古賀毅の講義サポート 2024-2025
Études sur la société contemporaine 現代社会論
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2023年5月の授業予定
5月7日 第二次産業(2):高付加価値化への道
5月14日 第三次産業:商品としてのサービス
5月21日 第一次産業:食料生産の現代化をめざして
5月28日 高度情報化:新たな産業文化の形成?
工業(第二次産業)というのはきわめて重要な分野です。ただ、一口に工業といっても、かなり幅があります。手づくりそのものというような工業もあれば、目に見えないミクロなものをつくるものもあり、宇宙から見えるんじゃないかというほどの人工物を造るようなものも含みます。前回取り上げた繊維工業は、規模のわりにシンプルで話が見えやすいですし、何より私たちが日々お世話になっているものですので、対象としてよくわかったのではないでしょうか。それが、鉄鋼業や機械工業になると何がどうなっているのか予想しづらくなります。当クラスの半分くらいの方がかかわるであろう化学系の分野だと、できあがる製品と原材料や製造工程とのあいだに(素人には)つながりを見出しがたいものがあります。機械のほうも、いまや電子工学とセットにするのが当たり前になってきて、つくり手になるにはかなり高度な知識や能力が必要となり、一方でユーザー側はその機構や原理をほとんどわからなくても、操作(オペレーション)さえできればOK、というような、おかしなことになっていますよね。 産業の高次化のところで、工業内部においても高次化が発生することの例として、重厚長大産業から軽薄短小産業への移行を挙げました。わかりやすいところでいえばスマートフォンがそうです。あの小さな箱が、新品だと何万円、十何万円ということになるわけだから、もう付加価値まみれ?というしかありません。電子の技術が生活に入り込むようになってからまだ50年も経っていませんが、私たちの日常は電子にまとわりつかれています。ここで考えたいのは、低次と高次を比較した場合に、真に必要度が高いのは低次のほうだという、例の図式です。これを当てはめるならば、電子製品とかスマホは、「真に必要ではない何か」ということになります。スマホは酸素みたいなもの(存在を意識はしないが、ないと死んじゃう)だと思っている人にとっては、そんなことはありえないと思われるのでしょうが、でも衣・食・住などと比べて優先順位はどうなのか、となると、必要度の低さはわかりますね。そして、スマホを普段どのような目的で使用しているのかを思い出してみましょう。そこに生産活動(つまりは自分が「稼ぐ」こと、そしてそれを通じて社会に貢献すること)はどの程度含まれるでしょうか。遊びや娯楽、ひまつぶしの割合は、どれくらいでしょうか? ――怒ったり言い返したりしなくてもいいですよ(笑)。それがだめだといっているわけではなくて、そんなあなたのような人がたくさんいるから(失敬)、この分野は高付加価値となり、小さな箱やそれに付随するものたちに高価な値段がつくのです。そして、それを造ったり売ったりする人たちとその家族が、それによって食うことができるようになっています。 軽工業(繊維工業)の話題は、低次の産業というものを通して、産業と私たちのかかわりを見るというものでした。今回は逆に、より高次の産業に対する見方というのを考えましょう。付加価値が高くてもうかるほうがよい、とは思います。そのことの弊害や副作用はないでしょうか。実感しやすいように、なるべく身近な話題に引きつけて考えていただくことにします。また、労働力集約型の産業では、さほど知識がなくても健康と体力を備えた人をたくさんつぎ込めばよかったのですが、高付加価値の産業ということになると、それを担えるような高知能・高学力の人材が必要になります。人材側を主語にしていいなおすならば、たくさん勉強して高度な知能や専門技能を身につけなければ職にありつけなくなる、ということです。健康・体力と比べると結構ハードルが高いと思いませんか? だんだんと話が自分たち工業大学生の間近なところに接近していることを意識しながら、現代の産業構造というテーマに向き合ってみてください。 REVIEW (4/23) ●時代の流れの中で犠牲になった人たちがたくさんいたことがわかった。私たちも、労働対価に見合わない値段で物を購入するなどして、間接的に誰かの努力や実績を奪っているのだろうかと思った。 ●軽工業の歴史について、いままでより鮮明になった。渋沢栄一がなぜ産業の父と呼ばれているか、製糸業においてなぜ女の人や子どもが働いていたのかなど。 ●繊維工業についての話だったが、企業が産業の高次化に合わせて、つくる国や売る国を変えているというのは理にかなっていて、とてもおもしろいと思った。 ●高校の授業では、このあたりのことは流されていたので、すごくおもしろかったです。 ●もし産業革命が遅れていたら昭和の服を着ていたかもしれない。と、ぞっとした。 ●うちの家系が養蚕をやっていたらしい。ただ私の親が子どものころには、ほとんど周りもやっていなかったそうだ。 ●富岡製糸場に行ったことがあり、生糸をつくる様子の再現を見ることができました。お土産でシルク製品などを買ったりしたので、今回の授業は感慨深くなりました。 ●製糸業と紡績業の違いをよく理解できた。歴史をたどってみるといろいろとおもしろい背景があると思った。蚕から糸をつくる方法を初めて知って、けっこう残酷な方法なのだと思った。 ●労働集約型である製糸業や資本集約型の紡績業でつくられたシルクやコットンは欧米向けの輸出品だったが、第二次大戦後、日本が先進国になったことで低次の製糸業や紡績業をやらなくなって、ほかの途上国がつくることになったことがわかった。 ●生産には資本と労働力が不可欠です。労働力を得るには資本に頼らなければならないと思います。 ●「労働集約型」と「労働力依存型」とで、どちらの表現のほうがよいということはありますか? それとも、まったく意味が違うものですか? ●同じ軽工業なのに、製糸業より紡績業のほうが付加価値が高いということに驚いた。現在の日本では低次産業の製品を他国に頼っていることがわかった。 ●コットンとシルクはどちらのほうが値段(価値)が高いのでしょうか? また、コットンでしかつくれない服、シルクでしかつくれない服は、それぞれあるのですか? ●カンドゥーラに使われている生地「トーブ」で、日本製がかなりのシェアを誇るとどこかで聞いたことがあります。高級志向のものでは、いまだにこういった事例があるのでしょうか。 ●日本はかつて製糸業で生産したものを欧米諸国に売って利益を出していたが、ドイツで化学繊維がつくられ注目されはじめたり、世界恐慌が逆風になったりして製糸業がもうからなくなったということがわかった。なので私もそうならないように、政治や環境によって仕事状況が左右されない、安定した職業に就きたいと考えました。
●いままで製糸業や紡績業にあまり興味がなくよく知らなかったが、今回の授業で、東南アジアで盛んになっているなど、自分たちの身近なところにとてもかかわっていて興味深かった。ファスト・ファッションの製品をつくる側に目を向けたことがなかったので、劣悪な労働環境に驚いた。 ●洋服が好きなので、H&MやZARAの本店がどこなのかがわかっておもしろかった。インドのこれからが楽しみです。 ●日本とバングラデシュの貿易に、インドも関係があることに驚いた。 ●軽工業は、必要度は高いが、軽視されて、世界がたらいまわししているように思えた。 ●ラナ・プラザ崩落の事件については高校生のころ社会科で教わったことがある。そうなるまでの過程がわかった気がする。 ●現在のファスト・ファッション産業は、途上国が先進国に輸出しているが、この移り変わりが何度も繰り返されてどうなっていくのかが気になる。より技術が発展すると、先進国が途上国に成り下がるのだろうか。
この現代社会論は、学部指定科目群1に属し、「人間・社会の理解」にかかわる分野として設定されています。現代社会というのは「世の中すべて」のように広い範囲を指しますので、なかなか捉えどころが難しいのですが、当クラスは産業(industry)に注目して、社会の成り立ちや近年の変化、そして近未来の可能性や課題などを考察していきます。みなさんは小・中・高の社会科や公民科で、第○次産業といった話を何度も扱ってきたことでしょう。また地理の授業では「この地域の産業の特色は」といった切り口で学ぶことがしばしばあります。大学の教養科目では、もう「試験のためにおぼえる」などという(ほとんど無意味な)ことはありませんので、授業で扱われている内容を常に自身に引きつけて、「自分たちの問題」なのだという視点で考えましょう。最もわかりやすい話としては、「数年後、大学を卒業してどこかに就職する」人が大半であるはずで、その「どこか」の話だということです。冷静に考えればわかるように、世の中は常に動いていて停まることがありません。「いま」の様態がずっとつづくはずがない。ですから「いま、いちばんイケてる産業はどこですか? 僕そこに就職します」という発想は、10年後、20年後になると話の前提自体が変わっていて、当人が損するということになるわけです。私(古賀)は、長年にわたって高校・大学で社会系の授業をもっていますが、そこで学んでいる「社会」が、自身の立っている足場であり、これから生きていく舞台なのだという感覚をもたないままでいる生徒・学生がずいぶん多いな、もったいないなと思うことがあります。せっかく学ぶのであれば、「社会の有意義な見方」を身につけたいですよね。 現代社会論という科目名ではありますが、現代といって取り扱う時間的範囲は、だいたい50〜80年くらい、テーマによっては100年くらいにもなります。これから何十年か先を見通すには、それくらいの幅をもって、社会を捉える必要があります。受講生の中には、進みたい産業分野がすでに固まっているという人もあるだろうし、まるで見当がつかないという人もあることでしょう。いずれにしても、「この分野には興味がないから、今回はパス」などと安易に考えずに、いったん自分の頭で考えて、問題をかみしめるようにしてみましょう。どんな分野に進むにしても、商売する相手は別の分野の人ですし、市場のニーズを知ろうとするなら狭い範囲に閉じこもっていてはどうにもなりません。商品開発に携わろうとすればなおさらです。たとえば、農業(第一次産業)のことは視野の外だという人が多いことでしょう。でも、農業で用いられる機械は製造業のうち機械工業(第二次産業)でつくられるものですし、農作物が流通するしくみはサービス業(第三次産業)に属します。どの分野でもそれ単体で成り立つということはありません。これから先の時代は、さらにそうした相互関係が重要になります。 <評価> |