Quatres villes à la
Bretagne: Quimper, Brest, Vannes et Nantes
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世界各地域の経度の基点になるのはロンドン東郊グリニッジで、経度0度0分の子午線(北極と南極とを結ぶ線)が通っています。昨年の暮れにも訪れた英国の首都は、したがって少しだけ西半球にはみ出した西経0度7分に位置します。フランスの首都パリはどうなのかというと、東経2度21分。つまりこちらは少しだけ東半球にはみ出しているわけね。地図に疎い人は意外に思われるのかどうか、パリはロンドンから見てほぼ真南にあります。日本の標準子午線(兵庫県明石市)が東経135度ですので、やっぱりわが列島は欧州から見ればはるか東にあるということです(申すまでもないながら東経・西経とも180度まであります)。ちなみに、中学校の地理で学ぶことなのだけど、経度15度で1時間の時差というのが標準ですので(360度を24時間で割れば15度が算出されます)、日本が135度ということはロンドン(英国)との時差は135÷15=9(時間)ということです。パリ(フランス)もほぼほぼ0度なので同じ計算が成り立つはずですが、なぜか英国より1時間早い時間を使っていますので、日本との時差は8時間。東はポーランドから西はスペインまで、この英国プラス1時間を使用します。サマータイムのときには欧州各国が1時間早まりますので、日本との時差は英国で8時間、フランスほかで7時間。 そのパリやロンドンは、欧州全体の中でかなり西に寄っています。ですので「欧州のどこか別の地域」に旅行しようとすれば、たいていの場合は東を向いて出発することになり、この西欧あちらこちらで訪れた場所の大半は東京と同じ東経何度の世界でした。地図で見ると、パリは東西でいえばフランスの真ん中あたりにあるので、この国の半分は西半球にあるということがわかります。そういえば西経何度のフランスって、ほとんど行ったことがありません。「フランスは政治も教育も観光も中央集権だから、パリで事足りる」などと日ごろ口にしていますけれど、パリが好きなのはそれとして、あまり適切な説明ではないですね。アンチナショナリストのくせに「せっかくならフランスじゃない国に行こう」と国単位で思案しているせいでもあります。たまたま今回は、航空券を予約する際に3点チケット(3 ways:たとえば東京→ロンドン→パリ→東京)とかオープンジョー(Open Jaw:たとえば東京→ロンドン/パリ→東京で、ロンドン・パリ間は自腹で移動)の経由地を思いつかず、シンプルなパリ往復にしています。同僚の先生がいうには「あちこち行きすぎて、もうめぼしいところがないんじゃないですか」とのことですが、それはないにしても、ぜひぜひと身を乗り出すような都市を思いつかなかったのも事実。こういう機会こそ、フランスの西半分、西経何度の地域を訪れよう。
地図出典 旅行のとも ZenTech様
ところで、出発前ではあるのですが、しくじったというか注意散漫で見落としていたところに前夜気づいてしまいました。いまから乗車するTGV8715便カンペール行きは、8日前の2月15日にフランス国鉄SNCFのサイト経由で購入したものです。いまはEチケットと称して、自分でA4判の紙に印刷したものを持参するか、スマートフォンにダウンロードして提示するのが主流。私は印刷した紙を持参しています。それをあらためて見てみると、sans place attribuéeとあるではないか。「割り当てられた座席はない」という意味で、要するに座席指定をとれていないということです。いままで何度も鉄道の切符をネットで手配してきましたが、発券されるということはイコール指定がとれたという意味だと信じ込んでいて(毎回そうだったから)、座席なしなんていう事態を想定していませんでした。確認キーを押す前に「いいですか?」みたいなことを訊ねられているはずなのに、慣れすぎていて見落としました。うう、カンペールまで4時間半の旅程を座席なしで過ごすのは苛酷だぞ!
欧州の鉄道は、列車が何番線から出るのかが事前に確定せず、発車する少し前に発表されます。モンパルナス駅のゼネラル・インフォメーションによれば、発車20分前に発表する由。で、ジャスト20分前の9時46分に、6番線だったかの発表(発車案内板に掲出)がありました。大きな荷物をもった人たちがそれを見て一斉に立ち上がり、下の階のホームに向かいます。TGVの高速区間は全車指定のはずなので、「座席なし」が発券されているということは実際に満席となっているに違いありません。日本の例だと、全車指定席の成田エクスプレスが、満席となった場合にかぎって「立席(りっせき)特急券」を売ります。時間の都合でその列車に乗らなくてはならないが、座れないことを承知で特急料金を支払いますという意味。今回のもきっとそうだな。そもそもブルターニュ行きを最終的に決め、ネット予約に取り組んだのが1週間前というのが遅すぎました。すでに早割などの設定はなく、正札の片道€73でやむなくフィックスしたのです。1ヵ月前くらいにとればその半額くらいで乗れたのになあ、しかも座席なしなんて! ヘビー・リピーターの私がそのようなもたつきを起こしてしまったのは、ひとえに1・2月の気分によります。1月7日のパリのテロ事件で、別にびびりはしないけれど、こんなときにフランスに行くというのも気が重いなあという感覚になり、旅程を考えるという本来ならわくわくするタイミングがついに来ないまま、タイムリミットにさしかかってしまったという次第。
いつもながら北部フランスの車窓は変化に乏しく、おもしろくないので、読書しながら過ごします。ベトナム近代史の本をフランス語の聞こえるフランス国内で読むというのもなかなか臨場感があっていいですよ。ベトナムから見たフランスと、フランスから見たベトナムでは、19世紀も現在でも、精神的な意味では等距離ではなく、アシンメトリーに違いありません。パリを出て次の停車駅は12時12分のレンヌ(Rennes)。学園都市として知られ、モン・サン・ミッシェルに行く際にはここでバスに乗り換えます。どうやらここで編成を分割するらしい。私が乗っている前半分がカンペール行き、後ろ半分はサン・マロ(Saint Malo)行きになる模様です。小田急線の急行が相模大野で分割され、箱根湯本行きと片瀬江ノ島行きに分かれるみたいなことです。同じブルターニュ半島でも、サン・マロは北岸、私がめざすカンペールは南岸。ただ、事前に地図を見ていて、何となくサン・マロのほうを通って途中で半島を横切るのかなと思っていたので、レンヌでその間違いに気づきました。ネット予約だと経由地などがわかりませんので、そういう誤認をしてしまうのですね。数分停車して、「この車両はカンペール行きです。お乗り間違いのないようにご注意ください」というアナウンスが流れました。
このあたりはすでに在来線区間ですし、レンヌから先はローカル線の色合いが濃くなるためか、列車のスピードが目に見えて落ちました。そもそもパリからレンヌまで2時間、ブルターニュに入ってからが2時間半なので、いかに在来線はトロいかがわかります。それでも在来線と新幹線のレール幅が同一なので自在に直通運転を設定できるのは、やっぱりいいですよね。湿地帯みたいなところを通り抜け、13時ちょうどにルドン(Redon)着。ここはブルターニュ半島(南岸)の付け根付近にあり、レンヌの外港の役割を果たしてきました。お天気は雨。週間予報でもブルターニュには傘マークが並んでいて、本当なのだとしたら残念。 13時25分、ヴァンヌ(Vannes)着。このあたりというかこの時間は晴れ。つづいて13時35分にオレー(Auray)着。この16号車と隣の17号車に乗っていた子どもたちが、また大騒ぎしながら降りていきました。パリの子どもが地方に出かけるのか、その逆なのかわからずじまいです。今度はなぜか到着の15分も前から狭いデッキに押し寄せてがやがややっているため、当方の身体にも何度もぶつかってきます。ただ、そのつど謝ってくれるのでいい子たちなのでしょう(笑)。別れ際にBonne journée(よい一日を)と何人かの少年に向けていったら、Vous aussi(そちらさまも)と立派な返礼がありました。感心感心。
子どもたちがいなくなったため車内は閑散としました。ようやくデッキから解放され座席に腰かけたものの、あと1時間くらいですね。今回は、カンペール駅前のホテルを2泊押さえてあるだけで、その後の2泊の予定は立てていません。カンペールはさほど大きな都市ではないので2泊3日を要するはずはないけれど、荷物をもってうろうろしたくないので、そこを拠点にブルターニュのどこかに日帰りで出かければいいかなと考えています。半島の先端に近いところを選んだのは、じわじわパリに向けて戻ってくる旅程を想定したため。ですから、いまローカル列車と化したTGVでたどっている町のどこかに、あさって以降宿泊することになります。列車はロリアン(Lorient)、カンペルレ(Quimperlé)、ロスポルダン(Rosporden)と主要駅に停車して、14時41分の定刻をいくらか遅れて終点カンペールに着きました。ここまで乗りとおしたお客は各車両に5、6人程度のようです。遺憾ながら雨が降っている。
欧州での宿泊予約において、私は主にエクスペディアではなくブッキング・ドットコムを使っています。今回いくつかの候補を検討してみると、田舎だからか、相場が安くて助かります。市の中心と駅は少し離れているらしいけど、足場にするのなら駅前ホテルのほうがよいやね。ということで、その名も「駅(gare)のホテル」というホテル・ド・ラ・ガール(Hôtel de la Gare)を2泊€118で予約しました。フランス流は素泊まり価格です。小さな駅舎を出ようとしたまさにそのとき、雨が本降りになってしまったため、やむなく折り傘を取り出しました。いつも駅からホテルまでは最短距離で行けるように地図を頭に叩き込んでいるのですが、ここは文字どおりの駅前、ジャスト・フロント・オブ・ザ・ステーションで、津田沼駅と千葉工大(これもたいがい目の前だけどね!)よりもずっと近いので迷うはずもありません。駅前通りに面した小さな構えのホテルでした。
1泊€59の部屋は、サッシのドアこそチープですが、十分な広さがあります。ダブル・スタンダードという安いほうから2番目で予約したけれど、もっと安い部屋ならベッドが狭いということですねたぶん。水まわりもまずまず。そしていまどきWi-fiはデフォルトです。20分くらい休憩してから、町歩きに出ました。兄さんのいったとおり雨はすっかり上がって晴天になっていました。兄さんは「歴史的中心の地図」(Plan du Centre Historique)というシティ・マップをくれ、市街地との位置関係を教えてくれます。フレンドリーで親切な人だな〜。目の前の駅前通りを西に直進し15分くらい歩けば中心部とのこと。
聖コランタンというのは伝説上の初代ブルターニュ大司教。実在したとすれば9世紀ころの人のようです。この教会の建設がはじまったのは13世紀、完成をみたのは19世紀と、あちこちで聞くのと同じような推移がありました。ファサードの頭にある2本の尖塔は最後のほうにできたとのこと。前述のアイルランド、ウェールズ、ここブルターニュ、そしてスコットランドなどにいまもケルト系の言語が残っているのは、いずれもいま英国とかフランスと呼んでいる国の西の周縁に位置するためです。いわゆる民族大移動によって欧州の中央部から追われたケルト民族が、それら西縁部に痕跡をとどめているということね。そういう経緯もあって、中世のブルターニュは地続きのフランスよりもイングランドのほうにシンパシーがあったようで、両者が競った12〜15世紀ころには外交をたくましくして国の生き残りをかけたのでした。両国王室との婚姻関係を結んで歴史の海をたくみに泳いできたブルターニュ公国は、しかしその縁つづきゆえにフランス王室ヴァロワ朝の王子を公として迎えることを余儀なくされます。16世紀、イタリア戦争でハプスブルク家の神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世、ブルゴーニュ公シャルル2世)と覇を競ったフランソワ1世が婚姻によりブルターニュ公を継承。女系がつづいたブルターニュの公位を結果的に簒奪しました。その子であるアンリ2世(カトリーヌ・ド・メディシスの夫)のときフランス王国はブルターニュを併合(1547年)、以降はそれなりの自治を認められながらも「フランス」の一部として歴史を刻むことになります。昨2014年、スコットランドが300年ぶりの独立を問う住民投票を実施して話題になりましたが、約500年という歳月はどうなんでしょうね。たぶんだけど、「自分たちはフランスではなくブルターニュだ」という意識が強くなるのは、言語や文化というより、社会的・経済的・政治的に差がついて不利な状況に立たされるときではないかと思う。
雨のち晴れ
飲食店ゾーンは100mかそこらで終わってしまい、単なる「旧市街の路地」みたいな道になりました。また小雨が降ってきますが、折り傘を出すのはよくても収納するのが面倒なので、本降りになるまではがまんしましょう。風はなく、さほど寒くはありません。先ほどホテルでフェイスブックを開いたら、元教え子のSさんの、結婚しました!という報告がタイムラインに現れました。おお、おめでとう。いいねいいね。6年前に卒業旅行のパリで合流したことがあるのですが、「ローマやパリのような大都市よりも、連れて行ってもらったオルレアンの町並が強く印象に残っています」と後々までいってくれました。そうなんですよねえ、どちらがよいということではないにしても、「欧州」を旅行したいという志向の人にとっては地方都市の旧市街の、何でもないような一隅を歩くほうがいいような気はします。ジェンダー偏見を承知でいえば、女性はとくにそうじゃないかな。私のようにしょっちゅう渡欧できる人はそう多くないので、たまに出かけたとき「大物」をねらう心境はよくわかるんですけどね。日帰りエクスカーションでもいいから、どこか小さな都市の訪問を組み込むといいですよ。 *この旅行当時の為替相場はだいたい1ユーロ=138円くらいでした |
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