Bienvenue à Paris !
<超主観的パリ入門> 実際に渡仏される方、とくに初心者の方は真に受けないでね・・・。

31- Opéra (オペラ・ガルニエとその周辺)

単に「オペラ」と記してしまうと、♪あ〜る晴れた〜日ぃ〜 というようなのを想起しますが(しないかな?)、パリのOpéraは街区を表す固有名詞です。もちろんそのもとは、オペラを公演する大劇場オペラ・ガルニエ(Opéra Garnier)通称オペラ座に由来します。パリを近代都市に変貌させたナポさん(ナポレオン3世)&オスマン知事が、大改造計画の一環として建設に着手し、第三共和政期に入って完成したというやたらに立派な建物。コンペで入選したシャルル・ガルニエのデザインが採用され、現在その名が冠されています。私のように芸術に疎い人間には、まず無縁な場所ではあります(わはは)。4- Batilleで紹介したように、ミッテランのパリ改造でオペラ上演の中心は新オペラ座(オペラ・バスチーユ)に移りましたが、その存在感と年輪はガルニエにかないません。

 オペラ座を見上げる 壁面には音楽家のレリーフが刻まれています(下段はバッハ)

オペラ座の正面がオペラ広場(Place de l’Opéra)。同劇場の正面、「表参道」にあたるのがオペラ通りで、そのまま直進するとルーヴル美術館に達します。繁華街でもありビジネス街でもあるので、東京でいえば中央区銀座あたりだと思えばいいでしょう。オペラ座に向かって左に進むと、78分でマドレーヌ寺院(Église de la Madeleine)に出ます。アテネのパルテノン神殿を模した大きな造りですが、個人的には悪趣味だと思うな。その周囲には、日本でもおなじみのフォションやエディアールが店をつらねていて、おみやげを買うにはいいですね。フランスじゅうどこにでもあるワインショップのニコラNicolas)もあります。

 正面(オペラ通り側)から見たオペラ・ガルニエ 存在感があります

オペラ座の裏手は、ギャルリー・ラファイエットGaleries Lafayette)、プランタンPrintemps)と二大百貨店が並んでいます。デパートはどうも・・・という人も、のぞいてみるといいですよ。パリのデパートはどことなく上品で、なかなかおもしろい。ラファイエットには松坂屋が、プランタンには高島屋が入っていて、日本がらみの物品がいくらか手に入るのと、館内の案内を日本語でしてくれるらしいです。そうそう、オペラ座の前には三越もあります。21- Japonais/Japonaiseで触れたように、この界隈は、日本人が最も出没するゾーンなのです。

 朝のオペラ界隈はややくたびれた感じ

プランタン百貨店のさらに裏手が、ノルマンディー方面へ向かう国鉄サン・ラザール駅。メトロ各線もこの周辺に集中していて網の目をなしていますし、バス路線も充実していることから、市内交通の要の1つとなっています。RER-A線は、メトロのオペラ駅から少し離れたオーベール(Auber)駅を経由し、いちおう乗換駅に指定されているのですが、さんざん歩かされた上に地下要塞のような一角に導かれてとても不気味でした(オーベールは作曲家の名ですね)。シャルル・ド・ゴール空港へ直行するロワッシー・バス(1- Aéroport参照)は、オペラ座のすぐ横に発着します。外見が普通の市内バスと大差ないので注意。トランクなど大荷物を転がした人がたくさんいるので、それとわかるかもしれません。ロワッシー・バス愛好者にとっては(私はRER利用)、パリで最初に立つ土地がここだから、この界隈に親しみを覚えるということもあるようです。私も一度だけロワッシー・バスで市内入りしたことがあるけれど、最初に目にするのがオペラ座の「裏側」なんですよね。ノートルダムもパンテオンでもそうですが、裏はいかにも「裏」という感じでよろしくない(涙)。もう1つ、オペラ広場はいつでも観光客やビジネスマンでごった返していますが、やたらに交通量が多く、しかも広場のつくりが複雑で自動車がどこから来るかわからず、さらには信号の変わり方を読みづらいので、「パリの常識」信号無視もここではやめたほうがいいですよ。

 怪しくかがやく夜のオペラ座

 

 

32- Orsay (オルセー美術館)

またまた苦手なアート方面ですが、パリの三大美術館といえばルーヴル、オルセー、ポンピドゥーで、それぞれ古代〜前近代、近代、現代を対象にしています。オルセー美術館Musée d’Orsay)は近代美術館という位置づけですね。ルーヴルとは、セーヌ川をはさんで斜め向かいの左岸側にあります。この美術館、エントランスを入るとやたらに天井の高い吹き抜けの構造になっており、採光もいいので、全体に明るい雰囲気です。いまは国鉄(SNCF)線になっているオルレアン〜パリ間が私鉄として開通したとき、万博への対応などでパリ都心部に延伸線を建設し、ホテルを兼ねた終着駅となったのが美術館の建物。いわれてみれば駅っぽいけれど、各種の本に書かれているほど「それとわかる」ものではないと思うな。

 いかにも「駅」らしいオルセーの正面

最寄り駅は、セーヌ左岸に張りつくように進むRER-C線のミュゼ・ドルセー駅。ここを上がるとすぐ美術館前の広場に出ます。左岸のこの付近は官庁街の一角で、街並みは静謐。カフェなども落ち着いたたたずまいが感じられます。ルーヴルもそうだけど、ボディチェックがありますので、そこまで長い列をつくって待つのが面倒ですね。このまえ(20052月)に訪れたときは冬のいちばん寒いときで、雨まで降ってきたため、震えて待ちました。

迷路のようなルーヴルとは違い、基本的には例の吹き抜けとその周囲のフロアという構造ですから、順路はわかりやすい。まずは吹き抜けの1階部分にある彫刻の名作を眺めます。彫刻ゾーンの中にトマ・クチュール「頽廃期のローマ人たち」があり、おー歴史の本で見たぞと無教養ぶりをさらしたあと、中2階のようなフロアでアングル「泉」とカバネル「ヴィーナスの誕生」を鑑賞。ヴィーナスの生命感というのは間近で見るとけっこうすごいですね。通路をはさんで反対側のフロアには、初期印象派などの名作がずらり。マネ「笛を吹く少年」とかミレー「落穂拾い」なんて誰でも知っていますね。モネの「橋」(Le Pont d’Argenteuil)という名画は、その模写が、美術にも欧州文化にもさっぱり縁のなかった古賀家の壁になぜか子どものころからかかっていて(何と今でもダイニングにかかっている)、本物を見たときは妙な感慨があったなあ。美術方面の知識がまったくないのが残念だけど、このゾーンには、惹かれる絵が多かったですね。

1階を見終わったらエスカレータで3階へ上がり、後期印象派の絵を見ます。ロートレック「ムーラン・ルージュの踊り」やセザンヌ「コーヒー沸かしの横にいる女」など、どこかで見た(失敬)作品ばかり。ドガゴッホルノワールもたくさんあります。個人的にはゴーギャンのタヒチ・シリーズがいいなあ。2階は順路としては最後になり、自然主義やアール・ヌーヴォーがラインアップされています。

順路どおりに回ると西洋近代美術史の流れに沿って作品を鑑賞できるようになっており、ところどころに置かれている解説資料を読むと、素人でも一応の位置づけを知ることができます。日本語の解説もあるのでぜひどうぞ(ただし全般に直訳ふうなので意味不明の部分がけっこうあります)。フランスにわざわざ渡ろうという観光客は、ミーハーさんかブランド好きか美術好きでしょうから(違う?)、アートに関心のある人は絶対に訪れる場所ですね。古代の展示が多いルーヴルは同じミュゼでも「博物館」という感じなのに対して、オルセーは日本人が想像する「美術館」そのもの。それも西洋美術の王道を集めていますから、わくわくしますね。セーヌを渡ってコンコルド方面に5分も歩けばオランジュリー美術館(Musée de l’Orangerie)もあるし、かなりのお店が閉まってしまう日曜はミュゼで過ごしてみますか。

 オルセーから、対岸のルーヴルを望んで

 

 

33- Pain (パン)

フランスのパンはフランスパンに決まっているわけですが、滞在中の食事はおよそパンばかりになるわけで、せいぜい美味しいやつを食べましょうね。もちろん、フランスパンというのは日本語ですからあちらでは使用しないでくださいっ。

パン屋さんはブーランジュリ(boulangerie)といいます。パティスリ(pâtisserie)すなわちケーキ屋さんと兼業のところも多いです。どの街区にも数軒ずつはあります。手抜き料理はいいとしても、とにかくごはんだけは炊くという日本人と違って、主食のパンを自宅で焼くところはいまほとんどありませんので、各家庭にかかりつけのパン屋さんというのがあるのですね。同じバゲットを食べても硬軟や味わいに個性があり、米の銘柄以上に違いがありますから、日々のものならなじみの味に限るのでしょう。教職の授業でよく引き合いに出すのですが、フランスでは多くの家庭で「パン屋へのおつかい」が子どもの役割とされており、公的領域(espace public)に触れる最初の機会となっているとかです(石附実編『比較・国際教育学』、1996年、pp.120-121)。

 朝のパン屋さんには美味しそうな品物がたくさん!

食事の際に供されるのは、何といってもバゲットbaguette)、いわゆる「フランスパン」です。日本の多くのパン屋で売られているものよりも、細長く、硬いのが一般的。硬いと聞くとまずそうだけれど、皮はぱりぱりを通り越してぱきぱきし、中はしっかりと風味のあるものがよいようです。子どものころ読んだ欧州帰りの人の本に「バゲットをぽんと折る」という表現があって、よくわからなかったのですが、なるほど折るというのがふさわしい表現であることがわかります。日本のホテルの朝食あたりだと、斜めにスライスしたバゲットが2枚ほど白いお皿に盛って出てくるのですけれど、あちらでは断面積が最小になるようまっすぐに、その代わり1片あたりを厚めに切り、バスケットにごそっと盛ってきます(高級なところは違うのかな? 縁がないので知りません)。1片をそのまま口に運ぶのはマナー違反とされていて、指で1口大にちぎってから食べましょうね。中級以下のレストランでは、料理のソースをパンでぬぐって食べてもOK

フランス映画などで、素敵なおねえさんがバゲットの端をかじりながらパリの街並みを歩くという場面を見かけます。あれ、本当ですよ。紙袋からはみだしたバゲットをかじるおねえさんは、どこにでもいます(当然ですがおじさんもやっています)。バゲットは、パン屋で買えば10.700.90ユーロくらいでかなり安いですが、もてあますので、半分にカットしたもの(demie baguette)を頼みましょう。バゲットとチーズとワインを買ってきてホテルで食べれば、けっこう安上がりだもんね。

朝食の定番はおなじみクロワッサンcroissant)。原義が「三日月」で、イスラムのオスマン帝国を食うという意味だと聞きましたが、ガセらしいです(ウソつき)。バゲット1本と同じくらいの値段ですけど、総じて日本のものよりもずっと美味しい。たしか小学校3年生のころ、給食でなぜか出されたのを食べて衝撃を受けたのがクロワッサンとの出会いでしたが、1991年に初めて渡仏したとき、各地で食べてその美味ぶりにびっくりしました。水が違うのか、粉が違うのか、まあいろいろ違うんでしょうね。バターと生地とを何層にも重ねて焼くため、カロリーはかなり高そうです。

パン屋のスタイルは日本のそれと違い、トレーに好みのものを自分でとるのではなく、ガラスケースに入った品を口頭で告げて注文する方式。ケーキ屋さん方式だと思えばよいですね(私が子どものころまでは日本でもそうだったんですよ)。困ったことに、バゲット、クロワッサン、サンドイッチくらいしかフランス語の名詞を知らなかったので、指さして「あれを1つ」みたいにいわなければなりませんでした。込んでいる時間帯だと、どこでもレジの順番を待つ列が伸びているので、その間にガラスケースをのぞいて、手書きで読みにくい商品名を一生懸命に覚えるわけです(苦笑)。外国人が日本で食事するときの苦労をつい想像してしまいます。定番としては、レーズンの入った甘めのパン・オ・レザン(pain aux raisins)、チョコレートのかけらが入ったパン・オ・ショコラ(pain au chocolat)、素朴な味のパン・ド・カンパーニュ(pain de campagne)、しっとりとしたブリオッシュ(brioche)、アップルパイ(chausson aux pommes)などがあります。女性などは、お菓子も含めて目移りするんじゃないでしょうか。そうそう、キッシュ・ロレーヌ(quiche lorraine)もお忘れなく。13ユーロ前後はしますが、どっしりとしていて食事に足るボリュームで、美味しい。たいていのパン屋さんでは、レンジでチンしてくれます。


トン・バゲット これ1本食べれば満腹なのだ(見えている部分の倍以上の長さ)

 

昼食どきにはサンドイッチもお薦め。観光スポット周辺のサンドイッチ屋は高いので、住宅街のこれと思ったパン屋で購入しておき、バッグに入れておくといいかもしれません。美味しいところをホテルのフロントあたりで訊ねればいいですね。サンドイッチはフランス語でも英語表記のままsandwichといいます。日本で一般的な食パンを三角形に切ったやつは「英国式」で、パリではスーパーや食品店の棚に少しあるほか、市内各所に展開している英国ふうチェーンのリナズ・サンドイッチ(Lina’s Sandwich)で食べられますが、フランスでサンドイッチといえば、短いバゲットを切り開いて具をはさんだスタイルのものがふつう。対照的に、三角スタイルが一般的な英国ではフランス式のサンドイッチ・チェーンであるプレタマンジェ(Prêt à Manger)が大々的に展開していますので(赤坂あたりにもあるね)、お互いに憧れているのかな? フランス式のやつだと、ハム入りがジャンボン・バゲット(jambon baguette)、ツナ入りがトン・バゲット(thon baguette)と呼ばれます。美味しいのだけど、もてあますかも。2人づれなら半分ずつ分け合うといいかもしれません。お店によっては(屋台ふうのサンドイッチ店ではとくに)「マヨネーズをかけますか」と訊ねられるので、ウィといっておきましょう。マヨネーズのかかっていないトン・バゲットは実に味気ない。ターミナル駅には、駅弁ならぬ駅サンドがたくさん用意されています。

ついでに、東京でフランスふうの美味しいバゲットを食べようとするのならフォション(Fauchon)のやつがいいと思います。本拠地はパリなんだし、当たり前といえば当たり前なのですが。高島屋あたりだと売り切れが多いのでお早めにね。

 

 

34- Panthéon (パンテオン)

左岸の文教地区カルチェ・ラタン(38- Quartier Latin)は全体がぽっこりとした丘状になっていますが、その緩やかなサミット上にあるのが、白亜のドームで知られるパンテオン。エッフェル塔からも、モンパルナス・タワーからも、右岸のモンマルトルからもよく見えて、この地区のランドマークになっているのがわかります。

 リュクサンブール公園側(スフロー通り)から見たパンテオン

左岸の中心を南北に貫くサン・ミッシェル通り(Boulevard Saint Michel)に面したリュクサンブール公園のゲートを背にして東のほうを見ると、まっすぐに伸びる広い道(スフロー通り Rue Soufflot スフローはこの建物の設計者)の正面にパンテオンがそびえ立っています。すぐ近くに見えるのは建物の大きさゆえの錯覚で、300m以上はありますよ。近寄ってみると、威容と呼ぶのにふさわしい大きさ。ネオ・ロマネスク様式というのだそうで、ゆったりとした構造でありながら大造りには見えない、調和ある外観をしている。

 内部には祖国の歴史を描いた巨大な絵が飾られている (シャルル7世戴冠式のジャンヌ・ダルク)

このすぐ近くにあるパリ第1大学がパンテオン・ソルボンヌ(Panthéon-Sorbonne)の別称で呼ばれるように、左岸の象徴的な建造物なのですが、それは目立つ外観だけでなく、そこに込められた思想的・理念的なものにも由来します。もともと1744年にルイ15世が建設に着手した教会だったのですが、資金難などから工事は遅れ、完成したときには王政が倒れて革命政府が成立していました。カトリックとの決別というラジカルな政策を採った革命政府は、ここを無宗教の殿堂と決め、祖国のために尽くした偉人の廟(びょう)にすることを決定したのです。非宗教的(laïc)なナショナリズムという近代フランス独特の理念ですね。その後、王政復古の時代にいったん教会に戻ったりもしましたが(科学史上に輝くフーコーの振り子実験は、1849年にここでおこなわれたものです)、第三共和政の時期に祖国の霊廟という位置づけに復帰し、今日にいたっています。共和政(République)というのは理念的な共同体であり(E.Renan, Qu’est-ce qu’une nation?, 1882)、その理念は人類的な次元(humanité)に通じるものとされます。ま、このへんがフランス的で、「それこそナショナリズムじゃんか」といってしまえばそれまで。ともかく、祖国と人類のために寄与した偉人を共和国の責任において賞賛し、ここに祀るということになりました。

 「本家」フーコーの振り子

革命期、クリプト(地下墓所)の最初の「住民」になったのは、啓蒙思想家ジャン=ジャック・ルソーや革命家ミラボー、マラーなどの有名人。第三共和政期には、化学者ベルトロや作家エミール・ゾラ、アレクサンドル・デュマなども葬られました。最近ではキュリー夫妻などが追葬されています。ピエールはともかくマリ・キュリーはポーランド人ではないかと思うけれど、フランス的にいえば、崇高なる共和政の理念に統合されたフランス人にほかならないのですね。しかも、その精神を世界のために発信したという意味で偉大だとされます。文化人の場合には「人類への貢献」というのが比較的明確ですが、レオン・ガンベッタやジャン・ジョレスなどの政治家になるとナショナルな色彩が強くなります。また、デカルト、ロマン・ロラン、ジュール・ミシュレ、アンリ・ベルクソンなどの有名人は候補に挙げられましたが落選、ないし遺族により拒絶されました(上に共和政の理念を引用したエルネスト・ルナンも追葬できませんでした)。

公教育の父、コンドルセの墓所では、何ともいわれぬ感動に襲われて立ちすくみ、思わず合掌しました。コンドルセ先生、あなたがいなかったら、いまのような学校教育は存在しません。多くの金持たずが等しく学び、自らを高める機会を得られたのはあなたの偉業ゆえです。もとよりさまざまな困難がそれによって招来されましたが、それは後輩世代の問題です。

このように、パンテオンは近代フランスのありようを体現したコンセプトをもつのですが、その運命を確定したのは、1885年に没した作家ヴィクトル・ユゴーVictor Hugo)が国葬に叙され、この殿堂に葬られたときだといえます。

 ヴィクトル・ユゴーの墓所

187071年の普仏戦争でプロイセン・ドイツに完敗して第二帝政が瓦解し、ヴェルサイユ宮殿でドイツ皇帝の即位式を強行され、パリ・コミューンを圧殺するなど政治的にも思想的にも大揺れする中で第三共和政は生誕しました。それも、王政に戻すまでの「つなぎ」が初めから意識されていて、新社会構築への高揚感など皆無だったようです。1880年代に入ってようやく落ち着きを見せはじめますが、今度は王や皇帝、キリスト教的なもののないまま国民統合をめざす困難に直面します。前述したような独特のナショナリズムは、そうした背景をもつものでした。大革命の息吹を受けて育ち、ナポレオン3世と対立して英国への亡命を余儀なくされ、帰国した晩年には祖国の連帯を強く望んだユゴーは、欧州では聖書の次に読まれているといわれた名著『レ・ミゼラブル』(Les Misérables)への評価もあって、共和政のシンボルに擬されたのです。第三共和政期の小学校歴史教科書に、こんな一節があり、パンテオンと葬送の様子を描いた挿絵が1ページ大で添えられていました(Ernest Lavisse, Histoire de France: cours moyen, Armand Colin, 1912)。

共和政は学者や発明家たちを顕彰するだけでなく、偉大な作家たちをも顕彰する。それは、彼らがフランスに名誉を与え、その精髄のすばらしさを示すことができるからである。共和政は、ヴィクトル・ユゴーやパストゥール、ベルトロの死を悼んで喪に服し、国葬の栄誉を彼らに与えた。

 祖国は感謝する

エルネスト・ラヴィスの著になるこの教科書をずっと研究してきた私が、初めてパンテオンを訪れたときに感慨を覚えたのはいうまでもありません。いまは大部分がリヨンへ移転してしまいましたが、国立教育研究所(INRP)はすぐこの南側にあり、資料探索の合間にたびたびパンテオン周辺を散策したものです。建物の正面には、「偉大なる人たちに、祖国は感謝する」Aux grands hommes la patrie reconnaissante)という標語が掲げられています。歴史にひたったら、ドーム上から左岸の景観を眺めますか。

 

 

35- Petit déjeuner (朝食)

単にdéjeunerといったらランチのことですが、「小」(プチ)が冠されると朝ごはんの意味になります。

左岸の表通りにあるカフェで朝食を注文したら、日本人だからなのか、「英国式かい?」と訊ねられました。なるほどメニュー黒板には、フランス式朝食(petit déjeuner français)と英国式朝食(petit déjeuner anglais)が併記してあり、後者が10フランくらい高い。いまなら1ユーロちょっとの差でしょうか。そこは観光客も多いゾーンだったのでブリティッシュ・ブレークファスト(卵料理とベーコンまたはソーセージがつく)を供するようでしたけれど、普通はフランス式すなわちコンチネンタル・ブレークファストだけですね。ホテルの朝食も、大規模なところはともかく、大半を占めるプチ・ホテルではコンチネンタルです。原則的にパンとコーヒー(などの温かい飲み物)。ただし、カフェやホテルで朝食セットを頼むと、オレンジジュースが添えられることが多く、まずはこれをぐいっと飲め、ということなのでしょうか。

 レスペランスの朝食(ポットはコーヒーとミルク)

わが常宿レスペランス(14- L’Espérance参照)では6ユーロ、街のカフェだと4.05.5ユーロくらいで、意外に高い。ゆったりと朝食タイムを過ごしたいときはいいですが、何か食べればいいという人は、パン屋でクロワッサンを1切れ買って歩き食いするとか(品がないようだけど、パリジャンはけっこうやっている)、カフェのバーカウンターで飲み物とクロワッサンを頼み、スタンディングでつまむとか。コンビニがないので、そういうことになります。朝食セットには通常、クロワッサンとバゲットないし別種のパンが盛られています。安いところだと、前の日のバゲットを縦に切ってバターを塗ったタルティーヌ(tartine)を出してきますが、これもなかなか美味しい。そうそう、パンにバターやジャムを添えるのは朝食だけというのが普通です。おかずがないからなのかな? ジャムの類はふだん食べないのですが、レスペランスの朝食ではいつも使いきりの小瓶が供されるので試してみたら、香りがよくてけっこういけました。

が、東京にいてもさほどまじめに朝食を摂らない古賀のこと、宿泊代を精算したマダムが「あらムッシュ、今回はちゃんと朝ごはん食べているのね」なんて冷やかすくらい、たいていは省略。フランス人は前の日のパンを翌日に持ち越すのを嫌う(日本人にとっての冷ごはんだと思えばいいですね)のですけど、パン屋で翌朝のぶんも買ってきておいて部屋で食べるほうが気楽だったりしますわ。

在仏の友人の話だと、家庭では週末になると朝食にパン・オ・レザンなど菓子パン類が出るようで、ゆっくりくつろいで朝のひとときを過ごすんだそうです。朝、パン屋への買い物にくっついていったら、なるほど近所のおじさんおばさんたちが例によって行列して、好みのパンの名前を告げ、けっこうな量を買っていました。子どもだったら週末はうれしいだろうな。

なかなか捨てがたいのがターミナル駅での朝食。まだ暗い7時前にホテルを出てオステルリッツ駅からエクスカーションに出かけたとき、駅のスタンドでクロワッサンとカフェオレだったかを頼んだら、雰囲気もあいまって上々でした。子どものころ読んだ本に「夜行で到着する友人を出迎えに行った朝のターミナルでクロワッサンを食べた」とあり、そんなシチュエーションに憧れていたのかな? そういえば、朝食のときの飲み物はなぜかカフェオレ(café au lait)を注文することが多く、惰性といっていいですね。旅先ではいつも以上に疲れやすいですから、朝はきっちり食べて出かけましょうよ。

 

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