Mon deuxième voyage à l’Allemagne
PART 11 まさかのブリュッセル ―タリス無情―
これも4年前に降り立ったアーヘン(Aachen)の街を窓越しになつかしく見ました。もう暗くなっています。国境なるものにこだわっていうのであれば、アーヘンはぎりぎりドイツ領内で、すぐベルギーに入ります。ベルギーとはいってもそこはフランス語圏だから不思議な感じがします。また、アーヘンから少しだけ北に行ったところにはオランダとの国境もあって、4年前には滞在1時間半という速攻コースで、欧州連合条約調印の地マーストリヒトを訪れたのでした。そこは当然オランダ語の世界ですね。
列車がベルギー領内に入ると、あからさまに速度を落としました。リエージュ・ギユマン(Liège-Guillemins)駅に着いたときには予定よりも20分くらい遅れています。首都ブリュッセルが近づくと、さらにゆっくり運転になっていました。西欧の鉄道では、列車の遅れがそうめずらしくありません。車両に問題がある場合もありますし、広範なネットワークが張られているため、とくに国際列車では接続待ちや列車の同一区間への集中などで滞ってしまいがちなのです。それにしても、車内販売は来ないし、バー車に行ってみてもまったく営業していないのは不可解。
タリスの車内
ブリュッセル南駅(Bruxelles-Midi / Brussel-zuid)が近づくと、乗客の多くが下車の準備をはじめました。ここでかなりの客が入れ替わるのでしょう。と思っていたら、かなりの客どころか全員が降りようとしています。ホームでは、乗ろうとしていた客と駅員が何やらもめています。前にいたおねえさんに、「この列車を降りなくてはならないのですか」と英仏両語で訊いたら、驚くべき話が。「この列車はここでおしまいです。乗り換えです」と。え? なになに??
あわてて荷物と上着をもってホームに降りました。今回はベルギーの地面に足をつけることは想定していなかった。タリス・カラーのジャケット(日本ならハッピみたいな感覚)を着た若い女性駅員が3人くらいの乗客に応対していたので、そこにもぐり込みました。車内でそういう案内があったのには違いないが、まさか途中打ち切りとは思わないから4つの言語とも聞き流していて、そもそも何がどうなっているのかわかっていないのです。そういえば、ケルンを出てすぐ検札があり、初老の車掌さんが乗客ひとりひとりに「グーテンターク」「ボンジュール」などと声をかけ、相手が返した言語で何やら話しているのを見て、すごいなと思ったのでした。よく考えると、あいさつ以上の話をひとりひとりにするはずがない。あそこで打ち切りの情報を伝えていたのでしょう。私はといえば、慣れないドイツ語の文字の世界で4日間を過ごし、これまでにないほど英語で考え英語で話してきただけに、パリに帰れるうれしさもあってついフランス語で「ボンジュール」などと返したのです。こういう場合にはニュートラルな英語のほうが情報の授受をしやすいと、ストラスブールでも意識して英語にしてきたのに、最後にやってしまったか。
ブリュッセル南駅の駅名票(フランス語/オランダ語) こんなの撮っている場合か!
女性駅員の話をよく聞き取れないでいたら、横にいた70歳くらいのマダムが、次の便に乗れるみたいだから下の階のインフォメーションで聞いてごらんなさい、このへんではよくあることなのよと、丁寧な英語で親切に話してくれました。お勧めに従ってタリス専用の窓口に行ってみると、お詫びなのかそういうものなのか無料のコーヒーが振る舞われている。次の便に乗れるのですか、今日中にパリに帰れるのですねと、今度はちゃんと英語で訊ねました。「21時15分のタリスに乗ることができます。それに乗ればパリに帰れます。いえ、座席指定は無効になります」とのお答え。時計を見たら20時。PardonもExcusez-moiもないまま「乗れるんだからいいじゃん」みたいな態度は、西欧的といえばいえるし、ここはベルギーだけどフランス的ではある。日本の鉄道会社は、ここのところとくに腰が低くて、数分遅れただけで「申し訳ございません」までいわされるのだけど、爪の垢でも分けてやってほしい。(余談ですが、謝り方のレベルとして英語ではpardon > excuse meですがフランス語だとpardon < excusez-moiになり、後者を口にするとかなり丁寧な謝罪になる。責任問題にかかわるので、謝り方は慎重なんですね)
タリス専用インフォメーション(この上がタリス専用のホーム)
ブリュッセル南駅(動揺したのかピントが合っていない・・・)
ここブリュッセル南駅は、いまやってきたリエージュやケルン、あるいはアントウェルペンやアムステルダム、そしてパリやロンドンを結ぶ西欧鉄道網の一大拠点で、ハブ駅といっても過言ではありません。そのサイズの大きさは2007年に来たときに知りました。コンコースもやたらに広く、さまざまなお店があるのも知っていたのだけれど、20時を回って、大半がもう閉店しています。西欧の時間感覚にはときどきよくわからないことがある。国際駅ならば市内以上に遅くまで開けておくべきなんじゃないのかしら。開いているカフェテリアなどをのぞいても、もうまともな食べ物はショーケースに見当たらず、閉店間際の様子です。場所柄か、シックなビールバーがあって、おっちゃんたちでけっこうにぎわっているようだったけど、飲んでいる場合ではないし、下手に酔っ払っていると大事な情報を得られなくなるかもしれない。ベルギー本拠のハンバーガー・チェーンであるクイックと、レストランの店先の売店がかろうじて開いていたので、売店のほうで€3.70のサンドイッチを購入して夕食に充てました。パリ着が21時で、パリジャンはディナータイムがやたらに遅いのでそれから晩ごはんにしようかと思っていたのに、ブリュッセルの駅のベンチでサンドイッチとはね!
まさかのこんな夕食
タリス待合スペースにこんなのぼりが 「ブリュッセル〜パリ1時間22分」って、こういう状況で見ると頭に来るなあ!
トーマス・クック時刻表には21時15分という設定はなく、13分発ならケルンを19時12分に出たこの系統の最終便。クック時刻表もしばしば当てにならないことがあるから、たぶん同一便なのでしょう。だとすれば、そこには本来の当該便の客がいるに違いなく、大いに込むのではないか? パリ着が22時半をすぎるのも確実な情勢です。21時ころ、待合スペースにいた人たちよりも早くホームに上がってみると、すでに何十人かがいて、何号車はどこに停まるという表示がはっきりしないためうろうろしています。客の案内にあたっていた、宇津井健さんに顔立ちと声がよく似た駅員さんに、ここにパリ行きが来るのですね、何号車に乗ればよいのですかと英語で訊ねたら、All cars go to Paris!と何語なまりかの入った英語で答えました。すべての車両が行くのだからテキトーに乗れということかな?
発車時刻のはずの21時15分ころになって、ようやくタリスの赤い編成が、なぜかパリ側から入線しました。中をのぞけば客は乗っておらず、カラの編成を回送したものでした。もうタリスのネットワーク全体がぐじゃぐじゃになってしまっていて、ひとまずパリまでの救済便を仕立てたのかもしれません。待合スペースで小耳にはさんだところでは、アムステルダムからの便も打ち切りになったそうだから、パリに行けずブリュッセルで足止めを食ったタリス難民はかなりの数になりそうなので。21時20分ころ発車の見込み、との案内放送があったものの、まったく動く気配なし。
パリ行きの列車の座席も確保したことだし、この調子だと日付が変わるまでに着けば御の字というくらいなので、もうあれこれ考えるのはよそう。21時40分ころ、同じホームの反対側にタリスが到着し、またも乗客全員が降ろされました。彼らの多くがこちらの車両に移ってきて、席が完全に埋まりました。おそらくは、あれがケルンからの便でしょう。
今度こそ、タリスに乗ってパリへ帰ろう!
まもなく発車します(「タリスは発車する準備ができています」みたいなフランス語と英語)という自動放送が流れたものの、またまた動かない。そもそもこういう事態にテープの自動放送を流すなんて日本じゃありえないよね!(妙に愛国的になっていますな) ホーム上で、さっきの宇津井健と、阿部寛みたいな顔と背格好の駅員があわただしく駆け回り、発車へ向けての何ごとかを進めています。どうも、発車するには何かが足りないらしい。窓越しで声も聞こえないから(聞こえたところでたぶん理解できないだろうけど)、いよいよわからないねえ。ついに、阿部ちゃんが何かをあきらめたような表情で宇津井さんに合図し、右手を高く上げました。21時51分、ようやく発車。車内アナウンスはまたまたお決まりの自動放送(4言語)だけ。お詫びはおろか事情説明すらないのはきわめて遺憾です。
22時ころ、さっそく減速してストップしました。5分ほどして、何ちゃらの困難により・・・お詫びします、とのアナウンスが流れたものの、相変わらず自動放送。自動放送なのだから、何ちゃらの部分は何でも代入可能な変数なんでしょうね。22時12分、ようやく動き出しました。このあたりは在来線区間のはずで、あちこちでダイヤが混乱してつっかえているのでしょう。ベルギーはきわめて鉄道網の充実した国として知られます。そのハブがブリュッセル南駅。ダイヤグラムが一極集中になってしまうため、どこか幹線区間で乱れると、北海道ほどの国全体に、いや隣国までも巻き込んで混乱してしまうのでしょうね。ただ、そういう宿命は自覚しているだろうから、混乱した際の復旧のマニュアルみたいなものもきちんとあるとは思います。まもなく列車は高速規格の専用線に入り、大いに加速して、一面の闇の中を疾走しはじめました。もうフランス領内に入っていたであろう23時15分ころ、初めて肉声の放送があり、何々をお詫びしますといったあと、パリ北駅到着は23時50分になる見込みです、と告げました。ヴァントトワズール・サンカント!(23h50!!)と思わず声を上げたら、隣席のおばさんが「そうね」とあきらめたようにつぶやきました。
ついに北駅に着いたタリス臨時便
何しろ本来は夕方にケルンを出る便でしたから、子どももけっこう乗っていて、ほとんどはパパやママの膝で眠っています。JRの制度では、2時間以上遅れたら特急料金を払い戻しますけれど、包括運賃制であることもあって、それはどうにもなりませんね。車窓はずっと暗闇だったのだけれど(フランスの「原っぱ」を夜に通ればそうなりますね)、左前方に街灯りが見えてきました。あれがパリの灯だ!(ん?)
パリ北郊のサン・ドニを通過すると、住宅が建ち込んだ市内に入ります。郊外線のホームにはまだ灯りがついていますが人の姿は見えません。なぜか今度は見込みどおり、23時50分にパリ北駅に到着しました。メトロは25時くらいまで動いているでしょうが、ここからカルチェ・ラタンの常宿にメトロで戻るには少し遠回りをしなくてはならず、いつもはRERを使うのだけどそっちはもう動いていないことでしょう。パリでタクシーをとることなんてめったにないのに、21日朝に東駅へ行くとき使ったばかりでしたが、今回もお世話になろうかね。タクシープールにおもむくと、さすがに行列ができていましたが、空車がどんどん入ってくるのですぐに乗れました。華僑のドライバーがコテコテのフランス語で軽妙に話します。「ムッシュはアムステルダムからですか? ああケルンね。すばらしい鉄道、すばらしいコンピュータ、でもエレクトリックなトラブルにはどうしようもないよね!」だって。駅で客待ちするタクシーにはトラブルの情報が入るようになっているのか、あるいはラジオか何かで情報を聞いたからこそ客を拾いにきたのか。
フランクフルトでの難儀から解放され、ようやく自分のペースを取り戻したかと思えたきょう24日(あ、もう25日になっている)、夜になってとんでもない難儀を迎えて遠征を終えることになりました。まあでも、旅行と人生にはこういうことがつきものです。私に非があるわけでも、誰かが悪いのでもありません。すべては国民国家のせいなのです。
<ドイツ二旅(ふたたび) おわり>
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