Bienvenue à Paris !
<超主観的パリ入門> 実際に渡仏される方、とくに初心者の方は真に受けないでね・・・。

36- Ponts sur la Seine (セーヌ川に架かる橋)

セーヌ川の景観に橋の存在は欠かせません。語る人によって好みも違うようだし、美術的な価値や歴史的な含蓄などもさまざまですから、ぜひ自分にとってのナンバーワンを決めてみてください。

ひとまず上流(地図で右側)のほうから見ていきましょうか。

国鉄オステルリッツ駅の目の前にあるのが1807年完成のオステルリッツ橋Pont d’Austerlitz)。右岸側に進むとリヨン駅、左岸側は植物園(Jardin des Plantes)や絹織物で知られるレ・ゴブラン(les Gobelins)などにつながる道で、わが常宿もその先にあります。オステルリッツの名はナポレオン1世の戦勝地(現在のチェコ)に由来します。この橋の上流側にメトロ5号線の鉄橋があり、そこからの眺めが最高だという話は27- Métro (2)で紹介しました。

次の橋は1kmくらい下流にあります。セーヌの流れは左右に分かれ、サン・ルイ島Île Saint Louis)という中洲があらわれます。高級アパート街として知られますが少しくたびれた感じも。右岸のバスチーユ広場からまっすぐ来たアンリ4世通り(Boulevard Henri IV)がこの島の上流側を串刺しにしていますが、そこが1876年完成のシュリー橋Pont Sully)。そのまま進むと左岸のメインストリートであるサン・ジェルマン通り(Boulevard Saint Germain)につながるので、交通量の多い橋です。シュリーはブルボン朝の初代であるアンリ4世に仕えた名宰相で、ユグノー(カルヴァン派の新教徒)の立場から新政をおこなった人物。ご主人さまの名を冠した通りを支えているのは本望というところでしょう。サン・ルイ島には他にトゥルネル橋Pont de Tournelle)、マリ橋Pont Marie)、ルイ・フィリップ橋Pont Louis Philippe)、シテ島とつなぐサン・ルイ橋Pont Saint Louis)があります。サン・ルイは聖王ルイ9世で英語読みではセント・ルイス。

サン・ルイ島のすぐ下流側にあるのがシテ島(11- Cité)で、前述のサン・ルイ橋をのぞいて7本の橋が両岸とのあいだに架けられています。下流側から島を時計回りに進むと、アルシェヴェシュ橋Ponte de l’Archeveche)、ドゥブル橋Pont au Double)、プチ・ポンPetit Pont 「小橋」だわね)、サン・ミッシェル橋Pont Saint Michel)、ポン・ヌフPont Neuf)、シャンジュ橋Pont au Change)、ノートルダム橋Pont Notre Dame)、アルコール橋Pont d’Arcole)。この界隈はよく散策するので、ひととおり渡ったことがあるかな。交通量が多いのはサン・ミッシェル通りにつながるサン・ミッシェル橋とシャンジュ橋ですが、後者は「両替橋」という意味。

シテ島、というよりはパリを代表する橋がポン・ヌフです。直訳すれば新橋ですが、1607年に架けられたパリ最古の橋なのです。物知りがいうには、中世の橋には住居などの建物を載せたものが多く、純粋に道路専用の橋としてはパリ初だったとか。かれこれ400年の時を刻んだ名橋ですけれど、観光地扱いされるのではなく現役として活躍しているのがすごい。この橋の西側にはみ出したヴェール・ギャラン広場Square du Vert Galaant)から眺めるルーヴルやポン・デザールがいいよという話は11- Citéに書きました。そのポン・デザールPont des Arts)は「芸術橋」という意味で、1804年完成の歩行専用橋。石橋が多いパリの橋にあってめずらしい鉄橋であり、歩道部分は木板がはめ込まれて不思議なあたたかみがあります。その名に恥じずプロアマの画家さんたちがスケッチをしているのをよく見かけますし、右岸側に渡れば目の前がルーヴルですから、雰囲気はいいですよ。以前にこの橋のレプリカを京都の鴨川に架けるという話がもち上がり、フランス側をさんざん振り回した末に「場違いだ」というので却下になったことがあります。

 ヴェール・ギャラン広場からポン・デザール、ルーヴルを望む

ルーヴルの中庭に直結するのはカルーゼル橋Pont du Carrousel)。幅広で、私が愛用しているバス27系統(3- Autobus参照)は左岸側からここを渡って中庭に突っ込みます。こちら側からですと、ルーヴルは巨大な城壁のように見えます。やや下流にロワイヤル橋Pont Royal)、オルセー正面に架かるソルフェリーノ橋Passerelle Solférino)は歩行者専用で、右岸側のチュイルリー公園に直結します。セーヌの遊覧船はこのあたりに発着。セーヌ川が左に折れる付近にはコンコルド橋Pont de la Concorde)。左岸側は、いま国民議会(Assemblée national 下院)になっているブルボン宮Palais Bourbon)、右岸側はもちろんコンコルド広場(12- Concorde)です。ブルボン宮を背に橋を渡ると、コンコルド広場の向こうにマドレーヌ寺院が望めます。

 ソルフェリーノ橋 (左はチュイルリー公園、上流側にノートルダムが見えますね)
 
アルマ橋 この橋の下を通る高速道路でダイアナ妃が亡くなられました(1997年)

右岸側のグラン・パレ、プチ・パレ(10- Champs Élysées参照)、左岸側のアンヴァリッド(20- Invalides)を結ぶアレクサンドル3世橋Pont Alexandre III)は1900年の万博に向け、ロシア皇帝ニコライ2世の寄贈で架橋されたもので、細かい彫刻がほどこされた、パリでいちばん美しい橋といわれています(私はあまりいい趣味だと思いませんが)。アンヴァリッドの「表参道」といった位置にあり、両岸の空間がゆったりとしているため、眺めは上々。すぐ下流側にアンヴァリッド橋Pont des Invalides)。ブランド街で有名なモンテーニュ通りを右岸側に望むアルマ橋Pont de l’Arma)はクリミア戦争の激戦地を記念した命名です。歩行者専用のドゥビリー橋Passerelle Debilly)の先でセーヌ川はさらに左へ流路をとり、南に向かいます。そこに架かるのがイエナ橋Pont d’Iéna)で、この名前もナポレオンの戦勝地に由来します。イエナ橋の右岸側はシャイヨー宮Palais de Chaillot)で、1937年万博の折のパビリオン。シャイヨーが建っている段の上に進んで後ろを振り返ると、イエナ橋をアプローチとしてエッフェル塔Tour Eiffel)がそびえ立ちます。絵はがきやものの本に出てくるエッフェル塔の写真は、だいたいこの構図ですよ。

 ドゥビリー橋
 
ビラケム橋(左のガラス張りはパリ日本文化会館)

イエナ橋から下流のほうを見ると、道路橋の上にメトロの鉄道橋が重なったビラケム橋Pont de Bir Hakeim)が美しい。メトロ6号線の車両がゆっくりとこの橋を渡る光景は見事で、下流の右岸側から見ればエッフェル塔まで視野に入ります。ビラケムはリビア砂漠の地名で、第二次大戦の激戦地。「砂漠の狐」ことドイツ軍のロンメル将軍に反撃を加えたところです。こうした「戦勝地シリーズ」で行くと、隅田川の橋にも物騒な名前がつきそうですね。パリジャンは好戦的なのかな? ビラケム橋の左岸側のたもとにはパリ日本文化会館があり、いかにも系の工芸品などが展示されています。このビラケム橋から次のグルネル橋Pont de Grenelle)まで人工中洲が設けられていて、白鳥の小径(Allée des Cynes)と名づけられている。眺めのいいお散歩コースだけれど、私が渡仏するのはたいてい真冬なので、寒くてダメです(笑)。小径の先端(下流側)には、ニューヨークの返礼にと在仏アメリカ人会が寄贈した自由の女神像が置かれています。さらに下流側に架かるのがミラボー橋Pont Mirabeau)。近年開発が進んでオフィス街になっているところで、このあたりまでが狭い意味でのパリ。セーヌ川は、いったん南へ進んだあとほぼ180度向きを変えて北から北東方向へと流れていきます。

 

 

37- Pourboire (チップ)

この単語を直訳すると「飲むための」(pour + boireで、英語でいえばfor drinking)となります。お世話になりました、少ないですがお飲み物代にでもしてくださいな、というニュアンスなのでしょうか。

日本人観光客がとかく苦手とする制度というかマナーなのですが、いま西欧もどんどんドライになっていて、そこいらのカフェでちょろっとお茶を飲んだくらいではチップを置かないこともめずらしくありません。そうしたわずらわしさのないファストフード世代が育ってきたせいもあるのかな。パリジャンによれば、若い人ほどチップを出さない傾向があるのだとか。ケチということではなく、方針ですね。

ふつうのパリ旅行でチップを出すような場面を考えてみると、
レストランやカフェで飲食したとき(支払いの際に小皿につり銭の一部を残すとスマートよ)
ホテルで特別のサービスを受けたとき(荷物を運んでもらうとか)
ショッピングで店員に特別のサービスを受けたとき
タクシーに乗ったとき
劇場の案内係に
トイレ(無料で、小皿が置いてある場合)
などですかね。古賀は高級なところに縁がないし、タクシーにも乗らんので、あまり機会がないです。前述のように、ちょこっとお茶を飲んだくらいでは不要ですが、心地よいカフェでは少しばかり置いていきたくなりますし、バーカウンターでマスターと対面してビールを飲むときも、やあありがとう、こちらこそムッシュ!といったやりとりの中で心づけを少々。だいたい定価の1割かそこらだとされていますので、カフェでカフェを飲んだらせいぜい2030セントかなあ。相手を見つめてコインをずいっと差し出すのも品がなさそうなので、コインを小皿ごとささっと前に出し、<Merci>くらい(無表情で)いっておけばいいと思います。ギャルソンは「メルシ」といって受け取るでしょう。

ちなみに、フランスで刊行されている『東京・京都』というガイドブックで<Pourboire>の項を見てみましょう。

この慣習は日本には存在しませんが、そのことはおそらく今回の旅行で最大の驚きの1つになるはずです。しかし、勘定がレストランで1人あたり2500円、ホテルでは5000円以上を超える場合に10%の税が加算されます。
Tokyo et Kyoto, Guides bleus évasion, Hachette, 2000, p.47 太線部は原文に準じました)

むちゃくちゃなこというなよ、と思うかもしれませんが、後段の説明は特別地方消費税を指しています。この制度はガイドブック刊行年の2000年に廃止されたかつての料飲税(ぜいたく課税の1つ)ですけれど、廃止時点ではレストランで7500円以上でしたから、数字がかなりでたらめ。逆にいうと、日本のガイドブックも外国の記述についてこの種の間違いをかなり含んでいるということです。それにしても、チップというシステムが存在しないn’exister pas)ことをわざわざ強調するなんて、そんなに意外なことなのでしょうか。実は、ノーチップ原則をうたう日本ですが、ホテルや高級レストランにはサービス料という訳のわからん料金が設定されています。だいたい1015%くらいですからチップ相当で、強制的に徴収されるぶん、気分がよくない。サービス業なんだからサービスするのが当然じゃんね。フランスでも、レストランなどでサービス料をとっているところは少なくなく、レシートを見て<service compris>とあったら「サービス料込み」ですから、余計にチップを渡す義理はないわけやね(笑)。

まあさ、日本人はむやみに気前がいいと思われているふしもあるので、期待に応えてあげましょうよ。

そうそう、レストランなどでクレジットカードを使って勘定した場合は、心づけをしっかり置いたほうがいいですよ。キャッシュレスにも礼儀ありというところです。逆に、かつては常識とされていた「枕銭」は、いまはほとんどおこなわれていないようです。私はホテルの従業員さんたちにはいつもお世話になっているので、少しばかりの枕銭を置くよりはと、到着時に日本のお菓子などをマダムに手渡し、「みなさんでどうぞ」と謝意を表すことにしています。そのせいか、美味しかったわムッシュ、などと微笑まれたりします。

 

 

38- Quartier Latin (カルチェ・ラタン)

私の教育史方面の講義ではおなじみの地区。左岸東部、パンテオン(34- Panthéon)を中心とした約2km四方は、ソルボンヌや各種研究機関がたくさんあり、中世から西欧の文化・教育の一大センターだったところです。当時の知識人はラテン語をリンガ・フランカ(国際共通語)として用いましたので、彼らが集い語らうこのあたりはラテン語が当たり前に話されていました。カルチェは地区、ラタンは「ラテンの」という形容詞です。「文教地区」の代名詞的存在ですね。

これまで紹介した箇所とも少し重なりますが、カルチェ・ラタンを反時計回りにぐるりと一周してみましょう。

 サン・ジャック通り

起点は、左岸における東西のメインストリート、サン・ジェルマン通りと、南北のメイン、サン・ミッシェル通りが交わる交差点。RER-B線のサン・ミッシェル・ノートルダム(Saint Michel Notre Dame)駅とメトロ10号線クリュニー・ラ・ソルボンヌ(Cluny la Sorbonne)駅があります。クリュニー駅の内部は、文教地区の玄関にふさわしい意匠が施されています。交差点に面して国立中世博物館Musée National du Moyen Age)があります。クリュニー博物館とも呼ばれ、こじんまりしていますが、初期のパリにまつわるさまざまな文物が展示され興味深い。クリュニーといえば中世の西欧を代表する修道院の名で、ここは修道院長の邸があった場所とか。11- Citéで触れたように、古代・中世期にはサン・ジャック通りが南北のメインストリートで、この博物館の東側を走っています。現在の幹線であるサン・ミッシェル通りを南に進むと、けっこう斜度のある上り坂。両側には飲食店やブティックが立ち並びます。まもなく進行左手(東側)に、噴水を備えた小さな広場があり、その奥にどっしりとした白亜の建物が見えるはずです。ここがソルボンヌla Sorbonne)、いまはパリ第3・第4大学がここにあります。13世紀に創設されたパリ大学、通称ソルボンヌは、何といっても世界史の教科書に登場するほどの学問の殿堂! 関係者以外は中に入れませんが、広場に面したカフェでお茶するだけで偏差値もいくらか上がるような気がします(気のせいだね〜)。この広場の周囲には、カフェのほか書店・古書店が軒をつらねていて、さすがの印象。サン・ミッシェル通りに面した角にあるのは、フランスの岩波書店とでもいうべきPUFPresses Universitaires de France)の販売コーナー。白水社が翻訳版を出しているクセジュ文庫(Que sais-je ?)はここがオリジナルの版元ですね。この周辺には小さなホテルもたくさんあります。

 知の殿堂、ソルボンヌ

もうしばらく坂を上ると、広い交差点に出ます。右手(西側)にはリュクサンブール公園が広がります(24- Luxembourg)。直交する道を左に進むとパンテオン正面へ。私たちは斜め左手に入るゲ・リュサック通り(Rue Gay Lussac)を南東へ歩きましょう。このあたりは住宅街でもあり、パン屋やクリーニング店といった日常的な店舗がみられます。まもなく進行左手に見えるのが国立高等化学学校(École nationale supérieure de Chimie)、その向こうにマリ・キュリー研究所(Institut Marie Curie)やパストゥール研究所(Institut Pasteur)などのインスティテュートが。パンテオンから南へ延びるウルム通り(Rue d’Ulm)に面するのは、文科系知識人を多数輩出してきたエリート学校、高等師範学校École normale supérieure)です。数年前までこの一隅に国立教育研究所(Institut national de recherche pédagogique)があり、博士論文の調査研究ではずいぶんお世話になりました。そういえば、研究対象にしていた歴史家エルネスト・ラヴィスも高等師範学校の出身でした。大学(université)とは別建ての高等教育機関、グランド・ゼコル(Grandes Écoles)の1つで、ここを出た人(ノルマリアン)は相当なエリートですよ。昔も今も、本当に文教地区なのですね。

ゲ・リュサック通りはウルム通りとの交点で終わり、やや広めのクロード・ベルナール通り(Rue Claude Bernard)に変わって、きつめの下り坂となります。文具店やコピー屋が目立つのは場所柄でしょうか。右手の奥には高いドームで知られるヴァル・ド・グラース(Val de Grâce)があります。クロード・ベルナール通りをそのまま400mほど下ると坂はおしまいで、モンジュ通り(Rue Monge)と合流するこのあたりがカルチェ・ラタンの南東の端。常宿レスペランス(14- L’Espérance)はすぐこの南側。

 クロード・ベルナール通り

小さな広場を左に入ると、すぐに野菜などの屋台が見え、楽しいムフタール通り(30- Mouffetard)に入りますが、ここはぐっとこらえてバスも走るモンジュ通りを北へ向かいましょう。メトロ7号線がこの地下を走っています。サンシエ・ドーバントン(Censier Daubenton)駅の周辺にはカフェや小さな商店がたくさんあって楽しい。ここから東へ住宅街の中を進むと植物園(Jardin des Plantes)や国立自然史博物館Muséum national d’histoire naturelle)があり、散歩にもってこい。西欧の大都市には植物園が設けられていることが多いのですが、植民地帝国の名残なんですよね。「世界中のめずらしい植物を1ヵ所に集める」という発想がそもそも・・・。植物園を通り抜け、さらに東へ行くと国鉄オステルリッツ駅に出ます。モンジュ通りを北へ進むと、左(西)側が急に小高い丘になっているのがわかりますが、ムフタールはその丘の稜線部分を上っていて、サミットがコントルスカルプ広場。モンジュ通り側からだとどこでも急な坂です。このルートは、カルチェ・ラタンの丘のふもとに沿って設けられている道なのですね。ソルボンヌの北側へつながるエコル通り(Rue des Écoles)を越えると、サン・ジェルマン通りに行き当たります。魚屋さんや肉屋さんなどに混じって教科書売り場があるところなどはこの地区ならでは。ほどなく出発地点に戻ります。

 歴史的な人名が通りの名になっている(デカルト通り・クローヴィス通り)

今回のコースを徒歩で行くと、ゆっくり歩いても2時間くらい。ジャポネズが大好きな「パリ」とはかなり雰囲気の違うパリが味わえますよ。ただ、丘の上はメトロやバスの便がいま一つなので、歩き疲れても進むしかありません(笑)。

 

 

39- RER (高速郊外鉄道網)

外国ではときおり分類不明の概念に出会うことがあり面食らいますが、RER(エル・ウー・エル)といわれても初心者はわかりませんよね。Réseau Express Régionalの略で、直訳すれば「地域的な急行線のネットワーク」というところかしら。私は標題のように訳しています。

パリの鉄道は、市内周縁部にある6つのターミナル(17,18- Gares参照)を起点としてイル・ド・フランス(パリを中心とした地方名)あるいはフランス全土へ放射状に伸びる国鉄SNCFと、都心部を縦横に走るメトロ25,26,27- Métro参照)、そしてこのRERから成っています。郊外を走る国鉄と都心の地下を走るメトロの中間的存在で、郊外では地上を、都心では地下を走ります。現在、A線からE線まで5つの系統があり、国鉄サン・ラザール駅の地下を起点とするE線以外は地下部分に折り返しのターミナルがなく、都心を通り抜けて東西あるいは南北の郊外を結ぶ。東京でいえば、地下鉄の両端でJRや民鉄の郊外線に直通運転する現象に似ていますが(たとえば東葉勝田台〜三鷹を結ぶわが東西線!)、パリではメトロに直通するのではなく、それ専用の地下路線をもっているのです。総武快速線と横須賀線が錦糸町〜品川間の地下線でつながっているのが近いかな? メトロや市バスを運営するパリ交通公団RATPと、SNCFの共同運行で、だいたい都心部分をRATPが受け持っています。

 ダブルデッカーも走る地下線 (RER-C線)

ところで、パリ首都圏の鉄道運賃は同心円状のゾーン制になっていて、運営主体にかかわらず同一基準で通算されます。直通運転でも会社が変わると運賃が激増する東京とはそこが違う。ゾーン12内相互は均一料金(現在は1.40ユーロ)なので、都心部だけ利用するかぎりではRERもメトロと同じ感覚ですね。現にリュクサンブール公園やオルセー美術館、エッフェル塔に行くときにはRERが便利で、遠慮なく利用しましょう。では、運行距離のほかにメトロとどこが違うのかといえば・・・

駅間距離が長い・・・ メトロの駅間がやたらに短いということもありますが、だいたい34駅ぶんくらいすっ飛ばす。シャトレから凱旋門直下のシャルル・ド・ゴール・エトワールまで、メトロ1号線では10駅、RER-A線は2駅!
運転間隔が大きい・・・ 日昼はほとんど待たずに乗れるメトロに対して、RER5分、10分と待たされる。RER各線は郊外部分が途中で分岐していくつかの目的地があるため、路線によっては20分くらい待つこともあります。ヴェルサイユに行くときなどは発車時刻を確認して、待つようであれば駅前のカフェあたりで一休み。
車両が大型規格・・・ 東京でいえば銀座線サイズのメトロ(1号線、14号線などはやや大きい)に対して、RERは東京で最も一般的な20m車です。しかも線路幅が1435mmのいわゆる標準軌(新幹線や都営浅草線と同じ。JRや関東民鉄の多くは1067mmの狭軌)ですので車幅も広く、1列に5人座れる車両もあります。各線とも、行き先ごとの制約はありますが(たとえばB線のうちシャルル・ド・ゴール空港行きには使用できない)オール2階建て車両を多く使用しています。手動ドアはメトロと同じ・・・。
左側走行・・・ メトロは右側走行なので慣れないとびっくりしますが、RERSNCFと同じく左側。
パンタグラフ方式・・・ メトロの多くは銀座線や丸の内線でみられるサイドレール集電ですが、郊外線に直通するRERはパンタ。
下車時に改札がある・・・ 利用者にとってはこれが最大の違いでしょうね。均一運賃のメトロと違い、ゾーンをまたぐと運賃が変わりますので、私たちが普通にしているのと同じように、下車時にも自動改札機に切符を通します(ただし回収されずに出てきますから、使用済みの切符はすぐに捨てましょう。別の機会に混乱することがあります)。もちろん、ゾーン12内相互の利用では、メトロやバスと同じ切符やカルネ(10回回数券)が使えます。

なお、RER→メトロの乗り換えは、パリ市内を通る切符をもっていれば可能で、つながってさえいればどの駅までも乗っていけますが、逆は不可能。RERへ乗り換える際には切符を買いなおさなければなりません。

 次の列車の行先と停車駅を確認して TRAIN LONGは「長い編成」

市内におけるRERの一大拠点がシャトレ・レ・アルChâtelet les Halles)。メトロだとシャトレ、レ・アル(19- Les Halles参照)の2駅あるところを1発でまとめているところなんてさすがで(?)、ここにはABD3ルートが乗り入れています。フナックなども入ってにぎわう巨大ショッピング・センター、フォーラム・デ・アルの地下に、これまた巨大な駅が広がります。やや雑然として落ち着かないけれど、通勤時間帯など、次々と入線してくる列車は圧巻。いつでも乗客がホームにたくさんいます。

赤が路線カラーのRER-A線は、パリを東西に貫いて、ヴァンセンヌ、国鉄リヨン駅、シャトレ・レ・アル、オペラ座に近いオーベール、シャルル・ド・ゴール・エトワール、ラ・デファンス・グランタルシュを経由します。西のターミナルの1つ、サン・ジェルマン・アン・レー(Saint Germain en Laye ルイ14世生誕の地)へ行ったことがありますが、ラ・デファンスを過ぎると郊外ののどかな景観。どこまでも住宅がびっちりの大東京はやっぱりアジア的なサイズですね。RER-B線は南北ルート。この路線の特徴は何といっても北郊のシャルル・ド・ゴール空港と南郊のオルリー空港の両方に接続していることで、空港アクセスの重要な役割を果たしています(1- Aéroport参照)。私にとっては、いつも空港からカルチェ・ラタンの常宿に入る最初のルートで、なじみがあります。

 RER-B線(リュクサンブール駅)

RER-C線は一貫してセーヌ左岸を、それもセーヌ川にほぼ寄り添いながら東西に走ります。南郊のほうでぐるりと一周してつながっている部分もあり、路線の構造は全体にややこしい。国鉄オステルリッツ駅、サン・ミッシェル・ノートルダム(Saint Michel Notre Dame)、オルセー美術館、アンヴァリッドと来て、シャン・ド・マルス・トゥール・エッフェル(Champ de Mars Tour Eiffel)はエッフェル塔(46,47- Tour Eiffel)の最寄り駅。C線は完全な地下構造ではなく掘割ふうで、壁の隙間からときどきセーヌが見えて、けっこう楽しいですよ。オルセー美術館(32- Orsay)はもともと鉄道のターミナル駅でしたが、そのルートをいま走っているのがこの路線です。西のほうへ30分ほど行くと(行先注意)、終点がヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ(Versailles Rive Gauche)駅。ヴェルサイユ宮殿の最寄りです(49- Visiter les villes de banlieue参照)。RER-D線は南北ルートで、シャトレから南側ではセーヌ右岸を上流方向へ進みます。北郊のサン・ドニ(Saint Denis)にはW杯の決勝戦がおこなわれたスタッド・ド・フランス(Stade de France)がありますが、この付近は昨年の暴動で知られてしまいましたね。唯一、他の路線と直接つながらないRER-E線はオスマン・サン・ラザール(Haussmann Saint Lazare)を起点に北東郊の工場地帯をめざします。昨春、初めて乗ってみたところ、いいにくいんだけど人種的に偏りがみられるようで・・・。国鉄の東駅(Gare de l’Est)とはマジェンタ(Magenta)駅で微妙につながっていますが、乗り換えは不便。もっともRER各線はだいたい乗り換えの便がよくないですね。深いし。

15年前に初めて渡仏したころは、RERにも1等車・2等車の等級があり、2階建て列車ともどもびっくりしたものですが、現在はオール2等車になっています。郊外へ向かうだけに朝夕のラッシュは東京と変わりません。人をかき分けて降りたいならpardonを忘れずに。

 

 

40- Restaurant (1) (レストラン その1

明治維新のことを英語でMeiji Restorationといいます。Restorationは、注釈をつけずに大文字で書くと、たいていはチャールズ2世がイングランド・スコットランドの王位に就いて共和政が終わった出来事(王政復古 1660年)を指します。維新は、本質的には明治「復古」なんですかね。フランス語ではRestauration de Meiji。おや、この綴りは何かに似ていませんか? 動詞の<restaurer>には、復興する、建て直すといった意味があり、名詞になると「王政の再建→王政復古」になるのですね。<restaurant>はその現在分詞形。英語の綴りを初めて見たときは覚えにくいなと思ったものですが、フランス語のほうは「レストラン」と規則どおりに読みます。その昔、とある食堂が体力を回復させるスープを出して評判になったことに由来するというのが俗説ですが、さて本当かな?

フランスで「レストラン」といえば「食事を出すお店」という意味で、トゥール・ダルジャンのような超高級料理店もマクドナルドも中華料理もうなぎ屋もことごとくレストランと呼ばれます。まあ当然のことながらフランス料理が圧倒的に多いのですけれど、フランス料理といってもピンからキリまでありますし、パリは中華・ギリシア・レバノン・トルコ・インド・タイ・ベトナム・韓国・日本などのエスニック料理店が非常に多く、水準もなかなか高いといわれます。「きょうは何を食べようかな」と、店先に掲げてあるメニューを見たり、店内の様子をのぞき込んだりするのは楽しいですよ。もちろん、ガイドブックに載っている有名なお店を訪ねてもいいですが、予約が必要なところもあります。出かける前に、ホテルのコンシェルジュかフロントさんに頼んで、リザーヴの電話を入れてもらうといいですね。私は高級なところになど縁がなく、予約もほとんどなし。要するに東京でしているのと同じ感覚で行けば、何とかなりますです。

飛び込みで探すときには、何といっても雰囲気を重視。「ここで食事したい」という直感は、意外と当てになります(2人連れだと責任を押しつけ合うこともあるけどね)。レストラン街のような地区では、店員さんが店先に出てきて客引き?をしていることがあるので、ボンソワールと声をかけて、「お宅は何を食べさせてくれるの?」なんて訊いてみましょう。英語しかできない人は英語でいいです。親切に受け答えしてくれるところは、店内でも親切だろうから(観光地区はそうでもないか)。有名なミシュランなど、いくつかのガイドブックが「認定シール」を発行しており、店先にべたべた貼っていることがあります。フランスというか西欧の慣習としては、カフェも含めて、お店のメニュー(フランス語ではカルトcarteといいます)を入口付近に掲示することになっていますので、その店がどんな料理をいくらで提供するのかをチェックできます。「本日のメニュー」などを掲げた黒板を含め、それらをのぞき込むようにして確かめるのはマナー違反ではなく、きわめて真っ当な行為。ときにはカップルが11つの品名を指さしながらこれがいいとかダメだとか延々と議論しています。店員さんと激しく?やりとりすることすらある。カジュアル・レストランだと、コース(menu)の値段によってだいたい出てくる料理のパターンは決まっているのでおもしろくないですが、慣れてきたらアラカルトをねらってみては?

 レストラン街を歩くのも楽しい(ムフタール通り)

この国のレストランというか食習慣で驚くのは、だいたい20時半とか21時ころからディナータイムになること。サマータイムのない冬場でも事情は同じで、私たちの感覚とは2時間くらいずれています。19時ころに行っても「準備中」であることがけっこう多いのです。英国人ならパブでしょうが、フランスではカフェ。街を歩いてねらいをつけておき、近くのカフェでおしゃべりしながら開店を待ってはどうでしょうか。夕方を過ぎるとその手の人々がカフェに集います。アペリティフなど召し上がってください! なお中華料理店は例外的に開店が早く、相場も安いところが多いので、何日も滞在するときには重宝します。また、とくに都心部ではその傾向が強いですが、ブラッスリーはディナータイムの制限を設けていないことがあり、夜遅くまで開いているので、お芝居帰りに食事を、というときにはいいですね。

そういえば、パリで食事するとき、1人だとなかなかレストランに入りにくいという難点があるんですよね。フランス人にとってディナータイムは、単に夕ご飯を食べるということでなく、コミュニケーションとか文化創造の時間で、2人ないし数人でわいわいいいながら長い時間をかけて食事するのが普通なのです。そういうとき日本人だと「飲みに行く」のでしょうが、あちらはディナー。となると、私のようにいつも1人で行動している外国人は動ける範囲が決まってきてしまう。1人でも歓迎してくれそうなところを直感で選ぶわけだけど、いかにも窮屈な席に案内され、早く食って帰れといわんばかりの応対を受けたこともたびたびあります。それも経験です。パリには行きつけているので、もちろん安全パイは確保していますが、未知のところを試したほうがおもしろいですものね。1人で食事しやすいのは、セルフレストラン、惣菜屋やパン屋のイートイン、ファストフードなどはもちろんですが、カフェ、ブラッスリー、駅前(内)食堂なども。

レストランは、当然ながら商業地ほど密集していて探しやすいですが、名店が住宅街の中にぽつりとあったりするので、適当に歩いて勘をつかむしかありません。右岸の情勢はレ・アルをのぞいてよくわかりませんので、わりに得意な左岸についてのみいえば、東西のメインストリートであるサン・ジェルマン通り(42- Saint Germain des Prés参照)とその周辺、サン・ミッシェル(43- Saint Michel)界隈、レンヌ通り(Rue de Rennes)、ヴォジラール通り(Rue de Vaugirard)、モンパルナス駅周辺などに飲食店が多い。カルチェ・ラタンでは何といってもムフタール通り(30- Mouffetard)ですね。ここはギリシア料理店が目立ちますが、小ぶりのフランス料理店もなかなかです。

おっと、当然のことながら、しかるべき店(高級店)へ入るときには、仮にドレスコードがなくてもそれなりの服装を。逆に、街のカジュアル・レストランへは、定食屋さんにでも行くつもりで気楽にお出かけください。難しいことはない。東京の食堂だって同じじゃないですか。

 

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