古賀毅の講義サポート 2026-2027

Études sur la société contemporaine

現代社会論


千葉工業大学工学部宇宙・半導体工学科、応用化学科1年(学部指定科目群1
前期 火曜12限(9 :00-11 :00) 新習志野キャンパス 5号館 5103教室


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2025
7月の授業予定
7
7日 産業・労働のグローバル化
7
14日 変わりゆく産業社会とキャリア形成

 


本年度の授業は終了しました。
みなさんの今後のご活躍と、充実した学びを期待しています。

 

 

REVIEW 7/14

日本における1990年代以降のキャリア、キャリア形成の特徴と、現在に至るまでの雇用環境の変化を、背景を考えながら捉えることができた。社会の変化が雇用状況の変化につながり、就職の形も大きく変わっていることがわかった。しかし、それが原因でモラトリアム再延長などの問題も現れていることが明らかになっていることもわかった。

雇用・経済の変化の激しさや、今現在も激しく変化しているということがわかりました。そのうえで社会を捉えることの重要性がわかりました。

いままで私は職や仕事に対してあまりピンとは来ていませんでしたが、現代社会論の授業をここまで聞いてきて、いま自分が何をすべきなのかがはっきりした気がします。

以前とは違って現在は大学に行く人が多くなったので、大学で何をするか、何を力にするかが大切だと思った。またこの点だけでなく、就職する際、した後のことも、依然と現在では異なるから、適応する必要があるとも考えた。

かつては会社が一生を守り社員は会社に尽くすというお互いの了解があったが、不景気と激しい変化によって会社が社員を守り切れなくなり、働き手も自分の力でキャリアを切り開くようになり、雇用の流動化の時代になったことがわかった。狭い視野のせいで適切な職に就くことができないことがあるとわかった。
・・・> あらためて、そのように言語化してくれたことで、ああもしかすると封建時代の「御恩と奉公」とあまり変わっていなかったのかなとも思いました。人間にとってそういう関係のほうが、居心地がよいという部分はきっとあるのでしょう。ま、もう無理ですけど。

昔の終身雇用制や年功序列、学歴重視はほとんどなくなり、とくにいまはほとんどの人が大学に行く時代なので、タコつぼにならないように視野を広げることが大切だと思った。

 

学歴による偏見の時代から、その人ができること、スキルなどを重視する時代になり、よい時代になったのかなと思う。大学では専門知識を蓄えるだけでなく、人とたくさん話していろいろな経験をすることも大切なのだと思う。

就職活動における学歴の影響について、初年次教育の授業でキャリアデザイン講師の先生から聞いた話とはまたかなり違っていて興味深かった。私は、推薦入学(とくに指定校)はレベルの低い学生が合格しやすくなる傾向があると感じるため、推薦が拡大するいま学歴の信用度は下がっていくのではないかと考えている。先生はどうお考えですか。
・・・> 推薦入学者のレベルが低いということは必ずしもありません。大学入学直後の、瞬間風速的な学力(プレイスメント・テストに反映されるような)ではたしかに差があるのだけど、ではその時点で学力が高いとみられていた学生とそうでない学生が、1年後、2年後にどうなっているかと追跡してみると、意外なほど相関性がない。つまり、選抜のしくみが大学生としての資質にさほど影響しないということです。大学としては両方いたほうが、いろいろな可能性をさぐることができて、よい、と判断しているわけです。むしろ、一般入試のような学力検査方式だと、そこにいたるまでの学び方や頭の使い方が均質的で規範的になりやすい(融通が利きにくい)。いまのように創造性やコミュニケーションが重視される状況の中で、点数は高いかもしれないが、それ以外の人間性や能力がさほどではないということが出てきてしまい、それこそが学歴の信用度を下げる要因になっています。また、「みんなが大学に行くようになった」ことによって、そもそも大卒ということに価値が見いだせなくなっていることも大きいでしょうね。

メリトクラシーなどの、社会の再生産とそれにまつわる教育ビジネスについて考えた。東大生の年収や男女の格差など多くの問題が残っているが、SNSではこれらについて言い争いに近い討論がなされている。入試でもペーパー試験がいちばん平等だという声が大きいが、実際にそうなのだろうか?
・・・> SNSでの論争は、基本的には主観をぶつけ合っているだけで、眺めて「ふうん」と思う以上の値打ちはありません。社会的な論点をSNSに見すぎないようにしましょう。ペーパー試験が平等だということは必ずしもありません。平等というのが何を指すのかをまず定義するべきなのに、そこがあいまいです。1つ上のレビューに対する私のコメントもお読みください。

アメリカの、一般の働いている人を評価するしくみがどのようなものか気になった。私自身は、いまの大学生活はまだ高校生活とあまり変わっていないので、大学生ならではの挑戦をしていきたいと思った。

日本人はとくに「職業こそ人生」という考え方をしている人が多いと思う。海外の人は逆に「休みこそ人生」という生き方をしていると思う。私は絶対にそのような考えをもちたくはないが、いずれ年を取り洗脳されていくと思うと、恐怖でしかない。
・・・> 日本と海外でそんなに極端な二分法で考えないほうがいいのでは?(それこそ、洗脳じゃないがどこかの考え方に煽られすぎている) 私は「休みこそ」とは思わないけど休みを楽しみに、生きがいにしてオンシーズンを働きぬくというスタンスです。うらやましいかどうかはあなたしだい(笑)。

変化の大きい産業構造の中で、人の生活の本質に目を向けるべきなのだと感じた。

私もいま一人暮らしをしていて、生活のためにあらゆる試行錯誤をしていますが、なかなかうまくいきません。この暮らしに慣れて、節約できるようにしたいです。

 

大学に大勢進む中で、同じ大学で比べると、身についている知識や経験の違いで優劣がつくので、いまのうちに学べることをたくさん学ぼうと思いました。AIもうまく使えるよう、勉強していかないといけないなと思いました。

最後の授業では学歴や実力が雇用においていかに重要なのか、どう学んだことの意味を実感するかを学んだ。卒業後どう行動するかに生かしたいと考えている。
・・・> 学歴が重要だと私がいったように受け止めておられたようです(授業後に直接話してくれて、勘違いがわかりました)。そうではないですよ!

大学に入学してから、受験がなくなったからなのか勉強に対してある程度の自由を感じられるようになってきたので、より柔軟な学習をしていけると思うようになった。またせっかくいろいろな専攻をもつ人がいる大学なので、学部間の横のつながりを意識できたら武器になると思った。

いままで大卒は4年間で学んでいるから給料が高くなるのだと思っていたが、高卒で会社に入ったほうが技術が高くなるけど大学4年間でさまざまなことを考えたり感じたりできることに意味があるのだというのは新しい観点だった。副専攻はもっていれば役立つけど、主専攻で手いっぱいで、できるか不安だが、ぜひやっておきたい。

私は工業高校出身で、「企業って高卒で採ったほうが育てやすくね?」と思ってて、いまもそれは変わりません。それでも大学進学したのは、自分が行きたい企業が大卒にしか求人がなかったからですが、それもモラトリアムの再延長なのかな?と思いました。

結局のところ会社側としては学歴を重視して採用することが多いと、いまだに自分はそう感じているが、高学歴はプライドが高いという話を聞いて、これからは学歴があるけど人間とかかわる能力がない人とかより、一緒に働きたいと思う人のほうが採用されやすくなる時代が来るのかと思った。
・・・> 現在の状況をどのように捉えているか十分にはわかりませんが、すでにそういう時代になっているというか、前からずっとそうだったと思います。学歴というのが有効に作用するのは新卒一斉入社の場面であり、その後のキャリアにおいては実力や人間関係や運不運こそが大事で、学歴は「ふうん」ということになります。学歴の有効期間は短く、そのときだけ、一回限りのものなのですね。それと、就職をめざす側の視線にどうしても偏りがちですが、採用する側にだって、優秀な人とそうでない人、仕事のできる人とそうでない人、学歴があるけど人間とかかわる能力がない人も、いろいろいます。そういう「いろいろな人たち」が「一緒に働きたいと思う人」って、相場がずいぶん揺れると思いませんか?

日本の雇用体制は昔から男性に有利だった。それが改善されたことによって平等になったが、根づいたイメージによって「必要なのに足りていない」という問題がさまざまな分野で起きていると知り、それが改善された社会が気になった。

文系や保健学科などは女子が多く工業系は男子が大半、というのは高校のころから話を聞いていたし、職場ではさらにジェンダー・ギャップがあるということは知っていたが、今回の授業で文科省の政策についても話を聞いて、いまの政策のあり方を見直す必要があると思った。学歴フィルターも以前と比べたら減っているが、まだ残っているところもあり、本当は高度な能力があるのに生かすことができないということが生じてしまう可能性があるので、なくしていかなければならないと思った。

長すぎるモラトリアムとは聞いたことがあったが、猶予期間のこととは知らなかった。中国では寝そべり族が社会問題化しているとも聞いたことがあるが、日本より厳しい受験と就活が生み出しているのではないかと思う。

私は大学院には行きたいと考えているが、モラトリアムをさらに延長するということはしないようにしたいと感じた。学びたい学問や就きたい職によっては博士まで取ることもあるかもしれないが、あくまで学んだ知識を生かして社会で働くことを重視していきたいと思う。

現代社会論を学んで、先生のお話を聞いていて、ずっと同じもの、ありつづけるものってないんだなあと思いました。考え方や物事の見方で視野を広く、何かに囚われずに思考していけたらなと思いました。もっとメディアや社会に関心を向けていきたいです。社会っておもしろいなあ、って思いました。

 


開講にあたって

この現代社会論は、学部指定科目群1に属し、「人間・社会の理解」にかかわる分野として設定されています。現代社会というのは「世の中すべて」のように広い範囲を指しますので、なかなか捉えどころが難しいのですが、当クラスは産業industry)に注目して、社会の成り立ちや近年の変化、そして近未来の可能性や課題などを考察していきます。みなさんは小・中・高の社会科や公民科で、第○次産業といった話を何度も扱ってきたことでしょう。また地理の授業では「この地域の産業の特色は」といった切り口で学ぶことがしばしばあります。大学の教養科目では、もう「試験のためにおぼえる」などという(ほとんど無意味な)ことはありませんので、授業で扱われている内容を常に自身に引きつけて、「自分たちの問題」なのだという視点で考えましょう。最もわかりやすい話としては、「数年後、大学を卒業してどこかに就職する」人が大半であるはずで、その「どこか」の話だということです。冷静に考えればわかるように、世の中は常に動いていて停まることがありません。「いま」の様態がずっとつづくはずがない。ですから「いま、いちばんイケてる産業はどこですか? 僕そこに就職します」という発想は、10年後、20年後になると話の前提自体が変わっていて、当人が損するということになるわけです。私(古賀)は、長年にわたって高校・大学で社会系の授業をもっていますが、そこで学んでいる「社会」が、自身の立っている足場であり、これから生きていく舞台なのだという感覚をもたないままでいる生徒・学生がずいぶん多いな、もったいないなと思うことがあります。せっかく学ぶのであれば、「社会の有意義な見方」を身につけたいですよね。

科目名についている「現代(の)」は、英語ではcontemporaryです。接頭辞のcon- は「共に」という意味であり、tempoは時間を意味するラテン語由来の語です。つまりは「同時代の」「時間を同じくする」という形容詞が、社会にかかっていることになります。同時代の、というのは、どの範囲なのでしょうか。20歳になるかならないかのみなさんにとって、それは「ここ数年」なのでしょう。スマートフォンが日本で普及したのが2011年ころからなのですが、それ以前の社会は「相当に古い時代」に思えるのではないでしょうか。しかし、当科目で捉えようとする「同時代の(現代の)社会」は、だいたい5080年くらい、テーマによっては100年くらいにもなります。これから何十年か先を見通すには、それくらいの幅をもって、社会を捉える必要があります。受講生の中には、進みたい産業分野がすでに固まっているという人もあるだろうし、まるで見当がつかないという人もあることでしょう。いずれにしても、「この分野には興味がないから、今回はパス」などと安易に考えずに、いったん自分の頭で考えて、問題をかみしめるようにしてみましょう。どんな分野に進むにしても、商売する相手は別の分野の人ですし、市場のニーズを知ろうとするなら狭い範囲に閉じこもっていてはどうにもなりません。商品開発に携わろうとすればなおさらです。たとえば、農業(第一次産業)のことは視野の外だという人が多いことでしょう。でも、農業で用いられる機械は製造業のうち機械工業(第二次産業)でつくられるものですし、農作物が流通するしくみはサービス業(第三次産業)に属します。どの分野でもそれ単体で成り立つということはありません。これから先の時代は、さらにそうした相互関係が重要になります。

 

<評価>
2回の提出物(レポート)の内容により評定します。
課題作成における生成AIの使用に際しては、適切なルールを定めます。
出欠は評価対象に含みません。

 

 


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