古賀毅の講義サポート 2021-2022

Études sur la société contemporaine

現代社会論


千葉工業大学工学部機械工学科、電気電子工学科、社会システム科学部プロジェクトマネジメント学科 各2年 (学部指定科目)
前期 火曜34限(11:00-13:00)  新習志野キャンパス 8号館 8209教室  

 

 

 

 

 

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2021
7月の授業予定
7
6日 産業・労働のグローバル化
7
13日 変わりゆく産業社会とキャリア形成


 

 

本年度の授業は終了しました。今後のご活躍をお祈りいたします。

当科目の評定、講評はmanabaにて発信してます。



REVIEW 7/13
*文意を変えない範囲で表現・用字法を改めることがあります。また掲載の省略や複数レビューの統合もあります。

現代社会論は何十年という推移を見ないとわからないものだと理解した。私は最近のものを取り上げるのだと思ったが、昔の情報を得て学ぶことが多くあることに気づいた。

長いスパンで物事や社会を見つめていくことがこの科目の授業テーマでした。もしかしてバイト 教養・知識の獲得!?

常に時代の流れを考えて行動しなければいけないと思った。いまの日本はいろいろ後手後手の気がするから、そうならないように考えながら生きていきたい。

半年間の授業を通じて、社会の変化や想定外の事象などに直面した際に、それをどのように捉え、考察し、判断すればよいのか、新しい視点を獲得することができたと思った。

現代の話になり、今後の自分についても考えさせられるところが多かった。自身の専門分野についてもう少し見直す必要があると思った。

一人あたりの生産性を高めることで日本は生き残っているのだろうが、限界が来てしまうのではないだろうか。

何万、何千万という人間がつどい使用するSNSTwitterとか)ですら、その中で多様性がはぐくまれているかというとそうではないように思う。同じ趣味、属性の人間がつながり、見たいもの欲しいもののみを収集し吸収する一方、それ以外の要らないもの見たくないものはシャットアウトする。そういった集団とそれを構成する人の数が増えたというだけで、SNSに期待されている「他のもの」との交流による思想や趣味、アイデアの多様性の促進はまったくできていないと思う。
・・・> 本当にそうですねえ。それでもなおSNSには今後期待できる、というべきなのか、よい部分を発揮できないまま歴史の中に消えていくのか。

自分が正しいと思っている資料がデマだったら怖い。先生は、私の親くらいの世代の方たちをある種の怠惰だといっていたが、納得できると思った。インターネットから正しい情報を見つけられるようにがんばりたいと思った。

ネットの情報にはだまされないつもりであったが、見直すべきだと思った。

インターネットしか知らないし使えないのは、Z世代の長所であり短所でもあると思った。

ニュースにまぎれる広告うっとうしいですよね。
アフィリエイト広告の話はよく理解できた。Amazonなどで購入した商品に関連するものの広告が出てくることがよくある。自分の好きなものが広告で出てくるので理解できた。


日本型雇用慣行を継続できなくなった原因は経済のグローバル化にもある
何ごとも日本国内に「閉じた」システムだったのが、それでは立ち行かなくなっていった
世界は広く、そこまで視野を広げれば機会や可能性はいくらでもある(写真はブルガリア ソフィア中心部)

 

終身雇用は、先を見ることができずに現在の手取りが少ないと考えるアホな若者が増えたから減っているのだと思っていたが、企業側が経済成長を前提としてやっていたことが無理になってきているのだという事情がわかった。

終身雇用のよいところと雇用流動化のよいところを半端に取り入れてしまっているから、年功序列的というか、閉塞的ともとれる労働になっているように感じられた。なるべくどちらの長所も生かせるようなフレキシブルな働き方ができるようになればいいと思う。

終身雇用の時代から雇用流動化の時代へと変化し、会社が十分に社員の面倒をみることはなくなり、スキルや能力の高い人が生き残ることができるという弱肉強食のような社会になった。大学生活のあいだに自分のスキルを磨き上げていきたいと思った。

授業を聞いてピーターの法則を思い出した。仕事で成果を出した人が昇進することで、無能な上司になっていくということである。勉強の成績がよいからといってコミュニケーション能力が高いとはかぎらないので、上司が無能になる可能性が高く、結果的に会社の経営が悪化する。だとすると偏差値が高いという理由だけで学生を採用すると企業は痛い目に合うのだろうか。
・・・> 企業の採用担当の視点に立ってみたらどう見えるだろうか。有名(有力)大学出身という看板を重視するか、人物を重視するか。後者でなければその企業は危ういのですが、社長やオーナーの立場であればともかく、一社員にすぎない採用担当者は、学歴重視で採用して失敗しても「東大なのでだいたい大丈夫と思ったらだめでした」と言い訳できるが、人物重視で失敗したら「すみません自分の責任です」となってしまいます。その度胸はなかなかないかもしれない(そんな企業はつぶれてしまえばいいと思いますけどね!)。

私は小・中・高に対して大きな思い入れがなかった。会社に就職しても深い思い入れが芽生えることはないと思う。終身雇用が悪いとは思わないが、私には向いていないと思う。

高校生のときは年功制が消えつつあることをラッキーと思っていたが、いざ就職を目の前にすると、将来の不安しかない。

終身雇用が当たり前だった時代が終わり、キャリアの途上に転職や解雇などの転機が何度も訪れる流動的な雇用の時代になっている。自分が就職したあとで、自分よりも若くて技術が優れている人材が現れたとき、解雇されてしまうのかと考えると、恐ろしい時代になったと思う。

年々給料のベースが上がるシステムは、私にとっては歩合制よりよいと感じました。しかし社会も変化していっているので、置いていかれないようにしたい。

終身雇用・年功賃金は、安定していてよいが、私は挑戦してみたいので、なくてもいいと思う。

 
グローバルな知の殿堂 (左)パリ ソルボンヌ大学 (右)ベルリン フンボルト大学

 

就学期間の長期化はメリットばかりだと考えていたが、社会に出ることへの抵抗を生んでしまう。必要とされない大学が今後失われていくのだろうと思う。

大学進学率は上昇しているが教育レベルは下がっていると思う。就学期間が延びると社会に出たくなくなるのも問題だが、期間が延びることにより教育速度が落ちていっているように感じる。いまの高卒と昔の高卒に知識量の壁を感じる。
・・・> 知識「量」ではないような気もするけれど、ん〜、量というのもあるかなやっぱり。同世代の人口が多かった時代は、とにかくものすごい競争でしたので、そりゃむやみに(それこそ量的に)勉強しましたよね。私が受けた学部の競争倍率は30倍でしたからねえ(それでも受かったと、実は自慢している 笑)。

NEETの語源には意味がしっかりとあったことを知れておもしろかった。

就職せず、早いうちから働かずに進学する理由は、高校や大学の卒業を最低条件とする企業が多く、働くとなると職人の道が大半だから、進学率が高いのではないかと思う。学歴よりも技術力(現場の場数)があるほうがいまの社会にマッチしていると思う。工業高校とかのほうが有利かもしれない(スキルアップを図れるという意味で)。
・・・> 高度成長の途中(1970年代くらい)までは、進学とその先の学びというのがちゃんと意味をもっていて、上位の学校で学んだ人のスペックが高く、高賃金を得るのも当然という状況でした。それがいつしか形骸化して、進学するからするのだ、というふうになっていきます。このあたりも数十年の推移をみると、いまの状態がずっとつづくわけではないことがわかります。

大学の数と学生の数のバランスが崩れるというのも仕方ないことですが、結局残るのは都市圏の大学なのでしょうか・・・。
・・・> 一般論としてはそうなのですけれど、このところのオンライン教育など見ていると、もう少し複雑な展開になるかなという気はします。オンラインが拡大していくと、日本にいながら海外の教育を受けることだってできるようになりますしね。

大学の多様性がなくなってきているというのは、たしかにそうかもしれないと思う。知り合った人の半数以上が首都圏出身だった。高校を卒業してすぐに大学に入らず、何年かしてから入学する人を浪人と呼ぶということは、大学は高校を卒業してすぐに入るものだということを表してしまっている。

とくに理由もなく大学に入ったので、勉強に対してやる気が出ない。
・・・> 千葉工大は3年進級時にキャンパスが変わるのが好機じゃない? あと半年で見つけちゃえ!

もし先生が大学生に戻れたらやりたいことは何ですか?(本以外で)
・・・> 北海道に行って、平成のあいだに半分くらいが廃止になってしまう鉄道にひたすら乗りまくる。あのころ北海道を優先しておくべきだったな〜。

学生が社会に出ずにずっと学校の中にいる、という話に納得した。
いわれてみれば高校や大学に進んだのも、明確な理由があったわけではないので、どこか心の中で「社会に出たくないな」と思っていたのかもしれないなと思いました。

学生である期間が長いため社会に出たくなくなるというのは私にも当てはまる。私は自身が社会に出て働いている姿が想像できないと思っていたが、それは単に学生であるいまの生活から変わりたくないという想いがあるのだと思った。

モラトリアム症候群にならないように気をつけようと思った。

長すぎるモラトリアムも、よい・悪いのない、ただの変化だと思った。
・・・> 俯瞰してみるならもちろん「ただの変化」だけど、自分にとっては(主観では)よい・悪いというのがあるんじゃない?

東大の10人に1人くらいは失敗するという例を聞き、身近に帝大出身者ながらもフリーターをしている人がいるので、大学に入って安心してはいけないと思った。モラトリアム再延長のリスクに当てはまってしまったのだろうか。
現代になるにつれて社会が変わっていき、職への価値観も大きく変わってきた。考え方も柔軟になってきた。また、考えすぎによるモラトリアムの再延長というリスクも出てきていることがわかった。

就職するか大学院に行くか悩みつづけていた(どちらかといえば院に行こうと思っていた)のは、社会に出て専門分野を極めていくうえで完全に自分ひとりで学んでいかなければならないという事実が怖くて、社会に出ることから逃げていたからだったと、今回の授業で気づかされた。この夏休みにこの授業を振り返りつつ、いまの社会がどうなっているのかをよく観察し、自分の将来について考えようと思った。
正直最近まで何も考えずに大学院に行くつもりでいたが、考えなおすきっかけにしようと思った。お金は稼がなければならないが、専門的な分野への就職は、あとから入社し最新の教育を受けた人たちに席を奪われるかもしれない。どちらにもリスクがあると思った。

 
国際金融の中心地 (左)ニューヨーク ウォール・ストリート (右)ロンドン シティ

 

仕事をしながら自分のスキルを磨くというモデルが失われつつあるということですが、いきなり学びの場に放り出されるのを想像し、不安に感じました。

個人のもつ専門的な知識などが重視されつつあるわけだが、昔は手に入れにくかった知識がネットや書籍で入手しやすくなったため、一概に悪い時代になったともいえない(モチベーションのある人間にとっては、ということだが)。

終身雇用の時代からクビを切りやすい非正規雇用などを多く取り入れた雇用流動化の時代になって、自身のスキルアップなどが今後社会に出るためのカギなのではないかと考えた。
専門性に特化し、他の分野への関心が薄いことが就職に大きな影響を与えることを理解した。とくに雇用の流動化が進む中で、能力や運がない人こそ幅広い専門性が必要となる。
・・・> 「社会に出るためのカギ」「就職への影響」はもちろんそうなのですが、私が強調したのは、入口よりもそのあと。つまりいったん企業等に入ったあとの話です。もう誰も面倒を見てくれないので、そっちのほうがはるかに大変ですよ〜。

これから先の少子高齢化が心配だ。移民を増やすしか方法はないのですか?
・・・> 外国人労働力を増やす、高齢者にもっと働いてもらう、女性にもっと働いてもらう、そしてそれらの組み合わせしかないでしょ? というのが従来の言い方だったのですが、AIを搭載したロボットならいろいろ行けちゃうかもしれないですね。生意気な大卒よりも雇いやすいか?

授業を通じて、情報の入手の仕方や社会への考え方、視野の広さが変わった。

自分の価値観だけに終わらないように、新聞などを読もうと思えた授業でした。

私たちがいま生きている社会は消費社会であり、よく知らないまま消費者となっている。これからの私たちは消費者ではなく「つくり手」にならなければならない。そのためにはいままでの常識をいったん見つめなおして、理解したうえで、別の角度から見ていくことが必要だと考える。

 



開講にあたって

中学校や高等学校の社会科(正確にいえば高校では地理歴史科と公民科)は好きでしたか? ――これまでの経験で、千葉工大の学生の78割が好きではない、苦手だと答えることがわかっています。音楽の授業は好きでしたか?と聞いて、音楽を聴いたり歌ったりするのは好きだが学校の音楽の授業はちょっと、という人も多いことでしょう。本当は社会の学習もそれに似て、社会科なんてつまらなくても、点数が低くても、実際の社会を見て考えるのがおもしろい、ということであれば問題はありません。ところが社会科の授業が嫌いなせいで「社会」そのものへの関心を薄めてしまう人がけっこう多いのは残念です。本当は興味があるし(そこでずっと生きていくわけだから)、いろいろと知りたいが、どう考えてよいものかとっかかりがない、という人も少なくないはずです。ほかならぬ社会科の学習が、社会と向き合うことから青少年を遠ざけてしまっているのならば、非常にもったいないし、残念なことといわなくてはなりません。

当科目は、現代社会論の科目名のとおり、現代社会contemporary society)を直接の対象として学ぶものです。そして当クラスを担当する教員(古賀)は、長く高等学校の公民科(現代社会、倫理、政治・経済)の指導にかかわってきたベテランの「社会の先生」です。ですから基本的には中学校や高等学校の社会の学びの延長で捉えていただいてかまいません。ただ、もう学習指導要領も検定教科書もありませんし、共通テスト(旧センター試験)もないわけだから、学ぶ素材が国会や法律や資本主義や貿易のことである必要はない。現代社会といえばこの世のあらゆるものを含んでいるので、マンガでもアニメでもコスプレでもカラオケでもオンラインゲームでもラーメン屋でも学びの素材になりえます。現代社会とどのように向き合い、切り込んでいくかという事例を示せればよいのです。

2021年度の現代社会論では、産業industory)を直接の対象とし、それを固定的に捉えるのではなく、動態的に、常に変化しつづけるものとして認識し、主体的に考察することをめざします。産業と聞くとどうしてもカタい印象を受けますが、受講生の全員が、いまから数年内になんらかの産業分野にかかわって、ひとりの社会人として生きていくことになります。誰にとっても「自身の問題」ということができます。いずれの産業分野でも、そしてどんな企業でも、それ単体で成り立っているということはありません。たとえば「私は食品産業に就職するのでその部門のことだけ知っておけばいいですね」という発想がナンセンスであることはいうまでもないはずです。当クラスの受講生には純粋な理系の人が多くて、よい製品(商品)をつくるということに全力を傾けることになる人も多いと思いますが、売る相手のことを考えずに「私がつくったすばらしい商品だから買いなさい」といっても無理で、そこは相手の立場(考え方やニーズ)も十分に知っておかなくてはならないわけです。売る相手は「文系」「社会」だと考えておくくらいでちょうどいいかもしれません。いまあらためて大学生として現代社会、そして産業を学ぶ意味はそのあたりにあります。

いうまでもありませんが、授業内で取り上げる情報が最新のものだったとしても、それは2021年現在のことであり、みなさんがリアルな社会人になったころには情勢は変わっているかもしれません。というか、絶えず変わりつづけると思ったほうがよい。個別の知識を「覚える」ことが無意味であるというひとつの理由でもあります。社会科は暗記だから嫌いだという人が多いのだけれども、社会科は間違っても暗記なんかではありません。お願いですから暗記しないでください。当科目では対象を「思考する」、そこにのみ注力します。したがって、授業をまともに聴かないままネットで何かちょこちょこ調べてレポートを書いても成績はつきませんのでご注意ください。


<評価>
中間(プレゼン)および期末の課題(レポート)の成果により評定します。
出席点はいっさいありません。したがって「授業に参加するつもりはないが、とりあえずそこ(教室)にいる」必要はまったくありません。

 


 


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