Bienvenue à Paris !
<超主観的パリ入門> 実際に渡仏される方、とくに初心者の方は真に受けないでね・・・。

11- Cité (シテ島)

わが大福岡帝国は、中世以来の商業・港湾都市として発展した博多と、近世以降に武家町として形成された福岡が並立する一種のツイン・シティで、そのあいだを那珂川が北流し、河口近くの都心部に文字どおりの中洲(なかす)があります。売れはじめのころのタモリが「中洲産業大学教授」というネタをやっていたことなんて、若い読者は知らないだろうなあ。東京なら歌舞伎町に相当するような歓楽街ですが、昼間はいたって平穏な商業地で、子ども同士で映画を見に行くこともよくあります。

で、パリの中洲がシテ島(île de la Cité)。シテというのはもちろんcityと同義で都市国家を意味します。ついでにいえば、私がこのところの研究対象にしている市民性(citoyenneté / citizenship)というのも、本来的には都市国家の住民としての要件ということ。

シテ島は、一周しても2キロに満たないほどの小さな中洲ですが、実はここがパリ発祥の地であります。ロンドンの中心が、いま金融街になっているシティであるのに似ていますね。島を南北に貫くサン・ジャック通り(Rue Saint Jacques)は、関東地方でいえば鎌倉街道にあたるような古道で、ローマ時代に由緒があるそうです。この歴史は、シテ島のノートルダム寺院の地下にある歴史博物館で詳しく学ぶことができます。今でこそ南北筋はサン・ミッシェル通り(Bourvard Saint Michel)〜パレ通り(Bourvard Palais)がメインになっていますけれど、なるほどサン・ジャックのほうが渋くて、いわれてみればそれらしい雰囲気をもっています。シテ島はガリア、ローマと受け継がれた城塞または交通の要衝であったらしい。

 左岸側から見たノートルダム寺院

シテ島では、ディズニーのアニメの舞台にもなったノートルダム寺院Cathédrale Notre Dame de Paris)が何より有名で、島全体がそのご門前であるといっても過言ではありません。外国人を含めた観光客が絶えず歩いていますし、カメラをもった人が目立つのも特徴です。ノートルダムのほかにも、コンシェルジュリー(Conciergerie マリ・アントワネットが最期を過ごした牢獄)や荘厳な(というか悪趣味っぽい金きらきんの)裁判所など、見どころがたくさんあります。私が好きなのは島の西端にあるヴェール・ギャラン広場Square du Vert Galaant)。セーヌ川に架かる最古の橋であるポン・ヌフ(Pont Neuf 36- Ponts sur la Seine参照)を渡り、2つに分かれたセーヌが合流する地点に申し訳程度にはみ出した土地がそれです。下流に向かって進む船の舳先にいるような気分にさせてくれます。正面にルーヴル美術館のどっしりとした構えと、アーティスティックなポンデザール(芸術橋)が見えるのも実によろしい。パリらしい景観を味わえますよ。

 
(左)シャルルマーニュ(カール大帝)の像 (右)ジャンヌ・ダルクさまの像をバックに(ノートルダム寺院内)

まあ、シテ島は観光地ですから、ある意味では「おのぼりさん」向けということになりますか。ノートルダム周辺には、土産物屋や観光客めあてのカフェ、レストランなどが並びます。Tシャツやマグカップなど、修学旅行の高校生なら買いそうな品が並んでいます。ペナントとか絵はがきの類、ノートルダムの置物なんかも、もちろんあります。パリでこれほど俗っぽいのは、ここと、モンマルトル周辺くらいでしょうね。ぎらぎらした広告看板がないので救われますが・・・。

 正面は男性的、側面・背面は女性的な印象のノートルダム

大学生のころ初めてパリを訪れた折、ここに来てようやく「パリに来たなあ」と感じたのを思い出します。このごろは、RERで左岸の常宿に直行してセーヌを見ないまま投宿してしまうので、翌朝になってシテ島まで散歩し、ノートルダムの尖塔をセーヌ越しに見るのが一種の儀式になっている。難点は、意外に自動車の通行量が多くて危なっかしいこと。やっぱりパリの中心には違いないのですね。

 

 

12- Concorde (コンコルド広場)

セーヌ右岸の、ちょうど真ん中あたりにあります。広場の西側はシャンゼリゼです。コンコルド橋を渡った左岸側が、いまは国民議会(Assemblée nationale)になっているブルボン宮(Palais Bourbon)。広場の東側は、いまは市民が散歩や日向ぼっこで憩っているチュイルリー庭園Jardin des Tuileries)。チュイルリーと聞いておや?と思ったあなたは世界史通ですね。この一帯は、王政末期から現在にいたるまでフランスの政治の中心で、現在でも立法・行政・司法関連のさまざまな機関が集中しているのです。ということは、嵐の吹き荒れたあの時代には・・・。

 左岸のブルボン宮側からコンコルドのオベリスクを見る その向こうにマドレーヌ寺院が見えます

あとから「アンシャン・レジーム」と呼ぶ時代、18世紀半ばに、国王ルイ15世を称える目的でつくられたのが、この8角形の広場でした。正8角形ではなく南北方向にやや長い形をしています。1770年には、ハプスブルク家からやってきたマリ・アントワネットと王太子(のちのルイ16世)の結婚式がここで盛大におこなわれました。

マリちゃんが本当はどんな女性で、はたして幸せな結婚だったのかどうかは、この際問いますまい(昔の王族の幸不幸を現代の一般人の感覚で推し量っても仕方ないし)。1793年、彼女はこの広場に設けられた断頭台(ギロチン)の露と消えます。ルイ15世広場はいつの間にか革命広場と改称され、革命派がその勢威を誇示するための舞台として用いられることになっていたのです。マリに先立って、夫のルイ16世もここで処刑されています。また、いったんは革命派の主導権を握って大恐怖(Le Terreur)を現出したロベスピエールも、テルミドールの反動で捕らえられ、ここで断頭台に上りました。ロベスピエール後の政権を受け持った総裁政府は、「革命」という言葉の相対化を図ろうとしたのか、この場所を「融和広場」(Place de la Concorde)と再び改称しました。国民各層の融和を、という切なる願いでしょうか。そう、融和を意味するフランス語がコンコルドなのですね。ここは、フランス革命の光と影を感じることのできる広場です。

中央には、エジプトのルクソール神殿のオベリスクが立っており、その足許に、ルイ16世とマリ・アントワネット最期の地と記したプレートが埋め込まれています。あとからの解釈でしょうが、8角形には、パリ・リヨン・マルセイユを初めとするフランスの8大都市という意味が付され、全国民の融和という願いがさらに込められることになりました。

 広場の中心に立つオベリスク エッフェル塔がうっすら見える

現在では、右岸の要衝だけに非常に交通量の多い広場になっていて、ひっきりなしに車が行き交います。主要バス路線が集中するポイントでもあるし、メトロも3路線が集まりますので交通の便はよろしい。広場の北側は、リヴォリ通りやサン・トノレなどのショッピング街で観光客も多い。あの「とらや」の支店もありますから、あんこが恋しくなったらどうぞ。そうそう、とらやの裏手あたりに、会計検査院(Cour des Comptes)という役所があり、当時そこに勤務されていたクロード・テロー教授を訪ねて行ったことがあります。日本の役所もそのようだけど、いっそう荘厳な建物で、19世紀のものだとか。日本で中央官庁に行くことなんてまずないので、とてもいい経験でした。

コンコルドと聞いてマリ・アントワネットに思いをいたすのは世界史通またはベルばら通。超音速旅客機のほうを連想したなら、あなたは航空マニア。飛行機に乗るのは嫌いだけど見るのは大好きという私が、本物のコンコルドを見たときに感激したことといったらありません(ただしものすごい爆音は噂どおりです)。拙宅の書棚には、コンコルドのスチールモデルを飾ってあります(なぜかブリティッシュ・エアウェイズ仕様だけど)。コンコルド計画はどうやら失敗したようですが、科学が歴史や理想を背負って飛んでいくなんて、何ともフランスらしいですね。

 

 

13- La Défense (ラ・デファンス)

パリの西郊4kmほどにある新都心。絵に描いたような人工・人造都市で、どこかの博覧会にでも紛れ込んだような感覚に襲われます。自動車道路や電線の類はすべて地下を通っているため、地上部分は広大なプロムナードになっており、そういう雰囲気もどことなく博覧会ふうです。しかしここはれっきとしたビジネス街で、コングロマリット系の企業もずいぶん入っています。

デファンス(défense)は英語のディフェンスで防衛のこと。1870年の普仏戦争にまつわる「パリ防衛の碑」があったことからこの名が冠されています。その地名とは裏腹に、かなりアグレッシヴ(攻撃的)な地区といえます。

 新凱旋門を背にパリのほうを見る 凱旋門を望んで

パリ都心からラ・デファンスへは、シャトレ・レ・アルからのRER-A線、サン・ラザールからのSNCF(国鉄)線、そして都心を東西に貫くメトロ1号線が通じておりきわめて便利。細かい話ですけれど、RERはゾーンが変わってしまうため割高になりますが、メトロだと均一運賃がそのまま適用されますので、市内と同じ感覚で訪問できます。メトロと同じRATPが経営するバスも、シャンゼリゼを通ってここへやってきます。メトロを利用すると、都心から20分くらい。近いですね。この間に、大きく蛇行するセーヌ川を2度渡ります。凱旋門から西には住宅地が広がっています。国際会議場やスポーツ施設などが集中する地区。2度目のセーヌを越えると、いよいよ新都心ラ・デファンス!

生活感はないし、幾何学的ないし機械的なデザインの人工物だらけで薄気味悪いと評する人も多いのですが、私はけっこう気に入っていて、滞在中に1度は訪れています。ここは、おみやげの品揃えもいいんですよ(笑)。地区のランドマークは、何といってもその中心にどかんとそびえ立っている新凱旋門グランタルシュGrande Arche 直訳は「大アーチ」)。サイズでいえば、シャルル・ド・ゴール広場に建ついわゆる凱旋門(2- Arc de Trionphe)の倍くらいあるため、真下に立つとかなり大きく見えます。巨大なコの字を伏せたようなものだと考えればよく、全体がオフィスビルになっているほか、最上階は有料の展望台になっています。展望台に行くエレベータは、コの字の股ぐらに張られた頼りなげなパイプのあいだをすすーっと上っていきます。高所恐怖症の私にはかなりハードでした。この門というかビルは、1989年、フランス革命200周年を記念してフランソワ・ミッテラン大統領の肝煎りで建造されました。開業直後にアルシュ・サミットがここを会場に開かれています。展望台内にある展示室では宇野首相の写真を発見しました(そんな人は知らんかな?)。

  新凱旋門グランタルシュと展望台ゆきエレベータ

この現代的な凱旋門は、カルーゼル凱旋門→コンコルド広場→シャンゼリゼ→凱旋門とつづく「勝利の道」の延長線上にあります。展望台から都心のほうを望むと、その様子がよくわかる。フランス人って、そういう調和とか一貫性がとにかく大好きです。

 一貫性のあるデート?

こういう無機質なところは、人によって好みが分かれます。でも、カフェも書店もCDショップもブティックもショッピングセンターもファストフードも存分にあるので、1日いても観光客には飽きないところだと思いますよ。

 

 

14- L'Espérance (レスペランス)

<超主観的パリ入門>だから、ときどき本当に主観的な項目が入ります(笑)。<espérance>は「希望」を意味する単語ですが、今回取り上げるのは固有名詞。1999年以来、パリで常宿にしているプチ・ホテルpetit hôtel)なのです。プチ・ホテルというのは、家族経営のような小規模ホテルで、英国のB&BBed and Breakfast)に対してフランスの宿を特徴づけるもの。世界的な大都市パリでも、4つ星の高級ホテルのような例外をのぞいて、大半はプチ・ホテルです。

レスペランスがあるのは、左岸の文教地区カルチェ・ラタン(38- Quartier Latin参照)のほぼ南端で、食堂が立ち並ぶムフタール通りにも近く、なかなか過ごしやすい環境です。メトロ7号線のサンシエ・ドーバントン(Censier Daubenton)駅から徒歩5分くらいで、この路線に乗るとシャトレ、ルーヴル、オペラ座、東駅などに乗り換えなしで行けるため非常に便利。

 名物マダムのエレーヌさんと レセプションにて20052月)

 
「例のごとく」記念撮影 20043月(左)と20062月(右)  マダムは若くなって、当方は成長せず?

 

このホテルに出会ったのはほとんど偶然でした。1999年秋、研究上の資料を収集するのと、何よりも研究対象であるフランスの空気を実体験するのを目的に数週間パリに滞在したのですが、手許のガイドブックをめくって安そうなホテルに電話しても、空室はないという答えばかり。何軒目かにこのホテルが「歓迎します」と受けてくれたのです。資料探しの現場であった国立教育研究所(INRP)まで徒歩10分というのも好都合でした(INRP本体は2004年にリヨン郊外へ移転)。当時、1400フランくらい(当時1フラン=17円くらい)だったはずですけれど、このあたりの有名人らしいマダムに気に入られたらしく、長期滞在ということもあってかなり値引かれていました。フランスの宿泊料金は全般に安いのですが、パリだけが突出して高く、これでも安価なほうなのです(最近はユーロ高の関係で割安感がなくなりました)。マダムは日昼ほとんどレセプション前のソファに腰掛けており、スタッフさんたちや、温厚で控えめな旦那さんに切れのいい早口で話しかけています。どことなく江戸っ子ふう(?)。

 天蓋つきのセミダブルが特徴的な室内

建物は6階まであります。ただし、欧州ではグランドフロアをのぞいてカウントしますので、日本ふうにいえば7階建て。シングルとツイン、シャワーつきと風呂つきという、よくあるパターンです。テレビ完備でCNNまで映るのですけれど、2つ星でミニバー(冷蔵庫)がついていないので、ビールを買ってきたときには窓枠の外に張り出したバルコニー部分に引っかけています。冬場ならキンキンに冷たくなります。

 レスペランス外観 (パスカル通り)

付近は住宅地(といってもパリ市内は原則的にすべて集合住宅です)で静かです。お店もよそ行きのものでなく日常生活に根ざした商店が大半なので、ほっとするし、何より安くて気楽な買い物ができます。美味しいブーランジュリ(パン屋)もいくつか見つけたし、ビールやミネラルウォーターを購入する何でも屋のおやじは、「ん、また来たのか」という感じでにやりとします。このところ、2月または3月に必ず渡仏していますので、この界隈にたどり着くと「ただいま〜」という感じが(ちょっとだけ)します。3年前にレスペランスで出会った日本人の老教授は、文化人類学者でアフリカを調査するのにパリをベースにしているのだそうですが、マダムのエレーヌさんの若いころから世話になっていてねえ、と述懐しておられました。そういえば、最初にめくっていたガイドブックには「親切な夫婦が経営する家庭的なホテル」と書いてあったな。また来年来ますね、といったら、「歓迎よ。いつものように(comme d’habitude)ね」だって。うれしいですね。

 

 

15- Euro € (ユーロ)

2002年から欧州共通通貨ユーロが発足し、フランスやドイツなど西欧各国ではそれまでの通貨が廃止され、ユーロに統合されました。フランスはフランス・フラン(FF)を通貨単位としてきたのですけれど、その伝統も失われました。ようやくフランの計算がどうにかできるようになっていた私は、リセットして、1からユーロの感覚を覚えなければならなくなったのです。初めてユーロを使用したのは20032月のことで、新通貨の発足から1年が経過していました。

フラン時代との違いは、何といっても買い物における小数点の出現です。末期には1フラン=1518円くらいでしたので、たいていの日常品や食事は、小数点なしに会計できました。一応、サンチーム(centime =1/100FF)という単位もあるにはあったし、トイレのチップ入れなどにはよく1/2フラン(50サンチーム)硬貨が入っていましたけれど、要はそれくらいでした。小数点以下が当たり前のドルやポンドとは1桁違っていたので、日本人にはとてもラクでした。それが、ユーロに代わり、米ドル並みの見当になりましたので、サンチーム(正確には英語と同じセントcent。新しい1サンチーム=1/100ユーロ)が頻繁に使われるようになります。パン1つが0.80ユーロ、とかね。

もう1つの厄介な問題は、その発音。ユーロ(euro)は母音からはじまりますので、フランス語の特質上、前の数字とのあいだでリエゾンを起こします。数字単体だと発音しない末尾の子音が、ユーロの「ユ」とつながってよみがえるのです。2ユーロ(deux euros)は「ドゥージューロ」、3ユーロ(trois euros)は「トロワジューロ」。ユーロの相場的な感覚が体得できていなかったころには、何度も「え?」と聞き返していました。さらにさらに、12ユーロ(douze euros ドゥージューロ)が出てくるともうお手上げ。カタカナで書いただけでは2ユーロと区別がつきません(12のほうは唇を丸めて突き出す!)。かつて12:00douze heure)と2:00deux heure)の違いを聞き取れずアポイントをとるのに苦労した経験がありますが(前者だと「昼飯つき」なのでこの違いは大きいのです)、通貨単位でも混乱するとは。小数点以下についていえば、たとえば5.80ユーロだとcinq euros quatre-vingts(サンキューロ・キャトルヴァン)と「サンチーム」の単位をいわずに表現しますし、「ユーロ」も省略してcinq quatre-vingts580)のようにいうことも多い。メトロ(地下鉄)1回乗車は1.40ユーロで「アン・キャラント」(でも絶対にそのようには聞こえない・・・)。なるほどイシハラ都知事じゃなくても逆ギレしそうになりますなあ。

よく知られているように、ユーロの紙幣は参加国共通、硬貨のほうは各国で絵柄が違います。しかし、地続きで当たり前のように行き来しているわけですから、パリ市内で買い物をしていても、ドイツやオランダのコインをつり銭でもらうことがしばしばです。ルクセンブルクのが意外に多いと思うのだけど気のせいかな? 国境を越えても相場の計算をしなおさなくてよいのは通貨統合のご利益でしょう。ベルギーに行ったときにそれを実感しました(ただ、通貨統合以降にユーロを導入していない英国とスイスを訪れていますが)。

 日常重宝する10ユーロ紙幣(1400円ちょっと)

渡欧する前に日本の銀行で両替していくわけですけれど、私の場合は5ユーロ・10ユーロ紙幣を最も重宝します。もともと高い買い物をすることは少ないので、20とか50をもっていても使わず、小額紙幣からどんどん減っていくのです。で、最近は「500ユーロを全部10ユーロ紙幣でね」なんて注文するものだから、「え、50枚になっちゃいますよ?」と窓口で聞き返される。やー、何だったら全部5ユーロでもかまいませんて(笑)。100ユーロ紙幣というのもありますが、見たことはないです。偽造の問題があるので、欧米では高額紙幣を受け取らないお店も多く、高いものはクレジットカードで買いますから、それでいいのですね。それと、海外旅行の経験がある人ならわかるでしょうが、支払いの際にコインの識別を直感的にするのが難しいため、ついついソトワの紙幣を出しがち。日常のこまごましたことに使いやすい1ユーロ・2ユーロ硬貨(この2種はむやみに輝いているので識別できる)を分けておくといいですよ。50サンチームも慣れれば使える。昼ごはんをサンドイッチと飲み物で済ませようとするなら、だいたい5ユーロ以内で収まります(カフェで食べると7ユーロくらいかな)。

ユーロのレートはもともと米ドルと近いものとしてはじまったので、当初は1ユーロ=120円くらいだったのですが、中東情勢やその他のこともあって、その後はドルや円に対して強含み。現在は1ユーロ=140円強で推移しています。最近は実勢で140円を超えていて、滞在1日ぶんを切り取られるような感覚でした。日欧とも政治・経済の情勢が不安定のため、今後どのように変化するのか予断を許しません。ま、円安を承知で、普段は1ユーロ=100円くらいと考えていれば、ものの値段がわかりやすくなります。

 

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