Bienvenue à Paris ! 26-
Métro (2) (メトロ その2) Mの文字がデザインされたメトロ入口の階段を下りると、コンクリートを打ちっぱなしにしたようなタタキがあり、だいたいそこに切符売り場、自動券売機、自動改札機が並んでいます。1週間チケットのカルト・オランジュなどでは証明写真が必要なため、インスタント撮影機が置かれていることも多い。都心部の乗換駅などには、パン屋や花屋、スカーフ屋(これがよくわからんけど、けっこう見かける)などが設置されています。 駅入口のサインにはアール・ヌーヴォー調のものも多い 入場する 10号線マビヨン駅(あの電車は手前に走ってくるんです!) メトロに乗る ホームもコンクリのタタキです。どことなく香水をたきしめたような匂いがします。そうそう、国鉄(SNCF)やRERは左側通行なのですが、メトロは道路と同様に右側通行ですので、日本人にはちょっと違和感があるかもしれません。対向式ホームですから、線路に向かって左側から車両が進入するのです。車体はRATPの標準色であるライトグリーンとアイボリーホワイトのツートン。よく見ると路線ごとに仕様が異なっていますが、マニア以外にはどうでもいいことです(笑)。ドアは半自動ですので、下車する人が開けてくれないのならば、自分で働きかけなければなりません。ハンドバーを握って時計回りに半周回すタイプと、ボタンをプッシュするタイプがあります。閉めるときは自動です。 最も新しい14号線は無人運転なのでホームドアがある メトロの車両は、ほぼ銀座線くらいの寸法ですが、片側3扉で、ドアのあいだに向かい合わせ4人がけのボックスが1対あるだけです。1号線はやや車体が大型でロングシート部分もありますが、多くの路線ではボックスシート(クロスシート)ばかり。どこかの国のように、はす向かいに2人で座り、3、4人目は遠慮がちにやって来るというようなことはなく、空いてさえいれば先客の膝を大またで越えて隙間に割り込みます。もちろん<Pardon>くらいはいいましょうね。ドア際には補助イスがついており、すいていれば座ってよい。込んできたら立ち上がるのがマナーとされます。メトロの車両には、流しのおじさん(お兄さん)が乗り込んでくることがあり、アコーディオンなどの演奏を聞かせてくれます。気に入ったら数十セントくらいの浄財をあげましょう。もともと慣習的にやっていたものが、近年は組合をつくってRATPに正式にエントリーした人だけが演奏できるようです。びっくりするくらい上手な演奏家に出会うことがありますよ! ついでにいえば、物乞いさんたちもときどき乗ってきて、「仕事がなくて食えないんだ。恵んでくれ〜」などといいながら空き缶やてのひらを差し出してきますが、恵みたくなければ無視してかまいません。中にはえらく堂々とした失業者もおり、「俺は仕事もできるし前の会社の上司には高く評価されていたんだが、いまの部長にうとんじられてこのありさまだ。政治も俺を救ってはくれない。家族もいるし、俺の生きる権利を保障してもらえないか!」などと演説をぶって車内を回る人もいます。 下車するときは、やはりハンドバーかボタンを操作してドアを開けます。どういうわけか、完全に停車する2秒くらい前にロックが解除されますので、せっかちなパリジャンはハンドバーに指を引っかけたまま待機していますよ。 乗り換える はげしく長い通路も(しかも片方は故障している・・・) 下車する |
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Métro (3) (メトロ その3) 「メトロ」の本来の意味が首都鉄道(chemin
de fer métropolitain)に由来することは前々回述べましたが、英国のundergroundと違って「地下」というニュアンスは含まれません。いまの銀座線の前身である東京高速鉄道(東急系、渋谷〜新橋間)が渋谷駅の3階に乗り入れたとき、乗り場はどこだと地下にもぐる階段を探した人が続出したなんていうネタが有名ですけれど、地下鉄と名乗っていないメトロは、地上を走ることに何らのためらいもありません(日本の地下鉄がためらっているわけでもないか・・・わが東西線なんて1/3以上が地上だし)。地形の関係なのか、地上(高架のことが多い)を走る箇所がかなりあります。 左岸の住宅街を東西に走るメトロ6号線(Nation〜Charles
de Gaulle-Étoile)は地上部分のきわめて多い路線で、拠点駅のモンパルナス・ビアンヴニュ(Montparnasse Bienvenüe)を出るとガリバルディ通りの真上を高架線で走ります。首都高のような感じだと思えばいいですね。パリの街並みを見下ろしながらがたがた走るので、車窓に注目してください。やがて右手(北側)にエッフェル塔が見え隠れするようになります。セーヌ川を渡る手前のビラケム(Bir Hakeim)駅は塔の最寄り。このあたりにはツアー客が押し込まれる安宿が集中しています。ビラケムを出ると、電車はゆっくりとセーヌ川を渡ります。このビラケム橋は、道路の上をメトロが走る二層構造になっていて、絵はがきの構図にもよく採用されています。左岸側にエッフェル塔、右岸側にシャイヨー宮(Palais Chaillot)を望むこの橋からの眺めは、お空が晴れているなら文句なしのものだと思います。 メトロの地上走行でもう1つ挙げたいのが5号線(Bobigny-Pablo
Picasso〜Place d’Italie)。バスチーユから南下した5号線は、国鉄のリヨン駅にも近いケ・ド・ラ・ラペ(Quai de la Rapée)駅に着きます。この駅はセーヌ右岸の掘割の中にあります。ここを出ると、電車は急勾配を登りながら右へ約90度の急カーブを切り(ワザとしては東武伊勢崎線浅草駅よりウワ手だね)、セーヌ川の鉄道橋へと進みます。この間の車窓がすばらしい! 目の前の壁がなくなった途端にセーヌの流れが見え、ノートルダムの威容を望むことができます。このあたりは川幅も広いので、欧州の都市らしい重厚な景観が楽しめます。やっぱりパリはセーヌなんですね〜。いつだったか、ちょうど日の沈む時間帯にここを通ったら、赤と黒に彩られた空と水面の美しいことといったらなかったです。橋梁を渡りきると、スペイン方面へ向かう国鉄のターミナル、オステルリッツ駅(Gare d’Austerlitz)の2階に滑り込みます。このあたり、道路から高架線を見上げると、模型の電車が走っているような感じも。東京の地下鉄に比べて車体がかなり小さいせいでしょうか。 エスプラナード・ド・ラ・デファンス駅のホームから凱旋門を望む ラ・デファンスへ向かう1号線は、ポルト・マイヨー(Porte
Maillot)の先あたりから地上に出て、道路の中央分離帯に割り込み、そのままセーヌ川のヌイイ橋(Pont Neuilly)を渡ります。大阪市営地下鉄御堂筋線が、新大阪駅の前後で新御堂筋と合流して走るのに似ています。デファンスの側から見ると、遠く凱旋門を望んで電車がこちらへ接近してくるのが、やはりジオラマのように見える。 パリに行ったら、ぜひメトロを利用しましょう。大半の線区で景色が見えないとか、駅間が短いため歩いたほうが早いといった事情はあるけれど、これはこれでパリらしい雰囲気を味わえるし、ある種の文化を体感することができます。モビリス(1日乗車券)を買ってしまえばお金の心配をすることなく、あちこち飛び回れますよ。前回触れた流しの演奏家や、これどうやって書いたのという感じのトンネル内の落書き、ときおり工事中と称して1駅をまるまる使用中止にしてしまう大胆な?運用など、そこここにパリらしさが感じられます。 |
28- Montmartre (モンマルトル) パリを代表する景観であり一大観光地でありますが、個人的には、どうもうさんくさい印象があるんですよね。伝説的なキャバレーであるムーラン・ルージュ(Moulin Rouge)もこの地区にあり、そこはもう「一度は見てみよう」ふうの俗化されたスポットらしいですが(興味ないし、お金もないよん)、その周辺は場末感が漂っていて、浅草六区みたいな雰囲気もあります。モンマルトルの中心は、丘の上に立つサクレ・クール寺院(Basilique du Sacré Cœur)で、ここのご門前は、日本の有名な寺社のそれに似て、安っぽいお土産屋さんと屋台ふうの軽食屋さんが軒をつらねる一隅。いわゆるパリらしさとはかなり違うけど、一度はどうぞ。 もちろん、サクレ・クールの裏手に広がる丘の上は、小径の散策も楽しい有名な芸術村です。時間があったら、画家の旧跡など訪ねてみてはいかがでしょうか。道に迷う可能性が高いので、地図を忘れずに。 丘の上のテルトル広場は画家さんたちのメッカ インチキな似顔絵の押し売りに注意! 最寄りのメトロ駅は2号線のアンヴェール(Anvers
ベルギーのアントワープのことです)ですが、左岸やシャトレあたりから行くのなら4号線と2号線が交わるバルベス・ロシュシュアール(Barbès-Rochechouart)から歩いても近い。ロンドンやベネルクスへの起点である国鉄の北駅(Gare du Nord)から歩いても15分くらいです。2号線が地上に顔を出すバルベス駅付近はごちゃごちゃしていて下町の感じ。庶民的なカフェやファストフードも多いので、スリさんにだけ気をつければ歩きやすいかもね。で、ほどなくパリを代表する激安ショッピングゾーンに入っていきます。日本のガイドブックには控えめに取り上げられる程度ですし、パリでショッピングといえばブランドと決まっているジャポネズたちは関心すらもたないでしょうけど、この辺はすごいぞ〜。 激安ショップの代表格がタチ(Tati)。この界隈に数店舗かそれ以上を展開するさまは、そのごちゃごちゃぶりを含め、御徒町の多慶屋によく似ています。日本でいうヒャッキンに相当する1ユーロショップには、これ買ってどうするんだよ〜というような雑貨類がてんこもり。がらくた好きの人はぜひどうぞ。カジュアルショップには、これまたインチキくさい安服がたくさん。どうせ使い捨てでいいよねとばかり、最近は滞在中に一度はここを訪れて買ってしまうんですよね。カジュアルシャツなら3〜5ユーロも出せば買えるよ。旅先で洗濯するのが面倒な人は、下着や靴下を買って履き捨ててもいいかもしれません。私が学生のころ、早稲田のU.S. VAN VANというお店は、激安の粗○品を扱うことで知られており、そこの紙袋をもって歩くと冷やかされたりしたのですが(今でもあるけど、他にも安めのお店が増えて強烈な個性は消えうせています)、ピンクと白の縦じまをデザインしたタチのビニール袋も、パリでは「ああ、あれね」というイメージをもたれます。旅行代理店もあるし、何より驚くのはウェディングショップがあること。興味のある人はHPをのぞいてみてください。59.90ユーロ(8000円強)のウェディングドレスってすごいよね!
これなら金持たずの古賀先生にも買えるわ(笑)。まあこの手のものは、一度着られればいいわけだから、それでいいといえばいいのですな。さすが理性主義者デカルトの国(?)。 激安モンマルトル タチのほかにも、安いカジュアルショップや靴屋さん、カーテン屋さんなんかもあります。冷やかすだけでも楽しいよ。 そうしてようやくサクレ・クールの門前に立つわけですが、土産物屋の雰囲気は京都の清水寺に、表通りからの距離感は深川不動尊によく似ています。PARISと大々的に書かれたTシャツやエッフェル塔の置物、妙なキーホルダー、メトロの路線図が描かれたトランクスなどが欲しければこのあたりでどうぞ(さもなくばシテ島のノートルダム周辺)。見るからにまずそうなクレープ屋なども、日本のご門前によくある景観ですね。 変な誘惑を振り切って、眼前にそびえるサクレ・クールをめざしましょう。高低差と奥行きはあるのだけれど、アプローチの斜面の横幅が小さいので、思ったより小ぶりの印象です。斜面にはいくつかの筋があり、さしずめ男坂・女坂というところだろうけれど大差なし。どうしても登りたくない人は、小さなゴンドラが斜面を上下するフュニキュレール(funiculaire)を利用しましょう。カルネやモビリスなどRATPの切符が使えます。まあ高低差としては京都の知恩院くらいのものだし、途中で眺める景色もすばらしいので、歩いて登ることを勧めますが、フュニキュレール独特の雰囲気も捨てがたい。同じ有料でも江ノ島のエスカーよりはずっとありがたい存在です。徒歩で進むと、途中に何ヵ所かベンチを置いた踊り場がありますから、そのあたりで振り返って、右岸の街並みを見渡しましょう。大道芸人もよく出ています。いちばん上に着くと、右岸はおろか、シテ島のノートルダム寺院や、左岸側のエッフェル塔やモンパルナス・タワーもよく見え、街の広がりがよくわかりますよ。 頂上に建つサクレ・クール寺院は、普仏戦争(1870年)の戦死者を慰めることを主目的に建設されたドーム式の聖堂で、モンマルトルのランドマークになっています。ここも何だかごちゃごちゃした感じが否めませんが、ぜひゆっくり散策を。 あ、いかんいかん。芸術的な話にしようと思ったのに、すっかりインチキくさいトーンに終始してしまいました・・・。 サクレ・クール寺院 |
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Montparnasse (モンパルナス) 左岸のモンパルナスは、他の繁華街とはちょっと離れた副都心のような存在です。かつてはこの辺のカフェで幾多のアーティストたちが語らったという芸術村として知られていたのですが、現在の印象はやや無愛想な商業地という感じ。 東西を貫くモンパルナス通り(Boulevard
du Montparnasse)が中心。このあたりがかつて「パルナスの丘」と呼ばれていたのが地名の由来らしいです。例の芸術カフェはその通り沿いに何軒かあります。ちょこっとのぞいたことはあるけど、いま一つ魅力的に思わなかったなあ。やっぱり芸術のセンスがないのでしょうか。この通りと、サン・ジェルマン・デ・プレからほぼ真南に下ってきたレンヌ通り(Rue de Rennes)の交点が1940年6月18日広場(Place
du 18 juin 1940)。ナチス・ドイツによる占領に抗してド・ゴール将軍がレジスタンス宣言を発した日付。この広場の周辺がモンパルナス地区の中心で、大小さまざまなお店が並んでいます。1ブロック南が国鉄モンパルナス駅で、そのあいだに、やや大衆的なデパートであるギャルリー・ラファイエット(Galeries Lafayette)の支店、そしてパリのどこからでもたいてい見える高層ビル、モンパルナス・タワー(Tour
Montparnasse)があります。市内バスの一大拠点にもなっており、ターミナルにはいくつもの系統の路線が乗り入れていて便利。冬場はそのあたりにスケートリンクが特設されることもあります。 モンパルナス・タワー 手前はギャルリー・ラファイエット百貨店、奥はモンパルナス駅 18- Gare (2)でも紹介した国鉄駅は、ブルターニュをはじめ、ル・マンやボルドーなどフランス西部・南西部へ出発する列車のターミナルで、TGV大西洋線が開通した折に、現在のようなガラス張りのモダンな外観になりました。古いパリジャンは、田舎にゆかりのある駅なんじゃからもっと重厚なものをと思うらしく、モンパルナス・タワーの無機質な感じとあいまって、どうも気に入らないのだそうです。東北出身者が上野界隈の変容を嘆く構図と似ていますね。とくに、フランス語(ラテン語系)とはまったく別系統のブルトン語(ケルト語系)が話されているブルターニュの出身者は、パリでも同郷人が集まりやすいモンパルナス界隈に居を構えることが多かったようで、18日広場の東側にはブルターニュ料理のお店がたくさん軒をつらね、それもこの地区の景観を特徴づける1つの要素になっています。ブルターニュ料理といえば何といってもクレープ(crêpe)。もちろんデザートではなく食事として供されるもので、ガレット(galette)と呼ぶそば粉のものが素朴で美味しい。シードル(cidre)というリンゴのワインを飲みながら食べるのが現地の慣わしだそうで、厚手のティーカップのような取っ手つきの器に注いでぐびりと。シードルは甘くて口当たりがよいですが、それが語源になったサイダーと同じようなつもりでがぶ飲みすれば、当然酔っ払いますので注意。けっこう強いですよ。 国鉄駅の周辺には、いかにも駅前だねという手のホテルやレストランがたくさんあります。リヨン駅や北駅の周辺とまったく同じで、大荷物を抱えた人が時間つぶしをしている。気に入ったカフェもあるし、昼どきには安直な定食を食べられるので、この駅の周辺にはたびたび出没しています。大好きなリュクサンブール公園から徒歩10分くらいだし、常宿にもバスで1本と近いのです。 クレープ屋さんが立ち並ぶ 左岸を南北に走るレンヌ通り。サンジェルマン・デ・プレでこの通りを入ると、まっすぐの道路の先にモンパルナス・タワーがそびえ立って、これはこれでなかなかの迫力。この通りには、パリにしては現代ふうのショップが多く、メトロのサン・プラシッド(Saint Placide)駅付近から南は完全なショッピングゾーンになります。渋谷の公園通りみたいな感じ。フナックの支店もあるので本やCDも調達できます。 6月18日広場 メトロは、18日広場の地下に4号線と12号線、国鉄駅前の地下に6号線と13号線が走っていて、ラファイエット百貨店の下あたりは長い長い「動く歩道」で結ばれています。学生時代に初めてパリを訪れたときここを通って、大阪の梅田あたりをはるかに上回る地下道の移動に青ざめた記憶があります。高速レーンというのもあって、けっこう怖い。メトロ駅の名称はモンパルナス・ビアンヴニュ(Montparnasse Bienvenüe)。当連載のタイトルにもあるように、ビアンヴニュというのは英語のwelcomeと同じ意味(よく、来た)なので、パリの玄関駅にふさわしく「モンパルナスようこそ」ということかいなと思っていたのですが、綴りにトレマがついて<ü>となっている。あとで調べてみたら、ビアンヴニュは人名で、20世紀初めにパリの首都鉄道すなわちメトロを設計した技師の名前なんだとか。合点がいったところで、サンドイッチを買って、近くのモンパルナス墓地に行ってみましょう。サルトル、ボードレール、サン・サーンス、モーパッサン、シトロエンなどのお墓があります。 この地区の仕上げに、やっぱりモンパルナス・タワーに上ってみなければね。チケットはおとな8.50ユーロ、学生6.50ユーロです。日本にある各種の展望台と違って、エレベータ内に妙な演出がなく、「これって高田馬場のF1ビルと同じだよなあ」と思ったほどでした。56階の展望室に上がってみると、ここもさっぱりしているものの、匹敵する高さの建造物はエッフェル塔だけなので、とにかくいい眺望。で、ここまで来たら59階の「パリの屋根」(Le
Toit de Paris / The Roof of Paris)に行ってみましょう。以前は<Sky Dome>といっていたはずで、そのほうがいい名前のような感じもしますが、ドームにしても屋根にしても日本語では「内側」の印象が強くなります。でも実際には、タワーの屋上そのもの。何もはばかることなく、360度見渡せるさまは、まさに空のドームと一体になった気分になれます。<roof>の日本語訳は「頂上」となっていますけど、それもどうかしら(笑)。 モンパルナス・タワーの公式サイトには日本語のページもありますから、ぜひのぞいてみてください。360度のパノラマを映像で見せてくれます。私が初めてここを訪れたのは初秋の日暮れ時でしたが、石造りないし石造りふうに統一されたパリの街並みに西日があたり、暖色に輝いて、それは美しい景観でした。タワーそのものの外観にはいまだ批判が絶えないものの、上ってしまえばそれは見えませんので、ひたすらに眺めつくせばいいわけです。モンパルナス、あ〜、ビアンヴニュ(ようこそ)! |
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Mouffetard (ムフタール通り) ムフタールの名が出てきたらかなりのパリ通。一見の観光客が訪れるほどのところではないし、メトロの駅からも少し離れているため、ジャポネ(ズ)に知られているとはいいがたい。でも、パリになじみのある人に聞けば、あそこはなかなかによいと答えます。 コントルスカルプ広場 赤いひさしのところからムフタールがはじまる それは全長700メートルほどの狭い通り(Rue
Mouffetard)で、左岸のカルチェ・ラタンのほぼ中心を南北に走っており、南に向かって一方的な下り坂になっています。この地区はパンテオン付近をサミットとする小高い丘になっているのです(38- Quartier
Latin参照)。ムフタール通りの起点は、パンテオンの裏手にあるコントルスカルプ広場(Place de la Contrescarpe)。広場というにはかなり狭いですけれど、カフェやお店が取り囲んで、なかなかにぎやかな雰囲気です。1999年に初めてここを訪れたとき、どこかで聞いたことのある地名だなと思っていたら、初めてフランス語を学んだときの教科書<Sans frontière>の第1幕に出てきたのでした。主人公のピアニストが「私はコントルスカルプ広場に住んでいます」(J’habite à la place de la Contrescarpe)とかいうセリフがあり、広場を鳥瞰した挿絵もついていました。英語の本も同じだけど、初めのほうの文例ってありえないですよね〜。最近まで、パリ時代のヘミングウェイが通った古いカフェもあったのですが、いつしか別の店に代わってしまいました。たびたび訪れてマスターと懇意になった中華料理店も消えています。間口が狭くごちゃごちゃした食料品店は健在で、よく飲み物などを調達します。 コントルスカルプ広場をあとに坂道を下ります。東京の神楽坂より一回り狭い感じだけど、石畳なので雰囲気はあります。両側はレストラン。フランス料理はもちろんですが、パリらしくギリシア料理店がいくつかあり、どこも賑わっています。いつだったか、メニューを指さして適当に注文したらタイの一種らしき魚が尾頭つきの蒸し焼きで登場。ナイフとフォークというのはなじめないが、魚食いのジャポネのプライドにかけて(?)骨以外をすっきり食べつくしたことであります。美味でした。家庭料理ふうのお店では、白身魚をトマトソースで煮込んだような料理が絶品だったです。レバーでもキャナル(カモ)でも仔羊でも、何でもいただきましたぞ。この前は仔牛のブランケット(ホワイトソースで煮込んだやつ)を食してみたら、やわらかーくて実に美味い。もちろん当たり外れはあるけれど、どのお店にしようか迷うのも楽しみの1つですね。テイクアウト向けのサンドイッチやパニーニ(イタリアふうサンドイッチ)、クレープなどを売る店も多い。そういうところも、狭いけれどイートインが可能で、若者たちがコーラを片手にパクついています。店先で吊るした肉をそぎ落として盛ってくれるトルコふうサンドイッチもあり(上野にもあるな・・・)、チャレンジしてみましたが、油っこくて大変でした。もちろんポテトてんこ盛り! ムフタールの坂を下る 日が落ちても買い物客でにぎわうムフタール通り ムフタールの北半分がレストラン街、南半分は、スーパーマーケット・肉屋・魚屋・パン屋・菓子屋・酒屋・チーズ屋(fromagerie)・惣菜屋などが立ち並ぶお買い物ゾーンです。屋台の果物・野菜屋さんも出ていてにぎやかですよ。このへんに住んでいるのならもちろん食材を買い込んで料理の腕を振るいたいところ。一般に、肉や野菜は日本よりもかなり安く、魚は同じくらいです。お惣菜を売る店がかなり多いのはフランスに共通することで、共働きも普通ですし、おかずを買って済ませる家庭が多いのですね。パテとか肉のグリルといった伝統的な惣菜だけでなく、中華またはベトナム料理のメニューが多いのも特徴です。外食に飽きたら、このあたりでおかずを数種類買ってきてホテルで食べればいいのですね(惣菜屋さんにもイートインがあるのがお国柄で、試したことはないが、お手軽かも)。チーズ屋さんには、日本の古い酒屋の「立ち飲み」みたいなカウンターがあり、好みのチーズを選ぶと、それに合ったワインを勧めてくれ、そこで一杯やることができます。ひとりで外食するのは切ないが、ひとりで飲むのには向いていますよ、パリは。 飲むのも買うのも・・・ 坂を下りきると、下の写真の広場に出ます。メトロ7号線サンシエ・ドーバントン(Censier Daubenton)駅がすぐ近く。このあたりは1968年のパリ五月革命のとき、学生たちが大暴れしたところです。 雪のパリ 正面がムフタール通りの南端 物知りにいわせると、ムフタールはわざとらしくてパリの日常を代表するとはいいにくいのだそうですが、観光地然としたところばかり見ていて飽きてしまった人にはなかなかいいアクセントになることでしょう。私がこの通りを知ったのは偶然で、常宿にしているレスペランスがすぐ近くだったのです(14- L’Espérance参照)。写真の図でいうと、手前の道を左に250mも進めばホテル。ぶらぶら散歩していたら、INRP(国立教育研究所)の先生が昼食に連れて行ってくれたのと同じ通りに行き当たり、その雰囲気が非常に気に入りました。以来、パリに着くと(たいてい19時前後にホテルに入ります)まずムフタールの坂道を登って、到着を祝す習慣になっています。ぐび。 |