2018年はずいぶん空を飛びました。ここまで国際線13回、国内線6回の搭乗で、マイルもたまりました。仕事で航空便を利用する方とはもちろん桁が違うのですが、平素はキャンパスに張りついていなければならない商売にしては、異例の多さのように思います。高所恐怖症が飛行機嫌いにショートして、北海道でも福岡の実家に行くのにも鉄道を利用していた学生時代の自分が見たらびっくりするでしょうね。ことしは日本からの直行便の飛ばない都市に行くため乗り継ぎが増えたことと、出グセがスパークして定例の欧州遠征のほかにソウルと香港にも行っているので、搭乗回数が積もったということです。で、20回目の搭乗便は羽田を深夜0時55分に飛び立つANAのNH203便。現地時間の早朝5時過ぎにフランクフルト着。そこで6時間ほど待って11時15分発のルフトハンザLH886便(ANAのコードシェア便)に乗り、所要2時間、14時20分ころヴィリニュス国際空港(Vilniaus Oro Uostas /
Vilnius International Airport)に着陸しました。おやと思うかもしれませんが、フランクフルトの冬時間はUTC+1の西欧標準時、ヴィリニュスはUTC+2で1時間の時差があります。日本から行くと、いったん時計を8時間遅らせ、そのあとで1時間進めるという面倒なことになります。退屈な待ち時間、朝っぱらからカフェで生ビール飲んでいい気分なので、搭乗時刻を間違えないようにしないとね。羽田のANAカウンターで荷物を預けてチェックインする際に、搭乗券をあらためた地上係員の女性は「お荷物は・・・最終目的地まででよろしいですね」と。本来そこには固有名詞が入るはずなのだけど、Vilniusという都市名に見覚えがなく、発音もわからなくてスキップなさったのでしょう(笑)。羽田からヴィリニュスに行く客ってどれくらいいるんでしょうね。
田舎の鉄道駅のような外観&内部のヴィリニュス国際空港
12月25日(火)、クリスマスの午後に、リトアニア共和国(Lietuvos Respublika)の首都ヴィリニュス(Vilnius)にやってきました。平成最後の冬の目的地はバルト三国(Baltic States)のうち未訪だったリトアニアと、かなり前から決まっていました。欧州連合(European Union: EU)加盟28ヵ国のコンプリートができそうだというので、ここ3年くらいは意識的に未訪国をつぶして・・・ じゃなくて回ってきています。ことし2018年は2月にギリシア、8月にポーランドと来て、12月の遠征を迎えました。残るはあと1つ! こんなことをしてもどこかから表彰されるわけでも、記念品をもらえるわけでもないので、商店街のスタンプより値打ちはないのかもしれないけれど、「男の子」にありがちなコンプリート癖はおじさんになっても停まらない(汗)。
空港のバッゲージ・クレーム(機内預け入れ荷物の受け取り)にあったターン・テーブルはたしか2基で、一国の首都の玄関にしてはずいぶん小規模です。バルト三国の中では最大とはいえ、面積約65000平方キロ(北海道よりワンサイズ小さいくらい)、人口280万人(広島県とか大阪市くらい)という程度ですので、私たちの感覚では明らかに小国です。すぐに思いつくようなランドマークなどもないので、よほど旅慣れていないと旅行先として選ぶことも少ないでしょうね。私は2016年夏にラトヴィアとエストニアを訪れていて、そのときもう1つと思わぬでもなかったのですが、限られた日程では移動ばかりになるのでリトアニアは積み残しました。新聞に載る団体旅行の広告を見ていると、最近はバルト三国が結構な頻度で出てきます。新聞広告を読んで申し込むのはおそらく中高年の夫婦が多く、欧州は一通り行っているからもう少し地味なところをめざすというのと、小国がタテに3つ並んでいて「セット」で行きやすいというのがあるのでしょう。せっかく片道12時間ものフライトで欧州に行くのだから訪問国の数を増やしたいという心理はあると思う。ベネルクス三国、スロヴェニア&クロアチアなんかのツアーにも似た背景があるかと。
リトアニアはバルト三国の最南部 1991年まで「ソ連」だった
地図出典 http://www.sekaichizu.jp/
(左)鉄道の空港駅に行ってみたが・・・ (右)路線バスで市内へ
乗ってきたのは中型機のエアバスA320でそこそこの搭乗率だったと思いますが、自家用車を利用しているのか、ターミナル構内はいつの間にか閑散としています。出発フロアに行けばまた違うのでしょうが到着フロアは狭小で、駅のキヨスク的な売店が1軒あるだけ。ひと昔前の地方の鉄道駅に来たような感じがします。エビアン1本買っておきます。これも「駅前」といった風情のターミナル前に出て、3、4分歩いたところに鉄道の駅があります。案内表示はばっちりですし、積雪はあるものの通路には防雪カバーがついているのでキャリーを引いていても難なく進めるのだけど、無人のホームに降りてみると列車の便がない。いま14時半過ぎで、次は16時25分と、そこまで田舎に徹しなくていいじゃん、絵だけでなくダイヤも北海道のローカル線みたいだねというレベルでした。やむなくターミナルに引き返し、車寄せ部分に停車していた路線バスの運転士に、鉄道駅(railway station)に行きますかと訊ねたらイエスと。運賃は先払いでジャスト€1と格安でした。いまどきの低床車体ですがごく普通の路線バスで、首都の空港アクセスがこの程度で済むというのも潔い。バスはすぐに郊外の住宅地に入り込み、15分ほどでバス・ターミナルに着きました。バスTといっていますが鉄道のヴィリニュス駅(Vilniaus geležinkelio stotis)に隣接しており、下車ゾーンは建物外の路肩ですので、駅前に着いたということと同義。
今回は旧市街の真ん中ちかくに宿をとっており、地図で見ると1kmほどです。トロリーバスはあるものの旧市街の内側にはまったく入らないので(ラトヴィアの首都リーガ、エストニアの首都タリンと同じ)、歩いていくことにしよう。鉄道は緩やかな傾斜の高いところを走っていて、駅を背に旧市街に向かうといきなりの下り勾配になりました。日本の地方都市でも鉄道は中心部を外れたところを走るケースが多々あり、駅の周辺は地味なことがありますが、それと同じで、屋内市場が見えた以外は店舗もほとんどない静かな住宅街を下っていきます。それにしても人が歩いていないな〜。いくらクリスマス当日とはいえ、首都の空港や鉄道駅の界隈に人の気配がほとんどないというのはね。路肩の積雪を見ると、昨夜あるいはきょうの朝に雪が降ったものらしい。キャリーを引きづらいというほどではないのはありたがい。ゆっくり歩いて20分ほどで旧市庁舎(Rotušė)の前に出ました。ここから旧市街という仕切りのようなものがあるわけではないけれど、景観と、何より急に歩行者が増えたのでそれとわかりました。
駅から旧市街に向かう経路に誰も歩いていないって・・・
予約したホテルは旧市庁舎広場に面した狭い道路を入ってすぐのところ。いつもテキトー歩きですが、荷物を引いての宿へのアクセスは最短距離になるよう地図で下調べしてあります。お、いい感じのしっとりした道筋で、ホテルのほかにレストランなども見えます。ホテル・セントロ・クバス(Hotel Centro Kubas)は3つ星。ブッキングドットコムのジーニアス相場で2泊朝食つき€111.78と、首都の都心部にしては相当な格安でした。3階建ての小ぶりな建物のドアを押すとすぐに小さなレセプションがあり、若い女性が応対してくれました。建物は古く、エレベータや廊下、室内も少々くたびれて見えますが、どこも清潔に整えられていて、用具や設備もまったく問題ありません。電源が多く、小さな流し台とバスタブまでついているので文句なし。深夜便に乗るため21時過ぎに東京の自宅を出てから24時間以上経っていますので、まずはベッドにひっくり返って小休止。個人的には深夜便よりも昼に出て夕方に着くパターンのほうがしっくりきます。
ホテル・セントロ・クバス
16時過ぎに外に出ました。すでにたそがれています。年末の遠征では昼の時間が短いのが悩ましいところ。そのぶんクリスマス・マーケットなどの楽しみもあります。ホテルすぐそばの旧市庁舎広場もクリマ風の演出ですが、木組みの屋台という例のやつではなくて、正多面体のガラス(orプラスティック)の仮設店舗がいくつか並んでいる、おしゃれなものでした。カフェあり、小物屋さんありで、ラインアップはクリマそのもの。人がいない首都だなあとさっきは思いましたが、中心部に来たためか、あるいは日が落ちてから外に出る人が多いのか、おそらく両方の理由で、ここはにぎわっています。年末の仕事の関係で、欧州入りするのはたいてい25日。今回思案したのは、カトリック国と知るリトアニアに向かうにあたって、食べ物やワインなどをフランクフルト空港で用意したほうがよいかどうかでした。クリスマス当日の営業状況というか商慣習はところによって微妙に違い、ほとんどの店が営業しないところ、飲食店は開くが一般店舗はクローズになるところ、とくに問題のないところなどいろいろ。昨2017年暮れはオーストリアのウィーンでしたが、26日の第二クリスマスまで一般店舗はオール・クローズでした(飲食店は開いていた)。ベルリンやロンドンも閉店率が高く、難渋しましたので、あるいはカトリックよりもプロテスタントのほうが徹底しているとか? まあなんとかなるだろうと思ってそのままヴィリニュスに来てみると、ホテルの並びに営業している飲食店がいくつもあったのでひとまず安心し、この広場のにぎわいから見て、仮設でもなんでもいいからというのであれば、一般店舗もそれなりに開いているだろうと思います。
旧市庁舎前広場に、クリスマス・ツリーとかわいい仮設店舗
地図を見ると、旧市庁舎前から北に向かうディジョイ通り(Didžioji gatvė)〜ピリエス通り(Pilies gatvė)というひとつづきの道が旧市街のメイン・ストリートらしく、大聖堂までほぼまっすぐつながっています。道なりに歩いて、また戻ってくる感じでいいかもしれない。小さな教会が右に左に現れるのがいい雰囲気です。飲食店は完全に営業しているし、一般商店も全部ではないがかなり開いています。コンビニみたいな店や酒店もあるので、帰りに寄りましょう。教会の現れる頻度からみてもリトアニアの人たちが敬虔なクリスチャンであることは疑いえないのだけれど、それが聖夜に業務をおこなうことと矛盾するかどうかはまさに文化とか慣習の問題でしょうね。ここリトアニアは1940年にソヴィエト連邦に強制接収され、1991年までその一部として社会主義国家でしたから、宗教的な慣習が薄らいだのかもしれません。メイン・ストリートは、旧市庁舎から見ると北に向かって一方的な下り勾配で、まさにダウンタウンに向かって進むような感覚になってきました。イルミネーションというほどではないけれど、店々の明かりが石畳の道を照らして、冬の欧州らしさを演出しています。
ヴィリニュス旧市街のメイン・ストリート、ディジョイ通り〜ピリエス通り
ゆっくり歩いて15分ほどで自動車の走る道と交差します。目の前にある白亜の建物が「王宮」(Valdovų Rūmai)。なぜかぎかっこを付したのかというと、王宮なんてここにはなく、21世紀に入ってから新造されたものだからです。「復元」ですらありません。そもそもリトアニアに「王」がいたという過去もない。リトアニアはロシア帝国に支配された期間が長く(1795〜1918年)、1918年にいったん独立しましたが前述のように1940年にはソ連に併合されてしまいました。18世紀以前はどうだったのかといえば、14世紀以降はポーランドと同君連合(国家は別だが君主が同一人物)を組み、16世紀になると実質的にポーランドの一部になりますので、国家としての独立は長いこと果たされていませんでした。1795年のいわゆるポーランド分割で消滅したポーランドの国王が兼ねていたのはリトアニア大公(Lietuvos didysis
kunigaikštis)の地位。王ではありません。シンボリックな建物を造ることで国家としてのアイデンティティを意識しようというのはわかるけれど、かなり無理筋だと思う。一部が博物館として開放されています。その西隣はヴィリニュス大聖堂(Vilniaus Šv. Stanislovo ir Šv. Vladislovo arkikatedra bazilika)。こちらは18世紀の建物です。きょうは特別な日ですので異教徒の私は遠慮して、あす伽藍の中を見ることにしましょう。大聖堂の前は広々とした空間、大聖堂広場(Katedros Aikštė)。ここには一般的なクリスマス・マーケットが出ています。クールなツリーを囲んで円形に屋台が並び、ずいぶんすっきりしています。2012年以来、クリスマス・シーズンの遠征を恒例としてきましたので、あちこちの都市でクリマを見てきました。私だってこの季節にはこれが楽しみでもあります。ただ、買いたくなるようなものはほとんどなくて、雰囲気を味わうだけね。
これだけ人が出ているとなると、クリスマスの当夜は家族やカップルで町に出るのが普通なのかもしれません。24日夜の様子も見たいところですね。バルト三国が世界に向けて「独立」の意思をアピールしたのは私が大学2年だった1989年のことです。大学生になったばかりのころは、ここは普通にソ連でした。知っているのは国名くらいで、ヴィリニュスという都市名も知らなかったのではないかな(マイナーな国でも首都だけは覚えていたが、バルト三国は「国」として認知していない)。30年後に、リトアニアの首都でクリスマスを過ごしているなんて夢にも思わなかった。
(上左)「王宮」 (上右)ヴィリニュス大聖堂 (下)大聖堂前のクリスマス・マーケット
メイン・ストリートの一筋西側の狭い道を入ってみると、大統領官邸がありました。落ち着いた建物が静謐な空気とあいまっていい感じですが、この先の道は薄暗く、路肩の積雪も多いみたいなので、来た道を戻ることにします。ヴィリニュスの治安がよくないという話は聞いたことがありませんが、昼間歩いて全体の様子をつかむのが先。それにしても冷えてきました。ヴィリニュスに着いたときには積雪はあるけれどさほど寒くないなと思ったものの、17時を過ぎて気温が急降下しているらしく、もうマイナス5度くらいにはなっていることでしょう。真冬のバルト地方、それも内陸に行くというので、普段は使ったことのないインナーを何枚か用意していますし、靴もブーツ・タイプのものを新たに購入しました。ガワはマイナス20度の中国東北地方にも耐えた通称「満州コート」。マフラーが嫌いでめったに出番はないのですが、数年前にパリで購入したものを念のためいつもリュックに入れています。いまからインナー装着というわけにはいかないが、マフラーは巻いておきましょうね。空気が凍りそうな冷たさになってきました。
さきほど見かけた酒店に入ってみます。狭い店内に20人以上のお客が入って繁盛しています。クリスマス・パーティというか宴会するのかね? きょうは早く寝るだろうからワインはなしにして、缶ビールとお水を購入しました。値段は忘れましたが安かったと思います。有人レジなのに精算だけ自動式で、日本のスーパーでもこのごろはそういうところが増えてきましたが、目の前でやるのに意味あるのかな。
狭い路地をはさんだホテルの向かい側にレストランがあるのを確認していましたので、きょうはそこで夕食ということにしましょう。この寒さなので、食事してから宿までが遠すぎると消耗しそうだったからです。Alinė Leičiaiという名の店で、さすがに二重ドアになっており、中に入れば17時半なのにかなり込み合っている。室内に入った瞬間にメガネが曇ります。フランス人は意地でも20時以降にディナーで、われわれにとってはゴールデン・タイムといえる18〜20時をハッピー・アワーにしちゃったりするのだけど、リトアニアは早いのか、きょうが特別なのか、ところによるのか? 階段の手すりに沿って4席だけ設けられていたカウンターならすぐに座れるということだったので、それでいいことにしました。大衆レストランっぽいし、「一杯やる」イメージに近いかもしれません。
で、このあたりに来たならばやっぱりビール。渡された英語のメニューを見ると、生ビールが2種類(プレミアム・ラガーとピルスナー)で、それぞれ0.2L、0.3L、0.5L、1.0L、2.0Lとサイズがあり、最小が€2、最大でも€9と相場もかなりエコノミーです。A4判いっぱいにビールの種類をつらねているのかと見れば、サイズのヴァリエーションで幅を稼いでいるのか(笑)。そのほか0.2L×6という飲み比べセットが€8ですが、これはやめておきましょう。ラガーとピルスナーって普通は同じカテゴリなのだけど(ラガーの一種がピルスナー)、この区別はよくわかりませんね。ま、飲めればいいのでプレミアム・ラガーの0.5Lをオーダーしました。プレモルみたいな風味ですが炭酸が強い。
案内してくれた、20代と見える恰幅のいい兄さんは、アメリカ風?の英語を流暢に話します。私だけでなく他のテーブルからも英語で話すのが聞こえてきたので、ヴィジターがいるものと思われます。ビールのアテだから、€8のホームメイド・ソーセージでいいかな。ダーク・ビールで調理します、と英語の説明が書かれています。運ばれてきたのは長さ15cmくらいの太いやつが2本に、かなりの量のザワークラウト、付け合わせはマッシュにしてくれと注文したのになぜかフラポでした。まあいいや。ソーセージはシシ・ケバブかと思うほど目が粗く、肉汁があって、豚肉そのものを食べているような感覚になりました。自家製であるとメニューに説明されていたマスタードは麹味噌みたいな味で美味しい。食後のエスプレッソ(€2)をもらってもトータル€13で、物価が安そうなのはありがたいことです。それにしても、ソーセージ、ジャガイモにザワークラウト、それにビールとくればドイツそのものです。このところ中東欧を歩くようになって、だいたいどこでも豚肉+ジャガイモというのが基本になっていることがわかってきました。ドイツの影響というのはもちろんあるでしょうが、土壌や気候の関係でそれが最も適切な食材であったということなのだと思います。バルト三国の仲間であるラトヴィアとエストニアは、首都周辺に関するかぎりドイツ語を話すドイツ人たちが乗り込んできて長いこと政治・経済を切り回してきましたが、リトアニアに関してはドイツ(人)の支配を受けたことはありません(両大戦のころの微妙な件は別にして)。
12月26日(水)、7時45分ころ地下のダイニングに降りて朝食をとろうとしたら、ワンオペ操業中のマダムが「25日と26日は8時からです。朝食はまだ」と。きのうレセプションでは7時半からだと案内していて、そんな注釈はなく、いまもレセプションの前を通って地階に降りたのにご注意はありませんでした。まあそんなこともあります。クリスマス当日には地下鉄まで全部ストップしてしまうロンドンのホテルでも、朝食はたしか8時とか8時半の特別スケジュールになっていたような記憶があります。部屋に戻るほどのことでもないので、そこに座って十数分待つことにしました。ほどなく「どうぞ召し上がって」と案内があります。果物以外はことごとく「パンに載せるおかず」というドイツ式でした。味はなかなかよい。ダイニングにはもう1グループ来ていて、50〜60代の夫婦×2組で、兄弟という感じでもないから友人旅行と思われます。話している言語はまったく見当がつきません。
9時半ころ出動します。きょうは旧市街を中心にヴィリニュスを徒歩でぐるっと一回りする予定ですが、地図から判断するに、さほどの広がりはありませんので余裕でしょう。ホテルが面している狭い道を、ツリーの飾られている旧市庁舎とは逆の方向に歩きはじめます。昨夜(時間的には夜でもないのですが日没後)歩いたメイン・ストリートの西を並行するようなイメージで、大聖堂のほうに降りていこうと思います。欧州の旧市街がどこでもそうであるように、ここも道路の縦横がはっきりせず、方向を誤る可能性はあるものの、旧市街という外側がはっきりしているので、その内部で迷うぶんには問題ありません。きのう食事したレストランの並びにも別のレストランが複数あり、宿泊した場所がよかったのかな。基本的には住宅地で、ルーマニア大使館の小さな建物もその中に紛れ込んでいて、なぜという感じ。石畳風の、とても趣のある町並なのですが、自動車の走らない歩道部分には残雪があり、その大半が凍結していて、下り坂なのでなお注意が必要。たまにやってくる自動車にも気をつけながら路肩に沿って歩くと、今度は建物のひさしから雪解け水がぽたぽた落ちてきます。旧市街の狭い道って風情はあるけど難渋することも多いんですよね。
クリスマス明け、冬の朝とはいえなんとも静かで、人通りもほとんどありません。残雪というのは絵として見るだけならばとても美しい。数分歩くとヴィリニュス大学(Vilniaus universitetas)のキャンパスの前に出ました。リトアニア最大の名門大学ながらキャンパスはずいぶん小規模で、地図にして1ブロックしかありません。ただ、由緒書きを読むと建物自体が貴重な歴史遺産で注目すべきものである由。冬休みなのかクリスマス休みのせいか、中にも外にも人の気配はありませんでした。その由緒書きによれば創立は1579年にさかのぼり、イエズス会によるもので、バルト地方では最古の大学であったそうです。そこに掲出されている沿革がやけにキャンパスの構造ばかりで歴史に触れないなとそのときには思ったのですが、後から考えてみるとヴィリニュスという都市が属する「国」が何度も変移していて、そのあたりを表に出したくなかったのかな? ヴィリニュス大学は、リトアニア大公国(ポーランド王国と一体化した国家)→ロシア帝国→ポーランド共和国→ソヴィエト連邦内のリトアニア共和国→現在の独立国家リトアニア共和国と、帰属が変転しました。ポーランド共和国というのは第一次・第二次の両大戦間に存在した国家なのですが、この時期にリトアニアも一時的な独立をみています。それなのに当大学の帰属がポーランドなのは、ヴィリニュスがポーランド領(ヴィルノ Wilno)になっていたため。これは後述しましょう。
大学の目の前に、昨夜も見た大統領官邸があります。こちらも人の気配なし。2階建てシンメトリーの、表から見るかぎりはずいぶん簡素な建物です。「王宮」あたりを飾るよりは国家元首の館をデコレートしたほうがいいようにも思いますけど、シンプル・イズ・ベターということはある。バルト三国のうちラトヴィアとリトアニアは、議会政治をベースにしながらも大統領にかなりの権限をもたせたフランス型の半大統領制を採用していますので、ここのあるじは儀礼的な元首ではなくリトアニアの実質トップです。
(左)ヴィリニュス大学 (右)リトアニア共和国大統領官邸
大聖堂
前日に歩いたところをなぞって、大聖堂の前に出ました。クリスマス・マーケットはもちろんまだ開店前で、ツリーだけが光彩を放っています。カトリックの大聖堂にしては外観も内部もすっきりとした造りのように思えます。第2クリスマスなので、きょうも厳粛な雰囲気が感じられます。八角形の断面をもつ鐘楼も見事。クリスマス時期には欧州に滞在していて、教会やその周辺の特別な雰囲気を体感してきました。各地それぞれのよさがあるけれど、それを知ると東京都心のあの商業的でチャラい感じはもう(笑)。もともとクリスマスって、新年を迎える過ぎ越しの祝祭をキリストの誕生に結びつけて成立したといわれていて、日本でいうとお正月ですもんね。1月1日の静寂な東京はけっこう好きです。といいながら、たいてい元日の飛行機に乗って福岡に移動するのですが。
国立博物館 赤屋根の背後に、ゲディミナス城の小高い丘が見える
大聖堂と「王宮」をとりまくように緑地(といっても今は白い)が広がっていて、このあたりがヴィリニュス旧市街の中心です。エストニアの首都タリンの旧市街では、教会や権力者の拠点が高台(トーム・ペア)の上にありましたが、ここヴィリニュスは坂を下りきった先の最も低いところに中核があるんですね。とはいえ、リトアニア大公の宮殿を防衛するための城砦は、やはり小高い丘(おそらく人工の築山)の上にあって、あたりを見渡せるようになっていますが、規模が小さすぎてカワイイ。
PART2につづく
*この旅行当時の為替相場はだいたい1ユーロ=125円くらいでした。
<主な参考文献>
伊東孝之・井内敏夫・中井和夫編『ポーランド・ウクライナ・バルト史』、山川出版社、1998年
志摩園子『物語 バルト三国の歴史』、中公新書、2004年
エイディンタス、ブンブラウスカス、クラカウスカス、タモシャイティス著、梶さやか、重松尚訳『リトアニアの歴史』、明石書店、2018年
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