古賀毅の講義サポート 2022-2023

Théorie et pratique d’enseignement moral

道徳教育の理論と実践 


千葉工業大学工学部・情報科学部・社会システム科学部 教職科目
後期 火曜910 17 :00-19 :00  津田沼キャンパス 621教室


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2022(令和4)年度 教職科目における指導・評定指針

2022910月の授業予定
9
20日 道徳教育の目標と実施枠組
9
27日 思想・哲学・宗教・社会からみた道徳と道徳教育
10
4日 発達からみた道徳と道徳教育
10
11日 社会変化と現代倫理
10
18日 学習指導要領における道徳(1):主として自分自身に関すること
10
25日 学習指導要領における道徳(2):主として他の人との関わりに関すること



次回は・・・
2-
思想・哲学・宗教・社会からみた道徳と道徳教育

「どうとく」と聞くと、人間一般に普遍的なそれを意識するよりも、学校の「あれ」だと直感的に思う人は少なくありません。道徳(的な何か)を意識しない人はいないと思うけれど、それは内面の奥のほうで静かに動いているものであり、あえて口に出して「どうとく」だということも少ないでしょう。これに対して、小学校1年のときから道徳と称する授業が毎週ありますので、道徳と道徳教育の境界があいまいになりがちではあります。教職科目でたびたび取り上げてきたように、小学校の教師は何より「子ども・発達の専門家」であり、「教科の専門家」である中学校・高等学校の教師と専門性にズレがあるのですが、ゆえに道徳のようなものを指導しやすいという面と、ゆえに道徳を(他の教科と同じように)子ども向けの浅いものとして捉え、そのレベルから深みをもたせることが苦手だという面があるようです。みなさんは中等教育レベルの教師をめざす立場ですので、小学校の道徳教育の、それも主観的経験にもとづく発想にひきずられることなく、まずは道徳ないし倫理そのものをじっくり考えてみてください。

私たちの道徳とか道徳観は、人間社会が積み重ねてきた思想とか思索の上に成り立っています。現代の日本人の道徳観には、おそらく古代いらいの民族文化やそれにまつわる思想、中国系の思想(たとえば儒教)、インド由来の思想(たとえば仏教)、商工業の発達とともに形成されてきた実践的な道徳、農村共同体の道徳、そして近代に入って西洋哲学・西洋思想の影響を強く受けながら広がっていった近代的な価値観などが、切り分けるのが困難になるほど混線して、流れています。儒教は中国、仏教はインド由来といっても、日本人がアレンジを加えて独自の色をつけている面も少なくありません。近代に入ってから、軍隊、メディア、そして学校教育を通じて形成された道徳もずいぶんあるのではないかと私は考えています。そして、現代のように変化の激しい時代にあっては、「これが道徳だ」と確信したとしても状況がすぐに変化するため、ぐらぐらして安定しないという面もあります。SNSで病んでしまう人が増えました。ということは「病ませている」人がその何倍もいるということです。インターネットやICTの急速な発達に、道徳観の形成やその共有が追いついていないわけです。そうしたことを考えていくと、2022年の教室でみなさんと議論する道徳や道徳観も、やがて中学生に指導する段階になったら前提が変わっているかもしれない、と考えておきましょう。そこで不変の部分は、あるのかどうか。

今回はとくに宗教religion)と道徳・道徳観の問題を中心に考察します。いまの若い世代は、宗教に関する知識や見識が不足しすぎではないかと思うことがあります。私たち学校教育(とくに社会科・公民科)が怖がって教えていないからだというのは、残念ながら否めません。政治と宗教は、必要な見識なのに教えるのに勇気が要りますので、「中立性」を盾に、ついつい「何も教えない」「自分で考えて」みたいになりがちなのですね。しかし、信仰を強制するのは大問題だが(公立学校でそれをしたら教育基本法にも憲法にも違反してしまいます)、「宗教というもの」を教えるのは、「自分で考え」るためにも必要であり重要なことです。そうしないと、インターネット経由でロクでもない(誤った)情報を得て、偏見や差別に固着するリスクすらあります。現代の日本人はこれといった信仰をもたないといわれることもあるけれど、それは違います。○○教といった特定の教義に結びつかなくても、日常生活や素朴な発想の中に宗教的な何かが含まれるということは、むしろ自然です。道徳という対象を考えるとき、それがきわめて重要な意味をもってきます。

 

REVIEW 9/20
*文意を変えない範囲で表現・用字法を改める場合があります。

道徳の授業も、これまでと同じように、生徒(児童)時代の経験が生きないということがあらためてわかりました。これまで同様に、新しい授業の1回目は、考え方やそれまでの知識がひっくり返っていっておもしろかったです。

道徳教育について、教科として置くべきか全面主義的に進めていくのか、先人の考え方が強く反映されることなど、いままでそこまで深く考えることはなかった。自分の特性に合ったオリジナルの道徳の授業というのが想像できなかった。

道徳というふわっとしたイメージしかないにもかかわらず、しっかり、ちゃんと、など具体性のない言葉が用いられるのはどうかと思った。生徒が予定調和的な言葉を発するのは、怒られるのを過度に恐れているからではないでしょうか。
「倫理」は知と徳を兼ね備えた学びであると思っていたが、「道徳」と聞くとなぜか強制的にやらされている感じに思っていた。しかし、たしかにDVDや本を読んで身につくものではないからこそ、自分がどう解釈するのかが大切であると思った。
・・・> 倫理(ethics)も道徳(moral)も、公教育なんかよりはるか大昔から人間社会にあるものなのですが、みなさんは倫理とか道徳という言葉を聞くと、ただちに学校の科目や時間をイメージして、それにひきずられるのではないでしょうか? それも、中等ではなく初等教育のアレ。

知識と道徳は相互的なものであり、知・法だけで解決できないときに道徳・徳が必要となり、道徳で解決できないときに知が必要になると考えた。知を学ぶことで、道徳を論理的に考えることができ、それが生徒の学びになると考えた。

道徳を教科として取り入れるのは、半ば強制的に生徒を道徳に触れさせるためにも必要だと考えた。

全面主義のほうがよいと授業を受ける前は考えていましたが、環境倫理などを教えたりするのに教科主義のやり方のほうが合っていると考え、どっちもどっちなんだなと思いました。

道徳は教科として学ばせたほうがよいと考えました。教科やイベントなどで自然と得られるものだけではないと思うからです。道徳という時間を設けて、あらためて考えるほうが、より多くの感性を学ぶことができると考えます。
・・・> 考え方は別によいと思いますけど、学ぶのは「感性」? それって道徳?

道徳は教科主義であるべきだと思った。道徳は、教科主義の観点から見ると他の教科と比べて歴史が少ないため指導の履歴がない。そのため、これから歴史をつくり、徳治主義として完成させるべきだと考える。
・・・> いろいろ理解が浅いのではないかな。道徳は、以前は修身という名称でしたが日本の学校教育がはじまるのとほぼ同時にスタートしましたので、戦後生まれの社会科なんかよりはるかに履歴や蓄積があります。徳治主義になぜつながるのかがわかりませんが、意味を捉えそこねていませんか? 教科を設けるというのであれば徳治主義的にはならないと思うけど。


アルプス山脈

 

道徳を教科にすることは、成績をつけることになるが、生徒はテストだけがんばろうとするだろうから全面主義の考え方が適していると考えた。

道徳教育は学校教育全体でやるべきなのではないかと考える。専門的に学ぶより、学校生活の中でコミュニケーションを取ったり協力し合ったりすることで、人格を形成することができるのではないか。それに加え、理科ならではのサイエンスを取り入れて、感情や思ったことについて語り合うのではなく、理科の専門性を武器にした道徳の授業をつくっていくべきだと考えた。教科と道徳を分けて考えることがないように、常に何かしらの関連性を見出していくべきだろう。

たしかに道徳と聞かれたら気持ちの問題だと思っていた。周りの人もそう思っていると思っていて、論理を持ち出したら「人でなし」とかいわれそうでいえなかった部分もある。

自分自身、道徳は「心」がメインだと考えている部分が多少なりともあった。今回の授業を受け、本来あるべき道徳は、もっと論理的で根拠にもとづいたものであると考えた。考え方を改めていく必要がある。
たしかに道徳のイメージは私も情意偏重になっていた。科学倫理とか情報倫理などに必要なのは「知」であるから、道徳では「知」が必要だし、授業でも「徳」が必要だとわかった。

私の生徒時代の道徳教育もたしかに情意偏重であったが、本来道徳で教えるべきは感情的なことではなく、科学と論理であるとわかった。そう考えると、道徳教育はとても重要だと思う。教科としておこなうべきか全面主義でおこなうべきかは決めがたいが、両者をうまく組み合わせることが大切だと思った。

 

 

開講にあたって

道徳教育は古くて、新しい分野です。道徳(moral)は人間が人間であるために不可欠のものとして、古来それぞれの地域や共同体の中にありましたし、それを次世代に受け継ぐための教育らしきものも当然ありました。近代に入り公教育が出現すると、その教育課程の中に道徳教育moral education)が組み込まれます。道徳が重要であるということは変わらないが、その中身や目的が変わり、またウツワ(枠組)が変わりました。そして現在、道徳教育そのものは必要だとおおむね考えられているが、社会のありようが大きく変化する中で、その中身や目的がそのままでよいのか、もっと今日的な問題に向き合うべきではないのかという議論が起こっています。一方で、政治やイデオロギー、宗教観といったものに根ざして、道徳教育に対する基本的な考え方自体が論争の的となり、いまもやむことがありません。児童・生徒の視点では、好きか嫌いかは別にして、学校に道徳という授業があってそれらしいことを学ぶのは当たり前だと思っていたのではないかと思いますが、他の教職科目と同じように、ここでも当たり前でなじみのある対象を突き放し、客観的・論理的な文脈に載せ替えて、教師をめざす立場で(つまり道徳を指導する側の視点で)捉えなおしてみることにしましょう。

すでに教育課程論で確認したように、現在の教育課程では、小・中学校においては特別の教科 道徳が置かれ、道徳教育のコア(「要」)とすることが定められています。中学校では教科・総合的な学習の時間・特別活動と並置される領域ですので、中学校教諭1種免許状(本学では数学・理科)の取得をめざすならば、その指導についての専門性を身につけるのが必須になります。一方、高等学校の教育課程には道徳の設定がないのですが、しかし学校の教育活動全体を通じて道徳性の育成を図るという全面主義道徳教育の原則が総則の冒頭に明記されていて、特別の教科はないが、教師として道徳教育について熟知することはここでも求められます。法令上、この道徳教育の理論と実践は、中学校免許の希望者には必修、高等学校免許希望者には選択という扱いになります。それらを踏まえて、当科目では中学校の道徳教育に焦点化し、中学生への指導ということを中心に考察、議論していくことにします。

かつての教職課程(1990年代まで)では、道徳とは、道徳教育とは何かという理論的な部分への理解が強く求められていましたが、2000年代に入るころから実践的なスキルの習得が強調されるようになってきています。本学の教職課程でも、道徳教育の研究といっていた科目名を、2016年度入学生より現在のものに変更しました。全面主義道徳教育から特別の教科へという変化もありますし、社会変化や児童・生徒の生活環境の変化もあリ(たとえばICT化)、深刻なまま学校の中に固着してしまったいじめなどへの対応もあって、未来の教師には道徳教育を「考える」だけでなく、「実践する」ところまで意識を移動させたいという国の意図が背景にあります。教科と異なり、受講生がそれを専門としているわけではなく、またそこに充てる時間も圧倒的に少ないのですが、重要な分野であることに異論はないでしょうし、この分野への専門性を深めることは、狭義の道徳教育だけでなく、中学校や高等学校の教育そのものへの専門的な見通しや実践力に直結することであることも論を待ちません。

当科目では、最初に人間・社会における道徳の問題を概観します。つづいて中学校学習指導要領(第3章)に沿って道徳教育の具体的な目標・内容や留意点などを考察します。さらには実践編として、学習指導要領にもとづいた中学校の特別の教科 道徳の授業プランや教材の作成について、全員で議論し、検討します。第12回・第13回は、草野滋之教授の担当で、青少年教育、生涯教育、平和教育などの視点から道徳教育に関する視野の拡張を図る内容です。

<使用するテキスト>
中学校学習指導要領解説 特別の教科 道徳編
(文部科学省)
*ウェブ版はPDF形式で扱いづらいため、書籍版(教育出版 税別156円)の購入を勧めます。

 

当科目の評定方針

提出物、授業内での発表の内容を評定のベースとし、授業への参加のあり方を平常点として加味します。草野教授担当回の配分は20%の予定です。
出席点は一切ありません。

 

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