古賀毅の講義サポート 2023-2024
Théorie et pratique d’enseignement
moral 道徳教育の理論と実践
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2023(令和5)年度 教職科目における指導・評定指針
2023年9月〜10月の授業予定
9月26日 思想・哲学・宗教・社会からみた道徳と道徳教育
10月3日 発達からみた道徳と道徳教育
10月10日社会変化と現代倫理
10月17日 学習指導要領における道徳(1):主として自分自身に関すること
10月24日 学習指導要領における道徳(2):主として人との関わりに関すること
10月31日 学習指導要領における道徳(3):主として集団や社会との関わりに関すること
教育者として道徳教育をおこなう立場になるわけですから、道徳教育の運用やスキルを身につけなければならないわけですが、その前にまずは「道徳」「教育」をあらためて学んでおこうという趣旨で、前回は古今東西の道徳を取り上げました。今回は「教育」のほうです。当科目が直接的な対象とするのは中学校の道徳教育です。したがって、対象としての中学生の特徴をよく理解し、彼らの学び方や課題に即した教育を計画することが望まれます。誰でも経験的に知っているように、小学生と中学生では、道徳的なものの受け取り方がずいぶん異なります。中学生は反発や不満を覚えることが多いですし、「そんなの建前じゃん」「いいことしたら、自分にもいいことがあるの」なんて生意気なことをいうこともあります。やれ、といったことをやらない、やるな、といったことをやる、という年代でもあります。「中学生はそういう年ごろだから、教師が何かを指導しても仕方ない」といいたいわけではありません(それは生徒目線による誤解です)。相手が中学生であることを十分にわかったうえで、それに見合った方法で指導するべきである、ということです。 教職科目では毎度のようにこの概念が出てくるわけですが、今回も発達段階のことを考えましょう。主に発達心理学の成果によります。ただ残念なことに、児童期までは、ジャン・ピアジェ(『教育原理』第5章参照)の包括的ですぐれた研究成果があるのですけれど、青年期以降になるとまとまったものがほとんどありません。ピアジェは20世紀前半に研究成果を出した人で、そのころの関心は初等教育にあったので、無理はありません。中等教育がみんなのものになったのに、ピアジェのような巨人は現れませんでした。ただ、道徳ということに関しては、アメリカの心理学者ローレンス・コールバーグの研究成果がしばしば援用されます。コールバーグ説には批判も敵対者も多いのですが、それにしてもこれをベースないし出発点にすると「道徳教育」の議論がしやすいので、今回もあえて乗っかることにします。コールバーグ説の中心は、子どもの善悪判断の発達ということにあります。何を善とし悪とするのか。よい・悪いというのは、かなり抽象的なことですので、考えてみれば幼い子どもがそれをどのように自分のものにするのか、気になりますね。幼児のころ「悪いことしちゃだめなんだよ」といわれて、納得して、そうしましょうとシンプルに考えたと思います。彼・彼女にとっての「悪いこと」って、いったいなんだったのでしょうか? そして青年期の判断基準は? 社会科・公民科の専門家でもある私の関心事のひとつとして、消費社会の問題があります。現代社会はまぎれもなく消費社会です。そして、その影響はおとなだけでなく子どもにも、青年期の生徒にも例外なく押し寄せます。そして、おとなであればそれを乗り切るスキルや心得があるだろうけれど、児童・生徒は下手をすると直撃を食らってしまうことがあります。スマホゲームで課金しすぎて親を破綻させた、などという極端な例もあるようですが、たとえばそんなこともあるわけです。SNSで「いいね」を欲しがるのはおとなも児童・生徒も同じですが、その前後が異なります。いまや消費やインターネットのことを無視して道徳教育なんてできるはずもなく、だとすれば余計に発達への注目を怠るべきではないと考える次第です。 REVIEW (9/26) ●道徳教育をどうこうする前に自分たちがまず「道徳」とは何かを理解する必要があるということが、とても納得できました。それを知らずして道徳教育を極めるというのは、教える立場として非常に恥ずかしいことだと思いました。 ●宗教と道徳の関連性がいまいちわかっていなかったが、初回と第2回の授業で、宗教的な考え方こそが道徳であることが少しずつわかってきた。歴史の背景がその国の道徳教育に強く影響していることも知った。道徳は、その前提知識が必要で、論理的で客観的な思考が不可欠だということが響いた。 ●歴史や倫理、国語(漢文)で聞いたことのある語句がたくさん出てきた。大学生になって再び聞く機会があるのが意外だったが、とてもおもしろかった。 ●道徳に関する知識が浅いということに納得した。日常生活においてよくないといわれている行動を、科学の方面や心理学のほうから解いていくことなどが重要だと思った。 ●いまの道徳の授業はmustやmust notといったものになってしまっている。私たちは論理的に道徳教育をしていかなければならないと思った。 ●今回はさまざまな宗教の観点について学んだ。さまざまな思想があり、それによる影響を日本が受けていることを知った。そして道徳の授業は理論にもとづいた話をしなければならないと思った。 ●今回は道徳と宗教の関係について学んだ。他国の内容が多く、日本だけでなく世界にまで視野を広げることができた。書かれていることを守るのではなく物事の本質を知ることが重要だと学んだ。 ●日本の、地に足をつけていないような道徳教育は、日本が宗教と稀薄な関係をつづけてきたことによるのかと思った。 ●日本のケガレに関して、とても大事な問題であると思った。意味のないような、ケガレのようなものが多くあると思った。 ●勤勉さの要因に、ヒドゥン・カリキュラムと軍隊と鉄道が関係しているとありましたが、軍隊や鉄道にあまりかかわらない地方の人は、都市の人とは勤勉さが変わるのかもしれないと思った。 ●イスラエルの大統領の大正天皇の葬儀の際の行動(安息日とエレベータを使わないことの関係)についてもう少し詳しく知りたい。 ●ラベルをもたないと硫酸とかが容器を伝って燃えたりするので危ないですよ。
●話のオチに向かう流れがきれいだったので、古賀先生の中で道徳について宗教やその他の要因と合わせて深く納得できるまで思考していたのがよくわかる。理論的な道徳のために、先生のように自分なりに納得できる解答を用意できていないと無理だということが理解できた。 ●教師として道徳の授業で教えることが、生徒が社会に出たときに影響していくと思うから、ちゃんと道徳、道徳教育、道徳の時間についての違いをわかっておくべきだと思う。 ●日本の道徳教育は諸外国・文化のように本質が見えにくいのが問題なのだと考えた。たとえば学校教育は「人格の完成」という明確な目標の上に教育課程があるが「あまり」でしかない道徳はそれがなく教師の経験のコピーでしかできず、抽象化できないのかと考えた。 ●知をベースとした思考をする道徳教育をおこなっていく中で、根拠のない空想(妄想)より根拠のあることを論理的に教えることが、近代の道徳であるのだと思った。 ●理系大学出身の力を上手に生かした、ロジックのある授業をつくれるように、学びを深めていきたいと思う。 ●消費社会の課題で、埋立場の問題をどう検討するか考えていきたい。 ●知は道徳教育であるということは心に刺さった。 ●青年期にふさわしい道徳教育として、知識を入れてから、というのが、いわゆる主要教科では当たり前に感じられるが、道徳だと意外に思ってしまった。主要教科と同様に力を入れた授業を心がけたいと思う。 ●知から道徳に、自身の内でつなげることができたのは理系教科で、中高生のころは文系教科でそれができなかったなと。理系教科ではそれができたからおもしろく楽しかったのか、自身の力でできるほどの知が、文系教科では身につかなかったのか。 ●道徳≒知≒科学≒論理的思考(プロセス)なんじゃないかと考えるのは、私自身が現在も含めてそういう環境で育ってきたからだと思うけれど、先生も同じような見方をしていてちょっとびっくりした。ある意味、理系にはパッションが足りないみたいな言われ方をすることがあるが、超理論主義だから冷たくなるような態度になるのは必然というか・・・。 開講にあたって 道徳教育は古くて、新しい分野です。道徳(moral)は人間が人間であるために不可欠のものとして、古来それぞれの地域や共同体の中にありましたし、それを次世代に受け継ぐための教育らしきものも当然ありました。近代に入り公教育が出現すると、その教育課程の中に道徳教育(moral education)が組み込まれます。道徳が重要であるということは変わらないが、その中身や目的が変わり、またウツワ(枠組)が変わりました。そして現在、道徳教育そのものは必要だとおおむね考えられているが、社会のありようが大きく変化する中で、その中身や目的がそのままでよいのか、もっと今日的な問題に向き合うべきではないのかという議論が起こっています。一方で、政治やイデオロギー、宗教観といったものに根ざして、道徳教育に対する基本的な考え方自体が論争の的となり、いまもやむことがありません。児童・生徒の視点では、好きか嫌いかは別にして、学校に道徳という授業があってそれらしいことを学ぶのは当たり前だと思っていたのではないかと思いますが、他の教職科目と同じように、ここでも当たり前でなじみのある対象を突き放し、客観的・論理的な文脈に載せ替えて、教師をめざす立場で(つまり道徳を指導する側の視点で)捉えなおしてみることにしましょう。 すでに教育課程論で確認したように、現在の教育課程では、小・中学校においては特別の教科 道徳が置かれ、道徳教育のコア(「要」)とすることが定められています。中学校では教科・総合的な学習の時間・特別活動と並置される領域ですので、中学校教諭1種免許状(本学では数学・理科)の取得をめざすならば、その指導についての専門性を身につけるのが必須になります。一方、高等学校の教育課程には道徳の設定がないのですが、しかし学校の教育活動全体を通じて道徳性の育成を図るという全面主義道徳教育の原則が総則の冒頭に明記されていて、特別の教科はないが、教師として道徳教育について熟知することはここでも求められます。法令上、この道徳教育の理論と実践は、中学校免許の希望者には必修、高等学校免許希望者には選択という扱いになります。それらを踏まえて、当科目では中学校の道徳教育に焦点化し、中学生への指導ということを中心に考察、議論していくことにします。 かつての教職課程(1990年代まで)では、道徳とは、道徳教育とは何かという理論的な部分への理解が強く求められていましたが、2000年代に入るころから実践的なスキルの習得が強調されるようになってきています。本学の教職課程でも、道徳教育の研究といっていた科目名を、2016年度入学生より現在のものに変更しました。全面主義道徳教育から特別の教科へという変化もありますし、社会変化や児童・生徒の生活環境の変化もあリ(たとえばICT化)、深刻なまま学校の中に固着してしまったいじめなどへの対応もあって、未来の教師には道徳教育を「考える」だけでなく、「実践する」ところまで意識を移動させたいという国の意図が背景にあります。教科と異なり、受講生がそれを専門としているわけではなく、またそこに充てる時間も圧倒的に少ないのですが、重要な分野であることに異論はないでしょうし、この分野への専門性を深めることは、狭義の道徳教育だけでなく、中学校や高等学校の教育そのものへの専門的な見通しや実践力に直結することであることも論を待ちません。 当科目では、最初に人間・社会における道徳の問題を概観します。つづいて中学校学習指導要領(第3章)に沿って道徳教育の具体的な目標・内容や留意点などを考察します。さらには実践編として、学習指導要領にもとづいた中学校の特別の教科 道徳の授業プランや教材の作成について、全員で議論し、検討します。第12回・第13回は、草野滋之教授の担当で、青少年教育、生涯教育、平和教育などの視点から道徳教育に関する視野の拡張を図る内容です。 <使用するテキスト> 当科目の評定方針 ●提出物、授業内での発表の内容を評定のベースとし、授業への参加のあり方を平常点として加味します。草野教授担当回の配分は20%の予定です。 |