古賀毅の講義サポート 2025-2026

Études sur la société contemporaine

現代社会論


千葉工業大学工学部宇宙・半導体工学科、応用化学科1年(学部指定科目群1
前期 火曜12限(9 :00-11 :00) 新習志野キャンパス 5号館 5103教室


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2025
5月の授業予定
5
7日 第二次産業(2):高付加価値への道
5
14日 第三次産業:商品としてのサービス
5
21日 第一次産業:食料生産の現代化をめざして
5
28日 高度情報化:新たな産業分野の形成?

 


次回は・・・
6-
第一次産業:食料生産の現代化をめざして

順序からいえば第一次産業を最初に扱うべきなのでしょうが、最も大切であるはずなのになじみの薄い人が多いのではないかと思いましたので、最後に回しました。自然(nature)にはたらきかけて産物を得る、というのが第一次産業の特徴です。最も古くからある産業であり、とくに農業は、人類の歴史のメイン事項でありつづけました。人間も動物ですので、食料を食べなければ生きていくことができません。第二次・第三次産業が主力になったということは、それだけ「食うだけの人」つまり食料生産に携わる人が減ったことを意味します。「食わせる側」がいてこその高次産業といえるでしょう。それにしては、食べ物などどこかから勝手に湧いてくるようなイメージでももっているのか、第一次産業への関心はいまだに低いままです。昨2024年は、秋口になってお米がショートするのではないかという心配が広がり、どこの売り場からも消えてしまうという現象を経験しました。ことし2025年になると、お米がショートするという話はいまのところないようですけれども、とにかく米価が高くなりすぎて大変だ、ということになっています。520日には、ほかならぬ農林水産大臣が「私は有権者からもらうのでお米は売るほどあり、買ったことはない」という発言の責任を問われて辞任に追い込まれました。お米が高くなって民衆が怒り、政治家をやっつけるなんて、江戸時代の話かと思ってしまいます。ただ、どうがんばってみたところでお米の品薄や高値はどうにもならないのだろうな、ということは、多くの人に共有されはじめていますよね。

意外に思うかどうか、日本人のお米の消費量は、大したことはありません。一人あたりの消費量で比較したときに、世界のトップ15にも入らないのです。そもそもお米を食べない民族も多いので、そんなに下位なのかと驚くかもしれません。パンがなければケーキを食べればと、その昔の王妃がいったとかいわないとかですが、お米がなければパンや麺類でもいいのではないか、そうは思いませんか? 実際、毎日の朝昼夜の食事ですべてお米のごはんを食べているという人は、いうほど多くないことでしょう。とくに若い世代はパンや麺類を食べることに抵抗は薄いはずです。それでお米の消費量が少ないのかというと、それもあるけれど、それだけではありません。主食はほどほどに、おかずをたくさん食べるのです。おかずのない、お米だけの食事はあまりに貧相ですからね。ときには白いごはんを腹いっぱいに食べたいという場合もあるでしょうが、「おいしいものをたくさん食べたい!」というときには、たいていおかずのほうを指しているはずです。この、主食とおかずのバランス(量の比)やその推移というのが、第一次産業を考える際の重要なヒントになります。

日本の第一次産業は、従事する人がかなり少なくなっています。産業が高次化するということは、つまりそういうことです。やはり低次産業である繊維工業(軽工業)の話のとき、日本国内での生産はほとんど終わって、現在は大半をアジア各国からの輸入に負っているのだと申しました。第一次産業の商品、つまり食料もその傾向を避けられません。パンや麺類のもとになる小麦粉は海外からの輸入ですし、大豆や肉類もかなり輸入が多くなっています。お米に関しては自給できていたはずが、このところの「米騒動」をみると、農業従事者の減少と高齢化がいまになってじわじわ効いてきて、もう安定的な供給は望めないのではないかという暗い見通しも出てきました。食べ物がなくなるのはさすがにまずく、なんとかしたいところですけれども、なんらかの知恵や技術はないのでしょうか。



REVIEW 5/20

第三次産業は、主流になっているだけあって競争が激しいことがわかりました。こんなにおもしろいことが起きているのを知らなかった自分に、まだまだ勉強不足だと感じました。

第三次産業の多様性と社会的重要性がよくわかり、ペティ&クラークの法則やアウトソーシングの視点が新鮮でした。スーパーやコンビニの歴史など、1980年代の華やかなバブル期に比べ、デフレや100円ショップの台頭、非正規雇用の増加などは、現代の経済の厳しさを感じました。またコロナ禍の影響も考えると、サービス業の脆弱さを実感しました。

現代社会を知るためには、過去70年ほどまでさかのぼっていかなくてはならないことや、いまの状況が最終形態ではなく5年くらいの周期で変わっていくために、変動を捉える力が重要であると気づくことができた。

第三次産業は、消費者のニーズがあるかぎり、ジャンルが無限に広がると思った。あらゆる場面で外部化が進んだからこそ、お金を支払う機会が増えて、経済が回るようになり、さらに経済が発達したのかなと思った。

企業がコスト削減を考えて、いまどこに力を入れ、何に力を入れなくなったのかに興味をもった。

消費者という立場だけでは見えない苦労があるのだとわかった。よく知られている企業は、一見順当に発展しているように見えるだけで、それぞれ独自の戦略を練ることで、この時代を生き残ろうとしていることがわかった。

何かをつくろうとしたり商売したりするときには、外部化を意識してみたいと思います。

スーパーマーケットが増えはじめた時期が、核家族世帯が増えた時期にあたると知って、なるほどと思った。今後、家族・家庭の外部化がより進んでいくだろうと思った。

 
(左)中国の超級市場(スーパーマーケット)  (右)シンガポールの公設市場

 

スーパー系の企業の話で、イトーヨーカドーがセブン-イレブンの経営に力を入れるようになるなど、流通の移り変わりの激しさも感じることができました。

ダイエーとセゾンがライバル関係にあったことを初めて知った。
・・・> で、どっちもつぶれました。

デパートが廃れ、コンビニやスーパーが台頭し、最近では通販が主流となりつつあるが、そうなると実店舗は存続できるのか気になった。

スーパー、コンビニ、百貨店を中心とした流通業界が縮小しているという話を聞いて、経営者はもう少し後先を考えて、持続可能な経営をめざすべきだったのではないかと思った。経営者の甘い経営判断の風潮が、日本経済の長期停滞の一因なのではないか。

あらためて考えると、コンビニがすぐ近くに並んでいるということに疑問をもっていたが、それはドミナント戦略といって宣伝効果や信頼感を得るためにやっているのだと理解した。

流通が冷え込んできているという話があった。走行距離課税がとどめの一撃になる気がする。これ以上物価の上昇を促して、日本になんの得があるのだろう。
・・・> 走行距離課税の問題は、流通というより、6月に取り上げる交通・輸送のテーマかもしれません。ガソリン車と電気自動車(EV)の比率が変わっていくと、ガソリン税の部分の収入が減ります。それに代わるアイデアということなのでしょう。これも近く扱う予定ですが、もともと貧弱すぎた日本の道路事情を改善するため、自動車重量税+ガソリン税を目的税化して、道路の敷設や舗装に充てました(道路特定財源といいます。すでに廃止)。道路を整備することで得をする受益者が相応の負担をすべきだという考え方です。EVになっても、なんらかの受益者負担が制度化されるのではないですかね。

ユニクロは専門性があったために、総合スーパーのような「なんでも屋」とは違って生き残ることができたと以前に聞きました。この流れは、アマゾンなどのeコマースの普及が大きくかかわっているのでしょうか?
・・・> もちろんあるでしょうが、主因というほどではないと思います。ここでいう専門性というのは、カジュアルな衣料に特化したビジネス、ということでしょうね。

クリーニング屋さんが減っているというのは知らなかった。少し前のデパートの競争の話をもっと聞きたい。

つい100年ほど前まで、商業に対するマイナスイメージがあったということに驚いた。私も、津田沼のイトーヨーカドーが閉店してしまったときは悲しかった。

「津田沼戦争」という商業施設間の競争があったことを知った。商店街が廃れたのはスーパーマーケットの台頭によるものだが、そんなスーパーマーケットもいまは衰退している。
1970年代の「津田沼戦争」から50年近く経ったいま、老朽化は避けられないので閉店は仕方ないとは思うが、かなり過疎っているので市民として悲しいです。

 
(左)在りし日の津田沼パルコ  (右)在りし日のイオン・フードスタイルbyダイエー津田沼(モリシア地下)

 

子どものころ週末に家族とショッピングモールで買い物をして、アーケードゲームをして帰るという思い出があるので、つぶれまくっているというのは悲しい。想像できないが、コンビニやネットショッピングもつぶれてしまう日がいつかくるのだろうか。恐ろしい・・・。

流通業は自動化などで革命は起きるか? それとも大手オンライン・ショップが独自に流通に参戦し、既存企業に置き換わるか?
・・・> ビジネス雑誌の見出しみたいだ(笑)。

国内の状況と産業・文化がともに変化し、娯楽に通じる大衆文化が広がったのだと思った。第三次産業は足が速いということを聞いて、AIの発展などにより、さらに減ってしまうのではないかと思った。

今回の話に関係ないのですが、第三次産業の先にどんな産業があるのか考えてみました。仮に第四次産業と呼びます。技術や知恵で土地を広げてきた人類は、仮想的な世界で無限ともいえる虚構の空間を手に入れはじめていると思います。そして産業は高次に行くにつれて小さくなり、三次で形がなくなりました。四次では虚構に手を出すと考えます。実際SNSなどは三次ですが虚構の世界なので、四次に入るような気がします。さらに高次化すると付加価値が上がります。第四次産業の虚構の空間は、膨大なデータ量でありAIを使って処理すると思います。ここのAI技術などが大きな付加価値になると考えます。もっと書きたいですがスペースが足りないので短くまとめました。先生の意見が聞きたいです。
・・・> 虚構ならぬ妄想ですな。と、いうわけでもなくて、それなりにいい線をいっていると思いますよ。「虚構」にいろいろな側面(暗喩を含めて)があることを分析できれば、かなりおもしろいと思います。

 


開講にあたって

この現代社会論は、学部指定科目群1に属し、「人間・社会の理解」にかかわる分野として設定されています。現代社会というのは「世の中すべて」のように広い範囲を指しますので、なかなか捉えどころが難しいのですが、当クラスは産業industry)に注目して、社会の成り立ちや近年の変化、そして近未来の可能性や課題などを考察していきます。みなさんは小・中・高の社会科や公民科で、第○次産業といった話を何度も扱ってきたことでしょう。また地理の授業では「この地域の産業の特色は」といった切り口で学ぶことがしばしばあります。大学の教養科目では、もう「試験のためにおぼえる」などという(ほとんど無意味な)ことはありませんので、授業で扱われている内容を常に自身に引きつけて、「自分たちの問題」なのだという視点で考えましょう。最もわかりやすい話としては、「数年後、大学を卒業してどこかに就職する」人が大半であるはずで、その「どこか」の話だということです。冷静に考えればわかるように、世の中は常に動いていて停まることがありません。「いま」の様態がずっとつづくはずがない。ですから「いま、いちばんイケてる産業はどこですか? 僕そこに就職します」という発想は、10年後、20年後になると話の前提自体が変わっていて、当人が損するということになるわけです。私(古賀)は、長年にわたって高校・大学で社会系の授業をもっていますが、そこで学んでいる「社会」が、自身の立っている足場であり、これから生きていく舞台なのだという感覚をもたないままでいる生徒・学生がずいぶん多いな、もったいないなと思うことがあります。せっかく学ぶのであれば、「社会の有意義な見方」を身につけたいですよね。

科目名についている「現代(の)」は、英語ではcontemporaryです。接頭辞のcon- は「共に」という意味であり、tempoは時間を意味するラテン語由来の語です。つまりは「同時代の」「時間を同じくする」という形容詞が、社会にかかっていることになります。同時代の、というのは、どの範囲なのでしょうか。20歳になるかならないかのみなさんにとって、それは「ここ数年」なのでしょう。スマートフォンが日本で普及したのが2011年ころからなのですが、それ以前の社会は「相当に古い時代」に思えるのではないでしょうか。しかし、当科目で捉えようとする「同時代の(現代の)社会」は、だいたい5080年くらい、テーマによっては100年くらいにもなります。これから何十年か先を見通すには、それくらいの幅をもって、社会を捉える必要があります。受講生の中には、進みたい産業分野がすでに固まっているという人もあるだろうし、まるで見当がつかないという人もあることでしょう。いずれにしても、「この分野には興味がないから、今回はパス」などと安易に考えずに、いったん自分の頭で考えて、問題をかみしめるようにしてみましょう。どんな分野に進むにしても、商売する相手は別の分野の人ですし、市場のニーズを知ろうとするなら狭い範囲に閉じこもっていてはどうにもなりません。商品開発に携わろうとすればなおさらです。たとえば、農業(第一次産業)のことは視野の外だという人が多いことでしょう。でも、農業で用いられる機械は製造業のうち機械工業(第二次産業)でつくられるものですし、農作物が流通するしくみはサービス業(第三次産業)に属します。どの分野でもそれ単体で成り立つということはありません。これから先の時代は、さらにそうした相互関係が重要になります。

 

<評価>
2回の提出物(レポート)の内容により評定します。
出欠は評価対象に含みません。

 

 


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