂井真紀さんのデビュー作だったと思うけど、表現される内容はハタチの学生には高度でした・・・。

 
大英博物館とその内部


3
日前の日曜にルーヴルへ行ったばかりでしたので、世界三大ミュージアムの2つを数日のうちにハシゴするのは愉快ですが、もうなるべく動きたくないので、最低限のところだけ見学することにしよう。ここは入場無料。帝国主義の時代に世界中のお宝を分捕ってきたのだから当然だという声はあるけど、ルーヴルは€9もとるし、こちらはやっぱり立派でしょう。今回はルーヴルも無料の日に見物したので、「元を取らねば」などとセコい発想をすることなく要所限定の最短ルートをとることができました。この大英博物館では、常設展の区画に入ってすぐのところに超A級の展示物、ロゼッタ・ストーン(Rosetta Stone)が鎮座していました。

 ご存じロゼッタ・ストーン


いまさらながら、すごいよね。ナポちゃんのエジプト遠征時に発見されたこの文字板をきっかけにして古代エジプトの言語を解読できるようになったわけで、歴史ってすごい。と、高校2年で初めて世界史を学んだときには素直に感じたものの、そのきっかけというのが、エジプトともギリシアとも無関係であるはずのナポちゃんで、その成果が今はなぜだかロンドンにあるという、19世紀的な不思議。そういう不思議は自問したほうが、自分のためにも学問のためにもなります。私はそうして、100年前の教育に切り込む研究者になりました。日本人である自分が、どこよりも19世紀の「当事者」であった英国やフランスの地面に立ってみれば、その不思議がよくよくわかります(本人たちにはなかなかわからんこともわかります)。やーやっぱり来てみないとはじまらんね。このあと、よせばいいのに調子にのってギリシア美術や中国・日本などの展示も見たので、やっぱり消耗・・・

16時ころセント・パンクラス・インターナショナル駅に入り、出国&入国審査。今度はシンプルでした。パスポートを見れば、2003年のときも今回も、英当局は入国スタンプは押すものの出国の印はなく、出て行くのは勝手らしい。フランスの入国スタンプはここで押され、Londres(ロンドル フランス語でロンドンをそう表現します)の文字が見えました。最初に述べたように、ここ2年でドイツ、オランダ、ルクセンブルク、ベルギーの地面に立っていますが、シェンゲン協定のおかげで出入国スタンプはフランスのものだけで、それらの国にいたというアリバイは立証できそうにありません。英国とスイス(2005年に訪問)は入国時だけチェック。

 セント・パンクラスの構内パブで出国記念の1パイント


そして、出国手続き後の待合区画にはパリ北駅で見たような免税店などまったくなく、どこの駅にもあるようなキヨスクと駅カフェが並んでいるだけでした。両替屋もなくて自動両替機が「ノー・コミッション(手数料無料)」でユーロを用立てているようです。早めに駅へ来たのはもう歩きたくなかったからで、駅カフェでステラ・アルトワの1パイント(₤3.10)を頼んで飲めば、たちまち身体じゅうを駆けめぐります。よく歩いたなあ(そもそも12日という設定が強引すぎるよね)。


ユーロスターに乗ってパリへ帰ろう2008 3連続だが、もはやギャグの前提が崩れている・・・)


パリ北駅行きユーロスター9044便は1730分発。もう車外は暗くなっていて景色は見えないため後ろ向きでもいいのだけれど、この便の2等は半分くらいしか埋まっていないので途中で車両&座席を移りました。今度はパリまでノンストップで、要は飛行機と同じです。ユーロトンネルのところでバー車(日本の新幹線ではかつて「ビュッフェ」といっていた)をのぞき、さすがにビールは回りそうなので私らしくもなくコーラ(€2または₤1.60)。スコラ哲学の本なぞ読んで過ごし(けっこうおもしろかった)、約10分遅れでフランス時間の21時ころ北駅に帰着しました。これも毎年の恒例でお恥ずかしいのですが、駅前のステーキハウス、イポポタムスで分厚い牛肉を食いちぎって、ミニトリップは打ち上げ。2日前にパリで一緒した学生たちには「せっかくだからと欲張ってあれもこれもと回ると大変だよ」なんてエラそうに説教たれていたのだけれど、足のしびれを省みれば天に唾だったようですな。


西欧あちらこちら にもどる

 

この作品(文と写真)の著作権は 古賀 に帰属します。