古賀毅の講義サポート 2022-2023

Études sur la société contemporaine

現代社会論


千葉工業大学工学部機械電子創造工学科、応用化学科、社会システム科学部金融・リスク科学科 各1年 (学部指定科目)
前期 火曜12限(9:00-11:00)  新習志野キャンパス 8号館 8209教室  

 

 

 

 

 

講義サポート トップ


2022
56月の授業予定
5
24日 第一次産業:食料生産の現代化をめざして
5
31日 高度情報化:新たな産業文化の形成?
6
7日 産業と地域格差:工業地域・都市圏の明暗
6
14日 交通・輸送の今日的変容(1):モータリゼーションの進展
6
21日 交通・輸送の今日的変容(2):エアラインと高速鉄道
6
28日 新たなヒューマン・ビジネス


 


次回は・・・
7-
高度情報化:新たな産業文化の形成?

みなさんは小・中学校で社会科の教育を受けてきたことと思います。その社会科を指導する側、教師目線での話なのですが、社会という対象は大きくて広くて果てしない、しかも可視的でない(抽象的である)という点で、小学生や中学生には捉えにくいため、とっかかりとして「身近なもの」を取り上げましょう、ということになっています。身の回りのこと、直接手に取れるようなものからはじめて、徐々に視野を広げていくという手順で教えていくことになっています(100年くらい前にアメリカで開発された教育手法です)。みなさんが学んできた社会科もきっとそうだったはずです。さあ、ではその「身近なこと」というのは、たとえばどういうことでしょうか。何十年ものあいだ「鉄板」だったのが「お店屋さん」です。社会科や、低学年の生活科の学習として「お店屋さんごっこ」を経験した人もいるのでは? 子どもはお小遣いを手に、消費者、顧客としてお店屋さんを訪れ、そこで望みの品物を手にするのですが、もう少し引いて見てみると、お店屋さんで働いている人がいますし、そこに品物を卸している業者もいますし、電気や水道もセットされています。お店をハブにして、いろいろな方面へと話がつながっていき、それぞれの人や業者がまたそれぞれのつながりをもって・・・ というふうに「社会」を可視化していくのです。

しかし、このごろそのとっかかりが難しくなっているといわれています。そう、インターネットスマートフォンの普及、一般化が原因です。大学1年生の世代にとっては、スマホは初めから「買い物ツール」だったでしょうか?(日本でのスマホの普及は2010年代) ガラケー時代を知る世代にとって、ケータイはあくまで「電話」であり「メーラー」であって、他者とコミュニケーションをとるための手段でしたが、スマホしか知らない世代からしますと、買い物イコール通販というふうに考えるのも無理はありません。それはそうでしょう、以前であれば「近所のお店に行って、お醤油を1本買ってきてくれる?」とお金を渡され、子どもがお使いに出されるのは当たり前だったのですが、もろもろのリスクとか、子どもに「うちの親まぢうぜえ。お使いとか超ありえないんだけど」などと思われるのもシャクだなどと考えれば、たかだかお醤油1本でもポチッとやってしまいそうですよね。小学生のほうも、実店舗での買い物という行為自体がすでに相対化されています。それが「身近」とは、いいがたくなっているのでしょう。大学1年生のみなさんはどうでしょうか。インターネットとスマートフォンは何より身近で、親しみや関心のある対象だろうと思います。でも、あえていえば、大半は「使いこなしている」つもりで「使わされている」受身のユーザーだったりします。オンライン・ショッピングのしくみとか、スマホ決済の理屈がどうなっているということには関心が向かず、結果的に支払えるんだから考えなくても別にいいよね、というふうに、対象をスルーしてしまっていませんか? 産業という当科目の主題に即して、インターネットやスマートフォンを考えてみるとき、それ自体が商品product)であるという面と、それを介して別のいろいろな産業がつながったり動いたりするという媒体medium / media)としての側面の、両方が見えてきます。スマホという機器も、そこでやり取りされる情報(実は01の集合体である「電子情報」)も、いまや手段ではなく目的になっています。おわかりでしょうか、三種の神器ではなく3Cの延長線上に見える、例の理屈で消費される対象なのです。だから高付加価値だし、成長産業であるのですね。

小学校社会科の話でわかるように、誰もがユーザーとして便利さや快適さの受益者になっているわりには、それを対象として捉えるということが苦手な人があまりに多いというのが情報産業です。現代社会論の受講生には、自分の生活をトレースしましょうということよりも、社会人としてちゃんと活動していく(露骨にいえば「儲かるようにがんばる」)という方向で、今現在の社会動態を捉えることを求めているつもりなのですが、だとすればやはりユーザー目線をいったんわきにおいて、何がどのように機能して産業が動いているのかという点を俯瞰するべきでしょう。インターネットには、A それ以前からある何かを代替しているという面と、B インターネットによって新たに創出された面とがあって、みなさんの予想よりはるかにAの部分が大きいのです。何を代替しているのかという想像が、創造のもとになります。産業についての学びを折り返すにあたって、いま最もホットな産業分野を多方面から考察することにしましょう。

 

REVIEW 5/24
*文意を変えない範囲で表現・用字法を改めることがあります。また掲載の省略や複数レビューの統合もあります。

実家が兼業農家ということもあり、米に関してはわりに身近だ。今回の授業を通して、もし専業農家だったら昔はもっと大変だったのだろうと思った。実家も、誰が生産するのかということや、農機具の老朽化など将来的な問題があるので、気にしながら生活しようと思う。ただ米には困ったことがなく、農家であることのメリットもあると思う。

たしかに農業関連は興味を惹きにくいものではあるかもしれませんが、日常生活に準拠した内容だったので、とてもためになるおもしろい授業でした。

いま農業を仕事にしている人は少ない。あらためて米やパンや野菜を不自由なく食べられることに感謝したいと思いました。いままで食自給率だと思っていたのですが、食糧が穀物・主食を指しているということも今回知ることができてよかったです。また食事を値段の安さで決めてしまうことがよくあるので、そこについてもよく考えていきたいです。
ショクリョウ自給率は食糧だと思っていた。どちらも食べ物だが食糧は生命維持に直結するものだということを初めて知った。フィリピンが日本よりも3倍くらいのお米を食べているなんてびっくりした。私はパンより米派なので、毎日食べたい。

私はお米が比較的好きなほうなので、米をつくる量が減るなどのことがあると、お米好きの一定数の人は困ると思う。

第一次産業の大切さに気づいた。現在の農家の平均年齢は約67歳で若者が少ないということがわかった。(類例複数)

たしかに農業をしている人が少ないことは知っていたが、1割しかいないとは・・・。普通に生活していて農業をやろうなんて考えたことがなかった。最近無人のトラックなどもできているし、機械化をもっと進めることができれば、農業の世界はよくなると思う。

どんどん国民が豊かになるにつれて、なくてもよいものをより求めるようになり、結果的に本当に必要な食糧は儲からずに、ブランド品の農作物のほうが儲かるようになっていることがわかった。

第一次産業である農業や水産業などがなくなってしまうと第二次・第三次産業が成り立たなくなる。第一次産業があってこそだと思うので、もっと尊重していくべきだと思いました。若い世代も増やしていく必要があります。

経済成長によって第一次産業である農業が衰退していったが、米以外の主食が増えたため米が余り、農業はさらに儲からなくなった。このことから、差が生まれにくい社会にしていくことが必要だと思った。

 
中国と地続きながら長く英国の統治を受けていた香港は、食文化が明らかに中国本土とは違う
(左)レストランの写真つきメニュー 公司三文治というのは「クラブ・サンドイッチ」で、漢字表記は意訳+音訳である
(右)町の食堂のメニュー 「一丁」とあるメニューはすべてラーメンを加工したもので、なんと日清食品の「出前一丁」のことである!

 

食糧維持のための政策があったことを知りました。1942年から1995年まででしたが、最近までこの制度があったことに驚きました。また1970年代の「カレーの日」の背景に日米経済摩擦があったことにも驚きました。

日本の農業の現状はある程度知っていたが、その根底にある問題や原因の一つになっている食糧管理制度についてはあまり知らなかったので、知ることができてよかったと思う。
30年前まで社会主義のような制度がつづいていたというのが驚きだった。もっと早くやめていたら第一次産業は発展していたのではないかと思う。
27年前まで、政府からお米を買っていたなんて知らなかったので驚いた。194295年のあいだに、米がなくなったり余ったりなど、日本政府は大変そうだと思った。

敗戦後に農地が分割され、現在でもその分割された土地の影響によって農業に手を出しづらくなっていることがわかった。

食管制度の話を聞いたとき、終戦直後の段階でGHQがなぜ対策を打たなかったのかと思ったのだが、戦時中の事情や不作などの時代背景を聞いて、対策できなかったのだと思った。

米のように国内で十分に生産されているものを食べれば国内で食料を自給できるが、人々が豊かになりおいしさを求めるようになると、外国からの輸入に頼り、自給しにくくなってきたことがわかった。

実家の近くにお米屋さんがあったけれどお店が開いているのをあまり見たことがない。家でお米をつくっていたので、スーパーなどでお米を買ったことがなく、お米の売り場なども見たことがありませんでした。田植えをする時期になりました。高齢化が進んでいるので、地域のおとなが協力してお米を育てています。

祖父母の家の近くにある米屋でおにぎりを売っていたことを思い出した。生米の販売だけでなく工夫しているのだと思った。
地元は農業が盛んな地域だが米屋を見たことがなかったので、少し驚いた。
・・・> おにぎりくらい売らせてあげてください(笑)。額からするとわずかな、ささやかなものです。食管制度時代の米穀店、いわゆるお米屋さんですが、食管制度がなくなったあとは普通の競争にさらされました。したがって、そもそも商業が成り立ちにくい農村部のほうが早く消滅する運命にありました。稲作地帯ですと、自分たちでつくったお米が域内で販売されることになるので、もはやお米屋さんは不要かと。

初期の学校給食はパン+脱脂粉乳だったのを知った。
学校給食の主食がパンだった時期があったことに驚いた。食糧難だった時期についても学び、いまごはんを食べられていることが当たり前ではないということをあらためて感じました。

食糧管理制度は生産者がつくった米を政府が買い取り、売っている。米文化を絶やさないため、税金を使って高く買って安く売っている。赤字がつづいている。
・・・> 後半は聞いても意味がわからなかったか、寝ちゃったか? 現在形で書いていますが、そんなはずないでしょ。これは1995年に終わったしくみの説明。社会科が不得意だとしても現在の常識くらいは知っておきましょうね。

米などの農業の過去を振り返ると、食糧管理制度により、その年にとれるお米の量によって収入が安定しないなどの苦しい時期もあったのかと思った。
・・・> 「食糧管理制度により」というところが微妙。その年の作柄によって収入が安定しないのは、食糧管理制度どころか江戸時代からずっと同じです。

かつて自民党の地盤が農業にあったことを知りませんでした。
農家のためにやっていた食糧管理制度が農業を苦しめる結果になってしまうなんて、なんとも残念な結果だなと思いました。

 
日本を含む東アジアはもちろん米が主食 (左)韓国 ソウル 牛骨のスープに白飯を投入して、クッパップにして食べる(キムチは食べ放題)
(右)中国 深圳 アヒル肉をローストにしたものを白飯にまぶして食べる

 

日本は食料自給率が低いと聞いていたので、いつ食料不足になってもおかしくないなと思っていましたが、米など生命を維持するための「食糧」は自国で生産できていると知り驚きました。父が「昔は給食で米なんか出なかったぞ」といっていたのですが、食糧管理制度や人口増加などさまざまな問題により米を供給できなかったという背景を知り、納得しました。

学校給食も政策の影響を受けていて、事柄のイメージの解像度が高まった。

通っていた学校の給食は、パンが週1回で残りの4日はごはんが出ていたため、昔はパンが多かったことを聞いて驚いた。

米の不作によりその消費を抑えるためにパンを主食とする給食が開始されたことや、逆に米が余っているときにはアメリカから輸入した野菜を消費するのを兼ねてカレーの日が設けられたことなど、興味をもった。

日本の米の食料自給率は年々下がってきている。理由として、経済成長により米以外のものを食べるようになったからである。一つの案として、若い人(主に1020代の女性)は甘いものが好きなので、タピオカやバナナジュースにつぐ、米を使った新しいスイーツをつくり出し、それが流行して定番化すれば、自給率は上がると思う。
・・・> 「米の食料自給率」といっている時点で、捉え違いをしています。食料自給率というのはあらゆるフードの全体のことをいっています。また、米の自給率は下がっていません。一時期は余るほどに足りています。今回の肝心のところを外してしまっているので、スイーツうんぬんのせっかくのアイデアが浮いてしまいました。

いまはなんでも好きなものを好きなときに食べられるので、とても恵まれた環境にいるのだなとあらためて思った。私はラーメンが大好きで、週5でも食べたいくらいですが、将来生活習慣病になりそうなので控えめにしなければと思った。この前、日経新聞に、物価上昇をラーメンの具を例に説明してあって、興味深かった。値上げされても私はラーメンを食べるが・・・。
・・・> おお、それはすごい。ちなみに成人女性の1日の食塩摂取量の標準モデルは7グラム。ラーメンのスープをすべて飲んだとすると、だいたい同じくらいです。

フランスの法律はおもしろいと思ったが、パンが主食だと考えられていないのには驚いた。
ヨーロッパの食に関する話はとてもおもしろかった。フランスに興味があるので、行った際にはレストランでバゲットを食べたいと思いました。先生はいままで何ヵ国くらい行ったことがありますか?
・・・> 40とか、そんなところですね。学生の貧乏旅行なら、毎食レストランというわけにもいかないだろうから(パリは高いし)、そのときは町に1つはあるパン屋さんでバゲットを買うといいですよ。1本だいたい€0.800.90くらい。おいしいのでばくばく食べられます。クロワッサンももちろんおいしいのだけど、1個の価格がバゲット1本より高い!

 
フランスではレストランであれカフェであれ、料理を何か1つ注文するとパン(輪切りにしたバゲット)が無料で添えられ、食べ放題
(左)いかにもフランスっぽいメニュー、ラム・チョップ(骨つき仔羊肉)のグリル テーブルワインと、無料の水が見える
(右)生クリーム系のソースを用いた料理(写真は白身魚のポワレ)にはバターライスを添えるが、これは野菜扱いで、別途バゲットがつく

 

まさかそこまで米が余っているとは・・・。だからマックでもライスバーガーなどの米を使った商品に切り替えられたりしているのか? 食糧管理制度などを採ってももう無理なのだから、根本を変えないと農業人口は増えていかないと思う。ただ、六次産業化というのは今でいうところのマザー牧場のようなモデルだと思うのだが、それをすれば第一次産業の人口を増やすという問題が解決できるのだろうか?
・・・> 農村・農業が単体であるうちはだめでしょうね。都市部の第三次産業とネットワーク化できるかどうか、ではないでしょうか。

日本の農業が限界に近いのはよくわかった。だが、日本でとれた作物よりも、より安い海外産のものを買おうと思ってしまうので、まず消費者の考え方を変えるべきだと思った。

昨年の日本向け北米産小麦が値上がりし、またウクライナ侵攻に伴うロシアへの経済制裁として塩化カリウムの輸入制限がある。この塩化カリウムは世界の35%を占めており価格も上昇中。米の生産にも使われている。もしかして現在は、食料危機ではなく食危機に向かっているのではないかと思う。

第一次産業の高齢化が進んでいるということに驚きました。米農家は昔も今もとても大変で、なかなか政策も進まなかったこともわかりました。
地元が田舎なのでよくわかりますが、最近では第一次産業の農業や水産業で働くという人は周りに誰ひとりいない。近年では第三次産業のIT化が進んでいるためだと思われる。これからの時代は農業が減少することから、主食である米もなくなるのではないかと思った。

農業政策といえば集団化したり密集させて植えたりというのを思い浮かべますが、技術で改善できることも多そうです。高層ビルのように垂直に農地を広げられたらおもしろそうです。
すべて自動化してしまったほうが生産力が増加するのだろうか。
米の需要は高く、これからもどんどん需要が高くなる中で、生産者が減っているので、機械などを使って自動で生産できるようになれば便利だと感じた。
・・・> 自動で生産とかいう発想が工業大学的でいいですね。ま、実際にインターンとかで農業体験してみるといいですよ。そう甘くないということがわかりますし、商売のヒントも得られます。

第一次産業に技術で貢献したいと思いました。
米のことだけで日本の歴史が大きく変化するのでおもしろいと思った。技術をうまく使いこなせる人材になりたいと思った。

何も考えていなかったけど現実が思っているより厳しいのかもな、と思った。

食料生産も過剰摂取も、ほとんどの人間がいまのままではいけないと思っているが、前者はいまの生活を捨てたくないからやらない、後者は制限して長生きしたところで人生楽しくない、と考える人も多いので、解決は難しいだろうなと思った。

農業に関して、私たちのような若い世代が解決しなければならない問題は多くあるのだと思った。とくに農家の高齢化は、経済の問題として最も気にしなければならないと思う。その他のことでも、食料に関して若者が考えていくべきことは多い。

私たちが品質のよい、新鮮な食材を手に入れることができているのは第一次産業が成り立っているからだと実感できた。すべての産業について理解したうえで、第一次・第二次・第三次産業の全部が必要で、欠けてはいけないものだと思った。たとえば私は第一次産業がいちばん重要だと思って、第一次産業の規模を大きくすればよいのだと思っていたけれど、第二次・第三次産業も重要であり、なくてはならない産業だと気づいた。農業は高齢化が進んでいるし、後継者の問題もあって大変そうだ。体力を使う仕事で、私のように「大変そう」というイメージをもつ若い人が多いだろうから、就職しようという人はいないのでは。

 



開講にあたって

中学校や高等学校の社会科(正確にいえば高校では地理歴史科と公民科)は好きでしたか? ――これまでの経験で、千葉工大の学生の78割が好きではない、苦手だと答えることがわかっています。音楽の授業は好きでしたか?と聞いて、音楽を聴いたり歌ったりするのは好きだが学校の音楽の授業はちょっと、という人も多いことでしょう。本当は社会の学習もそれに似て、社会科なんてつまらなくても、点数が低くても、実際の社会を見て考えるのがおもしろい、ということであれば問題はありません。ところが社会科の授業が嫌いなせいで「社会」そのものへの関心を薄めてしまう人がけっこう多いのは残念です。本当は興味があるし(そこでずっと生きていくわけだから)、いろいろと知りたいが、どう考えてよいものかとっかかりがない、という人も少なくないはずです。ほかならぬ社会科の学習が、社会と向き合うことから青少年を遠ざけてしまっているのならば、非常にもったいないし、残念なことといわなくてはなりません。

当科目は、現代社会論の科目名のとおり、現代社会contemporary society)を直接の対象として学ぶものです。そして当クラスを担当する教員(古賀)は、長く高等学校の公民科(現代社会、倫理、政治・経済)の指導にかかわってきたベテランの「社会の先生」です。ですから基本的には中学校や高等学校の社会の学びの延長で捉えていただいてかまいません。ただ、もう学習指導要領も検定教科書もありませんし、共通テスト(旧センター試験)もないわけだから、学ぶ素材が国会や法律や資本主義や貿易のことである必要はない。現代社会といえばこの世のあらゆるものを含んでいるので、マンガでもアニメでもコスプレでもカラオケでもオンラインゲームでもラーメン屋であっても学びの素材になりえます。現代社会とどのように向き合い、切り込んでいくかという事例を示せればよいのです。

2022年度の現代社会論では、産業industry)を直接の対象とし、それを固定的に捉えるのではなく、動態的に、常に変化しつづけるものとして認識し、主体的に考察することをめざします。産業と聞くとどうしてもカタい印象を受けますが、受講生の全員が、いまから数年内になんらかの産業分野にかかわって、ひとりの社会人として生きていくことになります。誰にとっても「自身の問題」ということができます。いずれの産業分野でも、そしてどんな企業でも、それ単体で成り立っているということはありません。たとえば「私は食品産業に就職するのでその部門のことだけ知っておけばいいですね」という発想がナンセンスであることはいうまでもないはずです。当クラスの受講生には純粋な理系の人が多くて、よい製品(商品)をつくるということに全力を傾けることになる人も多いと思いますが、売る相手のことを考えずに「私がつくったすばらしい商品だから買いなさい」といっても無理で、そこは相手の立場(考え方やニーズ)も十分に知っておかなくてはならないわけです。売る相手は「文系」「社会」だと考えておくくらいでちょうどいいかもしれません。いまあらためて大学生として現代社会、そして産業を学ぶ意味はそのあたりにあります。

いうまでもありませんが、授業内で取り上げる情報が最新のものだったとしても、それは2022年現在のことであり、みなさんがリアルな社会人になったころには情勢は変わっているかもしれません。というか、絶えず変わりつづけると思ったほうがよい。個別の知識を「覚える」ことが無意味であるというひとつの理由でもあります。社会科は暗記だから嫌いだという人が多いのだけれども、社会科は間違っても暗記なんかではありません。お願いですから暗記しないでください。当科目では対象を「思考する」、そこにのみ注力します。したがって、授業をまともに聴かないままネットで何かちょこちょこ調べてレポートを書いても成績はつきませんのでご注意ください。


<評価>
中間および期末の課題(レポート)の成果により評定します。
出席点はいっさいありません。したがって「授業に参加するつもりはないが、とりあえずそこ(教室)にいる」必要はまったくありません。


 


講義サポート トップ