古賀毅の講義サポート 2025-2026
Études sur la société contemporaine 現代社会論
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2025年7月の授業予定
7月1日 新たなヒューマン・ビジネス
7月8日 産業・労働のグローバル化
7月15日 変わりゆく産業社会とキャリア形成
大学生が産業というテーマを学ぶことの意義、そしておもしろさは、自分が遠からずいずれかの産業で働くことになる、という想定がセットになることです。いかがでしょうか、まだ大学1年生ですが、高校生だったときよりもかなりリアルにいろいろなことを考えられるようになっているのではないでしょうか。第二次大戦の終結(日本の敗戦)から今夏で満80年です。この80年のあいだに、産業社会はずいぶん変わってきました(私自身が実際に見ているのはその半分くらい)。80年前は日本人の7割近くが農業関係に従事していました。高度経済成長を経て第二次・第三次産業に主力が移り、第二次の中でも軽工業から重化学工業、そして知識集約型産業へと主軸が移動しています。その推移を見てくると、いまこの瞬間に華やかで盛り上がっている産業部門も、一世代も経たないうちに没落したり、変容を強いられたりするということがわかります。といって、この先の推移を見通していくのも難しいですね。おそらく、いまの大学生がこれから身につけていくべきなのは、(1)産業や社会が変わってもその変化を適切に捉えて、ついていけるような知識とスキルと姿勢 (2)産業や社会の変化そのものを引っ張っていくセンスや馬力 の両方です。そこに向けた準備や学習をどうしていこうかというのが、最終回の主題です。 戦後80年の変化はいろいろな分野にわたります。その一つが就学期間の延伸(高学歴化)です。大学というのはごく一部の限られた人たちだけが高度な学問に触れることのできる場でした。高度成長と並行して大学進学率が上昇し、いまは半分を超えて6割に近づきつつあります(なお「日本は高学歴」というのは昔日のことで、いまやアジアでも大学進学率の停滞っぷりが目立ちます)。以前の感覚だと、大学卒=ホワイトカラーでしたので、そんなにみんな大学に行ってしまって、現場を支える労働力は足りるのだろうか?と心配するかもしれません。でも、社会の構造自体が変わっていますので、むしろ大学レベルの学びが多くの人に共有されなくてはならなくなってきました。世の中が高度化しているので、私たち人間のアタマも高度になっていかなければならないからです。 さて難しいのは、これだけ変化がつづくわけですので、いま学んでいることがたちまち陳腐化し、役立たなくなるのではないかという心配がどうしてもあることです。千葉工大だけでなくたいていの大学で、「うちでは最先端の学問を学び、社会で必要とされる能力を養うことができます」とPRします。それは確かなのだろうけれど、その「学問」の賞味期間はどのくらいなのだろう? 「いまの最先端」といえばいうほど、すぐに時代遅れのものになってしまうのではないかと思ってしまいます。また、当科目での考察はいつでもシビアなので、「日本はこれから大丈夫だろうか」と懸念しておられる人もあることでしょう。自分ひとりでなく「日本社会」という心配なのだとすれば、学習というより教育の問題になっていきます。私たちの社会はこれまでどのような教育を求めてきて、いまどの方向に進めようとしているのか。「軍隊は前の戦争を準備する」というイヤな格言があります。ひとつ前の戦争の成功体験にしがみついて、過去の戦術を最良だと考えてしまうという趣旨です。教育の専門家である私にはかなりつらい言葉になってしまうけれども、学校教育もまた、前の社会(の人材)を準備しようとしていないだろうか。諸外国の教育情勢なども参照しつつ、これからの教育と学習、それらを通したキャリア形成について考えてみてください。 REVIEW (7/1) 7月8日のレビューは遅れて更新します。しばらくお待ちください。 ●AIが発展・普及してくるといろいろな職業がなくなるのと同時に、見方を変えて人材を育成すると、また新しいビジネスができるのだと学びました。こうやって時代は流れていくんだと感じました。 ●いままで衣・食・住はほぼ親にまかせていて全然意識してこなかったので、もっと関心をもつようにしようと思いました ●コロナ禍でのオンラインの発達の具合は非常に早かった。オンライン化の急速な進展と第三次産業の発達(Zoomなど)には相関があると思った。 ●コロナ禍を経てオンライン化が進むなど、社会の状況がビジネスにも影響することがわかった。社会がオンライン化、自動化することで、不安やストレス、身体的な問題が出てくるので、単に皆生期差を追求するだけでなく、昔ながらのコミュニティなどが現代社会においては大切な存在であると思った。昔ながらのコミュニティが苦手な若者は、会話相手としてAIを利用しているのではと思った。 ●社会変化によってストレスが増えたと思う。SNSの利用増加によって、他者との外見の比較がより広い範囲でなされるようになり、ルッキズムが加速していると感じる。 ●摂食障害の話を聞いて、高校時代に彼女にふられて摂食障害になったことを思い出した。マズローの欲求段階説というのがあるが、産業の高次化と人間のメンタル面の変化には強いかかわりがあると思う。
●AIやICTの進化が、ヒューマン・エラーの減少だけでなく私たちの仕事や生活にどう影響するのか、深く考えるきっかけになりました。 ●外部化が進むことで家庭内の負担が減少する一方で、外部の人間に委託するためトラブルも増加してしまうと思った。 ●オンライン化やインドア化で、人とのつながりがかなり軽薄になってきているが、人とのつながりが密だった昭和の時代が少しうらやましいと感じた。 ●なんでもかんでもオンライン化、機械化しているが、「愛」を感じない。オンライン葬式なんてやる意味あるのか? 形式だけならいらないと思う。人間らしさを残しながらの進歩は難しいなあ。 ●冠婚葬祭もオンライン化しているというのは驚いた。どのような形式でやっているのだろうかと疑問をもった。 ●チェーン店の自動化と同様に、給食も、もしかしたら料理を覚えさせることによって自動化できるのではないかと思った。 ●調理や各種の仕事をAIやロボットに代替するという話がありましたが、すでにいくつかのものは非常に高い水準にいます。しかしこれらについては人件費が安すぎるという問題があります。そのため人間が能力として優れているよりかは、技術に代替させるメリットがコストを上回らないというのが現状だと思います。無人店舗なども、この問題が表面化しはじめましたね。そのため、より人とのかかわりは希薄になるのではないでしょうか。 ●いまある職業に就くことを考えるよりも、新たな職を考えて自らはじめるほうが、意外とうまくいくのかもしれない。 ●ブラックボックス化の話の中でも、スマホ等を使ううえで内部のしくみは知らなくてもよいという話が、とても共感できました。 ●第一次産業の時代→第二次産業の時代→ポスト工業化の時代と進んでいくごとに、人との距離のあり方が変わってきていることがわかった。 ●コロナや災害、戦争といった世界規模の事象は、人々の生活などが変わるきっかけであると考える。次に変わっていくのならどんな生活だと思いますか?
●社会における人の生き方が変わっていく。無機質な都市部、限界の農村部、外国人だらけのコミュニティで無法地帯と化した都市部郊外。人らしい縁を大切にしていた日本は、どこへやら? 農村部が限界化すれば、もう放棄するしかないのか? 限界化した土地の価値は? 再整備するほどの採算性はあるか?? ●人が集中するところでは利便性を高めるためにICT等の科学技術が取り入れられていくが、地方ではそこまでの環境を整えることが難しい。仮に整えられたとしても都市部に比べれば利用者が限定されるので、それが結果的に建物の空白などが目立つ要因になるのではないかと思う。 ●コロナ禍で、ネット上での交流が普通のものとなったことで、少子化という面ではどのような影響があったのか気になった。人口流出によって割を食っている農村部の救済方法を考える必要があると思った。 ●家を買うときは、自分が高齢になったときのことを考える必要があると思った。また家庭用エレベータのようなものを置けるような配置にしなければいけないと思った。 ●ラーメンが好きなのですが、醤油ラーメン1杯に含まれる塩分が7gということに驚いた。摂食障害にならないようにしっかりとした食生活を送ろうと思った。 ●マンションの管理組合に業者の人間が紛れ込んだ話がありました。私の地元でも似た話があります。それでも40年前からやっていけています。狭いコミュニティなのに、なぜ昔からいい加減な仕事をして、信頼もないのにつづけられるのでしょうか。 この現代社会論は、学部指定科目群1に属し、「人間・社会の理解」にかかわる分野として設定されています。現代社会というのは「世の中すべて」のように広い範囲を指しますので、なかなか捉えどころが難しいのですが、当クラスは産業(industry)に注目して、社会の成り立ちや近年の変化、そして近未来の可能性や課題などを考察していきます。みなさんは小・中・高の社会科や公民科で、第○次産業といった話を何度も扱ってきたことでしょう。また地理の授業では「この地域の産業の特色は」といった切り口で学ぶことがしばしばあります。大学の教養科目では、もう「試験のためにおぼえる」などという(ほとんど無意味な)ことはありませんので、授業で扱われている内容を常に自身に引きつけて、「自分たちの問題」なのだという視点で考えましょう。最もわかりやすい話としては、「数年後、大学を卒業してどこかに就職する」人が大半であるはずで、その「どこか」の話だということです。冷静に考えればわかるように、世の中は常に動いていて停まることがありません。「いま」の様態がずっとつづくはずがない。ですから「いま、いちばんイケてる産業はどこですか? 僕そこに就職します」という発想は、10年後、20年後になると話の前提自体が変わっていて、当人が損するということになるわけです。私(古賀)は、長年にわたって高校・大学で社会系の授業をもっていますが、そこで学んでいる「社会」が、自身の立っている足場であり、これから生きていく舞台なのだという感覚をもたないままでいる生徒・学生がずいぶん多いな、もったいないなと思うことがあります。せっかく学ぶのであれば、「社会の有意義な見方」を身につけたいですよね。 科目名についている「現代(の)」は、英語ではcontemporaryです。接頭辞のcon- は「共に」という意味であり、tempoは時間を意味するラテン語由来の語です。つまりは「同時代の」「時間を同じくする」という形容詞が、社会にかかっていることになります。同時代の、というのは、どの範囲なのでしょうか。20歳になるかならないかのみなさんにとって、それは「ここ数年」なのでしょう。スマートフォンが日本で普及したのが2011年ころからなのですが、それ以前の社会は「相当に古い時代」に思えるのではないでしょうか。しかし、当科目で捉えようとする「同時代の(現代の)社会」は、だいたい50〜80年くらい、テーマによっては100年くらいにもなります。これから何十年か先を見通すには、それくらいの幅をもって、社会を捉える必要があります。受講生の中には、進みたい産業分野がすでに固まっているという人もあるだろうし、まるで見当がつかないという人もあることでしょう。いずれにしても、「この分野には興味がないから、今回はパス」などと安易に考えずに、いったん自分の頭で考えて、問題をかみしめるようにしてみましょう。どんな分野に進むにしても、商売する相手は別の分野の人ですし、市場のニーズを知ろうとするなら狭い範囲に閉じこもっていてはどうにもなりません。商品開発に携わろうとすればなおさらです。たとえば、農業(第一次産業)のことは視野の外だという人が多いことでしょう。でも、農業で用いられる機械は製造業のうち機械工業(第二次産業)でつくられるものですし、農作物が流通するしくみはサービス業(第三次産業)に属します。どの分野でもそれ単体で成り立つということはありません。これから先の時代は、さらにそうした相互関係が重要になります。 <評価> |