PART 5 文芸の都フィレンツェ その2

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2日(月)もいいお天気のようですが、グーグルでFirenze weatherを見ると午後に傘のマークが出ていて少し心配です。9時半ころ出動。勝手のわかったファエンツァ通りを進み、途中で少しだけ左(東)に折れたところにある中央市場Mercato Centrale)を訪ねてみましょう。欧州では一般的な屋内公設市場ですが、その周辺は安い衣料品やカバン、アクセサリーなどを売る露店が取り巻いていて、10時オープンということなのかどこも絶賛準備中です。香港の勢いを思い出すな〜。誰がこんなの買うのかねという感想も同じ(笑)。屋内市場のほうはだいたい開店していて、肉・鮮魚・野菜・香辛料・酒・チーズ・パン・惣菜などひととおりのものがあります。イタリアというだけで美味しそうに思えるので、私にしてからがネイション偏見に毒されている気配はあります。上階は大きなフードコートになっていて、こちらはおおかた準備中でしたが、安くて美味しそうなものを飲み食いできそうな雰囲気でした。朝っぱらからカウンターでワイン飲んでいる女性の姿も。


 
 




そのあとサンタ・マリア・ノヴェッラ駅周辺を偵察しました。あす空港に向かう際には路面電車を利用することにしていて、その乗り場などを確認します。地下商店街があったものの規模はさほどではありません。駅周辺にトゥーリスティックな要素はあまりなく、日常感があってこれもいいですね。

きのう歩いたドゥオーモ西側のエリアをひと回りしたあと、アルノ川に架かるヴェッキオ橋Ponte Vecchio)に行ってみましょう。ドゥオーモと並ぶフィレンツェのランドマークで、両側に建物があって店舗が入っており、さらに上階にはエラい人のための回廊が渡されているという凝った?造りになっています。現在の橋は1345年のもの。プラハのカレル橋より半世紀も古いのか。足利尊氏・直義兄弟がもめはじめたころね! 外観は黄色が基調のカラフルなもので、思いのほか景観に調和しています。両側に商店があるので、真ん中の「すかし」の部分以外は普通に商店街を歩いているだけのように思えます。


中世後期の欧州各地には、このような建物・住居つきの橋が多くあって、渡り賃を徴収することもしばしばありました。またスラム化してしまうケースもあったようです。このヴェッキオ橋は、16世紀のイタリア戦争のあとトスカーナ大公の介入で宝石商の集まる商店街として再設定されましたので、いまも土産物店を兼ねたような宝飾店が並びます。いまもってルネサンスにもイタリア史にも詳しくない私ですが、最初にフィレンツェの様子を映像で見たのは高校生のとき、放映開始からまもない「世界・ふしぎ発見!」でした。当時は何十年もつづくとは制作側も思っていないでしょうから、マニアックなネタではなく歴史のど真ん中をやってくれていたんですよね。橋の上を謎の回廊が渡されているという絵は想像を超えたものだったのでびっくりした記憶があります。


 
ヴェッキオ橋の回廊は対岸に渡ってもなおつづく
ヴェッキオ宮殿からピッティ宮殿に直行するメディチ家の専用通路だった


ピッティ宮殿

 
情趣のある小径を歩く


橋を渡ってアルノ川の左岸に出ると、すぐに登り勾配がはじまります。そのあたりにも観光客向けのショップがずらり。数ブロック進んだところにピッティ宮殿Palazzo Pitti)が見えました。メディチ家と、その後の歴代トスカーナ大公が居住した宮殿です。いまは数種のミュージアムが入り、附属する広大なボーボリ庭園(Giardino di Boboli)とセットで入場できるようなので近づいてみたら、月に2日しかない休館日でした(最初と最後の月曜)。周囲の何人かはショックを受けていましたが、ぜひにと楽しみにしていたほどのことでもないので私は別にいいや。

対岸のフィレンツェ中心部を睥睨するような高みにあり、ハンガリーの首都においてブダの王宮から対岸の商業地区ペストを見渡したのと同種の、権力者の立ち位置なんでしょうね。トスカーナ大公の地位はメディチ家が世襲しましたが、18世紀半ばに断絶、ロレーヌ公(現在のフランス ナンシーを首都とした国の君主)フランツが継承しました。フランツはハプスブルク家の後継者となったマリア・テレジアと結婚したのですが、同家の巨大化を阻もうとしたフランスによってロレーヌ公国を放棄させられ、代替地としてトスカーナがあてがわれたのです。そのころは貿易のメイン・ルートが大西洋に移動していてイタリア諸都市の値打ちもかなり下がっていました。マリア・テレジアはハプスブルク帝国の実質的なトップになりますが神聖ローマ皇帝位を女性が継承することはできず、フランツ(1世)がその地位に就きます。その後は夫妻の子孫が、数度の空白はあったもののリソルジメント(イタリア統一)までトスカーナ大公としてこのピッティ宮殿のあるじとなりました。





この城門をくぐると急坂がはじまる

 
 
ミケランジェロ広場への階段

 


左岸のもう一つの見どころはミケランジェロ広場Plazzale Michelangelo)。より高い位置から右岸側を見晴らそうというわけです。ヴェッキオ橋のそばから右岸に沿って東に歩けばよいのですが、一筋陸側に石畳のいい感じの道があったので、そちらを進みました。のんびり7800mくらい歩いたところに、ミケランジェロ広場はこちらという表示がありました。城門をくぐるとそこから登り坂。やがて、お寺の参道のような石段になります。ステップの刻みは小さいが延々つづいていて、登るの大変そう! 江ノ島のエスカーみたいなものがあるわけではないので脚力を駆使するしかありません。途中で振り返ると、ドゥオーモの赤い屋根が青空に突き出しているのが見えます。よし、さらに高いところから展望しよう。目の前を登っていた60代くらいのご夫婦が息切れして立ち止まりました。「どうぞお先へ」 ――恐れ入ります。いやなかなかハード・ワークですよね。ほら、ドゥオーモが見えていい景色ですよ。「あら、本当。がんばらなくちゃね」 みたいなやり取りを経て、先行させてもらいました。


西側のバルディーニ庭園、ベルデヴェーレ要塞の方角を望む


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分ほどで登りきります。最後のほうは普通の階段になっていて勾配はさらに急。2日前はサン・ピエトロ大聖堂のドームに登ってだいぶ消耗しましたけれど、ナントカと煙と私はどうしても高いところをめざすようです。


ダヴィデ像のレプリカもあるミケランジェロ広場は、丘の上の、まあ普通の広場ですが、ここからの眺望はすばらしい。ここまで路線バスで来ることもでき、何台もの観光バスも停まっていましたが、暑い中を自力で登ってきたあとだと余計に景色がおいしく感じられますね! 広場の一段下に屋外展望カフェがあったので、スパークリング水を飲んで小休止。お手洗い(€1)も借りておきましょう。






グラッチェ橋から左岸側を見る


サンタ・クローチェ教会

 

 
ドゥオーモ東側のお買い物エリア

 ダンテの家

 


ドゥオーモ横にもさまざまなご商売が


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時前に「下山」して、ヴェッキオ橋の1つ上流側のグラッチェ橋(Ponte alle Grazie)を渡り右岸側に戻ります。アルノ川はけっこう川幅があるので、全体に余裕のある景観となっていて、のびやかでいいですね。2ブロックほど進んだところにサンタ・クローチェ教会Basilica Santa Croce)。これも14世紀の建造だそうで、フィレンツェの文化はおおむね室町時代ということだな。やはり白・赤・緑の大理石なのですが切妻の正面がドゥオーモとはかなり異なる趣を見せます。ここからヴェッキオ宮殿、そしてその北側のドゥオーモにかけてのエリアは、狭い道と密集した建物によって特徴づけられる典型的な旧市街で、トゥーリスティックなお買い物エリアになっています。欧州遠征で恒例にしている自分用のネクタイをどこかで買おうと思いましたが、紳士服店の隅にちょこっと飾られたような品はしょぼくて手に取る気も起こりません。と、さすがイタリア、ネクタイ専門店がありました。色・柄ともいいセンスなのに高くて€49くらいとお手ごろ。5年前にミラノで買ったやつも安くてハイセンスだったものなあ。いろいろ見てみて2本購入。合わせて€84でした。この界隈をしばらくぐるぐる歩いていたら、ダンテの家Casa di Dante)なる建物に偶然出くわします。あとで調べると、この場所で生まれたということであって当時の建物ではないとのこと。ダンテは14世紀前半に活躍したフィレンツェの詩人でルネサンスの先駆けとなった人物。世界史の教科書的には、長編叙事詩「神曲(La Divina Commedia)」をラテン語ではなくトスカーナ語で書いた、というのが画期的なことだと記されるのが定番。言語の世俗化、国語化というやつですね。いまの若い人だと「カミキョク」とか読んでしまいそう! 安っぽい「カミ」の用法には辟易しますが、ルネサンスのころに神の相対化が起きたわけなので、文脈としては間違っていないか?


サン・ロレンツォ教会


ドゥオーモにはきょうも長い行列ができていてなかなか入場できそうにないのであきらめ、その北側のエリアを少し散策。メディチ家礼拝堂が隣接するサン・ロレンツォ教会(Basilica di San Lorenzo)も渋くていい感じの建物です。


サン・マルコ修道院

同じところばかり通るのはアレなので、ファエンツァ通りの東側、中央市場の北のほうの道をテキトーに歩いてみたら、方向感覚が狂って、よくわからんところに来てしまいました。こういうときに教会関係がたくさんある町は地図との照合がやりやすくて困りません。サン・マルコ美術館(Museo di San Marco)という、修道院跡に入るミュージアムだったようです。登り坂のダメージなのか疲労を覚えたので、15時にもなっていないのですがいったんホテルに戻りましょう。幸いサン・マルコはホテルまでほぼ一本道の場所にありました。おや、予報どおりぽつぽつと雨が落ちてきました。ある公園にさしかかったところで土砂降りになり、たまらず折り傘を開きます。4週間前、ワシントンD.C.に午前中に着いて市内を歩き、暑さと時差疲れでやはり15時ころホテルに戻ったら、直後にスコールが襲ってきて間一髪ということがありました。このところ韓国と北キプロスの首都でも同じような目に遭っています。公園からホテルまで徒歩5分ほどだったので被害は最小限に収まり、ホテル・バーで€5.50の生ビールを飲んで落ち着こうね。


 




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時ころ再起動して、また駅周辺をうろうろします。通勤時間帯のようで多くの人が行き交っていました。あす3日はフィレンツェ・ペレトラ空港を1435分の便で発ち、フランクフルト乗り継ぎで東京・羽田に戻る行程ですので、市内見学は朝の散歩程度になるでしょう。だいたいの地区は見たので不足はありません。今夏は北米・欧州と2度の遠征だったためいつもより1日短い日程にしています。欧州の、ないしは欧米の最終夜ですので美味しいものを食べたいですね!

時間が早すぎるとピンとこないこともあるので、きょうは19時前後に夕食開始というつもりで出動しました。結局、最初に気に入ったファエンツァ通りがいいなということになり、こじゃれた小さなトラットリアに声をかけます。中でも外でもどうぞということだったので、石畳に貼り出したテラス席に落ち着きました。きょうも作法どおりにパスタ+肉料理。パスタはスパゲティ・ポモドーロ(Spaghetti pomodoro e basilico)。日本でもよく食べるメニューだけど本場のトマト味を食べたいじゃない。メインとしては牛豚鶏それにもちろんトリッパもありますが、牛サーロインをスライスしてローズマリー風味をつける、と英語の添え書きにあるTagiliata di manzo al ramerinoにしてみますか。こちらのほうはあまり予想がつかないが、がっつり肉を食べたいんですよね。ワインはまたしても1/4リットルの赤。スパゲティはすぐに出てきました。やっぱり順序をつけるのが作法ですよね。変哲もないトマト味ですが、ゆで加減が絶妙で非常に美味しい。血圧をやってしまって以来、塩分制限を日々課していますけれど、麺そのものが塩分ゼロのスパゲティはありがたい存在で、ポモドーロだとソースもトマトまかせで塩分控えめになるため重宝しています。が、本場は違いますね! つづいて運ばれたメインは、オリーブ・オイルのかかったステーキでした。これは希望どおりで大満足。今夏の欧米ツアーの欧のほうは、フランス→イタリアと料理の美味しいところをめぐっていて、食のほうでもいつになくトゥーリスティックになっています。ま、たまには。

テラスの隣席に少し遅れてやってきた60代くらいのご夫婦は、英語がほとんどできないらしくスマホの翻訳で店員さんとやり取りしますがうまくいきません。すると奥から若旦那が出てきて、流暢なフランス語で話しはじめました。なんだフランス人だったのか。簡単な通訳くらい私でもできそうだけど、料理とか食材なんかはわからないので出しゃばらなくてよかった。それにしても、いまどき食事レベルの英語くらいできないというのは、いくらシェンゲン圏内といっても大丈夫なのでしょうか。2人はフルボトル級のピッチャー赤ワインを頼んでごくごく。パン皿があるのにテーブルにパンをじか置きするあたりフランス式だなあ。20分くらい長考して、黒板メニューのラヴィオリとトリッパをとり、シェアするといっていました(フランス語ならわかります 笑)。若旦那が「よいチョイス。トリッパは美味しいですよ」と。反対側の席にはお母さんと小学生男子の親子がいて、英語以外の言語で話していますが、息子がある疑問を抱いたらしく、お母さんは店員に訊ねるよう促しています。息子くんはちゃんとした英語でレシートを示し「このcopertoって何ですか」と質問。マダムは明快な英語で「英語でいうとtable charge。この席に着いた場合には自動的に加算されるのよ。パンの代金も入っているの」と、嫌がらずにちゃんと説明していました。お母さんは知っていただろうに、疑問は自分で解決させるって、いい教育だなあ。コペルトは本来テーブルクロスをかけるというくらいの意味で、イタリア独自の商慣習ですが、今回の旅では初めて出会いました。私の勘定はスパゲティ€7、メイン€15、ワイン€4、エスプレッソ€2、それにコペルト€2で〆て€30ジャスト。非常に満足で、いつもより多めにチップを置いていくことにしましょう。



 
 
朝のフィレンツェ市街地

 

 
ファエンツァ通り


今回最終日の93日(火)、またも朝から晴れました。このごろはユビキタス化のせいで、出先にも仕事が追いかけてきます。タブレットに加えてノートPCまでもってきているので逃げられず、頼まれ原稿の校正と、自分が編者になって刊行する本の執筆などしていたら夜中までかかってしまいました。帰国便に乗る日は時差の関係でどのみち時間感覚がぐちゃぐちゃになりますので、いいことにします。早く目が覚めてしまったこともあり、荷物のパッキングをあらかた済ませて、8時前に散策に出ました。さすがに町の大半は稼働しておらず、けだるい雰囲気がただよっています。


もう何をすることもないので、リュックも地図も部屋に置いて、手ぶらで出てきました。きのう突然の雨にやられかけた公園をあらためてゆっくり見学、開店準備のその前という感じの中央市場を経て、ドゥオーモの前に出ました。フィレンツェって、勝手な先入観ですが、おらおら絢爛豪華な文化だぞルネサンスだぞという豪快さがカミシモを着てどーんと構えている(powered by メディチ家)というふうに思っていたんですよね。自分に繊細さやワビサビ志向があるかどうかは別にして、なんとなく好みではないような気がしていました。でも実際に来てみると、思いのほかカジュアルだし、庶民的な部分もたくさんあって、好感をもてる町でした。首都ローマから高速列車で1時間半にして、景観も雰囲気もずいぶん違うというのも現地であらためて気づいたことです。19世紀後半、リソルジメントをめざし半島北部を統一、ガリバルディが征服した南部も併合してイタリア王国を建国したヴィットリオ・エマヌエーレ2世は、最初このフィレンツェを首都にしました。歴史の勢いによってはここがいまも都だった可能性はあります。実際には9年後に教皇領を接収してローマに首都に移転させています。第二次大戦末期には、連合国に降伏した王国政府に対し、ムッソリーニを救出して対抗したナチス・ドイツによって町が破壊されそうになりますが、かろうじて生き延びることができました。情趣のある町並を見学することができて本当によかったです。


 
空港アクセスは路面電車!

 
フィレンツェ・ペレトラ空港

 


エア・ドロミティのE195機に乗って(フランクフルト経由で)
東京・羽田へ帰ろう


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時半ころチェックアウト。このときのレセプションは若い女性でしたが、やはりしゃべりがうまい。イタリア人の特長なんでしょうかね。ネイション偏見はもちろんあるが、だいぶ前にパリの空港で出発便を待っているとき、列の前後に並んでいたイタリア人の男と会話したら、快活かつ能弁に英語とフランス語でぺらぺらしゃべり、あげくにはそのへんにいた若い女性2人にも話しかけて(私も一緒に)カフェに誘い込むというナチュラルな?動作だったのはびっくり。「僕らイタリア人はスピーキング・ピープルだからね」と、自虐なのか自慢なのかわからんことをいっていました。わりと推している大阪出身のアイドルが「関西人だっておもんない(おもしろくない)人は結構いる」と主張していましたが、おとなしくシャイなイタリア人だってきっといるはずだと思うな。

フィレンツェ・ペレトラ空港Aeroporto di Firenze-Peretola 旧称アメリゴ・ヴェスプッチ空港)は、サンタ・マリア・ノヴェッラ駅からだと3kmあるかどうかという、きわめて市街地に近い場所にある空港です。ホテルの前から路面電車のT1系統に乗り、サンタ・マリア駅前でT2に乗り換えて終点まで約15分。路面電車がアクセスってすごいよね。運賃は€1.50。電車を降りるとすぐにターミナル・ビルですが、これがまた小規模でシンプルです。トスカーナのメイン空港は斜塔でおなじみの都市にあるピサ国際空港で、フィレンツェは国際的な観光都市のわりには控えめです。滑走路の有効長が短いので大型機が飛べないというのも、ぱっとしない要因になっているのでしょう。きょうは1435分発のエア・ドロミティ(Air Dolomiti 北部イタリアをカバーするルフトハンザの子会社)でアルプスを越えてフランクフルトに飛び、そこで4時間ほど待って、ANA羽田便に乗り継ぎます。ま、乗り継ぎを含む移動としては理想的なパターンといえるでしょう(フランクフルトでビールをがぶ飲みするのが目に見えている)。

小規模空港のうえに旅客数もさほどではないので、流れはいたってスムーズ。チェックインを早々に済ませて保安検査場を通り抜けました。出発便の表示を見てみると、私の搭乗便の前後は、ロンドン・ガトウィック、ウィーン、パリ・シャルル・ド・ゴール、ロンドン・シティ、ローマ・フィウミチーノ、ミュンヘン、アムステルダムとつづいていて、欧州の一流どころ?への直行便が続々。それだけ流動とかニーズがあるということではありますね。日本国内で最も便利な立地とされる福岡空港よりも、もしかしたら市街地に近接しているくらいの空港ですので、離陸した直後にドゥオーモなどさっき歩いたばかりの町並を眺めることができ、最後までいい気分でした。多くの人がいうとおり、イタリア楽しいですよ。フォトジェニックだし見どころもたくさん。これまでのサイクルからして、次の訪問は5年後くらいかな?

 

 

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