France/Deutschland sans frontière!!

PART8

 


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トラムを降りた市役所電停はD5E5のあいだ。つまり目抜きのプランケン・ハイデルベルク通りはD列とE列のあいだを東西に貫いていることになります。選帝侯の宮殿(Barockschloß)からまっすぐ伸びる南北のメインストリート、クルプファルツ通り(Kurpfalzstraße)との交差点がD1/E1地点。ここから東はO列とP列になります。京都でいえば左京から右京に入るということだけど、スケールはかなりちっちゃい。京都といえば、かつての京都市電は東大路・西大路などの外周線と都心部を縦横につらぬく烏丸通、四条通などに路線を展開していました。マンハイムのこの交点はさしずめ四条烏丸交差点ということになりますか。スケールはちっちゃいけどね(笑)。京都の繁華街は四条烏丸から東、左京方面(河原町方面)に広がりますが、ここマンハイムでは右京というかOP列側に繁華街があるようです。同様に環状道路の内側に中心市街地をもつウィーンのトラムはリンク上を走って、内側には入ってきません。ここのはマル十字みたいな路線で、わかりやすいですね。

 マンハイム中心部独特の住所表示

 
計画都市の中心、パレード広場付近 タクシーは部分的に乗り入れることができるらしい


私はといえば、その縦横の線路に続々とやってくるトラムに萌え萌えなのです。計画都市にトラムとかやばくないですかあ?(今ふうに) 歩車分離の措置をとった上でトラムだけは乗り入れを認めるという町づくりは、これまでにも欧州のあちこちで見てきました。そのままDB線に乗り入れてしまうカールスルーエのトラムはまぢやばかったです。トラムに感じるわくわくって、きっとあれでしょうね。敷地の外側から電車を眺めるのではなく、仕切りも何もない「真横」を電車が走るからなのでしょう。最寄り駅まで78分離れたところで育ってもテツ分が濃いのだから、こんなところで育てばいよいよアレですわな。でも、小さな子どもにとっては決して安全とはいえない構造なので、そのあたりは難しいところです。地元の人はトラムの前後を平然と横断していきます。運転士は十分に気をつけるだろうけど、事故は起こらないのだろうか。

 
トラムに萌え萌え(ハート)


線路の敷かれたメインストリートだけでなく、その前後にも足を運びましょう。少し意識してギザギザ歩き。銀座や新宿もそうだけど、表通りと違って裏側には小規模のショップや飲食店が並んで、むしろ生活感があっておもしろいかもしれません。それこそ新宿みたいに、郷土色というのがほとんどない消費文化の世界ではあります。ケバブ屋さんとか寿司屋さんがあるのはいまやどの都市でも同じです。この付近に関するかぎり治安はよさそうで、裏側でも普通に歩けます。マンハイム、なかなかいいじゃないか。何も見どころがないよという触れ込みだったけど、お店のたくさんある市街地と路面電車をこよなく愛する私にとっては、きわめて居心地のよい町に思われます。

 
 


H&M
とかZARAとかマクドナルドとか、消費文化のきわみみたいなショップが目立つのは給水塔が間近に見える付近。ギザギザしながらプランケン・ハイデルベルク通りを東端のほうまで歩いてきました。いま歩いてきたのは東西の道、京都でいう四条通ですので、今度は烏丸通にあたる南北筋を見に行こう(しつこいようですがスケールはかなりちっちゃい)。やってきた4系統のトラムに乗って、例の交点を右折し、アーベントアカデミー(Abendakademie)電停で下車。「夜のアカデミー」って何だ?

17時を回って、そろそろ薄暗くなってきました。明日の午前もマンハイムの見学に充てられるし、そもそも具体的なめあてがあるわけではないので、行動をせくことはありません。いまさらカフェで小休止ということでもないので、早めに夕食(とビール)をとってホテルに戻ればいいかな。これがフランスだと夕食時間がやたらに遅いので(20時前でも早すぎるらしい)困るのだけど、ドイツは日本人の感覚に近いのでね。ていうか欧州でもフランスが例外のような気がするけどな。

 
マルクト広場とスーパーマーケット


宮殿側に少し戻るとマルクト広場Marktplatz)という方形の広場がありました。ドイツ語圏のどこに行ってもマルクトプラッツという名の広場がありますね。その付近に大衆的な感じのスーパーがあったので寝酒を調達。ワイン関係はあまり食指が動かなかったので0.5Lの缶ビール1本だけ買いました。本体€0.79、デポジット€0.25で込み込み€1.04とは恐れ入ります。結局このビールは開けずに東京に持ち帰って後日飲んだのだけど、きちんとしたピルスナーでした。円安の関係でそこまでお得感がないように思えるけど、日本の酒類は税金がかかりすぎだものなあ。あ、必ずしもそれが嫌だといっているわけでもありません。ドイツ並みの価格だったら健康へのダメージが大きくなるかもしれないので。

18時を回りました。さっき歩いて飲食店が並んでいることを確認していたPQ間の筋に戻り、晩ごはんの場所を物色。いたって普通の商業地なのでたいていのものは食べられそうですが、どこかそれらしいところないかな。さっき通ったときには「ふうん」としか思わなかった角地のレストランが、夜になっていい感じの空気を出していたので、そこに入ることにしよう。Alter Simplというお店で、表に掲出している黒板メニューはドイツ語だけだけど、もし英語がなくても庶民的なレストランならどうにでもなるよ。全体にウッディな内装の店に入ると、男性の店員さんが手際よく席に案内してくれます。ドア側には日本の飲食店で見かけるタイプのカウンターがあり、おそらくドリンク主体、私は奥のテーブルに案内されました。先客がちらほらあり、みなビールを飲んでいます。初めてドイツに来た10年前は、「ドイツでビールを飲む」というシチュエーション自体に気分が上がったものですわ(お恥ずかしい)。

 


あすパリに戻って1泊し、明後日の夜の便で東京に帰るわけですが、となるとパリ最終夜は何らかの肉料理。あまり重ならないほうがいいかな。でも、表の黒板にもあり、英語版をもってきてくれたメニューにもあるRumpsteakが食べたいんだよね。東京で食べる機会はほとんどないのに、欧州に来るとどうしてもステーキを食べたくなるのはなぜだろう。パリに着いてすぐステーキ食べているので2回目だけど、いいや(実はパリでこの2日後のランチにも食べている 笑)。ドイツ語でRumpsteak mit Röstzwiebeln oder Kräuterbutter dazu Bratkartoffelnとあります。後半部分はわからないのだけど、ランプステーキwithなんちゃらというのはわかる。で、英語のほうはRumpsteak with roasted onions or herb butter served with fried potatoesとな。なるほど! それとドラフト・ビアを1つ。店員さんは「サラダいかがですか?」と間髪いれずに聞いてきたので、んじゃそれも。生ビールは標準的なピルスナーですがもちろん美味しく、10年経って普通にドイツでビール飲めるようになりました。すぐに運ばれた生野菜サラダをアテにするわけですが、フランスのカジュアル・レストランでもそうであるように、フレンチ・ドレッシングがヒタヒタになっていて野菜の味がしません(笑)。

 
今宵のディナー:牛ランプ肉のステーキ、炒めタマネギとフライドポテト添え


あまり間を置かずに運ばれたメインの料理は、300gくらいありそうな分厚い牛肉の上に、炒めたタマネギを大量にトッピングしたものでした。料理名のoder / orにあたる部分を訊ねられなかったのですが、この客にはハーブ・バターではなくオニオンだと顔で判断されたとか? さっそく切り分けて口に運ぶと、あらら、これは美味しい。いい肉を使っています。やわらかさと焼き加減が絶妙。タマネギの甘みがまた牛肉とよく合いますね。シャリアピン・ステーキという料理(実は日本のオリジナル)がありますが、あれはすり下ろしたタマネギに肉を漬け込んでから焼いて、もう少しくったりさせた炒めタマネギをトッピングしたもので、味わいはずいぶん違います。何しろ量が多いので大丈夫かなと思ったものの、どうにか完食。ビールが早々に切れたので、赤ワイン(0.25L)を頼みました。ここはドイツだけど、やっぱりステーキにはワインが合います。朝からDB、ケーブルカー、トラムと乗り物ざんまいで、3都市の市街地を回り、締めに美味しい肉。何とすばらしい1日なのだ! ステーキは€17.90。パリあたりでこの質・量の肉を食べたら倍くらいとられるぞ。サラダが€3.90、生ビール€3.40、赤ワイン€4.10で〆て€29.30でした。いや満足。

いい気分になってプランケン・ハイデルベルク通りに出ると、もう真っ暗な夜で、さすがに路面店も大半がクローズになっています。目抜きの夜はどこでも早いですからね。ただトラムは相変わらずばんばんやってくるので、酒を飲んでいるだけに気をつけなきゃ。信号のないところの横断なんか絶対にしないぞと気を引き締めておかないと、注意が散漫になってしまう恐れがあります。6a系統のトラムをペスタロッチシューレで降りて、ホテルに戻りました。またも惰性的にタブレットをWi-fiにつなごうとしたらうまくいきません。レセプションに降りていってやり方を訊ねると、「ここに接続方法とパスコードがあります。ただし1回につき30分だけです」と、プリントアウトした紙を渡されました。――オンリー・サーティー・ミニッツ?? リアリー? 「イエス、30分だけ」と、きちんとした身なりのホテルウーマンは遺憾だという表情をしてみせて、延長戦用にとさらに3枚ほど打ち出してくれました。Wi-fi有料というのはまだわかるけど、いまどき時間制限、それも30分というのはありえん設定で、おそらく利用者からの苦情がしょっちゅうあるので顔の演技も毎度になっているのでしょう。そういえば、インターネットが常時接続になる前、ダイヤルアップの時代に、私が初めて申し込んだプランは1ヵ月5時間以内使い放題というものでした。スマホがなければ一瞬も生きられず、速度制限がかかる月末にいらいらする最近の若者には信じられんだろうな。私のほうは、もうネットで手配すべき何かがあるわけでもないので、2時間分もらえばまあいいかというところです。ちょこっと居眠りして、一風呂浴びてから22時ころ0階に降りて、レセプション横にあるホテルバーでヴァイツェン・ビア(€4.10)を発注。ウォッカをちびちびやっている隣席の男性と、とくに会話するでもなく、ときどき目を合わせてにっこり。こういうのもいいですねえ。赤ワインを追加すると小さなデキャンタで供されました(€6.80)。ホテル相場にしては安くていいじゃん。

 


今回最終日の225日(木)は朝からいい天気、8時ころ0階に降りて、くだんの€17のブレークファストです。このホテルはレストランを兼営しており、そこがそのまま朝食会場になります。きちんとした身なりのボーイさんがポットをスマートに掲げてコーヒーをサーブして回るなど、なるほどビジネスホテルよりは1グレード高めのサービスですが、内容とか味はいうほどではありません。前日のマインツのほうが質的によかった。ホテルの格というのもあるのでしょうが、レストランの予算を別建てしているのかもしれません。場所がらフランクフルター・ヴルスト(ソーセージ)にカイザー・ゼンメル(円形のパンで、横に二分して具をはさむ)などを食べておきましょう。日本のホテルだと、110000円くらいのクラスで朝食は10001500円程度、それで和食と洋食の両方に対応していておかずの種類も多いので、そこは平均値が高いといってよいのではないでしょうか。まあ、せっかく€17払っているので、コーヒーのお代わりをもらってゆっくり味わいます。

今日は中央駅を1341分に出るICEでパリに帰ります。昼ごはんの余裕をみて、11時半くらいにチェックアウトするとして、2時間ちょっと散策の時間がありますね。午前だけだけど5回乗れば元を取れる一日乗車券をこの日も買って、ペスタロッチシューレ電停から6系統のトラムに乗り込みます。条里制の中心、目抜きの交差するパラーデプラッツ電停でいったん下車して、今度は南北の筋を走る1系統に乗り換え、シュロス(Schloss 宮殿)電停へ。理想都市として設計されたマンハイム市街地の基点、座標ゼロの地点にバロック宮殿Barockschloß)と呼称されるプファルツ選帝侯の宮殿があります。広々とした方形の前庭をもつシンメトリーの建物で、なるほどバロックというだけあってヴェルサイユの小型版みたいな姿をしています。現在はマンハイム大学(Universität Mannheim)として使用されています。日本の大学の中にも江戸時代の城跡に建つものがあるけれど、お城そのものが校舎ということはさすがにないですよね。隣町に名門のハイデルベルク大学があるので、棲み分けということか、マンハイム大学は経営学部などのビジネス系が中心になっているようです。まじめそうな?学生さんたちがぞろぞろ。


バロック様式の選帝侯宮殿 現在はマンハイム大学が使用している


裏庭が立派とのことだったので行ってみたら工事中だったので引き返します。それならライン川方面に行こうかなと思い、トラムを中央駅前で3系統に乗り換え、DBの線路を鉄橋で渡り越してリンデンホフプラッツ(Lindenhofplatz)という電停で降りてみました。理想都市もここまで来るとごちゃごちゃした住宅街で、狭い路地に入り込んで迷うのもあれなのでそのまま引き返すことにしましたが、乗ってきた電車が去ったあとの線路を観察して発見。ここから線路が単線になるのね、と思いかけたら、ガントレット(gantlet)でした。一般に「ポイント」と呼ぶ分岐器を用いるのではなく、1対の線路をあたかも単線のように重ねて狭い路盤を共有するものです。日本ではもう40年くらい前になくなっていて、鉄道少年だった私は「外国にはまだあるよ」というのを本で知って妙に関心をもったものです。試みに日本語版のウィキペディアで「単複線」を調べてみると、アムステルダム、リスボン、プラハなどの路面電車で使用例がある由が書かれています。私その3つとも現場で見ました!(笑) いずれもねらったわけではなくて、偶然にね。車両テツとか施設テツではないのだけれど、線路というのは鉄道の原点でもあるので萌える(大笑)。

 
リンデンホフプラッツ電停付近のガントレット 軌道の路盤が狭いため上下線を単線のように重ねて運用している


またまたトラムに乗ってプランケン・ハイデルベルク通りに舞い戻り、市街地をぐるぐる。まだ朝のうちなのでお店も開いたばかりで人の姿もあまりなく、とても静かです。町なかにかぎっていえば、シンプルに直交する縦横の道路だけで構成されているわけだから、方角を見失うことはない反面で、座標のどこにいるかはわからなくなりそうです。ま、でも、あちこちに市街地図が掲げられているし、P3みたいな表示があるので要領を得やすい。マインツでは大聖堂のまわりを一周するだけで方向感覚が狂ったわけだから、この界隈の町づくりにもいろいろあるんですね。もちろんマンハイムのほうが非西欧的といいますか、イレギュラーな例になります。

マンハイムは四角形をしたバーデン・ヴュルテンベルク州の北西(左上)の隅に位置します。ライン川をはさんで向き合う対岸のルートヴィヒスハーフェンはラインラント・プファルツ州で、経済とか市民生活の上では同一市でありながら州が分かれています。マインツと対岸のヴィスバーデン(ヘッセン州)の関係と同じ。中央集権の国フランスと異なり、ドイツは州に内政権がある分権的な連邦国家で、私の分野でいえば、学校制度(小学校とか中学校といった枠組)はほとんど変わらないが教育課程や教科の枠組などは州ごとにまったく違います。封建領主に実際の統治権があったという点ではフランスもドイツも同じなのですが、このマンハイムが築かれた17世紀に、フランスはルイ14世のもとで集権的な領域国家への道を進みはじめ、フランス革命とナポレオン時代を通して極端なまでの集権国家となりました。政治の面でも、英国式の議会制民主主義というのがどうもなじまなかったらしく(フランス革命に際してヴェルサイユの議会がアテにならなかったことも原因となって)、ナポレオン型の行政権と市民の直接行動(たとえば国民投票)を組み合わせた現在の第五共和政にいたりました。他方ドイツは、国家の統一が1871年と遅く、その段階でもプロイセンをはじめとする王・公・侯などの内政権を認めていました。第二次大戦後は、実質的にアメリカ1国の占領を受けた日本と異なり、米・英・仏・ソに分割占領されます。ドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)の発足にあたっては、第二帝国・第三帝国時代の区分は大胆に再編されたのですが、それでも州(Land)に高度の内政権が残されました。政治とか意思決定というのは、身近で視野が及びやすく手の届きそうな範囲でおこなうのが自然なことであり、その点で小さな単位の自治を尊重し、そこで解決しえないレベルのことを上位の(広域の)判断にゆだねるという補完性(Subsidiarität / subsidiarity)の原理が採用されているわけです。ドイツの立法府は、下院にあたる連邦議会が国民による総選挙で選出されるのに対して、上院にあたる連邦参議院(Bundesrat)は各州の政府を代表するもので、州政府の首相または担当閣僚が「議員」になります。このパターンは、実は欧州連合にも採用されており、EUの立法府に相当するのは域内住民の直接選挙で選ばれる欧州議会(European Parliament)と、加盟各国政府の担当閣僚により構成される欧州連合理事会(Council of the European Union)。EUの制度はちょっとややこしくて普通の日本人の想像を超えるのだけれど、ドイツについて学んでおくと非常にわかりやすくなります。マインツでもそうでしたが、マンハイムの町なかには州議会議員選挙に向けた候補者や政党のポスターが掲出されています。この2週間後に実施された選挙では環境政策を重視する同盟90/緑の党が初めて第1党となり州首相を出すことになりました。もちろん排外主義政党の進出もあるのだけど、州の住民の判断はそちらだったということです。フランスと同じく集権的な日本だと、地方の首長候補が国政与党との結びつきを強調する傾向があり、そこは大きな違いですね。

 

スシバー、焼きそばショップ、英会話スクール これが「アメリカ人」のイメージなのか?


マンハイムを含むバーデン・ヴュルテンベルク州の北半分は、バイエルンなどと同じくアメリカの占領を、南半分はフランスの占領を受け、1952年に合併して現在の州になりました。ライン川沿いの地域がいろいろな意味でフランスとの強いかかわりを有してきたことは間違いなく、仏独が強力に手を携えてあゆむ欧州連合の中で、ひきつづき大きな役割を果たしていくことになるはずです。この場所に立ってみるとわかる。ベルリンは遠く、パリは近いのです。だから緊張をはらむのだというのは正しい。緊張をはらんだもの同士が前向きに共存するのだとすれば、もっと正しい。

トラムでリンクを抜け出して、何度めかのタッターサル電停へ。ホテル近くのペスタロッチシューレはさらに2つ先ですが、トラム6系統が走るゼッケンハイマー通りを前日車窓から見て、その雰囲気がよいなと思ったので、歩いてみることにします。昨日駅を降りてホテルに向かったときには、最もわかりやすいルートをというのでリンク→アウグスターンラーゲ通りという人工的な道を進んだのだけど、それと並行する電車通りは庶民的な商店街の感じだったのです。計画地区とDB線にはさまれてあまり広い区画ではないものの、それなりに歴史のある住宅地なのではないでしょうか。巨大都市東京の住民のもので、これくらいのコンパクトな都市っていいなとときどき思います(でも東京のほうがいい 笑)。

 
庶民的なゼッケンハイマー通り


ゆるゆる歩いて、1120分くらいにホテルに戻りました。すぐ前のアウグスターンラーゲ通りにバス停があるので、バスの時刻をチェック。十数分後の便があるのを確認しました。トラムばかりだったので路線バスにも乗ってみたいし、今度はキャリーバッグがあるので歩行距離を短くするほうがよいので。11時半ころチェックアウトしました。精算は済んでいるのでキーを返すだけね。このホテルは、部屋の広さや質はよいけれど、アクセスの面でやや難があるのと、Wi-fiの時間制限と朝食の高さもイマイチ。込み込み€100近いので少しバランスが取れていない気もします。ドイツは全般に宿泊が安いので、つい比較してしまいます。

オットー・ベック通り停留所からバスに乗り、5分くらいで中央駅に着きました。2時間近く余裕があるので、昼ごはんを食べて、コーヒーでも飲みながらのんびりしよう。ここマンハイム中央駅は交通の要衝だけあって線路数も発着便もかなりの多さ。そのわりにコンコースは手狭で、エントランスからいちばん手前のホームまで30mもありません。そのためか、ホーム連絡通路を兼ねる地下1階に飲食店、キヨスク、お土産屋さんなどが並んでいました。マクドナルドとかダンキンドーナツもあります。

 
 
マンハイム中央駅構内で焼きそば


Asiahung
という軽食店があったので列に並びました。主力商品は大好物の焼きそば! もりそばとか素うどんみたいな「素焼きそば」にあたるのはなぜかニッポンヌードル(Nipponnudeln)という名で€3.50と格安。少し具が入ったほうがいいので、Chickin-Yaki€5.50)をオーダーしました。海苔巻きは欧州で「マキ」だけど焼きそばは「ヤキ」なの? 昼どきなので込み合っており、8人掛けのテーブルに隙間を見つけておじゃまします。焼きそばは平皿にたっぷり盛られており、鶏肉と野菜を甘辛く炒めたものがその横に。われわれが焼きそばに何かプラスするときにはトッピングが常ですが、並置なんですね。太めの麺を醤油味で仕上げているので上海焼きそばに近いかな。麺にコシがなくべなべなしているのは、センスというよりはこちらの好みの問題かもしれません。強いていえば福岡の皿うどんに近いかも。長崎風のものは東京でも普通に食べられるようになりましたが、博多風というのは見たことがなくて、実家に戻ったときは天神あたりで皿うどんを食べることにしています。まあでも、やっぱりちょっと違うか。初老のおじさんが焼きそばをずるずる食べている様子を見ると、大阪の下町に来たような感覚をもたなくもありません。

0階に戻って改札のすぐそばのカフェでカフェ(€2.40)。Café Americanoと仏伊語が混じったような品名ですがいわゆるブレンドコーヒーです。読書しながら50分くらい休憩して、ホームに出ました。1341分発のICE9554便パリ東駅行きは1番線、つまりコンコースから直接入れるいちばん手前のホームに入線します。欧州の大半の鉄道線には改札がなく、ドイツではフランスと違って刻印も必要ないため、荷物を引きずってそのまま1番線へ。当方と同じようにキャリーバッグを引いた乗客が続々とホーム上に現れました。アジア系、アフリカ系とおぼしき人も多い。


environ 30 min. en retardはフランス語で「約30分の遅れ」


都市の中央駅なのでSバーンなどの近郊線もやってきます。そのつどお客が乗って降りて。わがICEはその次だなと思いかけたら構内放送が入りました。ドイツ語はわからないので英語とフランス語の部分に耳を傾けると、30分ほど遅れるといっています。この便はマンハイムから遠くないフランクフルトが起点のはずなので、遅れが出たとすると途中の事故などではなく出発そのものが何らかの事情で遅れたということでしょう。航空便でよくあるように、「迎えの機材」の到着が遅れたということかもしれない。やれやれ、そういうこともあるわさ。駅員をつかまえて心配そうに訊ねる家族連れを横目に、こちらはまあ余裕。よくあるんですよ欧州では!

しばらくすると「パリ行きのICEはホームが変更になりました」と構内放送&文字案内。それを聞いて1番線の人たちがぞろぞろと3番線へ移動します。電車好きなので駅にいればさほど退屈しないですし、こういうところで本を読んだりスマホをいじったり(もってきていないけど)したらちょっと危険。「30分ほど」といっていたのに、ICEの流線型の車両が入線したのは約50分遅れの15時半ころでした。最初からいってくれればカフェにおったのにね。

 
ICEに乗ってパリへ帰ろう2016


今回の帰便は1等をおごりました。€79なのでさほど割高感はありません。パリ着は1650分の予定ですが約1時間遅れるということですね。今日はカルチェ・ラタンのホテルに戻って近所で晩ごはん食べるだけだから、それくらい遅れても支障なし。TGV1等は何度か利用したことがあるけれどICEのは初めてです。2等だと2列×2のところ1列+2列、シートも革張り(風)のゆったりしたものになっています。指定された座席は、窓側に若い兄さんが座っている後ろ向きシートの通路側。すぐ後ろの4人向かい合わせ座席がまるまる空いていたのでそちらに移動しました。途中停車駅はカイザースタウテルンとザールブリュッケンだけなのでまあ問題ないでしょう。誰か来たら元の席に戻ればいいしね。ICE1等は思いのほか居心地がよく、各座席には隣接するバー車のメニューが置いてあります。A4両面に軽食と飲み物のリストがぎっしり書いてあり、なかなか充実しているし、コーヒー€2.900.5Lの生ビール€3.90と、町なかと変わらぬ相場なのがすごい。ときどき注文取りのお兄さんが現れます。私はバー車のほうものぞいてみたかったので行ってみると、そちらはTGVと同じような仕様でした。生でなくボトル・ビアを求めると、メニューには€3.30とあるのになぜか€3ちょうどでした。中東系の顔立ちの店員さんが瓶を手渡して、「パリまで何もすることないでしょうからまた飲んでください」とか何とか。最近はどうも分解速度が遅くなったみたいなので1本きりにしておくのがいいと思う(汗)。DB区間すなわちドイツ国内にかぎってですが、Wi-fiもフリーでつながっています。

 出前メニュー(部分)

 
(左)右側を走るロレーヌ付近  (右)左側走行に変わった!


2
日前にマインツへ向けて出発したザールブリュッケン中央駅に停車。このあたりはまだ在来線を走っています。フランス領内に入って、国境のフォルバックを越えてメスの手前あたりで、3日前に通ってきた在来線を右手に分け、高速専用線に入ります。鉄道版のインターチェンジですが、注意深く観察していると、在来線から高速専用線への取り付け線路が上下線を入れ替えて設定されていました。つまりここで右側走行から左側走行に変わっています。もう萌え萌え(何度めかね)。車内アナウンスは同じ車掌さんがドイツ語→フランス語→英語の肉声でこなしていました。フランス側の専用線は4日前に通ったところですけれど、1等に乗っているせいか、より速く感じられます。もう25年前になる19912月に初めてTGV(南東線)に乗ったときは、高架線でなく地平を疾走する感じがものすごく新鮮でした。そのころ欧州の高速鉄道(新幹線)はまだまだ黎明期でしたが、四半世紀を経て、都市間の、あるいは国家間の移動に欠かせないインフラになり、面的な広がりを見せています。オレンジの文字が描かれたJR東海ののぞみが新大阪からJR西日本に入っても何とも思わないように、ドイツ鉄道のICEがフランス領内を疾走してもまったく不思議ではなくなっています。それぞれ豊穣な歴史と文化をもち、幾度となく争っては殺し合ってきたドイツとフランスがこの70年間に築いてきた信頼関係こそが欧州の中核になっています。国境(ボーダー)が相当に低まったからこそ、昨秋パリで大規模なテロをやらかした連中がベルギーからやすやすと入り込んだのだし、いまはシリアなどからの難民が欧州各地に陸続としてやってきています。でも、かつてのようにそこを閉ざせば問題は解決するのか?? 列車で初めてドイツ国境を(知らず知らず)越えてから10年、欧州情勢は現状あまりかんばしくなく、EU発足いらい最大の危機を迎えつつあるのは事実ですが、それでも前進する姿を見守っていくことにしましょう。希望と願望と羨望を込めて。

国境なき仏独をあゆむ おわり


パリ東駅に到着したICE(右) フランスのTGVと仲よく、これからも相互乗り入れをよろしく!


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