古賀毅の講義サポート 2025-2026

Études sur la société contemporaine

現代社会論


千葉工業大学工学部宇宙・半導体工学科、応用化学科1年(学部指定科目群1
前期 火曜12限(9 :00-11 :00) 新習志野キャンパス 5号館 5103教室


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2025
7月の授業予定
7
1日 新たなヒューマン・ビジネス
7
8日 産業・労働のグローバル化
7
15日 変わりゆく産業社会とキャリア形成

 

 

本年度の授業は終了しました。
みなさんのご活躍をお祈りしています。

 

 

REVIEW 7/15

やりたいことができるのでこの大学に進んだが、それが将来の仕事にしたいものかと聞かれると悩んでしまうことがある。この授業を受けて、まだ新しいものを見つける機会があると知ったので、学びの姿勢を崩さずに、将来やりたいことを見つけたい。

当然のことをもう一度見直しつつ、視野を広げられる、よい授業でした。社会が不安定だから自分の心も不安定でいっぱいなのだと思っていたが、学校でぬくぬくしていて外の世界を見つめていなかっただけなのかもしれないと思った。

終身雇用の時代から雇用が流動化する時代に変わっているので、これからが大変だなと感じた。また、在学中にスキルアップにつながる資格を取っておきたいと思った。
終身雇用と年功賃金は経済成長が前提となっていることがわかり、そのため現在はそれらが崩れつつあることを理解した。コミュニケーション能力や要領は高次産業になるほど重要になり、普段視野に入らない人の声を聴くことの大切さを知った。

社会の形が目まぐるしく変化する中で、いままでの雇用のあり方も見直す必要があると思った。

雇用環境の変動についてよくわかった。専門性をしっかり身につけていけるように勉学に取り組んでいきたいです。

大卒だからといって仕事ができるとはかぎらないというのをあらためて感じた。将来のためにも、いまできることをしっかりやって、大学での学びを深めていきたい。

終身雇用や年功制が崩壊しつつあるのは理解できるのですが、崩壊したらどのような雇用方法になるのでしょうか?
・・・> 極端な場合には、いまの「正社員」という枠組が消滅してみんながフリーランスか期限付きのようになる、という感じですけれど、そうはならないでしょうね。当分のあいだは、という限定で申しますと、社会全体のわずかな経済成長をみんなで分け合うのではなく、一部の正社員が分捕って、そのしわ寄せが弱い立場の人に行くような感じがますます強まるのではないかと思います。

戦後から高度経済成長期あたりのような、誰にも能力と努力が求められる時代が来たのかもしれない、と考えた。
・・・> そうかもしれない。本来はそうあるべきでしょう。

あと510年ほどで、日本最大の労働層が引退して、雇用が大きく変わる一方で、アメリカのように新卒の雇用機会が減ることになるのではないかと考えますが、今後の日本の雇用はどうなっていくと思いますか?
・・・> たしかに同世代人口がやたらに多い現在の50代(まあ、私たちですね 笑)が大量退職の時期を迎えて、情勢に大きな変化が生じることでしょう。ただ中途採用や転職の市場も活発に動いていて、やはり全体には流動化していくのでしょうね。私たちの世代の正社員がその身分を離れたあと、同数の正社員枠が若手に用意されるのならばいいけれど、おそらくそのようにはなりますまい。新卒一括採用がいつまでもつか、そこははっきりしませんが、なぜかそのしくみというかポリシーないし慣習だけは強靭で、終わりそうにありません。問題は、新卒で採用されたあとどれくらいその職にとどまるかという定着率/離職率のほうなのでしょう。

終身雇用の流れが変わっていることで、これからは個人の能力によって職を手に入れるかどうかになっていくことを知り、常に情報収集やスキルアップが必要だと思ったが、これだけ聞くと自分が社会で生きていけるかが不安になる。
終身雇用の時代が終わったら、実力至上主義になっていくのだろうか? しかし、そのようになっていくことにより貧富の差が広がってしまうと私は考えます。
・・・> 実力至上主義の時代に本当になるのであれば、貧富の差の拡大はセットでついてきます。もう「定義に必ずついてくるもの」です。ただ、実力至上主義になるのだろうか、という疑問もあるんですよね。世の中の人って、私も含めて、そんなにデキないし強くもないので、どうしても互助的になる部分が残るんじゃないのかなあ。


ニューヨーク 五番街(奥がエンパイア・ステート・ビル)

 

大学院の修士課程に進もうと思っていて、修士卒となると社会人になるのが2年遅くなる。「職」への意識が育ちにくいといわれているが、研究していく中で常に働いている自分の姿を意識しながら過ごしたい。

生涯学習時代のキャリア形成において、たしかに社会人になってから大学に入りなおしたり分野を変えて学びなおしたりすることで、より深い内容まで考えながら学ぶよい機会になると思うが、お金に余裕がないとできないなと思った。

社会の変化や働き方について考えるきっかけになった。大学院進学も選択肢の一つとして意識するようになった。これからは専門性だけでなく、自分で考え、動く力も大事だと感じた。

シャイな性格の人が増えていることなど、近年になって変化する人間の性質が、社会や産業の形を変えていると思った。雇用流動化の時代は、学力や知識よりも人間性に重点が置かれると思うので、大学生活で、人とのかかわりや経験を積むことが重要であると感じた。

これからもさまざまな人と交流し、自分の専門外のことを聞き、知識を身につけていきたいと思いました。
視野を広げ、多角的にモノを見ることができるようにするには、自分とは違う環境に身を置く人とかかわりをもつことが重要。もっと他人に興味をもって、積極的にかかわっていこうと思う。

現代は、自身が得た能力を常に更新し、考えながら過ごさなければ、この流動的な社会に呑み込まれる危険性がある。おそらくこれからの社会は、専門性がある人にとっては過ごしやすく、逆にそれがない人には生活しづらくなると思われる。

雇用流動化が進む中、新たな技術を学んだ後輩たちに後れを取らないように努めようと思った。
これから産業社会に出ていく私は、いまは最先端のものを勉強しているが、それは2025年時点での先端であって、社会に出たら自分の先端が先端じゃなくなってしまっている。だから継続的にキャリアアップ、スキルアップをしていかないといけないのだと思いました。

最後にあった「いままでこうだったから今後もそうだ、という助言を過信しない」という言葉が印象的で、柔軟に物事を捉える視点が大切だと思った。大学選びや学部選びも、「就職のため」だけでなく、「自分がどう生きたいか」を考える材料になると思った。

一般論や仮想現実、狭い世界ばかりを見てきたが、社会には自分の生きている世界と異なる側面や例外がたくさんあることを知ったうえで、いまの自分の視野を広げたり、さまざまな人と交流したりすることが、将来の自分のためになるし、これからの時代の変化を追う動体視力を養うことにつながるのではないかと思った。

 
(左)スロヴェニア共和国 リュブリャナ  (右)インド ムンバイ

 

 

REVIEW 7/8

世界や日本でいま何が起きているのかを知らないと、損をしていくのは私たち自身だと気づいて、大学生のうちに勉強しておかないと痛い目を見ると思いました。

グローバル化で仕事の仕方や働く場所がどう変わるのかがよくわかった。ニュースで見ていたことがつながって、身近に感じられた。

グローバル化にはいろいろなメリットがある一方で、進め方によっては社会にデメリットが生じる可能性があることがわかりました。

日本に住んでいるので日本だけグローバル化しているのだと思っていたが、世界中でグローバル化が進んでいるのだと理解した。

グローバル化を強く推し進める傾向にあるが、あまり妄信しないようにしたい。グローバル化によって大企業の無国籍化が進んでしまうことで、産業の空洞化も進み、そのまま国家の衰退につながってしまうのだろうか。

最近『コンテナ物語』(マルク・レビンソン)を読み進めているのですが、今回のファーストリテイリングの発展や世界各国の発展の内容(グローバル化)がリンクして、非常によかったです。

グローバル化が進むにつれて各国間での競争が激しくなり、その影響はとくに中小企業で大きかったのではと思った。

自分が使っている製品やサービスも世界中とつながっていることに驚いた。また、スポーツ選手の移籍も経済や産業のグローバル化と関係があることが意外だった。

グローバル化についての先生の定義で「国境が低くなる」という表現がおもしろいと思った。日本の経済はもうよくならないのですか?
・・・> 経済が「よくなる」というのは表現がユルいので、もう少し分析的な言葉を使えるようになると、いろいろ見えてきますよ。量と質の問題があります。量的に「よくなる」というのは、経済成長率が上向き、雇用や設備投資が増え、所得が持続的に上昇するようなことだろうと思います。質的に「よくなる」とすると、生きがいや働きがい、文化的な充実度みたいなところでしょうか。景気が悪いと人間関係がぎすぎすしますので、その意味でも経済が「よくなる」ほうがいいのは間違いありません。短期的に見ると、近年でも何度か「よい」局面はあったのですが、社会全体でその「よさ」を共有しにくくてどうしても分断が進んでしまう(儲かる人とそうでない人のギャップが拡大する)のと、中長期的に堅調に持続するということが起こりにくいというのが問題ですね。

グローバル化は世界とつながりやすい分、他国への依存性が高くなるので、他国の情勢が国内経済に影響を及ぼしやすいと思う。単純にグローバル化を進めることはよくないと思いました。
グローバル化が起こるといろいろな便利なものが入ってくる一方、経済格差や雇用の問題など悪い面もあることがわかり、なんでもグローバル化すべきではないと思いました。

 
グローバル化が進み、この国はこんな感じというイメージが交錯している (左)シンガポール (右)埼玉県西川口

 

日本でグローバル化が進んでいる、進んでいないことと、その理由を教えてください。
グローバル化の定義を理解できた。グローバル化によって世界とつながった結果、日本経済は大きな打撃を受けたが、日本経済によい影響を与えた事象はあるのだろうか?
・・・> グローバル化は、全般的には恩恵のほうが大きいと私は思います。とくに2000年代生まれの世代が知っている「現代社会」は、どっぷりグローバル化された社会ですので、そこを断ち切ってしまって、スマホもコンビニもアマゾンもスタバもない世界で生きていくなんて無理じゃない? (本当は無理ではないのだけど、多くの若者は想像すらできないだろう) 日本経済の苦境は、昭和の高度成長とそれにつづく経済成長のピークが1989年ころで、そのあと長期的な不況になり、産業構造も転換できなかった(うまく高次化できなかった)というタイミングと、世界的なグローバル化のタイミングが一致してしまったことに由来します。こっちが病気で苦しんでいるあいだに、他の人たちがどんどん健康になり、またおとなになって、追い抜かれていったような感じ。他国と比べてグローバル化が進まない分野としては、今回のテーマでもある雇用・労働、そして学校教育が挙げられます。進んだほうがよいのかどうかはもちろん別件です。

グローバル化と第三次産業の国際課には強い関連があると思っていたので、1990年代に日本経済がグローバル化したころに、産業の高次化も同時に進んでいたのではないか。
・・・> 1つ上で述べているように、なかなか高次化がうまくいかなかったのです。

トランプさんは、日本を含めて世界中に関税かけまくってアメリカの赤字直そうとしていますが、どこかやり方が過激だと思います。他にもロシアの肩をもったりするなど、どこか偏ってしまっている。一歩間違えればアメリカの信用ガタ落ちになるとは思いますが、わざとやっているのか、何かの思惑があるのか疑問です。

中国に産業技術が追い抜かれてしまったのは、政治的要因もあるのか? 研究費不足などといった問題もあるように感じました。
・・・> 政治的要因も、研究費不足もあります。

円安のいま、非正規を正規雇用に切り替えたり、技能実習生の待遇をよくしたりすることは、長い目で見ると困難である。一見すると非正規のほうが勝手がいいように見えるが、実際は将来的に大きな代償を払わされることがわかった。

抜け穴として、外国人労働者を日本で働かせているが、コンビニで24時間働かせることができるのはよいと思う。また店員が外国人だったらクレームも少ない気がする。
・・・> どの視点・立場でそういっているのかわかりませんが、人権侵害を容認することでもあるので、慎重に発言するようにしましょう。大胆なことをいうのが最近のトレンドではあるけれど、いいっぱなしで説明が不足しているということが多いのです。損しないようにね。

グローバル化によって、外国人が技能実習生として多く日本に来るようになった。しかし犯罪を起こす人もいるため、否定的な意見をもつ人も多くいる。こうした問題をどう解決するかが課題だと思う。
・・・> 技能実習生の増加は「グローバル化によって」というよりも、移民は認めたくないが労働力はほしいという日本の経済界の思惑によるものです。技能実習生という枠組自体がある意味でインチキ(抜け穴)なので、問題があるならやめればいいと私も思う。「人手が足りないから外国人がほしい」という人たちと、「外国人はやばそうだから来てほしくない」という人たちが隣り合わせになっています。なお「犯罪を起こす」確率やリスクが最も高いのは日本人です。分母が圧倒的に多いのだから当然です。

海外へのボーダーが上がれば円高になるのでしょうか。私は海外に行ったことがないので、お金を貯めて、円高になったら行きたいと思います。先生は海外に行ってよかったと思うものはありますか?
・・・> ボーダーの上下と外国為替相場はあまり関係ありません。日本経済が強くなるとか、アメリカ経済が弱くなるとか、日米の金利差が縮まるとか、アメリカが中東やウクライナでしくじるといった事象があれば円高になるかもしれないけれど、これは日本側の努力だけではどうにもなりませんし、そもそも円安のほうがいいと考えている人が、経済界を中心にたくさんいます(日本の株価は円安のほうが高くなる)。円高を待っていては海外デビューのタイミングがどんどん遅くなるかもしれませんから、どこかで思い切りましょうよ。私は、海外に行きすぎて、いまさら「よかった」と思うこともとくにありません。いつも、なにかしら「よい」です(笑)。

日本の円安がとてつもなくなっていることを利用して、海外でバイトしたらどれくらいの収入になるのかが気になった。また非正規労働と正規労働の違いを踏まえ、将来自分が正規雇用してもらえるよう専門性を高めるとともに、就活に向けて自分の夢を探すための知識も集めておく必要を感じた。

授業を聞いて、いま日本で稼いでいる人たちが外国に流出することが多くなっているという話をよく理解できた。もうすぐ20歳になるので、年金やらを払わなければいけないのがつらい。
20歳になったら国民年金を毎月17000円以上払わなければならないと聞いて耳が痛くなった。正社員は所得税と厚生年金を勝手に引かれているが、非正規労働者は国民年金を自分で払わなければならないのだとわかった。
・・・> 年金を「払う」のではなく、年金保険料を「納める」「納付する」というのが正しい。その正しさは国の思惑に沿ったものではありますけどね。国語的なことをいえば「耳が痛くなった」のではなく「胃が痛くなった」というのが妥当な慣用表現です。「耳が痛く」なるのは、自分の欠点などを指摘された場合の表現。年金の話は自分のせいではなく社会の現実に向き合う際に「気が重い」ということですよね。

年金や解雇リスク等の着眼点はいままで意識しなかったが、話を聞いて、正社員がよいことをしっかりと理解できた。

起業するにしても相当なリスクがあるけど、正社員であれば国民年金を納めていたら厚生年金をもらえて将来は安定している。それだったら若い人の大半が正社員になろうという思考が多くなるのだと、私の中で納得しました。

最近、日本人ファーストという考え方が大きくなっていますが、資源などがあまりない日本にとってはあまりよくないと思いますが、どうでしょうか。
・・・> だいたいの政策は日本人ファーストになっています。当たり前じゃないですか。経済不振を「外国人」のせいにしても解決しないのに、そこをスケープゴートにすれば、なんとかできるというのが非科学的で、しかも他者に対する侮辱だと私は思います。資源の有無はあまり関係ありません。上のほうでみたように、リスクやマイナスはありつつもグローバル化の恩恵を受けているわけですし、そこに乗っかっている部分も多々あります。スイスみたいに物価が高くなってもよいというのなら、外国産の食料や外国人労働力をストップさせてもいいですが、そんな覚悟もなく、都合のいいところだけを受け取ろうとするのはいかんよね。

グローバル化で外国や外国人が身近になったが、日本でも文化の違いなどから摩擦が激しくなりはじめた気がする。SNS上では人種差別やジェノサイド肯定の過激な発言も見られて、とても残念で、怒りの気持ちがある。日本に来るなら日本のルールやマナー、文化は尊重して守ってほしいとは思うが、守っていない外国人ばかりではなく、民族全体をひとくくりにし(主語を大きくし)、さらに差別するというのは間違っている。これから共生について考えていきたい。

 


開講にあたって

この現代社会論は、学部指定科目群1に属し、「人間・社会の理解」にかかわる分野として設定されています。現代社会というのは「世の中すべて」のように広い範囲を指しますので、なかなか捉えどころが難しいのですが、当クラスは産業industry)に注目して、社会の成り立ちや近年の変化、そして近未来の可能性や課題などを考察していきます。みなさんは小・中・高の社会科や公民科で、第○次産業といった話を何度も扱ってきたことでしょう。また地理の授業では「この地域の産業の特色は」といった切り口で学ぶことがしばしばあります。大学の教養科目では、もう「試験のためにおぼえる」などという(ほとんど無意味な)ことはありませんので、授業で扱われている内容を常に自身に引きつけて、「自分たちの問題」なのだという視点で考えましょう。最もわかりやすい話としては、「数年後、大学を卒業してどこかに就職する」人が大半であるはずで、その「どこか」の話だということです。冷静に考えればわかるように、世の中は常に動いていて停まることがありません。「いま」の様態がずっとつづくはずがない。ですから「いま、いちばんイケてる産業はどこですか? 僕そこに就職します」という発想は、10年後、20年後になると話の前提自体が変わっていて、当人が損するということになるわけです。私(古賀)は、長年にわたって高校・大学で社会系の授業をもっていますが、そこで学んでいる「社会」が、自身の立っている足場であり、これから生きていく舞台なのだという感覚をもたないままでいる生徒・学生がずいぶん多いな、もったいないなと思うことがあります。せっかく学ぶのであれば、「社会の有意義な見方」を身につけたいですよね。

科目名についている「現代(の)」は、英語ではcontemporaryです。接頭辞のcon- は「共に」という意味であり、tempoは時間を意味するラテン語由来の語です。つまりは「同時代の」「時間を同じくする」という形容詞が、社会にかかっていることになります。同時代の、というのは、どの範囲なのでしょうか。20歳になるかならないかのみなさんにとって、それは「ここ数年」なのでしょう。スマートフォンが日本で普及したのが2011年ころからなのですが、それ以前の社会は「相当に古い時代」に思えるのではないでしょうか。しかし、当科目で捉えようとする「同時代の(現代の)社会」は、だいたい5080年くらい、テーマによっては100年くらいにもなります。これから何十年か先を見通すには、それくらいの幅をもって、社会を捉える必要があります。受講生の中には、進みたい産業分野がすでに固まっているという人もあるだろうし、まるで見当がつかないという人もあることでしょう。いずれにしても、「この分野には興味がないから、今回はパス」などと安易に考えずに、いったん自分の頭で考えて、問題をかみしめるようにしてみましょう。どんな分野に進むにしても、商売する相手は別の分野の人ですし、市場のニーズを知ろうとするなら狭い範囲に閉じこもっていてはどうにもなりません。商品開発に携わろうとすればなおさらです。たとえば、農業(第一次産業)のことは視野の外だという人が多いことでしょう。でも、農業で用いられる機械は製造業のうち機械工業(第二次産業)でつくられるものですし、農作物が流通するしくみはサービス業(第三次産業)に属します。どの分野でもそれ単体で成り立つということはありません。これから先の時代は、さらにそうした相互関係が重要になります。

 

<評価>
2回の提出物(レポート)の内容により評定します。
出欠は評価対象に含みません。

 

 


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