Mon voyage en Europe occidentale après «une» pause :
Belgique et Flandre
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PART5 |
ホテル・シャニョーの入口 リールの宿は、パリに来てからトゥルネーと同時に手配したところで、駅の真ん前にあるホテル・シャニョー(Hôtel Chagnot)です。駅の近くに泊まるというのは、交通至便でよいという面があるものの、だいたい場末みたいなところが多いのでセキュリティの心配があるともいえます。今回は1泊だけで、宿泊の前後に荷物を預けて動くということもあると考えて、駅前を取った次第です。なるほど地図いらずの駅前に、シャニョーのエントランスが見えました。ブラッスリーなどの飲食店にはさまれた狭い間口で、雑居ビルみたいなところの1階(日本式の2階)以上を客室にしているのでしょう。応対してくれたのは40代くらいの明朗なムッシュで、残念ながら客室の整理が完了していないためチェックインまで荷物を預かりますと。もとよりそのつもりなので、キャリーを預けました。リュックに入っていたお土産関係をエコバッグに移して、それも預かってもらいます。身軽にしないとね。今回の旅程は全体で8泊11日で、今夜が7泊目。荷物の再パッキングが不十分のままなのでどうしてもはみ出してしまいます。あすパリに戻って1泊、その翌朝には帰国の途に就きますので、できれば今夜のうちにキャリー内の整頓はしておかないとですね。個人的なことですが、キャスターのついたバッグはいまのところ大・中・小の3種類あり、夏の遠征は中(サムソナイトです)。そこらへんの人よりも一回り荷物を小さくする自信はあります。 きのうは曇りときどき雨という感じでしたが、きょうは夏の青空です。暑いのは苦手だけど東京の夏の酷暑に比べればどうということはありません。欧州に通いはじめてもう四半世紀、当初は冬場の2月限定だったのが、十数年前から夏冬2回ないし3回の渡欧がレギュラーになりました。町の景観は同じでも、夏場に見るのと冬場のそれとではずいぶん印象が違います。白亜の石造り風の西欧の建物は、夏の青空とのコントラストが絶妙です。荷物を預けて身軽になったうれしさもあいまって、いい気分で町に出ました。リール・フランドル駅を背に、まっすぐ「参道」を下っていくことにしましょう。市の中心部が鉄道駅からかなり離れている例もあり、そこは行ってみないとわかりませんけれども、目で見た感じと、少し歩いたところにトゥーリスト・インフォメーションの方向を示す表示があり、4 min. (徒歩4分)とあるのとで、駅は中心部の一角にあるのだと直感的にわかりました。観光案内所はたいてい市のど真ん中にありますからね(でなければ駅前)。 リール市街地の概念図 駅前通り(フェデルブ通り Rue Faidherb)は200mくらいで終わり、その先にテアトル広場(Place du Théatre)という小広場があります。テアトル(劇場)というのはその一角に見えるリール・オペラ劇場(Opéra de l’Lille)のこと。町の真ん中にこの手の劇場がどかんとあるのが西欧っぽいですよね。その向かいに、市庁舎の時計台(Beffroi de Lille)が見えました。これがリールのシンボルだそうで、断面が正方形の四角柱がすっと天空に向かってそびえており、その塔が広場にせり出した建物の角にあるという造り。インフォメーションの所在を示す案内は時計台とは別の方向を示しており、ひとまずそちらに足を向けると、グラン・プラスないしド・ゴール将軍広場(Gland-Place / Place du Général de Gaulle)がありました。今朝まで滞在したトゥルネーの大広場は「大、というには・・・」という規模で、しかも妙な形状をしていましたが、ここはブリュッセルよりも広く、すっきりとした長方形です。インフォメーションはその大広場を通り抜け、飲食店街などをさらに通り越した先の教会の一角を間借りしていました。無料のシティ・マップがあったのでありがたく拝受します。折りたたみ式で、フランス語、英語、オランダ語の3言語併記、裏面には主だった見どころの解説もあるのでありがたい。といっても、われわれが知るようなVIP級の見どころはないので、思いつくまま歩いて町の様子を観察することにしましょう。 好天に恵まれた土曜の正午ですので、グラン・プラスはすでに多くの人であふれていました。ひとまずこの広場をリールの座標ゼロと考えておいて、ここを起点に町の観察をはじめます。あとで新市街とわかった商業地区を適当に歩きました。人の流れが絶えないので、だいたいそれに沿って進みます。すぐに東西南北の方角を示すセンサーが作動しなくなりました。欧州の町の多くは条里構造になっておらず、思いつくままに道を曲げたでしょという感じのカーブも連続するため、しばしばそうなります。ああなつかしいこの感覚。どこなんだろう、どっちに進むんだろうと思いながら歩く楽しみをかみしめています。 同じようなところを2回くらいぐるぐる回って、ベテューヌ通り(Rue de Béthune)というにぎやかな通りに出ました。どうやらこれが商業的な意味での目抜き、いうところのショッピング街のようで、各種のショップや飲食店が軒を連ねています。全体に若者向けのところが多い。そういえば歩いている人たちの年齢も若めかな。多少じぐざぐしながら、起点から遠ざかるようなイメージで歩いていたら、商業地を画するとおぼしき幹線道路(リベルテ通り Boulevard de la Liberté)に突き当たりました。横断歩道の先に共和国広場(Place de la République)があります。リベルテとかレピュブリークとか、フランスのどんな都市にもありそうな量産型の固有名詞に触れて、ここはフランスだったなと思い当たりました。リベルテ(自由)はともかくベルギー王国に共和国はないですもんね。その共和国広場の日陰のベンチで一休み。給水も忘れずにしておきましょう。犬を散歩させている人が何組かあり、一匹のワンさんは西欧式庭園らしく整えられた噴水の池に飛び込んでは泳ぎ、飛び出してはまた飛び込んで、涼をとっていました。この噴水文化というのも欧州らしいところで、気に入ったものも何ヵ所かあるのですが、最も記憶に残っているのはやはり8月上旬の日差しの強い日に訪れたワルシャワの「噴水公園」のものです。東京の夏のほうがやばい(悪い意味)のだから、視覚的に清涼を演出する工夫をもっとしてみてはどうかと思う。管理が難しいのかな? 共和国広場には市立美術館もあるのですがスルーしまして、いま歩いてきた新市街を、なるべく別の道を選ぶようにしながら戻ります。ショッピング街といっても個人商店が多いようで、楽器屋さんとか、おとなが収集しそうな自動車などをディスプレイした玩具屋さんなど、カテゴリもちょっと渋かったりします。カフェがさほどないところは地方都市やね。パリだと無用なまでにカフェだらけです。そういえばパリ以外のフランスの町っていつ以来なのだろう。日帰りで訪れたのは2018年のシャルトル(Chartres)が最後で、宿泊となると2016年2月のナンシーまでさかのぼらなくてはならないかもしれません。実家が九州ですといいながら福岡まで行くとそこから一歩も動かなくなるのと似て、パリから先に足を伸ばさないということなのでしょう。て、違うか。 ショッピング街に面してサン・モーリス教会(Église Saint-Maurice)が見えました。ファサードに歴史を感じる立派な建物ではありますが、規模はさほどでもなく、権威的なところもあまりないので好感をもてます。これもまたゴシックですね。伽藍の内部は採光がよくて明るく、居やすさがありました。由緒を見ると、11世紀に建設がはじまり19世紀にようやく完成したとあります。ベルギーで見てきたように、中世後期にフランドルが経済社会的に発展して自律傾向にあったので、その動きと連動して、教会の再編成などもおこなわれたのでしょうか。寄付を呼びかけるポスターはあまり控えめでもなく、「カトリック教会は何によって生きられているか? ――100%が寄付。国家からもヴァチカンからもまったく助成がありません」と書かれていました。 地図を見ずに歩いていたら、どうやら大広場の裏手を通り抜けたらしく、大きな通りに出たなと思ったらリール・フランドルの駅前でした。当然ホテルの前でもあるのだけど、チェックインまでは1時間ちょっとあります。駅前にいくつかあるカフェのひとつに声をかけ、テラスに腰かけて生ビール25cLを発注。€3.70でした。味は普通のラガー。ベネルクスや英国との結節点ということもあるためか、周囲のお客はほとんどがトゥーリストらしく、フランス語以外を話している人も多いです。湿度がさほどでもないので、大きなパラソルの下であれば涼しいわけです。燃料を飲みながら30分くらい駅前の様子を眺めていたら、団体客に食事させたいのでテーブルをくっつけたく、場所を替わってくれませんかと店員さん。日陰ならいいですよと、場所を指定して移動しました。こういうのもたまにありますが、日本の店員さんなら食器なども運んでくれそうな気がする(笑)。 フランドル駅のコンコース地下には有料(€1)のお手洗いがあるので、借りておきます。駅構内には小型のモノプリ(スーパー)もあって機能的。まだ時間があり、せっかくだからリール・ウロプ駅を見学しましょう。ウロプ駅は基本的に英国と行き来する列車のための中間駅なので、今回がそうだったように、リールそのものをめざして来ればフランドル駅の利用となりやすく、ウロプで乗降する機会はなかなかありません。要はベルギー南部やフランス北部の各地域から鉄道や自動車でリールまで来て、空港から航空便を利用するような感じでウロプ駅からユーロスターに乗車するという、そんな位置づけの駅です。フランドル駅前の道路をまっすぐ500mくらい歩いたところに、リール・ウロプ駅の建物が見えました。ガラス張りの温室みたいな建物に曲線の屋根を載せた、日本の地方駅なんかにも最近はありそうなデザインで、主観的にはあまり好きな感じではありません。TGV駅としては、パリ・モンパルナス駅とかシャルル・ド・ゴール空港駅なんかも温室っぽいやつなんですよね。あ、そういえば北駅も本体を残しつつガワの部分が温室化されていました。フランスの「駅」のイメージがこんなやつなのかな。線路は半地下を走っており、フランドル駅から歩いてきた道路面の一階層下にコンコースが、さらにその下の階にホームがあって、全体が吹き抜け構造になっています。 リール付近のLGV(高速鉄道路線)の略図 上図を見ていただくとわかるように、LGV(高規格路線)はリール付近で三方向に分かれていて、3日前に利用したパリからブリュッセルに向かうタリスは、リール市内をかすめて走りながらも停車できない構造です。そのためパリ・リール間の往来のためにリール・フランドル止まりのTGVが別に設定されており、2004年はそれでパリに戻りましたし、あすもそのようになります。私は2008年と2012年にユーロスターを1往復ずつ利用していますが、たしかリール・ウロプ駅に停車したものはなかったように思います。上図の3路線交差を二俣新町だと直感する人は京葉線ユーザーもしくは千葉工大の下級生で、近鉄の伊勢中川デルタを思い出した人は鉄道マニアでしょうが、伊勢中川デルタを通って大阪と名古屋を直通する特急ひのとりやアーバンライナーは、ウロプに相当する津で運転士を交替します(以前は国鉄との対抗上ノンストップで、デルタ線を減速走行中に入れ替わるという荒業を用いていた)。担当支社が変わるどころか国が変わるわけなので、リール・ウロプで乗務員交替があっても不思議ではないが、どうなんでしょう。もっとも欧州の高速鉄道は上下分離(線路や駅などのインフラを保有する会社と列車を運行する会社を別にする)が普通で、海峡を通り抜けるユーロスターはそのはしりでもありました。国際航空便の機長や客室乗務員が途中で交替したりはしないわけだから、そのままのような気もします。 いずれにしてもリール・ウロプ駅は、ウロプ=欧州という壮大なネーミングに反して、小柄な地方の駅なので、日本ならばのぞみ通過駅の規模。それでも国際空港に相当する駅ではあるため、コンコースには出入国管理施設が見えて、荷物をもった人たちが並ぶさまは空港のそれと同じです。ボーダー・コントロールを撮影すると怒られるので写真でお見せできないのは残念ですが、フランスないしシェンゲン圏の出国審査が手前でおこなわれると、すぐその先に連合王国の入国審査のカウンターが見えています。つまりホーム上はすでに英国というテイ。パリ北駅でもそうだったので、あらためて流儀を確認できました。制度が変わっていなければ、英国はなぜか出国審査をしない国なので、帰りはロンドン・セント・パンクラス駅でフランスないしシェンゲン圏の入国(入欧)審査がおこなわれ、リール・ウロプではただ出てくるだけということになるはずです。 予定の15時にフランドル駅前に戻り、ホテル・シャニョーにあらためてチェックイン。1泊朝食込み€83.65なので、場所柄を考えれば上々ですが、規模からして設備なんかもほどほどだろうなという予想のとおり、ほどほどでした。ここも冷房はないのか。いまのところ常温?でも問題なさそうなのが幸いです。デンマークやポーランドでエアコンなしの宿に当たってしまったときは暑くて大変だったな。温暖化の影響は欧州にも確実に表れているので、夏の遠征時にはエアコンの有無をしっかりチェックする必要がありそうです。水まわりやネット環境は問題ありませんでした。部屋履き用として、千葉のビジホでもらってきた使い捨てのスリッパをずっと使っていたところ、ここで覆いの部分が土台から剥がれて使い物にならなくなりました。これは当方の問題。 17時ころまた外に出て、新市街あたりを歩きます。旧市街のほうが趣があっておもしろそうなのはわかっているのだけれど、いま見てしまうと、あす午前にすることがなくなってしまうのでセーブしているわけです。着いたときよりもずっと多くの人が繰り出して、グラン・プラス周辺などはどこの店のテラスもほぼ埋まっているくらい。ビールを飲んでいる人が目立ちます。フランスもここまで来るとビール文化なのでしょうかね。もっとも、パリでもディナー前のカフェではビールを飲む人が目立ちますが(フランスのディナー・タイムは20時半くらいからで、とくに夏はその前のユルユル時間を大切にする)。
18時半ころ夕食。グラン・プラス近くに飲食店が密集するエリアがあり、観光レストランのようにも見えるものの、さほどの観光地でもなかろうし、まあこのへんで食事していこう。L’Abbayeなる店に声をかけ、室内外のどちらがいいですかと訊ねられたので、ひさしのある屋外を選びました。周囲には英語を話す人も何組かあるようです。手渡されたメニュー(フランス語ではカルト carte)は英仏両語の兼用。ベルギー&フランドルのツアー最終夜のため、やっぱり生ビールを取りましょう。50cLで€7.60。銘柄はJupilerです。夏場の生ビールなんて無限に飲めるような気がする・・・ けど、もうかなり弱くなっているので、帰国したらビール抜きの生活に戻ります。さきほどホテルでネットをつないだときに、リールの名物料理はと検索したら、カルボナード(carbonnade)と出ました。画像や詳細まで見てしまうとつまらないので、単語だけ覚えて、実物を見てのお楽しみということにしましょうか。この店では肉料理のコーナーのトップにフラマン風カルボナード(Carbonnade flamande / Flemish Carbonnade)が記されており、一押しということなのでしょうね。わりと早く供されたカルボナードなる料理は、小鍋みたいな器に入った牛肉の煮込みで、なあああんだ、2日前にブリュッセルで食べた牛肉のビール煮と同じものか! あとから写真を見返してみると、ブリュッセルのほうもメニューにはカルボナードとあったのですが、どうせ料理名なんていわれてもわからないので散文の説明だけ読んで、ビール煮込みなんだなとショートしてしまっていたわけですね。あらあら。でも、好きなタイプの料理ですし、食べ比べてみてもおもしろいので、これはこれでいいことにします。こちらのカルボナードには、蒸しケーキみたいなものが一切れトッピングされていました。付け合わせはここでもフリット。それと、フランス共和国独自のルールで、料理には必ず無料のパンを添えなければならないので、バゲットも運ばれています。それにしてもカルボナードなる料理名はフランス料理の標準からずれているなと思ったら、カーボンすなわち石炭で煮炊きしたことに由来するらしい。フランドルは石炭地帯でしたからね。イタリアのカルボナーラを思い出す人もあるでしょうけれど、あれも語源は似たようなもので、スパゲティに振りかけた黒粒コショウが炭を連想させたから。世界史の教科書にはカルボナリ党(炭焼き党)というのも出てきますね。カーボン・ニュートラルをどう考えますかなどと面倒な質問は、食事が終わってからにしてください(笑)。いやおいしかったです。料理が€17.10で、ビールともども€24.70。もう西欧では1人3000円以上出さないと外食できなくなってきています。
8月13日(日)もいいお天気。リールからパリに戻る列車のチケットは、パリに来てからネットで取ったもので、リール・フランドルを15時12分発の便です。きょうのために旧市街の散策を残していたとはいえ、大きな町ではないので、通常よりゆっくりのペースでいいかな。8時ころ朝食。朝食会場はたいてい0階なのに、7階ですと案内されていました。ビュッフェ式の朝食が用意されたダイニングはなかなかいい雰囲気でしたが、見るとバルコニーにもテーブルが設けられていて、1組がそこで朝食をとっています。よし、私もそうしよう。フランスもここまで来ると、トーストが出てくるし、ソーセージとか卵がつくわけですね。それにしてもいい眺めです。ターミナル駅舎をすぐ眼下に見る角度で朝食なんて鉄ちゃんには至福。5年前に宿泊したアテネのホテルも最上階にダイニングがあり、アクロポリスの丘を展望できたので、一般的にはそちらのほうが大正解で、駅の建物を見てにこにこする人のほうが少数派かもしれません。最近は欧州でも室内禁煙の宿が増えていて、喫煙所をこのような屋外に設けることがあります。このホテルも1つ下の階に喫煙所があるようで、1人の男性が静かに吸っているのが見えました。 10時ころチェックアウトの手続きをして、ひきつづきレセプションで荷物を預かってもらい、町歩き。日曜日ということは、飲食店以外のショップはだいたい閉まっているのではないかな。もとより買い物の予定はなく、また昼食をとる予定もありません。昼抜きというのがこのところのパターンです。ああ、ううう、「このところの」なんていっちゃった。中3年くらいあったのでしたね(涙)。リールのシンボル時計台の横を通り抜ける道を進んで、シティ・マップに旧市街(Quartier du Vieux-Lille)とあるゾーンに入りました。トゥルネーでしたように、住宅街の静かな道もいいのですが、お店があるほうが楽しい感じもするので、まずはそれらしい通りをさぐり当てて歩きます。ガン通り(Rue de Gand)というらしい。突き当りにガン門(Porte de Gand)があるためのようで、ガンというのはベルギーのヘント(ゲント)のフランス語読みだと思われます。何か関係があるのでしょうか。ガン通りは飲食店街だったようです。両側に合わせて十数軒くらいの各種レストランがあり、ランチ・タイムまでまだ1時間半くらいあるので、表にテーブルを出したりして準備中。日本料理店が複数あるのにはびっくりしました。全体にいい感じの通りなので、次回来ることがあればこのあたりで食事することにしようかな。ガン門の由来は不明ながら、欧州の古い都市らしく、都市の内と外とを明確に区切る城壁があって、外界との出入口となるのがPorteということですね。くぐり抜けてみると、空堀が掘られていて、近代戦の時代になるまでは防衛に有効なしくみだったはずです。 閑静な住宅街を15分くらい歩くと、旧市街のメイン・ストリートらしきサン・アンドレ通り(Rue Saint-André)に出ました。やはり飲食店以外は営業していないようですけれど、商業地区ではなくて住宅街の中のライトな商店街といった雰囲気でした。きのう歩いた新市街と異なり、高い建物がないので、青空がすぐそこまで迫ってくる感じですがすがしい。そして、歴史好きにしてフランスの専門家でありながらお恥ずかしいことに、リールに来てシティ・マップを手にするまでまったく知らなかったのですが、リールはシャルル・ド・ゴールの出身地だそうで、彼の生家(Maison natale Charles de Gaulle)がこの付近にありました。記念館になっているようなので入口に寄っていったら、別の人の問い合わせに対して、「入館人数に制限があり、いまは事前予約の方でいっぱいになっています」と断っていました。事前情報がまったくなかったくらいなので、とくに執着するものではありません。シャルル・ド・ゴールが亡くなったのは1970年のことで、私が1歳のときでした。ですから大昔の人というわけでもなく、いわゆる現代史の人物であるわけですけれど、ジャック・シラク(1995〜2007年に共和国大統領)が直系政治家だったことからもわかるように、今日的な意味での党派性がバリバリにあるので、別格の偉人として称揚していいのかなという気もします。チャーチルとかJFKなんかもそうですね。ド・ゴールはレジスタンス(第二次大戦中の対ドイツ抵抗)の英雄ということで別格扱いになっているわけですが、ほぼ一貫してフランスの外で活動しており、また外交的にも米英に振り回されて(利用されて?)いうほどの手柄はないように見えるのは、第三者だからでしょうか。 スーパーは営業しているようなので、ペットボトルの水を補給しておきます。メイン・ストリートを少し外れて歩いていくと、方形の広場に日曜市が出ていました。きのう見たトゥルネーのマルシェよりも規模が大きく、人出もかなりあります。野菜や果物の屋台が多いのはどことも同じだけれど、ここはお花屋さんがいくつもあるのが特徴かな。売る側も買う側も老若男女各世代がいい塩梅のようです。パリとの大きな違いは、人種的な多様性があまり見られないことでしょうか。いうところの「白人」が圧倒的に多い(黒・白・黄という分類は「白人」の側がこしらえたエセ科学のたぐいですが、他に適切な表現もないので、とりあえず)。それと、きのうから気になっているのですけれど、町のあちこちに物乞いさんがいて、出会う頻度が高すぎる印象なのです。もとからそうなのか、昨今の情勢で何かあったのか。 マルシェのすぐ近くには立派な教会がありました。歩きのルートの関係で、建物の裏側から側面を通って正面に回ったのですが、裏と側面すなわち建物の本体部分はよく見るゴシック教会なのに、ファサードはやけにモダンな構えで、びっくりします。ここはノートルダム・ド・ラ・テイユ大聖堂(Cathédrale Notre-Dame-de-la-Treille)。大聖堂ですから大司教座があるところですね。現代美術館のようなファサードはちょっと見たことがない感じです。由緒書きなどから歴史をたどってみると、創建が19世紀半ばと比較的新しく、近代的な商業都市であり他国との結節点でもあるリールに造られるという状況が、この特徴に関係するらしい。この教会も長々と建設を継続した関係で、社会状況が大きく変わり、二度の世界大戦まであって、完成したのは2000年ころだったようです。創建の動機が、商工業が発展したリールで道徳的な重石になることを期待してのことだったそうなので、初めから地元経済界との関係が深く、ゆえにカトリック側というより経済界側のセンスが常に優勢だったのではないでしょうか。ゴシックと書きましたがこれは19世紀にリバイバル的に流行したネオ・ゴシックですね。伽藍の中をゆっくり観たかったのですが、ミサの最中だったので、あとでまた来ることにしていったん表に出ました。30分後に戻ったときには信者さんたちはもういなくて、希望どおりにゆっくり拝観できました。
14時半ころ駅前のホテルで預けていた荷物を請け出し、リール・フランドル駅の構内で15時12分のTGVを待ちます。フランス国鉄SNCFは数年前からTGVの国内便にinOui(イヌイ)なる変てこなブランド名を付しています。「外国人」にはこのあたりがわかりにくいのだけど、たとえば日本の新幹線って、システム(鉄道)、線路等のインフラ(路線)、車両、列車便のすべてを「しんかんせん」と呼びますよね。TGVもそんな感じだったのが、論理性を重んじる国だからなのか整理しようとして、システムや規格はTGVだが走る列車便(フランス語も英語も同じ綴りでtrain)はinOuiにしたわけです。「のぞみ」(列車愛称)なんかともまた違うからな〜。おそらく誰かが点対称のデザインをつくって気に入り、ごり押ししたのではないかと思う。言葉遊びとしては、inouïは驚くべき、前代未聞の、といった意味の形容詞ですが、そのように読むためには最後のiにトレマをつけてïにしなくてはならず、いよいよフランス語話者以外には意味不明の遊びですな。もちろんoui(ウィ)だけ取り出せばyesのことです。それも引っかけてある模様。ただフランスでもいまだにTGVと呼ぶことが多いと聞いたことがあります。 きょうのイヌイ/TGVはフランスに来てからネット予約しましたので、チケットを紙に印刷していません。スマートフォンはあるのですがローミングしておらず、駅構内でEチケットを表示できないかもしれなかったので、ホテルのWiFiがつながっているときに一応スクショしてありました。QRコードを読み出せればいいわけなので、さして難しいことではありませんが、デバイスがいかれてしまったら困るでしょうね。海外旅行をめざす向きは、よろずデジタルでこなせる時代ではあるものの、肝心のところは紙バージョンも用意しておくほうが安全だし安心です。
リール・フランドル15時12分発のTGV inOui 7046便は、パリ北駅着が16時14分で、所要だいたい1時間です。ケスタ地形の平たいところを直線的に疾走するわけなので、めっちゃ速いですね。あ、リール・フランドルを出てまもなくLGVの高規格路線に入り、そこから先はブリュッセルに向かった4日前とまったく同じルートです。今度も1等で、価格は€46。タリスと異なり、TGVにはダブルデッカーが結構たくさん走っていて、これもそうでした。2階の進行方向というご機嫌なシートに収まり、あとは花の都をめざすだけです。といってもあす14日朝には帰国便に乗るためシャルル・ド・ゴール空港に出発しなくてはなりません。従来の直行便であれば、パリの常宿を朝のうちに出れば日本時間の翌日早朝に帰り着くことができていたのが、今回のドバイ乗り継ぎだと羽田着が翌日の夜遅くと、絶望的に長い帰路になります(実際には入国手続きに時間を要し拙宅に帰り着いたのは翌々日の午前2時)。こうして各都市を歩いて好きなものを飲み食いして、文句もいっていられるわけなので、遠回りの原因になってしまった地域の人たちの苦悩や絶望を思えば、大したことではないのでしょう。でも長かったな! 欧州までの道のりも、鎖国していたこの3年半も。やたらに日の長い夏の青空を見上げて、次の来欧がルーティーンどおりの2月になることを心から願ったことでした。 原点快気のベルギー&フランドル おわり |
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